1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #256 プラトン、海賊、アレク..
2024-10-09 49:58

#256 プラトン、海賊、アレクサンドロス大王。何でもイジってしまうディオゲネス。

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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サマリー

このエピソードでは、ディオゲネスの独特なエピソードや生き様が掘り下げられ、彼とプラトンとのエピソードや海賊に囚われた経験が紹介されます。ディオゲネスの哲学や生活スタイルが、ユニークな逸話を通じて明らかになります。プラトンや海賊、アレクサンドロス大王について語られる中で、ディオゲネスの奇抜な生き方が際立ちます。彼の独自の哲学と態度は、アレクサンドロス大王とのエピソードを通じて強調され、海賊に対しても変わらない姿勢を示します。このエピソードでは、ディオゲネスとプラトンの特異な関係を通じて、哲学の根本的な問いや人間の生き方についても考察されます。また、ディオゲネスの影響を受けた弟子ラインとストア派の創始者ゼノンとの関係も描かれています。彼の生き方を通じて、プラトンやソクラテスとの対比やヘリズム哲学の流れが論じられ、反抗的な姿勢や社会における人間の役割についての議論が展開されます。

ディオゲネスの生き方
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回もシノペのディオゲネスということで、引き続きやっていきたいと思います。
はい、今回はですね、結構エピソード集みたいな感じで話していきまして、
しかも内容的に哲学かっていうよりは、なんかね、結構くだらない話もあったりするんで、
ちょっと雑談チェックにですね、皆さんも聞いていただければなぁとは思っているんですけど。
じゃあさ、やっぱり、ディオゲネスはこういったとか、こういった丸々理論を作ったとか、そういうのはもうないんだね。
ない。だって学問否定してる人だからね。
うん、生き方っていうのがただこうやってエピソードから会話見えるっていう人なんだね、この人は。
そうね。
そのほうが多分ね、面白いというか、普通じゃない、ただの奇抜な変なやつだっていうこともあれば、
いいこと言ってんなみたいな両方もあったりするんで。
いいことはね、前回結構お伝えしたんで、今回どっちかというと奇抜エピソードを紹介みたいな感じの回でございます。
僕も一個一個知ってたというよりは今回調べてたんだけれども、ちょっと古いんですけど、
ひとつ橋大学の教授の藤井義夫さんという方がいらっしゃって、結構もう亡くなられて1900年代に活躍された方なんだけど、
あの人は1960年の論文が出てきまして、
これがそのキュニコス主義の生活理想っていうタイトルで、
キュニコスって前回言った犬のような、ディオゲネスの一派の話なんですけど、
そこにめちゃめちゃ逸話がふんだんに書かれてたんですよ。
そうなんだ、一応一派なんだ。
一派。
弟子とかいるのかな?
相当いるのよ、弟子みたいな人。
いるんだ、あるんだ。
知性だったかってわからないけど、一応ディオゲネスに憧れてたぶんやってた人がいたんだって話があって、
気になる方はググれば結構出てくるので、ちょっと長いというか論文形式ではあるんですけど、結構面白いんで、
よかったらぜひまたこれを読んでみてもらえれば嬉しいなという感じなんですけど、
さっきもさせた通り、何かディオゲネスがこういったとかっていうよりは、こんな逸話が残ってるよっていうところから、
世界観とか人柄というのを味わってほしいなと思っておりますという感じですね。
では早速いこうと思うんだけど、一つ目ね。
前回もちょっと話したと思うんですけど、このディオゲネスって樽のイメージあるじゃないですか。
樽なのか亀なのかみたいな話あるんだけど。
そうか、当時と亀の可能性もあるんだね。
そうそうそう。木でできたっていうより、いわゆる土でできた亀みたいな話もあるんだけれども、それにまとわるお話できてて。
前回もお伝えした通り、このディオゲネスさんなんですけど、故郷で偽金作って追放されて、
アゼンやってきますよと。
当然身寄りとかもないし、どうしようってなってるんだけど、ある時ね、多分来てすぐだと思うんだけど、
街中にいるネズミを眺めてましたと。ネズミ動物のね。
ネズミはね、あちこちを駆け回って、決まった巣とかもなさそうだし、
暗い中でも恐れずにあちこち行くし、別に美味しいものじゃなくても、残飯とか食べて生きてたりするんですよと。
それを見て、ディオゲネスさん思ったのが、あ、俺もこうやって生きればいいんだって思ったらしいんですよね。
ネズミは別に何も気にせず生きてるじゃないかと。
自分も別に家とか探すんじゃなくて、街中のあらゆる場所を利用して、少しでも食料があればそれを図座袋に入れて持ち歩いて、
生きてくれた、いわゆるホームレス生活みたいな感じだったらしいんですよね。
で、その中で街の人も一応やり取りはしてるらしいんだけど、その辺にある神殿とか、いわゆる国会議事堂みたいな、
そういうところを指差して、あてへの人は俺のために住む家を用意してくれたんだみたいな。
そういうことを常々言っていた。要はそういう神殿とかも自分の家なんだみたいな。
そういうふうに触れ回って過ごしたらしいんですよね。
そんな彼なんですけど、やっぱりちょっと小屋ぐらい欲しいなみたいな。
ちょっと雨風ぐらいしときたいなみたいな。
なるほど。まあ、自然なあれですね。
自然な。そうそう。
あって思ったのか、知り合いにちょっと小屋とか用意してくれませんかねみたいなお願いをしたんだって。
でも全然話が前に進まなかったんで、
とある神殿にあった樽っていうものをこれでいいじゃんって自分の住処にしたと。
そっから樽のディオゲネスみたいなイメージが出てくるんだよね。
しかもこれちょっと繋がりがよくわかんないんだけど、
それちょっと前回、自分を鍛錬しますみたいな話だったじゃないですか。
精神を鍛錬しますというときに、結構仏教的な、仏教じゃないな、
そのインドの苦行に近い感覚なんだけど、
夏は暑い砂の上で身を焦がし、
冬はなんでかわかんないんだけど、
雪に覆われた蝶像、昔の蝶像だからいわゆる冷たいやつだよね。
胸に抱いて、そういうふうに自分をある種痛めつけながら鍛錬して暮らしてましたみたいな。
そういうふうな話が残ってるんですよね。
あれ、今回って禅の会だっけかこれ。
違います。ディオゲネスの会です。
でもやっぱ禅っぽいんだよね。
確かに生き方そのものみたいな感じで言うと、実践って感じがするから、どうしてもそうなっちゃうのかな。
禅も不竜門寺みたいな感じで、書いたものにとらわれないとか、禅令にとらわれないってあったと思うんですけど。
なるほど、それに近いのか。不竜門寺、そうかそうか。
ディオゲネスも学問的なものとか、すでにあるものじゃなくて、自分でそうやっていく。だからって樽に住む人ないんじゃないかと思ったりはするんだけど。
だしね、共同体とかポリスみたいな話で言うと、ある意味そのしがらみから逃れって自由ではあるけれども、全員がこれやったら社会破綻するよねっていう意味で。
そういう怖さもあるからね。あまりにも個人主義というかね。
そうなんです。なので、なおでというか、ある人はそういう生き方を、やっぱりうらやましいとかいいねって思う人もいたよねっていう話。
だけど、実際の生活としてはネズミみたいな、そういう生活を送ってたんですよってことですね。
本人的にはこれいいじゃんって思ってやったってことはね。
本人はもうこれだって思ったって感じですね。
プラトンとの対話
次2つ目ね、これはプラトンとディオゲネスの話で、これめっちゃ好きっていうか、本当くだらないんだけど。
ディオゲネスがそうやって、ある種、樽もゲットして、いいじゃんって生きてたんだけど、一時期、当時も食べたのかな?
食べてて、たまたまプラトンに出会ったらしいんですよ。
ディオゲネスがプラトンに、ちょっと取ったらみたいな感じで、一軸を差し出すんだけど、ありがとうってプラトンが食べたんだよね。
そしたらディオゲネスが、取っていいよって言ったけど、食べていいよとは言ってないんだよねみたいな話をしたよっていう。
あー、いいね。じわじわ来るね。
小学生みたいでしょ、なんか。
ただこれをね、哲学者2人がやってるって考えると、結構意地悪だね。
意地悪なんだよ。
めっちゃ子供みたいだけどさ、顔を真っ赤にしてるプラトンが目に浮かぶじゃないですか。
そうだね、しかもあれでしょ、レスリングで優勝した2人のプラトンが。
屈挙はね。
そうそうそう。
ちょっとあれだね、抜かったって感じだね。
ちょっと油断したみたいな、これも禅なんだよね、だから本当に。
禅もあるじゃん、どうぞ座ってくださいどうぞどうぞってくるくる回るみたいなエピソードがあったと思うんですけど。
そうあったって何それ。
神座に座らせようとして、いやいや私が客なんでどうぞどうぞって言って、お互い神座に座りたくてなくてくるくる回るみたいな。
そういう話が確かね、禅の方であったはずなんですけど。
あったっけ、はいはいはい。
そんな感じで、お互いに一挙手一投足もそうだし、一つ一つの掻き合いがやっぱり真剣勝負ですみたいな。
そういう風な感覚をこのディアウギネスからどうしても感じるんだよね。
だいぶ試してる感あるもんね、あれ先生、食べちゃいましたね先生みたいな。
あれ私の言葉聞いてました?みたいな。
学問をおやりになる、言葉に対して精通している、もしくは誠実であるべき哲学者が食べちゃいましたね。
親親みたいな。めっちゃ嫌だよね。
嫌なやつ。
嫌なやつ、でも大好きです、こういうエピソードね。
っていう風な話が残ってるぐらい、ある種嫌なやつでもあり、真剣に日々生きてたでもありみたいな話なんだけど。
海賊に囚われる
この後の他にもやりという次第だけれども、ため息はある感じはするね。
そうそうそうそう。どんどん行こうっていう感じなんですけど、
結構衝撃的なエピソードなんですけど、
時系列はわかんないんだけど、
どうなんだろう、故郷を追放されて、あてに向かう間とかに放浪とかしてたんだと思うんですけど、
その時にね、海賊に囚われちゃって、奴隷として売られるみたいな、そういう経験をお持ちなんですよ、ディオゲネスさん。
あ、そう?え、何?
ワンピースのガモの話。
皆さんご存知ですかね、ガモさん。
ちょいキャラぐらいだよね、ガモさん。どうなんだろう。
最初の方のちょいキャラかな。
タレの中にたぶんいた人だと思うんですけど。
お尻がはまっちゃった人だよ。
あーそうか。
取れなくなっちゃった人。
はいはいはい。
でもたぶんそういうね、ここから取ってる部分もあるのかもしれないですけど、
普通に拉致というか、捕まって奴隷として売り飛ばすぜみたいな感じになっちゃったらしいんですよね。
で、その時に海賊に、もうちょっと名前わかんない奴が奴隷扱いだからさ、おいお前よ、みたいな。
何ができるの?高く売るんだったらなんかね、一つ芸でも持ってれば売れるけど、あそこのとこどうなんだい?みたいな。
話を聞かれた時にデュオゲネスさんがね、私は人間どもを支配することができるんだ、みたいな。
やべえ奴捕まえちゃった。
何ができるか、そうそう。
ちょっと海賊側にも同情するじゃん、これ。やべえ奴来たぞ。
で、その上で、本来ならさ、値踏みされて買われる立場じゃないですか。奴隷なんで。
なんだけど、ある日そういう奴隷市みたいなところで、ある人奴隷買ってやろうみたいな感じで見てる人に対してある男の人がいたんだけど、
その人を指差して、こいつに俺を売ってやれと。
この男には主人が必要だから、俺を買わせるのが良いって言って、自分を買わせるんですよね。
奴隷市だよ。奴隷を買いに来てる人に向かって、こいつには主人が必要だって言うんだよ。やばくない?この人。
意味不明。よく殺されなかったね。こんな生意気で。
当時は奴隷でと言っても、ちゃんと扱いというか、いわゆる、もちろん労働者、使用人的な感じはあるんだけども、
別に命を取ったような感じではなかったのかなって思うんだけどね。
でもその男の人がディオゲイスを買ってくれるんですよ。
それで家に連れて帰ったら、めちゃめちゃいい感じで働いてくれて、子供も立派に育ててくれるし、家事もちゃんとやってくれるしみたいな感じで、
買った男の人からしたら、我が家に福の神が舞い込んできたみたいな、そういうのを周囲に言いふらすぐらい、すごいよくやってくれたみたいな。
そうなの?時系列主義体ね、これね。アセネの前なのかな?
そこが正直わかんないから、これも本当かどうかとか、そんな海賊というアイドルが残ってるみたいな話はあるんだけど、
でもそのぐらい、ディオゲイスを奴隷か主人かがいるところも逆転させるとか、やっぱりある種なんでもできちゃうみたいなすごさ?
そうなのね。ちゃんと仕事できんだみたいなね。
そうそうそうそう。ただただふらふらしてるだけじゃないっていう話もそうだし、また心が強いよね、なんと言っても。
難しいよね。心強すぎて相手殺されちゃうこともあるだろうからさ。生飽きすぎてね。どう解釈すればいいんだろうな。
強いよね、確かに。
前回も言ったけれども、哲学っていうものを通じて、あらゆる運命に打ちのめされなくなったというか、心画面ができたみたいな話だったと思うんですけど、
やっぱりそういう心の平静さとか、自分の生き方に対する確信だよね。これでいいんだみたいな。
そういうものっていうのが、もともとあったのか、そういう生き方をしてついたのかってちょっとわかんないんだけど、
ディオゲネスと海賊のエピソード
やっぱりそういうふうな人として描かれてるエピソードですっていう感じなんだよね。
面白い人はね。だってさ、海賊に何ができるんだって、人間どもを支配することができるってさ、ちょっといじってるよね。ふざけてるよね、たぶんこれね。
そうなのよ。だってもう支配されてるわけじゃん、予言すると。ラッチされてさ、身動きも取れんみたいな感じなんだけど。
でもなんかそんなこと言ったりとか、あとね、なんかちょっとこれはもう打則的なんだけど、海賊に詰まった時のエピソードっていうのはいくつかあって、
当然その捕まってる、売り飛ばされる立場だからさ、普通だったらビクビクしてさ、当然海賊のご機嫌を伺うようなわけじゃない?
まあそうだよね、だって殺されないにしてもさ、何にされるかわかんない。
そうそうそうそう、であるかもって話だし、売られる時もやっぱり捕まったやつだから基本的には自由がなくって、つい立ってなさいと。
立って、ある種値踏みされるのを受け入れなさいっていう感じなんだけど、
このジオギネスさんはね、なんか誰かちょっと買いたいなって、俺買いたいという人いたら教えてって、なんか座っちゃったんだって。
はいはいはい。
用意しよっつって。
でちょいちょいと、なんかその協売員というか外れ売りの人が、立てよみたいな、何勝手に座ってんだって言ってたんだけど、
ジオギネスさんも構わんもんかと、魚っていうのは別にどんな風に並べられてても別に買い手はつくじゃないかみたいな。
ほうほうほうほう。
魚市場とした時にも別にそれが曲がってようがまっすぐだろうがちょっと斜めだろうが別に買うじゃないかと、欲しい人がいればね。
それで一緒なんだから別に俺が座っててもう買いたいってやつが来たら買われるんだからもう構うなみたいなことを言ったりする。
扱いづらいなあ。
やっぱもうそれは、なんていうのかな、やっぱりそれこそ馬鹿と天才は神一人じゃないけどさ、やっぱ天才と奇人変人ってやっぱもう神一人みたいな感じはするよね。
まあそっか、だからある意味貫くとこうなるんだろうね確かに。
リオディエンス的には心が強いっていうかめちゃくちゃ自然体で生きてて、自分の辛いんだ結果目の前の海賊員がブチギレて自分を殺したとしても多分何の後悔もないんだろうねっていう感じがするね。
そうね。だからその意味ではスクラティスがさ、やっぱり法律で死ぬってなったとこも受け入れたみたいな話と同じで、そういう自分を貫いて生きてそれで死ぬんだったらもうそれでオッケーみたいな。
だから別にあれだよね、何か例えば思惑があって、海賊に自分がこういう風な強そうな感じで言えば海賊がちょっとたじろぐんじゃないかとか、もちろんそういうのは何となくこれまでの経験でわかってるかもしれないけれども、それがメインではなさそうだよね。
すら抜いてるだけっていう感じなんだよね、たぶん。
ディオゲネスとアレクサンドロス大王の出会い
別に相手をどうしてやるとかってもなくて、ただただ自分のまま生きるって話なんだよね。これもちょっと次のエピソードになっちゃうんだけど、前回アレクサンドロス大王とのやりとりがあったよっていう話があったじゃないですか。
あれもちょっと兄貴も知らなかったよって言ってくれたと思うんだけど、もうちょっと長い話で、どんな話かっていうと、ディオゲネスがある時日向ぼっこをしてたらしいんですよね。
で、アレクサンドロス大王がアテネに来てて、当時は名声があったんで、結構街の人がチヨホヤしてくれるわけですよ。
でもディオゲネスは全然身向きもしないし、こっちにも来ないし、街の中でも多分風呂代わりのやつがいるぞっていう感じで聞いたんだと思うんだけど、わざわざディオゲネスの方に来るわけなんですよね。
なるほど。野獣舞ならばずい端っこに座ってる人が日向ぼっこしてるぞみたいな。
多分ちょっと試してやるぐらいの感じで言ったと思うんだけど、ディオゲネスが前に立って、私は大王のアレクサンドロスだと。
そしたらディオゲネスがそのまんま日向ぼっこした感じで、私は犬のディオゲネスだと。犬だって言うんだよね、自分を。
いいね。
おーおーおーっつって。で、お前はこの大王である私、アレクサンドロスは恐ろしくないのかみたいな。
って聞いて、そしたらディオゲネスがね、じゃああんたは一体何者だと。善人かそれとも悪人かって聞いて、善人であると。
おーおーおー。
で、誰が善人を襲えるのか、そんな人があるんだっていう風に言うんだよね。
うまいね。
で、さっきの前回の話で、じゃあそんなお前何か欲しいものがあれば言ってみようって言ったら、私の日陰にならないように日向ぼっこしてるから日を遮られてくれって言って、
で、そういう風にやり取りをした結果、アレクサンドロスが、もし私がアレクサンドロス大王じゃなかったなら、ディオゲネスになることを望んだだろうと。
えー、そんなに感心したんだ。
うん、っていう風な逸話がされてるんだよね。
でも先生はアレクサンドロスだもんね。
そうそうそう、先生はアレクサンドロス。
哲学的な素養というか、そういうのはちゃんと学んでるもんね、この人、アレクサンドロス大王がね。
ただその皮肉なことに前回に言った通り、アレクサンドロスはちょっと否定したかったというか、
ディオゲネスの方に、むしろアレクサンドロスはそうなりたいって思ったみたいな。
これまでどこまで本当かとか、むしろほぼ嘘じゃねえかみたいな話はあるんだけど、
そのぐらい同じ時代を生きたね。
アリストテレス、アレクサンドロス、ディオゲネスって3人の関係性というか、世界を支配するアレクサンドロスもそうだし、
学問の世界でもとにかくやべえやつだみたいな。
あらゆる学問をしたとされるアリストテレスと、そこまでいったいんだけど、
ディオゲネスの哲学と生き様
やっぱり生き方として何かを成し遂げたというか、哲学としてよく生きるということを実践したディオゲネス。
この3人の関係性というところがいろんな話として残ってるんだよね。
こんな感じで、海賊であれ、大王アレクサンドロスであれ、ディオゲネスは変わんないんですよ。
それが彼の生き様ですっていう話なんだよね。
どうですか?こんな感じの人。
これ無理だね。さっき自分の信念に従って生きて、それとも文句ないみたいな話したけれども、違うかもしれない、これは。
今のアレクサンドロス大王とのエピソードを見ると。
どんなふうに変わってた?
ちゃんとリスク潰してるよね。
悪人ですか善人ですかって、別に二択で答える必要も実はアレクサンドロス大王にはないし、その質問に答える意味もない。
けれども、自分は善人だよって答えてる時点で実注にハマっててって考えると、海賊に対しても同じような戦略というか。
モチーフ点だとすると、自分の信念のもとにね。
ディオニウエスに対して、何か悪事を働くというか。
それは暴力的な話でもいいんだけど、普通に会話をしてしまったら負けみたいなもん。
会話せずにぶち殺すがあるんだけど。
ある程度話できる人と会話をしちゃうともう無理なんだよね。
なるほどね。それはやっぱりすごく対話とかスクラテス的な感じはあるよね。
やっぱりある人もディオニウエスのテーブルに乗っちゃったらその瞬間に負けというか。
それはあるかもしれない。
心が強いプラス信念もあるプラス、やっぱり相当キレるんだろうね。
相手が考えてることとか相手の、そもそも相手の信念みたいな、相手の生き方生き様みたいなものとか。
踏まえた上でちゃんとぶつかってくんだろうね。
そうね。
思ねるようになってぶつかるんだろうね。
そうね。真っ直ぐ向き合うって感じだよね。
だから本当にディオニウエスのピュアさというか、そこに一瞬でも引きずられちゃうとそこから離れないってところ多分あって。
今日は伝えないというか、その論文の中にあるエピソードなんだけど、ある人が生きることは悪だみたいなことを言ったことがいるんだって。
そこに対してディオニウエスが、生きることがそのものなんじゃなくて、悪く生きることがそうなんだみたいに言ったと。
それは違うよっていう話をしたらしいんだけど、それも結局ディオニウエスの話で、生きることは悪だとかって言われてしまうと、
生イコール悪。生きることとは悪であるっていうふうなもつながりになっちゃうんだけれども、
そうじゃないと。生きるってことは別で、悪く生きるってことは別の問題だから、そこを分けて考えましょうっていうのを一瞬ですっと返すような人なんだよね。
だからやっぱり賢いし、そのバカにやっぱり鋭いよね。
なるほど。だからここまでの話で、確かに狂ったアスクラテスっていうプラトン票があったと思うけれども、
確かにやってることは似てるかもしれないね。
そうなんだよね。
サンバ術じゃないには見えないけれども、それは違うかもしれない。やり方は違うかもしれないけど、
さっきのプラトンの一軸の話にしてもだし、アレクサンドロスだよの、
いや俺日陰なってんだけどみたいな、日方ぼっこしてんの、いやどけよみたいなのも、
ある意味ちょっと人食ってるけれども、それが事実であるというかだけに、
ある程度会話しちゃうと、気づきがあるというか相手にとって、
あーしまったみたいな、ぬかっただったりとか、そういう考え方もあるかとか、
自分の主観だけで話せたみたいな、たぶん気づきと恥ずかしさを与えるんだろうね。
本当にそう。
これ普通だったらたぶん90歳まで生きられないよね。たぶんやっぱりどっかで相手の気分を害して殺されると思うんだけど、
海賊相手にすら、自分ちょっとそうかもって思わせちゃうような話術というか、
空気読む力じゃないけど、空気というか相手のことがたぶんわかるんだろうね、手に取るようにね。
そういう恐ろしさもちょっと見えてきた。
今話してて、パッと禅の話に近づけちゃうんだけど、
ボダイナルマやったじゃないですか、禅の時に。
ダルマさんね。インドから中国に禅を伝えたって言われてる師僧。
あれでもね、ずっと洞窟に3年ただ居ただけみたいな。
そうそう、洞窟の前で向き合ってやってた人なんだけど、
その人のエピソード、これも有名なエピソードで、
中国に渡った時に、当時の皇帝だよね、武帝っていう人に対して親営取りをしてて、
武帝さんがさ、「俺、いっぱい寺も建てたし、僧侶も育ててきて、すげえ仏教に貢献してるんだけど、どんだけいいことあるかな?」みたいな。
特殊だけど。
そうそう、特殊だけどって言う時に、ダルマさんが、「ないよ、なんもないよ。」って言うことを返すっていうね。
結構衝撃的な話があるんだけど、結構それに近いなって今思ったね。
アレクサンドス大王とディオゲインスライトルもそうだし、この武帝とボダイナルマの話もそうなんだけど。
その理の整然と説明してあげないっていうね。
気づかせるっていう、ただただ。
そうそう、気づかせる。だし、やっぱり向こうからしたら、自分はある種偉い。偉いというか、そういうふうな立場である。
だから、やっぱりそこと立場っていうのは一気に壊すやりとりだよね。
私は犬だ。で、私は大王だに対して私は犬だっていうとか、人間ですらないっていうことによって、
むしろその人間としての秩序っていうものを壊しちゃうみたいな。
確かにそこからもう先手打ってるね。
そうそうそう。
実中でハマってるわけね。
ハマっちゃうよね。
で、ちょっと面白いやつだってなるだろうし、武帝からしたら、ないよって言ったらえーってなると思うけど、
そこで初めて、いやそんなことじゃなくて、執着だからそれって。
なんかいいことあるかなワクワクみたいなの執着でしかないから、
そんなのは仏教じゃねえよっていうことを伝えようっていうふうな話。
はいはいはい。
ところも含めて、生き様で伝えようとしてる人たちのすごさというか、そういうエピソードだから残ってるって話はあるよね。
はいはいはい。
わー面白いね。
というような感じで今色々その話を広げてたんだけど、ちょっと次ね、5つ目とかになっちゃうと思うんだけど、
プラトンの話はやっぱ面白いんでちょっとまた取り入れるんですけど、
プラトン先生がね、いろいろ授業というか講義をしたときに、人間というものを定義しようとして、
人間っていうのは二足で羽のない動物だっていうふうな話をするらしいと。
これまたアカデメイヤでやってる話。
アカデメイヤでやってて、でも生徒さんたちはさすがプラトンさんすげえって活載をしてたわけなんですよね。
ディオゲネスとプラトンのエピソード
人間とは二足で羽がない、そうだそうだって言ったところにディオゲネスがまたやってくるんですよ。
どんなふうに来ると思う?
ディオゲネス検定。
あ、検定ね。
ここにふらっと現れた。
なんで現れるんだよね、このタイミングで。来るなよって。
そうね、困るよって。
垂れて寝てろよって思うけど。
あ、じゃあ背中に羽とかつけてくるんじゃない?
あー、いいねいいね、そう。
惜しい、でも発想そんな感じ。
なんと手に羽をむしったニワトリを持ってて、これが人間です。
これがプラトンの人間ですって言って、羽をむしり取ったニワトリを持ってくるんだよね。
で、プラトンがちょっと定義加えるわって言って、平たい爪を持ったっていう定義を加えましたっていう。
これさすがに嘘っぽい。さすがに嘘っぽいし、誰か聖人お兄さんみたいな感じでさ、プラトンとディオゲネスみたいな本書いてくれないかって本当に思うんだけど。
確かにいいコンビだね、確かにこれは。
そうなのよ。
もう小学生じゃん、本当に。
そう、小学生なのよ。
でもそのぐらい多分純粋に考えてないとダメなんだよね、やっぱり。
確かにアカデミアでイディアとは何か、人間とはっていう中では、確かに確かにってなっちゃう。
なっちゃうんだよね、多分ね。
でもやっぱりそこにディオゲネスがトコトコってきて、絶対ないのよ、だってさ、たまたま羽虫って言うわけないじゃん、鶏の。
っていうかまぁ、虫って何にしろたまたま鶏を持ってる人でもおかしいからね。
そうそうそうそう。
あんまなさそう。
おかしいから、多分嘘なんだけど、やっぱそのぐらいのエチがあったよって話だし。
で、次のエピソードまたグッとくるんだけど、ある日ディオゲネスがそんななりなんで、別に当然雨とかも避けられないわけなんだけど、雨の日にズブ濡れになって立ってたらしいんですよ。
で、そばにいた人がね、大丈夫?みたいな、さすがに濡れすぎじゃない?みたいな感じで言ってたんだけど、これもね、またまたプラトンが逆に投入かかるんですよ、今度は。
ほうほうほうほう。
で、プラトンが、周囲の人に向かって、周りにいた人に向かって、本当にディオゲネスを気の毒に思うなら、あなた方はここから立ち去らなきゃいけません、っていう風に言ったらしいんだよね。
はいはいはいはい。
要は、みじめなっていうのは、あなたたちが思ってるだけのことだし、あなたたちがいるからディオゲネスを恥ずかしく思うとしたら、あなたたちはいなくなれば万事解決だっていう話なんだよね。
へー、かまってる。
そうなのよ。やっぱプラトンはディオゲネス好きだったんじゃないかって思うんだよね。
はいはいはいはい。認めてたね。
まあ、たぶん。ちょっとね、そういう風に思いたくなる話だね、これは。
はいはい。そうだね。ディオゲネスを馬鹿にしに来たわけじゃないっていうね。
そうそうそうそう。っていう風な感じで、やっぱり名言コンビだと思う。
名言コンビなのか。他にもね、もっといろんなエピソードあるんで。ただ馬鹿にしただけなんじゃないか、ディオゲネス側がっていう話もあるんですけど。
はいはいはいはい。
で、やっぱりね、そういう風なやりとりがあったんですよ。
で、あとね、最後というか次、またもう一個ディオゲネスの話で、
これはね、もう本当に、さっきの兄貴の話を比べたらどうかって話なんだけど、
ある人がやっぱり、ディオゲネスがある人に対して、やっぱり施しをお願いすると、いわゆる戸敷的な活動だよね。
うんうんうん。
もうしてたことがあったらしいんだけれども、その時の言葉としてね、面白いのが、
もしあなたがね、他の人に恵んだことがある、施したことがあるんだったら、俺にもくださいと。
もしないんだったら、俺から始めませんか?
すごいね。
どう?これ。
いや、だからさ、やっぱり優秀な人ってすごいよね。
あの、なんだコピーライターとして。
はいはい。
さあ、優秀すぎない?
いやー、そう思う?そう感じる?
思う。
はいはいはい。
思うよ、これ。渡しちゃうもん、これ。
渡しちゃう?
使おうかな、これ。
いつ使うのよ。
いやもうさ、やっぱ、こういうとこでさ、ちょっと確かに上げたくなっちゃうのはあるよね。
やっぱりあのー、こっちの行動を制限してくるよね。
そうね、それは本当にそう。
すごい。
うん。
だからなんだろうな、えっと、これでじゃあ100発100中にはならないと思うんだよね。
ならない、ならないね。
とは思うけど、100分の20だったのが100分の40ぐらいには絶対これなるよねっていう。
ああ、そうね。
すごいよね。
それはあると思う。
うん。
やっぱりそういう心をつかむ、動かすとか。
やっぱりこう、なんか気にさせちゃうみたいな、やっぱそういう才能はめちゃめちゃあったなと思うんだよね。
うーん。
うん。
で、なのでやっぱりね、リオゲネス。
まあちょっとね、他にもすごいほんとトンチンカみたいな話とかもあるんだけど。
まだまだあるんだね、エピソードが。
ディオゲネスの教えと弟子たち
うん、まだまだある。
それがね、気になる方は冒頭さえした、キュニコス主義の生活理想っていう本。
本っていうか論文。
古いんで時代とか読みにくいんですけど、いろんな本当にわけわかんない話もあるんで。
よかったらこれも見ていただけよっていう話なんですけど。
次がね、今日最後取り上げるエピソードなんですけど。
これあの、リオゲネスじゃなくてリオゲネスの弟子ね。
さっき兄貴もリオゲネスに弟子とかいたのかなみたいな話したと思うんですけど。
で、キュニコスさんの中に弟子のクラテスっていう人がいたらしいんですよね。
クラテス。
その足りなくない?
そうですよ。
違うんだよ、紛らわしいけどクラテスなんだよこの人。
はいはいはいはい。
クラテスさんがいて、でね、ある人がアテネでね、ある人がクラテスのことを本で読みましたと。
で感動して、ちょっとアドモ時代ね、その弟子のぐらいの時代なんで。
っていう時に、どこに行ったらこのクラテスみたいな人って出会えるんだみたいな。
そんな人このアテネにいないじゃないかって言って、本屋の主人に聞いたところ、
そのたまたまね、たまたま通りがかりがちだから作り場所なんだけどこれも。
たまたまそのクラテス、そのクラテスの弟子であるリオゲネスから学んだクラテスってのがいたんで、
あの人について行きなさいと。
あの人について行ったらクラテスみたいなね、ことが学べるかもしれないよっていう風に教えてもらったらしいんですよね。
あーまあ多分本屋の主人もソクラテスだと思ってたんだよね、名前をね。
違います。
もう時代全然違うから。
そっくりさんとかじゃないからさ、別に。
そうそうそう。
それであのクラテスさんについて行きなさいっていうのを教えてあげたらしいんだけど、
このクラテスについて行ったと言われるある人、これが実は有名なのかな、あの皆さんご存知かあれなんですけど、
ストア派あるじゃないですか。
あーはい、以前やった。
以前やったね、ストア派の創始者のゼノンなんですよね。
あ、そうなんだ。
その創始者なんだ。
そうそうそう、創始者のゼノンが、
このソクラテスみたいなアイディアどうしたって言ってついて行ったクラテスさんの師匠がディオゲネス。
わー面白いねそれは。
つまり、ストア派の大元にはディオゲネスだったりとかソクラテスがあるんですよね。
あーそうなんだ。
そうそうそう、あって僕もちょっと正直ちゃんとわかってなかったんだけれども、
やっぱりこのソクラテスのある種、よく生きるってものを引き継いで、
ディオゲネスがね、何者にも心を動かされずに精神を鍛錬して生きていきます。
という風な生き方があった。
その流れの中に、ある種それを体系化していったとか、それをちゃんと誰もができるようにしたのが、実はストア派なんですって話なんだよね。
わーなるほど。
そうだよね、ソクラテスもディオゲネスの師匠。
アンティステネス?
アンティステネスもディオゲネスも、ある意味前的な話で言うと不流文字であると。
はいはいはい。
アンティステネスさんはね、結構本とか書いたらしいんだけれども、ちょっと穴があったらしいんだよねやっぱり。
はーはーはーはー。なるほどなるほど。
でそこの、今度クラテスの弟子になったゼノンが、だからストア派の創始者っていうのはやっぱ後だもんね。
後、後。
このクラテスの師匠についたからこそ、ある意味ストア派が生まれたとも言えるという話で言うと、なんかエモいねそれは。
エモいでしょ。そういう流れがあって、500年ぐらい続くぐらい力を持ったストア派っていうのが生まれていったんですよと。
わー。
やっぱりソクラテス、プラトン、アレステネスっていう系譜はもちろんガーってあるんだけど、
その横にソクラテス、アンティステネス、ディオゲネス、そしてゼノンみたいな流れもあったということでいくと、
ストア派の発展
ソクラテスすげーっていう話なんだよね。
そうだねー。なんか創始者って感じがするねー。
そうそうそうそう。
はい。っていうようなところで、やっぱこのディオゲネスの話だけ聞くと、ある種鬼人変人のディオゲネスさんはこんなことをしてましたなんだけど、
次ね、ヘルニズム哲学の中にそのストア派っていうものがもちろんあるんで、
こういう流れでストア派っていうものを取り上げていって、
もうちょっとこのディオゲネスさんという生き方みたいなものを体系化したらどうなるのかとか、
そういうものからどんな学問、というか哲学が生まれるのか、
ということをまた次フォーカスしてお伝えしていきたいと思ってますっていう感じですね。
へー、なるほど。
はい。
わー、なんか哲学、面白いね。
ね。こうやって人のエピソードの繋がりで聞くと面白いよね。
おー。なんて言うんだろう。ハヤトが言った通り、プラトンの土台に乗ってないね。
そうなんだよね。
うん。
いってない。
いってない。だからプラトンはやっぱりね、そのいわゆる抽象化してというか、やっぱり唯一無二なものを探しに行くんだけど、
やっぱりこのもう一方で、とはいえやっぱり自分はどう生きるかとか、
この私はどう生きるのがよりよく生きることになるのか、よりよく生きることになるのかっていう話って、
やっぱり同じくらい大事な問題としてあるはずなんだよね。
おー。
うん。そっちがやっぱりこのヘルストア派的なというか、
こういったデュオゲイスの流れの中に残っていったのがより強くなっていったっていうふうな感じ?
うん。
うん。
はあるかなと思う。
なるほど。
うん。
このデュオゲイスの全体像を知るっていう意味でおすすめの本は、やっぱり今回紹介してくれた論文なのかな?
いや、
わかりやすい?
えっとね、結構いろんな本もあるんだけど、
うん。
無料でっていう意味では、そうだね、今回お話しした論文がわかりやすいかなと思った。
はいはいはい。あ、普通に本としても売ってる?デュオゲイスの。
あるある。もちろんあるし、もちろんね、いわゆるこうなんだ、
Wikipediaとかさ、
うん。
あとはデュオゲイスとはみたいな話。
うんうん。
結構ね、いいものがいろいろ出てくるんで、ホームページとかで。
はいはいはい。なるほどなるほど。
読んでもらってもいいのかなと思います。
今回聞いて思ったのはあれだよね、
特に若い人で、
それほど中二的な話で、
何かいろいろ反抗したくなる時期ってあるじゃない?
うん、あるね、あるある。
そういう人たちのバイブルにすればいいんじゃないかな、デュオゲイスはって思ったね。
まあね、それは本当にそう。
でも、正しい世の中の枠組みからのはみ出し方っていう意味で、
はいはい。
デュオゲイスの生き方を見とくと、
いい感じにはみ出せるんじゃないかな。
そうね。
ディオゲネスの哲学
先生とか親に反抗する時の参考になるんじゃないかな。
ちゃんと意味なく反対する。
ちゃんと自分を高めつつ、
この先生はこんな感じでいったらもうコントロールできるだろうみたいな。
そうね、確かに。
ただただ反抗するんじゃなくて、むしろ超えてやるぐらいの感じはあるよね。
そういう意味ではデュオゲイスさん、僕もなんとなくイメージ好きだなとか、
素敵な人っぽいって思ったんだけど、
改めてソクラテスからの流れとか、
後々コストア派に繋がる生き様とかって見ると、
すごい時代のひとつだけど、
プラトンっていう一方に、
いわゆるザ哲学者みたいな人がいた時のカウンターとしてのすごさ?
そうね、ちょっとアウトローな感じが魅力的なのもあるかもしれないし、
プラトンが言ってたクルタソクラテスっていうのも、
あれがソクラテスの属性として、
アテネ市民であるっていうのをソクラテスはすごい大事にしてたでしょ。
ソクラテスからポリスの市民であるという属性を引き離して、
フォスモポリタンにした時にどうなるかっていう、
あまりにも社会のしがらみ枠組みから解き放った時にどうなるかっていうのが、
デュオゲイスであるとして見るとめちゃくちゃ面白い。
それはあるだろうね。
デュオゲイスを裁判した日にはたぶんどうしようもなくなっちゃうからね。
すぐ釈放されて帰ってくるよ、たぶん。
もしくはすぐ追放されて、
そうね、関係ないしみたいな。
やっぱり寄せ立つものって大事だし、
何を思って生きるかって大事だなって本当に思った、デュオゲイスを見て。
危ないけどね、あまりにもこういう人を参考にしすぎると。
そうね、危ない。
言うて我々はね、社会の中で、枠組みの中でちゃんと生かされてるからね。
そこを忘れちゃうと超大変だし。
ヘリズム哲学の展望
普通死ぬよね、90歳まで。
消えないよね、この生き方は。
無理だね、そう。
僕ぐらいの凡人だと言うても家族も大事だしとかさ、
やっぱりね、あったかい家、お家大事だしみたいな感じだから、
それが大事だと思ってちゃんと生きること、
やっぱそれって当たり前じゃないよねとかさ、
それってただただ与えられるものじゃなくて、
自分で大事にしていくもんだよねってやっぱ思うから、
そういうぐらいのマイルドさでいいんじゃないかなとは思ってますね。
そうだね。
はい、そんな感じでね、
次回ストア派やりまして、
その次にエピクロス派っていうのやろうと思って、
それもヘリズム哲学の中の結構一大流派みたいな感じがあるんですよ。
逆に言うと、今このディオゲインスの話までは、
ちょっとこのヘリズム哲学前夜みたいな感じの、
まだちょっと時代の話なので、
ここからストア派とかエピクロス派っていうのを見ていくことで、
よりもうちょっと時代は下って、
紀元前200年とか100年とか紀元後とか、
その時代の哲学はどうなったのかっていう話をですね、
ちょっとまた引き続きさせていただきたいなと思ってますっていう感じですね。
はい、わかりました。
なんとなくね、古代ギリシャで一括りにしていただけると、
こんなに幅も広いし、流れもあってっていうことで、
すごい面白いね。
そう思っていただけると嬉しいなと思います。
ぜひですね、まだ引き続きこのギリシャ時代続きますけれども、
お付き合いいただければ嬉しいなと思っております。
はい、わかりました。
では次回ストア派ですね。
久しぶりなので忘れてるかもしれないですけど、
ストアは聞きながら思い出しながら倒しにいきたいというところで、
次回も引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
49:58

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