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(♪ BGM)
はい、ソレ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このラジオは、身近なテーマをきっかけに哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟2人でお送りしていきたいと思います。
改めまして、兄の関野強介です。
弟のハヤトです。よろしくお願いします。
はい、ついに今回から近代哲学に入るというところで、早速今日は誰についてやってくれるんでしょうか?
そうですね、今回はですね、その近代哲学の父と言われるデカルトをやっていこうと思うんですけど、
たぶん名前よりね、我思うゆえに我ありみたいな言葉が有名かなと思うんですけど、なんか聞いたことあります?
そうだね、デカルトという名前とその我思うゆえに我ありというのはもちろん聞いたことだけあるんだけれども、
そうなんだ、むしろそう、デカルトが近代哲学の父みたいなさ、そういう立ち位置すらもちょっとごめん、ムチすぎてね、そうなんだね。
はい、実はそうなんですよ、ソクラテスが哲学の層とか、アリストテレスとか万学の層とか言われてるみたいに、
やっぱ結構エポックメイキングな人ってそういう二つなっていうのが付いたりするんだけど、
デカルトはやっぱりその近代、特に西洋哲学の結構走りみたいに言われてる人なので、
やっぱりこの人を抑えておくと、いろんな人の哲学っていうのも理解しやすいというか、なんとなく土台ができるかなと思って、
これまでの古代の人から、時間はだいぶ経ってるんですけど、選ばせてもらいましたという感じですね。
はいはい、なるほどね、それこそ前回までは古代西洋哲学と、あと仏教、初期仏教、ナンガルジナという話だったけど、
これはもう英語を学ぶで言うと、アルファベットを覚えましたみたいな、ローマ字を覚えましたぐらいの話で、
この辺わかってるから近代哲学の話もわかるよねぐらいな、そういう感覚でいていいのかな。
えっとね、実は結構違うんだよね。
うわ、出た、出た、違うんだ、ごめんね、いつも間と間が外したら。
なぜかというと、科学、いわゆる自然科学みたいなものって、学問って、ちょっとずつその知見をね、踏まえながら、
要は、時代が進むほど進歩するよ、みたいなのってあるじゃないですか、考え方として。
でも哲学って、あんまりそういう発展みたいなことをしなくって、それぞれの哲学者がやっぱり、
それぞれの自分なりの哲学とかを打ち当てていくから、もちろん積み上げていくものとか、他の哲学者から影響を受けるものとかもあるんだけど、
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例えばソクラテスを知らないとデカルトが理解できないかっていうと、そんなこともなく。
ただソクラテスのことを知ってるから、デカルトが、まあなんだろうな、哲学的により深みとか広がりを持って理解できるっていうのはあるなと思っていて、
同じ土台の中で全然違う戦い方をしている人がいっぱいいる、みたいなイメージなのね、哲学って。
そうなんだ。一つの塔を作って、みんなで作っていくっていうよりは、うまい例えでないな、でも。
そういうことも今回聞いてないもんね。聞いてない哲学の話聞いてないからごめん。まだ聞いてないからね。
最後の感想とか、この辺りのところが理解、イメージで聞いてたらいいかなっていうのは個人的な課題かも。
確かに確かに。そういう意味でやってみてもらってもいいかも。
今後は、近代の哲学とは全然違うというか、話の展開の仕方だったりとか、問題意識があったりするので、そういうのも話していけたらなと思っていますので、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
近代哲学入りますよっていう中で、今後どういう話をしようと思っているかというのも最初にお伝えしたいんですけど、
やっぱり今回はデカルトをやるんですけど、その次は、やっぱりカンとヘイゲルあたりはやりたいなと思っておりますと、
あたりはって言っても、あんまりイメージは開かないよね。
全然ごめん。何も知らない人前提で、赤ちゃんに教えてる前提でお願いします。
もちろん、このデカルトが生きた時代って1600年くらいで、今から400年前くらいなんですよ。
400年前というとかなり昔の気がしつつ、とはいえ、いわゆる近代という時代的にも進んできたりとか、いろんな本とかも残ってるんで、
いろんな人が活躍してますと。それこそ、本当に拾い上げようといえばいろんな人がいるんだけれども、
その中ではやっぱりデカルトとカンと、特にヘイゲル。ヘイゲルは大体1700年くらいの人だったと思うんだけど、
ヘイゲルは近代哲学を完成させたって言われるくらい、結構哲学界では巨人というか、有名な人なので。
カンとはカンとで、超有名というか、避けては通れないみたいな人なので、まずはそういう人たちをしっかりさらっていくというか、たどっていきたいなと思ってますと。
近代哲学入門的な感じなんだね。 その辺。その後は僕が好きな哲学者がやっと出てくるんですよね、この1800年代くらいから。
行くと、ビトゲンシュタインとか、ニーチェとか、フッサールとか、そんな人たちもらいたいなと思ってて、そこまで来ると大体1900年くらいまで時代が流れていくみたいなイメージです。
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はいはい。だいぶ近くなってくる感じがするね。 そうね。100年前くらいなので。
これまで古代の西洋哲学とか、あとはブッダとか空の思想っていうのはやる中で、結構兄貴も考え方とか、世界の見方が広がったよみたいなことを言ってくれてたと思うんですよ。
哲学ってそういうところが僕も面白いと思っているし、それこそフッサールって現象学っていう哲学の中の領域というか、そういうのを始めた人なんだけど、
そういう現象学的な考え方とか、現象学的な考え方の背後になったニーチェの思想とかっていうのをやると、また結構違う世界の捉え方とか、ものの見方ができるかなと思うので。
デカルトの話だけでも結構面白いと思う。そういう、なるほど、こういう世界に捉え方をしたのねみたいな面白さを感じてもらえるんじゃないかなと思ってます。
楽しみだね。古代2500年前との違いとかもいろいろあるだろうから、その辺がどんな感じなのか。
そうだね。で、まさにその違いというか、テーマみたいなところでいくと、やっぱ結構この近代からの哲学っていわゆるこの正義とか道徳みたいな、やっぱ正義とかって結構哲学っぽいテーマとテーマだったりするので、
そういうものとか、神、禅、美みたいな、良いとか美しさとか、そういうことも実は哲学から考えると深掘りできたりするので、そういうものもいろいろと感じていただけたら嬉しいなという壮大な思いを持って、
これから近代哲学の話をするというハードルをぶち上げたんですけど。
なるほど。そこらへんとか古代西洋がそもそもその真偽とは何かとか、イデアとは何か、ザックリと言うとあれだけど、そういう理想みたいなもの、そういうものがもうちょっと多様化した感じなのかな。
正義のイデアとは何か、道徳のイデアとは何かみたいな。
イデアと言っちゃうと、ちょっと狭まれすぎるんだけど、結局正義というのをどうやって語れるかとか、どうしたらお互いに正義というものをちゃんと理解し合えるかとか。
そうか、変に理想化せずに、もうちょっとフラットに語ろうやみたいな感覚ではあるのかな。
フラットにというか、もう人間の認識そのものとか、考えるという行為自体から掘り下げていくみたいな感じなんだよね。
正義とか道徳といったものをそういう視点で掘っていく感じなんだ。
そう。そう。そう。
今日のデカルトの話でも感じてもらえると思うんだけれども、彼は正義とかっていうよりは、そもそも学問をするとか、物事を考えるには、
ということを考えるにあたって、どこから考えたらいいのかを考えた人なのね。
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というのを、今はまだわからないかもですけど、2回目、3回目くらいの話を通じながら、ぜひ皆さんにもお伝えしていきたいなというのが、今回やりたいことでございます。
なるほど。これはまた、ゼロから積み上げていく感じが楽しみではあるし、
今の話を聞いただけれども、例えばテーマが正義とか道徳ってなってくると、個人的には倫理の話。
倫理と哲学って何が違うんだっけみたいなところから、もうわかんなくなってきてるから、
ぜひ、そういう、まとはずなこと言ってたら、それは倫理の話、倫理とはこういうもんだとか、
そういう言葉の定義みたいなところも正していただければと思いますんで。
了解、了解ですって言ってたら、僕もわかんないなと思いながらだけど、でもそういうのも話しながら見えてくると思うので、やっていきましょうと。
第1回はこれまで通り、そもそもデカルトってどんな人なのとか、いきなり時代が飛んだので、
1600年ってどんな時代だっけっていうところから少しお話できたらと思ってるんですけど、
これまで、ラーガールジュナーですら、紀元後200年ぐらい育ったんですけど、
デカルトは1596年の3月にフランスで生まれた人ですと。
だから、ラーガールジュナーの時代からしても、1300年、1400年ぐらい経ってるんで、
まあまあ、だいぶ未来の人ですと。
実はね、お父さんがフランスの皇道皇院っていう、いわゆる日本の最高裁判所みたいなところの裁判官みたいな形で、
いわゆる王族とか貴族とかではないんだけれども、社会的な地位というか役職でいうと結構高い家庭に生まれますと。
かなり陰的な感じがするね。
そうだね。邦楽っていうところもあるしね。
ただ、お母さんが結構病弱で、早くに亡くなってしまうんですよね。
本当に2歳とか3歳で確か亡くなったと思うんだけども。
これを受けてしまって、デカルトも非常に体が弱かったって言われてますと。
色々食生活とか変えていって、20歳頃には体調も良くなったよって言われてはいたんですけど、
年をとってから40歳、50歳くらいになって、凄い寒い地方の女王様に
私、あんたの考え方興味合うから家庭教師で来てくれって言われるのね。
本当は嫌だったんだけど、まあまあ、しゃなしで行ってみたところ、
その寒い地方の気候というか、環境に耐えられずに病気になってしまって、54歳になったみたいな話が残ってたりする人なんですよ。
それで死んじゃうんだ。
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もちろん体調なんで元々悪かったとかあるかもしれないけど、
結構環境とかストレスというか生活が大変で亡くなったんじゃないかと言われたりもする人ですと。
結構早く亡くなってしまった人なんだけど、
もうちょっと時代背景的なところでいくと、1600年、1596年に生まれたので、
その前後って、世界史的に中世と近代の境目みたいに言われている時代です。
例えば絶対王政、さらに世界史とかでやったと思うんですけど、
有名なルイ14世は1640年頃の人なのね。
いわゆるキリスト教的な世界というよりも、王様とか王族が強いみたいなところの過渡期だったりとか、
もちろんいろんな科学とか文学とかも進んでいって、
イギリスにはシェイクスピアがいたり、
イタリアにはガリレオ・ガリレイ、望遠鏡とかで木星の衛星を発見したみたいなことがあったり、
これも経済とかやってる方はご存知かもですけど、イギリスの東インド会社、
インドとの貿易をするぞみたいな感じで、歴史上初めてできた会社だよと言われている東インド会社ができたのも1600年だったりします。
そうなんだね。
結構この時代を知るだけでも面白くて、
世の中的にいろんな科学とか合理性みたいなところにも進んではいるんだけど、
一方でまだまだキリスト教の世界観が強かったりとか、いわゆる魔女狩り、
いわゆる何か悪いことが起きると、あるちょっとデッチ上げみたいな感じで人が処刑されてしまったりとか、
誘罪犯罪を除けたりするみたいな、まだまだ開かれていないところもあって、
そういう混沌な時代が1600年前後でした。
なるほど、そうなんだね。
この前にルターの宗教改革とかが1500年代の半ばからあって、
その後の影響がどっちに転ぶか分からなかった状態みたいな、ちょうどカトリック的なものがゆらり始めていて、
その中で人間とは何かとか、神とは何かとか、そういうちょうどグラグラと揺れている時代みたいな感じなのかな、
まだそれが啓蒙され尽くしたという話でもない頃なんだ。
そうだね、一般の人はまだ同じような生活を続けていて、
そういう学問的に先進の知識を得ている人とかはどんどん違う価値観になっているみたいな、
結構社会がゆらり動いていた時代だね。
そうか、面白いね。そういう意味では、みんなが一世の出で開かれた、暗黒時代から開かれたという感じではなくて、
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ある意味そこは一般、まだ字も読めなかったりとか、本も読んでいない人たちと、そういう情報が解禁されて、触れられる人との差というのは、
一回広がっているみたいな感じもあるんだね、もしかすると。面白いな。
そうだね、まさにそれはあって、僕も最近勉強しようと思って、生き甲斐の世界史みたいな本を読んでいるんだけど、
いわば、各時代の人がどんな生き甲斐を持って生きていたのか、民衆学みたいなものを読んだりするんだけど、
やっぱり一般の人たちはまだまだ、本当に生きるのも大変でとか、労働環境が苦しくてとか、そんな感じでも福祉されて大変みたいなね。
一方では、世界大航海時代で開かれていくとか、望遠鏡を作って、全然地球じゃない世の中を見れるとか、いろんな価値観が世の中にあった時代。
というのがヨーロッパの時代で、日本で言うと、石川からの戦いが行われて、まさに西北時代が終わって、これから江戸時代が来るぞとか、徳川の世が来るぞみたいな時代だよね。
という時代に、やっぱりいろんな思想とかも出てきますよ、というのがあったと思うんだけども。
実はね、デカルトの話をここからしていくんだけども、デカルトって実は哲学者である前に、何よりもまず科学者なんですよね。
意外と知られてないかもなんだけど、
哲学者だったりとか、光の学問とかで屈折の理論的なものを数式で表したりしてる人なんだけど、
あとね、例えば、いわゆる中学校とかでXY座標とかって覚えてる?
横軸にXがあって縦にYがあって線引くとかあるじゃん?
さすがにそれは覚えてる。
あれって実はデカルト平面とかデカルト座標って言われてて、
あれ作ったのデカルトなので。
それはすごいね。いきなり短いなった。
意外と知らないんだけども、僕らはデカルトが考えた数学を授業でもやっているし、
哲学とか歴史でも哲学者、デカルトを知ってたりするみたいな感じなんですよ。
みたいな感じで色んなこともやっているし、もちろん大学でも色んな学も学んでいて、
お父さんが裁判官とかだったりして法学も学んでます。
ちょっとこれもチップスというかトリビア的なやつだけど、
大学で使われているテキストってアリストテレスの時にまさにやったような
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ニコマコス倫理学とか、あと刑事上学という本を使って勉強してるんですよ。
当時でも2000年前ぐらいの?
当時でも2000年前ぐらい。
逆にそれまでとか1000年間ぐらいって、キリスト教の進学の影響が強すぎて、
あんまりそういう新しいテキストとか、これを元に勉強する意味がないから、
その分古代ギリスとかアリストテレスみたいなものが結構盛り上がってきた時期でもあるんだよね。
盛り上がった後ぐらいか。
なるほど、そこそこ天道説地道説みたいな感じで、あんまり自然哲学深掘ってくれるなみたいな時代が長く続いたみたいな感じ。
その反動でこういったものをもう一回1600年終了改革が終わったあたりで、
アリストテレスとかがずっとそれを学んでたんじゃなくて、再発掘されたあたりって感じ?
そうだね。アリストテレスも何回か再発掘されている中での2回目、3回目みたいな感じ。
そうなんだね。じゃあこれをキリスト教、カトリック的にはアリストテレスを学びなさいって言ってたわけではなくて、
こういうのをやっとまた日の目を浴びてきたよっていう感じだったと。
そう。キリスト教の時代にはスクラー哲学という別の哲学体系というか、
進学という合社哲学があったから、そっちはそっちでまた触れれたら面白いなと思うんですけど、
というのがある種乗り越えて、またアリストテレスとかに戻っている時代です。
デカルトはそうやって大学をもちろん卒業していくんだけれども、実は法の道じゃなくて、軍隊に一回入るんですよ。
それは時代的にそういう感じだったのかな?軍隊に行かなきゃいけないみたいな、どっちかというと。
行かなきゃいけないわけではなかったんだけど、やっぱり世の中のことを見たいとか、最前線で起きていることを知りたいというところで、
当時だと30年戦争ってドイツとかかな?ヨーロッパで結構長い戦争がずっと起きている時代だったので、
ある種の戦争が短かと言ったらあれだけども、当たり前にあるものでしたと。
そこで軍隊に入るんだけれども、30年間も戦争しているわけだから、
別にずっと遊児というか戦闘が起きているわけではなかったりするんだよね。
この時に逆にデカルトは、ある種の喧騒から離れて、わずらわしさから離れて、ゆっくり物事を考えることができたというふうに後で振り返っていて、
その時の経験とかが、その後の思想とか哲学にも行きているよう、みたいなことを言っていたりしますと。
デカルトの哲学とか思想って何よという話なんだけれども、
結構さっきのデカルトはそもそも科学者だったみたいな話にも関わるんだけど、
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デカルトは何が物事を考えたり進めていくにあたって、
その学問なら学問を進めるための方法を重視するのね。
ちょっと言うと、あれこれやってみて行き当たりばったりじゃなくて、
こういうのを筋道をたどっていけば正しい答えとか正しい考えに行きつくみたいな、
その筋道というのをめちゃめちゃ大事にしますと。
なので、まずはこの筋道というのを明確にしなきゃいけないよということで、
実は書いたのが「方法助説」というデカルトの有名な本があるんですよ。
「方法助説」っていわゆるやり方の方法に、助は助論とか助文とか始まりの説ということなんだけど、
要は学問的な考えを進めるにあたっての方法を初めに説明しますよってことを言ってるのね。
なるほど、考え方入門みたいな話か。
そうそうそう、自分はこれからこういう考え方に沿って話をしていきますよというのを初めにみたいなものが、
今でも「方法助説」という本というか、1個の読み物になって売られてるというか、読み継がれてるという感じなんだけど。
誰かのために書いたというのはもちろんあると思うんだけど、自分のスタンスを説明したみたいな。
そう、そんな感じ。
実は最初に言ってあげても知ってるよって言ってくれた「我思う揺れに我あり」、
「故とエルゴ住む」というのがマラ天王の言葉ではあるんだけど、実はこの本で出てきますと。
なので今日はこの「方法助説」という本をとどりながら、デカラとの思想に触れられたらいいなと思っていて、
深くやっちゃうと、それはどこまでも言っちゃうので、ある程度わかった、気になれるくらいまでお話できたら嬉しいなと思っているというところです。
あとは僕自身がデカラと読んでて面白いなと思っているのが、さっきまさにキリスト教とか神みたいな話をしてたんだけれども、
デカラとそういう「我を思う揺れに我あり」とか「科学が大事」とかっていうのと同じ土俵で神様、神様っていうか神のような存在を証明するってことを本でやってるのね。
それがなぜかとかどういう風にやるのかみたいなのは結構知っても損はないというか面白いなと思っているので、それも触れてみたいなと思っていたりします。
それも興味深いね。科学とかに馴染みがあるとか、そっちを極めているような人が神っていうものをどう捉えて、何を証明しようとしたのかっていうのは興味あるし、
そこも興味あるし、それをどうやったのかっていうのも面白そうだしね。
僕らが神の存在を証明しようとか言ったらどうやっていくかそもそも分からないじゃない。
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そうだね。神ってそもそも定義できないだろうし、それにどう近づいていくのかっていうのは。
もちろんその辿り方自体は僕らから見たらツッコミどころがいっぱいあったりはするんだけど、デカルトはこういうことを考えてこういう方法論で神っていうものを証明しようとしたのかっていう話自体はめっちゃ面白いなと思うんで、
ぜひそれも楽しみにしていただけたらなと思っています。
なるほど。今日は今回がついに近代哲学の始まりということで、まだその時代背景とデカルトがどういう人だったかというところを軽く教えてもらった感じなので、これから、次からその哲学っていうところの話を教えてもらえるっていう感じかな。
そうだね。長い時代みたいに前提の説明めちゃめちゃ長くやるとかっていうのは今回はないので、次からもういきなりデカルトの話をしていこうと思っております。
そうね、本当にこの前までは古代哲学をちょっとわかった気になって、いろいろね、これイデア・デュートとかって言ってたけど、今はもう近代哲学の赤ちゃんだからね、全くわかんないんで。
なんも話せないんで、ただただ次回をお楽しみに待ちたいと思います。
一歩一歩やっていきましょう。
次回もよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。ありがとうございます。
♪~