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始まってしまいました、志賀十五の壺。 皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
今日のトークはまず、無生物主語っていうものを考えてみようと思います。 無生物主語、公文とか確か言うんだったんじゃないかな。
英語でありますよね。
例えば、 That news made me sad とか言うと、
そのニュースは私を悲しませた、みたいなものですよね。 で、これを
いわゆる直訳調というかね、文字通りに訳すと、今みたいに なんか変な感じを受けますよね。
日本語だったら、 まあ自然にするとしたら、
その知らせを聞いて、 私は悲しくなった、みたいに。
私っていうものを主語に置かないと、やっぱ落ち着きが悪いですよね。 英語は確かに無生物が主語になることは
結構あって、 ああ、なんか今思い出したけど、
その雨が私たちを行くことを妨げた、とかね、 プリベントとかいうのを使って、
無生物のものを主語に置いて、 なんかそういう言い方ができたりしましたよね。
で、そういうのもやはり日本語に訳すと、なんか変になってしまうと。 つまり日本語では無生物を主語にするっていうのは、
まあ結構 不自然になりがちなんですよね。
これはどうだろうなぁ、どんな言語でもそうなのかな。 まあとりあえず、
今回は日本語についてお話ししていこうと思います。 まあ他の言語でどうなっているかっていうね、
無生物主語が許されるのかどうかっていうのを 調べてみるのも面白いんじゃないかなと思いますけど、
まあ簡単に言えば、もうそのまんまですね。 今言った通り、日本語は
無生物よりは生物の方が主語になりやすいんですね。 この主語になりやすいっていうのは、生物と無生物が両方出てきた場合、
つまり多動詞みたいな場合は、 当然生物の方が主語になりやすいと。
例えば 村上春樹が新作を書いた。
ここに今、登場人物っていうか出てきているのは村上春樹と新作っていうのがあるわけですけど、
この新作の方をわざわざ主語にして、 つまり無生物の方を主語にして、
新作は村上春樹によって書かれたとは普通言わないですよね。
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私は昨日焼肉を食べた。 これをわざわざ焼肉を主語にして、
焼肉は昨日私に食べられたとか、どう考えてもおかしいですよね。 こういうふうに2つ登場するときは主語になるのは生物が優先されると。
なのでさっき言ったように、そのニュースが私を悲しませた、
っていうふうに、 無生物が主語になりそうな場合は、日本語の場合はそのニュースを聞いてみたいに副文を使って、
で、 私は悲しくなったみたいに
生物のものを主語にしているっていう感じですよね。 あるいはその事実は私を驚かせた。
言えなくはないけど、やっぱり私はその事実に驚いたっていうふうに、
ここでも2つ生物無生物とあるうちの生物の方が主語として 現れているということですね。
今言ったように日本語では生物と無生物では生物の方が主語になりやすいんですけど、
その生物の中にも 階層というかね、優先度みたいなものがあって、
人間の方が非人間の、まあ動物よりも主語になりやすいというのがあります。
クマが女性を襲ったよりも、女性はクマに襲われたの方がどちらかというと自然ではないかなと思います。
まあこれ微妙かな、どうかな。 クマが女性を襲った、まあ言えなくないか。
あるいは、 犬が私を噛んだよりも私は犬に噛まれた。
これはかなり後者の方が自然と言えるんじゃないでしょうか。 なので、
無生物より生物の方が主語になりやすいですけど、その生物の中でも動物より人間の方が主語になりやすいと。
さらに人間の中でも、 私っていうのが最も主語になりやすいです。
兄が私を殴ったよりも、 私は兄に殴られたのように、
一人称が主語の方が収まりが良いのではないかと思います。 こういうふうに日本語には
主語になりやすいのと、 主語にちょっとなりづらいものと、
階層がこう出来上がっているわけですよね。 でこの主語になりやすさの階層っていうのは、
ランキングと言ってもいいかもしれませんけど、 シルバースティーンの名宿階層というものに当てはまると言われています。
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このシルバースティーンの名宿階層というのは、 シルバースティーンというのは人の名前なんですけど、
どういうのを想定しているかというと、 階層の高い順、ランキングが上の順から、
一人称代名詞、二人称代名詞、三人称代名詞、 ここまでが代名詞で、その後に親族名詞、あるいは固有名詞、
その後人間名詞、その後動物名詞、 一番端に無生物名詞、
こういうランキングというか階層というものを提案しているんですね。 今言ったのは詳細欄に書いておきますのでご覧ください。
シルバースティーンは当然この階層並び順を 日本語の主語のために提案したわけではないんですね。
シルバースティーンはオーストラリア先住民語の、 また別語の現象を説明するのに、こういった名詞のランキング、
名詞区階層というものを発表したんですね。 ちょっと具体的に言うとオーストラリア先住民語で、
階層の高い名詞、特に代名詞は 対角型で、
階層の低い無生物の名詞なんかは 濃角型の
角表示をするっていうことなんですけど、 ちょっとこのことは今回のトークでは扱えないので、
濃角型だなんだっていうのは関連トークを聞いていただきたいと思います。 ともかく別の現象を説明するために作られた、
この名詞の階層というものが、日本語の主語の なりやすさというのにも関係しているということです。
というわけで、今までの話をまとめると、 確かに日本語っていうのは、無生物主語っていうのは起こりづらい。
それはそうなんですけど、その中身っていうのを細かく見ていくと、 無生物よりは生物の方が主語になりやすくて、
生物の中でも動物より人間、 人間の中でも私っていうのが最も主語になりやすいということです。
もし、無生物というか、
階層の低いものが主語になりそうになったら、 日本語の場合は、例えば受動体を使うと、
女性が熊に襲われたとか、 私は兄に殴られたとか、こういうのを使えば、
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階層の高いものを主語に持っていくということが できるんですよね。
ただ、英語みたいな言語の場合は、無生物主語っていうのも 普通に許されるので、それを無理に訳そうとすると、
日本語の文としては不自然になることもあると、 そういうお話でした。
それでは最後まで聞いてくださってありがとうございました。 よろしかったら番組フォローお願いいたします。
じゃあまた次回お会いしましょう。ごきげんよう。