1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #120 【番外編 NGテイク】難し..
2023-06-18 52:15

#120 【番外編 NGテイク】難しすぎてギブアップする兄。そして反省会へ

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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ハイデッカーと存在と時間
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回も引き続きハイデッカーということで、前回が存在ですね。存在とは何かっていうところを聞いてきたんですけれども、今回はどういった話になっていくんでしょうか。
はい、今回からはですね、ハイデッカーの主張と言われる存在と時間っていう本があるんですけど、この本の内容をお伝えしていきたいなというふうに思いますと。
やっぱりその存在とは何かとか、哲学を乗り越えるとかって、なんか分かりにくい、ちょっと大げさすぎるじゃないですか、話として。
前回もね、そもそも哲学ってなんだっけみたいな、結構やっぱりその根本的な話から入ってきたもんね。
そうそうそう。で、ハイデッカーはそういうことを考えたすごい人だっていうのはあるものの、なんか別にそういうことばっか考えた人だよねとか、なんか僕らと全然違う感心にならないことを考えた人だよねみたいなことじゃないよっていうのを最初にお伝えしていきたいなっていうのをちょっと思ってて。
これまで存在と時間とかって言われると、なんかよく分からない、そもそもどっちも分からんみたいな、どっちも当たり前じゃんみたいな感じだと思うんですよね、存在も時間も。
で、もちろんハイデッカーなりの目的とかはあるんだけど、結局この本で言われるとか読み取れることって、僕らっていうか人間が生きてるってどういうことなのみたいな、割とそういう話に近いんだよね。
うん、そうなんだ。はいはいはい。
その存在がとか、なんだろうな、存在了解がとかって難しい言葉も出るんだけど、結局のところ、生きてるって何?みたいなこととか、普段僕ら間違いなく生きてるじゃない、このラジオ話聞いている限りは。
でも生きてるってどういう仕組みなの?とか、どういうことがその中で起きてるの?みたいなことって、あんまなかなか考えないし、そもそもそれってどう考えてるか分かんないと思うんですけど。
まあそうだね、はいはい。
それを存在っていう切り口からやってるよっていうのが、このハイデッカーの存在と時間っていう本なんだよね。
うーん、なるほど。前回もあったもんね、ハイデッカー自身が結構、哲学とは何かっていうよりも、生きるとは何か、人生とは何かとかさ。
うん。
多分そういう、結構実生活に基づいた感覚からスタートはしてそうだよね、みたいな話が第1回でも発覚してたもんね。
そう。
やっぱそれが、ハイデッカーがすごくかつ難しいのが、ただただ日常的に考えましょうではなく、なぜそういう取り組み方が必要なのかっていうところから説明しているから、ややこしいし難しいみたいな感じはあるんだよね。
うんうんうん、なるほどね。
でも実感として、ちょっと今日いろいろお話いくんですけど、確かに生きてるってこういう面もあるよね、みたいな、皆さんの感覚に紐付けて聞いていただけると、こんなこと言ってんのかな、みたいに分かるというか感じる部分もあるんじゃないかなと思うので。
うんうんうん。
なんかその言葉の難しさとか、存在って硬いなみたいな、存在について考えるとか別によく分からんなみたいなことよりは、ちょっとそういう雰囲気を話していただくっていう感じで聞いていただいてもいいのかなというのが冒頭お伝えしたかったところでした。
存在の答えと未完成の本
なるほどなるほど。それとも結構ね、崇高な質問だけどね、生きるとは何?自分って何だっけ?みたいな。
あれはさ、子供とかでもあるじゃん。生きてるって何?とかさ。
うん、はいはいはい。
純粋に不思議とか疑問っていう風になることもあると思うので。
うんうんうん、なるほどね。それにハイデッカーで答えてあげようっていう話。
そうそうそう、っていう感じですと。
はいはいはい。
そういうね、じゃあハイデッカーの元々の関心っていうのは、兄貴が最初に言ってくれた通り、存在とは何かみたいな話で。
それを質問というか問い通して出すんだとしたら、その答えっていうのは、存在とかあと存在一般みたいな、いわゆる概念としての存在みたいなのは、これこれだよみたいな答えになると思うんですよね。
それ前回の話かな?
そういうよりもこのハイデッカーの問いと答えみたいな話、やりたかったことっていう話。
もう一回いい?もう一回いい?よくわからなかった。
でもハイデッカーは存在とは何かを知りたいわけだよね。
うんうんうん。
この本でとか前回の話があったよりはそもそもハイデッカーの興味・関心として。
はいはいはい。
というわけに、その答えっていうのは存在とはこれこれであるっていう答えにおそらくなるはずだよね。
あーなるほど。存在イコール○○の○○を知りたいって話ね。
そうそうそうそう。存在とは何かっていうのを質問してるから。
最近難しい話すぎてさ、なんかさやとが話す言葉1個1個の意味が何かあるんじゃないかって思ってたんだけど。
つまりはそういうことね。まずまず今そういう話をすると。
まずまず。
存在イコール○○。
普通に考えて。
はいOKです。
そういう兄貴がどんどん疑い深くなってる。
一旦ピュアに聞いていただいて大丈夫です。
はいはい。
例えばその第1回でもね、ハイデッカーの第1回でもお伝えした通り、この存在と時間っていう本はある種の未完成の本なんだよね。
だからその答えとしての存在とはこれだっていうのは書いてないんですよ。
あーはいはいはい。結構そうか。大事なとこが書いてないんだ。
まるっとおっしゃってるんだよね。
存在の質問と自己認識
その部分だけないっていうよりは、その構想してたものの中で結構まるっと後半部分が書かれてないみたいな感じがありますと。
じゃあ何が書かれてるんですかっていうと、それはその存在っていうのを質問するわけだよね。
存在とは何かっていう質問をするんだけど、それを質問しているこの自分自身とかこの人間とか私っていう存在。
つまり存在を問うときに、まさにその質問をしている私っていうのが存在するという、ちょっとデカルトっぽい感じを思う人もいると思うんですけど。
でもまずそこから考えなきゃいけないよねっていうのがハイデッカーのやり方なんだよね。
なるほどなるほど。そこから紐をたぐっていくしかないよねという話ね。
そうそう。で、デカルトとも違うのは、デカルトっていうのは疑った中で、この疑っている自分っていうものを疑えないっていうふうなところから出発したと思うんだけど。
でもハイデッカーは存在っていうのを問うから、その質問をしている自分が存在するとは思うんだけど、
これってじゃあ何なの?要は存在を解いているのに自分が存在するっていうところから始められないじゃないですか。
そうすると同じことになっちゃうから。
なので、自分とか人間っていう中に、それってどういう存在なのっていうところから考えていきますよと。
なるほどなるほど。
なので、これってハイデッカーからすると前座というか、存在とは何かっていう問いを考えるための導入みたいな感じなんだけど、
存在についての問いとハイデッカーのアプローチ
それ自体がまさに人間とは何かとか、人とはどういう存在かっていうところに対する結構深い洞察になってて。
ああ、そうなんだね。
それ自体が面白い。
なるほどなるほど。結論にはたどり、その存在そのものにはたどり着いていないんだけれどもって話か。
そうそうそう。
でも人間って何っていうところにはかなり、ああなるほどこんな考え方もできるんだねみたいなことを言ってます。
結構デクラルドとも違うんだね。デクラルドが消去法的な感じがするけど、
ハイデッカーはちゃんと自分の認識からとか、前回の現象解、フッサール的な観点からそこは捉えようとしてるみたいな感じなのかな、そこは。
そうだねそうだね。その辺りまでこの後詳しくお話ししていこうと思ってるんですけど、
まずちょっと早速とはいえ、新しいことを考えていくから新しい言葉がいろいろ出てくるんですよ。
でちょっと一個まず最初にその言葉を増やしておきたいんだけど、
ハイデッカーはそんな風にその存在について問う存在、そうした人間っていうのを指してその現存在とかダーザインっていう言葉を使うんですよね。
これイコール人間イコール現存在なんだけど、現ってのは現実とかの現ね。
はいはいはい。
そう読んじゃうと原理とか現実に存在しているみたいな風に読みたくなるんですけど、
その前お伝えした木田玄さんっていう人曰く、ある種存在が起こる現場とか存在ってものを問うっていうことが起きているその場所として、
その現存在として人間があるんだみたいなことをおっしゃいますと。
自己と他者との関係性
なるほど、場ね。
そういう問いが生まれる場、要は犬とか猫にはおそらくそういう問いは出てこない。
存在とは何かとか、自分という存在とはどういうものかっていうのはおそらく動物には生まれないでしょうと。
ようには見えないね。
人間にはそういうのが生まれるっていうことは、人間はそういう特殊な問いを立てられる場なんだみたいな。
そういうところからスタートするんだよね。
はいはいはい、なるほど。
存在とかそこを混同しているためにね、存在っていうものにたどり着こうとしてるから。
うん。
とかやっぱり理性とか体とかっていろんな要素を持つ人間っていう言葉を使っちゃうと、
その中、問いを始めるにはいろんな要素がくっつきすぎちゃうから、あくまでも存在とは何かを問う存在としてまず始めましょうと。
すごい難しいね、確かに。
その存在っていうものについてアプローチするために、人間っていうふうに定義しちゃったりとか理性とか、
そういうふうに定義しちゃったりするだけで、その存在みたいなものを作り出しちゃってるから、
どこまでゼロベースからスタートできるかのゼロをどう作るか、もしくは1をどう作るかみたいなところの難しさを、
ハイテクアはこのまず現存在っていうところでこのゼロなのか1なのか、最初の一歩を定義したよねみたいな感じなのかな。
もうまさにその通りだね。
よくゼロポイントで考えてくださいとか、フッサールの時にも裸で来てくださいとか言ったと思うんですけど、
裸ではないんだけど、その現存在っていういろんな要素を取り除いた、この存在と何かっていうことを考えられる人間、
それ以外の要素はまだ何もないっていう状態からスタートしていきましょうと。
はいはいはいはい。
これがいわゆる哲学難しいあるあるというか、やっぱりそれをつかむのがまず大変なところからなんですけど。
まあそう、だって今の状態って、これ古いのかな古いかもしれないけど、ドラゴンボールでいうところの精神と時の部屋みたいなのがあって、
ずっと永遠に続く真っ白い空間がまずあって、そこに何かが人でもいいか人の形をしたないかが、
とりあえずたたずんでいるような状態の存在とは何かを問おうとしている何かがいるぐらいの、まだ何もないみたいな真っ白い世界。
そうだね、何もないぐらいが正しい、何もない存在を問う場だけがあるみたいな、本当にそんな感じですと。
ここからはいろいろ考えていきましょうねっていうのがこの存在と時間で行われていくことなんですけど、
まずね、そうすると何が起きるかっていうと、
現存在というのなので、いわゆる抽象的な何か概念とか頭で作ったものじゃなくて、実際に存在はしてるんだよね。
存在してるか現実の世界にはあるんだよね。
なので、もうあるっていうところからスタートしているということは、常に自分自身が存在しているっていうことには向き合わなきゃいけないですと。
存在とは何かがまだ分かってないんだけど、少なくとも自分は存在しているよねと。
まああるよねと。
そのしか思えないよねと。
そうすると、やっぱり一番最初の大きな問いとして、自分とは誰かみたいなところが出てきますと。
他の存在、例えば兄貴みたいな人間でもいいし、それからパソコンみたいなものでもいいんだけど、そういう対象に関わるにしても、それとあくまでも自分がその対象に関わるっていうふうな関係になるじゃないですか。
そうね、はいはい。
現存在とは何か
だから、あるいはいろんなものをこれから考えていこうっていう時にも、結局この現存在としての自分とは何かとか、自分自身ってなんだっけみたいな、そういう自分への関心っていうのを持って存在してるよねっていうことが、まず第一にあるっていうふうに言えるよねと。
自分への関心。
これは、僕らが普段日常で考えるような、自分って自分らしいんだろうかとか、この服が似合ってるんだろうかとか、そういうのでも全然よくて。
その根本にある、結局自分にまずベクトルが向きますよねっていう話なんだよね。
この現存在の大事なポイントがあるってこと?
現存在から考え始めた時に一番最初に何が立ち上がってくるかっていうとっていう話かな。ここは分かりそうかな。
ちょっと難しいな。今何の話をしてるんだ?現存在が物事をどう捉えるかの話をしてるの?現存在とは何かの話をしてるの?
現存在が生まれました。今ゼロポイントね。
この現存在はまず最初に何をするでしょうかっていう時に、次のゼロから1へ出てくるものが自分への関心だよっていうことなんだけど。
はいはいはい。なるほどなるほど。現存在育成ゲームをしてると考えてね。
そのゲームが始まって、まず現存在が立ち現れましたっていうところからスタートですと。
その次にまず何が自動的に起こるかっていう話。
なるほどなるほど。それは私でもいいし、第三者視点で現存在を見ている、コントロールしている自分でもいいけれども、
それを見た瞬間に、あ、こいつ何やって話ね。まずね。この現存在来たけど何だこれはと。
第三者だとダメなんだよね。現存在自身なんだよね。
そこは一人称視点で考えていいですかね。
一人称視点。だから現存在育成ゲームというよりはVRの現存在なりきりゲームをやってる感じが違うかもしれない。
なるほどなるほど。
あなたは現存在になりましたと。
なるほど、OKです。
確かにそこからそういう感じで皆さんも聞いていただけるといいかも。今から現存在なりきりゲームをしますと。
まず、存在とは何かという問いを持ちました。では始めます。
はいはいはいはい。
そこからすると、まずそもそもその自分っていうものが存在しているから、他のものと関われるよねとか、
そういう自分っていうところから出発しなきゃいけないから、やっぱり自分自身に関心が向きますっていうところが次のステップになります。
っていうのがハイデッカーが言っていることですと。
なので、これマンキーが言ってくれた通りなんだけど、だからそのハイデッカーはその現存在の分析とか、
そういう現存在なりきりゲームっていうものをあくまでも平均的な日常の場面から始めるんだよね。
要はなんか哲学的にすごいことを考えてとか、それこそ研究室の中でとか、何かものすごい理想を目指してとかってことじゃなくて、
単純に今普通にこの部屋でもいいんだけど、そういう自分の部屋とかからそれがスタートしたとして、
なんか椅子もあり、電灯もあり、壁もあるけど、まず自分っていうのがいるよねっていう素朴な感覚からまず始まりますと。
なるほど、そっか。さっき精神と時の部屋とか言っちゃったけれども、そういう思考ゲームじゃなくて、
普通に勇者が部屋のベッドから目覚めましたみたいな、そういう風景を想像していった、全然。
しかも別にそれは全く知らないところに連れてこられましたじゃなく、普通に日常の自分が普段生きている部屋で起きているゲームですと。
なるほど、なるほど。
っていう感じなんだよね。その意味では平均的な日常から始めましょうってなったときに、
ただただ日々を過ごしてても、いろんな問いとか疑問、自分は誰かとか、あれは何かとかっていろんな問いを日々生まれているとは思うんだけれども、
その問いを立てている現存在とは何かっていう問いっていうのはあんまり出てこないと思います。
うんうんうん、そうね、はいはいはい。
だからこそそこには哲学的なアプローチが必要だよねっていうのがハイデッカーの一番初めの主張なんだよね。
うんうんうん。
だからその現存在なりきりゲームはスタートして、自分と何かとかっていう風に考えるっていうのがある種一つの哲学的なアプローチ。
うん、なるほど。かなり無意識的には基本的には起こらない行為だよねと。
存在の意識とは何か
そうそう、もう前提になっちゃうからね、自分があるとかいるとかっていうのは。
なのでそれをやっていくのがこの存在と時間って本なんですよっていう感じなんですけど、
だからゲームはまずスタートする場面設定だけでめちゃめちゃこんだけ時間を使うっていうぐらいなんですけど。
そうだね、でもそう考えるとちょっと面白そうな感じはしてくるね。
そうそうそう、そう思っていただけると嬉しくて。
じゃあなんで自分への関心みたいなさ、なんかそれってちょっと思春期とかに終わらせとけよみたいなさ、なんかそういうのあるじゃないですか。
自分とは何だとかさ。
それこそよく言われるね、アイデンティティみたいなのってあると思うんですけど、
そういうありがちっぽいテーマが、どうしてそれ存在とはみたいな大きなテーマとか、普段は考えるようなテーマにつながるんですかみたいなところって、まだちょっと見えてこないと思うんですよね。
そうだね、そもそもそういう疑問も持たないかな、無意識人間からすると。
確かに確かに。だからやっぱりゴールは遠いんだよ。
だからそうか、原存在なりきりゲームのゴールは、存在とは何かっていうことの答えを見つけることですと。
ゴールはあるんだけど、そこに行くまでにあまりにも武器というか、手がかりが少なすぎるんだよね。
そこを少しずつ拡張していけましょうって話なんだけど、自分にある種関心が向きましたっていう原存在がいたとして、そもそもこの原存在ってどんなふうに存在しているの?
存在と本質について
存在が何かわかんないんだけど、何らか存在しているとは言えるとした時に、どういう表現ができるかっていうと、アイデンカーはここでもちょっと新しい概念を作ってて、この在り方っていうのは世界内存在、世界は普通にワールドの世界ね。
内は内側の内に存在。で、世界内存在っていう言葉で表現してますと。
これも言葉だけ聞くとどういうことやねんってなると思うんですけど、比較としてはまさにデカルト的な主観と客観の2現場みたいなものと比較すると結構わかりやすいかなと思ってますと。
ここからは原存在ゲームではなく、あくまでも普通の僕らの主観と客観みたいな世界の話として聞いてほしいんですけど、まさにデカルトとかって、いわゆる自分の主観としての理性とか認識っていうのが自分の内部にあって、
その自分の外側にある客観としての対象を捉えるよねっていう考え方を取ってたかなと思いますと。
難しいな。何の話をしてるんだ。
兄貴の顔がこわばってくるんだけど大丈夫?
ごめん、ドラクエで魔王を倒そうって言われたら倒した方がいい気がするんだけど、存在しろって言われてもそのモチベーションなんだっけってちょっと忘れちゃってさ。
ハイテクかってなんで存在を倒したいんだっけ。
そもそもの目的の話ね。
ごめん、1回目で聞いたかもしれないけどさ。
そこのモチベーションを持っておきたいな。
すげえ大事。
それで言うと、前回お話した通り、存在っていうのは西洋哲学の歴史において大前提にされちゃってます。
存在はする。だからその存在がどう存在するとか。
その存在とは何か。いわゆる本質だよね。前回言ったその存在の中に本質存在と事実存在があって。
ソクラテス・プラトン以降の西洋哲学で言うと、あるとか存在するというのは前提の上で、それって何なのっていう本質を探求するっていうのが哲学だっていうふうにハイテクは考えてるんだよね。
前回の話ではね、その本質っていうのがすごい間に合わしかったんだけれども。
本質っていうのは実際ハイテクというところの事実存在というか、ただあるよねっていうものに対して意味付けされちゃったものを本質と認識しちゃってる。
その中の意味があるものに対して本質とかって言っちゃってるんだけど、そういうものを剥がした存在そのものみたいな話を前回したよね。
そうだね。
そういうことか、そこか。そこの話も。
何々がある。だから僕らは全ての存在者、ものとかを存在しているとか存在だっていうふうに捉えられるんだけど、
それって実はめちゃめちゃすごいことじゃね?っていうのがハイテクの驚きだし、何でみんなそれを考えずに存在の本質とか、それは何であるかとかってことを考えてるの?
それって土台がない上でお城を作ってるようなもんじゃね?みたいな。
ハイテクの世界観について
はいはいはいはい。そうだったそうだった。
ドラクエ的に言うと魔王を倒したいって言うけど、魔王いるの?本当にみたいな。
いるのというか、そいつを魔王に仕立て上げてるけれどもみたいな話ね。
そうするとちょっと意味の話っぽくなるから、魔王とは何かではなく、魔王という存在がいるってどういうこと?とか、どういうことって言うとそれは意味っぽいな。
例えば魔王がこの世界を支配したくてってことは全部本質とか意味の話なんだよね。
そこじゃなくて、そもそも魔王がいるのがいるって何?っていうところに、ハイテクは疑問を持ってしまってますと。
今はちょっとごめん、魔王の話で例えたらわかりづらいかな。
前回の話で言うと、さっきの本質というか、事実存在の違いをハイテクはすごくびっくりしたと思ったと自分は思ったんだけど、
例えばあれなのね、うちらって石ってあると思うんだけど、石って硬くて、例えば栗も打つのに使えるとかさ、キャンプ行った時にさ、テントを栗とか打つのにも使えるしみたいな、
そういう石に対して何らかの意味を持っちゃう、組み付けするでしょ、石って鉱石にも使える、漬物石とかにも使えるし、
そういった全部意味をはがすと石になるとうちらは思ってるんだけど、それが石の本質というか、石は石でしょ、
別に投げてもいいし、大盛りに使ってもいいしっていうところを抜くと石になるじゃんってうちらは思ってるんだけど、
ハイテクはもう一段階って、そもそもなんであるものに対して石って名付けちゃってるの、石って人形に認識しちゃってるのやっていうところまで踏み込んでるっていう風な感覚なのかなと思ってる、前回の話で言うと。
ちょっと違うんだよな、ちょっと違う、それがまさに世界内存在っていうあり方に実は繋がってきてるんだけど、
なぜかって言うと今兄貴が言った石をどう認識するとか石を言葉付けるっていうのは、自分と石を主体と客観として分けて考えた世界の話なんだよね。
自分がいて石という存在が外部にあって、それを人間が意味付けるとか名付けるっていう文脈なんだけど、むしろハイテクはそもそも自分も石も世界の内に共に存在していて、
その石は時々によってハンマーになったり重しになったり、自分をつまずかせる障害物になったりするっていう、それ自体が自然なあり方なんだっていう考え方なんだよね。
自然なあり方、はいはいはい。
自然なあり方。だから逆に言うと石は石として独立して存在するっていうのはあり得ないっていうのが、この現存在にとっての石なんだよね。
はいはいはい。
存在と認識について
なぜかっていうと石っていう、自分と全く関係のない石そのものみたいなものはやっぱり存在しない、それは現存在にとってはね。
はぁはぁはぁ、なるほどなるほど。さっきみたいに自分をつまずかせるものとか、重りになるものみたいな風な意味でしか存在してこないみたいな、存在というか認識されてこないみたいな雰囲気なのかな?
そうだね、だからもっと言うと石を考えるんじゃなくて、私にとっての石を考えるみたいな感じなんだよね、全てにおいて。
あー、ちょっと前回のふっさるっぽい、なるほど、その理解の順番が。
うん、そう。
そっかそっか、むずいなー、そっか、その石も忘れろって話ね。
そう。
つまずかせるものだったりとか重いものっていうものを統合したものが石であって、うちらは石から考えちゃうけど、自慢逆なんだ、いろいろなものがあって、じゃあしゃーねーこいつはとりあえず石としとくかみたいな。
順番なんだね、これも。
そうだね、だからやっぱり世界を分けるとか区分していって、これは石だ、これは岩だっていうのはすごく主観と客観とか、世界を人間の対象としてある種切り刻んでいくやり方だよね。
でも原存在にとっては世界はそうじゃなくて、自分の世界の内側にいるから、これは私にとってつまずかせるものとしての石であるとか、それはみんなが石っていうから石なんだろうけどっていう、そんな話なんだよね。
うーん、はいはいはい。
で言うとハイデンガークの存在っていうものを、だからみんなそこに違和感を持ったのか、みんな石って思っちゃってるんだけど、それは後付けじゃんと。順番逆じゃん、全部みたいな。
そこをちゃんと認識しようよ、原存在としてみたいな、原存在ゲームを通じてみたいな。
そうだね。
そこも逆だけどね、ハイデンガークはその存在っていうものに違和感を持っちゃったからこそ、原存在みたいなものを定義しなきゃいけなかったというか、そこも逆なんだけどね、みたいな。
とっても自然な感覚とは相反する認識をしていかないといけないんだね、これはね。
確かになんで存在とは何かみたいなことをわざわざ問わなきゃいけないかって、確かにそれはそうだなっていう話なんですけど、そこがハイデンガーなりの違和感というか、
石とは何かとか、それぞれ学問でもいいんだよね、宇宙とは何かとか物質とは何かって、もっと数考なことでもいいんだけど、そういうことですら、そもそもそれって存在の本質っていう一部分にしか目を向けてなくて、
存在そのもの、やっぱり事実存在っていう、あることへの驚きっていうのは見つけている。それって本当に哲学ってそれでいいんだっけとか、そんなんじゃやっぱりダメだっていう、そういう気持ちがあるんだよね。
前回のフッサールの現象学が、学問的な正解とは何かみたいなところが多分スタートだったと思うんだけど、同じような感覚でハイデンガーは存在とは何か、生きるとは何か、人間とは何かっていう、
もっと学問とか人々の認識とかじゃなくて、やっぱりその存在そのものにフッサールの現象学的な立場からアプローチというか疑問を持っちゃったんだ。もっと根本的なところに同じ感覚で疑問を持つとこういう変人が生まれるってことだね。
やっと3回目にして何とか勝手に分かってきた気がする、ハイテッカーの。
でも本当そんな感じだと思う。その変人がそれを成し遂げる武器を持ってしまった結果、こんなヤバいものが生まれたみたいな。そんな感じかな。
なるほどね。前回は面白い気がしてきたけど、やっぱりこのハイテッカーの深淵みたいなものが今回ちょっと見えてきたというか、そのブラックホールみたいなものがここにあったんだって感じがしてきた。
世界内存在の視点
前回お伝えしたハイテッカーのそもそも立っている地点、要は存在っていうものが事実存在と本質存在に分かれちゃってるんだけど、それを統合してる方がすごいことだよねみたいな。
その大前提があった上で、この現存在ゲームをできると、そこのモチベーションが多分見えてくる。
っていうふうには思うし、世界内存在ってさっきちょっと言った言葉も伝えやすくなるかなとは思うんですけど、改めて言うと、この世界内存在、世界の内側に存在するっていうのは要は世界と共にあるんだ。
現存在は世界と共にあるっていうのがある種根本的な考え方なんだよね。
要はさっき言った通り、石とは何かとか、目の前のパソコンと何かとかっていうのは、要はパソコンっていう世界と自分を切り離しちゃって、世界の外側から目の前の対象を分析するみたいな、そういう視点に立ってるよねっていうふうにハイテッカーは考えるんだよね。
それは主観と客観で、主観っていうのは自分の内側にあって、世界は外にあるっていうような考え方。これは多分、僕らが普通に生きてるとそう考えちゃうんだけど、そうじゃなくて、世界っていうステージというか構造があって、その内側にパソコンも石も自分もいるよね。
その一緒の地点にいるんだよっていうのが、その現存在の在り方としての世界内存在ですと。なんだけど、じゃあここでいう世界って何なのっていうのがまたさらに一個あるんだよね。
もうやめてくれ。
やめてくれ。
じゃあここまでは、世界内存在の視点は、前回の現象学的な視点っていうふうに言い換えても近い感じはあるかな?
近い感じはある。ただハイテッカーは現象学だとも言ってないというか。
あまりそっちに引き寄せられるのも違うけどって感じ?
そうだね。
あくまでも現象学って要は自分の視点とか、自分から物事を捉えるっていう感じなんだけど、その自分っていうのはあくまでも普段存在してる人間としての自分なんだよね。
そのフッサールとかその現象学で言うところの。
でもハイテッカーはその現存在っていう人間をちょっと違う存在にも書き換えちゃってるから。
はいはいはい。
現象学っぽいとは言えても、そもそもその現存在っていう存在から考えるっていうふうなところで言うと、やっぱり現象学ともちょっと違うよねって言わざるを得ないと思うんだよね。
そうなんだ。
もしかしたらこの現存在と何かっていうのは本当にそれだけでも1時間2時間話せちゃうことなんだろうなって思うんですけど、今話しながら。
世界とは何か
はいはい、まあそうかも。
でもちょっとさあね、あえてもうちょっと話に進んできてから振り返って抜き返していくっていうのもありかもしれないとは思い始めてる。難しいんで。
はい。なので今もうちょっと進んでみようと思うんですけど。
だからこの世界内存在の世界とは何かみたいな話でいくと、これってやっぱり普段でそれこそ僕らがイメージするこの世とかグローバルのいわゆる地球的な世界とかっていうのじゃないんですよね。
うんうんうんうん。
ここでハイネッカーが言う世界っていうのはあくまでもその現存在にとっての世界なんだけど、
それで結局その現存在が生きているってことはさっき言った通り何かと関係しながら生きていますと。
うんうんうんうん。
兄貴が言ってくれた通り真っ白な世界にただポンって存在するっていうよりは日常の中に投げ込まれていて、
その中で物事を考えたり他の物事と関わったりとかっていうのをすると思うんですけど、
その関わり方とかはやっぱり決める構造みたいなものが存在してるよねっていう風に考えるんだよね。
うーん。
それを指して世界だって風に言います。
さっき言ったように石っていうものと関わる時にも家の中に石があったらゴミとして外に捨てるっていう関わり方になるだろうし、
外だったらそれこそ自分を転ばせる障害物になるだろうし、
おつけ物をつける時だったら適度な重さの石は便利な道具になるだろうしみたいな感じで、
自分が生活している日常の中で石という存在とどう関わるかっていうのは、
それを決める構造とかそういう世界っていうものが既に設定されてるよねとか同時にあるよねっていう感じなんだよね。
たぶんその存在を自分にとって一定の意味がある存在をたらしめるルールというか制約みたいなものはあるよねって感じか。
そうだね。
これはちょっとわかりやすい例から一回言ってみていいかな。
さっき犬とか猫は現存在から話したと思うんですけど、
動物と比較してみると、例えば犬がいたとして、お腹が空いた犬の前にご飯を出しますと。
そしたら基本的にはすぐ食べると思うんですよね。
もちろん待てとかで少し待つとかできるかもしれないけど、
その中でも犬の世界をもし想像するとしたら、お腹が空いている犬としての自分とご飯、食べる対象のご飯っていう世界自体は変わらないと思うんですよ。
それは拡張しにくい。
現存在としての人間はどうなるかっていうと、
例えばお腹が空いて目の前にご飯を出してもらったとしても、
例えばダイエット中だったよなとか、
今ちょっと集中してるから仕事したいなとかっていうふうに考えることができるよねと。
つまりそれってお腹が空いた自分とご飯っていうその関係だけじゃなくて、
例えばちょっと太っちゃって悲しかったよねとか、
あるいは仕事を早く終わらせて夜はのんびりしたいとかっていう、
いろんなその関係性とか環境とかっていうものを織り混ぜながら生きている存在だよねと。
だからご飯とお腹が空いた自分という関係に対しても、
別の観点から見たりとか考えたりすることができる。
つまりその考えっていうのは、
そういう世界の中で自分が生きている、
現存在としての自分が生きているっていうことなんだっていうふうに捉えることができるんだよね。
ん?
ん?
何の話?ちょっと待って。
え?
え?
え?ってなってる。
今、世界内存在の世界とは何かっていう話。
え、ちょっと分かんない。
分かんないぞ。
分かんない。
どっから分かんなかった?
え、犬の話分かった?
ちょっと簡単に書いてみて。
現存在とハイデッカーの失敗
え、世界とは何かだよね。
うん。
世界とは何かっていうと、
自分、現存在としての自分が、
同じ世界にある他のものと関係するときに、
影響を与える構造のこと。
むずっ。
ちょっと待って。
やっぱりちょっと難しすぎない?今回。
きついな。
ちょっとこれね。
むずいか。
これ一回じゃ無理だと思う。今回の話。
無理かな。
まだ半分ぐらいでしょ?
まだ半分。
分けなきゃいけないし、
うん。
難しすぎるな。
オッケー。
ちょっとこれもう一回やろう。
もう一回やるけど、
どこが難しい?
難しいのは分かってるんだけど、
何が難しいんだろう?
ゴールがまず見えない。
ゴールね。
多分編集で2回聞いてるんだけど、
たぶん確かにリスナーは、
この話が1週間置いて聞くでしょ?
どこに向かっていくのかが、
ちゃんと分かんなくなると思う。
なるほどね。
たぶんよくあるじゃん。
軍の訓練でさ、
ゴールが分かんない、ずっと走らされるときついみたいな。
あの状態。
確か、そうね。
あれを細かくセットしてあげないとね、
すぐ迷うと思う。
なるほどね。
だからオリエンテーリングでさ、
枝に巻くじゃん。
リボンとか、この順番に進んでくださいと。
あのリボンが多分ちょっと遠すぎるんだと思う。
確かにね。
たぶんどんどんみんな脱落していってる。
オッケーオッケー。
くどいぐらいにハイデッカーのすごさとか、
そのゴールを細かくセットしてあげないとダメかも。
存在とは何かっていうゴール自体ちょっと遠すぎるのかもしれない。
それはそう。だってハイデッカー自身が失敗してるからね。
だから存在と時間は完成しなかったっていうのは
たぶんそれもあるんだけど。
だからたぶん一個一個本来は、
たぶんハヤトは理解してると思うんだけど、
ゴールの定義と面白さ
たぶん本当は現存在っていう、
たぶんさっきのね、
現存在ゲームはすごい面白そうなんだけど、
現存在っていうのを定義しなきゃいけないっていうのにもゴールがあって、
そこにもたぶん面白さがあるはずなんだよ、一個。
だから現存在って必要だったんだ、
なるほどね、がないままというか、
そこでなんとなくファッと理解したまま、
次のじゃあ世界ね、
世界内存在ね、
本当は世界内存在も、
だから世界内存在って定義しなきゃいけなかったんだ、
で、あそこでこの世界ってそういうことだったんだっていう驚きと楽しさが感じられるぐらいの題材なのに、
初回の話題振り
一回でそれを3つか4つ織り込んじゃうと、
たぶん難しいんだよな。
そういうレベルの話になってきてるなと思う。
OK、わかった。ありがとう、ありがとう。
確かにね。
ハイデッカーがあるときに、
ハイデッカー長くなるかもって言ったじゃないですか。
たぶんそれはまさに今兄貴が言ってくれた通りで、
現存在って何?とか、
世界内存在ってどういうこと?とか、
しかもまだこれ時間の話1回もしないじゃないですか。
そこと時間ってどこ関わるのって、
本当それだけでたぶんこのソイレツラジオ1本1本分のテーマになっちゃうんだよね。
今それをちょっと存在編と時間編で次時間編に行こうと思ったんだけど、
やっぱりもっと区切ってやったほうがいいわ。
無理だね。無理無理無理。
素人にそうはね、
フルマラソンとりあえず20キロずつ走っておこうか、
みたいなことを言ってるもんだ。
1キロずつ区切ってほしいや。
確かにね。
頑張ったらやっぱり1キロだよね。
初めてマラソンするっていう。
そりゃそうだ。
ってところなのかな。
でもね、
でもそれ言ってもらってすごいスッキリしちゃうかもね。
なんか、
はいじゃあ次世界内存在です。
じゃあそこから存在と時間の関係に行きますみたいな話では、
やっぱり面白さとかすごさとか、
分かった感がやっぱり足りないのは確かにそうだなと思って。
ちょっとそれやろう次回。
オッケーオッケー。
ちょっとそれでやってみましょう。
そこかも、
どんどん多分ソクラテスの時はそこが1キロだったのが、
今5キロとか10キロぐらいになってるのが、
違和感なのかもね。
そうだね。
確かにやっぱその、
なんだろうな、
そもそも2500年の西洋哲学の歴史を乗り越えるぐらいの話なので、
ハイデッカーの話とコミュニケーションの難しさ
すごい駆け足だし、
本当はいろんな、
この人がこう言ってるとか、
あの人がこう言ってるとか、
今世の中では生物学的なこういう話があってとかっていうのを、
ハイデーカー一応参照しながら、
それも超スピードだけど話してはいるんだよね。
それを参照しながら読むとか理解しながら、
読む人にとっては多分ついていけるんだけど、
今こうやってちょっと切り出して、
僕がなんとなくこう、
ハイデーカーってこんなこと言ってたよみたいな感じだと、
やっぱり分かんない。
それは別に聞き手が云々とかってことじゃなく、
何言ってんのハイデーカーって、
こいつ何したかったのってところが分かんなくなる。
だからちょっとそこは、
ごめんなさい、もう一回やらせてください、僕に。
チャンスをください。
そう。
じゃああげようっていうほどの立場でもないんだけど。
やっぱりなんとなくハヤト的にも台本を作るにあたって、
ハイデーカーはただでさえ長くなりそうみたいなところで、
絞ってやってくれてると思うんだけど、
それで失うものが大きすぎる気がするね。
はいはいはいはい、そうねそうね。
もっと楽しくやっていこう。
その楽しさが多分ね、
多分ハヤトは元々はフルマラソンレベルだとして、
42.1キリ動きが楽しい。
存在と時間の問いに対する共感、そして解説について
10年やってるからね、それなりにね。
多分もう100回超えてるから、
ハヤト的にそろそろ言って、
皆さん10キロずつとか15キロずついけるでしょうと。
いけないんだよ。
結局全部初めてだから。
そりゃそうだ。
ある積み重ねもあるっちゃあるけど、
初めてだし、
こっちはカジュアルに聞いてるから、
できれば2キロぐらいでみたいな。
多分今思ったのは、
僕は存在と何かっていう問いにめちゃめちゃ共感してるのよ。
すげー面白い。
俺もそれ考えたいって思ってるんだけど、
兄貴そうじゃないじゃん、別に。
そんな問いあるんだー、だから。
そりゃそうだよね。
フルマラソン走りたいっていう人とは別に、
そういうのも興味あるなーみたいな人からすると、
もうちょっと丁寧にやってようって思うと思うから。
そうなんだね。
楽しくおしゃべりしながらジョニングしようよみたいな。
そうね。
確かに。ありがとうございます。
ありがとう。
そういう意味で言うと、
ハイデザインそのものを理解するっていうよりは、
存在と時間っていう本の面白さとか、
これってすごい本だって僕は思うのよ。
細かく分けて。
さっき言った通り、
フーサーの現象学とも違うし、
構造主義とも違うのみたいな、
多分そういうところで膨らませても面白いと思うんだよね。
そうだよ。
言われてもこっち全然ピンとこないんだよね。
ヘッド的には腕の振り方をもうちょっとこうすれば、
こっちはね。
ってことは腕の振りとか足の出し方を、
前に教わったこんな感じでやれば近い感じになるかなって言ったら、
いや違うんだよと。
言うてもこの指の開きちょっと違うじゃんみたいな話をされてもピンとこないというか。
確かに確かにね。
見てるレベルが違うんだ。
ちょっと行き急いでたわ。
でもいいですね。
なんか久々にこういうずれがちゃんと発生してて嬉しいですね。
そうそうそう。
でも大事だと思うんだよね。
ずれを感じるからこそさ、
ちゃんと理解できるところに行けるわけじゃない。
それがなかったらさ、なんとなくさらっと流してさ、
誰も幸せにならない時間になっちゃうわけだから。
全員が眠る講義だよね。大学の。
ほんとそうだよね。講義。
ハイデ側終了
こういうラジオとかじゃないよね。
OK。
ちょっとじゃあそこで次回また作っていきます。
作りました。
そしたらハイデが10回分になっちゃうかもしれないけど、
そのぐらい面白い人だとは思うから、
あんまそこ気にせず、
なんとなく僕も不安やったら4回ぐらいで押さなきゃいけないかなとか、
よくわかんなく思ってたんだけど、
別に誰も困らないからね、ハイデ側がいっぱいやっても。
まあそうだね。だし、
それをさっき言ったように分けちゃってもいいしね。
今回はハイデ側がここまでで。
確かにね。
そこはちょっとわからないから、
ハヤトの全体像の聞き方はお任せするけれども。
OK。
でもね、やっぱりこの原存在とは何かとか、
存在についての問いがわかった後に、
時間が出てきた時のギタギタみたいな感じってあるの?
ああ、そこで時間が出てくるのねみたいな感じを、
皆さんにもやっぱり伝えたいというか、味わってほしい。
それは僕のやっぱり気持ちとしてあるから、
そこを目的にちょっと作ろうかなって思います。
なるほど、ぜひぜひ。
次回放送予告
ちょっとね、そんな感じで、
今回ちょっと途中というか、
やりきれなかった部分があるんですけど、
ちょっとね、それを糧にまた次回、
しっかりお話ししたいなと思うので、
ちょっと皆さんも一瞬間、
お待ちいただきたいなという感じでございます。
わかりました。
まあ、ちょっとこれ公開するかちょっとわかんないんで。
本当に出してもいいと思うけどね。
ちょっと今回こんな感じでしたけど、
雑談会みたいな感じで、また次回ですね。
ちょっと仕切り直しみたいな感じで、
また聞いていきたいと思いますので、
次回もよろしくお願いします。
お願いします。
今回もありがとうございました。
52:15

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