1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #348 抽象化・具体化能力とし..
2021-08-18 10:12

#348 抽象化・具体化能力としての言語 from Radiotalk

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00:01
始まりました。志賀十五の壺。 皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
この番組は言語学ラジオということで、言語学の話をよくしてます。 全体の9割ぐらいかなぁ。
まあ言語とか言語学の話をしてるんじゃないかなと思います。 言語を用いない人間というのは
まあ考えられないですよね。それだけ人間にとって 切っても切り離せないものだと思います。
まあどんな人間でも それが音声言語であれ手話言語であれね
言語を用いないことはないということなんですけど まあ言語って何なのかっていうと
一つはコミュニケーションツールっていうか 他の人間と意思疎通を図るための
道具っていうふうにね 考えられますよね。そういう側面もあるんですけど
今日のトークはですね、言語を 抽象化能力としてちょっと考えてみようかなと思います。
抽象化能力。なんか堅苦しい言い方ですけど
まあこれが言語の持っている一つの大きな 役割っていうかな機能だと思うんですよね。
抽象化すると言ってもいいし あるいは範疇化とかねカテゴリー化とかいう言い方をしてもいいかもしれません。
まあグループ分けみたいにね軽い言い方もしてもいいんですけど まあ何だっていいですけど例えば
動物っていう単語がありますけど その内実っていうかね中身はまあいろいろですよね
まあ人間を含む場合もあればそうじゃない場合もあるかもしれませんけど まあ犬猫とか
クマとかゾウとか何でもいいですけど そういったものをひっくるめて動物と呼んでます。
そういうひっくるめる能力、抽象化する能力が 言語にはあると考えてもいいと思うんですよね。
あるいは動物とは別に植物っていう単語もあって あれも中身はいろいろありますけど
背の高い木から 芝生みたいなものまでありますけど植物っていう風に
まとめ上げているのが言語ということになります。 あるいは時間を表すような表現もそうで朝っていうのは
同じ朝っていうのは理屈の上では当然ありえないんですけど 毎日毎日やってくるものっていうふうに我々は認識してますよね。
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本当は一つ一つ別個の現象というか 朝っていうものなのに 朝っていう風に名付けることで あたかも同じものとして認識してるわけですよね。
これはどうなんだろうな 言語の能力なのか 言語以前に人間が持っている能力なのか 何とも言えないですけど
朝それぞれに 朝A 朝B 朝C っていう風に毎日やってくる朝に 別個の名前をつけていたら 脳の負担は半端ないことになってしまうので
朝っていう風に まとめ上げていると言ってもいいかもしれません。
こういう抽象化能力としての言語は 今の話は全部単語レベルの話でしたけど 文法レベルでも同じことが言えます。
日本語の格助詞に が と を っていうものがありますよね。
私が弟を殴る とか 私が本をあげる あるいは私が真実を知る とかね
こういう風にいろんな動詞と組み合わさるわけですけど この が や を で表されている意味が全部同じかと言うと 決してそうではないですよね。
弟を殴るといった時の を っていうのは 殴るという接触行為の対象を表してますけど 本をあげるといった場合は移動するもの
譲渡するものを表してて 真実を知るっていうとさらに具体的なものを離れてですね 抽象的な事柄を表してるっていう感じですよね。
これも一つ 抽象化能力と言ってもいいかもしれません。
殴る あげる 知る それぞれに別個の格助詞を用意していたら 結構 脳に負担になってしまうので
を 殴る を あげる を 知る っていう風に 全部同じをっていうものを用いているっていうことになってます。
今話したように言語っていうのは抽象化するような力があるんですけど 逆に
具体化するような力もありますよね。 それは何かペットに名前をつけるようなもので
たくさんいる犬の中から例えばポチっていう風に名前をつけると 他の犬でもないポチっていうことになります。
こういう風に固有名詞って言われるのは 特に具体化の機能があるって言ってもいいかもしれません。
ざっくり言えば人名とか地名とかそういったものですよね。 他でもないそれっていうのをね。
具体化するっていう機能が言語にあるっていうことで そういう風に考えるとさっき言った抽象化とそんなに変わんないっていうかな。
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抽象化も具体化も あるいは一般化も個別化も
なんか真逆なような気もしますけど 言語の機能として考えてみると表裏一体っていうかそんなにその2つに違いはないような気がしてきませんかね。
僕は今話しててそういう気がしてきました。
ちなみに英語の god っていうのは名前はないんですね。
なぜなら神っていうのは唯一のものなので 区別する必要がないので
固有名詞はないということになっています。 人間もたくさんいるので名前が与えられて他と区別するっていうことになってるんですよね。
こういうふうに言語には抽象化っていう能力と 具体化っていう能力とね両方あるというか
これはまあカテゴリー化、範疇化っていうふうに一言で言っていいかもしれません。 あるいはラベリングするとかね。
結局抽象化にしろ具体化にしろ同じことっていうか
この世の中っていうのは本当はカオスで混沌としたもので それを
ある程度まとめ上げるのか、1個個別に取り出して名付けるのかっていう、それだけのことっていうかな。
まあかなり大きい話ですけど、言語にはそういう力があるっていうことですね。 これはもう根本的すぎて
あんまりね見直す機会もそんなにないんじゃないかなと思います。 抽象化にしろ具体化にしろこういうカテゴリー化、
範疇化する言語の力のおかげで 我々はいろんなものを認識したり扱えたりするわけですけど
負の側面がないわけでもないですよね。 まあ一つは
人種差別的なものにつながったりしているわけですけど まああれなんか典型的なものですよね
何々人だからこういう特徴があるとか そういうふうに何々人というふうにまとめ上げて
しまって それが偏見につながっていったりとか
あるいはジェンダーの問題もそうですよね。男か女かっていう 2つに切り分けてしまうと
まあいろんな問題が起こってますよね。 まあこれは言語だけの問題なのかどうか
まあ微妙なところですけど 少なくとも言語にはそういうカテゴリー化というか範疇化っていうような
機能があって 抽象化と具体化っていう一見真逆に見えるような機能を持っているっていうのが
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まあ良くも悪くもね言語の もっと言うと人間の
特徴だと思います 言語学ではこういうふうに何を抽象化して何を具体化して
どういうふうに世界を切り分けるかっていうのは言語によって異なるっていうふうに 考えるのが普通だと思います
例えばさっきちょっと例をあげた本をあげるっていう時に日本語は 異動物あげるものの方ををっていうので表示しますけど
言語によっては子供をあげるっていうふうに そのものをもらう受け手の人ををっていうようなものでマークする言語もあるんですね
だから何をどう抽象化して具体化するかっていうのは言語によるっていうことで まあそこが一つ外国語学習なんかで面白いところではないかなと思います
というわけで今日のトークはかなり 大きい話でしたけど最後まで聞いてくださってありがとうございました
また次回のトークでお会いいたしましょう ごきげんよう
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