1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2021-06-14 10:03

#320 岡山弁と係り結び from Radiotalk

このトーク収録後、富山の方からお便りいただきました!またご紹介します。

関連トーク
https://radiotalk.jp/talk/566991

参考文献
『方言の日本地図-ことばの旅』 (真田信治、講談社+α新書)

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育 #方言
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始まりました、志賀十五の壺。 皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
今日のトークは、僕の母語である岡山弁についてね、お話ししようと思います。 岡山ご出身の方、お住まいの方はもちろんですね、全然岡山弁のこともわからんっていう方も楽しめる内容になるんじゃないかなと思います。
というのも、こういうお便りをいただいたからなんですね。こちらKJさんからいただきました。
番組いつも応援しています。富山県民からお便り来てほしいですね。 私は関西人ですが、テレビの影響なのか、どれがどの端かわかりません。
ラジオトークは割と自然な各地の方言が聞けるのも魅力の一つだなと感じています。 志賀さんの岡山弁また聞かせてくださいということで、KJさんどうもありがとうございます。
はい、本当おっしゃる通りだと思います。ラジオトークって、 割とリラックスして話、人によるか、緊張して話している人もいますけど、
リラックスして話している人なんかは割とね、 方言が出てきたりとかして、それを聞くのもまた楽しいですよね。
で、この富山県民云々っていうのは、こないだアクセントの話をしたときに、 その富山弁の
二拍名詞の アクセントの話をしたんですね。で、富山弁では
えっと、 狭母音って言って、
その名詞の最後の音がイとかウ である単語の場合、京都式の
アクセントになります。 なので、雪とか犬みたいになるんですね。
一方、狭母音ではないそれ以外の 音、つまりアとかエとかオで終わる
二拍の単語の場合は東京式の発音で、川とか 胸とか音とかね、こういう発音になるらしいんですよね。
まあそういうお話をしたので、実際にね、富山県民の方からお便りいただけたらなと思ったんですけど、 ちょっとね、まだ届いてませんね。
実はね、こういうふうに母音によって アクセントのパターンが変わるっていうのは富山方言だけではなくて、
北海道とか東北全域、 千葉県南部、
香川県東部とか、 システムは違うかもしれませんけど、その母音が狭い母音か広い母音かによって
アクセントのパターンが変わるらしいんですね。 なので、もしご自身で話されている方言がそういった方言だっていうことに気づいた方はね、
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ぜひお便りいただけたらと思います。 僕が今見ている地図っていうのが、
講談社プラスアルファ新書っていうところから出ている 真田真司先生の方言の日本地図言葉の旅っていう本です。これは非常におすすめできます。
今話しているアクセントみたいな発音だけじゃなくて、 文法だとか語彙だとか、各方言のいろんな特徴を非常にコンパクトにね、まとめているものです。
ただね、これが出版されたのが2002年なので、もう20年近く経っているから、 どれくらいそういった特徴を各方言保持しているかっていうのは
危惧されるとこですね。KJさんがおっしゃってたように、そのテレビとかね、そういう影響で標準語感みたいなことが進んでいるかもしれません。
岡山弁でよく聞かれる表現として、なんしょんならっていうのがあるんですね。
なんしょんなら。これは結構 勢いのあるっていうか、
わりと非難しているような感じで、何やってんだよ、みたいな感じですかね。
普通に何やってるの、みたいなのを聞くときは、なんしょんとか、 なんしとんとか、こういった言い方になります。
で、これにならっていうのをつけると、なんしとんならとかなんしょんならっていうと、
まあかなりね、きつめの表現に聞こえるんじゃないかなと思います。 このなんしょんならっていうのは、岡山県内で、
まあ今でも誰か言ってんじゃないかなと思いますね。 1日に何回もどっかしらで発話されているものだと思います。
で、今言ったようになんしょんならっていうのは、
多分ですけど、母語話者の感覚としては、なんしょんっていうのに、 その終助詞みたいな感じでならっていうのがついている。
それでちょっときつい言い方になっているって感じがすると思うんですよね。 僕自身はそう感じます。
ただ、このなんしょんならっていう構造は、実はもうちょっと面白くて、
これは岡山弁の疑問詞の係り結びなどと言われたりします。 係り結びって言うと、
まあ古典でゾーナムヤーカーっていうのが出てきたら連体形で結んで、コソが出てきたら、
何だ? 依然形化で結ぶっていうものですよね。 つまりこの要素が出てきたら、
文末はこの形にするっていうものですけど、 このなんしょんならっていうのも実は係り結びであると言われていて、
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つまり疑問詞が出てくると、文末を 仮定形というか条件形にするというものなんですね。
なんしょんならっていうのも、なんしょんならの何っていうのが何っていう疑問詞で、
最後のならっていうのは、 岡山弁だとじゃっていうものの仮定形なんですね。
標準語だとだ、関西方言だとやに対応するものですけど、 なんしょんじゃっていうのが何っていう疑問詞があるので、
文末をならっていう形に変えているというものです。
これはね、若い世代はどうか分からないですが、 例えばどこ行きゃーみたいな言い方をして、
どこに行くのかっていう意味を表したりします。 標準語風に言うと、どこ行きゃーっていうのはどこ行けばっていう形ですね。
どこっていう疑問詞と、こうして文末の形を条件形にすると。
形容詞の場合も一緒で、 誰が悪けりゃーって言ったら、誰が悪いのかっていう意味になります。
これも一緒ですね。誰が悪ければっていう感じで、 誰っていう疑問詞に対して、文末を条件形というか仮定形にしているというものです。
ただ僕の感覚では、どこ行きゃーとか誰が悪けりゃーみたいなのは、 かなり年配の人しか使わないんじゃないかなっていう気がしますね。
若い世代は、どこ行くんならとか、 誰が悪いんならみたいに、疑問詞に対して最後はならで締めるみたいな表現を使うと思います。
しかもそれはさっきちょっと言ったんですけど、 非難するような、問い詰めるような、そんなニュアンスが感じられます。
なので普通の疑問文は、「どこ行くん?」とか、「誰が悪いん?」とか、「ん?」で終わる形っていう感じですね。
なので疑問詞の係り結びはだいぶ、 岡山弁では聞かれなくなっていて、
唯一、「なんしょんなら」みたいに、「なら」っていうところに 仮識的に残っていると言えると思います。
この「なら」っていうのも、さらに形を変えて、「なんしょんなー」みたいに、「なら」から「なー」に、音が変わっている例もよく観察されるし、僕自身言いますね、「なんしょんなー」っていうふうに。
なので今までの話をまとめるとですね、「なんしょんなら」に絞って話しますけど、「なんしょんなら」っていうのは、もともと何っていうのに対して、
文末を仮定形に結ぶという係り結びに由来していて、つまり、「なんしょんじゃ」の最後の「じゃ」を仮定形の「なら」にして、「なんしょんなら」になってたんですが、
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だんだんだんだん時代を経るごとに、この「なんしょんなら」の「なら」は、「なんしょん」っていう疑問文に、「なら」っていう終助詞がついていると解釈され始めて、
まあ今では、さらに、「なら」から、「なんしょんなー」とか、「なんしょんなー」みたいな音が変わった形式とか、
さらには短くなった形式とかも使われているということですね。 というわけで、
今日は岡山弁にある疑問詞の係り結びについてお話ししました。
係り結びっていうと古典の中だけの世界な気がしますけど、方言によっては似たような現象が観察されるというお話でした。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。ではまた次回お会いいたしましょう。ごきげんよう。
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