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志賀十五の壺です。我々、まあ我々って勝手に一緒くたにしちゃいましたけど、我々は、なんか、我々はって言うと宇宙人だって言いたくなりますね。
日本語を無意識に使いこなせてますよね。まあそれこそ母語である証だと思うんですけど、
ふとね、こないだ、とうっていう動詞の過去形って何だろうってちょっと思ったんですね。とう。
問題の文と書いてとうですけど、多分とうただと思うんですけど、とうたになるのもなんか変だなぁと思ったんですね。
というのが、このうっていう音で終わる動詞は他にもあって、歌うとか笑うとかね。
で、こういった動詞の過去形は、歌った、笑ったっていう風に小さいつが出てくる形なので、
それと同じように考えると、とうの過去形は、とったにならないとおかしいんじゃないかなぁとね、まあそういうふうに思ったんですね。
今までとうっていう動詞の過去形を口に出したことがもしかしたらなかったのかもしれません。
というわけで今回のテーマはですね、 まあこういう動詞の変化形
ならびに音便と言われる現象ですね。これについてお話ししていこうと思います。
で、冒頭申し上げました通り、皆さんいつもは平気で無意識に使っているものなので、なんていうかな、改めてこういう
風に話さなくてもね、理解できているものっていうか、 まあ言われたからといって
より日本語が上手になるとかそういうわけではないんですけど、 ただ一部ね、今言ったとうみたいに何かイレギュラーに感じられるものがあるなぁと思います。
まず前提としてですね、 この動詞の変化形で、まあ過去形とか、あるいはてっていうのがつく形、
歌うだったら歌って、みたいにね、 まあこういう風に、たとかてがついた時に音が変わる、音便が起こるのは語弾動詞に限られるんですね。
一弾動詞と言われるものには見られません。 そもそもこの語弾動詞と一弾動詞っていうのは何なのかというとですね、
まあ日本語母がわしだったら一番わかりやすいのは、ないっていうのをつけた時にあだんの音が出てくるのが語弾動詞です。
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まあ問うだったら問わない、ではっていうあだんの音が出てきますよね。 あとは書かない、
走らない、しゃべらない、
この辺のものは全部語弾動詞ということになります。
一方一弾動詞っていうのはないっていうのが出た時にあだんの音は出てきません。
食べない、見ない、着ない、こういったものが一弾動詞と言われるものです。
日本語の動詞は大抵この2種類に分けられて、不規則動詞っていうのは来るとするっていうのしかないんですよね。
いわゆる下辺と左辺というものです。
こういった動詞のグループの中で音の変化が起こるのは 語弾動詞に限られる ということです。
その音便っていうのが起こるのは めちゃくちゃに起こっているわけじゃなくて、これはかなり規則的なものなんですね。
主に3つのパターンがあって、
異音便と言われる いいの音に変わるもの、
促音便と言って 小さいつに変わるもの、
発音便と言って うんっていう音に変わるもの、この3パターンがあって、
決まっているんですよ 動詞ごとに 簡単に言うとね。
例えば 異音便というのは 書くとか泳ぐみたいに 食うとか食うっていう音が出てくるというか 音で終わる動詞に限られます。
古典の形で言えば 書き手とか泳ぎ手となるところが いいっていう音に変わって 書いて泳いでになっています。
次に 促音便 つまり 小さいつに変わるものは、
つとるとうで 終わる動詞です。
打つが打って 散るが散って さっき言った 歌うが歌って とこうなっているわけです。
ただ とうっていうのは とってじゃなくて とうてになっています。
ここが 面白いです。
最後の 発音便 つまり んに変わる パターンとしては 動詞が ぬむぶで 終わるものです。
死ぬが死んで すむがすんで よぶがよんで
こういうふうに 動詞ごとに てとか あるいは たっていうのが ついたときに 音が変わるっていうのは 決まっています。
冒頭の とうという 動詞に 戻ります。
これの てがついた形や たがついた形は とうてや とうたに 多分なると 思います。
これは さっきの パターンとは はずれています。
歌うとか 笑うが 歌った 笑った みたいに なるみたいに 側音便ではなくて とうた ってなるのは 右音便 ということです。
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この 右音便は おそらく どちらかというと 西日本の 特ちょうではないかと 思います。
西日本の 関西含め 西日本の方言だと とうに限らず
歌うとか 笑うの過去形も うとうた 笑うた になると思います。
他にも あうが おうた になったりとか 僕も岡山県出身なので そういう右音便の活用の仕方を するんですよね。
だから とうっていう 動詞に限って言えば 関西の音便のパターンが 観察されるっていうことですよね。
あとは 命をこう とかも そうかな。これも こうた になるんじゃないかな。命をこったには 多分 ならないんじゃないかな と思います。
今 気づいたけど 笑うとか 歌うみたいな 語幹の方に あ っていう 母音が入っているときは 側音便で 歌った 笑った になって
とう とか こう みたいに お っていう 母音が入っているときは 右音便になるのかもしれません。
詳しく 調べたわけじゃなくて 今 気づいただけなので わかんないんですけど。
関西方言の場合は 語幹の母音が あ だろうが お だろうが うとうた 笑うた とうた こうた になるので
やっぱり いわゆる 共通語の方が イレギュラーっていう感じがしますね。
実は この音便のパターンで イレギュラーがあるのは とう という 動詞だけじゃなくて いく というのも イレギュラーなんですね。
さっき 言ったように 書く みたいに 空で終わる 動詞の場合は 異音便が起こって 書いた になるんですけど
行く という動詞は 行いた じゃなくて 行った という 側音便になるんですよね。
これも 方言によっては 歩く という動詞も 側音便化して いわゆる 共通語だと 歩いた になるところを 歩った という人も 中には いらっしゃるんじゃないかと 思います。
この 音便というのも 日本語学習者にとっては 結構 面倒なところ かもしれませんね。
我々は 母語だから 何も考えなくて いいですけど。
例えば 同じ発音の 焦る という動詞の場合も 1段動詞だったら 音便が 起こらず 色が 焦った みたいに 言うわけですけど
5段動詞だったら ルーで 終わっているので 側音便になって 遅刻しそうになって 焦った というふうに なるわけですよね。
こういう 動詞の活用の ちがいは ふだん 皆さん 気にされないと 思うんですけど
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実は 割と 高度なことを していると 言える かもしれません。
というわけで 今回は 問う という 動詞の 音便が どうなるか というのが 方言差 個人差 あるんだと 思うんですけど ちょっと 解説してみました。
最後まで 聞いてくださって ありがとうございました。 また 次回のトークで お会いいたしましょう。
お相手は 志賀十五でした。