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2025-02-08 11:55

#728 直接受身・間接受身・持ち主の受身 from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育

サマリー

このエピソードでは、日本語の受け身文の三つの種類、直接受身、間接受け身、持ち主の受け身について詳しく解説しています。特に、「雨に降られた」という表現から導かれる間接受け身の特徴や、持ち主の受け身のニュアンスについて深く掘り下げています。

受け身文の基本概念
番組宛てにお便りいただいております。
ソア・サントヌフさんからいただきました。ありがとうございます。
シャープ715に関連して、日本語の自動詞について解説いただければ幸いです。
夏季のような言い回しは、どちらも自動詞の受け身系、受動体なのでしょうか。
解説をお願いいたします。
雨に降られた、妻に先立たれた。
はい、ということで、ソア・サントヌフさん、お便りありがとうございます。
シャープ715は、日本語は自動詞を使いがちかみたいなタイトルだったと思います。
あ、そうですね。シャープ715、日本語は自動詞を使いがちというエピソードについてですね。
雨に降られた、妻に先立たれた。
これが受身文かどうかという話は、まさに関連エピソードがあります。
ちょっと検索したら2つぐらいありました。
1つ目はシャープ147。
雨に降られたは受身文かというのがあります。
まさにですね、これね、タイトルが今回の質問と全く同じっていう感じですが、
2020年8月2日に配信してますね。
まずこれが1つ、シャープ147。
で、もう1つがシャープ338。
受動体ってなんだっけというエピソードがあります。
どちらも関連エピソードとして概要欄にエピソードのURLは貼り付けておこうと思いますが、
内容としてはね、今回のお話はその2つとかなりかぶると思うんですけど、
今一度受動体、特に日本語の受動体についてお話ししていこうと思います。
BGMです。
始まりました4月15日のツボ。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
エディ・マーフィーです。
受動体というのは、別名受身文は主に3つの特徴があると思います。
これは日本語に限らず、世界のあらゆる言語の受動体で共通した定義みたいになっていると思うんですが、
1つは目的語が主語になるということです。
元々多動詞で、若者が新聞を読む。
この新聞をという目的語が主語になるというのが受動体だと思います。
新聞が若者によって読まれる。
これが1つ目の受動体の条件で、
2つ目は、動詞に何らかの形態的な変化がある、形が変わるというのがあります。
読むから読まれるというふうに、日本語だったられる、られるというのが付きます。
3つ目の条件として、元々の主語がオプションになるというか、格下げになるというか、付随的な要素になるというか、
さっきの例だと、新聞が若者によって読まれるという、この若者によってというのは、
主語とか目的語に比べたら結構どうでもいいものになっています。
最悪出てこなくてもいい、そんな要素になっているんですよね。
これらの条件は英語でも同様で、英語でも主語が目的語になり、
動詞はB動詞プラス過去分詞形になり、
元々あった主語は倍で表示されて、倍誰誰みたいに。
それはあってもなくてもいい要素になっています。
受動体とよく似ているけど、受動体じゃないものとして、動詞の自多交代というのがあります。
自動詞と多動詞のそのペアみたいなものですけど、
花瓶を割る、これが多動詞で、これが受動体になると花瓶が割られるとなります。
これは割るが割られるっていう風にれるられるがついていて、
目的語が主語になっているので受動体なんですけど、
同じような意味を表す花瓶が割れるっていうのは普通受動体とは言われません。
割ると割れるっていうのは別の単語と見なされるので、語彙的な問題とか言ったりしますけど、
割れるっていうのはもう単語の問題であると。
それに対して割るから割られるっていうのは固い言い方をすると文法的な派生ということができます。
割るを拡張して派生して新しい単語を作っているということです。
お便りにあった雨に降られたとか妻に先立たれたっていうのは、
さっきの3つの条件のうち2つ目は満たしているんですよね。
降るに対して降られる、先立つに対して先立たれる、つまりれるられるが動詞について、
動詞の形が変わっているので受け身文っぽいところはあるんですけど、
ただ問題は雨に降られるっていうのは元々の多動詞文というのが想定できません。
つまり降るっていうのはこれは自動詞で、雨が降るっていうのが元々だとしたら、
それから雨に降られるっていうのが派生したと考えるんですけど、
ただ雨が私を降るっていうのが元々あるわけではないです。
私をっていうのが、つまり目的語が主語になって、私が雨に降られたとなっているわけではなくて、
元々なかった要素が受け身文受動態でポッと出てきているっていうような感じなんですよね。
こういうふうに能動文が想定できないような受け身文、受動態のことを間接受け身と言います。
特に日本語学でそういう言い方をします。
英語ではあんまりそういう言い方はできなくて、
間接受け身と直接受け身の違い
私は雨に降られたっていうのをI was rainedとかは言えないんですよね。
間接受け身に対して直接受け身というのは、さっきの例で言うと、
新聞が若者に読まれるみたいなものですね。
これは能動文が想定できて、若者が新聞を読む。
そこから元の目的語が主語になり、元々の主語がオプションになって、
動詞にはれるられるがついて、新聞が若者によって読まれる。
このような受け身文は直接受け身と言われます。
なので、お便りに回答するとすれば、
どちらも自動詞の受け身形受動態なのでしょうか。
これはイエスですね。
少なくとも日本語学ではそのように考えると思います。
さらに間接受け身は迷惑受け身と言われることがあります。
迷惑のニュアンスが出てきて、主語の名詞、主に人だと思いますけど、
迷惑をこむっているというニュアンスがあります。
雨に降られたがまさにそうですけど、
同様に隣人に騒がれたとかもそうですね。
これも騒ぐというのは自動詞ですが、受け身文を作ることができて、
その場合は迷惑のニュアンスが伴います。
直接受け身と間接受け身、別名迷惑受け身に加えて、
三つ目の受け身文が日本語ではよく指摘されています。
それは持ち主の受け身と言われるものです。
持ち主の受け身というのはその名の通り、
その受け身文の主語が持ち主、所有者であるような受け身文です。
例えば、私は兄に頭を殴られた。
これは殴るから殴られるという風に動詞の形が変わっている。
れるられるがついているので、形としては受け身文なんですが、
面白いのは、頭をっていう風に、
を書くというか、目的語が出てきているんですよね。
これが直接受け身と違うところで、
対応する能動文を考えると、兄が私の頭を殴った。
これが直接受け身だったら、私の頭が兄に殴られたとなるわけですが、
そうではなくて、持ち主の受け身の場合は、
持ち主が主語となって出てくるので、
私が兄に頭を殴られたという風に、
を書くが出てくるんですね。
頭以外にも、例えば財布とかカバンとかでもいけます。
私は電車の中で財布を盗まれた。
これも持ち主の受け身と言えます。
頭を殴られたとか財布を盗まれたというと、
これも迷惑なニュアンスがあるような気がするんですが、
持ち主の受け身の場合は、
常に迷惑のニュアンスがあるわけではありません。
私は書いた絵を先生に褒められた。
これは書いた絵というものの所有者が私なわけですけど、
この持ち主の受け身の場合は褒められたという風に、
むしろ良いニュアンスで使われてますよね。
ですので、持ち主の受け身の場合は、
迷惑とは限らなくて、
良い悪いにせよ、何らかの影響が持ち主にあるというような、
そんな風に言うことができます。
持ち主の受け身は、
エクスターナルポジション外的?所有?
ということもできるかなと思います。
要は、名刺句の中から所有者の名刺だけを
外に出しているというような感じで、
それについても関連エピソードがあるので、
ぜひ聞いていただけたらと思います。
今日の話をまとめると、
日本語の受け身文というのは、
よく3つに分けられて、
直接受け身と間接受け身と持ち主の受け身と。
直接受け身というのが、ある意味でスタンダードな受け身文で、
多動詞文からの派生で、
もともとの目的語が主語、もともとの主語がオプションにそれぞれなって、
さらに動詞にれるられるがつくというようなタイプです。
それに対して、間接受け身と持ち主の受け身というのは、
動詞の形を見ればれるられるがついていますが、
対応する能動文というのが想定しづらくて、
もともとの目的語が主語になっているという感じはあまりしません。
お便りにあった雨に降られたみたいなのは間接受け身と言われて、
持ち主の受け身について
迷惑なニュアンスが伴って、
もう一つの持ち主の受け身というのは、
持ち主が主語となるような受け身文である。
そんな感じでございます。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いいたします。
おいては、7月15日でした。
11:55

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