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♪~
はい、それじゃつらじお、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
皆様、新年明けましておめでとうございます。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。いやぁ、2023年なりましたね。
なりましたね。ちょうど1月1日深夜の更新ということでタイミングも良かったね。
いや、よく上げてくれたなって思っているし、上がってたらだけど、
兄貴からさ、年末年始どうするって言われてさ、
大体やっぱあるじゃん、年末進行的にその週だけスキップしますみたいな。
はいはいはい、全然ある。
全然出すよって言われて、本気だなって思ったもん。
何が?何に対して?
それ、てつらじおに対して本気だなって思ったもん。
いやもうだってね、週2でさ、やっぱ最初決めるじゃん。やっぱり週1でやっていくか、週2でやっていくかみたいな時。
やっぱ週2になってくるともう習慣だからね。
あー、なるほどね。
週1もだろうけど、やっぱ習慣って大事だよねって。
もう半年くらいか、5月から始めて半年ちょい。
だいぶなんかこう、いろんなね、スキップしようかっていうこともあったけれども、
なんとなくね、うまいことね、ギリギリね、収録が取って出しっていう、自転車送料ではありながらやれてます。
でも本当、これもね、聴いてくださる皆様のおかげということで、今年もね、ぜひぜひ楽しんでいただければっていうところ。
ぜひよろしくお願いします。
これ勝手になんか閉めちゃったね、勝手にね。
そうよ、今日はこれから喋るからね。
普段はね、その岩手と京都からお届けしてますが、まあやっぱ年末演出はね、僕もちょっと岩手に帰って、
やっぱね、岩手に帰るとね、こう、いいんですよ、いいんですよっていうのは、なんか、なんかの本で読んだんだけど、やっぱ哲学は寒いところで生まれるみたいな話があって、
あ、そうなんだ。
やっぱラテン系の哲学とか多分ないじゃん、なんかないんだけど、ラテンの人に失礼かもしれないですけど、
やっぱりこう、食べ物が豊富でとか温暖の気候で、楽しくというかやっぱりなんだろうな、ある種自然にこう恵まれて生きられるところでは哲学って多分そんなに発展しないんだよね。
へー、そうなんだ。
なんかあれだよね、だってその哲学って暇だと、こう、自分たちってなんだろうとか、なんでそれは青いんだろうとかって考え始めるっていう意味では、
なんか温かいところの方がさ、なんか死なない確率が高いとかって考えると、あっても良さそうだけどね。
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温かいとさ、なんだかんだ年中動けちゃうじゃん、あれしようこれしようって。
でも寒いとさ、家の中閉じこもってやることないから農業とかもできないし、
確かに確かに、保存食作って荒巻き鮭いっぱい仕込んで、あと冬は家にこもるみたいなね。
そうそうそうそう。
みたいになると、やっぱりこうね、やっぱ、まずやっぱ寒いとね、こうやっぱりなんかね、思考が済まされる感じっていうのもあって、分かんない、だから別に僕は哲学者じゃないですけど、何回も言ってる通り。
やっぱりなんか、その、冬に囲まれたとか真っ白の世界の中にいると、なんかね、考えたくなっちゃうんだよね。
なんかこう、いろいろ。
まあ、なるほどね。哲学者に共通するものなのか、タイトルがね、こっち出身だから、なんか、冬のね、寒さでちょっとこうなんか。
テンション上がるみたいだね。
テンションが上がるの?
寒いとテンション上がるよ。
なるほど。
っていうのはね、なんかあるなと思えば多分ね、過ごしてるとは思うんですけど、せっかく新年っていうことなので、今ね、その禅の話をまさにしてるところではあるんですけど、
ちょっとね、こう、僕らの抱負じゃないけど、やっぱりね、年の初めですから、そういう話もしていきたいなと思ったり。
あとね、あの、これちょっと、まあ今日のテーマにも通じるんだけれども、僕、新年で好きな短歌があって、それだけなぜか小学校の時から覚えてるんだけど、
うんうん。
なんかね、勝手に説明、紹介すると、新たしき年の初めの初春の今日降る雪の癒しけ夜ごとっていう、なんかがあって。
うんうん。聞いたことある気がする。
あるかな。夜ごとっていうのは良いことなんだけど、
要は、本当に素朴ではね、その新年で今日雪が降ってると、で、どの新春と積もっていくように、良いことがいっぱい積もったらいいなっていう話なんですけど、
はいはいはい、いいね。
なんか綺麗な。
そう、綺麗なね、なんかやつで。
なんかね、実はこれ読んだ人、大友のやかんもちだったかな、これ違ったらあれなんですけど、結構苦しい、政治の中においても苦しい境地にあって、
はいはいはい。
そう、だから実際、実生活は大変だったんだけど、まあそういうね、こうやっぱり、素朴なとか新年を迎えるね、その素敵な気持ちっていうのは歌に読んだんだみたいな、なんか解釈があって、
なんかそれをね、小学校の時に、なんか授業で、なんか調べなさいとか言われて調べて、なんか記憶に残って今でも覚えてる、まあ唯一の本当、なんか単語みたいな感じなんですけど。
はいはい、でもいいね、なんかそういうね、すごく政治が大変だとか、いざこざがとても絶えないみたいな時だけれども、やっぱ昔からね、その新年を迎えるっていうのはそういう素なしさというかね、
あ、そうそう。
06:00
なんかこう、いい意味のスイッチが切り替わるみたいなのが共通なんだなーって、なんか時代を越えてね、すごくなんか気持ちいい感じがするね。
そうそう、なんかやっぱともするとさ、別に新年って言ってもさ、別に日付が変わるだけでしょとか、なんかね、毎年のことだから、まあ別にいいかって思いがちだったんですけど、僕の中でも。
はいはいはい。
だったんですけど、やっぱりね、こう年の始めは年の始めとして、やっぱり何かこうね、考えるとか、なんだろうな、こうやっぱり、まあ抱負、まさに今日ってちょっと抱負の話をしていきたいんですけど、
それともやっぱ立てるみたいなね、ことっていうのはすごく大事かなと思ったりするので、ちょっと今回はね、いわゆるそういってつラジオの抱負とか、まあ僕らね、兄貴とか僕自身の抱負みたいなところからちょっといろいろね、話をなんかしていけたらいいんじゃないかなっていうのは思った感じですね。
おー、新年ぽい。
はい、新年ぽいので。でもそもそも兄貴はそういう抱負を立てるとかさ、1年のなんかテーマを立てるとかやる人?
うーんとね、その時によるかな。あの、例えば人生の天気みたいな時、天気というか、ある程度大きく動くタイミングとかだと、ある程度やっぱりちゃんと立てるようかなみたいなことはあるんだけれども、基本的にはその新年だからみたいなのは、
さっき言った清々しさみたいなものはなんとなく感じてるつもりだけれども、なんかじゃあ今年の目標は絶対これだーみたいなのを毎年立てるかって言われたらそうでもないかな。
はいはいはい。
今年も楽しく健康に生きられますようにぐらいの感じ。
でも本当、神様にお願いするやつだよね。
そうそう、初詣で、毎年それで、家族みんな健康、それぐらいかな。
なるほどね。
だって、はやとは毎年立てるの?
結構ね、立ててるかな。
うーん。
なんかテーマみたいな、抱負っていうかテーマみたいな感じなんだけど、今年はやっぱこれを勉強するぞとか、こういうことを学ぶぞとか、こういうことを挑戦するぞみたいなのを結構立てるようにしてて。
へー、そうなんだ。
なんかやっぱそれがあった方が、なんだろうな、悩まなくていいというか、なんかやっぱ結構何を今自分は勉強したら、勉強したいんだろうって言うと変だけど、やっぱこのテーマを持ってる時の方が自分がパフォーマンスがいいっていうのがわかってるのよ。
あー、なるほどね。はいはいはい。ちゃんとそういうモチベーションというか、ちゃんと人参ぶら下げるとかなきゃみたいな感じか、自分に。
そうそうそうそう。だってやっぱ日々、やっぱだらだらわりとしたい方だから、なんか本当にスマホゲーとかやって一日過ごせちゃうじゃん、もともとは。
はいはいはい。
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それでもいいんだけど、やっぱなんかもったいないというか、1年終わってさ、今年1年スマホゲーしかしなかったなって思うのはやっぱりちょっとなんかもったいないなって思ってしまうのよ。
はいはいはい。
なので、やっぱなんか今年はこういうことをチャレンジしてみようとか、こういうジャンルの本を読もうとかっていうのは結構考えたり、あとは仕事とかでもね、今はそんなないけど、やっぱ前職前だと結構、なんだろうな、それこそ役職上げたいとか、こういう施策やりたいとか、結構そういうことをやっぱ考えてたね。
あー、そうなんだね。
うん。
えー、なんか、そうそう、まあ、このソレテツラジョー的な話で言うと、この前のニンチェやった時に、やっぱそういう目標を持つっていうものの危うさっていう話もしてもらったから、
なんか自分が立てた目標が達成できないとか、それに縛られてこう、ルサンチマントにヒリズムに陥ってしまうのではないかと思って、抱負ってむしろ立てない方がいいんじゃないかって、
はい。
ぐらいちょっとね、思わされた感じもあるんだけど。
あー、なるほどね。
そうそう、まあ、確か今の話すごく面白くて、なんか目標がやっぱりこう、他を基準にしている?
さっきも言ったみたいに、例えば、昇給するとか、例えば給料こんだけにするみたいな話にしちゃうと、
いや、それを達成できた、できなかったとか、それが誰かによってコンプールされたみたいになって、結局、なんか達成できなかったのはあいつのせいだとか、
もしかしたら、なんか昇給できなかった、俺はもうダメなんだみたいな、そういう風になっちゃうと、確かに良くないなって思うんだよね。
うんうんうん。
まあ、逆に自分基準で昇給するためにこういうことにチャレンジしたとか、こういうジャンルを学ぶために、例えばこういう風なことを調べて、実際にこういう知識が身についたみたいな、
自分にちゃんとこう、変えてくるというか、自分完結できるものは、全然立てていいんじゃないかなと思っていて。
なるほど、そっかそっか、そこはさっき言った通り外部にあるものを持ってくるとか、目標にね、自分でコントロールできないものを持ってきちゃったりとかすると危ないし、
あとは自分で思っているつもりだったとしても思わされちゃってるものだよね。
そうね。
一般常識だったりとか、トレンドみたいなものを自分が考えたと思っちゃってそれを設定しちゃうと、できなかった時の狂いさっていうものがちょっと厳しいかもねみたいな話ってことかな。
そうそうそうそう。だから最近でちょっとまさにタイムリーな話で、例えば友達がさ、そろそろ今僕32なんだけど、そろそろもう結婚しようかなみたいな。
結婚しないとちょっとやばい気がするんだよねみたいな話をした時に、そのヤバさって外からくるもの、中からくるものみたいなことを聞き返すのね。
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はい。
どうなのみたいな。
どう返されるのそれ、相手のリアクションは。
あー確かにねーみたいな。なんで結婚したきゃってこんな思ってるんだろうねーみたいな。
はいはいはい。
ってなると、本当に結婚したいって自分が思うなら別にしたらいいと思うけど、外から言われてとか、なんとなくヤバいって思ってる中でしたら、それこそヤバくね?みたいな話を。
そうねー。その後の家庭生活はちょっと人事ながら心配になっちゃうよね。
そうそうそうそう。手段になっちゃうと良くないってよく言われますけれども。
まさにそれの目標としてちょっとずれちゃうとか、良くない。良くないとは言わないけど、やっぱりちゃんとセットしつつ、自分が本当にしたいからやるんだって風にセットできた方がいいよねって思うよね。
なるほどなるほど。はいはい。そういうところを気をつけながらというか、踏まえて目標立ててるんだよみたいな話だね。
そうだねそうだね。
そういうと今年はなんかあるの?
今年はこれも豊富っていうかテーマなんですけど、言葉みたいなものをもう一回、もう一回というかちゃんと扱いたいなと思っていて、僕らも言葉っていうものを使ってもちろんこうやってポッドキャストをやってるし、会話もしているじゃない。
そうね。
やっぱり哲学自体は言葉で行われるものだと思うんですけど、そもそもじゃあ言葉っていうのは何でとか、それまでの言語学っぽくなってくるけど、言葉っていうのはどういう機能とか仕組みを持っていて、どういうようなツールなんだっていうことを分からないと言葉を正しく扱うって難しいなってすごい最近思うのね。
そうなんだ。
例えばさ、やっぱりその仏教の話とか禅の話でもそうだけど、やっぱ自分の思っていることをどうしたら本当に伝えられるんだろうね、言葉もそうだし。
はいはいはい。
言葉プラス意味みたいなこととか、自分の考えだよね。
あとはさ、やっぱり話すことでさ、自分の考えが整理されるとかまとまるみたいなこともあるじゃない、普通にこう話してても。
そうだね、めちゃくちゃそれはあると思う。
そうそう。だった時に思っていると、自分の考えを研ぎ澄ますための言葉の使い方ってどういうものがあるんだとか。
うんうん、なるほど。
っていうことをやっぱり結構考えていて、考えたいなと思って、最近はまさに言語学の本とかを結構読んでるんだよね。
へーそうなんだ、それはなんか、実生活、もちろんソレテストラジオで自分がまとめたものというか、を外にアウトプットしてもらうって意味で言葉はいろいろ使ってると思うんだけど、
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それだけじゃなくて、実生活でも感じる部分ってあったりしたからみたいな感じなの。
あーそうだね。
言葉ちゃんとやんなきゃみたいな。
あんまりラジオで仕事の話とかしないけれども、僕は今いわゆるキャリアデザイナーっていう仕事をしていて、
そういうことを転職をしたいとか、キャリアについて悩んでるっていう人とお話しさせていただくとか支援するっていうのが仕事なんですよ。
本当はね。
本当はって言うと。
そうすると、やっぱり日々お話しさせていただいている中で、相手の言葉っていうのがどういうところから出てきているんだろうとか、
自分がどういう風な言葉を使っているから相手に何が起きているんだろうとかっていうのを、やっぱり結構ね、すごく考えるよね、日々日々。
それはちょっとね、カウンセリング的というか、キャリアカウンセリングみたいに言われることもあるんだけど、
はいはいはい。
そう。だからやっぱり自分が相手にはさ、特にZoomとかでオンラインで話しているから、
なかなか身ぶり手ぶりも伝えづらくって、本当に言葉でやっぱりどう伝えるかみたいなことが重要なお仕事だなっていうのも思っているんですよね。
なるほどね。そうか、言葉の割合がだいぶ余っちゃうんだね。
余っちゃうね。
人と何かをやりとりする時にね。
そうそうそう。やっぱり結構ね、深いところとか、さっきのね、結婚の話だけど、転職したいんですな時に、それで本当に転職したいとかすることで解決するんですかっていうことも投げかけなきゃいけない。
うんうん。
やっぱりそうした時に、この人転職したいって言って相談を持っているのに、なんか否定されたって思われたらよくないじゃない。
はいはい、そうね、そっかそっか、別にあれなの、どんどん転職させて、はいはいってどんどんマッチングして、はい半年分くださいみたいな、はい一応はい、みたいな感じじゃないの。
キャリアデザイナーってそんなんじゃないの。
そうじゃない、そういうイメージあるかもしれないんですけど、我々、我々は、どういう賛成者っていうか知らないんだけど、一応ね、僕が所属している未来婦っていう会社があるんですけど、そこはやっぱり個人に100%向き合おうっていうのを掲げていて、
転職がゴールじゃない、やっぱり働く生きるをハッピーにっていう素敵な言葉を掲げているのがビジョンとして、僕はそれが好きで入ったところもあるんだけど、働くと生きるって分けれないし、
だから転職をすることで仕事だけじゃなくて生活も本当にハッピーになりますかっていうのをやっぱり思ってやり取りしているつもりなのね。
じゃあやっぱりさっきの結婚の話と同じで、私転職したいんですけどとか、ちょっとこうもっといい条件ないですかみたいな話があった時に、そもそもね、みたいな話をしがちなんだね。
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そうだね、それができるからその会社というかね仕事をするっていうのもあるんだけど、転職はいどうぞどうぞとか無理やりさせるとかで本当に幸せになるんでしたっけ、あなたはとか、僕らは。
スタートアップの幹部の仕事ありますよみたいな、2000万どうですかみたいな。
2000万っすよみたいな。
やりたい人はやったらいいけど、例えばそういう仕事につないで、例えばお給料いっぱいもらえましたっていう幹部の林と幸せになるのかっていう話なんですよ。
なれないんだよね、それでは。
それはあれだね、仕事をする、紹介をする方だよね、転職をマッチングというか、する方の話としても、林があるんだなと。
そうしてもやっぱり明らかに違うとか、無理してるっていう風に転職させるのは僕自身が幸せにならないし、相手も幸せにならないし。
だからでもそういうのをちゃんと気づくとか、だから自分はあたり向かい対してこういう風に関わってるんですってことを伝えるのもやっぱり言葉だし、っていう意味で言葉って大事だなって思った。
あと一個ちょっと面白い話があって、冒頭で短歌をちょっと紹介したじゃないですか、僕今年ちょっと短歌の回に入って、短歌を読もうと思ってるんですよ。
今年の抱負だね、それはまさに。
入ったのよ、実は。
もう入ったの?
入ったの。
早いね。
12月に入ったのよ。
何があったかってちょっと面白いから話すんだけど、僕今京都に住んでるじゃないですか、ちょっと前にタクシーに乗ったのよ。
で、僕タクシーに乗ったらタクシー運転手と話すっていうのを結構楽しみにしてるんだけど。
もう決めてるんだね。
決めてる。
早く話すっていうのを決めてて、タクシー運転手と雑談する。普段は雑談とかしないし、人とあんま関わりたくない人なんだけど、タクシー運転手だけは雑談すると。
で、いろいろ話してたら。
「だけは」ってのもおかしいけどな。
おかしいかな。
どんなスタンスで、うん、おかしいよ。まあいいよ、そこは一旦置いといて。
タクシー運転手さんとだけは雑談を楽しもうとしている、早いとの話ね。そっちの方が面白いけど。
まあいい内容は置いといて。
面白いならまた深掘りいっちゃいけようと思うんですけど。
知った時に、運転手さんがめちゃくちゃ気さくな人で、個人タクシーだったんだけど、なんか今日超ホクホクしたの。
一日遠いところに行ってて、帰ってきたから、3日分ぐらいの収益を得たと。
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だから今日俺はハッピーで、なんか全然働かなくてもいいんだけど、ハッピーだからお客さん乗せたるぜぐらいのテンションだった。
「ありがとうございます」みたいな感じで話した時に、「じゃあお客さん地元どこですか?」みたいに言われて、
「岩手です」みたいな遠いところから出てみたいな話をしてたら、「アリバテはちょっとないな」って言われて、
「何がですか?」って聞いたら、なんかその人がすごく万葉集が好きで、
近くの例えば、シガとかミエとかから来た人には、その地域に関連した万葉集の歌を読んであげるっていうのを得意としてるタクシーがいる。
で、例えばこんなのがあってとかって言って、サラサラサラって読んで、「あ、すごいですね」みたいな。
「お客さんスマホあったら調べてみてよ。俺が言ってること本当だから」みたいな感じで、
70結構近いぐらいの方なんだけど、で、いろんな万葉集を読んでいただいて、
「あ、面白いですね」みたいな。で、話をしてたら、家の近くに着いたあたりで、
「この辺で降ろしてください」って言ったら、
「お客さんすごい良いリアクションをしてくれたけど、なんかタンカーとか興味あるの?」って言われて、
「実は意外と好きで、もっともっと知りたいと思ってたんです」って言ってたら、
実は7人ぐらいのすごい小規模なんだけど、タンカーを読む会をやってて、
「良かったら入らないか?」って言われたのね。
そう、タクシー運転手に。
そう、で、ちょっと今すぐは決めたいけど、ちょっと怖いじゃん、なんかさ。
まあそうね、変なセミナーって勧誘そう。
嫌だしと思ったんだけど、一応LINEだけ交換して、
で、タクシーの運転手だから「ほら、僕のLINEだから、また良かったら連絡するよ」って言われて交換して、
そしたら30分ぐらいに、さっきの運転手です、こんな会でやってて、
こんな時に結構12ヶ月に1回、タンカーを持ち合うだけで、本当気軽な会だから良かったら参加してよ、みたいな。
来て、ちなみに年会費とかどうなんすかって聞いたら、
「ごめん、年会費あるよ、5000円」って言われて、5000円なら最悪いけると思って。
そうなのね、全然ソンギーできるね。
そうそう、ソンギーできる。月5000円ってやったら無理だけど、年5000円はいけるから。
本当にじゃあ趣味の会なんだ。
趣味の会、本当に趣味の会。
会っぽい、今んとこ。
今んとこね。
本当に京都の、お年寄りとして、60~70代くらいがお年寄りって言ったら失礼だな、それくらいの方が多いらしいんだけど、
本当に若い方が入ってくれると嬉しいからっていうので、そう、勧誘してくださって。
24:01
なるほどね、でもハヤトって昔、小学校の時のあだ名おじいちゃんとかじゃなかったっけ?
言われてったよね、割とね。
なんか通じるものがあったのかな?
なんかね、やっぱり精神世界というか、ちょっと落ち着きたいって感じがあるかもしれないけど、
面白いのよ、単価とか読むと、僕はまだ全然読んだこともないからあれだけど、
読もうと思うと、やっぱりその瞬間瞬間に「これ単価に読めるか?」みたいな、ツイートしようと一緒だよね。
はいはい、そういうスイッチが入るというか、そういうアンテナが立つんだ。
そうそうそう。
だからこの瞬間、例えば子供がなんかした瞬間に「これ単価に読むとしたらこうなるかな?」とか、
その人とかは入院した時に、自分のそういう気持ちとか、されて嬉しかったとか悲しかったこととかを「単価にする」っていうのをやってらっしゃったらしいんだけど。
はいはい、面白いね。いいよね、でもそういう偶然を、ちょっと怪しいながらも入っていってみるみたいなね。
そうそうそう。
しかしその偶然を引き寄せたのも、やっぱりそういう雑談みたいな話だもんね。面白いね。
そうだね。
やっぱりまさに言葉をテーマにしとって、ぼんやり思ってたんだけれども、そういう哲学の話もそうだし、仕事の話もそうだし、
そういう単価みたいな趣味の話も含めて、やっぱりそういうのが共通しているテーマだから、これはもうやるしかないと思って、言語学の本を大量に買い、今読んでるんだけど。
みたいな感じですね。
そこがあれだもんね。
テーマ、抱負。
もう一回抱負なんだっけ。
抱負としては言葉っていうのをちゃんと知るとか使えるようになるみたいな。
はいはいはい。そういう動機があるな。結構いろいろあったね。
そう、いろいろある。でもこんなにパッチリハマった経験者だから珍しいけど、生きるだろうなとか、使えるというか、今の自分に役立つだろうなっていうふうには思うよね。
なるほど、言葉ね。
どうなの?哲学的に言うと、言葉?今禅の話でやってるから、言葉なんて無じゃんみたいな話もある中で、言葉をどう扱うかとか、言葉をどう定義して、その言葉をどういうふうに捉えていきたいのか、それを生かすっていうとあるけどね。
認識して使っていくのかみたいな、なんかあるの?到達点のイメージみたいなものとか。
それでいくと、元々これは中学生くらいからあるんだけど、意味とか、物理的じゃないものに惹かれる自分がいるのね。
27:05
私は心とか、心理学とかやってた時もそうなんだけど。
ああ、そっか。心理学専門だもんね。
そうね、大学で学部レベルでやってたから。やっぱり原告の本とか出てくると面白いのが、例えば「ハヤトが京介を殴った」みたいな言葉があった時に、それは事実情報として殴ってるんだよね。
それに意味として、例えば何か兄貴が僕の大事なものを壊しちゃって、カットになって殴ったのか、ただ僕がむしゃくしゃにして殴ったのかによって、やっぱり受け取り方とか感じ方とかって全然違うじゃない?
そうだね。あとは今、なんでそういう物騒な例えをしたのかっていうのもちょっと気になるところではあるけど。その真偽とは。真相真偽なんなんだろうけど。
読んでた方にそういう例が出てたのは、「ジョンはメアリーを殴った」みたいな。
なるほどね。
いきなりジョンとか言ってもあれだから。
兄弟の例えだったら、「チョコをあげた」とか「大福餅を京都から美味しい大福を送ってあげた」とかでいいじゃんって。殴った。殴られるようなことをしたっていうかな。
信念から。
ないない。別に真相真偽で兄貴のことを殴りたいと思ってたりとか全然ないですけど。例えばそうなった時に、やっぱり言葉っていうもので表現できる意味と、やっぱり人が感じ取る意味とかっていうのは差がある。
それがいわゆる素朴だというか形式な言語学とその意味、認知言語学っていうのかな。そういう人間の意味とかその社会性とかっていうのも加味した言語学っていうのは違うらしいんだけど。
はー、そうなんだね。純粋に言葉とは何かと、社会的な言葉の意味とは、またなんかあるってことか。
意味空間とか人間の理解とかも含めてやっぱりものっていうのはちょっと違う、また専門があるらしくて。やっぱりどっちかっていうと校舎の意味とかそっちに僕は興味があるんだけど。
だからこそ、やっぱりその、まあ多分そういった言葉とか言語っていうのをやっていくと、またやっぱり日本語なんだけど。
言葉の意味ではね、さっき言った通り、僕は元々は言葉をそのまま受け取ってくれって思うタイプなんだよ。
僕は今、例えば幸せですって言ったら、幸せって思ってほしいんだけど、例えば目が笑ってないとか、感情が乗ってないから、そんなこと言いながらカンノ君実はあんま楽しくないよねとか、本当に幸せって思ってるって言われがちなタイプなのよ。
なるほど、なるほど。前もだいたいでもあったね、なんかね。
30:02
ネットで言ったと思うんだけど。だからもう幸せって言ってるんだから、幸せって思ってよって感じちゃうんだけど、僕自身は。
でもそういう認知言語学とかって思うと、確かに言葉で言ったもの以上にその文脈とか背景とか、なぜっていうところに人は意識が向くから、そこも含めて伝えないと言葉とか意味って伝わんないなっていう感覚は最近やっとわかってきたよね。
笑えばいいじゃん。
ああ、言えばいいじゃんとか言うけどさ、わからないのよね。だからしみじみと幸せとかあるわけよ。
そういうこと。そしたらしみじみすればいいじゃない。
でもそういうことじゃないってことだね。
それはやっぱり難しい。難しいっていうか、自然にやっぱりできないのよ。
それはそれで同じだもんね。笑ったからといってっていう同じ問題が生じるもんね。
そうね、結局ね。ずっと笑ってる人も怖いとかっていうのもあるじゃないですか。そんな感じで言葉とやっぱり物を伝えとか伝達するっていうことの広がりとかもあるし、
やっぱり本当に言うと意味みたいなものを追求したいっていうのが結構あって、意味とは何かみたいな。意味ってさっき言った通り一通りでは定義できないよね。
例えばさっき大福って言ったけど、その大福の意味もたまたま近所で買ってきた大福なのか、京都の有名な双葉さんっていう大福屋さんがあるんだけど、そこで兄貴のために2時間並んで買った大福なのか、
あれはお仏壇にあげてたおじいちゃんにあげようと思ってた大福なのかとか、やっぱり全然違う意味を持つじゃない。
(岡田)はいはい、まあそうだね。それだけだと確かに足りない。 (山本)そうそう。だから大福って言っても、やっぱりいろんな意味を持つよねとか、
じゃあその時の意味って何とか、なんでそんなに広がるのとか、意味を支えているものって何なんだみたいなものを、前ちょっとお伝えした、山口卓龍さん。
山口卓龍さんっていう、レンマとかロゴスで話をした人が、意味の啓示条約っていう本を書いていて、
それこそ意味とは何かっていうのをまさに探究した本があるんだけど、一回読んで、なんかすごい本だと思ったんだけど、内容95%忘れちゃってるから、
もう一回ちゃんと読まなきゃなとか思ってて、みたいなところで、言葉をやっぱり追求していく先に意味を追求していきたいっていうのがあったりとか、
あともうちょっと広がって言うと、なんかこいつほんとそんなこと考えてるの気持ち悪いって思えるかもしれないんだけど、
33:03
アインシャインがさ、E=MC2乗で、いわゆる物理的な質量とエネルギーが10日だってことを示したじゃない。
そうなんですね。
そうなんですよ。質量はエネルギーに変換できるっていうのを言ったのが、E=MC2乗っていう有名な方式があるんですけど、
そういうTシャツ見たことある。
めっちゃウサイよね。熱力学の世界で言うと、エネルギーと情報っていうのはもう変換できるっていうのがあるのね。
だから質量とエネルギーは変換できるし、エネルギーと情報も変換できるっていうと、情報を物理量として扱えないんだけど、
でもそういうふうに捉えようという学問もあるのよ。
へー、そうなんだ。
それによると何がいいかっていうと、まさに今インターネットの世界なんて情報の世界じゃん。
情報をどう扱うかっていうのは、インターネットの世界をどう良くしていくかとか、情報の物理演算をどうやったらよりスピーディーにできるかっていうところに応用されたりするんだけど、
はー、はいはいはい。
そういう熱量力学と情報みたいなものが合わさったときに、情報と意味っていうのも近いじゃん。
要は意味があるっていうことと、例えばその情報には意味があるとかって、要は情報の価値みたいな話と肝づいていけて、それは情報量じゃなくて質の話なんだよね。
うん、なるほどね。
みたいなとこでいくと、僕が言った意味みたいなものと情報っていうものと、エネルギーみたいなものと物理的なものっていうのが交わるところがあるんじゃないかみたいなことを思ってて。
うーん、ちょっとよくわからないけど、それもそうだね。
ちょっとよくわからないと思うんですけど、意味ってちょっとぼんやりしてるじゃないですか。さっきの台服みたいな感じで、一つには定義できない。
はいはいはい。
でもそれをやっぱり物理的には扱えないかもしれないけど、何かそれをカッチッとちゃんと扱えることができるとしたら、もっと人間にとって意味っていうものが身近になったりとか、正しく扱えるようになる。
うん、なるほどね。
ああ、そっか。わかる気がする。うんと、そうだね。台服って自分がいたときの裏には、それぞれ、例えば自分が台服って言ったときと、ハヤトが台服って言ったときの台服って違うものなんだけれども、それをもうちょっとこう、いろんな人が見たときに、それぞれの台服っていうものがちゃんと理解させられるというか、台服の質量っていうものを表現する手段だったりとかがあるはずだよねっていうことだよね。
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そう、そうそう。
ちょっとこう、共通認識として。
そうだね。
さっきのハヤトが幸せっていう言葉を使ったときに、相手にもちゃんと伝わる可能性っていうものが本当はあるはずだみたいな、そういう希望に近いのかな、さっきの幸せ。
でもそうだね。やっぱりこう、人と人って分かり合えないよねみたいな感じじゃない?どうしても本当には伝わらないし、やっぱりそれをちゃんと伝えられることができたとしたら、僕は仕事においても、ちゃんと相手のキャリアとか、現職っていう悩みにもっと深く向き合えるかもしれないし、より良い単価が読めるかもしれないし、
人と触れるときにも、より観音さんと話してよかったとかさ、そういうふうに思ってもらえるようになるかもしれないじゃない?
はいはい。
うん。それはやっぱりすごく僕にとっては大事なことだし、実はそれはニーチェ的な世界観ともリンクしてて、
まさにさっき兄貴が言ってくれた通り、例えば大福っていうに対してみんなそれぞれいろんなことを思うよねと。
まさにそれはニーチェが言うところの価値基準とか、自分の主観に立ち上がる世界みたいな話と結構近くて、
例えば大福を、例えば5歳の子供が見て美味しそうって思うのと、
例えば僕らが見て美味しそうだけど太りそうだなとか、食べていいかな、今日食べ過ぎだしなって思うのと、
大福職人のね、例えば大福一筋三十代みたいな人が見たときの、この皮はこれでとか、あんこはこうでみたいなのってやっぱり全然違うじゃない?
捉え方とか世界とか意味が。
うんうんうん、なるほどね。しかもそれが許されてる世界ってことだもんね、そのニーチェ以降っていう。
そうそうそう。
はいはいはい。
もしかしたら人間じゃなくってアリが見たら、別に大福とはわかんないけど、やったごちそうだって思って帰るかもしれないしとか、
そういう世界ってやっぱりそういう多重なもの?多層なもので、ただ大福っていう物理的なものがある世界っていう、それは物理的な世界で、
やっぱ僕らが生きてる世界はその一本大福に対していろんな人がいろんなことを思える世界だから、そっちを探求するって意味で、意味を探求するとか言葉を探求するみたいなことを考えてるっていう感じなんですよね。
なるほどね、確かにそこ、そっか、そういう学問っていうか認知言語学っていうのが近いかなって感じなんだ。
そうね、言葉からアプローチするならそうだね。
はいはいはい、なるほど、そうだよね。でもそれはぜひ小さい時から教えてほしいよねとは思うよね。
39:03
わんわんかい。
でも難しいよね。それに対する正解みたいなものを定義しちゃうと、それもまた難しいけどね。
言葉、いわゆる正しい言葉遣いって存在するのかみたいな話でね。正しい言葉のイデアはあるのかっていう意味で。
そうだね。
それはちょっとただのモラルとか道徳に近い話になっちゃうからね。そこを学術的にちゃんとフラットに捉えていくっていう試みというかね、まあ絶対あるんだろうけど、なんかすごい興味深い。
そうだね。やっぱりあまりにも複雑だから、学術的に全部がパシッとはまるみたいな感じではまだまだないみたいですけど、逆に言うとそれがわかることで、だからやっぱりAI、人工知能とかってこんなに難しいんだねとか、
やっぱり人が物事を処理するっていうのはこんだけ複雑なことをやっているから、あんまり安直に決めつけない方がいいよねとか、そういうのもわかるし。
うん。あとはね、言葉の正しい使い方よりは、やっぱりこう、実生活においてはお互いにちゃんと理解し合うとか、議論を止めないみたいなことがやっぱり大事だから、
哲学でもね、前も言ったけど、共通のテーブルでちゃんとお互いに理解し合うとか、意見をね、ちゃんと渡し合うみたいな。
まあそうね、さっきみたいに理想みたいなのを追求し始めるときにはないし、あまりに学問的というかね、ちょっと実生活から離れていってしまう感覚はあるけれども、
確かにね。 今の話を言うとそうだよね。例えば大福だとか幸せとか、なんか言葉を交わしたときに、その言葉の裏にきっと相手の世界が何かあるんだろうなっていうことを想像しておくだけ。
それだけでも違うよね、多分ね。なんか言われたときにちょっとネガティブな「え、大福?」って思ったときに、そのときに「え?」って思った感情を一旦止めて、
相手はその大福というものをどう捉えてこっちに提示したんだろうっていう、ワンクッションあるだけでその、議論とか対話っていうものの可能性っていうのができるもんね。
それがないと「大福買えよ!」みたいな「あっち行けよ!」みたいなことになりかねないもんね。 そうなんだよね。「どれ食べたかったの?」みたいになったらさ、もう無理じゃん。
面白いよね、確かに。そっか。なんか正しい言葉遣いっていう意味で言うと、結構その「思います」っていう言葉と「思いました」っていう言葉の使い分けっていうのが、
結構個人的に面白いなと思っていて、っていうのが、自分はそこの使い分けを全然してなくて怒られたこともあったんだけど、
例えば仕事とかで言うと、なんとなく自分でこういうのを考えて、普段「じゃあ自分はAがいいと思います」みたいな話をしたときに、
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例えば上司とかが「それはいいね」みたいな話をして、「でもここをこうしてこうしてこうして、こうしたらもっと良くなるから、こんな感じで変えて、そういう感じでいきましょう」みたいな話があったりしたときに、
「あっ、それいいと思います」みたいな話をしたときに、「思いますってどういう意味だ?」みたいなことがあった。 なるほどね。
わかる?なんとなく言わんとしたこと。 言ってながら言わんとしたことはわかる。
どんな感じ? なんかなんだろうな、ちょっと正しいかわからないけれども、いわゆる兄貴が考えたこと、自分の中で作ってきたことと、
上司なり相手の人が受け取ってできたことがあったときに、要は共同の創作物だったわけだよね、そのアイデア自体が。 兄貴がそこで「思います」って言っちゃうと、兄貴が一人で作ったものみたいになっちゃう。
そういう相手の影響っていうのを本当に感じているのか、みたいな、そういう風に受け取れなくもないなって思った。 そうそう、まさにそれなんだよ。自分の中になかったものが加えられて、新しいものはその時に生まれたのに、
「ああ、そう思います」って言うと、全部自分の手柄にしちゃってるんだよね。そこに対して、最初言われた時に完全に「?」だったんだよね。
「え、どういうこと?」みたいな。自分としてはめちゃくちゃいい案だと思って、「それいいと思います、じゃあそれでいきますね」みたいな話をしているのに、
「何か思いますってどういうことだ」ってちょっと怒られている。「え、どういうこと?」みたいな思ったんだけれども、そういうことを繰り返すうちに、そういう時は「思いました」とか、
そういう言葉を使わないと相手に対して「一緒に作ったんだぞ」っていうことを「こっちが分かってますよ」そこに対するリスペクトと感謝の気持ちがありますよっていうことを伝えていることにはならないんだというか、
逆にそこは「分かってないんだ」ってことを「思います」って言っちゃうと、分かってないことを証明する。
という意味で正しい言葉使いを考えるきっかけというか、全くそういうのなかったから、「ああ、確かにな」っていう。
逆に言うと、「思います」っていう言葉を何も考えずに使っている時点で、自分が考えたものと人が考えたものっていうものを、前回で言うと「不二」。
はいはいはい。まあ、「不二」っていうか、分離できていないっていうね。
分離できていない。あえて「分離してない」じゃなくてね。これはすごいよ。生まれながらの「不二」っていうね。
45:06
はいはいはい。
そう、自分の手柄と相手の手柄だったりとか、自分が考えたことと相手が考えたことの境界線が全くないっていうやばい状態ですと。
ということを上司は伝えてくれてたんだけど、その状態で「思います」って何だって言われても、こっちはもう完全に「?」なわけなんだよね。
ただパニックに来る。「え、何言われてるの?」みたいな。そういうのが結構いろいろあって、そこそこ全問答みたいな話に近いのかもしれないけど。
その境界線の中で、やっぱりそういう自分が考えたものと考えてないもの、あと自分の中にあった情報となかった情報みたいなものを区別して、
「思いました」。例えば相手が伝えてくれたものに対して「あ、ですよね」っていう場合は自分はちゃんとそれも知っていたってことになるし、
「あ、そうなんですね。そう思いました」っていうのは、その情報は相手からもらったもので、それを加味して自分でこう考えたらこうですっていうことを伝えると思いました。
「思わされました。ありがとうございます」みたいなのが使い分けっていうものの違い。
結構ね、だから自分はそれが存在しなかったから、すごい難しい話だなって思うんだよ。だから正しい言葉使いとか、正しい間違いはないんだけれども、
自分の中にある感覚っていうものを、きちんと相手に伝えるっていうことがあったときに、「思います」、「思いました」の、スッと下の違いだけで、ディスコミュニケーションが下手すると。
さっきの例で言うと片方が上司側がそこを分かっているから、突っ込んでくれたからなんだけれども、お互いそれを分かんない状態で、
「分かんないもの同士で思います」、「思いました」みたいな、「ですよね」とか、「だよね」、「それいいね」みたいな話をしている状態のヤバさみたいなものも一方で、
あるよねって思うし、そういう意味でも言葉使いって大事だなとか、言葉って大事だなっていうのが実体験としてあって、そこは面白いなと思う。
なんかそういう経験ある? はいとは、もともとむしろ、そこに対してはずっと上司側の立場だったのかな?
まあ割と言葉は大事にしていたから、言語感覚みたいなものは気にはしているつもり。
だからやっぱり相手がどう、ちゃんと気にしちゃったのは最近かな。それも含めて面倒くさいからやってなかったんだけど、
考えすぎると本当に何も言えなくなっちゃうみたいなのが逆にあったから。 普通に友達と会話してるときにそういうツッコミすると、それこそ会話成り立たないもんね。
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いや、そうそうそう。「え、その相手今どこの観点から言った?」とか言われたら嫌じゃん。 怖いね、確かに。
そうそう、泣いちゃったのもないから。 先ほどの例で言うと、思います思いましたならまだしも、会話の中で「はい」とか「そうですね」とか、そこでも言われたもんね。
「そのはいってどういう意味だ?」みたいな。 「はいってどういうこと?」って。「はい」とはないの?
その上司の人は言葉の奥にある兄貴のメンタルスペースみたいなのがあるらしいんだけど、そこが何となく感じられていて、そこが本当に変わってるのかとか、そこが動いてるのかっていうのを見てたんだろうけど、
本当に変わってるんだったら「はい」って言葉出てこないだろうみたいなところのレベル感で会話してるんだよね。
そうそう、それはない方からすると怖いんだけど、でも確かにそういうのがあるんだろうなって思い始めると、そうすると言葉使いだったり、会話した時の言葉の無意味さだよね。
相手の人がどういう意図でこの言葉を使ってるんだろうとか、こういう人が分かっているのか分かっていないのかということも、何となくこっちの想像でしながら、逆にそれを確認しながら会話を進めていくっていう話になってくるんだろうなとかね。
そういうのもないところから、そういう怖い思いをしながらね。
今のハヤトの話を聞いて、多分それが元々感覚がある人とない人の違いだったりとか、言葉っていうものが二段階、多分ハヤトにとっては当たり前だと思うんだけど、
言葉って二段階に分かれてるんだっていうのを本当に知らなくて。
あー、なるほどね。
まずはその感覚だよね。自分の中にあるイメージとか感覚。さっきのこういう情報は持ってるとか、ここまでは自分で考えたとか、ここまでは考えてなかったみたいな、そういう自分の中の世界観があって、
まず第一ステップ。次のステップとしてそれを漂流するための言葉だったりとか、さっきの表情みたいなものが色々あると思うんだけど、
その二つに分かれてない、分かってなかったんだよね。
確かにね。
普通に言うとそんなに気にすることもないし、そもそもそこが分かれる必要がないことが多いから、
ただこういうふうに物事をちゃんと考えようとか、僕の場合は哲学だったり、上司の方だったら多分仕事だったんだと思うけど、
51:00
やっぱりある種自分の限界とか自分の思考の枠を超えて物事を考えようと思った時には必要になってくるよね。
はいはい。ほぼそう。だから今日ね、そう言葉、抱負がね、今年の抱負が言葉だみたいな話を聞いた時に、
どの部分の言葉なんだろうなっていうのが最初思ったっていうところだったんだけど、
今日の話を聞くと、そこを分けた上での、さらにイメージというか、自分の世界観の部分にどうアプローチするかだったりとかね、
それをどう自分も含めて、他人も含めて引っ張り出してやるかみたいな、捉えるかみたいなね、
さらにそれを表現するためのテクニックというかね、するための言葉の使い方みたいなとこを捉えてるんだなっていうね、
さすがですね。
はいはい、ありがとうございます。
さすがっすね。
そうね、でもやっぱりね、本当に僕らも半年、半年ちょっとか、こうやってラジオやらせていただいて、
言葉をこうやって届けてきたわけだけど、やっぱり哲学者の言葉とか考えてて、面白いじゃない。
そうだね、意味のない言葉なんてないんだなっていうのをね、改めて感じさせてもらってるし。
これからね、ある種これまでやってきた方々はさ、いわゆる王道というか、よくもあるかも分かりやすいからこそ伝わっていったみたいな人たちもやっぱりいて、
逆にやっぱりこれから扱うとする人たちって、現代に近づけば近づくほど伝え方がやっぱり難しくなったりとか、
過去に戻った時にも、ちょっと何て言うか分かりづらいけど、やっぱり面白いみたいなものがあった時に、やっぱりそれを伝える、
僕とか兄貴の力というかさ、伝え方も絶対反映されるなと思うのよ。
なるほどなるほど。
そういう意味でも、やっぱりこいつがパーソナリティとして頑張ろうと思った時に、やっぱり自分がさ、伝え方がつまらなくってその人がつまらんって思われたら申し訳ないわけじゃん。
おー、なんかいいね。
いいね。
そうそう、やっぱり好きだからさ、実は。
そういう意味でも、やっぱり自分の伝え方とか、喋り方はなかなか上手くはならないけど、それでも聞きやすく喋るとかもあるだろうし、
そういうのも含めた、言葉っていうものをちょっと今年はね、ちゃんとテーマに扱いたいなっていうような感じですね。
なるほど、そっか今までそうだよね、哲学を勉強してきた趣味でというか、好きで勉強してきたということがあったとは思うんだけど、ここまで喋ってアウトプットするって多分今までなかったんだもんね。
54:00
ないない。
それは面白いね、やっぱりそういう自分の変化みたいなものもありそうだね、言葉っていうのはね。
やっぱりまずに、さっき言ってくれた1段階目2段階みたいな話、自分が理解するだけなら別にいいんだけど、
人に伝えようとかね、兄貴に分かってもらおうとかって思うと、やっぱりどうしたら伝わるかなとか、どういう言い方がいいんだろうかみたいな話ももちろん考えるから。
確かにこの兄貴分かってんのか分かってねえのかみたいなところをね、ちゃんと想像しなきゃいけないもんね。
適当な例え持ってきて煙撒こうとしてんじゃねえみたいなところを、ハヤトはちゃんと気をつけなきゃいけないから。
そうね。
例え持ってきてくれたらまだいいけどさ、兵みたいに言ったときにさ、兵はどんな兵だろうなみたいなやっぱりあるじゃん、例えば。
ここはもうちょっと分かんないはずなんだけどなみたいなね。
そう、そう、そう、黙られてるかなみたいな。
そこは確かに自分の感覚を取り進ませることで相手の言葉に対する認識ってまた深まってくるだろうしね、そこは。
なるほど。
そういった意味でもね、趣味と実況を兼ねてね、ちょっと今回今年は言葉っていうものによりちょっと深く取られていこうかなと思っておる次第ですと。
はいはい、いやー、なんかあれだね、新年一発からちょっとなんか言葉とは何かみたいな、ちょっとなんか今善よりもなんかね、厚苦しい話みたいになっちゃったな。
そうね、善だったら別にもうそんなものは良いんだよみたいになるけどさ、自分の生活とかね、こうやりたいことに絡めるとやっぱちょっと厚さも乗ってくるって、でも良いんじゃないですかね、そういうのも。
そうだね、原生をね、言うて生きてますからね、その中でどういうね、今年は生きていこうかなっていうね、話だからね。
そうね、なんか兄貴はあるの? 抱負とか、これをテーマにしようとか。
うーん、まあないかな。
まあね、なのであの、是非ね、皆さんも良かったら、あの今年ね、本当始まる1日目ですので、なんかテーマとか報告とかあるとね、やっぱりなんかね、日々の過ごし方変わるなってちょっと思うのやっぱり。
はいはいはい。
うん、なんかね、それこそね、タクシー運転手が単価の話しするときに自分も行こうって思われるとかもあるかも、まあそれはね、なかなかないでしょうけど。
なんか本があったときにちょっと読んでみようかなとか、なんかね、こう講演会があったときにね、聞いてみようかなとかって、やっぱりちょっとね、こうアンテナとかスイッチがやっぱり入りやすくなったりすると思うので。
はいはいはい。
そういうのが、もしこう役立ちそうっていう方がいれば、是非ちょっと報告とかテーマっていうものをね、なんかちょっと考えてみていただくのもいいんじゃないでしょうかと。
というようなね、今年、はい、2023年、第1回目のストレッチズラジオでございましたが。
57:06
はい。
雑談でございましたと。
はい。
そうはね、まあ、そうはね、日常相手だからそう日々リズムに行くわけじゃないと、ちゃんと報告を持つのはいいことだと。
そうそうそう。
意味があることですよと。
そう。
という話はね。
まあね、自分、ちゃんと自分基準の目標ならいいんだよと。
他人基準のやらされ感のある目標じゃなくて、自分でやりたいことならいいんですよという話ですね。
まあそれが難しいんだけどね。
まあそうはね、だからみんな苦労してるみたいだね。
そうそうそう。
見つかれば苦労しないという話だけどね。
まあでもそうだね、いいね。
まあなんかちょっと新年らしいというかね、ちょっと今年どう生きるのかみたいなちょっと。
そんな重くないか。
今年ね、どう楽しんでやろうかっていうね。
うん。
これをちょっと考えるいい機会ではあるからね。
はい。
そういうなんかそこに絡めてというかね、そこに絡んだ話ができて面白かったかな、個人的に。
そうですね。
ちょっとあんたも次の雑談までにぜひ、なんかね、テーマとか方法を考えてみてもらえると。
うん、嫌だ。
嫌だの?
まあそうだね、うん、なんとなくね、考えてみるかな。
そういうとこが面白いね。別にそこはね、あんま深入りしないみたいな。
うん、まあ別にね、なんか話せと言われたら話せるけれど、嘘だから。
嘘だ、上辺の言葉だからね。
そうそう、自分の世界がないだけ言葉が先行するタイプだからさ。
はいはい。
そこはちょっと反省しようかな。そこを反省するっていう方向にしようかな。
自分の世界をちゃんと作る。
いいんじゃない?なんかそういうのをね、今年1年やってみるみたいな。
いいかも。
うん。
まあそうだね、そんな感じで、ちょっと新年からちょっとわさわさとやってましたけど。
はい、ちょっとだいぶね、しゃべってしまいましたが。
うん、次回以降また禅についてやっていきたいと思いますので。
まあ、こんな感じでね、ゆるゆるとなのかね。
はい。
わかんないけど。
そうね、それでつあるじはね、こんな感じでやっていければと。
まあ、早いともなんかパワーアップするっていう話してたんで。
そうですね。
うん、今年もまた1年やっていきたいと思いますね。
引き続き楽しんでもらえればと思いますので、よろしくお願いします。
はい、お願いします。では今年もぜひ聞いてください。
はい、楽しんでいただけたら嬉しいです。
はい。
では、この辺りもありがとうございました。
はい、今年もよろしくお願いします。
お願いします。
ご視聴ありがとうございました。