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はい、sonoです。すいません、何か買ってが10ヶ月ぶりで買ってもわからず、なんやかんやで3回目の収録し直し、はじめんとこ何か行ったり来たりしてますかね。
この番組は
自分が感動したこととか、感動したことっていうかものを中心に話そうと思ってて、主にはね、コンテンツ、多分
期待感としては、なんか小説とか漫画とかアニメとか映画とか、あるいは音楽とか、なんかそういうものの多分感動について深掘りして話されるのとかが期待されるのかなと思いつつ、
自分の心動いたっていう基準で決めて、ことっていうよりはもの、具体的には他の人も追体験できるようなものを中心に話そうかなと思っている番組です。
話しながら思い出してる感じですかね。
久しぶりの復活で何か話すのは、タクラムの尾形さんが書いたコンビビュアルテクノロジーっていう本について話そうと思ってますっていうんで、なんていうのかな、
生きなし小説とか物語でもなくっていう感じだけど、これがね心動いたんで、ちょっと深掘りして記憶に留めときたいなと思ったんで話そうと思ってます。
しかも先に断っておくと、僕まだこの本読んでなくて、正確にはその出版記念の対談会をこの前聞いて、なんで基本的な概要っていうのを知っていて、
そこからまた対談された内容とかも含めて、日曜日、だから3日前に聞いたんだけど、割と毎日そのことについて考えたりするんで、1回書いてというか取っていようというふうに思ってます。
いつものようにちょっと外から話すので、周りの声も入りながらですが、お付き合いくださいと。
あとあれだね、この前の感じで大体30分ぐらいをめどに取りましょうって思っていて、
10分から15分に1回それまで話したこととかも振り返って、改めて仕切り直して話すっていう形式にしようかなと思ってます。
あれこれってあれかな、ライブ収録するときだけそういうルールだったかな、その辺すいません、なんか覚えれてないっていう感じですかね。
コンビニューアルの指針としての自立共生
本題に戻ってコンビビュアルデザインというかコンビビュアルテクノロジーという本で話されているコンビビュアルっていう考え方がすごいなって思ってたのが、
コンビビュアルっていうのは日本語訳だと、もともとこの本を書くにあたってその元の哲学っていうのを考えた人がいて、
その人の本のタイトルの翻訳からコンビビュアルは自立共生っていうふうに、自立は自分で立って、自分で生きているのかな、自立共生、共に生きるっていうふうに書いてて、自立共生は多分立つ方だね。
ある意味矛盾したような言葉なんだけど、それで考えていると。
話を聞いてて、なんで本の中身とかからすごいなって思ったのが、
共生っていう概念、それぞれ独立しているんだけど共に関わり合うみたいな、そのイメージが持つ力強さというか、それがタクラムっていうデザイナーの集団ではあるので、
いろいろなデザインの世界の最近のトレンドとか考えていくと大事になって、この考え方が大事になっているねっていうので、尾形さんは考えて、それにまつわる話っていうのを取りまとめたのがこの本なんだよね。
なんか言われてて、なるほどって思ったのが、例えばの話、コンビニューアルであるためには、いいか悪いかっていうよりは、このバランスの良さの中に収まっているかみたいなところっていうのが大事になって、
なんか、そういう意味だと、何かに対してそれがニーズとかを不足しているかっていう見え方と、逆に過剰すぎないかみたいなところを見たりすると。
で、結構不足してるよねっていう観点っていうのは今も多くあって、そこをずっとね、それこそUXをもっとリッチにしようとか、ちゃんとしようみたいな話っていうのは今までもずっとやってて、なんかそれが今のトレンドだと思うんだよね、逆にね。
ただ、逆にやりすぎてないかっていうところの観点って、ウェブサービスとかもなくて、僕がよく関わっているウェブの世界だと、それこそ最近だとTikTokとかね、もう見たらずっと見続ける中毒みたいな、まさに中毒になるぐらい過剰じゃないかっていうところが鍵で。
で、それに対してこう、もっと適度な関わり方っていうのがあるんじゃないかと、例えばその本質的に必要とされない時には使わないでいられる、なんかそういうサービスっていうのを考えるとかが必要じゃないかっていう、なんかそういう話が印象的だったんだよね。
それはなんか自分の実体験で、僕もTikTokとか見始めちゃうと恐ろしく2時間ぐらいとか普通に夜中ね、なんかついつい寝る前に見ちゃったりとかするし、
まあ、なんかその他もできるだけ、僕も開発側の端に行ったこととかはあるから、できるだけユーザーが目をそろせないでずっと自分たちのサービスを見続ける。
で、それによってそこの中でいろいろな欲望とかが生まれてマネタイズするとかあるんだけど、別にマネタイズするのが悪いとかじゃなくて、
マネタイズのために何かをするっていうのも全然論拠になって、別に議論に上ってなくて、ただユーザーに対して過剰であるっていうところに視点を置いてバランスを考えるっていうところがなんかすごい印象的だったんだよね。
で、じゃあそれって可能なのっていうと、世の中にはそうデザインされているものとかもあって、例えばその対談とかで出てた話だと、リハビリの、例えば機器とかっていうのはリハビリだから、最終的にはそれを必要としないで生きていけるようになるっていうのを目指して利用されるようなものっていうのがあって、
そこにはちゃんと手放されるっていう、手放されることのデザインっていうのが、設計っていうのが入っているのが面白いねっていう話で、
なんかそこがなんていうのかな、自分のバックボーンと通じるところがあって、なんだかこうちょっとね、モヤモヤするところとかもあったんで、ちょうどいい感じのしさだったかな。
で、もう一つは、これ対談の中で言われてたから、本の中では明示的に書いてはないかもしれないんだけど、なんか特異ね、対談では田倉文太川さんと尾形さんが話してて、もう二人はデザインの世界で仕事もされてるから、
あとはそのデザインの世界で、すごいデザイン志向をはじめ、スペクトラムデザインとか、いろいろやり方の潮流っていうのはどんどんアップデートされていてあるけども、
デザインの新たな指針の提言
なんかこのコンビビアルっていうのは考え方で指針ですと、だから実現するための手法とかっていうのとはちょっとまた別なレイヤーの視点なんだよね。
で、なんかそういう世界も変わる中で、その指針っていうレベル、レイヤーでの新しいアップデートっていうのがコンビビアルも一つだなっていうところが、なんかもう一つの感動ポイントだったかな。
なんかそのレイヤーについてあまり思いを馳せたことがないというか、正確に考えたことがなくて、どうしてもデザイン志向とかいつの間にか手法を理解し、自分のものにし、手法を扱うことっていうのが指針になっているところあって、
デザインってすごい自分の浅い理解で他と違うことで言うと、本質的でシンプルにしていくっていうところと、その本質的っていうところで多くのものが、人間が人間に対してのものをデザインするので、
人間っていうものを中心に設計されていくみたいなところが、なんか自分にとっては以前魅力的に感じたし、そこで勉強したりとかしたんだけど、なんかそれもまた手法だと。
そこでなんか指針みたいなところが、新しく提示されたことのワクワク感みたいなところが、今回の感動ポイントだったなっていうふうには思うかな。
そう考えると、そのレイヤーに何が他あるのかみたいなところで、対談の中でも他のデザイナーの人たちがコンビニューアルな考え方をしたときに、それはいいねと、今後のデザインの世界の指針になる可能性があるねと。
それはインクルーシブとかと一緒だねっていうような文脈で、インクルーシブっていうのも考え方で全てが包括するような、それはもしかしたら平等性だったりかもしれないし、範囲とか多様性を受け入れるとかそういう概念なのかなっていう理解だけど、
インクルーシブっていうのもまたコンビニューアルと一緒に同じようなシーンになるし、おそらく別に煽りじゃないけど、この後の世界を生きるというか、この後の世界を作るための3つの指針とか5つの指針みたいな中に選ばれるような、そういうキーワードかなっていうふうに思っている。
大体10分、全体で15分ぐらい話したから、1回振り返ると、タクラム尾形さんのコンビニューアルテクノロジーっていう本とそれにまつわる対談についての感動ポイントっていうのをちょっと振り返っていて、
1つは今の世界でウェブサービスとか、自分に関係が深いウェブサービスとかで体験できる過剰なユーザー体験っていう過剰さに対してのバランスっていうのを提示した、自分の実感っていうところと、
あとデザイン趣向っていうふうに、手法とかハウにあたるとこじゃなくて、何だろうね、でも方位ってわけでもないんだよね。
取り組む上での指針とか方針っていうレイヤーの提言というかアップデートっていうところが自分の中での感覚ポイントだったかなっていうところだね。
その2つがすごい想像を発展させるし、今もそういう意味だと新しい世界の3原則とか5原則ってどういうものがあるかなみたいなことは結構今自分の趣向を捉えて話さないところがあるかな。
個人的には他に多分オープンっていうのが改めて取り上げられるかもしれなくて、それはオープンネスっていうのかもしれないけども、
結果とかもそうだしプロセス全体をオープンにしていくみたいな流れっていうのは今後も通じるかなと思ってて。
コンビビュアル化への挑戦
もう一つはなんかちょっとうまく単語がまだつながらないんだけど、階層がないっていうか、階層あるんだけど上下がないみたいな。
その構造はあるんだけど上下はないみたいな、なんかそういう感覚っていうのかな、ちょっとこの後大事になってくるかなっていうふうには思っていたりするかな。
その話はその話でまたね、ちょっとまた朝の振り返りとかいろいろ考える時間で詰めていきたいところはあるかな。
想像が膨らむのは他のところもあって、これは対談で刺激されたんだけど、対談の中ではそこにさらにもちろんコンビビュアルっていうコンセプトというか考え方だけではないんだけども、
そういったものの対話も通じながら、TACLAMっていう会社自体の組織が少し8月から変わりますと。
さっき言ってた階層をなくすみたいな考え方がちょっと入ってくる感じで、
今までは割とディレクターがいて、シニアメンバーがいて、普通のメンバーがいる、リアソシエートがいるみたいな体制だったのを、
そうするとディレクター10人とかが代表で全部の仕事をするっていう感じのところから、
誰もがディレクターというかリーダーになって、そこには逆にシニアメンバーやディレクターのメンバーもプロジェクト的に関わるみたいな、
でも決定はリーダーがちゃんとするみたいな、なんかそういう感じの大きな変化をしますみたいな話をしてて、
その元になる議論っていうのは、組織全体の創造性っていうのを上げるためっていうところの観点だったんだけども、
そこら辺もちょっとね、そこはもう対談の中でタクラムっていうフォーカスでの話だから、
コンビビュアルとの関連性はあると思うけど、直接どうっていう事象ではないのかもしれないけど、
そのコンビビュアルみたいなことを考えていくときに、より多分それぞれの人の創造性とかセンスっていうのを、
ちゃんと扱う、誰かが決めるみたいな、一人の人が何でも決めるみたいな感じからちょっと違くなっていくかもなみたいなところもあって、
その創造性の担保みたいな話、創造性担保するって制約がある程度ないと創造性っていうのは活性化しないっていうところもあるし、
個人として突き詰めるところと、グループとか組織として担保する部分とかも少しバランスっていうのがあって、
そこのまたその構造自体のコンビビュアルみたいなことも考えるよねっていう話とかがあったんだけど、
コンビビュアルテクノロジーへの感動
本当になんかいろいろなシーンでコンビビュアル化っていうところが一つの指針になっていくんだなっていうのはちょっと感じるし、
創造性の話題は創造性の話題でね、いろいろ思うところはあったなっていう感じかな。
まあでも今のところはあれか、自分の中ではコンビビュアルに対してのその今の創造性の話っていうのは消化しきれてないところもあるから、
まあ一旦は置いといてもいいのかもしれないね。
なんかそうだね。
まあ、改めてコンビビュアルテクノロジーに書かれていることも、
人と自然とか人とテクノロジーとか人と人とかっていう、なんかそういう切り口で考えかかれて、
特に人と人の部分っていうのが確かものすごくページ数が厚いみたいな、
なんかそういうそれぞれの視点に対して考えが書かれてるっていう本なんだけど、
まあそうだね、特にその中で人と人に関しての話の一つとして、
その創造性の担保みたいな組織とかそういうところにやっぱりより効いてくるところがあるよねっていう話からなったのかな。
感じだね。
まあいつもNASAの振り返りだとさすがにこの分数を使ってずっと喋ってないので、
そういう意味では改めて感じたコンビビュアルっていうものの可能性と未来っていうのがわかったかな。
ただ本当にあれなんだよね、その5年後10年後とか、
もしかしたらもっと長い年月で振り返った時にそのコンビビュアルっていう考え方が出てきたこの時点っていうのが、
割と今の世界の始まりだなぁみたいな風に思えるような変化というか思想なのかなとは思っていて、
その時にやっぱりちょっと前までずっと考えてたそのビヨンドインターネットというか、
インターネットとかが普及したことによって出来上がっている今の社会からさらに次の段階に行くっていう時に、
何が大事になるんだろうみたいなところっていうのはかなり関心が高いテーマだったんで、
その一端で感じれるような考え方と、
僕は対談でフォローしてしまっているけど、深さかなと思っていることだったね。
コンビビュアル、インクルーシブとかオープネスとか、あとその何て言えばいいんだろうね、総合的な多分ことなんだよね。
なんとなく影響の方向性とか流れの量っていうのが一方向にならないような関係っていうのかな。
なんかそういうものが次の世界を作っていくなっていう、
大げさに言うとなんか世界の始まりを感じるような本だったし主張でしたっていうところかな。
まぁちょっとなんかだんだん絞り出し始めたから、一旦多分頭の中に溜まっているね、思いとか振り返りっていうのは吐き出し切った感じがありますと。
ところで、そうだね、吐き出し切って感じるのはこのまたコンビビュアルっていう考え方を逆に今度使っていく、
適応していく身近なものに使っていくっていうところが次のトライなのかなと思って、またそれは自分の中で観察してテーマにしていきたいかなと思います。
そんなわけでこの感動を分析した後、感動の対象が本なのか思想なのかっていうところは分かれるところだけども、本から思想を読み取って感動っていうところはあるので、今回はコンビビュアルテクノロジーについての感動でした。
というわけでちょっとまたね、ちょくちょく後本当にコンテンツとかを進めて進めてというか、また収録していきたいと思いますが、また講演があるときはよろしくお願いします。
じゃあさようなら。