1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
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2022-11-27 43:23

#62 孤高の天才、ニーチェが生きた時代と生涯

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「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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00:00
♪~
はい、それ鉄ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このラジオは身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟二人でオークにしていきたいと思います。
改めまして、兄の関野京介です。
弟の駿人です。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
前回までは、近代哲学の実存主義の走りということで、旧ケゴール、キリスト教の信仰、絶望とは何か、みたいな話をしてきまして、
人間とは何か、人間はどう生きるべきか、みたいなところが、初めてそれ鉄ラジオでそういう自分の生き方みたいなところに目が向いた瞬間ではあったのかなと思ったんですけれども、
その中から、前回から話も出ていたニーチェ、ついにニーチェみたいな感じになるのかなとは思うんですけれども、どんな感じになっていくんでしょうか。
そうですね、結構これまでのも、ニーチェっていう名前は出ていたりとか、お便りとかでもニーチェの話聞きたいです、みたいな感じで、人気のある人みたいな感じがあったと思うんですけど、
なんか兄貴はニーチェのことはどのくらい知ってますかと、久々のこの流れですけど。
そうそう、いや、そうなんだよね、お便りでもやっぱり楽しみしてるのはニーチェっていう声も多くて、こんなに人気なんだなと思ってたんだけれども、
本当わからない、本当に名前しか知らなくて、何を考えた人とか、よくそうね、いつ生まれて何をした人なんていうのが本当わからなくて。
なんか結構有名な本とかで、それこそ「ザラッテストラは各語り器、魔法語った」みたいな本とか、あと「この人を見よう」とかあるんですけど、聞いたことある?
ない。
ごめんなさいね、けどないね。
そうなんだよね、だからもう「キルケゴールはすごいな」っていうのは、この前の話でもあったから、その人と対比されて「神は死んだ」、その言葉とか確かに聞いたことはあるけど、
って比較されるくらいの人だからすごいんだろうなっていう。
なるほどね。
恐れて面白そうな中でしかね、こういう界隈の情報を仕入れてないからね。
そりゃそうだよね。「ソレテッツラジオ内の哲学知識で言うと、きっとすごい人あるんだろうな」みたいな。
そうそう、これまでの流れからするときっとすごいんだろうなっていう。
はいはいはい。そうですよね、正直「ニエチェすごい」みたいな話って結構実は難しいなと思っていて、実際その哲学史上、哲学の歴史において「ニエチェってすごい人だよね」とか、参照されるとか、
03:13
「ニエチェのことをした時期にいろんな人がいろんな物事を考えてるよね、それは現代哲学にもつながっているよね」とは言えはするんですけど、
ニエチェのこの思想がすごいとか、こんな体系だったら、それこそヘーゲルみたいな伝承法みたいなものを編み出して、ニエチェ方程式みたいなものを出したとか、そういう感じでは全然ないんですよ。
そうなんだね、テクニック的な「これをやれば儲かる」って、「これをやれば幸せになれる」みたいな、あと「賢くなれる」みたいな、そういうことじゃない?
逆に言うと、それをやらなかった頃こそこれだけ人気というか、今有名になっているみたいなところが正直あったりして、ニエチェと対比するキルゲゴールみたいな話もあるんですけど、
もう一個はマルクスなんですよね。
私、ラジオでもまだマルクスに取り上げてないんですけど、あの1回デカルトやるときに大きな流れとして、デカルト、カント、ヘーゲル、マルクスみたいな話をちょっと触れたと思うんですけど、
マルクス主義っていうのが、僕ら1985年とか、僕90年とかだけど、東西冷戦のほぼ終盤ぐらいに生まれた人からすると、あんまり現実味がないじゃないですか、マルクス主義とか社会主義とか。
そうだね、日本でもそういうのが盛り上がったので、たぶんうちらのもう2世代くらい前とかなのかな。
そうだね、父親とかおじいちゃんおばあちゃん世代かな、みたいな。
ただやっぱ当時はマルクス主義っていうのがすごくて、資本主義を打倒する、打倒というか乗り越えるならマルクス主義だ、みたいな。社会主義だっていうのがあったんだけれども、
もしかしてソ連の話とか、いろんな時代的な流れの中で、マルクス主義実はうまくいかないんじゃないってなった時に、実はその時に見直されたというか、新しく評価されたのがニーチェみたいな感じがあるのね。
その本人が生まれてから100年経つか経つくらい、70年80年くらいしてから、もしかしてニーチェの言ってることって実はすごかったんじゃね、みたいな話とか。
もしかしてこの、いろいろ実は後でも話すんですけど、ニーチェの書いてたこととか言ってることが誤解されてた時期とかもあって。
それを乗り越えて、実はニーチェの言ってることを丁寧にたどっていくと、いわゆるヘーゲル的なというか資本主義的な、歴史がただ発展するだけでもなく、
06:07
社会主義的な、資本主義を打倒せよとか、新しいものを打ち立てろって言った結果、結局新しい権力が生まれちゃったってのでもない、第3の道というか。
また違う哲学とか思考の方向性があるんじゃね、みたいな感じになってったっていうのが、結構1960年とか、たぶん戦後いわゆるの哲学界だったみたいなのがあるんですよね。
(岡田)ああ、そうなんだ。生きてる時にめちゃくちゃ成功したというか、評価されたっていうよりは、もしかすると早すぎる天才みたいな感じで、後から発掘されたみたいな感じなのかな。
(三沢)そうだね。やっぱり再評価みたいなの結構あるかな。ニーチェ自身も自分の思想っていうのは200年後に評価されるみたいな、ちょっと間違ってるかもしれないけど、
本人も200年くらいのスパンを持って、いろいろ本を書いたりとか発信してたっていう話があって、ちょうどこの後また話すんですけど、
生まれてたのは1840年くらいかな。ちょうど200年経つくらいなんですよね。今2020年だから。
そういう意味ではニーチェが言った通りの世界になってるじゃんっていう人もいるし、ニーチェなんて別に見る必要もないよみたいな人もいるしっていうくらいの、
やっぱり読む人によってかなりいろんな受け取られる方がする人ではあるんだけど、
ヘーゲルとかと一緒で、乗り越えるにせよ否定するにせよ賛同するにせよニーチェを知らない、ヘーゲルを知らなきゃいけないよねみたいな話は多分一緒で、
ニーチェを否定するにせよ、むしろ否定しようとすればするほどちゃんとニーチェを知らなきゃいけないし、
ニーチェに乗っかる時にも、ただ何か言ってることを受け取るんじゃなくて、その本質なによってのを知らなきゃいけないし、みたいな、そういうことをするべき哲学者というか、
思想家だよねっていう感じはあるかな。
僕自身って言うとニーチェは好きなんですけど、結構何回か言ってると思うんですけど、
すごい力強さというか、人類、彼で言うともしかしたらドイツ国民かもしれないけど、彼はドイツに生まれているので、
結構ドイツ国民に対して物を言うようなことは結構多いんだけど、
ドイツ国民とか人に対しての力強さとか、割と愛情みたいなものを感じることがあって、
哲学っぽくないんだよね、そういう意味で言うと。もちろん哲学の大学で勉強しているとかも含めて哲学者ではあるんだけど、
いわゆる実存主義とか、生の哲学がまた別の人なんだけど、その源流がニーチェにあるよねみたいな話もあって、
09:11
前回、冒頭でも兄貴が聞いたけど、俺だけ個人というか人が一人の人間としてどこへ行けるかみたいな話もしてくれたと思うんだけど、
ニーチェはまさにそういう、個人としてどこへ行けるかもそうだし、人類として人間というのはどうあれべきかということを考えて、
そうやって反進していたという意味ではやっぱりすごい人だったよねっていうのは言えるって感じですね。
なるほど、そっか。いや、そうだね。こんだけ有名な人だからもう生前というかね、生きているうちからめちゃくちゃね、本もバカ売れしたベストセラー作家みたいな感じのイメージというか、なのかなと思ったんだけど、
そうなんだね、結構。後から評価。
結構有名な話で、さっき言ったね、サラッドストラは各型歴こういったみたいに言われる本があるんだけど、あれ4部作というか、第1部、2部、3部、4部みたいに分かれてるのね。
ニーチェ自身は書けば書くほど人気出ていって、売れんだろうみたいなことも多かったと思うけど、
全然売れなくて反響なくて、第4部はどの出版社も出版を引き受けてくれなくて、しゃーなしで自分で40部吸って、身近な人に配ったみたいな話が残ったりするのね。
40部か、なるほどね。本人としてはドイツ国民だったりとか、人間にすごく必要な考え方だったりとか、生き方だと思って本気で書いてるのに、やっぱり早すぎたんだね。分かってもらえなかったんだね。
やっぱりその土台がなかったんだと思うんだよね。僕も今回、改めてニーチェの話をする時に、もう一回その「チャラテストラ」を読み返したのよ。
やっぱり分かんないんだよね。何言ってるんだか。この人みたいな。
なんとなく前提知識として学んできたことがあるから、きっとこうなんだろうなっていう考え方しかなくて、ニーチェのテキストを丁寧に読んでても、何言ってるんだろうな、このおっさんみたいな感じになるんだよね。
それでもやっぱりこうやく人気があるとか、有名な本も読んだことあるくらいの人がもしかしたら多いかも、みたいなのは読んだ。さっきの言葉の力強さだったりとか、生き方みたいなところに、そういう意味ではキャッチーさっていうのは、今の現代人というか、今の人たちからすると、そこがぴったり200年後くらいにハマるから、
12:01
言い口としてその言葉を刺さってニーチェ読んでみようとか、なりやすいみたいなところもあるってことなのかな。
そうだね、ぴったりハマるっていうのは結構難しいところもあるなと思ってて、それこそニーチェ名言とかって検索すると、もういくらでも出てくるのよ、サイトが。
ニーチェの思想というか書き方の特徴として言われるのが、アフォリズムって言うんだけど、日本語で訳すと禁言とか格言みたいな、要は「成し先は人のためならず」とか、「老文は一日ならず」みたいなのがあるじゃない。
あんな感じでニーチェの本を読んでいくと、「事実なんてどこにもない。あるのは解釈だけだ」みたいな、そういう言葉があるのね。
例えばそれまで伝えたら、「事実とはこうこうこういうもので、解釈とはこうこうこういうもので、だから事実とは解釈であると言える」みたいな説明が続いたりするじゃない。
そういうのないのよ。言い切りっぽい感じがあるから。
これまでお伝えしてきた通り、ニーチェが言ってる事実とか、ニーチェが言ってる解釈ってどういう思想から喋ってるのかわからないと、本当の意味ではそれって理解はできないと思うんだよね。
まあ、説明してないから本当の意味で理解っていうこともないというか、難しいんだけれども。
なるほどね。そこは解釈の余地か。
ただいろんなテキストとか、本人の思想とか、辿ってきた歴史的な思想的な背景とかっていうのを丹田に継ぎ合わせる時ってこういうことを言ってるよね、みたいなことが多分あって、それがまさに哲学者の方々がやってることなんだよね。
僕らはそれを全く知らずに、事実なんてなくて俺の解釈だけだとかいう時に、確かに確かに、だから自分が思った解釈が正解なんだとか、事実なんてないからお互いに理解しちゃうなんて無理なんだとか言っちゃうと、それは間違ってるというか、結局自分のそれこそ解釈だけというか、自分自身の捉え方だけで捉えてるよねっていう風になっちゃうし。
はいはいはい。そっか。まあ、それは力強いね、確かにね。確かに深みもあるし。
そういう意味で言うと、多分そのいろんな誤解、それこそ神は死んだとかっていうのに対して、この人神様嫌いだったのかなとか、最後発狂して亡くなったりするんだけど、神は死んだなんて言うから発狂したんだみたいな、
なんかこう、よく、何だろうな、本質的ではない批判を受けがちな人だったりもするんだけれども。
15:04
この前のKKゴールの話を踏まえると、でもね、罰だ、罪をちゃんと認識しなかったら罰だって言われて、確かにいいって思っちゃうかもしれないし。
そう、神を信じないとそういうことが起きるんだみたいなね。やっぱりそれじゃなくて、ちゃんとその思想として考えた時に、やっぱりどんな意味合いがあるんだっけとか、
あとやっぱり僕自身もニーチェの解説者の本だけども、それを読んで、それが本当にニーチェが言ってるかとか、それが正しい解釈かどうかは別として、
やっぱりそれすごい力強いというか、そしてよかったなって思う話もあったから、
今回ニーチェの話を通じて、そういうものも触れながら、ニーチェってこういうところではすごくわかりやすく思えるし力強いけど、
こういうところはすごくわかりにくいし、結構誤解が生じがちだよねみたいな。
そんなところも、あくまでも僕が知っている範囲というか、今持っている範囲ではあるんですけど、なんかお伝えできたらいいなって思ってる感じですね。
おー、なるほど、そうはね、こうやって多くの哲学者だったりね、多くの人たちを魅了するニーチェっていうのがね、確かに何がそこまで引きつけるのかみたいなところが、
ちょっとそうはね、興味があるよね。
うんうん、そう、あーよかったよかったね、そう。
やっぱりね、全然これまでの哲学者とは違うというか、これで哲学者かって思う感じもあるんだけど、本だけ読んでいると。
そうだよね、ここまでの説明を聞いても、ほら最初ね、弁償法を作ったとかさ、そういう感じじゃないみたいな、純粋に正規観を書いたとかさ、そういうふうに、
こう、こうすべし、みたいなね、ないみたいなところを含めてもね、なんか全然まだ掴みどころがないから、それも含めてなのにこんなに引きつける何かがあるっていうのはね、
結構そういう解釈の余地があるけど、法室をついた言葉だったりとか思想みたいなものがすごく多分幅広いっていうのは、どういうことなんだろうなって思うから。
そうね、ぜひぜひね、今回そういう話もあります。だからそういうすごく引きつけるニーチェと、ちゃんと考えてるニーチェとっていうところもね、
なんかうまくお伝えしていけたらなって思ってるので、楽しみください。
で、いつも通りね、さらっと人物像というか、どういう生涯だったのっていう感じなんですけど、
ニーチェ自身もさっき言った通り、その後半年、晩年にそれこそいわゆる精神病になってしまって、結構不遇というかね、
そういう、送ったとかありながら、もうなんかめちゃくちゃ、なんだろうな、パラン、バンズの人生を送ったとかではないんですよね。
やっぱめっちゃ天才だみたいな話とかはあって、そういうのも伝えたいことは思うんですけど、
18:00
まず時代背景で言うと、さっきお伝えした通り、ニーチェがですね、ドイツに生まれるんですけど、
これが1844年ですと、今から160年前くらい?
180年。
算数できなかった、今。180年前ですね。で、前回取り上げたケルゲゴールは1855年になくなっているので、
一応時代的には少し重なっていますと。一応ニーチェもケルゲゴールのことは知っていたみたいな話があって、
いくつか資料も読んでたっぽいですと。ニーチェの思想にがっつり影響を与えたかどうかは別として、一定ケルゲゴールの話も読んではいて、
あとの人からすると、ケルゲゴールの前回言ったような繰り返し、要はダザイとかアダムの罪というものを自分として繰り返していくとか、
自分もそれを経験するというような話と、
ニーチェが今日も話してくるんですけど、永劫回帰という、一人の人間が永遠に同じ正義を繰り返していくという考え方を出しているんですけど、
それは結構比較してみる価値があるよねというか、ケルゲゴールの繰り返しというのがアンチ定義というか、それを乗り越えるものだよねみたいな、ニーチェの永劫回帰というのは。
そういう話もあったりします。
結構それも比較しながら聞いていただけると面白いと思うんですけど、
1844年ってどんな時代だったかっていうのをさらっとだけお伝えすると、僕も今回さらっと知っただけなので、あんまり説明できるほどのものはないんですけど、
自然的にはナポレオンの没落をですね、フランスでこれまでも話していた通り、フランス革命が1789年に始まって、
今ナポレオンに象徴される自由とか平等とか国家の統一とかね、そういうのがバーっとヨーロッパ中に広がっていた時代があったと思うんですけど、
それが一時的に否定されというか、ちょっと叩かれちゃって、ナポレオンが失脚したりとかして、
はいはい、延戦失敗したりとかしてね。
そうそうそうそう。で、なんか運輸体制って言われるような、その革命前の絶対要請で、
もう一回絶対要請に一時的に戻っちゃったりするんだけど、当然もう一回自由とか平等っていうのがあるから、なかなか長く続きませんと。
で、そこでもう一回1848年、ニーチェが生まれて4年後くらいに、フランスで2月革命っていうのが起きて、
また市民が王政を倒して共和制になるよみたいな時代ですと。
で、その影響が各地、ヨーロッパ各地に当時どんどん飛び散りしていっていて、
21:01
ドイツでも3月革命っていう王政じゃなくて、要は市民の手に政治の権力とかを取り戻そうみたいな話があるんですけど、
ドイツでは革命とか統一が失敗してるらしいんですよね。
王様が嫌だって言って憲法なんか認めるって言って、結局統一できなくて、
そういう意味で言うと、先進的な、やっぱり当時のドイツ知識人というか、
そういう王政じゃなくて、もっと人々に平等とか、
あとはそのいわゆる普遍的な選挙権とかっていうのを持たせるべきだと思っている人の理想っていうのが、
ちょっと一旦くじけるというか、ダメになっちゃうよっていう。
はいはい、なるほどね。フランスに習えていただくのはちょっと難しかったねと。
そうそうそう。なのでやっぱドイツっていう、いわゆる歴史マンテンとか、
古くは続いている国ではあるんだけど、逆に言うとちょっと方針的というか、
ヨーロッパ、もしかしたらイギリスとかに置いてかれるんじゃないかみたいな危機感を持っている人からすると、
少しちょっと絶望的だというか、希望がない時代にニーチェっていうのは生まれましたよっていう感じらしいですね。
なるほどね。その時代に乗り遅れてしまった危機感みたいなのがあるのかもしれないね。
そういう知識人層というかね、そういうスタンスの人たちには。
ヨーロッパ:そうですよね。日本人自治体は都会のピカピカの生まれですとかではなくて、
結構ドイツの田舎町でお父さんも牧師さんで、いわゆる普通の家庭に生まれますと。
牧師、いわゆるキルゲゴールもそうだったと思うんですけど、ルター派のプロテスタントで、
信仰っていうのは個人の問題だからってなると、結構その、幻覚だというか、禁欲主義的っていうのかな。
だからつつましく暮らしましょうとか、自分の罪を自覚しましょうみたいな感じが多分あったと思うんだよね。
実際そういった育成環境とか、お父さん、あるいはお母さんも含めて、そういう経験な切り裂くことだったみたいなのが、
将来の切り裂く被害に繋がったと言えるんじゃないかなみたいな話もあるんですけど。
やっぱりただですね、ニンチンも結構不遇というかね、子供時代に結構早くお父さんを亡くしてしまって、
ちょうど4歳でお父さんを亡くして、その次の年には2歳になる弟がいたんですけど、弟も亡くしちゃうんですよね。
なので妹がいたので、妹とかお母さんとかはいるんですけど、結局女性家族というか、いわゆる女性ばっかりの家庭の中でニンチンは育っていきますよ。
それ自体がどうのっていうのはわからないけれども、そういう関係育ったということ自体はニンチンの人格形成とか思想にも影響してるんじゃないかねみたいな話もあります。
24:09
この辺も多分専門家が分析してくれてるんだろうみたいな感じでしょうね。
そうだね、でもあんまりそこまでいくとニンチンの人生録になっちゃうから、一旦その思想的にはさらっといくんだけど。
さっきニンチン天才だったみたいな話も言ってたんですけど、勉強ができるって言ってもそうなんだけど、芸術とか作曲みたいな、そっち方面の才能もあったらしいよね。
はい、そうなのね。
なので、ちょっと今日も触れていく芸術論みたいなところからニンチンの思想というか著作活動って始まったりするんだけど、
当時普通に小学校というか、初等教育に通ってたんだけれども、ドイツの名門の学校の校長先生から「特採生でいいからうち来なよ」って招かれるのね。
へー、すご。
そのぐらい有名というか、長届録みたいな感じだったのかと思うんだけど、その名門の学校で勉強をして、その等学を表していって、
普通に大学に入るんだけど、その大学で教授に「こいつすげーわ」みたいな。「こんな優秀な学生見たことないから、ちょっと君教授になれなよ」って言って、25歳で博士号とか持ってないのに教授に抜擢されるのね。
へー、それはやっぱり異例中の異例って感じだよね、恐らくね。
異例中の異例。どれが異例かっていうと、21を教授にするためだけに、教授審査というか、論文を取り上げるコンテストみたいなのを大学側で開かせて、
21A、できるやつみたいな感じで21が通ったから、OKです、じゃあ教授になりましょうみたいな。そういうことをしてまで大学は教授にさせたというか、そのぐらいこうなせたらしいんですけど。
すげーあれだね、メジャーリーグの大谷ルールみたいな。ピッチャーやった後もDHA残っていいみたいな。ニッチな例えだけど。
でもそういう人がいたら、そういうルールができるみたいな感じで。
あまりに過ごせない人がいると、その人に活躍してもらいたいからっていうルールが、ルールを変えちゃうぐらいすごかったってことはね。
そういう意味でも天才で、本当に若くして教授でみたいな感じだったんだけど、さっきもおっしゃった通り、全然花々しい人生だったかっていうとそんなことも実はなくて、
一個は、大学教授をやっている中で、最初は結構人気だったらしいんですけど、発表した論文っていうのが、これが後々多分著作にもつながってるんだけど、
27:04
あまりにも主観的、批判的みたいな、いわゆる経緯をいろいろと述べてとか、先行研究とか、それまでの学術的なことをちゃんと支えながら論文って書くものじゃないですか。
そうじゃなくて、自分はこう思うみたいな。自分の論を展開していくから、それって学術的でどうなんみたいな。
なるほど、確かに芸術じゃねえんだぞと。
そうそう、小説家じゃないんだぞと。
そう、で、結構同時代の人たちから批判されちゃって、評判悪くなっちゃうと、結局人も来ないから、学生も授業をしても結局2人しか来ませんみたいな。
こういう風になっちゃったりする。もともと体が悪かったというか、体調が良くなかったみたいで、29歳頃から激しい頭痛とか吐き気に襲われちゃって、目眩とかもすごくて、
体調の不良理由に34歳で大学を辞めちゃうのね。25歳になって34歳だから、10年経たないぐらいか。
これ以上にいちえっていうのは、いわゆる低職についてないんですよ。
お金があって、例えば親の莫大な遺産で生きてましたみたいなキルギゴールとも違うし、晩年まで学長を務めたような兵牛とかとも違って、
若いうちは結構大学でちゃんとやってたんだけれども、それ以降は全然大学とかにもいなかったから、いわゆる野良哲学者というか、
本当に生活をなんとかやりながら本も出してたみたいな感じだったんですよね。
ある意味では仕事しなくていいから、ずっと私作に活動というか、哲学に打ち込めるみたいな環境ではあったけれども、って感じなのか。
そうだね。やっぱり大学側とは言え、評価は高かったみたいで、年金、生活面倒見るよって言って、出してくれたからなんとか生活できたらしいんだけど。
へー、すごいね。学生とか、ある意味自分よりレベルが低い教授陣にはその才能は理解されず、他のレベルが高いって言うとあれだけど、
ちゃんと理解できる人たちが、少数の人たちがこの天才やべーって言ってて、後の人たちはわからんっていう。
やめともそんなに評価されたってことは、ちゃんとソニーチョー天才性を理解して、多分この主観的な論文だけど、めっちゃスニーちゃんって言う人もいたってことなんだね。
30:08
そうだね。
おそらくこれからすると。
やっぱりその冒頭もね、されたニーチェなんでこんな魅力的なんだろうっていうと、一つに結構そういうアウトロー性とか、王道じゃない感じとかもあるのかなとは思ったりする。
まあそういう魅力はあるかも。
そうそうそう。ただね、当時のね、当時とか今でもそうだと思うけど、やっぱり大学とか学術っていうところが若から外れていたっていうところだとは思うんだけど。
大学を辞めてはいるものの、病気っていうのは治ってはいないので、療養で各地を転移しながら本を書くみたいな生活っていうのを続けているんですけど、
さっき兄貴も言ってくれた通り、別に当時から評価されてたかっていうとそうでもないんですよね。
さっき言ったみたいに本も全然売れません。何なら自費出版とするとか。
そうなっていくと、何かわからないけれども結構友人も少なくて、
あとなんかすごい心を惹かれる女性とかにも出会ったりするんだけど、求婚とかプロポーズもするんだけど断られちゃうとか、
そういうこともあったりして、だからどんどん孤立を深めていきますよみたいな。そういう人生なんですね。
で、44歳、大学を辞めたから10年後に1年間5冊の本を書くみたいな、何かもうところもないことだったりはするんですよ。
ただ結構このぐらいから精神錯乱というか、ちょっと敵の兆候が出始めたと言われていて、
45歳の時にイタリアのトリノにいたらしいんですけど、そこの平場で倒れちゃって、
混沌してある種慌て二択みたいな感じで倒れちゃって、精神科にかかりますと。
でもそこから10年間はもう狂気の淵にというか、桜の状態で生きていって、最終的には肺炎で亡くなってしまうっていう。
そうなんだ。その10年間最後というか、その間も本出したりとかしてるの?
いや本は出してなくて、手紙とかは残ってるのかなとは思うんだけど、著作って意味では残ってないんだよね。
亡くなったのがちょうど1900年から19世紀、20世紀に入るタイミングでちょうど亡くなったっていう、
これもちょっと象徴的だよねみたいな人もいたりはするんだけど。
あとさっきさ、ニーチが誤解されていたというか、正しく受け取られてなかったって話だと思うんですけど、
いくら不幸というか出来事として、さっきも言った通りニーチは妹がいたんですけど、この妹が結構クセ者で、
33:06
当時ドイツはナチスドイツで、いわゆるヒトラーというか、政治的にもそっちが強かった時代なんですけど、
ナチスに結構浸水していて、そこに気に入られるためにニーチの作品とか人生っていうのを結構捏造して、
兄はこんな風に言ってナチスを支持していましたとか、兄のこの思想はナチスドイツのこういうところにフィットしますみたいな感じで、
結構世の中に発表してたらしいのね。
発表してたんだ。
そう発表して、編集とかして、これが兄の本ですって、ナチスドイツに何かにもナチスっぽいことをこう、称賛するような内容を読み出しますみたいな。
へー、なりすましアカウントだね。
そうさ。
身内が。
そうね、身内をなりすましアカウント。
怖い。
怖いのはね、だからアカウント、本人がいなくなった後にそのアカウントそのままでやってるから、立ちが悪いよね。
え、あ、これって生きてる時じゃなくて亡くなった後?
亡くなった後。
はー、こわ、もっとこわ。そっかそっか、なるほど、生きてるうちかと思った。
生きてるうちじゃないの、亡くなった後に、ニエイチ自身は実は反ナチスというか、反ユダヤ主義をはユダヤ人というのは民族的に劣っててみたいなのがナチスの主張だと思うんだけど、それは断固拒否してるのね。
はいはいはい。
そんなことはないっていう風に言ってるんだけど、そのエリーザベトっていう妹がニエイチが亡くなった後に、やいや、アニメはこんな風にナチスっていうのと神話性がある思想家哲学者なんですみたいな感じで、しゃーしゃーとやるみたいな。
おー。
感じもあって、結構誤解というか、ニエイチがけしからんみたいな。やっぱり歴史って大変だし、やっぱり研究って大事だなみたいなことってすごく思うんですけど。
確かにそれはあれだね、確かに当時評価されてなかった上に、死んだ後もなんかそんなことされちゃったら、確かに日の上見るの遅くなるよね。どんだけすごいことやっても。
そうそうそうそう。
そうなんだよね。だからニエイチのある種これが正しいというか、一定信頼できるっていうのはちゃんと編集されて、それが研究されてやっとニエイチってこういうこと言っていたんだとか、ニエイチの考えてることはきっとこういうことだったんじゃないかとか、そういうことがやっと言われるようになったっていう感じなんだよね。
はいはい。かわいそう。
結構ね、不具合っちゃ不具合だし、だからただやっぱりこうわかりづらく書いた本人にも課題というかあれはあるよねっていうのは。もちろんあるんですけど。
36:05
やっぱりニエイチすごい面白いなって僕自身も思ってるのがいくつかあるんですけど、逆に言うと今みたいに誤解が結構されやすかったりとか、言葉が強いからこそ、ニエイチすげえみたいな、ある種言葉だけを取ってその裏にある思想とか背景とか土台っていうのがやっぱりなかなか伝わらない、伝えにくい人ではなぁみたいなのも実は思ったりしてて。
実はそういう意味でも、いつかトレーテストラジオ始めようと思うときに、いつかニエイチやりたい、ニエイチのことをちゃんと取り上げたいって思いは結構あったので。
わーすげえ、ニエイチすげえ。
そのくらいの感じなんだね。
そうそうそう。だから今回60回くらいやってきた結果、いってね、こうやって僕らもなんとなくそういう話をする土台もできてるし、多分聞いてくださってる方もなんとなくそういう言葉の背景とか受け取り方が大事っていう感覚を持っていただいてる方もいらっしゃるのかなと思ったりするから。
そういう意味でもちろんね、自分がニエイチ全部理解できてますなんていう勇気は全くないんですけど、自分がすごいと思ったニエイチとか読んだ中でなんとなく理解できていると思っているニエイチっていうのをちょっとお伝えしていきたいなって思ってる感じですね。
だからもしかしたら今回4回とか5回で終わんないかもしれない。
そうなの?やっぱボリュームは結構あるんだ。
そう、コアをね、掴んで、多分これがニエイチの思想ですみたいに言ったら多分3、4回でもいけるかもしれないんだけど、それだとニエイチの面白さが伝わらないと思うので。
ほー、そうなの。
思想的な面白さとかすごいねっていう話と、こんな言葉を言ってんのとか、こんな本を書いてんのみたいな話の面白さっていうのも両方お伝えしていきたいなと思って。
はいはいはい。
まあいいね、でもそれこそニエイチをお伝えするためにこのラジオを始めたんだぐらい言わしめるニエイチはね、それは確かに3、4回じゃ終わんないかもね。
そうそうそう。
みたいなところもあって、今回はちょっと僕も気合を入れてやっていきたいなって思ってる感じですと。
いやー楽しみだね、まだ全然どんな人かわかんないけど、なんかその大きさ、なんかまだ何も中身は見えないけど、この山の高さはわかったみたいな。
なるほどね。
想像させてもらったみたいな感じ。
すごい高いものがあるんだろうなみたいな。
それをまあこれからたぶんね、今までは3、4回で登りきれた山だけど、今回ちょっと高すぎるしなんか複雑だから何回もっと多いんだろうなっていう、ちょっとまあそういうね、ワクワク感。
やっぱこれまでね、いろいろ楽しませてもらってきたから、たぶんきっと今回も面白いんだろうなっていう期待がね。
39:05
いや、もちろんね、これまでも、もう登りきったとは言えないし、まあいろんな山がある中のね、一個を登ってたって感じはあるんだけど、ニーチェはそれが複数あるっていうのがわかりやすいっちゃわかりやすいんだよね。
へー。
ニーチェっていう中にいろんな山があって、たぶんあっちの山見たらこのニーチェ面白いって思うし、こっちの山行ったら全然違うニーチェがいるみたいな。
はーはーはー、なるほど。
そういう意味で結構面白いんじゃないかなと思ってて。
今回の全体の話を流れていくと、一定ニーチェの話をたどっていくっていうよりは、全体としてなんとなくこんなことを言ってたんだよっていうのが伝わった方がいいのかなと思ってるので、
なんか最初に竹田誠二さんっていう哲学者の方がいらっしゃるんだけど、結構その人がニーチェの本を出していて、結構僕はその人の本を読んで、その解釈が正しいかとかその人の評価かどうかとかあるらしいんだけど、
それはそれとして、解釈とかニーチェがこういうことを言ってるんだとか、世界はこうやって捉えてるんだっていうのを、カントとかヘイゲルとかと比較して話してるっていうのはすごくわかりやすかったから、
かつそれを知ったことで哲学レベルが自分の中で上がったみたいな感覚があったので、
ちょっとそれを最初にお伝えして、その上でやっぱりニーチェってさっき言ったみたいな思想とか哲学とか芸術とか、
そっから救済を批判して、実際に人類はどう生きるかみたいな、超人とか英語廃棄みたいな、そういう概念に行ったりするんで、
そういうのをずつたどりながら、ニーチェってそういうこと言ってたのねとか、最終的には人類ってどう生きるべきなんだろうねみたいな、結構そういう話にも繋がっていくかなっていう感じですね。
なるほどね。今の話だけでもカントとかヘイゲルとかは当たり前のように名前出てきちゃってるし、そこと比較してこうなんだとか、
キュウケゴールとかオノニコイルというかキースト教批判か、キュウケゴールとは別に対峙してないかもしれないけど、キースト教批判、
その概念を超える神は死んだとか、英語廃棄、それがね、もしかするとヘイゲルの弁償法的な感じで、さっきノリコールみたいな話もしてたからね。
確かにここだけにも、ニーチェを理解するための前提条件がめっちゃ詰まってるなと思って。
そう、そうなのよ。やっぱりね、さっき言った通り、ヘイゲルとかカントを知らないとニーチェも理解できないし、もっと言うと思想とか芸術ってなると、僕もそっちは全然詳しくないけど、
ゲーテとかシェイクスピアとか、あるいはギリシアのいわゆる悲劇とか喜劇って言われるような、そういった人たちのことも本当は知らないと理解できないとかっていうのもあったりはするんだけど、
42:12
もちろんそこまでやるわけにもいかないし、僕もわかんないので。でもなんとなくそういったことを研究してきた方の話を借りながら楽しくお伝えしていきたいなっていう感じですね。
面白いと思います。なんかいろんなことがつながって、そんな風に考えた人がいるのかとか、そのニーチェの考え方をちゃんと突き詰めると、そういう風だとなるのねみたいな感覚は面白いと思う。
今回は導入会ということで、ニーチェの全体像とか、人生っていうところを見てきたけれども、ここからはそういう思想哲学とかの中身というところで、どんどん深みにハマっていきたいなと思うので。
そうですね。 わかりました。何回になるのかまだわかんないけどね。次回以降また引き続きよろしくお願いします。
はい、お願いします。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
♪~
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