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はい、ソレッテツラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回は、プラトンの宇宙の話ということで、ティマイオスという本について説明してもらいましたと。
今回は、その話の流れの中から環境倫理の話から、現代ではプラトンに対する批判みたいなものがあるという話を最後の方してくれたんだけれども、
ちょっとこれまでの簡単な流れと、あと今日どういう話をしていくのかというところ、そこのところお願いします。
はい、わかりました。そうですね、プラトンね、結構いろいろ議論が入り組んじゃったので、多分聞いている人も大変だったと思うんですけど、兄貴も大変だったと思うんですけど。
ただ、この散々やったイデアの話なんですけど、めっちゃこの後批判の話もするんですけど、
次取り上げるアリストテレスがそもそもいろいろ批判してるんですよ。
ああ、そうなんですね。
うん、弟子としてね。
批判というか、最近批判というと別に悪いことを言うわけじゃないよみたいな、やっぱりそれを乗り越えていくんだみたいな話もあると思うんですけど、建設的な批判みたいなね。
やっぱりそのぐらいプラトンとかマスオカラテスがやってたことだったり、イデアっていうものが、やっぱりパワーを持つだからこそそれをいかに乗り越えるかとか、
それをどうやって乗り越えて自分の思想とか、逆に哲学を作っていくかっていうのをすごいやっぱり後世の人たちはやってたっていう。
そういう意味でやっぱりプラトンがその哲学の祖というか、全ての西洋哲学がプラトンから始まるみたいに生まれるんですけど、
ちょっと現代の話に紐づけると、環境問題って結構その世の中的にも話題になっていて、
前もちょっと言ったかもしれないけど、それこそマイクロプラスチックの話だとか、それこそ今電気代も上がってるけど、やっぱりいろんなことがつながって、
地球資源とか環境資源ってすごく大事だよねみたいなのって、今の共通の感覚としてあると思うんですけど。
そういう具体的な問題を受けて、サスナブルだとかSDGsだとかって言われてるということだよね。
うん。ビジネスの世界でやっぱ大事だよねって言われてると思うんですけど、実はそういう環境倫理の面からプラトンを批判した論文っていうのが出たりするんですね。
そっちの観点から。
そうそう。実はこのラジオは参考文献っていうのをノートにまとめてて、それもURL貼ってるんで、本当に興味のある人は見ていただけたらと思うんですけれども、
ちょっと今日取り上げたいというか、僕がたまたま見つけたのがですね、大阪教育大学の名誉教授の山内智三さんという方が書いた論文があって、
それでその環境倫理とプラトンというのがあったのでちょっと話してみたいんですけど、
これまで話してきた通り、プラトンの要はイデアみたいな話って、結局理想世界に完全なものとか完璧なものがあって、現実世界っていうのはその写しみみたいなもので、
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若干その偽物というか、そこ完全なものじゃないですよ。だから完全な花はイデアの方にあって、現実の花っていうのはそこから作られたものですよみたいなことを言うんだけれども、
そうする、それってすごく単純化すると、そのイデアとか神の方が価値が高くって、そこに対して理性っていう神とかイデアの、
その神を見る力を持った人間っていうのが次に価値があって、さらにその下に自然とか、その他の要は理性を持たない者たちみたいな価値みたいな図式ができちゃうよねっていうことをまず言いますと。
(山本) 確かに前回の最後の方で話したけど、人間も自然の一部じゃんみたいな質問させてもらったんだけど、トトジョフ感覚から言うと、イデアとあと人間、そして自然っていう順番で、
人間は自然の一部ではなくて、人間は自然よりは上位だけども、イデアよりは下位、ちょっと下の、その3つの序列があるよっていう感覚で、物事を考えていた、捉えていたっていう感じだったってことかな。
(山本) それでものすごく単純化するという感じかな。もちろん色んな物事によって価値の取り方があったとは思うんだけども、すごいモデル化すると、例えば神、イデアと人間と自然っていうようなものがあるよねと。
(岡田) プラトンは、著書ではその通りにはいってないのかな。プラトン、彼読み解くとこう言えるみたいな感じなのかな。
(山本) そうだね。もうちょっと詳しく言ってるって方が正しいかな、プラトンの場合は。別にそんな3つに単純化してわけてるわけじゃないんだけど、ただ当然イデアの方が上だしとか、人間は理性を持ってるから他の動物より上だしみたいなことは言ってますと。
(岡田) あ、そういうことは言ってるんだ。はいはいはい。
(山本) 上っていうとちょっとそれも単純化しすぎてるんだけれども、そういう風に読み解くことができるよねと。そうすると天国とかイデア界みたいなものに人間の関心とかが向かえば向かうほど、現実、世界の自然とかに対する配慮というのはそれだけ弱まりますよねと。
要はもし仮にこういう宗教とかができたとして、神様に捧げるんだったら、例えば動物っていうのは殺して捧げてもいいみたいな時に、要は神様が上で人間が動物っていうのをある種、道徒でもできてしまうみたいなもので、普通に行われてましたよね、捧げ物的なね。
(岡田) はいはい。こちらの人間側の都合で自然を自由に捧げ物にしちゃったりとかっていうことがやってましたと。
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(天皇) そうそうそう。っていうのが、実は自然破壊というか、自然を自由に扱うみたいなところの根本にイデアみたいな考え方があるんじゃないかみたいなことを言うのね。かつ、この前話したティマイオスの、要は宇宙を作った人がいる、創造主というか、制作者か、その意図を持ってこの宇宙を作った制作者がいるみたいな考え方っていうのも、
やっぱりそれって普通に考えると納得できないと思うんですよ。
(岡田) うん、まあそうだよね。フィクションな感じするよね。
(天皇) そうそうそう。だからその、宇宙の自然な秩序とかを見て、これはすごい、もしかしたら神が作ったんじゃないかって思うことはあっても、宇宙は神が作ったんです、とか制作者がいるんですって言われたら、ちょっとさすがに現代の科学観というか、価値観的には理解というか受け入れはできないよねと。
(岡田) うん、まあ違うでしょうっていう感覚が普通かな、今だとね。
(天皇) そうそうそう、だよね。ただ一方で、そういうのをもちろん信じてる宗教とかそういう人たちも、現代にも多分いるでしょうと。
(天皇) そうすると何が起こるかっていうと、やっぱりある地域とか宗教とか文化に特有で、宇宙は作った神がいる、創造主がいるっていうのは起きてきるんだけど、それを地球全体の、例えば人類全体が普遍的に信じるかというと、信じられないよねってなりますと。
(天皇) あるいは創造主はいてもいいんだけど、うちの創造主こそが本当の創造主だみたいな。なので対立とか衝突しちゃうよねと。
(岡田) はいはい、ありそうだね。
(天皇) そうするとやっぱりモラルとかジレンマが生じちゃって、一緒に地図を守っていこうよとか協力し合っていこうよっていうのが思想的に困難になっちゃう。
(天皇) それは何故かっていうと、イデアみたいな、たった一つの真実のものを設定した瞬間に、何が真実なんだとか自分の方が正しいみたいになっちゃって、やっぱり対立しちゃったりするっていうのが普通に起きちゃうよねっていうことを言いますと。
(岡田) はいはい、これはプラトンからすると皮肉な話で、本来は神みたいなもの、プラトンは神とは言ってないかもしれないけど、製作者かな、デミュールゴスっていうふうに仮に定義してたと思うんだけど、
(岡田) プラトンはそういう、そこまでそれを元に「ああだこうだ」っていうよりは、それを元に後の人たちだよね。それを宗教に利用したりとか思想に利用したりとかした人たちが、プラトンがやったある意味前提の0とか1くらいのレベルの話を具体化しちゃったことによって、
(岡田) プラトンが作ったテーブルよりもう1個レイヤーの下のところで、それぞれ「いやこっちの紙が正しいんだ」とか「こっちのギニーが正しいんだ」みたいな話をしちゃってるっていう、
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(岡田) 多分プラトンからすると、本来自分が想定してなかった話。プラトンがもしかするとね、そもそも自分もある意味1個の紙を作ったって思ってたかもしれないけどね、分かんないけど。そういうとこは全然分かんないんだけど。
(山本) 鉄枠でいうと、そのくらいまでは考えないとダメだよねみたいなところもあって、もちろんそれを2400年前に適用するのはいいかどうかを置いておいても、やっぱりそれくらい思想って影響力があるし。
(岡田) そういう意味では、今からすると、プラトンはめっちゃすごいんだけど、その部分、隙があったよねとか配慮足りなかったよねとか、すごいエラー。
(山本) そうだね、隙は。 (岡田) 2000年後に言われてるんだけど。 (山本) 隙はね、めちゃくちゃある。
(山本) その隙をつかれてる。それが今の現代とか、たぶんアリストフェリスもそうだったと思うんだけど、批判っていう形で、その隙を埋めるだったりとか、そこを考え直そうっていうのがずっとずっとプラトンが作った土台の上で、みんながそれを補強したりとか、上に何か立てたりとかしてきてるみたいなイメージなのかな。
(岡田) そうだね、そういう感じかな。 (山本) コメントで出られちゃったけど。 (岡田) 全然。アリストフェリスも次もまた触れるけど、やっぱりタワゴトじゃん、イデアってみたいなこともすごい油斎するんだけど。
(岡田) でもやっぱりそういうことで乗り越えなきゃいけない何かが、そこにはある。プライデアっていうか、カマガタにはあるっていう風になるし。
(山本) そういう風にこの論文で続けていくんだけど、結局、例えば環境を守るみたいな話でいくと、正しさみたいな正義とか、あるいは権利みたいなものって、また歴史上でもあったと思うんだけど、いわゆるあらかじめ人間に与えられたというか、天から付与されたものみたいなものとか、
(山本) もともと必然的にあって、それを人間が客観的に正義を身につけていくみたいなものなんじゃなくて、社会っていうものがあって、その社会の必要性から、今の正義、必要な正義ってこれだよねとか、
(山本) 今、我々はこういうことを権利として持たないといけないよねみたいなことを、お互いにある種、人がそれはちゃんと作ったものだっていう風に考えた方がいいよねって、山内さんは論文で言いますと。
(岡田) 山内さんがそういう風に言ってるんだね。 (山本) そうそう。それは変えていいもの、どんどん変わってていいものなんだと。要は、唯一絶対の正義があると、その正義とは何かとか、その正義を身につけてるか身につけてないかみたいなのに対立しちゃうんだけど、
(山本) でも、今、僕らに必要な正義ってこれだよね。要は環境を守りながら経済も発展できる、そういう正義ってないのかなみたいな。
(岡田) はいはい。正義の定義をもう一回、時代に即して考えていきましょうねっていう感じかな。 (山本) そうそうそう。逆にそれは、イディアっていうものを信じると絶対にできないんだよね。
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(岡田) うーん、ああ、そうなんだね。 (山本) そう。理想っていうイディアの世界があって、そこから、例えば正義のイディアがあって、そこから正義が降りてくるってなっちゃうと、僕らはそれを見ることしかできないから。
(岡田) そっかそっか。前回、ほら、あの国家の話でいうと、結構国家の中で、ごめんね、たぶんさらっと表面的な話しか聞いてないから、理解がちょっと正しいかわからないんだけども、
(岡田) この前聞いた国家の話だけでいうと、結構プラトンも似たような話はしてたのかなーみたいなのは思ったんだけれども、ちゃんと人々が勝手に振る舞うと同じように仮に幸福っていうのを目指してても、それぞれがそれぞれのベクトルで幸福をやっちゃうから、全体としてはバラバラになっちゃうから、
(岡田) だれかが、それこそ鉄が収めたような人がそれをコントロールというか統制して、国として、コミュニティとして同じ方向に向かいましょうっていうベクトル付けをしてあげましょうみたいなのが、たぶん国家の大きな話だったと思うんだけども、
(岡田) それとプラトンの場合はそこの格論みたいなのは今の話とちょっと似てるんだけれども、たぶんその前提の正しさとかベクトルの方向をイデアの正義みたいなところで方向付けてしまったっていうところが批判の対象になってるのかな、今の話でいうと。
(山本) そうだね、プラトンは明確に鉄人を、鉄学を収めた王様っていうのはイデアを最もよく見れる人なのね。
(岡田) ああ、そこで一個正義、それが仮に正義だったりとか、理想みたいな、まあイデアって理想そのものだと思うんだけど、そこをイデアって定義しちゃったから、そこから外れたものはダメでしょっていう風な価値観もプラトンが作った、それには内在してるよねっていう風に山内先生は言ってると。
(山本) はあ。 (岡田) 要は価値とか正義みたいなものを人間の上に置いちゃうと、やっぱりそれって共通理解にならないというか、どうしても結局そこに誰が取り付いたかみたいな話になっちゃうんだけど、
(山本) はいはいはい。 (岡田) そうじゃなくて、その正義だったりとか、もしくは本当のものみたいなものもやっぱり自分たち、人間の中で作っていくものだし、そういうのを作っていかないと、特に環境倫理っていう自然環境みたいな人類全体に関わるものっていう問題には取り組めないよねっていう。
(山本) はいはいはい。 (岡田) そういうことをプラトンのイディアという考え方とか、やっぱり価値っていうものを人間から少し離れたところに置いてしまうっていう考え方と比較して、自分はこう考えるっていうのを言ってる論文っていう感じかな。
(山本) はいはい、なるほど。ある意味そういうめちゃくちゃ凄かった人の呪縛から離れて、ちゃんともう一回考えましょうっていう雰囲気が感じました。 (岡田) そうそう。
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(山本) そう。だし、そう言われるとちょっと固いとかあえて言わなくてもってなりそうなんだけど、その区に例えば僕らって、でもなんか自然って、何だろうな、いいものだよね、みたいな例えばパッと言った時に、
(山本) そのいいものって言ってる自然って何?みたいなことをやっぱり突き詰めていくと全然違う考え方をしていたり、要は人間が本当に手を入れない自然って凄く荒れ果ててしまったりとか、
(山本) それが本当に自然だって思っていいっていう人もいれば、でもやっぱりある程度調和だったりとか、持続する自然っていうのがいいって言ってる人ってやっぱりそこでずれちゃうじゃない。
(岡田) うん、そうだね。そこはもう概念の話だよね。同じ言葉を使っててもそれをどう唱えてるの?っていう話。
(山本) やっぱりそれはその人それぞれの中にいい自然とか自分が目指す自然っていうのがあって、そこのレベルで擦り合わないと絶対に議論ってできないんだよね。
(岡田) うんうん、そうだね。そしてそれをどういう風に意図して使ってるの?っていうところをちゃんとお互い理解しておかないと、そこから擦り合わせていかないと自然は大事だって同じこと言ってても違うこと言ってるかもしれないし、
(岡田) 逆に自然なんてどうでもいいんだみたいなこと言ってても逆に同じだったりするかもみたいなことが起こり得るんだよね。
(山本) そう、起こり得るし、イデアっていう信じる絶対はものとは言わないまでもやっぱり人それぞれの中に自分の中の自然っていうのはこれだとか、これが自分にとってはいいものだみたいな感覚ってやっぱり気をつけないと絶対にあるんだよね。
(岡田) うん、絶対あると思う。 (山本) うんうん。そういうのをちゃんと自覚した上でやっぱりその調和とかその和解をするんだればやっぱり話していくとかお互いに自分の考えをやっぱり伝えていかないと環境だったりとか気候みたいな大きい問題みたいなもので立ち向かえないよねっていう。
だからその、ただプラトンとアイデアを批判するだけじゃなくて、そういった大事なものっていうのは自分の中とかそれこそ人と人の関わりの中にちゃんと作っていこうねっていう。
(岡田) うんうん。 (山本) そういう移動というか大事なものをどこに置くかっていう観点で読むとすごく面白いというか意味がある論文だなっていうふうに思って読んでました。
(岡田) はいはい。今のは、えーと、ハヤトの解釈かもしれないけど割とこう結論というか批判の対象、論点はさっき言ったその三つ、神、人間、自然と分けたことで現代的にそういったその自然だったりとか環境に対する啓示みたいなものが起きてるよみたいな。
(山本) とか最初の批判の論点だと思うんだけど、この論文の着地点はそういうところだったの。今ハヤトが言ったような人間の考え方はみたいな。正義とは何かというところから考え直したりとかっていうところが着地点だったの。
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(岡田) この山口さんの論文の最後のところで言うと、さっき言ったみたいに、正義とか権利、人権みたいなものっていうのがその客観的、要は外にあって人間がそれをするんじゃなくて、自分たちは作っていく、変えていこうなのっていうふうに考えるべきだよねって言ってますと。
(山本) 逆にこれを客観的な価値とか、人間が作ったものじゃなくて、要は神から与えたものみたいになっちゃうと、結局それって人間の社会とかを幸福にするものじゃなくて、縛っちゃうものになっちゃって、結局紛争というか争いのためになっちゃうよねっていうふうなことを言ってるんですね。
(山本) なので、制度とか今ある仕組みみたいなものを、客観的な価値というか、それが真理みたいなものを意味ないで、あくまでもそれも人類とか地球を救うための手段というか、目的はあくまでも地球とか環境を守るみたいなところで、それのために必要ならそういった何が正義かとかも変えることが必要だよね、そういうふうに捉えた方がいいんじゃないかっていうようなことを言ってますね。
(岡田) ああ、なるほど。さっき話があったのは、例えば当時のイデアとか、あとは例として神とか宗教、あと思想みたいなところまで言ってたんだけれども、結構それだと大きな話だなとは思うんだけど、個人レベルの話で言っても、さっき自然が大事ってどういう意味だとか、自然ってどう捉えてるみたいな、個人個人の違いみたいなのがあって、
(岡田) そういうものが他の人、他の宗教、他の思想との対立を生むと。そうなってくると、そもそも協調したりとか和解したりだったりとか、お互いを理解したりすることがそもそも困難になるよみたいな話だと思うんだけど、確かにそうだね、その整理みたいなもの、これがプラトンが定義したりとかっていうものが、いかに社会だったり、あと人間個人個人まで、
(山下) うんうん。 (岡田) 先生が言うところの縛ってるものだね。理想としてそこに向かっていくっていうよりは、結構逆に縛っているものっていうのはすごく感じるよね。
(山下) そうだね。 (岡田) さっきそもそも自然とはどう定義するかみたいなところも、意外とプラトンのイデア会とかでやったように、果たして自分で自然というものって何なんだろうって定義している人が、果たしてどれくらいいるかっていう、自分も全然してないんだけど、
やっぱりその社会的にこういうふうに自然というのは使われているかなとか、あとは自分の家族はこう使ってたとか、自分の行ってた学校ではこう使ってたっていうものを基本的には仮に生きて使っている。
それってこの先生の言うところの整理っていうものが、誰かが定義したもの、それを100点だとするもの、理想としてそれを定義してしまうと危ない、危ないって言ってるかわからないけど、良くないみたいな話があったときに、
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もっと小さな視点で言うと、親に言われた自然という概念、先生に言われた自然という概念、もしくはニュースで言っている自然という概念、そういったものを自分が仮に使っている状態と結構似てるのかなと思って。
そのたぶん山内先生は社会レベル、国レベル、何ならもしかすると個人レベルでもそういう呪縛しているもの、自由になりなさいよ、ちゃんと自分の頭でそういうものは定義して、今の時代だったりとか、時代とは言わないまでも個人レベルで言うと今の自分の状況だったりとか、そういったものに即してきちんと考え直して、
それを自分は考えるし、相手がどういう風にそういう言葉を使っているのかというのにもちゃんと配慮して、それを自分でも理解しようとするし、相手が気づいていないのであればそこまで含めてちゃんと理論するテーブルに一緒に立つという、そういうところが例えば対立だとか、そういったものを乗り越えて強調していくという姿勢になるんだよという、
そこをあえてというか、多分あまり偉大な先人だったりとか、今の多分、どうしてもそういった呪縛みたいなものって逃れるのはとても難しいとは思うんだけど、そういったものをきちんと把握して、社会レベルでも個人レベルでも乗り越えて、みんなで仲良くというか、みんなで正しいと言っちゃうと正義とかと似ていて、気持ち悪い言葉ではあるけれども、
今の時代では正しいというものを童貞にして、みんなでそっちに向かっていきましょうというコンセンサスをみんなで取って強調していきましょうというような、結構平和とは何かね、そういう話なのかな、なんか面白いなというか、結構初めは宗教とか神とかという話が出てきたから、結構壮大な話なのかなとは思ったんだけれども、結構個人レベルでも学びがあるというか、
すごいしさに富んだお話なのかなって思いました。
ありがとうございます、というのが伝わるとうれしいなと思って。やっぱ哲学ってもちろん難解な思想側とかって呼ばれがちなんだけど、どっちかというと、まさに言ってくれた通りで、誰であっても共通のテーブルで議論をするっていうのは結構前提にあるんですよね。
うんうん。
なんかそれが主義とか主張とか思想とかもちろんあるんだけど、一旦それはそれとして、例えばこういう環境倫理みたいなものに対して、プラトンはこう言っている、イデアというのはこういう考え方だ。
それに対して僕らの自然とかを守ろう、大事にしようと思うんであれば、こういう考え方が大事だよねっていうのを、ちゃんと同じテーブルについて一緒に話せるようにしようというのが哲学だったりするので。
はいはいはい。
本当はね、もっと身近なものというか自然なものとして、自然っていうのは、今日自然の話をしてきたからややこしいんだけど、身近にあるものとして捉えることも全然できるかなって思う感じですね。
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そうだね、確かに一個の正解があるとね、これって学校のテストとかでもそうだけど、それ以外は間違いとかってなっちゃうんだけど、逆に自分でテーブルを作っていこうみたいな話をすると、逆に全部正解みたいなところが出てきて、それもまた面白いよなって思うしね。
そうだねそうだね。
うん。
そう、っていうような感じが、今日ちょっとプラトンの話から始まって、その環境っていうところの現代の話までちょっと繋がったところでした。
はい。
なるほど、これはあれだね、環境倫理の点からこうやって批判されてるみたいな、今日は教えてもらったけど、このプラトンくらいいろんな、ちょっと言い過ぎかもしれないけど、人間の概念そのものを作った人みたいな風に考えると、めちゃくちゃあれだね、いろんな切り口から批判されて、もちろんね、称賛というかね、批判って別に悪い意味じゃないと思うから。
あ、そうだね。
いいと思うんだけど、大変だろうね、プラトン。
そうだと思うよ。
うん。
だからこそね、これだけ読み継がれたりとかね、語り継がれてるわけで。
まあ、そうだね、すごい偉大な人の、偉大なもの、人とか作品の宿命なのかもしれないけどね、めっちゃ褒められるし、めっちゃ批判もされるしっていうね。
そうね、特に時代によってもね、やっぱすごいプラトン最高って言われる時もあれば、いやこいつめっちゃダメじゃんって言われる時もあったりとか、もっとね、やっぱりその時々解釈も変わるし、出てくる資料とかもどんどん新しくなって、まあ今だとさすがにないとは思うけど、昔とかだとまだプラトンの新しい本が発見されたよみたいな感じで、こんなこと言ってたとか、でもこれ偽物だとか、そんな歴史もあったりするし。
で、まあちょっとね、そろそろその1巻、今回終わりにして、次ちょっとね、感想とかやりたいと思うんですけど、ちょっと最後に、まあ今回はそのプラトンへの批判というか乗り越えみたいなことを言ったんですけど、とはいえね、やっぱプラトンってすごいしっかりした人なので、同じティマイノスの中でこんなことも言ってますよっていうのをちょっと紹介して次に移りたいんですけど。
ヤマウチさんの論文だと、神、人間、自然っていう価値基準があって自然が下だよねみたいなところが言われるんだけど、同じ本の中でティマイノスの中でプラトンは、宇宙っていうのは、宇宙のことについて話した本だったというのはあると思うんですけど、知性が知る限りの種類と数に対応する生き物を含まねばならないってことを言っているのね。
つまり、生き物っていうのは人間の好き勝手で生きるものじゃなくって、それはそれで知性とか秩序の中に生きているものなので、それはそれで、きっちりと知性っていうものがあるし反映されたものだよみたいなことを言っている。
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だからプラトンっていうのは実は生物の多様性っていうのを高く評価していて、自然とか生物、生き物を軽く見るものじゃないんだよみたいな意見もあったりしますと。
それはそういうふうにノチュラリティブは解釈していることもあるっていう。そのぐらいやっぱりプラトンの本から豊かなものを読み取れるし、プラトンは自然とかをすごく価値が低いものにしているっていうものもあれば、実はそんなことはないとか、むしろそれを高く評価してるんだっていう考え方も出てくるっていう。
なるほど。
やっぱり一筋縄じゃいかないねっていう感じですね。
いろんな切り口でもいろんなレイヤーでも自由に楽しめますと。
そうですね。哲学者は不容易なことを言えないっていうね。後の人がこうやってつけ勝手解釈するから。
なるほど。
だから長くなるんだよね、哲学の本って。
そうだね。言葉を一個一個定義して、自分はこう捉えているとか、自分の背景みたいなものとか、自分の立ち位置ってもう全部固めた上でそこに全部載せていくっていう方法を取っていくと、成長になるのはしょうがないかなと思ったし。
でもそれが面白いし、たぶんそこやらないとね、たぶん今回その山内先生の論文も紹介してもらったけれども、ただどんだけめちゃくちゃすごい人でも、プラトンみたいな人を先生として崇めたとしても、そこに縛られたら、ある意味プラトンが教えたかったものから実は遠ざかっているんだよっていうことが起こり得るっていう意味ね。
そこはなんかめちゃくちゃ、今回最後そう思ったかな、あのイデアとかの話聞いた時はどうなるかと思ったけど、わからなすぎて。
はいはい。でもね、ちょっとそんな感じでね、いい着地になったらなと思っております。
はい、そういう感じでね、プラトンの人となりの紹介からイデアを経て、手前をするうちの話を経て、環境の話を経てというかなり旅をしてきたというところで、一旦プラトンの紹介のお話は以上になります。お疲れ様でした。
はい、ありがとうございました。
はい、ありがとうございます。じゃあ次回また兄貴と一緒にプラトンの感想からやりたいと思うので、ぜひ聞いてください。お願いします。
はい、よろしくお願いします。
はい、お願いします。
はい、ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
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