1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #186 【他者 雑談】身近すぎる..
2024-02-07 44:20

#186 【他者 雑談】身近すぎる「他者」/宇宙船 vs ファミコン

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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00:05
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回は、これまで見てきた他人と他者というところのプチまとめみたいな感じで、西洋編のまとめみたいな感じになるという話でしたが、そんな感じで良かったでしょうか?
そうですね、前回話して突然思いついて差し込んじゃったんですけど、今回ルビナスとかブーバーみたいな人を話していて、やっぱり自分に引きつけやすい部分も多かったんじゃないかなと思うんですよ。
自分も例えばそんな風に考えてるなとか、いやそんなこと考えてなかったけど、確かにその風に考えたら面白いよねみたいなことって、特に他人とか他者ってありふれてる、言ってしまえば存在だからさ。
うんうん、めちゃくちゃ身近すぎるっていうね。
だからこそそういうことを深く考えた人の、こういう哲学者の話を聞くと、自分もやっぱり考えてみたくなるとか整理したくなるっていうことってあるんじゃないかなと思ってました。
去年までとかは人ベースやったから、とにかくその人のことを理解しようみたいな感じで、何年5回かけて、なんとか理解できたかもみたいな、3回分くらい土台を積んで積んで、やっとわかったかもみたいな感じだったけど、
今回はテーマ気にしてるっていうのもあって、知識を得るというよりは、その話を踏まえて、僕とか兄貴がさ、どんなことを感じたのかとか、
次の、また優位識に、仏教における他者みたいなところはまた次やろうとは思ってるんですけど、そっちに行く前に1回連れてちょっと話せたほうが、小休止というか、休憩的に1回噛み砕いた上でまた他の話もできるんじゃないかなと思って、
そんな機会があったらいいんじゃないかなと思った感じでしたね。
はいはいはい。そうか、この後のように言っちゃうと全然また世界観が変わるから、せっかくこの西洋哲学モードにあるうちにその辺の話を少ししとこうかみたいな。
そうですそうです。逆に消化不良とかお腹いっぱいでまた詰め込まれるのかみたいになっちゃいそうだなと思ったし、
多分聞いてる方もそうですし、僕も話してて、なんかちょっと消化不良だなみたいな感じが起こりそうだったんで。
はいはいはい、なるほどなるほど。
そんなちょっと小休止みたいな感じを思ってましたということですね。
分かりました。
という感じなんですけど、後々普通に兄貴とやっぱり雑談が盛り上がった。
要はこの収録外の雑談がちょっと盛り上がって、話したいこといろいろあるねってなったのもあるんだけど、
兄貴はどうでした?この西洋哲学的な流れとしてのディクルートからこういろいろSRがいて、レビナスとかウーバーっていう人がいたよって話をしてきたと思うんですけど、
03:11
なんか感じることとかあるいは気づいたこととかってありました?
まあそうだね、まずちょっとその前大枠の話で言うと、今回思ったのが、まずね、他者そのもののっていうのが、西洋哲学的には近代哲学、ディクルートぐらいから出てきたんだよ、意外と新しいテーマなんだよみたいなところも結構びっくりだったし、
あと具体的な話で言うと、やっぱりレビナスウーバーの話、他者って何なんだろうとか、あとウーバーで言うと、我とそれって自分と他者のちゃんとその関係みたいな話をしてくれて、
すごくなるほどっていう意味での解像度、他者だったりとか、そういうことかもしれない、そういうことだったんだな、うまく言語化してくれただったりとか、そうなのかもしれないみたいな発見もあったみたいな感じなんだけれども、
いわゆるその哲学みたいな話で言うと、たぶんね、今回あれ程度深く深く、理論的な話を省いてくれると思うんだけど、結構レビナスにしてもウーバーにしても、結構それっぽいことを言ったもの勝ちなんじゃねっていうのも、後でふと冷静になったときに思ったりしたんだよね。
他者ってこういうことなんだよって、一番それまでの哲学も、そういう面って一番論理的に、ちゃんと説明できた人ガチみたいなところはあると思うんだけれども、そこがたぶん今回それぞれに深くフォーカスしてないから、
なんとなくこう、騙されてるんじゃないかみたいなさ、そう思わされちゃってるんじゃないか的なところもあったんだけど、実際どうなのかな、やっぱ哲学なの、この人たちはちゃんと。
レビナスは間違いなく哲学ですと、たぶん僕はレビナスの法論でもちゃんと理解できない自信がある、できる自信じゃなく、理解できない自信がある。
そうなんだ。あ、いわゆる言葉の定義から、前提条件から積み立てていく的な、やっぱその現象学、FSRの弟子だけあって、きちんとそういう哲学的な作法、それにちゃんとのっとってる人なのかな、レビナスは。
そうだね、現象学をどこまで使ってるかとかは別としても、間違いなく哲学の流れの中で、きちんと過去の反省とか振り返りとか文脈を理解しながら話してるっていうのは間違いないですと。
06:06
レビナーはどうなんだろう、わりとザ哲学者というよりは神みたいなところも含めて、人生に対して深いところを説いたみたいな感じがするんだけれども、もちろん哲学的な流れとか、あんまりすごいいろんな哲学者を参照して書いてるみたいな感じではないから、レビナスよりは少し緩く読めてしまう。
それは僕は知らないだけかもしれないんだけれども。
今までの何千年の土台の上に新しく建てたっていう感じは、レビナスよりはブーバーの方が低いかな、少ないかなっていう感じかな。
確かに今回話してる内容が、なんとなくはわかるけど、それって本当なの?とか、どんなふうに考えたの?っていう話は確かに省いてるなと思ってて。
これは最近読んだビジネス系の本の話なんだけど、ビジネスであれ哲学であれ、ある種答えがないというか、状況とか人とかによって何が正解かが違うってあるじゃないですか。
という時に本で書いてて面白かったのが、答えがないとか、答えがこれだっていうふうに言い笑わせない以上、とにかく仮定がセクシーであることが大事だみたいなことが書いてあって、
仮定がセクシーなんだったら、その仮定から出てきた答えもセクシーであるに違いないみたいな、そういうことを思って人はその正解とか答えを見たときに納得するんだってことが書いてあったのね。
いわゆるストーリー理解的な話だよね。物語とかも話で言ってもらったほうがわかりやすいよねみたいなね。
そうですそうです。たとえばブーバーみたいに、我、男子と我それの2つの根源語があるっていうのがまるで正解とか結論だったときに、それだけ言われてもなんかわからんみたいなことか、
そうかもしれないけどねってなると思うんだけど、ちゃんと1冊の本を読んで、なるほどこういうことも確かに言えるねとか、確かにこういうことって実際あるよねってそのプロセスが減ると、
なんか言ってることにすごく納得するとか、こんな風に言えてるブーバーすごいみたいに思うみたいなこともあると思ってて。
はいはい、思わされちゃうね。
思わされちゃう、そうそうそう。
正解がわかんない以上ね。
そのプロセス自体に、確かにこんな風に考えれる人ってすごいねみたいなことがあると。
逆にレビナスとかその哲学者はそのプロセスがあまりにもなんかセクシーすぎるというかなんだろうな。
09:04
セクシーではないね、たぶん。
セクシーではない、確かに。
ゴリゴリすぎる。
わかりやすくはないからね。
見る人によってはちょっとセクシーだっていう。
そうそう、うってちょっと来る人もいると思うんだけどね。
でもやっぱりその鍛えられるプロセスとかその結果ついた筋肉ってものがすごいみたいな。
めちゃくちゃすごいっていうね。
そうそうそうそう。
この二頭筋のこの超頭の方がとかっていきなり言われてもみたいな話になってくるって話だよね。
素人が素人が。
だったらトロポーションがね。
筋肉全体のことを指してマッチョって言ってるんですけどなんかこの一部のこの筋肉の鍛え方をとか言われてもわかりませんみたいな。
こんな感じだね。
はいはい。
なので、やっぱり兄貴が言ってくれたプロセスのセクシーさというかそこがちょっと省かれてしまったみたいな話はあるかなとは思いつつ。
省いたというか省いてもいいし、ガチでやったところで。
でもガチでやるとそこのレビューナスとブーバーの違いも見えてきただろうみたいな。
そうですね。
そうですそうです。
もちろんレビューナスの回だけでまた取り上げて5回6回喋ることももちろんできるというか。
それと足りないぐらいなんだけど。
一旦はちょっとそういう風に話してみて。
もし興味があった方がいればレビューナスを実際に読んでみてほしい。レビューナスの解説書とかもあるからね。
そういうのをぜひ頑張って読んでみてほしいぐらいな感じですかね。
なるほどなるほど。そっかそっかそこの多分ストーリーというか過程部分がある程度最終的にまとめたから人によっては結論に対する納得感みたいなものが足りない場合もあるよねっていう話だね。
そうだねそうです。
そこは多分さっき自分が冷静にしたときに騙されてるんじゃないかと言ったもんじゃないかと思ったところの過程が足りなかったからそう思わされちゃったというか。
そうだねちょっと省いちゃったって話。
だめちゃったっていう感じだと思うな。
なるほどなるほど。
そういう意味では一旦そういう確かに納得してくれないなとかって思いはありると思う。
そういう風に考えてみたら見えてくるあるよねみたいな。
そういう風に受け止めてくれたらすごく嬉しいなとは思って。
これは僕の思いなんでもうちょっとちゃんと伝わるように台本も頑張ろうと思うけど。
出しっていうのはこう思ったのはほらいつもハヤトは言うけどさ兄貴はいつもその肩を組むって言うじゃん。
全部さいいいねいいねって思っちゃうから。
レビナスの部位はもう諸手挙げて賛成なんだよね。
なるほどね。エンジン組めるねそれは。
3人でエンジン組めるんだけど。
12:00
ふとレースやった時にいつもより多分情報量がいつもやった方が1人の2人それぞれレビナス4階グーバー多分4階みたいになってたのが1階で2人1階ですかみたいなとこあったから。
多分そこで危機感というかいやいやいやそんなにいきなり申しにしていいのだろうかっていうのが与えたのかもしれないね。
面白いねなるほどなるほど。
どうですエンジンを組んだ感じとして兄貴も自分の関係でそれこそ仕事をしてる人とか周囲の関係だと感じることがあったなとかって言ってたけどどんな感じだったの?
まあそうだね。思ったのはそうだね。今回のやっぱり我それ我なんじの方をすごく言語化してくれたというかさ。世の中にはやっぱり我それ側がデフォルトの人が多いと思うんだけど。
ほぼみんなそうって感じだね。グーバーの言い方で言うと。我なんじっていうのはもう永続はしないというか。この時点で消えてっちゃう。我それになっちゃう関係っていう風に言ってるからね。
頑張って我なんじみたいなイメージだったりモードに入れるようにしましょうねみたいな多分ちょっとそういう順番だと思うんだけれども。
そうだよね。それ聞いて思ったのは一部、本当に多分一部だと思うんだけど。この我なんじがデフォルトモードになってる人もいるよねっていうのをすごい感じたっていうのがあって。
ハエトも会ったことあるか、ハエト自身がそうかは知らないんだけど。やっぱり本当に何に対してもゼロベースで検討するタイプの人ってさ。
なるほど。
これこそ例えば倫理観だよね。善悪みたいなさ。例えば泥棒するのは良いことか悪いことかみたいなことか、人には優しくした方がいいのかそうでもないのかっていうのを全部ゼロベースで考えてる人がいるんだよね。
はいはいはい、なるほどね。僕は全然そんなことはない。僕はただ単純に泥棒は悪いことだし、良いことはいいと思ってるタイプの人間だから全然そんなことはないですけど。
例えばハエトは幸せとはなんだろうかとか、自分の場合はお金、経済、経営的な話でコントロールしながら生きていくにはどうするのかみたいなところは興味があるから、自分の興味があるところについては何しかしやすいと思うんだけども、
そうじゃなくて、例えばレストランに行って迷う状況を見たときに、あ、これってこういう理由でこういう形になってるのかな、なってるんだろうな、で後で調べてみると、あ、あのデザイナーが昔やったやつのパクリなんだな、みたいな。
15:10
かなりひどい範囲で物事を取られているという場合があるんだけども、そういう人は結構つらかったらしくて、逆に。
まあそうだよね、そうだと思うよ。
よく言う、このパン食べれるのか、食べていいのだろうかみたいなレベルの話で下手すると、すごく大変だし、やっぱり周りとの価値観というかさ、全然話も合わないというか。
そうだよね。
若い頃は多分すごく大変だと思うんだけど、そういう人はもう我なんじがデフォルトだから、我それの関係にするのに、そうやって一個一個、あ、泥棒はしていいんだ。
あ、違う、したらダメなんだ。
ダメです、基本的にはね。
こういうのを一個一個、いわゆる一般上司と倫理とは別次元で解決しながら、自分の中でも答えを持ちながら、仮説を持ちながら、みたいな場合って、頑張ってそれ化するみたいな。
ああ、そうだよね。
そういう人がいるわと思って、それがすごい言語化されてて面白かったし、自分もだけど、自分の中はもう完全我それ人間だから、そういう人からね、人ってこういうことどう思う?って言われた時に、もう考えたこともねえわ、みたいな話になっちゃうんだけど。
でまた、我それにもなんか、それで言うと、また思って面白かったのが、自分なんかまさに、今話しちゃったけど、いわゆる我それも側って言ったんだけど、実はそれって我っていうものを、自分が正しく捉えられてるっていう前提もあるなと思って。
ああ、なるほどね。
だから、このブーバーの言葉で言うと、自分なんかはもうそれそれ人間なんだよね。わかる?
面白いね、確かにわかるわかる。だから、別に我っていうものも別に、我はこれだってことは特になくて、前提としちゃってるというか、そういうものとして扱っちゃってるってことだよね。
そうそうそう。だから、いわゆるその、自分の頭で考えましょうとか、自分の価値観を持ちましょうとかって言うんだけども、多分我それ側でも、多分我ってちゃんと、我を何時かできてる人が多分結構いて。
うーん、なるほどね。
ただ、我がそれ化されてるような人だと、結構もう自分の価値観を持つとかっていう概念も多分すごく難しくて。
18:10
本当は自分なんかはそれで、例えば、かっこいい服を着る、ファッションとかあるじゃん。っていう時に、例えばもう結構、これがかっこいい、あれがかっこいいとかって自分では思うんだけども、
それって実は、いわゆるその、自分の自己評価っていうものが完全に他者評価に依存しているから、例えばかっこいいと言われてそうな服みたいな、言われそうな服、自分はかっこいいと思う服じゃなくて、かっこいいと言われそうな服みたいなものを選んじゃったりして、
それを着ることで自分ってかっこよさそう、もしくはかっこいいと思うみたいなのってすごいあるんじゃないかなとか、やってきたなとか。
そこはこんがらがあって、逆にそれがかっこいいとされると、今度は量産型になるから、そこからちょっと離れてずれた服を着るのはかっこいいっていう謎の理論をさらに自分がない中でごちゃごちゃと作り上げて、
トレンドとはちょっと違うけど、自分が誰かからかっこいいと言われそうな服を着てかっこいいと思い込むみたいな、すごいぐちゃぐちゃな構造が生まれてたみたいな、
そういう感じでね、その辺の我と他者、それみたいな他のものの解像度というかね、そういうのがすごいブーバーの話で、ある程度納得の形で自分の中で説明されるというか、認識できるような案件だと思った。
面白いね、確かに。一時期めちゃめちゃアメカジュっていうの?古びたジーパンとかめっちゃ履いてたよね。
履いてたし、今でも持ってるし。
そうだよね。だからあれはね、僕は逆にすごいなと思ったよ。そういうふうに自分ないものにちゃんと自分を当てにいくみたいな、そういう世の中でやっぱり王道とか政党とか、アメカジュが政党かわからないけどやっぱり歴史があるファッションのスタイルじゃない?
けど、ちゃんと一回自分はそれに身を浸して、それが本当にどんなものか知ってるっていうのはすごい、僕からはすごいなと思って見てたのね。
それはね、我男児派の人に言われて、身体的理解をしている最中だからそれはもう、お前ダセえなって言われて、死ぬほどダセえなって言われて。
そうそうね、30代前の時に言われて、もうあれだよ、自分で似合ってんのか似合ってないのかもわかんないけれども、とにかく王道からやろう、スーツにしても。
すごいすごい。
21:00
そういうカジュアル医療だったらやっぱりアメカジュが源流だから、そのね、イギリスとかで始まったスーツっていうものが崩されたのがカジュアルの源流だからアメリカとか。
なるほどね。
そこを全部そう、っていう。
まあでも弟子入りだしね、それは確かにあるよね。
だから、たぶんそのね、なんだろうな、まさに道に入るとかじゃないかもしれないけど、そういう修行みたいなのって結構そういうところがあるじゃない。
何も頭ではわかんないけど、とにかく身体からやってみるとかさ。
どう考えても、例えば自分ならダサいと思ってても、例えばまずはやってみるみたいなのって、なんかすごい、確かに我それの世界に生きる人は何とか我男子を知ろうとするみたいな、そういう人並みに近いのかもなって聞いてて感じたよね。
いやーそうだよね。前もどこか忘れたけどさ、やっぱりそういう修行の必要性みたいなものを話したと思うんだけど、まさにそれだよね。
だから、我それ側、もしくはそれそれとかで生きちゃうと、基本無理なんだよね、そこの。
なるほどね。
そこのセンサーが引っかかることって多分ないから、まず身体的に聞き返して、後からこれが何時だったのかな、みたいな順番でしか多分わかんなくて。
今こうやって偉そうにいろいろ喋ってるんだけど、自分がじゃあそれで何時っていうものを、何時的な感じでそれぞれと接せられてるかって言われると、そうは思ってなくて。
多分そこはね、もうやっぱ30超えちゃうともう無理で。
なるほどね。
せめて何時っていう世界があるんだろうなとか、この人は今何時側で話をしてるんだろうな、この人はそれ側の話をしてるんだろうなっていう、そういう世界があるっていうこと?
はいはいはい。
そういう話、自分がそれ、積極的に感じることは難しいんだけれども、少し判別できるかもしれないというか、そういう世界があるのかもっていうとこまでは、せめて意識しておかないといけないなっていうふうに思ってるって感じかな。
面白いね。確かに今兄貴の話を聞いてて、自分は全然あれそれだよって思ったんだけど、確かにちょっと違うなと思ったことが思い出したのね。
ちゃんとこれ無双な話なんだけど、私は中学生の時、中二病をめちゃめちゃ発症してた時期なんだけど、ある時点でやっぱり死ぬとか生きるとかについてずっと考えたわけですよ。
っていう時に、どこまでは人を殺しても情状借りようの余地があるかっていうことを考えてて。
24:02
考えてんじゃん。そこは君やったんだね。そこはね。
例えば殺人は良くないっていう大前提がありながらも、例えば自分の親を殺した人を復讐で殺すのはダメなのかとか、
例えば正当防衛的に自分の命をまさに奪おうとしている極悪非道の犯罪者、その極悪非道の犯罪者っていうのがもうラベル付けなんだけど、人を逆に殺してしまうっていうことは悪なのかとか、そういうことを考えた時があったなって思い出した。
はいはいはい、なるほど。答え出たわ、ちなみにそういう時って。
いやーだからもうそれはなんだろうな、やっぱり社会と個人の世界は違うなっていう話だよね。社会的にはやっぱりどんな理由であれ殺したらダメですよと。
でも個人的にはやっぱり自分殺されそうになっている時に、やさやすとかムザムザとやっぱり殺されるっていうのは間違っているというか、間違っていると思う人を非難はできない、否定はできない。
だからそこには分離があるし、自分としてはなんだろうな、自分を殺す場来たらやっぱりやり返しみたいな気持ちを持って生きていった方がいいんだろうなって思いましたね。
はいはいはい。
だから別に不思議なことを思っているわけではないとは思うんですけど、やっぱりそういうことを考えている時期はあったなって今思い出したね急に。
それが多分どこに向くかっていう話でね。それがその人の価値観だったり特性だったりするし、最初言ったようにそれがかなり広範囲を渡る人もいるっていう。
さっき言い聞きましたけどさ、辛いよねきっとね。本当にガレナンジーの世界に生きている人とか想像するとさ、どこかで心が壊れていくというか、レビナスじゃないけどやっぱりさ、注意のものが自分を破壊しに来ているみたいな。
結構そういう感覚で生きることになるんじゃなかろうかと思うんだよね。
そうよね。
実際そんな感じなのかな。身近な人にいるって言ったけど、やっぱり小さい頃辛かったみたいな話とかもされてたの?その方は。
辛いとは言ってないと思うけれども、多分大変だったと思う。
なるほどね、想像するに。
だから、いわゆる繊細さの人とかもそうだと思うんだけど、最近HSPとかって知ってる?
ハイセンシューパッション。
それは光とか音とかって物理的な刺激もそうなんだけど、やっぱりすごく世界の側から影響を受けやすいとか、やっぱり自分みたいなものが侵されているというよりは壊されているみたいな。
27:09
やっぱり感覚になりやすい人っていうのはやっぱりいているって話を聞いて、こういう感じなんだけど。
はいはいはい。
だからやっぱりそれはすごく大きな問題というか巨大だろうなと思うし、逆にやっぱり我っていうものが、さっき何言ってもらったけどさ、やっぱりそもそも我っていうものがあると考えすぎることによって我が壊されるっていうことも余計に起きてくる。
要は自分がさ、コンピューターみたいに固いものだと思ってた瞬間に、やっぱりすごい衝撃でひびが入っちゃう人ってあるじゃない。
うんうんうん。
むしろちょっとね、次東洋とか仏教の話しますけど、やっぱりむしろ我なんてないのだとか、我なんて別に柳のように変化していいものなんだみたいなことだとすると、意外とそういう自分の世界観が壊されるとかもむしろそんな起きないよなみたいな。
うんうんうん。
結構ね、そんなことをやっぱり最近は思ったりするかな。
それはHSCの方が悪いとかいうことではなくて、やっぱり我っていうものを捉え方によって、そういう物事の捉え方っていうのもやっぱりいろいろ変わってくる。
だからその、この言い方がすごく嫌だったら申し訳ないんだけど、自分は知ってる人が言うには、その感覚、その大変な感覚だよね。
その、より敏感というかさ、繊細で大変な感覚っていうものを、自分っていうものは確かにあるんだけれども、自分と、あと自分が自分っていうマシンを操縦してる感覚がすごくある。
なるほどね、はいはいはい。
分かれちゃってるのかな。
そうそう、分かれちゃってる。
自分を動かしてる自分っていうのがあるっていう感じなんだよね、たぶんね。
そうそう、だからすごく大変。
いわゆる普通に歩くにも、ボタンとかもめっちゃあるし、どこのボタンを押すかどうなるかも分からないから、それは結構一個一個やっていくしかないというか、
もう経験だよね、こうやったら自分はこんなに怒るんだとか、こんなに切りつくんだみたいなこと。
そういうのを一個一個理解していかなきゃいけない。
だからすごく操縦はめちゃくちゃ大変だと思うよっていう感じ。
なるほどね。
だから逆に自分みたいなのは、それぞれ人間はファミコンみたいな、十字キーとBとAしかないから超楽チームみたいな。
30:01
だいたいどういう人が乗ってもある程度は動くよね。
その代わりそういったね、繊細なというかさ、あれはどうなんだろう、これはどうなるんだろうってことを考えるボタンはないから。
なるほどね。
逆に難しいみたいなね、そういう人からすると。
こっちの操縦を見慣れちゃった人からすると、こんなに使えるボタンで斜め例えば45度、斜め23度に進むときどうするのみたいな。
上と右の十字キー同時押しすればいけませんみたいな。それじゃあ23度無理じゃんみたいな。
まあ確かに確かに。
逆に言うとそっちの人はもう、うちらが右に曲がるっていう時に、もう何度曲がろう、76度曲がるかみたいなところまで設定しないともう事故るみたいな。
そうね。
前に進むアクセル踏みにしても、こことこことここのボタンを押しながら右足でこうして左足でこうして、ここをちょっと回転させてやっと一歩前に進むみたいな。
多分そういう感覚があるっぽい。
なるほどね。
確かに。これもラジオ聴いてくださる方もありがたいことにたくさんいらっしゃるけれども、僕と兄貴の今の話を聞いてても、分かるって人もいらっしゃれば分からないって人もいらっしゃるだろうし、
自分はこっちタイプだなってこともあるだろうから、そういうのがすごく面白い。そういう話はもっと聞きたいなって思うよね。
最初この話をする前にちょっとあれかもって話をしたのは、いわゆるマシンの例で考えると、いわゆる繊細な方とかすごく気が利く方とか気づく方っていうのは、
そういうめちゃくちゃセンサーたっぷりの難しいマシンを持って生まれちゃってるわけ。ただ操縦するのは自分なわけ。
その操縦者がどこまでマシンとの親和性を保てるかっていう話で、すごくきつい、難しいと思うんだよね。これもう想像でしかないからさ。
自分は十字キーだから、十字キーで何言ってるって話なんだけど、どのボタンを押しても前に進まないんですけど、このマシンみたいな雰囲気になっちゃうとすごい辛いじゃん。
そこで自分のマシンを乗り越さなくて、きついわみたいな風になっちゃうのも人もいるんだろうなと思うし、
一方ですごくきついけれどもそれを乗り越えられるようになった人って、ものすごい前方斜め14度進みますみたいな話をしながら、
33:08
俺十字キーみたいなコントローラーの人にはわけわかんない話をし始める。お前14度って言ってんだろみたいな。
いやこっちちょっと十字キーなんですけどみたいな。上の方ちょっと強めに押したんですけど、お前それ25度だろ、全然14度じゃねえだろみたいなことを言われながら。
っていうコミュニケーションの違いだよね。そういう意味ではマシン扱うのも辛いし、扱えたとして他人とのコミュニケーションも辛いんだよ。
だから制裁であればあれほど。こっちは右に曲がるっていうのを例えば75度で言ってるのに、周りの人は90度でしか答えてくれないんだけどなんだよそれみたいな。
だからその15度のズレを禁止。だからそのストレスたるやみたいな。しかもどう伝えても伝わるわけがないっていうその15度の違い。
ファミコンだからね。
絶対伝わない。伝わるためにはもう片くんで一緒にいるんで、こうだよって連れてくしかないっていう。
ただね、それも別にやりたくないしやる筋合いもないしみたいな。
ごめんちょっと熱くずっと語ってるけど。
ちょっとそのぐらい面白かった。このグーマンの話が。
いいですねって言われたけど。
やっぱりその哲学をやってて面白いなと思うのは結局みんな違うのだと。
同じ人間っていうのはもちろんあるんだけれども、やっぱり同じ日本人同じ家族兄弟とかってあるんだけど、やっぱり全然違うのってことだよね。
僕と兄貴ですらこんだけさ、そもそも違うわけだからさ。
全然マシンもね、操縦者も違うと思う。
だからやっぱりそういうのをね、そう知った上で、まさにね、ブーマンもさっきやっぱりどう対応するかというか、どう互い世界の中で、やっぱりこう、とはいえね、我と他者ってことは何時かそれかわかんないけど、我と他者であることは間違いないことだし、
ちょっと次の仏教でまた違うことを言い出すんだけれども、やっぱり普段僕らが生きてる間ではそこは分けて考えてるだろうから、やっぱりね、より良い環境をどう作るかっていうのはすごく大事だよねっていうふうに。
ただ当たり前のことなだけだと思うし、その当たり前のことだからこそすごく難しいなっていうのが改めて感じたんだけどね。
そうだね。でもこれだけで解像度高くというかね、話してくれるのもありがたいし、あと今度ちゃんと聞きたいなと思ったのが、レビナスの方でさ、リンリンの話してたでしょ?
はいはいはい。
やっぱり宇宙人が来た時に殺すか殺されるしか基本はないから、
36:02
そうだね、逃げるかみたいなね。
何人か集まった時にどうしても出てくるのがリンリンだみたいなさ、そこでバレるのがリンリンだみたいな話がすごく面白かったからさ、そういう話もぜひテーマとしてあればだし、
もし今回そこを軽く補足できるんだったらぜひその話は聞いてみたいなと思ってたんだけど。
実は他社の次のテーマを正義にしようかなってちょっと思ってて。
あ、そうなんだ。
正義ってまさに正しいとか善悪とかの基準として言われがちだと思うんだけど、
とはいえ一方でよく言われるように正義の反対はもう一つの正義だとかさ、
やっぱりそれこそ今世の中で奇妙な戦争とかやっぱり戦争もいろいろあって大変だなと、本当に大変だと思うんですけど、
やっぱりあれも正義がぶつかり合ってるからこそやっぱりすぐには終わらない?
そもそも終わりどころがないみたいな話だよね。
まあそうだね、ハヤトが言ってた中学校の時にさ、人を殺していいのだろうかって話もまさにそこと繋がってくると思って。
やっぱり自分の親とかさ、大変さ人を殺された時に復讐していいのかとか、
じゃあ自分が殺される時は殺していいのかって話って裏返すともう無限ループで終わんないじゃん。
そうそうそうなんだよね。
そういう怖さがあるなって感じてるから。
今回は他者の話をしたので、そういう正義とか社会的なことを次回テーマにしてやっていけたらいいなと思ったので、
詳しくはそこでまたぜひお話ししていきたいなと思ってました。
でもそこまで兄貴が引っかかってくれたというか、ここ面白いねって言ってくれたから、
じゃあ僕もそれにしようって思えるから、そんな風にテーマがどんどん発展していったらいいなと思ってる。
なるほどなるほど。
そんな感じで今日いろいろ話してみたけれども、
やっぱりこう、さっきも言った通り我というか自分というものを考える以上、他者との関係で切っても切り離せないというか、
もちろん切り離して山奥に籠って生きることもできなくはないけど、
やっぱり本当の意味で他者というものから逃れることはできないよねって思ったときに、
そもそもみんな違う世界を持って生きてるよねとか、
それこそ今スイッチとかプレイステーション5とファミコンぐらいと同じ時代に生きてると全然違う考え方というか世界観で生きてる人がいるよねみたいな。
ゲーム同士で言えばね。
ゲーム同士で言えばね。
何なら宇宙船とだからね。宇宙船のコックピットとファミコンだからね、レベルで言うと。
そういう違いがあるってことを知っておくだけでもいろいろ判断になれるというか、
39:04
自分の理解もそうだし、他人の理解も深いことがあるんじゃないかなというようなお話ですね。
面白いのは、この話だけで言うとそれぞれのコントローラーと操縦士みたいな話があるんだけれども、
その上でお互いが分かり合うみたいないろんな変数があって、
もしかすると今日のナポレオンみたいな人はめちゃくちゃ高性能なマシンと高性能な操縦士だったかもしれないんだけど、
さっき言ったさ、お前右に曲がれっていうのを、例えば75度で伝えてるときに、
他の人が90度ですよねみたいな反応したときに、ブチ切れて殺すみたいな挙動をしてるかもしれないからね。
そうね。
そういう人もいれば、いやそうじゃなくてねっていう、逆に言うとできる人はできる人なりに、
それを天才と表現するからだけど、できる人、分かる人は分かる人なりに、分かんない人のことを想像するっていうことも実は必要で、
それができる人とできない人もいるんだよねっていう、もう面白いなと思うんだよ。
今回で言うとさ、ファミコンのコントローラーのやつが難しそうだなっていう飛行機とかのコックピットレベルの人を想像するのも大事なんだけども、
実は逆も重要で。
あーそっか。
それができる人とできない人もいるな、自分が飛行機のできるからみんなできると思っちゃってる人もいるし、
みんなできないと分かったときにきちんとできない人のことを想像できるかっていうところがすごい重要で、
そこはお互い様だな、できるできない。
そこは本当にどっちが優れてる優れてないっていうレベルじゃないというかだけじゃないというか。
今のごめんちょっとずれたかもしれないけどすごい補足。
でもそこ大事だね。大選定としてどっちがいいって話は全くしてないっていうのは確か改めて伝えた方がいいなと思ってて、
ファミコンがダメで宇宙船が悪いとか、宇宙船の方が優れてるとかってことではなく、
ただ自分の取り扱い方と世界との関わり方が違う人がいっぱいいるっていう中で、
しかもそれは別にお互い様の話であるっていうことと、
例えばこと仕事とかことスポーツを育った瞬間に態度を高く考えて成果を出すやつが偉いとか、
勝利に向かって努力し続けられたのが偉いみたいな基準が後からくっついちゃうなって思うんだよね。
だから特定の状況とかによってどっちがいいとか優れてるとかはあるかもしれないけど、
42:01
人の在り方で言ったらもうみんなそれぞれだから。
人同士のことだったらもうそれしかないから。そんな感じですね。
そこは今の話でちょっと思ったね。
今日ちょっとそういうどっちがいいみたいなね、
あとあれ何時にしても何時の方が良さそうみたいな話にちょっと寄ってたから、
そこはね、ちょっとフラットな方に通っていきたいなと思ってる。
ありがとうございます、確かに。
それはすごく大事だし、確かに僕も気をつけたいなと思ったし、
やっぱこうするとこういう本とか読んでると結構無意識の価値観とか、
やっぱりこっちの方が優れてるであろうみたいなことをすごく大前提においてやっぱり
バレてることが本とかいっぱいあるから。
なるほどね。簡単に流されちゃうんだね、そういうのに。
そうなんだよね。だからね、確かにその辺は自学的にやっていきたいですね。
というような感じでね、今回まだ他者の中で西洋哲学っていうものの流れを見てきたんだけれども、
次はですね、一気に行くと東洋に飛んで、
有意識における他者っていうものについてちょっと考えてみたいと思いますので、
これは今までの議論と全然違う感じになるので、
それはそれでね、楽しんでというか雰囲気を味わっていただくような感じで
聞いてもらえると嬉しいなと思っておりますという感じですね。
分かりました。
ちょっとごめんね、今回はやとの感想というよりはほとんどこっちが珍しくという感じで熱く語っちゃったんだけど、すいませんでした。
いいんじゃない?普段僕が話を聞きたい人もいると思うし、いいんじゃないかな。
そうかな。何の根拠もない個人の感想なんでね。
あれですけど、分かりました。
いやちょっとね、また、多分ね、有識を聞いたら聞いたでそっちがいいって言い出すだろうっていうのが容易に想像つくんだけどね。
楽しみにそっちも運営していきたいと思いますので。
では次回も有識の方、東洋の方ということで楽しんでいきたいと思います。
では引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
44:20

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