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こんにちは、志賀十五です。今日も志賀十五の壺をやっていこうと思います。
今回のトークのテーマは、ズバリ、役割語です。役割語。
どうですかね、皆さん聞いたことありますかね?ないかな?
役割語とは何かというと、
ウィキペディアによると、役割語とは、
ワタの特定の人物像、年齢、性別、職業、階層、時代、様子、風貌、性格などを想起させる特定の言葉遣いである。
主にフィクションにおいてステレオタイプに依存した仮想的な表現をする際に用いられる。
日本語学者の金水里氏が提唱したとこういう風になっているんですね。
なので役割語っていうのは、日本で始まった言語の研究の分野というかね、そういうことになっているんですね。
これはね、具体的な例を考えるとすぐわかるんですよ。
例えばね、名探偵コナンに出てくるアガサ博士っていますよね。
で博士はいつも何とかじゃとか、で一人称はわしっていうのを使ったりすると。
でああいうのがまさに役割語というもので、
まあ男性で、年齢で言うとかなり高齢で、
まあ職業で言うと博士的な感じですよね。
あるいはね、何とかだぜとかね、ぜみたいなのを使うと、
まあかなり男性的な特徴が出せるとかね。
まあこれはフィクションだけでなく、現実の世界でもそうかもしれません。
あるいはこれもね、フィクションの世界でよく見られることですけど、
まあ特に一昔前の小説なんかかな、今の小説だとどうかわかりませんが、
女性が何とかだわとか、わよとか、あるいは一人称はあたしっていうのを使ったりすると。
こういったのもある特定の性別を想起させるということで役割語ということになっています。
これはね、いわゆるお姉言葉っていうのもそういうものかもしれません。
あえてそういう女性的な言葉遣い。
もっと言うと、実際には女性が使わない、フィクションでしか見られないような女性的な言葉遣いを用いることによって、
自己のアイデンティティを確かなものにしているっていうかね。
言語とアイデンティティっていうのは非常によく結びつけられて論じられることがあるんですが、
役割語もひょっとするとそういった側面があるかもしれません。
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いずれにせよ何か特定の人物像を想起させるのが役割語ということです。
そしてそれは実際に用いられているかどうかに関係はないということですね。
さっきも言ったように、女性を想起させるような言葉遣いが必ずしも現実世界で女性が用いているわけではないし、
アガサ博士的な話し方を恒例の男性が必ずしも用いるわけではありません。
ただまあこれは面白いことではありますね。
日本語はそういった役割語が豊富に観察される言語ということになっています。
だからこそそういった研究が始まったわけですけど、
つまり小説なんかを読んでて、その話ぶりを見れば誰が話しているかわかるということですね。
2人の会話がどんどんどんどん続いていくような展開の場合、
言語によっては今どっちが喋ってんだっけみたいになりそうなところを、
役割語が機能する日本語においてはそういった混乱は起きづらいということですね。
この役割語というのは言語の文法でも観察されるし、語彙でも観察されるし、音声でも観察されるものです。
このうちちょっと語彙はわかりづらいかなと思うんですけど、
例えば文法で言うと、さっき言った男性だと ぜ っていうのを使ったりとか、
女性だと わよ とか、博士的な人だと じゃ とかね、
こういった終助詞と言われるものに役割語というのは顕著に現れやすいんですよね。
あるいは音声の面で言うと、男女で恋の肯定さとかそういうのは置いといてですね、
いかないっていうのをいかねえみたいな言い方すると、存在な男性的な言い方に聞こえるし、
他にもですね、知ってるっていうのを知っとるみたいに、
このとるっていうのは西日本的な特徴ですけど、こういったものを使うと博士的な役割語ということになるし、
もうちょっと風変わりなので言うと、隣のトトロっていう映画がありますよね。
で、あれに出てくるメイちゃんがトウモロコシのことをトウモコロシって言ったり、
オタマジャクシのことをオジャマタクシって言ったりするんですよね。
で、こういうのを言語学的にはメタセシスって言って、
そういう音の入れ替えが起こることをそういった言い方をするんですね。
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で、ある研究によるとね、このメタセシスっていうのが幼児的な特徴であるということで、
やはり役割語として分析できるということなんですね。
このようにですね、言語のいろんな側面、音声であったり文法であったり、
まあ今回ちょっと語彙の話はしてないですけど、
そういったところに役割語の特徴が観察されるということです。
ただこの役割語っていうのは差別を助長してるんじゃないかみたいなね、
まあそういった論争は出てきてもおかしくないし、おそらくもう出てきているはずです。
銀魂っていうアニメがありますよね。
あれはもともと漫画が原作で、僕も昔読んでましたけど、
そこに出てくるカグラっていうキャラクターがいて、
イメージとしては中国人の女の子っていう感じなんですよね。
映画の方だと橋本カンナちゃんがやってる役ですよね。
そのカグラが使う言葉っていうのが、あるよ言葉みたいなね、
何々あるよみたいな言葉遣いをしていると。
これも当然一種の役割語なんですが、
実際の中国人がそういった日本語を使っているというわけではないんですよね。
あるいはカタコトの日本語っていうのもありますよね。
あるいは文字で書くときなんかはカタカナで書かれたりするわけですよね。
そういった意味では役割語っていうのは初期体験にも見ることができるんですが、
それも一つの役割語と言えると思います。
こういったものが偏見とか差別につながっていると言われたら、
ひょっとするとそうかもしれませんね。
実際にディズニー映画でちょっとそういったことが問題になったことがあって、
ダンボーっていう映画がありますよね。
そこにカラスが出てくるんですけど、
そのカラスたちが使う言語がアフリカ系アメリカ英語、
いわゆる黒人英語って言われるものなんですよね。
英語だとAAVEみたいな言い方をよくされるんですが、
これがちょっと問題になったこともあります。
そういったことも含め、
やれや男言葉、女言葉みたいなね、そういったものも含め、
役割語っていうのは今後いろんなところで問題になっていくんじゃないかなと個人的には思っています。
良い悪いは別にして、そういった時代の流れということですね。
というわけで、今回のトークは役割語という言語学の一分野というかな、
そういったものについてお話ししました。
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最後まで聞いてくださってありがとうございました。
ではまた次回お会いいたしましょう。
ごきげんよう。