暇と退屈の倫理学
おはようございます、しゅうへいです。この番組では、1年後のあなたが楽になるヒントを、瀬戸内海の島から毎日有力をお届けしております。
はい、今日はですね、暇と退屈とコミュニティということで、最近、暇と退屈と、暇と退屈の倫理学にハマって、オーディブル2週目に入り、
紙の本でも買ってね、ちょっとこう、紙の本の方がね、部分的に読みやすいので、またね、読みながら、
チャットGPT-01と、ディープシークのR1モデルを戦わせながらですね、いろいろそれぞれの考察を見て、勉強してるんですけど、
その中で、1つ、コミュニティとの兼ね合いで面白い提案ができるんじゃないかなと思ったので、ちょっとこっちでメモガテラ話してみたいと思います。
暇と退屈の倫理学の中に、特に最初の冒頭に、今っていうのは、需要に合わせて供給しているわけではないと。
いわゆる、僕たちが何かを欲しいと思って、生産サイドが何かを作ってるわけではなくて、
むしろ、供給サイドがこんなの、あいつら欲しがってるだろうって言って、作ってマーケティングをして、
まあ、マーケティングして作る場合もありますけど、供給サイドが需要を決めているみたいな経済状況だっていうふうに、
とある経済学者が高度情報社会を迎えるにあたって、先に言ってたんですよね。
それはすごく、自分もマーケティングの仕事をしている上で、言えてみようというかね、当たってるし、
もっと言うと、まさにマーケティングという仕事はそれ自体なんです。需要を作り出すことだから、間違ってはないよなっては思うんですよ。
でも、これって、じゃあずっと続くのかなとも思うんですよね。
要するに、マーケターが、まあ、マーケターがっていうか、作る側がね、
この人たちはこんなものが欲しいんじゃないかと考えて、それをある意味、打算的に製品、サービスに変えて市場に出していく。
で、そこに、まんまと暇と退屈を持て余した現代人が引っかかり、それを買って、それを消費すると。
でも、そこには消費というものしかないので、一生満足しないんですよね。
この消費と浪費の違いも、この暇と退屈の倫理が中にあって、非常に面白い論点なので、ぜひみなさん読んでみるといいかなと思うんですけど。
そう。で、そうしたときに、じゃあ今日コミュニティとか出てるんだけど、これはね、2個ぐらい飛びます。今の話から。
あまりにも飛ぶから、ちょっと順序立てて話すんだけど、そう。そういうふうに、今出てくる商品が、僕ら別に困ってるわけじゃないじゃないですか、そのものがないわけではない。
パーソナルブランドの形成
ものにあふれていて、むしろ断捨離とかミニマリズムみたいなものに憧れているところがあると。
そうしたときに、それでも欲しいなって思ってしまうものがあり、それはまんまとマーケティングされたものでもあるわけです。僕も引っかかってるものがあります。
で、その上で、今そのインフルエンサーが自分のブランドを作ってね、いわゆるP2Cとかって言ったりするジャンルですけど、
そこで自分たちのブランドを作って、自分が欲しかったものを作りますと。いわゆるパーソナルブランドみたいな。パーソナルブランド商品みたいなものですよね。
そういうのを作って、届けるみたいな。マーケティングも始まりましたよね。で、これは大きな意味を持ってると思います。
企業側がダサン的に動いて作った商品を、ただ僕らはそれが好きかもしれないと思って買うみたいな買い物の行動からすると、非常に大きな一歩だと言えますよね。
それは本当にインフルエンサーが自分が欲しいものを作って、それを届けていく。そこにはまだ血が通った感じがするんですよ。
もちろん、企業が作ったものがそうではないというわけではないよ。スノーピークとかも、まさに逆にマーケティングをせずに社員が欲しいと思う商品を作って、それを世に出していくっていうモデルでうまくワークしてましたから、今ちょっと一時的にもしかしたらコロナ禍の反動で非上場にしたりとか、利益が100万円とかっていう決算もあったりとかしましたよね。
そうそう。まあちょっとそれは置いておいて。大きな一歩であると。で、その2個ぐらい飛ばしたっていうのはどういうことかというと、このパーソナルブランドっていう論点を吹っ飛ばして、コミュニティに行くわけです。
今日は暇と退屈とコミュニティなんですけど、コミュニティ論なんですけど、その先には何があるかというと、みんなが欲しいものを作る。そしてみんながそれをみんなで届ける。同じような人に。そう、っていうモデルになるんじゃないかな。
今、なりつつありますよね。この前、Live Like a Catっていう猫のように生きるっていう思想を広げるコミュニティをやってるんですけど、NFTを出したりとか、シビアパルコでポップアップをしたりとか、また旅やってるライフスタイルブランドを運営してたんですけど、一時的には休止をしてます。
で、そんな中でみんなもいろいろ心配してることもあるだろうからということで、今回猫の思想会議っていうのをして、コミュニティで集まって、リアルタイムで100人ぐらいみんな集まってくれて、わいわい楽しく話したんですよ。
で、まさにその中でも、ライフスタイルメディアっていう、いわゆるECメディアみたいなものを作っていこうっていう話になって、もちろんECショップをやってたんだけど、コミュニティないで楽しむようなECだったんですね。
それは僕の打ち手が悪かったなと思います。で、それをコミュニティを横断するようなもの。で、猫のように生きるっていうそのコンセプトを、より多くの人に広げていくためのメディアであると。大きな船ですよね。その船をみんなで作って、その船で大会に出ていこうというような話をちょっと作戦会議をしたんですけど。
まさにそうなると、ジオサイドが勝手にこんなのあんたらたち好きでしょっていう風に作ったものを、僕らなんとなく受け入れてしまってたところから、今度はインフルエンサーが本当に欲しいというものを作るようになったと。
コミュニティの新たな役割
で、その先にあるのは、そのコミュニティが、そこに参加しているコミュニティのメンバーが、こんなの欲しいよね、こんなのあったらいいよねっていう声をそれぞれ個人が上げて、そこはナラティブと紐づいている部分もある。
そこに対してしっかりと企画だったりとかコンセプトを決めたりとか、マーケティングをしていって、ある意味洗練されたメディアなり商品なりサービスをコミュニティみんなで外に広げていくっていうようなモデルが僕は成り立つし、今も成り立っていると思うんですよね。
押し勝つっていうのは、そこにすごく近いものであると思うんですよ。ただ、もっとコミュニティとしてやっていく時代が近いうちにやってくると思います。
うん、そう。で、それってすごくこう、暇と退屈の倫理学の中で、あなたはどう考えるかみたいなことを国文先生がさ、言ってくれてたわけですよね、著者の。
で、僕はそれに対する一つの自分の答えが、今回この暇と退屈とコミュニティ論かな。そう。だから僕らはどうしても暇があり、そしてそれに対して退屈をしてしまう。
うん、で、それはしょうがないよね。今までもこう、今まではいろんな高クオリティの商品が安く手に入れば、すごく興奮をしてそれをたくさん買い集めて、で、まあなんかマイカーブームとかわかんないけど、そういうところでいろんなとこ出かけて国内旅行して、で、今度は海外だとか、今度はインスタ映えだとかさ、うん、今度はなんかわからんけど自宅空間を良くしようとかさ、コロナ禍ではそういう風にね、ちょっと逆の方に動きましたよね。
でもそれはどちらかというと、世の中の変化だったり経済の状況に合わせて僕らがこう、うーん、買いざるを得なかったみたいな部分もあると思うんですよ。でも、ちゃんとその自分たちがこれを好きだとか、何がいいかっていうのをちゃんと考えて、それがうーん、自分たちの使っているものに反映され始めるっていうのは本当にこれからなんじゃないかなと思うんですよね。
今までは与えられたものを、なんか好きかもしれないと思いながら使ったりとか、うーん、なんか親族好きなんだと思いながらも、でもそれは実は企業がマーケティングしたものだったみたいな裏側がありながらね、使ってるものがあったんじゃないかなと思います。
それが決してダメとかではなくて、そういう楽しみ方を僕らはしてたと。でも、本来的な、何を本来的なっていうかにもってもちょっと難しいんだけど、でも本当に僕らはこれから自分たちの集まり、コミュニティ、そこには個人個人のナラティブが集まっていて、
そこで本当にいろいろ議論したりとか、これがいい、あれがいいとか、こっちの製品が良くて、こんな特徴があった方が良くてっていう風に言っていった商品、今すでにそれが世の中にあるのであれば、それをみんながお勧めするだけでいいと思うんですよ。
なんだけど、もしそういったものがないとか、まだ誰も生み出してないものがあるのであれば、それをみんなで考えながらコミュニティで作っていく。これが暇と退屈に次に当てられるような、僕らの営みなんじゃないかなと思ったんですよね。
だから、今まで僕たちは産業革命以降とか、特に人類、いろんな財を生み出して、それが企業活動になり売り上げを増やして、それが社員に還元されるみたいな、そういうエコシステムの中で生きてきたんだけど、ある意味そのエコシステムが今からメタモルフォーゼというか、変わっていくのをすごく僕は感じるんですよね。
それはまさにマーケティングの変化でもあるし、僕らの消費行動の変化でもあるし、もっと言うとライフスタイルとかワークスタイルの変化でもある。
それが特に暇と退屈に関わる文脈で言うと、まさにコミュニティってとこで出てきてるんじゃないかなというふうに思うんですね。
この話をすごく自信持って話しているかというと、全くそうではなくて、こういうふうに考えると面白いんじゃないかなっていう、まだそういう憶測の息を出てない話なので、どうかわかんないんだけど、まあでもずるい話で、これはでも当たるよね。
なんでかって言うと、コミュニティって確実に来るじゃん。それはもう本当に、進化人類学だったっけ?ちょっと忘れちゃったけど、そういったところからも、もしかしたら当て込められる。
または脳内の化学物質、ドーバミンとかオキシトシンとかセロトニンとか、そういった降伏物質から、脳科学的な議論にもつながるのかもしれないね。
そう、だから、そういうことを思ったんですよ。ゴーワイルドっていう本も読みながら、ちょっといろいろ今ね、乱読というか、いろんなものを読みながら、あとね、前に読みながらね、ちょっと挫折してしまった本があって、なぜ私は私であるのかっていうね、神経化学が解き明かした意識の謎。脳はどのように意識を作り出しているのかっていう、アニルセスさんの本があって、これ結構僕ね、挫折しちゃったんですよね、途中で。
なんかわかるけどちょっとむずいみたいな、なんかわかった気になるけどよくわかんねえなみたいな本だったんですけど、これもね、もう一回ちょっと読み直してみようかなと思って、今こうね、本棚から出してきて、机の上に置いてるんですけど、そう、つまみ食いラジオもね、2月5日にスタートするので、ちょっとね、もうちょっといつもより前よりもね、本が楽しくなってきました。
ちゃんと読まないとっていうのもあるんだけど、どちらかというとね、これランニングのせいかと思うんだけど、本読むのがちょっと楽になってきたんで、楽っていうか難しいんですよ。難しいんだけど、前よりも著者の意図みたいなものが少しスーッと入ってきてる気がする。
前よりはね、完全にわかってるわけではないし、もちろん暇と退屈の倫理学が理解できたとか、そんなことではないんだけど、僕の中での、その暇と退屈の倫理学をまたこう、その旅を続けたいなと思うんだよね。その旅の今途中にあるのが、そのコミュニティっていうところの論点だったので、今日はちょっと紹介させていただきました。
またちょっといろんな本も紹介したいので、ぽつぽつと本の紹介のラジオもやっていきたいと思います。2月5日、本つまみ食いラジオ、池谷さんとアレゴさんと3人でポッドキャスト、3ポッドキャストっていうのかな、わかんないけど、やりますので楽しみに待っててください。またリンクとか紹介したいと思います。
というわけで、今日も聞いていただいてありがとうございました。この後も心地いい時間お過ごしください。バイバイ。