00:00
(BGM)
はい、ソレテツラジオ今日も始めていきたいと思います
よろしくお願いします
よろしくお願いします
今回はキュウケンオール編が終わりましたというところで
ゆるゆるとまた感想とか雑談とかしていきたいなと思います
はい、お願いします。そしてお疲れ様でした
お疲れ様でした。今回はソレテツラジオが始まっている経緯は結構宗教色の強い話
トマス・アキナスとかもあったけれども結構宗教によった話ではあったし
近代哲学の始まりみたいな面もあったと思うんだけれども
ハヤトは結構近代哲学から入ったという話はしてたんだけれども
キュウケンオールはもう通ってたのかな?結構馴染みはあった感じ?
そう、実はキュウケンオール自身はそんなにちゃんと読んでなくて
なぜかというとまさに宗教色が強いみたいなイメージがあったから
あんまり自分がキュウケンオールを読んでそこに共感して自分に生きるみたいな感覚というのは
その強くはなかったんだよね
自分の悩みにストレートに答えてくれる感じではなさそうだっていうのがあったんだね
ただもちろん『死に至る病』っていう本があってとか
あといろいろ調べていく中でそれがヘーゲル前の哲学を乗り越えようとしたっていうぐらいの事前知識があったので
今回読んでみて改めてやっぱすごいなぁとは思ったんだけど
中世の時にも言ったんですけどやっぱ疲れるっすね
やっぱり自分にないキリスト教とタルヤみたいな感覚とか
なりきれてるとは思わないけれども
なんとかそれになろうと思って喋ることの疲れというか
確かにそうだよね
この聞く方もね
現在ってなんだっけとかね
アダムって何した人だっけみたいなやっぱりそういう前提知識だったりとか
言葉の定義みたいなものを固めていかないと全然理解できないもんね
そういうのを思ったね
なので何気も途中で言ってくれたけれども
結構ね中世西洋哲学というか宗教のキリスト教学がやっぱり
壮大なケビケゴールの序章というか前段だったみたいな感じで
僕も準備はさせてもらっていて
それで言うとさやっぱり例えば言ってはいたけれども
人間ってのは罪深くってとか
罪を自覚するところから神への道が開くみたいな話って
言ってはいるけどやっぱりわからんのよ
そうだよね確かにしかもそこをやっぱ表面的に
言葉通り受け取っちゃうと
特に仏教家に生きるうちらにとってはさ
全く意味のない話になりかねないもんね
03:00
そうそうそう
結局やっぱりその物語というか
それを信じられるかどうかみたいな話になっちゃうと
あんまり自分にとって意味がない話とか人みたいになっちゃうし
そうじゃなくてちゃんとここまで突き詰めて考えた人なんだよ
っていうところですごくいいというか
哲学的にもやっぱり面白い人だと思うから
確かにね今回構成としてさ
ちゃんとこう新イタリア舞で
ちゃんと一般的な宗教関係ない話をして
そっから絶望と
なんか知らんけど偉大なるものみたいなものを
現在とキリスト教に転換しましたみたいな
そういう順番で当時もやらなきゃ理解できなかったと思う
っていうのも面白かったし
うちらはそれを逆からさっきので言うとほら
キリスト教側からいって掘ってみると
そういう一般的な話をしてたんだっていう驚きみたいなものは
なんか早いとは感じて
それをちゃんと土台から伝えてくれたのかなっていうのもね
思ったし
そうだね確かに読みながら
なんかやっぱ最初わからないって読んでて
これ現在とかそういう話を知らないと無理かもって一回戻って
でまた読んでなんかわかったみたいな感じ
わかったというかね
わかりかけたいみたいな感じがあったから
ちょっとね話的にもそういう順番で
確かに伝えてたなって思いますね
なんかこれはちょっと今聞いてて思ったさ
素朴な疑問なんだけど
今回キリキリゴール編の最初かな
自分もほらサルトルの実存主義の本を買って
全然読めなかったって話があったと思うんだけども
やっぱあれなの
難しい本読むとき
数節の悪とかさ読むときってのはやっぱ
バーってその本を頭から読んでいくと
わかんないところがあって
そうするとやっぱ別の本だったりとか
この本の意味とか歴史とかってなんだっけっていう
さらに別の本とか資料を参照しながら
なんかやっぱり理解していくっていうやっぱ過程が必要なの
なんかそういうのさ全部あの面倒だからやってこなかったんだけど
まあそうだよね
本職のというかね
いわゆる大学の哲学者がどう読んでるかとかは
わからないけれども
基本的にはテクストに忠実に読むっていうのが
ベースですと
テクストっていうのはちゃんとその哲学者が書いたこととか
もっと言うと原文で
彼らは読んでるはずだから
フランス語ならフランス語とか
ドイツ語ならドイツ語のちゃんと言葉で
丁寧に追っていくっていうのが
基本ではあるなと思ってるんだよね
まあ本来的にはね
本来的にはね
ただ僕みたいな一般人とか
06:01
野良哲学者と言っていいのか
哲学者では別なんけれども
哲学好きからすると
やっぱそういうのあまりにもわからないので
2つあって
1個はもちろん入門書とか解説書っていうのがあるから
それをまずは1回読んでみて
サルトル入門とか
サルトルとはこういうものだっていう
新書とかが大体あるのよ1冊ぐらい
それでなんとなく全体像を掴んでから
読むっていうこともするし
あとは哲学者読むときは
わからないことを
わからないまま読むっていうスキルが
結構必要だなと思ってて
なんかこう読んでくと
なんか前言ったことって
ここで言ってることの
何だろうな
繰り返しかもしれないとか
1章丸々使って
この人は何かを伝えようとしているみたいな
この一文にとらわれてると
この1章で伝えようとしたことが
なんだろう
とらえられないとかっていうことがあるから
小説とかってやっぱちょっと違うんだよね
多分それこそサルトルとかだったら
当然のようにヘイゲルとか
それまでの哲学的な流れっていうのを
知ってるものと思ってたら書いてるだろうし
そうそう
多分キリゲゴールとかも
自然にキリスト教的な世界観とかを
土台に書いているから
やっぱりそれが解説とかをしてもらわないと
一読者200年後の
日本に生きる一読者からすると
やっぱ分かんないよなとは思うし
はいはい
なるほど
そっか
そうだね
細いていくと確かに哲学ならではの難しさもあるけど
ある意味ではやっぱり自分の専門
読むのを深めるときの基本的なスタンスとは
同じような感じって感じかな確かに
そうだね多分物理学とかでもね
やっぱり関連する数学の知識がないと
それがわからないとか
そうだねいきなりアインシュタインの本とか読んでも
わからんみたいな
あるだろうしね
そっかそっか
ちなみにこれ全然余談だけど
アインシュタインがね
実は面白い本を書いてて
物理学はいかに作られたかっていう
本を出してるよね
はいはいはい
これなんか実はこれはなんだろう
あの初学者向けというか物理学のことあんま知らない人向けに書かれた本っぽくて
そういう式とかがあんま出てこないんですよ
おー
でなんかすごいわかりやすく物理学について
説明書いてくれてるんで
そういうことがやっぱできる人とかやってる人もいる
はいはいなるほどねすごいね
そっかそっかちゃんと最先端のというか最新の理論とかを発表しながら
やっぱそういう地に足についたところも書いてくれてるって優しいね
そう優しいすごいなって思った
うんうん
だから哲学者とかもやっぱそういうことやってる人もいれば
やっぱりもう専門家というかその哲学のことをわかる人向けにやっぱり書いてる人ももちろんいるから
09:04
はいはいはい
やっぱりまあね一概には言えないけれども
やっぱり読もうと思うと周辺知識を得られなきゃとか
まあその前の時代の哲学を知らなきゃとかっていうので
なんかどんどんどんどん知らないことが増えていくみたいな感じはやっぱあるよね
うん
うーんなるほどねいいね
でもねそういうのをねやっぱりみんなね哲学以外の専門持ってると思うんですけど
やっぱりね自分の専門をアップデートするだけでもやっぱ今の時代精一杯というかね
いやーそうね
うんその中でこうやって哲学をところを抽出して教えてくれるのは助かるなー
あとそういう本の読み方できないから
いやまあそうだよね
優しく教えてほしいっていうもう余ったれだからね
キリケゴール的に言うと無意識に絶望してるそうだから自分は
意識してないですよね
そうそうそうそう
うん
まあそんなことはないと思うというか
でもキリケゴールはそういう意味ではねなんかこう激しいとか厳しい人だなと思うし
途中でもちょっと言ったけどアイロニーというか皮肉的な感じでやっぱりこうなんだ
まあ基本的には神はさみんなを救うとか人間のに愛を向けているっていう話はあるんだけど
結局人間の側はそれを気づいてないとかなんだあの要は分かってないって
お前ら所詮気づいてないだろみたいな感じの考え方でも書いてるから
それちょっとひねくれ感とかやっぱり感じるよね
なるほどねそうかちょうどね今の10月に発売された結構話題になってるらしいんだけど
橘明さんっていう方が書いた「バカとムチ」っていう本新書で出てるんだけど
これは結構あの発売1ヶ月でもうアマゾンでシナゲーで
もう創造員10版みたいなっていうのを人から教わって今読んでるんだけど
まさにねちょっと休憩ゴールの絶望の意識の絶望とか一旦絶望を感じるべしみたいなところで
すごくあのシンワセンは高い本で面白いなと思って読んでたんだけど
まだねあの50ページぐらいしか読んでないからこれからなんだけど
もうすでになんかダニング・クルーガーとかって知ってる?ダニング・クルーガー効果とかって
なんか名前だけだな
結構これもグラフみたいなものを見たことある人いると思うんだけど
物事を何か専門だったりとか物事を学ぶときに
バーって最初学んでいくとずっと目に方上がりで
すごい自分がこう知ってるぞっていう風になってくるんだけど
その状態ってすごく悪い状態?
結局その知らないのにした気になっちゃってる状態っていうところに一旦行って
そこをさらにこうやって真面目に勉強していくと
一気に崖を落ちるようにグラフがドーンと下に落ちて
12:04
一旦自分が無知の地に至るみたいな
自分って本当この専門めっちゃやってきたんですけど知らないんですよみたいな
最初の方で言った素人質問ですが状態に
めっちゃ勉強めっちゃというかある程度勉強すると落ちて
そこからまたちょっとずつどんどん右に肩に上がっていく
もう自分は知らないってことを知ってるから
当初知ってるつもりになってたとこは言うにこいながら
どんどん後は右に肩に上がっていくっていうのが
実験で証明した人っていうのが結構有名な話だと思うんだけれども
そういう表面的な話しか自分は知らなかったんだけど
それに加えて結構面白いね
自分の無知
バカは自分がバカなことを知らないからバカなんだ厄介なんだっていう本で
結構激しいこと言ってるね
だからキャッチだから売れてる部分もあると思うんだけど
そういういわゆる実験とか
多分アカデミックなとこを題材しながら分かりやすく伝えてくれてる本なのかなっていうのもあったんだけど
それが面白くてね
なんでダニー・ン・クルーガーの話したかっていうと
それだけじゃなくて
興味深い実験の話があって
なんでバカはバカっていうのを自己認識できないかっていう
どんぐらい自己認識できないかみたいな実験をしてたらしくて
本の内容言っちゃうとね
営業暴行になっちゃうからなんだけど
例えばテストとかしたときの
実際の点数と自己評価のギャップを調べたんだって
そうすると面白いのが
例えばテスト100点満点のうち12点しか取れなかった人がいたとして
12点取った人の自己評価ってどんぐらいだと思う?
例えば自己評価というか何点取れたかじゃなくて
0から100で一番できた人が100
一番できなかった人が0
自分のポジションはどんぐらい?みたいな
なるほどね
10点だけどみんな取れてないから
自分は40番50番くらいにいくぞみたいな
そうそうそう
どんぐらいだったと思う?12点の人
100がマックスだよね?
そうそう変差値みたいな話だよね
でも45とかじゃない?
これが65点だったんだよ
高い
例えばね
じゃあ実際85点取った人テストで
この人の自己評価ってどんぐらいだったと思う?
先ほどの変差値というか
どうなんだろう?でも55とか60とか?
それは謙虚だね
実際75だったんだって
15:01
高いね
でもまあとはいえ12点の人は65点
65くらいの位置にいる
もう50くらいサバ読んでるというか
めっちゃ課題評価してるじゃん自分を
なるほどね
逆に85点取った人はちょっと遠慮して
75くらいか自己評価
ちょっと一人の人に似てるっていうのが
実験であったらしくて
だからこんぐらいやっぱり
人間ってのはそういう風にできている
みたいな話だったりとか
結構社会的に
そういう風にしないと人間って生き残れなかったよね
みたいな話も書いてあって
集団の中でバカに見られたら
結局淘汰されて死んでっちゃうとか
なるほどね
逆にめっちゃ能力があるっていう風に見られてしまっても
それはそれで排除されちゃう
妬まれて排除されちゃうリスクあるよね
だから謙虚に爪を隠して生きた方が
生き残る確率高いよねみたいな話もあるみたいで
すごいなるほどな面白いなと思って読んでたんだけど
だからどっちがいい悪いではないんだけれども
結構この本もキルケゴールでいうと
絶望に気づけよみたいなね
だからどうしろって話はまだ出てこないっていうか
分かんないんだけど
結構現状認識っていう意味で
すごく面白いな
キルケゴールでいう
大衆向けの本に近いのかななんて思いながら
なんか自分の中でホットな感じで見てた
そこが繋がるのも面白いし
でも確かに今の話でいくと
特に途中で将棋論の話したじゃない
自分はこの狭いマスでしか戦ってないけど
プロだったらもっと全体というかもっと広い視野で
場面の広さ自体が違うみたいな話に近いんだろうなと思っていて
10点の人が例えば自分の評価60するってことは
多分そのテスト自体がどのぐらいの難易度なのかとか
この問題っていうのが世の中的な数学的な課題の中の
どのぐらいの難しさのかっていうことを知らないってことじゃない?
多分
うん、そうね、そうね
だからそれを知っていたら
多分このレベルの問題が解けない自分っていうのは
世の中平均からこうだみたいなことを考えるんだけど
そういう考えはないよね
ないし、分かったところで結構難しいんだよね、それって
確かにね、それを認めるとか
自分でそう理解するってこともね
だしね、そういったものの難易度を知るっていうのは
もう知ってることになっちゃうから
知らない人がその難易度を想像するってのはとても難しいんだよね
うん、まあそうだよね
だからその意味でもやっぱりなんかその
自分の認識を広げるとか知っている世界を広げるっていうことに
18:00
やっぱ意味があるなと思って
だから僕が哲学を多分やってるのもやっぱ自分の考えがいかに
小さいかとか限られた中で思考しているかっていう感覚を持ったからだから
そういう意味でいうとやっぱ自分バカだなって思って
ちっちゃい頭で考えてるなみたいな感覚から
なんかこうね、勉強してるっていうのもなんかあるなと思うね
はいはい、それでいうとある意味その大きさは分からないけど
絶望みたいなものを経験語的に言うと通ってるし
無知の無知みたいなものを若干こう自分だけに理解した後で
その後で積み上げてる感覚っていうのはやっぱあるのかなとは思うよね
これがやっぱりさっきのでいうと
さっきのはいろいろ勉強していくことがとか
いろいろ積み上げていくことがみたいな
知ることにつながっていくって部分はあったと思うんだけど
これがやっぱりその絶望だったりとか無知のうちを通らないと
そこが哲学的にも言うと
何でも知ってるよりは実は知らないんだっていう状態に
一旦やっぱりそこを通らないと
積み上げてるものは全部無駄になっちゃうというか
無駄とは言わないまでもちょっとこう
もったいないというか
俺は知ってる状態か
なっちゃうっていうね
やっぱり自己評価と他者評価というか
実際の点数のギャップがただただ広がり続けちゃうというかね
ずっと認識できない状態に陥っちゃうっていうのは怖いかなと思うんですね
たしかにね
だからその意味で言うとさ
今ねちょっと知識の話をしてくれたけどさ
生きる気ゴールはそれを罪の話でやってるじゃない
どっちで罪とおくみたいな話もあったけどさ
俺はこんだけ絶望してんだっていう人は本当に絶望知らないみたいな話があった時にさ
なんかそうちょっと今日話したいなと思って
言ってもさ僕と兄貴はもちろん兄弟なわけだからさ
同じ家庭で同じ両親のことで育ったわけじゃない
小中高一緒やからね
学校も一緒やからね
もちろん一緒だし
でもやっぱ兄貴は絶望はしてなかっただろうなって思うのよ
絶望はしてなかったかな
挫折とかは遅かった気がする
僕はなんかやっぱり中学生ぐらいに
人生の無意味さとかに
中病を発症して囚われていたから
弟から見て結構チャランプロの兄だった?
悩みなさそうだな
健全に悩んでるなって思ってたよ
自分が不健全に悩んでるなって感覚があったから
自殺って言うとあれだけど死にたいみたいな
もう生きてる理由なんてないみたいなことで悶々としてたから
でもそうだよね、早速中学校の頃ってもうあれだもんね
21:03
大学で家出てたかもしれないしね、あんまり知らないかも
兄貴はいなかったね、家からは
でもなんかそこは面白いなと思って
同じ環境でね、一定育った兄弟だとしても
そういうことに囚われるというか
つまずく人もいればつまずかない人もいるじゃない
実際つまずいてなかったのどうなんだろう
それで言うとね、自分なりのつまずきではないんだけれども
挫折は遅かったんだよ確かに
だからそういう意味で言うとずっとバカの壁を登りつけてたみたいな話なんだけれども
ただ一個振り返るとというか
真はあったって言うとあれだけど
自分なりにね、人生とかついて考えたタイミングというのは
小学校と中学校でやっぱりあって
あったんだ
あったんだけど
自分のその生き方とか
方向性、ベクトルみたいなのに影響を与えたのは
小学校の時はね、一番はね
ソーダ・オサム、小説で
ソーダ・オサムが書いた
『僕らの7日間戦争』っていう
『僕ら』シリーズっていうのが
リアルタイムで新しいのが出てたタイミングだったんだけど
あれにはすごい影響を与えられていて
たぶん今の35とか40までの間の人たち
とか分かってくれるかもしれないんだけど
結構その敷かれたレールだよね
いい高校に行って、いい大学に行って
いい会社に行くっていうことに対する疑問っていうのは
社会的に結構広がってたんじゃないかなと思うんだよね
たしかにね、『僕らの7日間戦争』は大人が作った学校を選挙して
それを子どもたちの手である種自治しながら
最終的にはうまくやり抜けるみたいな
戦い続けるでもなく
負けるでもなくみたいな感じの結論だったんだけど
完全勝利でもないっていうね、面白い
悪い大人をやっつけろっていうテーマで
しばらくずっと相田さんがやってたらしいんだけども
それにすごい影響を与えられていて
だからこのまま真面目に勉強していって楽しいのかなとか
あと親が普通のサラリーマンだったから
別に楽しそうじゃなかったから
どうすっかなーみたいなのはやっぱあったんだよね
だからそれを見てたからただ単に大人への反抗とか
社会への反抗っていう時のスタンスも
例えば思春期って反抗期あると思うんだけど
ただただ何かわからないもので反抗するっていうのはかっこ悪いと思っていて
だから悪い大人、それもね悪いっていうのも子どもなりの価値観だから
24:03
とっても青臭いものだとは思うんだけど
っていうのはあったからなんかその自分の人生
このレールっていうものがあった時にそこから外れてやるみたいなのはちょっとあったかもしれない
なるほどね
そうそうで、でもどう外れていいかもちろんわからず生きていて
中学校、高校1年生かなの時に
当時ベストセラーになったロバート清崎の『金持ち父さん貧乏父さん』っていう本が
読んでたね読んでた読んでた
ベストセラーだったね、あれ親が読んでて
面白いよって読んだ時に
その世の中で金って確かにこんな大事なんだなというか
お金とか経済とか
あとは投資とか
そのに対してすごくフラットな感覚になったんだよね
これこういうのに考えていいんだとか
世の中ってこういうので回ってるんだみたいな
あの本自体はね結構賛否両論があったりとか
ロバート清崎さん自体がうまくいったかっていうとまたその話は別だから
後から考えると別にそれをそのままやればいいって話でもないし
あれは不動産投資の話だから
そうだね
ちょっと違うんだけれども、ただ当時何もわかんない
結局サラリーマンに育った親も投資も何も得てない
普通の家庭だっていう時に
お金についてここまでこうなんだろうな
フラットに考えていいというか
ちゃんと考えていいっていうのって結構自分の中では
過激的な話で
その時に自分ってちゃんとこのお金っていうものを
ちゃんとコントロールするとか
あんまり振り回されずにいきたいな
きっとそれはただ単に普通にサラリーマンになっていく
いい大学行って会社入ってたと
ちょっとそのもちろん達成はされるかもしれないんだけれども
ちょっとそれとも違うしっていうその価値観が混ざった時に
一旦ちゃんと世の中の仕組みとして
経済とか経営とかお金をコントロールする側の話を学ぼうと
それが絶望ではないんだけれども
自分のベクトルを決めた2つの大きな転換点というか
それに沿って生きていったら結構
30前半で挫折したって超遅いって
バカの声を上り続けてそうそうそうって感じだったんだよね
でもその話は初めて聞いたのはいい話だな
面白いねやっぱり岩手の田舎で生まれ育ったからさ
しかも周囲の大人というよりは本からいろいろ刺激を受けて
考えていくっていうのは自分も確かにそうだったなと思うし
なるほどね
27:00
まあそうだよねなかなかロールモデルみたいなものが少ないかったりとかね
反面教師みたいなのしかいない
若いからさみんなダメに見えるじゃん
そうね大人なんてみたいなのがどうしてもあるから
そうそう格好悪い大人ばっかりで
目指すべきロールモデルがないなっていう時に
やっぱ本とかねやったのかもしれないし
申し訳ないけどね今はそんなことはないんだけどね
そうねやっぱ大人になってわかるね
親もすごかったんだなとか頑張って育ててくれたんだなっていうのもあるけれども
やっぱ当時はわかんないよね
わかんないわかんない
そっかそっかだからそっちに行ったんだね
そっちっていうのは経済とか世の中の仕組みっていう方に行ったからたまにきりはね
それこそ経済学部に行ったりとかね
そういうビジネスっていうものに今すごく直足を置いてるんだなって思うし
そうそうだからQ.Q.ゴールとか中世生まれたら
たぶんガチでキリスト教にハマってた人とかかもしれないね
もしかしたらそういうのをちゃんと知った上で
自分でどう生きていこうっていうのも
そういう意味ではねQ.Q.ゴールはすごくなんかいいなーって思ったね
そこはね自分は経済とかビジネスに対して信仰心は持ってないけれども
やっぱり一旦現状をちゃんと知ろうねっていう意味で
そういうスタンスはねちょっとこうすごく共感できた
まあおこがましいけどね
でもなんかそれはすごいわかるというかね
やっぱその当時の主流のというか
やっぱり一番その影響力の大きいもの
当時やっぱりキリスト教だし今で言ったのはやっぱり金融だし資本主義だし
そういうところとどう向き合うかっていうところまで
やったら共通点が確かにあるかもしれないね
その時代をやっぱり作っている世界観価値観とどう付き合うかとかね
それをどうそもそも理解するか
そこを理解しないで操られてるというかね
操られるだとちょっと言い方悪いな
無意識に感じるね
受け入れて生きていくっていうのはそれはそれでもちろん幸せなことだとは思うんだけれども
たまたまなんかねそういう本とか読んじゃったみたいな
なるほどね
するとそこは知らずにはいられないというか
他の奴にはいられないみたいな方にこじらせたね
結局それで挫折してるからうまくいかなくて
やっぱあのセンスも才能もなくて
でもそれも面白いしね
なるほどね
面白いなやっぱなんかね
さっき言った通りでね同じ家庭に育ちながら
やっぱり影響を受けているものとかね
その目指している方法が違うっていうのはねやっぱ面白いなと思うし
確かになそれとなんか駿はなんかまだちゃんと
最初に出会った本とかって聞いてなかったかもしれないな
あーそうだよね
いろいろあるんだけど多分一番
僕自身はもともと心理学を大学ではやっていたんだけど
30:04
中学校の時に河合海雄先生っていう方が書いた
『子どもの宇宙』っていう本を読んだんだよね
河合海雄先生は元々あったらユング
ユングっているじゃないですか心理学者の
ユングの心理学を日本に持ってきて
京都大学でそれを広めたというか
日本の心理学とかカウンセリングの草分けになったみたいな人なんだけど
それ中学校でそんな本?
中学校で
その間でたまたま見つけたんだよね
僕宇宙好きだったのよ
もともと天文学者になりたくて
宇宙の本とか読んだ時に『子どもの宇宙』っていう本を読んで
なんだこれ面白そうと思って読んだの
で読んだら子どもの臨床体験とか
カウンセリングをした子どもたちがこういうことを言っているみたいな
こととか書いてあって
人の心とか内面をここまでちゃんと触れられるとか
接しているとか
それを大人?それこそ当時でも50歳とかだと思うけど
そういう大人の人たちがこんだけやっている世界があるんだって初めて知って
心理学とかカウンセラーに興味を持ったっていうのは結構始まりだったかな
そうなんだね
当時はもうすでにこじらせた後?
こじらせ中かな
こじらせ中?それは何か機会あったの?
こじらせたのはなんだろうね
でも結構なんだろうなでも当時は小説とかかな
やんでる感じの小説とか世界系みたいなものがちょうど物語的にも広がっていて
なんか世界を取るかなんかそれこそね彼女とか自分の命を取るかみたいな
あれか最終兵器彼女とか
最終兵器彼女とかね聞いてる方はわからなかったんですけど
いい人とか書いてた人
本当に多分当時そういう世界と一人の命っていうのがわりと等価というか近い重要性を
主人公に対しては持ってるんだみたいな話が広まった時期があったと思う
そういうのを見て当時はそこまで言語化とか自由で認識はしなかったけれども
やっぱり自分にとっての世界とは何かとかそれだけ自分が大事にできるものってあるんだろうかとか
結構そういうことを悩みやすいことあったんだと思う
なるほどそこでちょっと共感というかね自分だったらみたいなところとか
自分が大事なものは何かみたいなね
33:00
そうそうそうそんなものはあるのかとかどうやったら見つけられるんだとか
今ないとしたら自分の人生は価値がないんじゃないかとか
そっちに行っちゃってたね
そっかそのきっかけ
でもありそうだねそれはありそうだね確かに
そういうふうに感じる
いろいろ現体験みたいな感じだと思うけど多分皆さんにもあると思うんですよ
そういえばあいう出会いがあってとかこういうきっかけでとかね
多分そういう意味である人うまくつまずくというか
それでこじらせて僕の場合も割と20代半ばとか後半ぐらいまでは
もうなんか本当なんだろうな尖ってるって言ったら変な話だけど
なんかあんまりこう人を大事にできない人間だったから
世界撮るか彼女撮るかみたいな話してたのに人を大事にしないみたいな
大事にするのはあれか彼女だけみたいなね
むしろ自分だよねいないから生きる自分を大事にするみたいな感じに変になってしまって
あんまりこうね人も世界も大事にできないみたいな
こじられたかと教えてたんですけど本当に恥ずかしいことでね
今でも若干名残はあるんですけど
でもだからこそやっぱ自分の考えだけじゃダメだとか
もっと世の中いろんな人がいろんなことを考えているから
哲学者みたいな人のことを通じてもうちょっとちゃんとうまく世界と関わっていこうみたいな
そうしないとなんか自分はやっぱダメになるみたいな感覚っていうのは
それこそやっぱ20代前半とかに結構あったよね
なるほどねそういう意味だと大学で心理学を専攻したというのは割とそうだね
哲学っていうのは世界を知るみたいなところがあって心理学は人間を知るみたいな方向なのかなって勝手に思ってるんだけど
心理学を選んだ哲学じゃなくてね当時
それはなんかそういう話からわかる気がするねまずは心理学から
またねフロイとかの時にたぶんまた心理学の話もできたらなと思うんですけど
心理学は心理学で面白いけれどもやっぱりちょっと学問に習おうとしすぎて
本来的な人間を知るとか心を知るみたいなこととずれちゃってる部分もあったりはするから
そういうのを知るとまた哲学に戻ってきた時に面白かったりとか
なるほど確かにわかんないけどねそっか
なんとなく今前半で話したダニー・クルーガーの実験の話とか読むにつけても
確かに心理学とかそういうさ人間の行動
心理学なんていうかわかんないけど
36:00
人を子として捉えるのか人を種としてというかさ
そうだ種族とかね
大きな人間として捉えるのか一人の個人として捉えるのかっていうところでの違いみたいなのも出てきそうだもんね
人間はこういうものですこういう習性がありますって言われて納得する部分もあるけど
あくまで平均の話だったりとかね
そうそう統計のねやっぱり
っていうそれがめちゃくちゃ意味もあるし
逆に自分一人にとっては意味なかったりもするっていう意味で
そうそうそうそう
だからやっぱりね統計的な心理学と臨床的な目の前の人に向ける心理学っていうのはやっぱりまた違うよね
似てるとこもあるけど違うよねっていう話もあるし
だからやっぱり僕自身はやっぱり統計的な心理学を大学で学部だけどねやった時に
これは自分の知りたいものじゃなかったって思って
やっぱり一人一人のことを考えられるのは哲学かなと思って哲学に行ってみたいな感じがあったから
なるほど
そういう意味ではキルケゴールがそのねあの「単独者」っていう言葉があったけど
やっぱりそのヘゲル的ななんか全部構造とかカント的な人間っていうももともと持っている資質だけで全部が決まるって話じゃなくて
やっぱりもう自分とかこの一人の私っていうのがどう神と結びつくかとか
もと言うとどう真剣にこの世の中で生きていくか
やっぱテーマに結構変わったっていうのはすごくポックメイキングのやっぱり時代だったなって思うし
はいはい
そうそうだからね今回の脱団会ってやっぱりちょっとやっぱりキルケゴールの雰囲気もあるから
今だと世界がとかさどう理解してるかやっぱりこういうちょっと内面の話になるっていうのも
そこも含めてこのキルケゴールとか近代哲学のこれからだろうけどね
なんか面白さって出てくるんだろうなーっていうねそういう意味でも個人的にはねそういう導入な感じもさらにしてるよね
あー確かにね
そういうのやっぱり突きつけてくるものはあるよね特に何度も言ってるけどニーチャーとかはねやっぱりもっと人としてとか自分として生きる
もっというと神との繋がりも断ち切った時の人間としての生き方とかっていうのをやっぱり言い出すから
神に頼ることもできないっていう中で
こんだけさ散々神との繋がりとか神が真理とかって言ってきたわけじゃんその2000年ぐらい
それを神なんていない死んだってパスって言った時の馬志向とか
この実学って何ぞやみたいなやっぱすごい面白いし
うん確かにきついよねこのキルケゴールで言うとさ
神がいるから絶望した時にベクトルがあるみたいな話でその神がいないとどっちに自分進んでいたってなっちゃうもんね
39:07
そうなんだよやっぱりそれっていうのも一つのやっぱり大きな方向付けではあるしその思想的なね
そうでちょっとこれも余談的になっちゃうけど途中でさあなんかあの阿弥陀仏の話をちょっとしたじゃないその浄土真宗がみたいな
うんそうねその絶望した後でその信仰っていうものはもう神様が与えてくれてるから
それにすがっていくことっていうのがその絶望を乗り越えることだよみたいな時に
あれだよね阿弥陀如来似てるよねみたいな話を
そうそうそう突然の比喩をしたと思うんだけど
あれもちょっと補足しておくとなんか多分ね考え方として面白いから補足しておくと
あのもともと浄土真宗ってその真蘭って人が作ったんですけど
その根本的な思想として絶対たりきっていうのがあって
へーたりきはいはい
その絶対たりきっていうのがあってもともとその仏教ってこれまでもそのちょっと触れてきた通り
やっぱ自分がどう仏になるかとか修行を通じて悟って仏になるみたいなことをずっと言ってるじゃないですか
あーその定座分仏教ね
定座分もだし大乗もみんな救えるんだけど
その救うために自分が菩薩になる道を選ぶっていうのが大乗の基本的な考え方でもあるんだよね
浄土真宗は限られた人しか悟りとか仏になれませんっていうのが浄土真宗で
みんな仏性は持っているからみんな仏になれるんだけど
それになんだろうな
なれる人それのために修行をしている人とそうじゃない人がいるよねっていうのが大乗の世界観なんだけど
なるほど最初からみんな手つないでって感じではなかったんだねあなたもなれますって言ってあげただけなんだ
そうそうそうそう
大乗
なのでそこでまあいろんな大乗仏教の流派というかねあれがやってきて
僕も別にね鎌倉仏教全部もちろん知ってるわけじゃないからあれなんだけど
浄土真宗はやっぱり面白くて何が面白いかっていうと
それまではその修行を積んだ人が菩薩とか仏になるよっていう世界観だったんだけど
信蘭はそれを諦めるというか挫折するのではまさに
へー信蘭自体が
信蘭自体が
へー
そうで挫折して自分はどんだけ頑張って仏には多分なれないし
ブッダなんてもう遠い遠い存在だから
それは無理だってなってで戦略を探そうね
じゃあどうしたら自分は仏の世界で救われるんだってなった時に
その阿弥陀如来阿弥陀様っていうのは三太の本願っていうのを立てていて
一切の衆生をその仏の世界に連れていくまで自分は涅槃に入らないだったか
42:04
なんかそういうことを言うのね
そういう人がいたのも信蘭の時からもうそういう人が過去にいたって感じなのかな
阿弥陀如来っていう如来がいて
彼はどうやらそういうことを言っているようだっていうことを知りますと
だとしたらそのこの原作で例えば数十年しか生きられない自分が頑張って努力をするよりも
その阿弥陀如来っていうその時点ですごい如来だから
まあアレストリに近い人とか存在にかけて
その人が要は頑張ってくれたら自分も救われるじゃない
要は一切の衆生を連れていくって言ってるんだから
めっちゃ雲の糸垂らしてくれてる人いるみたいな
そうそうそうそう
だからその人に頑張ってくれっていうのが浄土真宗の基本だよね
へー
自分が頑張るんじゃなくて阿弥陀様頑張ってって言って
南無阿弥陀仏阿弥陀仏に悲鳴しますっていうのを唱えるっていう
うーんそれは面白いね
へーすごい超絶望を知った人の作った宗派なんだ浄土真宗って
で合ってるはず
だから有名な言葉で善人良い人も涅槃に入るんだから
良い人や悪人をやっている
要は自分っていうのは救いの可能性がないとか
自分がどんだけ頑張っても救われることなんてない
仏なんてなれないって自覚した人こそ
そうやって阿弥陀様に本当の身ですがれる
要は自分には力がないから絶対たりきで阿弥陀様の恩恵を信じることができる
はいはいはい
悪い人でも救われるんだっていう
要は汚れた人とか自分は全然仏性がないと思っている人こそ
阿弥陀様によって救われるんだってことを言って逆転させるんだよね
ほーあここまで聞くとそうだね
キルケゴールで阿弥陀御来が比喩として出てきたのは確かにちょっと分かってきた気がするけど
これ本編で言ったら長いわ確かに
長いそうそうそう
そばで言うと浄土真宗パートになっちゃうから
そうだねそうだね
へーでもそうねさっきのさだって良い人が救われるなら
言わんや悪人をやってパッと聞くとさちょっと納得できないんだけれども
このキルケゴールの絶望の話とかを踏まえて
もしその悪人っていうものをちゃんと自分が悪だと分かっているとか
そこまでもし行くとしたらそこは納得できる気がするよね
そうそうだから罪を持っているとか世の中的には穢れのない存在には自分がなれないっていう風に本当に痛感した人
自分で頑張らずに他人の力に本当には倒れるよねみたいな
45:04
そういう逆転の戦略がやっぱあるんだよね
なるほどねそっか人殺しとかそういうことを盗みをめっちゃ働いている人こそが救われるとかじゃなくて
ちゃんとそういうことを自覚した人こそがアミダイドライのその垂らす糸に縋れるんだよみたいなところまで言うと分かる
そうそうそうそういう感じ
はいはいはいキルケゴールすごいキルケゴールの回で分かった
そうそうキルケゴールを軸にすると浄土真宗も分かる神壇もちょっと分かるみたいな
やっぱりそういう考え方とかやっぱり人間の弱さみたいなものをね
救い取るという言葉があれだけどそれをちゃんと受け皿としてどう受け止めてあげるかっていうのはやっぱり世の中的にもあるなと思うし
はいはいなるほど面白いね
そっかいつかそうだねちょっと禅とかまたやった後でそういうね神壇とかもぜひ聞いてみたいね
なんかその人生楽しそうだなって
楽しそうって興味深いね
神壇とかもね結構壮絶な人生を送っていたはずだから多分面白いと思う
そこまでも絶望してるね挫折して絶望してみたいな
しかもね日本で一番多いのは浄土真宗だから
うん
なんかすごい知ってていい気がするね
そうそうそう
そもそもやっぱね法念が作った浄土宗と神壇が作った浄土真宗みたいな師匠と弟子みたいな関係もあるし
当然ねなんと6宗みたいな他のじゃああのなんだ林在宗とか
一変の踊り人物がどうだったとかっていう話でもするとねそろそろ楽しいと思うから
確かに楽しい
僕もまだ知らないけど
そうだよね行く前に最澄と空海とかねその前とか
ってなるとねまた大変だけどね
最澄のさらに弟子とかだもんね確か神壇はねそっちから出てきてる人だっけか
もちろんねその空海とかもやっぱめっちゃ面白いし
そこもねやっぱあると全然ねそれ鉄ラジオまだ終わりませんよって毎回言ってるやつが
はいあのやっぱ面白いね人たちというか流れがいっぱいあるので
なるほどね
はいどんどん紹介していきたいなと思ってますって感じですね
はい了解しました
じゃああれはねさっきもちらっと話してたけど次回はまたニーチェ行きながらって感じなのかな
そうですね
はいはい
行っていきましょう
了解しました
はいじゃあまた休憩ゴールお疲れ様でしたということでまた次回からまたよろしくお願いします
お願いしますありがとうございます
ご視聴ありがとうございました