1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #665 ありうる?ありえる?ど..
2024-07-02 10:48

#665 ありうる?ありえる?どっち?(二段動詞の一段化) from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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ありうるとありえる、一体どっちを使えばいいんでしょうか。
まあどっち使ってもいいと思うんですけど、このありうるとありえるという二つの形は、
二段動詞の一段化というね、日本語に起こった一つの出来事、歴史的変化に関わっていることでございます。
BGM、かかれい。始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。ハンバーグラーです。
ありうる、ありえる、これ複合動詞ですので、
まあなんていうんですか、あるっていう動詞と、えるっていう動詞の組み合わせなんですよね。
今えるって言っちゃいましたけど、この2番目の動詞がえると読むか、あるいはうると読むかっていうことですよね。
漢字で書いてしまえばわかりませんので、
交互の時に問題になるということではないかと思います。うる、える。
さっきも言ったようにね、どっちでもいいと思うんですけど、歴史的な話をすると、
うるの方が一応古い形ということになると思います。
で、えるっていうのがより新しい形で、単体で使うときはおそらくえるを使うと思います。
何々をする機会をえるですよね。
うるとは多分単体では言わなくって、
ありうる、ありえるっていうこの複合動詞に、ある意味昔の形がね、
化石として残ってるということができると思います。
で、うるっていうのがより古い形と言ったんですけど、これが完全に古い形かというと、そうでもなくて、
さらに遡ると、うという形に行き着きます。
これは古文の授業であった下二段動詞というもので、
うっていう一拍動詞だったんですよね。
活用としては下二段ですので、ええううるうれえよというふうになります。
うとえと二つの段の音、う段え段の音が出てくるので下二段というわけですけど、
うっていうのが元々の形で、ありうるみたいな、このうるっていうのは連体形なんですよね。
この話はね結構過去に何遍もやってるんですけど、
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収支形と連体形が合流するっていう出来事が、
これもね日本語の歴史の中でありました。というか連体形が収支形になっちゃったんですよね。
それがうるという形です。
うっていうのが収支形の役割だったんですけど、
うるっていうのがその収支形の守備範囲まで広がっちゃって、
うるっていうのがある意味その動詞の形となったわけなんですよね。
それで話が終わらなかったということなんですね。
うっていう収支形がうるっていう収支形になった。
ここで話が終わっていれば、ありうるっていうふうに現代でもなってたでしょうけど、
そこからさらに二段動詞の一段化という現象が起こりました。
一段動詞っていうのは音が一段しか出てこない動詞で、
みるとかがそうなんですよね。
みみみるみるみれみよですかね。
全部みという音が出てくる。こういったものが一段動詞です。
さっき言ったように、う、あるいはうる、
これは二段動詞、下二段動詞ですので、うとえという音が出てきます。
が、それが一段動詞になったということは、えという音しか出てこなくなったということです。
そうなると、えええるえる、えれえよ、とこうなるわけですね。
収支形と連体形がうるになったんですけど、それがえるになり、さらに依然形ですね。
ばーのつく形。うればーと言っていたところが、えればーとなりました。
そういうわけで、順を追っていくと、うっていうのがもともとの形だったんですよね。
で、それが収支形と連体形が一緒になっちゃって、うるっていう形になりました。
現代でもありうるとかいう場合のこのうるっていうのは、その時の名残ですね。
で、さらにもう一段階変化があって、
二段動詞の一段化が起こり、うるはえるになりました。
ので、ありえるといった場合のえる、あるいは単体で使う場合のえるっていうのは、
そういった意味で一番新しい形ということなんですね。
この二段動詞の一段化っていうのは、全ての二段動詞で一律に起こったことですので、
うというかね、うるの場合はこれは下二段でしたけど、仮眠二段の場合も同様です。
例えば現代語ですぎるっていうのは、もともとすぐという形でした。
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それがまず、連体形と収支形が同じ形になってすぐるになり、
それが一段動詞化してうだんの音が出てこなくなって、
すぎるというふうにね、現代につながっていくということです。
ですので、現代語は我々が古文で習った時と比べたら活用の種類っていうのは減ってますね。
二段動詞なくなってますし、あとは那変動詞とかね、ら変動詞、ありおりはべりみたいなやつですけど、
そういったものもなくなってますので、活用の種類はどんどん少なくなってきております。
那変と那変については昔から変格動詞、変格活用、不規則動詞として残ってますけど、
基本的に現代日本語の活用は、その那変那変を除けば、
いわゆる五段動詞と一段動詞の2つしかないということなんですね。
伝体形と終止形が一緒になった結果、拍数っていうのが増えてますよね。
例えば、うっていうのが終止形がうるになったっていうことは2拍になってますし、
すぐっていうのがすぐる、まあ最終的にすぎるになるわけですけど、すぐからすぎるで三拍名詞になってます。
これもなかなか面白くって、現代日本語ではその終止形で全然違う形なんですけど、
古文の時代、昔の日本語では終止形は同じ形だったっていうことがあります。
わかりやすいのは立つと立てるというものです。立つっていうのはこれ自動詞で、私が立つみたいなものですよね。
立てるっていうのは他動詞で、看板を立てるみたいに目的語が出てくるわけです。
現代日本語では終止形がそれぞれ形が違って立つ立てるですけど、
これは古文の時代だったら同じ形だったんですよね、終止形はね。終止形は両方立つでした。
で活用が違って、自動詞の方は四段動詞だったので、立たずみたいに未然形でね、「あ」っていう音が出てきていました。
一方、他動詞の立つっていうのは下二段動詞だったんですね。
終止形は立つで、未然形だと立てずっていう風にえだんの音が出てきてましたので、
えだんとうだんの音が出てくる下二段動詞だったんですね。
でこれまた繰り返しですけど、立つっていうのもやはり二段動詞の一段化が起こったので、
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立つる、この連体形がまず終止形になり、そっからうの音が出なくなって立てるになり、
現代では立つと立てるっていうのは終止形も違う形になっております。
ただ、昔の日本語では終止形では区別できなかったんですね、ある意味ね。立つっていう同じ形が出てきていました。
ただ活用が違って、四段動詞だったら自動詞の立つだし、下二段動詞だったら他動詞の立つだしっていうようなね、
なかなか面白いことがあったんですよね。
で、このことについては確かね、風立ちぬがどうのこうのっていうエピソードを撮ってますので、そちらも合わせて聞いていただけたらと思います。
というわけでなんだかんだお話ししてきましたが、最初のテーマに戻ると、ありうるとありえるっていうのは、
歴史的に言えばありえるっていうのが一応新しい形で、ありうるというとちょっと古風なものを残しているっていうような感じです。
その歴史的経緯を今日はお話ししたわけですけど、好きな方を使えばいいんではないかと思います。
というわけで今回はここまでということで最後まで聞いてくださってありがとうございました。
また次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
お相手はしがじゅうごでした。
またねー!
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