荘子編終了後の学びと興味
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、前回で荘子編終わりということで、今回は雑談回でゆっくりやっていきたいと思います。
はい。いや〜難しかったな〜。
難しかったです。
あれなの?その元々老子荘子を結構読んでたとかじゃなくて、結構今回やるにあたって勉強し直したというか、
そういう感じなの?
初めてしたっていう感じかな。
そうなんだ。
ちょっとその、何だろうな、掃除が面白いらしいよ〜っていう話をちょっと前に聞いて、興味を持ってはいたんだけど、これまでは読んでなかったんだよね、ほとんど。
そうなんだ。その中国思想みたいな話あったけれども、その辺はあまり深くというか、ちゃんとは触れてなかったんだ。
全然、全然触れてなかった。
正直興味も持ちにくかったんだよね。
そうなんだ。
そもそも西洋と東洋ってなったときに、僕は東洋イコール仏教っていう感覚が強くて、仏教はさ、遡っていくとゴータマシタルタに行ってインドに行くから、インド仏教までは自然に流れたんだけど、
中国の諸子百姓みたいな思想に結びつかなかったね、自分の中での繋がりが。
禅とか仏教とかそういうのからたどっていくと、インドに行っちゃうのか。
そうそうそうそう。
中国古代思想じゃなくてと、老僧思想とかじゃなくて。
多分禅はちゃんと紐解いていったら、今回みたいな老子とかはそうしに行くんだとは思うんだけど、そっちにあんまり行かなくって。
あんまり学ぶ、やっぱり現実世界への対応策みたいなイメージ象が強かったから、政治をどうするとか、文書はどうあるべきみたいなね。
道を極める人と極めたい人のギャップ
あ、そうなんだ。
これは僕のイメージだったんだけど。
でもやっぱり孔子とかはね、ひもとくともそういう通常の中でどう生きていくかとか、どういう風に通常を作っていくって、たぶん話が強いはずなんだよね。
人生訓的な。だからあんまり哲学的な関心を持ちにくかったというか。
なるほどなるほど。
論語とソロ版的な感じで、現実世界はどう生きるかみたいな、昨日はちょっと論語とか読んでたんだけど。
はいはいはい。どうだった?実際やってみてというか。なんかあった?
なんか、これ昨日ぐらいに初って思ったんだけど、今日ちょっと撮る前に見直してたんだけど、
分かった気になってるんだよね。有名とか無名っていう言葉をつけて、
で、有名っていうのは言葉映像だとかっていうのを前回の言語論でも言ったと思うんですけど、
分かった気になってる時点でダメなんじゃないかっていう思いがすごいしてて。
へー、そうなんだ。
要は、そういうふうに、そもそも区別していくとか言葉を分けていくっていうのは、
ロゴス的な、要は、自分の世の中を捉えるチェーンの中で、
ソウジとかロウジ、ロウジじゃない、ロウシを捉えちゃってるんだよね。
でもカエルは逆のことを言ってるじゃん。
あー、スタート地点が逆なんだよね。
これ、よくあるというか、このラジオの中でも話してるけど。
だから言葉で語れないものをどう語るかとか、しょうがなく言葉にしてる人と、
言葉からその無名とか未知とかっていうふうに辿り着こうとしてる、
やっぱ自分のギャップというか、違いっていうものをすごく感じちゃって。
あー、なるほど。そこは難しいよね。
だからといって座禅したらわかるのかとか、
山にとか森に暮らしてたらわかるのかっていうと、わからないとは思うんだけど。
それも同じ話だもんね。
そうそう。やっぱり、いわゆるポッドキャストとして、
そういう台本作ってもちろん語るんだけど、
その行為自体に本当に意味があるのかみたいな。
わりとそういうところを深夜に一人で考えてて。
なるほどね。そこまで結構虚無主義的な感覚になっちゃうね。
そうそう。
仏教とかだって、座禅の格好だって、
ゴータン押しちゃうから、
考えた時にとても自然な格好として、
自分のイメージを体現する手段として出てきた格好であって。
たまたまその格好で悟ったっていうね。
でしょ?それをすれば悟れるっていうのは、やっぱり今と同じで逆からのスタートじゃん。
職人的な修行とマニュアル化の違い
そうそう。
その難しさがあったことだよね。道を極めた人と極めたい人のギャップで、順番のね。
そう。でもやっぱり言葉から入らないとどうしてもわかんないし、
まず座禅にしても、ぐったら悟ったっていう形に少しでも近づこうっていう気持ちからね、
ポーズを取るっていうのもやっぱりあると思うんだけど。
前回ほら車大工も言ってたもんね。ちゃんと手と心を動かせと。
そうそうそうそう。
言葉は最後だみたいなね。それもまた神経ね。
で、やっぱあれ読んだ時に思ったのは、子供には別に教えられるでしょうと。
手取り足取りやって技を伝えることができるんじゃないって僕は思ったのね。
車大工が本当に教えたいなら。
はいはいはい。
でもなんかそういうことを言ってるんじゃないんだろうなっていうのも感じる部分があって。
割と結構僕はデジタルな人間っていうか、職人技とかって若干ちょっと疑ってみちゃう人なのよ。
なんかあったよね、某社長が3ヶ月で、職人は3ヶ月就任すればいいんじゃないかと。
10年もいらないと。
炎上するみたいなさ。
それはさすがに言い過ぎかなとは思うけど、やっぱりある種堅かするとか、その技っていうのは科学で再現して、それを伝える。
要は職人のパンで握ってるんだっていうのも、だいたいこういう気候条件においては、
なんだ、2分30秒やりみたいなことは、出そうとは多分出せなくはないんだろうなと思ったりしちゃうわけよね。
はいはいはい。
でもやっぱりそれでこぼれ落ちるものとか、なんだろうな、あるのだろうかみたいな。
僕は元々はかなりロジカルという、ロジカルって言わないんだな、何か作能的な人間だから。
マニュアルにできるんじゃないかね、そういう。
そうそうそう。楽しいとかなんだろうな、そっちのほうが豊かだみたいな感覚って、あんまりこう実は馴染んでない人間だったりはするんだけど。
あ、本当その職人気質的なね、そっちの世界のほうが馴染まないって話ね。
そう。やっぱり黙って3年やれとかってやっぱり絶対に僕はできてない人なのね。
はいはいはい。
まずは皿洗いからだみたいな。で、それを1年やって始めて、なんか寿司飯が握れるんだ、寿司飯の世界が例えばあったときに、
いや、絶対寿司飯早く握ったほうが早いじゃんみたいな。そう思っちゃうんだよね、多分。
うん。やっぱりそうじゃない世界とか、まさに道だよね、そうじゃない道っていうのがあるんだろうかみたいなね。
うんうんうんうんうん。
なんかあれだけはさ、結構音楽だったりとかさ、割とそういうこう、自分で身につける、なんだ、ものをやってたりするじゃん。
まあやってたというか、うんうんうんうん、趣味でね。
そう、なんかやっぱりそういう科学ってあるの?なんかなんだろうな、やっぱりこう、回り道こそが近道だじゃないか、やっぱり師匠にお世話ってなんかやるみたいな科学ってあるのかどうなんだろう。
うーん、回り道、その職人的なほうがある意味正しいというか、早く言ったらデジタル的な?マニュアルか標準化とは違う世界があるのではないかみたいなね、あるのかって話ね。
ああそうね、だからそっちになんか馴染むかどうかみたいな感じかな。
ああ、はいはいはい。
うーんとね、それで言うと、そこを、なんだろうな、逃げ、どっちがいいっていう逃げん論では全くなくて、結局その、なんだろうな、職人の世界で修理した人がそうなるかとか、
じゃあそのデジタル化、標準化された方からいった人が、いわゆるその道を極められないか、極められるのかみたいな、そこを、なんだろうな、逃げん論ではなくて、どっちかというと4証言というか、
えーと、職人かつ極められる、職人に行ったけどダメだった人、マニュアルだけどできた人、マニュアルでできなかった人っていう、たぶん4つに分けられる、
なるほどね。
もし分けるとしたらね。
うん。
で、個人的な感覚で言うとなんだけれども、それぞれのそのやっぱ良さと、限界みたいなさっき言ったこぼれ落ちるものがどちらにもあるんだよね。
はいはい。
で、それは何かっていうと、職人的な方で言うと、誰かについて、ぶん殴られながらでも、はいつもだってでもついていくという、ちょっと古いけどね、そういう感覚があったとすると、
そっちでは何かっていうと、そもそも道とは何かっていう、どっちかというと精神論というか、この技術は何のためにあるのかっていう、
はいはい。
自分が01、自分がその道を切り開いていくというか、先頭に行ってその道へ飛び込んでいくんだっていう、その覚悟っていうものは、職人の方で言った方が、もともとそれがなかった人がその感覚を得る可能性が高いと思うんだよね。
なるほどね、なるほどね。
だから精神論だろう、根性論だろうというのは本当にその通りで、技術とかはまず後からついてくるんだと。
はいはい。
車大工で言ったら、理想の馬車とは何か、そもそも馬車って何だっけ、何のためにあるんだっけって、やっぱりその時の最高の形の馬車とかってあるでしょ。
なるほどね。
それを成功に作れたら、さっきのと言うと最高の寿司が作れたら、寿司に極めたの、そもそも寿司って何だっけっていうか、カルフォルニアロールってダメなんだっけみたいなね。
はいはいはい。
やっぱりそこまで問えるっていうのがその道に準ずる覚悟というか、あるっていう状態だと思うんだけど、職人の道っていうのは結構もう、例えば大工さんとかも家を建てるとかって言うと同じ職人だと思うんだけど、
例えば中学校卒業して、いわゆる勉強はしてないと。で、中卒でそのままそっちの道に行きますっていう場合、例えば何となくね、家の例えば都合でもうそういう仕事せざるを得なかったという場合も現代あるかもしれない。
例えばね、そういった場合も適当に行くと、例えばもう不良が入りましたみたいなさ。で、もう文句言いながらもう国の打ち方もわからんと、やる気もねえと、もうなんならもうサボると。
そういう人が一生懸命やる中で、家とは何か、物を作るとは何かっていう心を多分得ていくという場面もあると思うんだよね。これが、じゃあその家を建てるとかプレカットで元々、ただあの組み立て、現場に持ってきて組み立てるだけで最高の気密も断熱最高の家ができますと。
で、それを接近することができますみたいな。それはそれですごく効率もいいし、なんなら職人が作ったものを凌駕するものもできる可能性はあるんだけれども、家とは何かっていう道そのものっていうものを、そっちの人がそこの気持ち、覚悟が入る可能性っていうのはだいぶ低くなる。
なるほどね。
職人修行とマニュアル化
だから元々その覚悟がある人にとっては修行はいらないかもしれないけども、だから元々超覚悟がある。死んでもいいっていう人は絶対にマニュアル化された方から行った方がいいと思うんだよね。修行意味ないかもしれない。
そういうことか、そういうことね。
ただそこは難しくて、自分がそう思ってるだけ、自分は覚悟があると思い込んでるだけの場合もあるから、そうすると自分のセルフイメージが高いだけでマニュアルの方が、俺はできるんだ、俺はできるんだってやると絶対こける。どっかで断熱するから、そういう場合はそこでちゃんとうまく断熱できたら、ちゃんと改めて先生、師匠をもう一回更新してくださいと。
うん。
なんかそういう感じがするかな。
なるほどね。
ちょっと長く厚く語っちゃったけど。
いや、面白いし、やっぱり今日はすごい思いがあるんだよなって感じたんだけど、弓の名人の話とかさ、道っていうのは身体的な問題みたいな話をしたときにマネキってそのあたりすごく言ってくれたと思って。
そうね、すごく好きだった。
やっぱりスタンスというか、まさにそうだよね、職人かわかんないけど、その道に通じるっていうのはただ上手くできるとか、立ちが綺麗だっただけじゃなくって、やっぱりその世界にまさに本当の意味で自分が入り込んでいるとか、世界と自分が一体化すると違うけど適切な関わり方を持っている。
ところも含めたことなんだろうと思ったときに、やっぱりロジカルだけとかデータだけではできないことがあるとか、そういう世界を大事にするっていう感覚は僕らにはあるよね。
うんうん、そうだね。だから全員がどっちかに慣れているわけでもないからね、そこは。それぞれの特性もあるし、適性もあるし、っていうところは思うかな。
面白いね、ハヤト君が言ったけど、そこ好きなんだねって言ったけど、たぶんね、そこが自分にとってコンプレックスというか、たぶんその情熱みたいなものがうまくないっていうことが。
はいはいはい、それずっと好きだもんね。
だからたぶん好きなんだろうね、そういうのをちょっと俯瞰してというかね、見るのが。だから経営者さんとかと話すのも好きだし。
なるほどね。面白いな、確かに。だからやってるその表面だけでは同じように見えるかもしれないけど、
ビジネスマンのルーツ
例えばじゃあ仮に経営者の人でもやっぱり最初の経営がうまいっていう人と、たぶんその最初の経営に命をかけている人っていうのはやっぱりたぶんちょっと何かが違う?
それは何かは僕はわかんないけど。
うんうんうん、どっちがいいわけでもない言い悪いだろうけど、それは確率にあると思う。
そういうことだよね。
うん。
なるほどね、いや面白いな。やっぱね、そういうこうなんだろう、最近そういう世界もやっぱいいよねみたいな気持ちが自分の中にもちょっと出てきて。
ああそう、職人的な世界もありだよ、ありというか。
そうそうそうそう。割ともともとは結構ね、もっと効率化しちゃうんだけど、結構そういう星のもとに結構ね、生きてた人間だったので。
効率中だね。
効率中、そうそうそう。タイパーがいい方がいいみたいなね。
はいはいはい。
っていうような感じはあるんですけど、やっぱね、それはすごい東洋のこういう考え方がやってると、それだけだとやっぱ世界観が狭いなとか、自分の見てる視野ってもしかしたら一部分だけかもしれないっていうのはやっぱね、気づけたなーっていう感じがありましたね。
まあ確かにね、だしそういう感覚を上手く言語化してくれたりとか、言語化できないようにとかイメージできないように上手く刺激してくれるんだろうね、こういう感覚っていうのはね。
そういうのがあったから面白かったんですけど、全然また違う段階なんですけど、まさに中国というか中華人のルーツというか、本源にまた遡ってるじゃないですか。
まさにその、もともとこのザリッドラジオもソクラテスとかやったりとか、仏教とかでもさ、やっぱりゴータマシタンで、根っこにあるインド哲学まで見てとかってやってると思うんですけど、
自分の中で本源を知りたいとか、ルーツを知りたいみたいな感覚っていうのが結構あるんですよ。
それは自分の個人の感覚で、自分のルーツみたいな話?
そうそう、まさにそれをちょっと最近思ってて、めちゃめちゃ身内の話になっちゃったあれなんですけど、兄貴ってさ、うちの観音家の父方のおじいちゃんおばあちゃんの名前って知ってる?
父方のおじいちゃんおばあちゃん知らないね。
家計図の作成とルーツの探究
そうだよね、そう。それってさ、ちょっとみなさんに、すいません、別の観音家の内情でお話するんですけど、両親の父方のおじいちゃんおばあちゃんに関しては、たぶんもう2人が結婚するくらいでもなくなってたんだよね?
違うよ、もううちの父親が生まれたてすぐ、どっちも。
生まれてすぐなくなったのか。
そうそう、だからうちの父親って6人兄弟の一番下なんだけど。
そっか、6人兄弟ってそこすら知らないんだ。
一番上のキーキーのおじいちゃんと20歳離れてるの。めっちゃ離れてるでしょ。
だから、生まれた瞬間に死ぬ、両親が亡くなるって結構きついと思うんだけど、もうたぶんね、結構年だったんだよ、すでに。
そうね、そうか。
おじいちゃんが親代わりで、おじいちゃんの2番目がお姉ちゃんなんだけど、そこもかなり離れてて、おじいちゃんとお姉ちゃんの1番目2番目が親代わりみたいな。
そっかそっか。
そうそうそう。
どうでもいいよな、超プライベート。
いやいや、でも思ったのよ。
いろんな思想とかに関してはルーツルーツとかって言ってるのに、自分は今33歳で、33年間、自分のおじいおばあちゃんの名前を知らないことを別に疑問に思ってなかったわけ。
はいはいはい。
思ってたね、確かに。
そう。
そういった時に、なんかそれを知りたいって思っちゃったのよ。
ほうほうほう。
そう。
今、そうするとやっぱりやりたくなっちゃうから、早速、家計図を作る方法っていうのを調べて、あるんだよね、家計図制作会社とかもあるんだけど、行政措置さんがね、戸籍当本とかを取り方みたいなね。
はいはい。
結局それは自分でできるってことが分かり、つい昨日、僕らの自家って岩手県の大津市町っていうめちゃめちゃ田舎というかね、その海側にあるんですけど、そこの役場にですね、申請書を送りまして。
へー、そうなんだ。
そう。
あのね、戸籍当本一式をくれっていうのをね、送ったんですよ。
はいはいはい。
これで、大津市町に保管されている戸籍であれば、直系の家族だったらだいぶ劣るらしいのよ、江戸時代ぐらいまで。
あ、へー、そうなんだ。
残ってるものは全部。
そうそうそう。
だから、ハヤトが申請人となって、ハヤトを起点にして遡ってくれるんだ。
そう、直系家族だってことが証明できれば、それを遡ってくれるっていうのは行政側がやってくれるらしいんだよね。
へー、そういうことか。
ひっきりとかしてて、全然違う地区とかだと、またそっちの方に言ってくださいとかって言われるらしいんだけど、でもその情報は残ってるから、今度はそっちの方に問い合わせれば、そっちの情報も送ってくれる。
どっから転入とかってあるわけやもんね、例えばね。
そうそうそうそう。
はいはいはい。
明治以降は基本的には残ってるらしくて、150年分くらいかな。
はいはいはい。
明治だと、いわゆるその人のお父さんお母さんっていうのは江戸時代ぐらいの生まれなわけだから、江戸末期ぐらいからのやつは元末は戻れるらしいんだよね。
へー、知らなかった。
そう、っていうことを知り、だからたぶん1週間後ぐらいに初めて父方のおじいおばあちゃんの名前がわかるって今すごいワクワクしてるんだけど。
そうなんだ、そのゲットの仕方もなかなか独特だけどもね、親に聞けよって話をしてるんだから。
確かに親に聞けばいいんだけどさ。
でも面白いね、それは。もっと上までわかるってわけだもんね。
基本的にはさ、さっきも言った通り岩手の海沿いの田舎町だから、たぶんそこで暮らしてたんだろうとは思うんですけど、
果たしてどんな人たちが結婚して子供を産んで自分がいるのかみたいな話。
で、やっぱなんか、逆に気になってみたら、なんで逆にこれまで気にならなかったんだろうっていう、そっちが不思議なぐらいなんだよね。
はいはいはいはい。
なんとなくふと思ったの。
ふと思った。やっぱりまあ、なんなのかな、わかんないけど、でもやっぱりさ、こういうことを考えてるとなんで自分が生まれる、生きてるのかとかさ、
やっぱり子供が生まれたのも大きいとは思うんだけど、やっぱり今この子供が生まれてるっていうのに対して、
当然奥さんがいて、奥さん側のご家族がいてっていうのがあったときに、やっぱりそれってすごいことだよなーみたいな感覚がなんかふと湧いてきて。
あーなるほど、あの前回のあれだよね、今の状態もこれから変わってくるのもたまたまだみたいなね。
あーそうそうそうそう。
はいはいはい。
そう。なので、まあなんか面白かったら、まあもしかしたらラジオでも言うかもしれないし、面白くなかったら多分個別で兄貴にこんなんだったよって思うんですけど。
そうだね、個人的には教えてほしいかな。見せてほしいね。
そうそう。でもやっぱりね、ちょうどこうね、日本的にはお盆の時期じゃないですか、8月のラジオが公開されるときにも多分お盆の直前ぐらいだと思うんですけど、
やっぱりなかなかお墓参りとかもいけないし、そういう中でも、まあなんか、そもそも名前も知らなかったね、お先祖様の名前を知るぐらいでもなんか意味があるんじゃなかろうかみたいなね。
うーん。
うん。こんなこと思ったよっていう話ですね。
面白いね、その感覚とあの、なんだろうな、早稲堂のその謎の行動力は面白いよね。
行動力なのかその行動のベクトルなのか知らないけどさ。
そうだね。
なんか親に聞いて終わっちゃいそうだな。
まあ確かに普通、普通っていうかあれだよね、なんか、まあ僕もなんか実際に行動起こすまで1ヶ月ぐらいかかったんだけど、
うんうんうん。
このままじゃダメだとか、なんかお盆もあるしとかってよくわかんない理由をつけて、
はいはいはいはい。
そう、大津市町役場に電話をし、掛け入れを作りたいんですけどとかって言ったらすごい丁寧に教えてくれて、なんか意外とね、やったらなんとかなるもんだみたいなのは多分自分の中にあるんですけど。
うん。はいはい。
へえ、なんかその証明って親から特に何ももらう必要はなくて、自分の免許証とかそういうので全然、あの住民、住民票というか。
そう、もっと言うと、その多分大津市町役場に自分がその戸籍にいたっていう記憶が残ってるから、
ああ、はいはいはい。
養子園組と有名人の家系
そうそう、それで多分ね、紹介できますよって言ってくれて。
ああ、全然。へえ、そうなんだね。
そう、それがなくて、いわゆる養子園組だとか、親はもう亡くなっちゃって、証明するものがないとかってなったときは、自分のそういう証明書とか取っておくんなきゃいけないらしいんだけど、
よくあるのは、いわゆるその相続の時とかに自分がちゃんと権利を持ってますとかっていうのを証明するために請求するのが多いらしいんだけど。
はいはいはい。こうやって作るってのも結構あるよねって話なんだね。
へえ、面白いな。でも確かにそういうテレビ番組もあるとかって聞いたことあるよね。
有名人の家系をたどってみて、どういう人だったのかを調べて、それをみたいなね。
そうそう。意外とこの人とこの人が遠い親戚関係とかってあったりするじゃん。
別に自分の先祖が有名人であるとは一切思わないけど。
ちょっと期待してんの?何かを期待してんの?
いや、期待してないけど別に。だけど、どんな人がどんな風に、どんな風に生きてたかまではわかんないけど、
どんなところでどんな感じに生きたのかなみたいなところに思いを馳せるのもいいんじゃないかなと思ったりして。
やっぱなんか渋いね。
でも確かに今やる、もうちょっと50歳60歳くらいだって思いを馳せるくらいでもいいんじゃないかと思ったりはするが。
でも確かにさっき言ったけど、自分の子供が生まれてとかね。そういうのって2回目の人生じゃないけれども、
いろんな疑問というかね。今まで忘れてた、気にしてなかった、興味関心って思い出すいいきっかけな気もするしね。
働く細胞を見た、体ってどうなってるの?みたいなね。
そうね。でも意外と当たり前のことって知らない、当たり前のことっていうか当たり前だと思って気にしたいことってやっぱりいっぱいあるじゃないですか。
子供にさ、これなんでなんでって聞かれたときに答えられないとかもそうだと思うんですけど、
やっぱりいかにね、ちょっと今回ね、老子掃除の話で言うと、やっぱり区切られた世界で生きているかって話だよね。
はいはいはいはい。そのハヤトの哲学と自分の人生のリンクの仕方がなんか面白いんだよなぁ。
何なんだろう?つなぎ方。
なんだろうなぁ。だからそもそもやっぱりハヤトが哲学に興味持ったのはなぜかみたいな話も昔した気がするんだけど、昔ってよく考えたんですよね。
元々は幸せに生きるとはないかというかさ、どう生きるかっていう話だもんね。
でその結果、まだその答え見つけてないわけでしょ、なんかハヤト責任。なんとなくあったりするの?
それなんとなくあってというか、割と実はどう幸せに生きるかについては割と答えは出てて、自分の中で。
自分の幸せだけを考えるんだったら、結局これはもう完全に僕の理論なんだけど、何かを達成するか、何かに満足するかしか、充実するかしか多分なくて、
達成型の人はやっぱり達成するための努力とか、その達成の瞬間まで頑張るために自分を鍛えるみたいな話が必要で、
充実はどっちかっていうと、やっぱり変化に弱いから、自分の生活を安定させるとか、病気や怪我にならないように日々健康に展示とか、そっちが必要で、
自分がどっちのタイプですか、どっちのタイプかって分かったら、それを満たすためにどういうふうに生活を作り上げますかっていう、結局これだなっていうふうに思ったんだよね。
自己認識と環境の影響
それこそ最近そういうノートも書いたんですけど、やっぱり時間との関わり方というか、要は達成するみたいなのって、ある瞬間とか未来のためにある種今を意味付けるっていうような言い方だと思うんですよね。
要は何かオリンピックで1位になる、そのための訓練だったら頑張るみたいな、そういう話ね。未来があって今があるみたいな。
後々充実するみたいなのは、今が続いていくみたいな感覚。これハイデーカーの時期かな、たぶん未来中心の時間とか現在中心の時間とかって話もしたと思うんですけど。
なんかどこかで聞いたなと思ったけど、ハイデーカーか。
ハイデーカーの時期で、やっぱりそれも結構人によって違うとか、要は世界の認識の仕方によって変わるんだなっていうことが何となく自分の中に出てきたよね。
だから結局自分って今どういう時間の流れの中に生きていて、どういうふうに世界の中でまさに意味を感じて生きていて、そこに対して自分はどう幸せっていうことを捉えてるんだろうっていうその構造があり、
その構造の中で自分をどう生かすかっていうことが、要は幸せになるっていうことへの一番正しいたぶんたどり着き方なんだろうなっていう感覚が今はあるのね。
おー言語化してるね。
そう。だから幸せとは何かっていうのを割と自分の中では構造化できたから、そこは何だろうな、ちょっとクリアしたかなっていう感じがあるんだよね。
はいはい、まずは一定の自分の中の仮説はあると。
そうそうそう。
それでいうと自分はどっちだとかってあったりしたの?
やっぱり達成型だと思ってたんだけど、今は充実型だなっていう感じになっていて。
やっぱりそこの自己認識もやっぱり難しいというか部分はあるんだね。
結局というか、よくこっちはキャリアの話を言ったりするんですけど、やっぱり20代の時はとにかく偉くなるとか給料上げるみたいなそういう考えが結構あったのよ。
それは周りもそうだし、周囲からも20代はそうやって自分を鍛える時期だみたいな。
っていうのがあって、どんどん転職もして、自分のやるべきことをやって、強くなれみたいな、結構そういう感覚が強かったんだよね。
それはそれで良かったなと思っているんですけど、やっぱりそれをやり続けた結果、子供が生まれた時にバランスが良くなっちゃったとか。
自分は変化変化でやっていくんだけど、子供とか家庭も変化変化していくから、結局どっちもうまくいけないみたいなので、辛かったみたいな感じになった時に。
そもそもやっぱり成長みたいな言葉がすごい嫌いになった時期があって。
そうなんだ。
よくあるじゃん、自己成長しようとか、より高い自分へとかあるんだけど、なんで自分を否定して生き続けなきゃいけないのって思ったの?逆に。
なるほど、今の自分を否定して、明日は自分、今よりも少しでもみたいなね。
そうそうそうそう。
良い自分に、みたいな。
良い自分になった瞬間に、今の自分でダメなんだっけ?とか、なんで今持ってるものだけで勝負したらダメなの?みたいなバックマッチが結構なってたのよ。
でもそこをやっぱり達成型の幸せと自立型の幸せと分けた時に、達成型っていうのはそっちに価値とか意味を見出せる人のものだから、
別に自己否定をするんじゃなくて、つまり未来に向かって今の自分をどう扱うかっていうことなんだなっていうふうに整理した時にスッキリしたんだよね。
なるほど、面白いね。今回のソウジに言うとハヤトがちょっと物化した瞬間だね。
でもそれはある。やっぱり世界との関わり方をどう変えるかと、正しくするかみたいな。
うん、達成型からね。しかもそれは多分自分の中でもそうだし、家庭とか子供とかいろんな外部環境の絡みもあって、そうやって変わっていくんだろうね。その未知との関わりがね、ソウジで言うとね。
まさにまさに。やっぱり京都に引っ越してきたのは、東京ってどうしても変化が良しとされるとか、新しいものとか最先端のものを知ってる人がいいみたいな価値観が結構強い世の中だったように思っていて、東京って町自体がね。
まあそうじゃないよっていう人もいると思うんだけど。やっぱり京都っていうのはもちろん奥さんの出家があったっていうのもあるんだけど、ある種古き良きというか、もちろんいろんなものを新しくはしていくんだけども、やっぱり変わらないことの良さもあるみたいな感覚の町だなと思ったときに、やっぱり自分のより進みたい方向にマッチするなみたいな。
なるほどね。そういう生活環境みたいなね。住む場所みたいな。どこもまたお互い影響し合うんだろうね。
うん。やっぱり住むところは大事だなと思ってるから、そういう世界観で生きていく自分にとっていいんじゃないかみたいなことで、ノンリー付けというか。
はいはいはいはい。
意味付けて引っ越しましたっていうのもあったりするんだよね。
なるほど。まあ確かにその達成型ね、11型とか言っても、その人のバランスだったりとか、そこはハヤトもそうだと思うけど、自分のライフスタイルというか、ライフステージというか、そこだと変わってくるんだろうね、きっとね。
変わってくるし、変えるべきだなって結構思うことが多くて、やっぱり今のキャリアの仕事をしていると、やっぱり20代のキャリアと30代のキャリアと40代と50代と60代って全然違うし、やっぱ違って仕方ないべきだなって思うんだよね。
はいはいはいはい。
もちろんね、50歳から何かを達成しようとか、自分の後事故をチャレンジしようっていうのももちろん素敵だし、でも逆にすれば、例えば子供が手が離れてとか、そもそも結婚しなかったら独り身で、まだまだあと人生50年あるときに、今チャレンジすることが未来につながっていくとかって、やっぱりいろんな周辺環境があるだろうから。
はいはいはい。
逆に、仮に30代で、ちょっとテンプレ的だけど結婚して子供が生まれてたときに、やっぱり全然新しいことにチャレンジしたいんですって人がいたとしたら、やっぱりそれが本当に正しいかどうか、今やるべきかっていうのも考えた方がいいですよねって言いたくなる。
はいはいはい。そういった諸々の条件だよね。外部条件、内部条件、いろんなものを考慮した上で、ちゃんと考えてますかと。ある意味道じゃなくて、言葉とか常識に支配されてませんかねっていう質問は出てくるってことだね。
そうだねそうだね。やっぱり人だけじゃなくて自分に対しても思うし、思うとかよくやっちゃう。やっぱり自分は1個やり切りたい、多分大学院に行くことができたいとかってなったときに、場合の環境とかを考慮せずに思ったりするから。
なるほど、その出発点はね。
出発点はね、そうそうそう。奥さんにめっちゃ止められるみたいなね。
止められたの?
止められた、めっちゃ止められた。
そうなんだ。
みたいなことがあるんで、もともとの出発点は自分はどう幸福になるかとか、やっぱり自分がどうあるべきかみたいなね。やっぱりそういう愛、自分、この自分、独立した自分って感じだったんだけど、やっぱりそれがいろんなことに触れていってますね。今回の浪子掃除もそうだけど。
やっぱり結構その環境とかね、周りとの相互作用ってあるよなとか、そもそもかっこよさあるこうみたいなものっていうのもひょつの考え方だし仮説だよなみたいな。
そういうときにやっぱり自分と世界の変わり方とか、自分が世界とどうありたいかとか、やっぱりそういう広がりで捉えられるようになったっていうのが1つ成長というか。
はいはい、なるほどね。
そうすると自分の範囲みたいな話もまた変わってそうだしね。
職人修行と自己理解
そうそうそう。やっぱり自分というのがとじずに広がっていく感覚っていうのがすごくあるし、そういう意味ではちょっと人としての成長が感じられて嬉しいみたいなところもあるよね。
なるほど。そこはね、自己理解というかね。
うん、そう、自己理解なんだろうな、マニアみたいなところがやっぱあるから、いろいろな性指導とか性格診断とかやりまくるみたいなのもそうだし、やっぱり自分とは何かってついつい考えちゃうみたいな。
なるほどね、そういうのはずっとやってきたんだね。
そうそうそう、そういうのずっとやってきて、で自分とは何かっていう自分の定義が広がったら学ぶことも増えちゃったみたいな。
はいはいはい。
そう、だからそんな感じだよね、最近は。
なるほどね、そういう意味ではちょっと落ち着いてるのか、じゃあ充実型的なふうにシフトしてると。
まあそうだね、落ち着かせようとしてるか、そういうバランスを取ろうとしてる。
うーん。
まあそうじゃなかったらこんなポッドキャスターの方でこんなって言ったらあれだけどさ、で日々日々何か変化させてさ、より上に行こうとかっていう時にやっぱり多分こういう毎週毎週時間を取って本を読んで、やっぱり同じ時間に取るってことは多分できないと思うんだよね、メンタリティ的にも。
あー、そうなの?
うん。でこの時間があったらさ、もっと成長するために要は、あれが本当のアウトプットとして何か自分を埋めるためとか、自分の哲学としてのレベルを上げるためにやってるとかって多分そういうふうなラジオになってると思うんだよね、もし同じことをやったとしても。
あー、はいはい、なるほどね。とかなんかビジネス責任?売上を上げるとかってなってくるとまた変わってると。
そう、とかいかに視聴者を獲得するかとかさ、いかに自分を高めるためにやって、その結果を人にお伝えするみたいな感じだと思うんだけど、
はいはいはい。
今って自分が好きでやってることをみんなにも知ってほしいっていうそういう気持ちになってるから、やっぱりそれは達成というよりはたぶん充実型の気持ちじゃないと続かないと思うんだよね。
はいはいはい。そうか、今この瞬間ね、話してる瞬間、聞いてもらってる瞬間ってものに目が向いてるというか、いい悪いじゃなくてね、感覚だよって話か。
充実型のシフト
そういうこと、そういうこと。
はいはいはい。
っていう感じで、だから今なんか話してて思ったけど、だからそういう意味では、さっきご先祖さんのお名前を知りたいとかって言ったけど、
うん。
それもやっぱり自分の感覚が広がってるからと思うんだよね。
うんうんうんうん。
やっぱり自分っていうものがそういうね、物理的にも感覚的にもいろんな人が当然、子として孫として卑孫として生きているみたいな。
うんうんうんうん。
やっぱりそういう感覚っていうのは芽生えてきたから、やらなきゃとかやりたいって思ったのがあるのかもしれないなって今思った。
うんうん。
はいはいはいはい。
なるほど。
でもそれは面白いね。もしかしたらこの老僧思想、老子相次、特に影響は受けてるのかもしれないね、自分。
うん。
受け方がやっぱ独特書いてあるな、何回でも言うけど。
まあそうね、そうね。アルトプットとか行動の仕方がね、あれだけど。
うんうんうん。
まあでもね、やっぱりすごく面白いっていうのは、ちょっと今日いっぱい話しちゃったあれだけど、やっぱ自分だけの意味で生きるっていうのは結構しんどいなっていうふうに話す瞬間もあるんですよね。
うん、自分だけの意味。
要は自分の幸せとかって思うと、やっぱ自分は何を本当に好きかとかさ、自分は何に本当に価値を感じるかみたいな、要は自分が自分がってなってた時期があったんだよね。
要は自己分析的なね、話ね。
そうそうそうそう。で、それが正しいとも思ってたんだけど、やっぱそうすると、あれよりもに対して自分が勝ちづけしなきゃいけない。
はいはいはい。
これは良い悪いとか、それこそサルトルとかでやったと思うんですけど、実存主義的に生きようとかって思った瞬間に、出口って書いてもこれはもう入り口として扱っていいんだみたいな、そういう一瞬一瞬の決断をしなきゃいけないとかってなると、
はいはいはい。
それはそれですごくしんどい生き方。要はまさに自分自身の人生の責任が自分にまるっと降りかかってくるみたいな感じになるから。
うんうんうんうん。
それはそれで尊い生き方だなって思うけど、そこまで人生必死に生きなくてもいいんじゃないみたいなことを思った瞬間があって。
なるほどね。まああれだよね、今日効率重視タイパーって話だったけど、ちょっと効率悪いもんね。カロリーが近い。それはそれで。
別に人生に真剣に生きたいわけじゃないんだけど、別に他の人が良いと思うものを良いと思ってもいいって言ってとか、みんながこれ面白いと言ったものを面白いと思っていいじゃないかみたいな。
はいはいはい。
自己責任と幸せの道
まあそう思い直すのも変な話なんだけど。
なるほど。全部一から発明しなきゃと思ってる状態だもんね、ある意味ね。
そうそうそうそう。
原理主義になっちゃうとね。
そうだね。そこまで突き詰めるというか、負担になるよりは自分が生きやすいように生きたらええじゃないかと。
それが幸せの道じゃないかと。そんなバランスを取ろうとしてるって感じだよね。
言うても道がある。有名の世界に生きてるから。無名の世界じゃなくて有名の世界に生きちゃってるからね。
そうそうそうそう。
一旦そこをどう捉えるかっていう話だもんね。それで次のサイコロを振るというかコマを進めていくかみたいなね。
ちょっといろいろ話しちゃったんですけど、今日も代弁されちゃったからもうそろそろおしまいかなとは思うんですけど、
兄貴的にはろうしとかソウジの話を聞いて感じたこととか、自分の中でもそういう考え方があるなと思ったとかってあったりしたのかな?
どうだろうね。でも今回はやとが前半でも言ってくれたけれども、たぶんその道、そういう話は好きなんだなとは思ったね。
うんうんうん。
私、やっぱなんだろうな。過去の話はあんま覚えてないからね。具体的にあれと比較してどうっていうのはあんま覚えてないんだけれども。
はいはい。
やっぱその、この東洋来て西洋どっちもやっていくって話は良かったなと思うね。
嬉しい。
やっぱりなんかこれはさ、ちょっととても感覚がずれちゃうんだとは思うんだ。例えとして不適切なんだけど、
今日の前半だったら職人がいいかマニュアルがいいかみたいな話を聞くと、ちょっとこの東洋っていうのはどっちかというと職人ちっくな感じがするんだよね。
そうだね。
そもそも切るとはなんだっけとかさ、無とはなんだっけみたいなね。西洋の方はもうちょっと課題解決が強いというか、具体的にこういったイデアとか何か。
これはあるべきだ、あるじゃなかろうかとかね。結構そういう人の主張みたいなものがすごいあって、こうやっていくと理解が深まるよとか、よりよく回っていくよみたいな。
なんかその両輪な気がしてね、そういう意味でね。それぞれがそれぞれのバランスをもちろん哲学者によっても持ってるとは思うんだけれども、
やっぱり今回早いと言うとね、たぶん趣旨職人になるときに、じゃあどっちが正解っていうのはもちろんないし、どっちが自分に合ってるっていうのも本当の意味ではわからないはず。
うん。
そういう意味ではね、まずはそれぞれの調べるよりもまずはどっちかに飛び込んでみようみたいなね。大事だっていうのは本当にその通りだと思ったから。
そうね。
そういう楽しさを感じたし、そういうのをちゃんとイメージさせてくれて言語化させてくれる。だからあんまりね、こういうイメージなかったから。
まあね、普通はね、やっぱりそういうのを言葉で考えたら難しいもんね。
そうそう。だからね、こんな偉そうにいろいろ喋ってるけど、これはあれだからね、全部言わされてるから。
ね。
そうそう。自分が言ってるつもりだけ言わされてるからね。
なるほどね。
そうそう。そこは反省しなきゃなって思ってる。
そうですね。でもやっぱりね、新しい概念を知るっていうのはまさにそういう自分の中での語彙力が増えるってことだし、やっぱりイメージして扱えるものが増えるってことだから、それはすごく世界を豊かにするんじゃないかってやっぱり思うんだよね。
うんうんうん。
そうなんだね。
だからね、そういうのを引き続き、私たちはもうやっていきたいし、僕もそれを楽しみにし続けたいなって思ってるんで。
はいはいはい。あれはもう次にまた同時代のストア派?
同時代っていうのはもうちょっと後ではあるんだけど、そっちの西洋の話っていうのを取り上げて、またこれも独特なというか、ある種一つを突き詰めた人たちの世界の話だったりするから、すごい面白いと思う。
はいはいはい。その後はまたさらに西洋とか、流れは決まってるのかな?
そうね、ストア派行ってプラグマティズムをちょっとやってみたいなと思って。
プラグマティズム。
プラグマティズム。これはもっと現代だね、19世紀とか20世紀くらいのアメリカの方の哲学なんだけど。
えーアメリカ。
僕もまだあんまりちゃんと実は勉強してなくて。
はいはいはい。
やっぱり人に言わせると、フッサルの幻想学とか、それこそサルトルとかの実存主義とかと同じくらい大きなというか、現代に伝わってるこの潮流らしくね。
はいはいはい。
いろんな影響があるらしいので、ちょっとそのプラグマティズムっていうのを見ていきながら、よりさらに現代に近づいていくという感じが今面白いんじゃないかなって思ってました。
はいはい、なるほどなるほど。
いやいいね。これ毎回ね、やっぱり片方、東洋やると西洋が恋しくなるしさ。
西洋やると疲れて、ちょっと東洋行こうよってやっぱりなっちゃうからね。
そうね、そうね。
そろそろいい塩梅かも。
ちょうどいい感じだと思うんで、そこのバランスを取りながら、あっち行ったりこっち行ったりしながらフラフラやっていくのがいいかなと思ってるんで。
なのでまた次回も楽しみにしていただきたいなという感じですね。
はい、わかりました。とりあえず雑談会はこんな感じですということで、次回ストア入っていきたいと思いますので、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。