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こんにちは、志賀十五です。 今日も志賀十五の壺、やっていこうと思います。
まずは、現在開催中のイベント、収録トーク総選挙についてなんですけど、
まあそちら僕も参加していて、
で、今予選期間中なんですよね。
で予選、なんだっけ、予選投票権かな。
予選投票権っていうギフトを僕の番組に送ってくださった皆様、どうもありがとうございます。
本当はね、一人一人お礼を申し上げたいところなんですけれども、
まあ秘密選挙の原則にのっとりっていうか、
まあそれでね、お名前公表することで、なんかイザコザになったりしてもなんなので、
本当に感謝しております。どうもありがとうございます。
こちらの予選はですね、期間としては今日金曜日なんで、金土日と、
あさって13日の日曜日まで投票できるということなので、
ぜひ僕の番組が面白いと思ってくださった方、投票する価値があると思ってくださった方は投票していただけたらと思います。
こちらのギフトはですね、100コインということなので、
無料のボーナスコインっていうのがあれば、1日1回投票できるということになっているので、
ぜひ応援の方よろしくお願いいたします。
さて今回はまず冒頭で、その収録トーク、総選挙の話をして、次にですね、お便りをいただいてるんで、そちらご紹介したいと思います。
まずはりえさんからいただきました。 これはね、「違かった」とか、「違くない」とかね、こういう形容詞型の活用をする違うについてのお便りです。
ら抜き言葉と同様、「違かった」はとても耳に違和感の残る言葉なのですが、よく思い起こしてみると子供たちの会話に
同じな感じという表現もあるなぁと、言葉の変化って面白いですよね。
ら抜き言葉が良しとされたように、違うと同じも正解が増えていくのでしょうね。
とても勉強になりましたということで、りえさんどうもありがとうございます。
これもなかなか面白いですね。
お子さんが同じな感じ、つまり同じ感じでいいところを、「な」っていうのをつけているわけですよね。
まあでもそういう使い方は当然といえば当然で、
同じだっていう風なその形容動詞と見なせば、
綺麗なとかと同じように同じなっていう形がね、類推で出てきてもおかしくないので、
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むしろ例外に一般規則を当てはめたみたいな感じですよね。
で、こないだのトークでお話ししたのは、この同じっていうのが形容詞っぽくなって、
同じかったとか同じくないみたいな言い方が出てるみたいな話でした。
これはどうなるだろうなぁ。
つまりりえさんのお子さんは、この同じっていうのを形容動詞として使っていってるんですけど、
ツイッターとか見てると、同じくない同じかったっていうのも観察されるので、
これがどっちに落ち着くかなっていう感じですね。
というわけでりえさんどうも面白い例ありがとうございました。
2通目のお便りも、この違かったみたいな表現についてです。
ざんすざんすさいざんすさんから質問いただきました。ありがとうございます。
質問ではないざんすが、質問ではないって書いてた。
ちがくてを使う人は、終始形としてちげーを使っているかもと思ったざんすということで。
はいどうもありがとうございます。これはその通りだと思いますね。
つまり違うっていうのは、形容詞っぽく使われて、違くない違ければ違かったとこうなるんですけど、
唯一終始形の違いっていうのは、なさそうだみたいな話をしたんですよね。
ただ、ちげーっていう形は確かにあるんですよね。
でもこれもやっぱりね、暑いっていうのがあって、暑いだし、やばいっていうのがあって、やべえなので、
ちげーっていうのは、元となる違いっていうのがないのに、そういった形があるっていうのがね、これまた面白いところですね。
ただこれから先、本当に違いっていう形が定着していくかもしれません。
これはちょっと何とも言えないですね。
というわけで、ざんすざんすさいざんすさん、お便りどうもありがとうございました。
さて今回のトークの後半戦は、引き続き形容詞についてね、ちょっと考えてみようと思います。
日本語の形容詞っていうのは、英語みたいな言語の形容詞と比べると、ちょっと変わった特徴があるんですよね。
それは、活用するっていうことです。
活用するというか、もっと端的に言うと、過去形があるとかね、そのぐらいシンプルに言ってしまってもいいかもしれません。
つまり、暑いに対して、暑かったっていうような形を変えるということですね。
過去形だけではなくて、家庭形みたいな、暑ければ、みたいなものもありますよね。
一方、英語の形容詞を考えてみると、形は変わることは確かにあります。
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比較級とか最上級とか、そういったもので、ERとかESTみたいなものをつけて、形を変えることはありますけど、
現在か過去かで、形容詞自体の形は変わりません。
そういう時勢と言われるものですね。
カタカナではテンスと言われるものですけど、
そういう現在やら過去やら、あるいは未来やらっていうのを表すのは、B動詞の方ですよね。
こういった事情があるので、英語が母語の日本語学習者が、初期の段階でね、よくやってしまう間違いとして、
暑いでした、みたいな言い方をしてしまうんですね。
暑かったですっていうのが、一応自然な日本語かなっていう感じですよね。
これはつまり、I am a teacher が、私は先生です。
I was a teacher. 私は先生でしたっていう風に、
B動詞現在形はです、B動詞過去形はでしたに対応するので、
It is hot に対して、It was hot を平行的に考えて、
暑いです、暑いでした、とこうなってしまうってことなんですね。
ただ日本語の場合は、暑い自体が活用して、暑かった、みたいな言い方があるということですね。
ただよくよく考えてみると、暑いですっていう言い方も、なんか変だなぁという気がしませんかね。
この点については関連トークがあるので、そちらも聞いていただけたらと思います。
歴史的に見ると、実は日本語の形容詞も過去形があったわけではないんですね。
というのも、暑かったっていうのは、暑くあったの縮約形というか短縮形なんですね。
現代日本語だけを見れば、日本語の形容詞は活用をしているっていう風に見えるんですけど、
歴史を遡ってみると、実はその中にあるっていう動詞、
古典だとありですね。このありっていうのが潜んでるんですね。
なので、暑かったっていうのも、暑くあったから来ているので、
英語の形容詞文が過去をb動詞で表すのと同じように、暑くあったも、
過去は動詞ありの方が表しているっていうことになっています。
なっていますが、これは歴史的にはそういう説明ができるというだけであって、
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現代の日本語の説明をするのに、あんまりねこういうふうにやたらめったら過去のことを持ち出すのは本当は良くないんですね。
まず前提として、現代日本語の形容詞は活用します。時勢によって変化します。
ただ、歴史的な変遷を見れば、その中にありっていうのは潜んでいます。
そこはね、きっちり引き離して、つまり現代日本語の体系と、
日本語が歩んできた歴史っていうのは、きっぱり分けましょうっていうのが、
言語学の基本的な考えとなっております。
というわけで、最後まで聞いてくださってありがとうございました。
よろしかったら関連トークの方もね聞いていただけたらと思います。
それと冒頭申し上げました通り収録トーク総選挙の方の投票もよろしかったらお願いいたします。
ではまた次回お会いいたしましょう。ごきげんよう。