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どうも、ボブです。うちの子供がですね、今月2歳になりました。
わんぱくな男の子なので、とにかく自由にやりたいことをさせようというつもりで接してきたんですね。
ダメよと制限したりとか、危ないからと先回りして全ての危険を除去したりとか、
なるべくそういうことはしないように意識してきました。
ただ、その延長でですね、よくない習慣もちょっとついてしまったような気がするんです。
一つは、テーブルでちゃんとご飯を食べなくなってしまった。
二つ目に、ご飯を食べて、なんかある程度お腹いっぱいになったり、あとはちょっと飽きてくると、
ぽいってこう、床にご飯落としたりするんですよね。
あと三つ目、夜寝ないので、最終的に夜ドライブのパターンが増えてきた。
これはずっとやってたんですけど、もうちょっと良くないかなと思ってですね。
テーブルでご飯食べないときも、ご飯はどこで食べるんだった?
テーブルで食べるんだよ、何度も何度も伝えて、テーブルで食べるようになってはいるんですけど、
でもある程度お腹いっぱいになったら、すぐに飽きて動き出す。
もしくは、ぽいって床に米粒とかパスタを落とす。
食べ物は下にぽいしたらダメだよ、お腹いっぱいだったらね、また後でこれ置いてたら食べれるからって言うんですけどね。
ぽいしたら捨てないといけないよ、もったいないよって言ったりしてもですね、あまり変わらない。
ただ頭ごなしに怒らずに、とにかく伝えるっていうことをしてきたんですけど、なかなか変わらず。
後ですぐお菓子を欲しがるようになったりとか、ご飯をちゃんと食べてからお菓子は食べようねって言って、
お菓子あげないと、えーんってもう大泣きです。
もう世界の終わりのような泣き方を、これもまたえんえんとずーっと泣き続けるんですね。
夜もなかなか寝つけないので、本読んだりとかいろいろしてきましたけど、
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一旦よくになってもすぐに今、家が2階、1階2階あるので寝室が2階なんですね。
2階から1階に降りて、でまた2階に上がってっていうのを繰り返す。
で結局寝れないときはブッブーブッブーって言って、でもう大泣きして玄関の方に手を引っ張られてですね、
もう子供が引っ張っていくんです。
うーん、もうちょうど2歳になったタイミングで、
ちょっとこのままやり方変えようかな。
親の方も少し成長しないといけないなと自分自身も思ったんですね。
2歳の子供っていやいやきとか、まの2歳児とか言われてしまってますよね。
これってでも、なんか親の都合でこんな言われ方して、ちょっとかわいそうな気もするんです。
子供はただただ成長しているだけなんですよね。
子供はただ自我が芽生えるこの時期を一生懸命生きているだけなんです。
育て方とか環境よりも、今は脳の前頭前夜かな。
未発達なことでこういうことが起こっているわけです。
誰もが通る道なんですよね。
今脳が成長しているんだ。心も今発達しているところなんだ。
ということで本当は喜ばしいことのはずなんです。
じゃあただ、じゃあそのままにしてていいんですねって言われたら、またそれもちょっと違うんです。
そうでもないと思うんです。
まず泣くことは子供にとって一番の武器なんですよね。
ただそれだけ。えーんって大泣きされて、それがえんえんと続いたら、
近所迷惑にもなるし、親が困ることになるんですよね。
それで結局子供の言うことを聞くしかない状況になる。
子供はそこまで見抜いているんです。
新しい美学では必ず目的があるんだよって言われます。
子供の場合は特に2歳の自我が芽生える時期っていうのは、
自分の言うことを受け入れてもらうということに全集中しているわけですよね。
自分の言うことをみんなに聞いてもらおうと。
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子供は手段として泣く方法を選んでいるだけなんだ。
そう思ったらいいと思うんですね。
すべてが悲しいから泣いているわけじゃないんです。
悲しい時もあるんでしょう。
ですけど手段として泣いているっていう、そういう場合もあるんです。
そう考えると泣くからといって全部聞かないとかわいそうとか、
必ずしもそう思う必要もないのかもしれない。
親は親で、怒る目的っていうのは言うことを聞かせるためですよね。
イライラすることってやっぱりあります。
何度も言ってるでしょうとか。
ダメと言ったらダメ。
もういい加減にしていろいろ言いたくもなります。
これもね、仕方ないは仕方ないんです。
でも知っておかないといけないのはあくまで怒ることっていうのは
言うことを聞かせるための手段の一つと自分に僕自身は言い聞かせてます。
それでももうイライラしますけどね。
それはそれで、言うことを聞かせるっていうことを逆に習慣にさせてしまうと
これって決して自立に結びつくことはないんです。
逆に怒られないとやらない。褒められないとやらない。
雨と鞭する場合はですね、ご褒美をもらわないとやらない。
そんな人間を作り上げるだけになってしまう。
そういう危険性があるんですよね。
単純に怒っちゃいけないっていう、そういう意味じゃなくて
こういう人間になってしまうかもしれない。
そういうことなんですよね。
じゃあどうすんのと、どうしようかなと。
自立する心を育てることと言うことを聞かせること、これは違うんです。
親としての目的は、僕は自立する心を育てることと思っています。
なので親にできることって言ったら、とにかく自分で考えて判断する。
そういう環境とか習慣を作ること。
子供に作ってもらうような環境を整えることですね。
あと、信じて寄り添う。
一人の人間として尊重するってこと。
この二つかなと個人的には思っています。
じゃあ最初に言った、このね、テーブルでご飯食べないとか
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そんな状況どうしようかなと思ったときに
とにかくテーブル以外には食事を持っていかない。
食べなかったとしてもわざわざソファーの方に持っていかないとかね。
これやってたわけですよ。
子供がいくら泣く手段を使っても
ご飯を食べる場所はテーブルだよ、座って食べようねと根気強く説明しようと思います。
ただね、今の時期はたぶんすぐそう言ったとしても聞いてくれません。
でもいいんです。伝え続けることに意味がある。
その時にね、わーわー怒らない。
怒らずにただ淡々と言うんですよね。
で、二つ目のご飯を食べてお腹いっぱいになるとポイって床にご飯を落とす。
これもね、例えばそういうのを見かけたら
次、ご飯を床にポイしたら、もうごちそうさまにしようね。
そういう風に決めるんです。
決してガミガミにまた言わない、怒らない。
でもね、たぶんすぐわざと落とすんですよね。
こっちじーっと見ながらポイって落とすんです。
そしたら、じゃあごちそうさまだねって言って食器を下げる。
そうすると多分大泣きするんですよね。
もしくはもう飽きてるから、もうそれはいいとして、すぐおやつ食べようとする。
冷蔵庫を自分でバーンと開けたりとか、
なんかおやつがありそうな場所を知ってるからですね、引き出し開けようとしたり。
でもね、もうそうなったとしてもすぐもうやらない。
ご飯ね、もうごちそうさましたでしょ。
ごちそうさましたらもう食べれないよ。
大泣きすると思います。
でもね、境界線をしっかり引いたら、そっから引き下がってはいけないんですね。
向こうは手段として泣くだけだから。
母乳飲まなくなる時のあのタイミング、あれも大変でしたよね。
あれも同じです。
もう境界線を引いたら引き下がってはいけない。
あれの繰り返しなんでしょうね。
あと3番目の夜ドライブ。
これもね、最近、本読むと以前よりも言葉を聞いてくれるようになったんです。
絵本で一旦落ち着くんですけど、すぐ起き上がって1階と2階をまたうろうろしだすんですよね。
例えば、絵本を3冊読んだら電気を消そうねとか、最初にもう話しておく。
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3冊読んだら本当に電気を消す。
あと、階段ね、上り下りする時は、あと1階下に降りたら、次はねんねしようねと伝えておく。
多分、その後ね、電気を消したりとか、実際1階下に行って上って、じゃあねんねしようねって言ったら、大泣きすると思います。
お隣の方には迷惑かけてしまいますけど、1時間もっと泣き続けるかもしれませんね。
でも、これを数日ぐっとこらえてやってみる。
子供に振り回されない。
ちょっとね、こういうことをやってみようかなと思ってます。
まとめとしてはね、2歳の子供は決して親を困らせたいわけじゃない。
子供はただ成長しているだけ。子供にとって泣くことはただ手段なんだ。
親にとって怒ることも、これもまた手段。
ただ、親は大人なんだから、他の手段を使うこともできるはずなんです。
自分で考える、判断する、こういった環境や習慣を作ることが大事。
子供の泣きの手段に屈しない。
最終的には、信じて寄り添う。信じて見守る。
こういうことをやっていこうかなと。
親がね、もう何でもかんでも振り回されなくて。
子供よりもね、何倍も生きてきたんだから。
経験も手段もたくさん親の方が持ってるんです。主導権は親にあっていいんです。
でも主体性は子供が持たないといけないですよね。
子供自身のことなんだから。
主体性は子供を持ってもらった上で、子供の成長をしっかり見守ろうと思います。
ということで、今日は子育ての話でした。ご視聴ありがとうございます。
何かいいアイデアあったら教えてください。