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はい、今晩もリノベの時間をやっていきたいなというふうに思います。
今日は東京からのゲストで、僕も本日初めまして、非常に楽しみでワクワクしておるような感じでございます。
いろんなリノベの話をしたいなというふうに思います。それではタイトルコールいきます。
リノベの時間!
この番組は、窓さっき断熱計算でおなじみの桜東洋重機株式会社と、建築建材といえば株式会社リクシルの提供でお送りします。
はい、こんばんは。大阪港区でリノベーションと町づくりをやっています。美想空間大島です。
こんばんは。アシスタントの三浦です。よろしくお願いします。
若干今日、緊張感がありますか?
そうですね。
楽な感じではなく。
額に汗がさっきから光ってて。
初めましてなので、しかもずっと一方的に見てて、十数年以上、僕ずっと、
何だろうね、見てました状態なので、非常に緊張していますけども、聞きたいこといっぱいあるので、聞いていきたいなと思います。
この番組は、全国のリノベーションと町づくりで活躍する多彩なクリエイターや事業家をゲストにお招きし、トークセッションでお送りする30分です。
それでは早速本日のゲストをご紹介いたします。スピーク、R不動産株式会社、代表取締役、吉田敬弥さんです。
こんばんは。
こんばんは。
よろしくお願いします。スムーズに言った。初めて、こんばんはが。ありがとうございます。
初めましてで、初めましてなんですけども、聞きたいことが、今日は山のようにございますので、やっていきたいと思います。ご紹介をお願いします。
それでは早速本日のゲストのご紹介をしたいと思います。
2003年、東京R不動産、2004年にスピークインクを共同で立ち上げるとともに、CIAインク・ザ・ブランドアーキテクトグループにて都市施設やリテールショップのブランディングを行う。
東京R不動産及びリアルローカル、公共R不動産など関連サイトのディレクション、建築、不動産の開発、再生のプロデュースやデザイン、地域再生のプランニングなどを行っている。
3.11以降の建築、金沢21世紀美術館、ハウスビジョン2013東京エキシビジョンに出展、グッドデザイン賞、アーバンデザイン賞、特別賞、東京建築市会住宅セレクションなど受賞を出す。
共編著書に東京R不動産、全国のR不動産、だから僕らはこの働き方を選んだ、ツールボックス2025年建築7つの予言など。
はい、どっから切り刻ましてもらったらいいのかが難しいんですけど、僕のちょっと一方的な話と言いますか、見させてもらっているところからいくと、R不動産とかスピークとかあの辺、ツールボックスもそうですけど、
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その辺をトータル的にプロデュースして動き出したみたいな、あんまり表にグワンって出てきていらっしゃらなかったのかなっていうようなイメージもあるんですけど、その辺ってどんな順番でどんな感じでこの辺のことが生まれていったところってどんなんなんですかね。
なんか一個一個自然に生まれていったみたいな感じですかね。多分僕ら、それこそ前に出たババアとか、あとスピークを一緒にやってる林とかと、割と共同経営的なスタイルを取ってて、
例えば後期R不動産とかはババア指導でダーって走ってポンって出てみたいな感じだったり、ツールボックスは最初やっぱ林の妄想から始まったりとかっていうのがあって、割とこうなんだろう、同時多発的に何かが生まれてるような感じの状況ではあるかなって感じですね。
なんかそのR不動産に行く前のところ、要は僕らが知る前のところかなと思うんですけど、経歴というかどんな感じで建築に関わっていったはるような感じなんですか。
もう普通にというか、大学院までバリバリ。
いわゆるゴリゴリの建築系。
就職活動とか特にしてなくて、いわゆるアトリエ設計事務所とかあるじゃないですか。そこに行く前提でずっと動いてたって感じですよね。
めちゃくちゃど真ん中の建築軸でずっと来られてたと。
そうですね。
ちなみにどの辺の、地元はどちらでなんですか。
東京なんで、東京のアトリエ事務所とかでずっとかな、ほぼバイトばっかりしてた感じですね。
生まれはどこですか。
生まれ京都です。
京都なんですか。
生まれ京都です。
関西なんですか。
でも生まれただけですね。
で、京都から。
京都、東京、横浜、中学、高校が石垣の金沢。
大七行座ですか。
大七行座ですね。
中高金沢なんですか。
中高金沢ですね。
ほんで、大学は。
東京戻ってきて、今も実家は横浜ですね。
喋ってる感じは関東の人ですよね。
多分ちょっと金沢弁が一番入ってるんで。
金沢弁でも僕らからしたら結構標準語に聞こえるんですよね。
関西の人とか特に大阪の人から見ると、明らかに東京よりなんですけど。
東京の人から見ると、ちょっと黙ってるとは言わんけど、関西方面っていう感じじゃないかなと思って。
僕、建築やる前の全く別の事業を実はやってて、それの事務所が金沢にあったんですよ。
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金沢めちゃくちゃ行ってまして、何年くらいですかね。
学生の時からやから多分7年くらいは金沢でやってたので、めっちゃ大好きな町ですね。
だから東京ある不動産の次にある不動産を作ったのが金沢なんですよ。
それは僕が小津さんっていう今一緒にやってるパートナーと会ったっていうのが一番大きいんですけど。
やっぱり初めての東京以外でやる試みなんで。
土地勘がないとわからないじゃないですか。
なので金沢やったら一応住所聞いたらあの辺ねっていうのはだいたいわかるんで。
金沢も建物もそうですけど、絵の古いのいっぱい残ってるんですよね。
結構ありますね。木造がやっぱ多いと思いますけど。
その中高金沢で大学が東京で院まで行ってガリゴリで建築をやって、
アトリエとかの方に行きながらどんな感じに今に至ってますかね。
留年したりとかして、ちょっと変なタイミングで就寝の時が終了っていうのがしたんですよね。
その時にたまたまその後、結果入社することになったスペースデザインっていう会社があってですね。
もう今はないのかな。そこにたまたま入社したって感じ。
それは何系の会社ですか。
いわゆるディベロッパーですね。
不動産から建築までやる企画から全部。
企画はやりますね。
のところに就職をして、ほいでどうなっていくんですか。
4年半ぐらいかな、4年8ヶ月ぐらいで辞めたって感じですね。
その時は何やってあったんですか。業務としては。
業務はちょっと変わったディベロッパーで、いわゆるマンションの用地の仕入れから当然販売までやるわけですよね。
っていうのと、その当時たぶん新しい試みで、いわゆるオフィス兼住居の文場の企画を立ち上げたりとか。
何年前ぐらいの話ですか。
2000年とかって感じですかね。
2000年ぐらいですか。
2002年の企画後半からぐらいな感じで。
その企画も全部やってて、内装というか建物のボリュームはそんなにやらないですけど、いわゆるデザインにかかる部分とか。
あと内装とか。
それが最終的にはサービスアパートメント、家具付きの住居にだんだんプロジェクトが変わっていくんですけど。
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その時はそれこそ家具のデザインから。
そんなのもやってたってことですか。
やってましたやってました。
あと食器選んだりとか家電選んだりとか。
細かいですね。
ホテルっていうか、全部が付いてる住居なんで。
だから本当に家電のセッティングとか、無地で棚買ってきて組み立てたりとかっていうのも全部やりましたね。
戻りますね。大学でアトリエ系で就職することになって、そこからどうなっていくんですか。
実は就職するつもりなかったし、留年をしてたので、いわゆる普通の就職の案内というか会社案内とか来ないんですよ。
ずれてるですもんね。
ずれてるんで来ないんですよ。
そしたらたまたま友達の家に遊びに行ったら、会社の案内とかDMみたいなのあるじゃないですか。
新卒向けの。
それ見て、これお前に向いてるんちゃうって言われてみて、これ何だろうとか言って、これ明日だからちょっと行ってみればみたいな感じのノリで説明会に行ったんですよ。
そしたら結構面白くて、そのまま面接するとかって言われて、面接して、
最終的に補欠合格だけど一応入社できたみたいな感じですね。
家具、マンション、割と幅広い業務をやって、辞めるタイミングで独立みたいな感じですか。
そうですね。だから辞めて1、2ヶ月とかぐらいかな、時にアルフーさん立ち上げてる感じですね。
そこってどう繋がるんですか。
元々ババさんとか林さんとか繋がりがあったってことですか。
それで言うと林も同じ会社なんですよ。辞める前というか、林が辞める前ですね。
同期みたいな感じなんですか。
同期というか、彼中途で入ってきたから、同僚で年上なんで先輩というか同僚というかみたいな。
その会社がリクルートって創業者の人の会社だったんで。
あ、片手で作ったやつだ。
作ったというかリクルートは関係ないですけど、彼個人の。
確かに。はいはいはい。
たまたま僕知らなくて、江戸さんのことも。
そうなんですか。
会っても面接最後もしてもらったんですけど、全然知らなくて。
え、すげー。まじですか。すごいですね。
でも周りがわりと江戸さんいるからっていうんで、多分入ってきた人が多くて。
だからわかんないですけど、初期のリクルートとかに近い空気だったのかわかんないですけど。
営業寄りの考え方ってことですか。
営業というか、営業寄りっていう感じでもなかったですけど、
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でも江戸さんそこにいてずっといろいろ言うんで、だいぶしんどい思いをしましたね。
僕結構江戸江さんリクルート好きで、もちろん本も読んでますし、
その成り行きで作った不動産の事業投資が好きで作った会社っていうのももちろん知ってたですし、すごいですね。
そうなんですか。
だから本当に土地の仕込み、最初は新卒の時は設計やりたいです、デザインやりたいですって言ってからスタートなんで、
最初は好き勝手やらせてもらってたのが、気が付いたら土地の仕込みやってるみたいな状況でした。
でも逆にそのおかげで今やってる事業とか、長い目線で江戸さんには繋がったかなっていう感覚は多分ありますよね。
林さん本来は、独立する前会社の同期みたいな、同僚ってことだったんですね。
で、ババアさんどこで絡んでくるんですか。
ババアはサッカー大会で試合やってます。
今でもやってるFCAっていうところ。
アキレスケにきっとあったっすよね。
それで同じチームで、FCAの臨時選手としてちょっとお手伝いして、試合出てって感じですよね。
サッカー繋がりで何やってんのみたいなんで、建築なんやみたいなんで言いつけちゃった。
建築なんやって感じでもなくて、今ババアの後輩が、スペースデザインの僕の後輩だったんですよ。
共通の知り合いが。
だからたぶん彼自身も知ってる人はこの業界でもよく知ってるかもしれないですけど、
なので割と当時身近に結構変わったやつが多かったっていうのはあったのかなって感じですよね。
そこからどこから始まるんですか。その事業としては。
たぶん辞めた後ぐらい、特に僕は決めないで辞めちゃったんですよ。
何やるか。
もう辞めますみたいな感じで、具体的には。
最初やったのがたぶん中華料理屋さんの店舗の内装のデザインやったりとか。一番最初。
その一方で実はほぼ仲介に近い物件紹介したっていうのが実は大阪の物件なんですよ。初めて。
独立した後に仲介、人と人と紹介してお金いただくみたいな感じのことをやったのがその時初めて。
それ不動産事業としてですか。
不動産事業っていう感じじゃないですよ。一人なんで。
あとはその時にそれこそババと二人で企画書をすごい書いて。
それこそ今の東日本橋とか枠黒町とかあの辺のエリアのオーナーさんのとこに毎週プレゼン行ってたみたいな感じですね。
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それ何のプレゼン行ってたんですか。
そのビルをこうしたら企画デザイン。事業も含めた企画デザインみたいなやつですね。
それってありもんやから。そもそもリノベの発想でコンバージョンみたいな。
もちろんそうです。
そういうことですよね。それっていつそれのほうに行ったんですか。もともとゼロから土地入れて建ててたんですもんね。
別に新築がいいとか悪いとかっていうよりも単純にあの時はこの建物いいよねの方が先だったかもしれないです。
どっちかというとあのエリアでおもろい建物とかいい建物があって。
いいっていうのはわかんない。ある不動産的ないいみたいな話ですけど。
それでたまたまオーナーさんと提案させていただける機会があったりとかすると。
本当はあと二人で企画書作ってそれで二人でプレゼン行ってっていうのを結構やってましたね当時。
その時はある不動産の概念って。
概念っていうかあれですけどある不動産自身はまだないタイミングですね。
それより前の話ですか。
前ですね。でもちょっと前。僕が本当に辞めて自由に動けるようになって。
一応ある不動産が一応僕が4月やったか5月やったかに辞めて。
11月ぐらいに一応正式ではないですけど今の形に近いある不動産のサイトになったんですよね。
その間ぐらいの話ですかね。
なるほど。なんとなく自然にある不動産が生まれてたっていう感じですか。
最初はあれなんですよ。
そのエリアはなんとなく限定してたんですよ。今のエリアで。
今言って東日本橋南丁目までとあと幕路岡山とかの界隈。
大阪ですよね。
大阪じゃないです。東京の東日本橋ですね。
東日本橋。はいはいはい。
今の都営浅草線とかの駅でそれこそヌイとか今のチタンとかあの辺があるあたりですね。
あの辺の空き物件を勝手に地図にプロットしてなんかサイトに載っけといたみたいな感じが一番最初ですよね。
その時はもう本当に結構振り立て物が多いエリアで。
大正地区のものとかも今も残ってますけど当時も残ってて。
その辺のものをもう本当に一個一個プロットとか見ながらこれいいよねとかあれもいいよねみたいなのをやってたって感じですね。
で、ある不動産の形がなんとなくできてきて。
その時ってそれ将来どうなるみたいなイメージとかだったですか。
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いやないですね。ないっていうか。だからそもそも最初ビジネスじゃなかったんで。
だからある不動産立ち上げて数年間はお金も何もいただいてなかった感じですね。
それどっからビジネスになっていくんですか。
宅建業取ってからですね。僕らがですね。
それは宅建業を持ってなかったし、中会とかもやる想定ではもともとなかったしっていう感じですよね。
なんか事業を計画して考えて、僕は勝手に吉田さんがビジネスにマネタイズしていくところをやってるみたいな感じで勝手に思ってたんですよ。
最初そんな感じじゃないですよね。
もっとゲリラ的に。
いやゲリラでしかないですよね。ゲリラでしかなくて。
だから当時多分やっぱりエリアが変わっていくことにちょっとこうどっちかっていうとクリエイティブの観点でちょっとかっこいいなみたいなところがあって。
当時、あれ何年だろう。それこそババとかそのとき一緒にやってた今の作家の原田さんって方と、
カメラマンのあの大地、あのくんと写真ブックみたいなの作ったんですよね。
そのとき僕行けなかったんですけど。
そのときはやっぱりエリアを中心に、例えばニューヨークのダンボっていうエリアが開立されるときで、その辺の要はリノベーションされたチョコレート屋さん取材行ったりとかっていう、そんな本だったんですよ。
なのでそのときの興味っていうのは、もちろん建物新築とかデザインとかってやりたいみたいなのあったんですけど、
それと同じかそれよりもエリアが変わっていく感じって面白くないみたいな感じがあって、
そのときに東京だったらどの辺のエリアが可能性あるかねっていうのを結構みんなでいろんなところ回ったりとかしてたんですよね。
そのときに今行った東日本橋のあたりがここすげえ面白くないっていう感じで、わりとその辺を中心に動き始めたって感じですね。
そのときって今でこそエリアリノベーションするとか、そもそもリノベーションっていう言葉も今でこそだと思うんですけど、
当時ってどんな感じだったんですか。
いやどうすかね。
2000年、ある不動産漏れる前なんで。
2002年、3年とかぐらいだと思います。
だから僕ら、例えばどんなというか、あの建物をめでる感じは多分変わってなくて、
不動産事業をやってた部分もあるので、要はその事業の構造みたいなのは当然わかるわけじゃないですか。
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一方で、例えばあのときよく提案してたのは、すごい宿の提案してましたね。
今で言うゲストハウス。
早すぎますね。
そのほうが、やったことないですけど正直。
ないけど、いわゆる稼働率どのぐらい見るかとか単価によるけど、明らかにオフィスで勝つよりも多分収益いいんですよね。
それで多分目的がどっちかというと、古い建物が壊されて、しょぼいワンルームマンションになっちゃうみたいなのが結構多発してて、そのタイミングで。
要請率も3倍ぐらいになるから、だから単純に3倍収益取れる方法なんだろうかみたいな考えて。
既存のまま。
既存のまま。
なるほどですね。
考えると多分、宿とかが多分、わりと数字上上手くいってて。
そして浅草全面で羽田慣れた一本だし、浅草近い市とかっていう多分背景も考えて、ここ絶対そっちの方がいいでしょうみたいなことは、多分いろんな人に提案したけど、多分誰も受け入れてくれなかったです。
でも今はめちゃくちゃできてるじゃないですか。
当たり前ですよね。
そうそう。だから、ほらーって。でもまあそういう話いっぱいありますけどね。
2003年の時って、それで言ったら美装空間の創業2003年なんですよね。でも僕、ハウスクリーニング、美装屋さんの美装めちゃくちゃ洗ってたんですよ。早すぎるっすねそれは。さすがに誰もついていけないですよね。
いやでもまあ、その後僕らも宿やったりとかやり始めて、今でこそもうちょっとまともな事業計画かけるようになったんですけど、当時はそんなのないですよね。ただサービスアパートメントやってたんで、宿っていうかマウスリーぐらいの体感値はむちゃくちゃあったんですよ、実は。
なるほどですね。2003年の時点でそれが生まれて、たぶんリノベーションの概念とかそういう言葉がどうこうとかじゃなくて、とにかく面白いなと思うことをフワッと進めていってたら、R不動産が出来上がったみたいな、そんな感じですよね。
そっからスピークとしてっていうところでいくと、どんな感じなんですか。
スピークは林と二人の会社なんですけど、ちょうど林が僕らその辺ぐちゃぐちゃやってる時に、林も辞めますみたいなことを辞めるかなとかっていう感じで言ってたから、じゃあ辞めるなら一緒にやろっかみたいな感じで、それで辞めたタイミングでスピーク社を作ったって感じです。
元々の知り合いなのか、つれじゃないですけど、そこって結構難しかったりしなかったですか。
元々知り合いだから難しいってことですか。
そうですね。
あんまないですね。今のところもないですね。
僕も一緒にやりだしたんですけど、実は僕がやった会社じゃないんですよね。でも気づいたら僕がやっていたみたいな。創業者は僕じゃないんですよ。結局上手いこといかんくてっていうのがあったんですけど、全くそれじゃないんですね。
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いや、だから、そうそう。だから、二人で完全共同なんですよ。完全ごぶごぶなんですよね。
役割分担ってことですかね。
役割分担も明確には決めてないけど、おのずとなんとなくというか、周りから見ても明らかにこうだよねみたいなのは明らかにあって。だから最初は創業当時のときどうしよっかっていったときに、いろいろ先輩とかに相談したら、やめとけっていう意見が多分10割以上。
それは多分、揉めたときとか上手くいってるときがいいけどなんだかんだみたいな。実際そういうことは多いのも事実ですよね。でも結果、とりあえずやってみようか的な話で、ごうううで始めて、結果もう間もなく20年ぐらい経つから、あの時の判断というか、結果そんなに悪くなかったよねっていうのは、そろそろ言ってもいいのかなみたいな感じですね。
いやいやいや、多分業界に与えてる影響結構大きいじゃないですか。いろんなことを最初に手掛けたりだとかもちろん、R不動産もそうですし、さっきちょっとちらっと言ってたツールボックスの話だったり、後期R不動産の話だったり、ツールボックス結構割とそれで言うと後発ですよね。
今日よりちょっと前ぐらいだと思います。今荒川が多分、スピンクの事業部みたいな感じで最初スタートしたときに、最初だとするならば多分。
それ最初どんな感じで生まれたんですか。
いや、それ荒川に聞いたほうがいいんじゃないですか。
そうですね。
そうですね。
取っていきましょう。
ツールボックスのところは、ちょっとだけ聞きたいんですけど、それは事業部としてやりたいから始まったのか、アイデアベースでこんなんやろうよで動き出したのかというと。
こんなんやろうよなんですけど、荒川もともと一緒にスピークで一緒に例えばオフィスの設計とか一緒にやってたんですよ。
彼自身の思考も割と今のツールボックスではないですけど、プロダクツとかカーテンの生産工程によるコストみたいなのとか、そういうのを結構好きなんですよね。
なので割と県財の物販みたいなことを考えたときに、荒川が多分一番興味を持ったっていうか。
社内で。
すごい適任だったと思うんですよね。あそこは本当に荒川がいて、ジャストタイミングというか。
成立したみたいな。
と思います。
そのくだりは本人、荒川さんから。
本人がどう思ってるのか知らないですけど。
そこはまた聞いておきますけど、まだ2003年、4年、5年ぐらいで終わっちゃったですね。
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あっという間に終わっちゃいましたけど。
もうちょっと、来週そのときに、どんなことを考えてあったとかっていうところは聞きたいなと思いますね。
当時からエリアの概念を持ってやってたってことですもんね。
そうですね。
最近になって整理して思い出しても、多分あんまり変わってないなっていう気はしてます。正直。
なるほど。
ちょっと、来週未来の話聞きたいですね。
そうですね。
またアーカイブは毎週月曜日6時にYouTubeスタンドFMにて配信しておりますので、過去の分も遡って聞けるのでぜひぜひご視聴ください。
今週は至るまでの話やったですけど、来週は未来の話を聞けたらなというところでお願いいたします。
アルフォトさんね、本人に。
そうですね。
アラカイブさんにツールボックスをアラカイブさんに聞くというところで、今週も終われたらなと思います。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。