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2025-01-24 28:37

リノベの時間2023.5.18:株式会社KISYABAREE 代表取締役 /須部 貴之

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ゲストは、株式会社KISYABAREE 代表取締役 須部 貴之さんです。 

地元鹿児島で家業である不動産屋さんを経営する須部さん。 国内でも数少ない、不動産学部がある明海大学に進学した須部さん。 大学卒業後少し猶予をもらい、その時自分がやりたいと思っていた音楽活動をベースにディズニーランドで働いていたという。 その後バンドが解散し、不動産営業を改めてスタート。 そんな折、地元に帰った時に、「閑散としている違和感」を感じ、何とかしないといけない!と思いリノベーションスクールに参加することになったという・・ 

是非最後までお聞きください! 
 

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はい、今晩もリノベの時間をやっていきたいなというふうに思っています。
今日はゲスト、鹿児島から来ていただいていて、1万人規模のイベントをされている、街づくりのスペシャリストさんなんで、いろいろ話を聞いていけたらなというふうに思います。
それでは早速タイトルコールいきます。
リノベの時間!
この番組は、窓差し断熱計算でおなじみの桜東洋株式会社と、建築建材といえば株式会社リクシルの提供でお送りします。
はい、こんばんは。大阪港区でリノベーションとの地づくりをやっています。美想空間鯛島です。
こんばんは。アシスタントの三浦です。
よろしくお願いします。
今日、鹿児島からすべさんが来てもらっているんですけど、実は関係性が深くて、たぶん気づいていないので、どこで暴露していこうかなと思っているんですけど。
すべさんの顔が曇ってますけど大丈夫ですか?
そうですね。いきましょう。
この番組は、全国のリノベーションと街づくりで活躍する多彩なクリエイターや事業家をゲストにお招きし、トークセッションでお送りする30分です。
それでは早速本日のゲストをご紹介いたします。株式会社キシャバリー代表取締役、すべたかゆきさんです。
よろしくお願いします。
思ったより好声量が。
ありがとうございます。
リノベの時間っていうのに来てて、ほんと生でやるんやと思いました。
毎回言って。
毎回やられるんですね。
40回くらい言って、やっと慣れてきたかなっていう。
生三浦さんにもお会いできて。ようやくお二人に会えた。
ありがとうございます。今日初めまして。
初めまして。よろしくお願いします。
実はでいうと、めちゃくちゃ深くて、大島さんに、ブルースさんの大島さんが何かの話で、ラジオとかじゃなくて、これからは管理会社が町を作っていくで、めっちゃおもろいやつおるんよっていうのを多分結構前に言ってて、
それって何なんですか。鹿児島でやってるやつでなみたいな。大島さんから聞いてたんですよ。
そうなんですね。
そうなんですよ。その人がいるんだ。でもその時は、すべさんっていう認識はなくて、その後、大島さんは協議会でいろいろ一緒にさせてもらってたりとかで、断熱の話でゲストで来ていただいた時に、たまたますべさんの話になって、
繋がったってなって、ぜひお会いしたいんですよ。で、今日に至ったっていう。
03:06
だから別に顔くもっていただく必要は全くないですけど。
以前出させてもらった鹿児島の引き矢のね、お話で大城ってやつが出てましたけど、
小学校中学校の同級生で、なんなら同じクラスで、ほんとにどつき合ってたぐらい。
僕も鹿児島に戻ってから、Uターンに戻ってからは青年会議所に一緒に入ったりとか、大城と入ったりとかしてたので、割と深いですね。
リノベーション協議会も鹿児島立ち上げるとき一緒立ち上げたりとか。
そういうあれなんですね。ちょっとこうしたら、いわゆるご紹介をさせていただきます。
じゃあ先に早速させていただきます。
1978年生まれ、明海大学不動産学部卒、ディズニー三井不動産グループを経て2013年に鹿児島へUターン。
同年リノベーションスクール北九州に参加し、1万人規模の地域イベント、汽車場の汽先市を2015年より主催。
2019年に地域開発と人材育成を軸に、これからの地域に必要な場作りをコーディネートする株式会社汽車バリーを設立。
民間や行政の様々な主体と連携して、地域開発事業、人材育成事業、組織開発事業などのプロデュースと不動産業を手掛けている。
2020年ともに未来をつくるをコンセプトにNPO法人、さつまリーダーシップフォーラムセルフを共同設立し、
2022年鹿児島県庁最上階コワーキング総をオープンさせる。
ありがとうございます。
ちょっと気になることと聞きたいことといろいろあるんですけど、
大島さんからの流れの管理会社が街をつくっていくべきだみたいな話があって、
その流れでいくと、もともとご実家が管理会社をされてたんですか?
そうなんです。
それはどんな不動産屋さんなんですか?
鹿児島の市内にあるんですけども、汽車場と呼ばれている街なんですよね。
弓矢を射る場所って書く場所なんですよ。
これって地名ですか?
地名というかアドレス、住所にはないんですけど、江戸時代に静松の友人様が、
弓矢の練習場というか、きばの練習場を使っていて、汽車場と呼ばれている場所があったんですよ。
実際の住所は何て言うんですか?
下新田、新井田んぼなんですよ。
全然違う。
上新田地区と呼ばれていて、ただ、支電が通っているんですよね。
ちんちん電車が通っていて、大阪にもありますけど、その停留場の名前で汽車場っていう停留場が名残があって、
それはあるんですか?
あるんですよ。
で、汽車場って言うと鹿児島の人はだいたいそこがイメージできるんです。
なぜかというと、国立の鹿児島大学がそこにあるので、
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あ、鹿児島大学の勤力所。
鹿児島駅からどれくらいの距離感?
鹿児島の新幹線の中央駅からは、車で10分以内のところに、
ちんちん電車でも10分くらいで、汽車場に行けるという距離感なので、
街の中に大学があるというイメージの場所が僕の地元だったんです。
そこで、近くに不動産の管理会社というか、もともと祖父が親業というか、
生財省は三島でしていて、親業を鹿児島、一族の資産があったので、
それを管理するっていうのをうちの親父が、父親が不動産業を立ち上げて、
というので、その管理会社をうちの父親が立ち上げて、もう40年近くやってるんです。
もとはそうしたら、おじいさんが、
親さんとして始めたやつが何個かあって、
それを管理するために管理会社を作って、
それはいわゆる、僕らが普通に認識している管理業みたいな。
うちの実家も今、すべ産業という不動産会社をやっていて、
うちの両親と社員が2人、女性の社員とあとパートさんで、
5、6人でこうしてるような。
それは別にあれですよね、おじいちゃんの物件だけじゃなくて、
普通にオーナーさんから預かった。
オーナーさんから預かった。街の駐車場とかアパートとかビルとか。
その流れがあって、僕ずっと聞きたかったんですよ。
不動産学部って初めて聞いて、そんな学部があるんやと思って。
これ、不動産部であるってことですよね。
部なんです。学科ではなくて。
すごいですよね。
そうなんですよ。
日本で、多分今でも唯一だと思うんです。学部があるのは。
ですよね。学科はあるところはあるんですか?
学科には横浜の大学とか、ちょこっとはそういうのが出てきたんですけど。
不動産学部に行くために明海大学に行ったってことですか?
行きました。
だから全国の不動産、宅券業を持ってる不動産会社の子供が行くような。
同級生は不動産。
全国の不動産。
何人くらいおるんですか?
今でも10人くらいお付き合いしてます。
じゃなくて、その学部。
学部は450人くらい。1学年150人くらいだったと思うので。
4学年が500人くらいいるんです。
すごいですね。全国の不動産屋の息子が集まる学部ってすごい。
息子娘が集まって。
だからいろんなところの。
実際そうじゃない人も。
そうじゃない人もいるんですよ。
割合で言ったらどれくらい?
割合で言ったら半々くらいじゃないですかね。
人の肌感覚で。
経営者の息子。
そういうことですよね。
その繋がりエグいですね。
僕が入った時は1996年に入ったんですけど。
ちょっとバブルがあって後だったので。
バブルを経験した不動産の会社の人がもう一回学び直したりとか。
09:04
そういう人もいましたよ。
ちょっと大人ってことですか?
ちょっと大人の人もいました。
僕は18の時に入った時にちょうど30、40代の人も一緒に受けたりとかしてました。
ここ掘るところちゃうかもね。
不動産学部って何学ぶんですか?
不動産学部は宅建業あるじゃないですか。
あれの一つ一つ深掘りするような感じです。
不動産学概論っていうところから入るんですけど。
まずもって不動産とは。
それ逆にめっちゃ気になるですね。
不動産とは。
不動産ではないみたいな。
定義があって。
その歴史と不動産の歴史。
日本の不動産の歴史。
海外との比較とか。
それはちょっと裏裏で聞きたいですね。
めっちゃ面白そうですね。
そこから一年目入っていくんですよ。
そんな学部があるって知らんかった。
ずっと気になってて。
こんな学部があるのか。
ずっと見てました。
創業された石原さんってもうお亡くなりになった。
その学部を創業された方が。
やっぱりアメリカとかヨーロッパの不動産。
学問として成り立っているという不動産。
日本は学問として成り立ってないから。
授業はあるけども。
学問としてあるべき姿の学問がないから。
学部をちゃんと立てて。
それを学ぶ必要があるっていうので。
立てられたっていう。
その話は聞きたいですね。
ちょっとここを掘ると多分ね。
終わっちゃうかもしれないです。
そこの卒業生で。
千葉の浦安に大学があったから。
それでいうとその前は高校の時点でここに行けようなのか行くようなのか。
その辺ってどんなやつですか。
そこはいろいろまさつばあったんですけど。
親父は行けと。
親父は行けと。行ってほしいと。
親父もここですか。
違います。僕の時で5期生ぐらいだったんです。
まだ学部として新しかったんですよね。
僕は本当は音楽とか舞台とかバンドやってていて。
演出とか企画とかそういう裏舞台。
こういう裏舞台の方をしたかったみたいな。
こういうことですね。
だからイベントとかやる時も今好きなことをやってます。
そっちのほんとは芸工大とかそういったところを行きたいなとか専門とかでもよかったんですけど。
いろいろ施設があって。
最終的には不動産学部っていう高校があって。
鹿児島というか親元から離れられるんだったらいいかなみたいなちょっと尖ってた時期もあったので。
ここに入学して。
入ってみたら結構面白かったんですよね。
多分学んでる人って多分相当少ないはずですし。
今めっちゃその話聞きたいですもんね。
これはちょっと裏リノベで続きで。
そこで不動産を学んでどうやってリノベーションの今のね。
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街づくりとか企画するところに行ったんかなっていうところまでお話聞きたいなと思うんですけど。
まずディズニーっていうのはディズニーですか?
そうディズニーランドの大学の時にキャストをやってたんですよ。
ディズニーランドの方のクリスタルパレスレストランってシンデレラ城の左の横にある。
何をやってたんですか?
レストランの中の最初ウェイターとあとそのコックさんとシェフというかコックさんとそこのウェルターさんの間の料理を伝達するデリバリーする人。
そういう役があって。
ホールスタッフ?
ホールスタッフですね。
結構そのキャラクターさんが朝はブレックファストって言って、
キャラクターさんが朝おもてなしをするっていう朝食食べながらっていう触れ合うっていうそういう場所だったので結構人気のレストランだったんですよね。
今もありますけど。
学生の時に?
学生の時に4年間キャストをやらせていただいて、卒業してから実は2年間僕は就職はせずに。
そこで働いてたんですか?
そうなんです。
エクスピアリーっていうディズニーリゾートの商業施設があって、そこのディレクターを2年間しつつ、その界隈のバイトをしながらちょっと音楽活動を2年間してたんじゃないですか。
戻ったってことですね。
一回その親父に4年間で卒業したから2年間時間くれみたいな、そういうよくわからない交渉をして。
その時はもう親父からは戻ってこいみたいな感じだったってことですか。
いやまだあの修行してていいんじゃないくらいな感じはありました。
だから就職をする、一応就活はしたんですよ。
それこそリフォーム業者さんとか横浜のリフォーム業者さんとかいろいろ内定もいただいてたりしたんですけど、なんかピンとくるものもないし、その時ですね。
自分のやり残したやっぱりやりたいこともあったので、その時2年間そのプロの音楽家の方とバンド組んで、僕以外は今も音楽で飯食ってました。
結構ガチで2年間やったってことですね。
それこそミシュレの桜井さんとか桑田さんのバックコーラスでやってたりとか、そういうやつが一緒にバンド組んでたりとかしたりのがガチでやってました。
それが減って、ちなみにちょっとこれやっぱり聞きたいから聞いちゃうんですけど、不動産学部出た人ってみんな就職どこに行くんですか?
結構不動産業界多いです。不動産学部出て実家に戻る人もいれば、多分大手さん、三井住友とか入る方もいらっしゃるし。
就職せずに2年間はやって、何のタイミングで不動産の領域に戻るってことですよね。
単純でバンドが解散した。3年間やってたんですけど、バンドがちょっとボーカルが抜けるってなって解散して。
ちなみにジャンルはどんなジャンル?
ジャンルはポップロックみたいな感じの6人バンドをしていたんですよ。
構成はドラム、ベース、ギター、ギター、ボーカル、あともう一個なんですか?
キーボード僕がやってたんです。
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キーボードなんですか?
前に出るキーボード。
すごいなんかいろいろ不利落ちました。キーボード、楽器なんやろなと思って。ギターっぽくないしな。ベースで思い出した。ドラムかな?あ、キーボードか。
ドラムもやってたんですけど、元々幼稚園からピアノをやってたので、キーボードが専門ですね。
解散したから不動産に就職するで、この三井不動産グループ。これは何社か行ったみたいな感じですか?
行きましたね。その時に何社か行って、三井さんから知ってもらった時に、他の他社さんの採用担当から、三井さん行った方がいいですよって言われて。
僕はその時意味が分からなかったんですよ。業界のことがあまり分からなかったので。行ってみたら、やっぱり有料企業というかですね、人を大事にするというか、そういう文化の会社だったので、最終的には良かったなと。ご縁があったという感じです。
何年やってたんですか?不動産を。
東京で7年、福岡移動して5年ですかね。一回退職したんですけど。
めちゃくちゃちゃんと不動産を。
ちゃんと不動産やってました。
これっていわゆる普通の不動産仲介から。
そうですね。最初は三井不動産の新築のマンション、パークホームズのパークシティとか、あと新築のこだての現場所長もさせていただいたりとかして、途中で仲介もしたいってなって、三井のリハウスに出港みたいな形で出港して、っていうのを関東圏で7年させていただいて、
世田谷とか千葉とかいろんなところも行かせてもらったりとかして、もうそろそろ自家帰ろうっていうのが30の時だったので、
鹿児島に戻ろうかなって言った時に、東京の時にお世話になった人事関係の人が、今度福岡の社長で行くと。お前もこっち来たら一回、修行したら福岡でもっていうことで行っていただいて、福岡にも行かせてもらって、5年間同じように新築のマンションの販売と三井リハウスに行かせてもらったんです。
その30の時にそろそろ実家っていうのはなんでなんですか。
それはね、なんとなく自分の中でずっといてもっていうのがあったので。
実家では帰るイメージはずっとあったんですか。
不動産業に入ってからはそう思いましたね。
実家の家業を継ぐみたいなイメージを持って。
継ぐみたいな感じで帰る時は思ってました。
30くらいの思ったけど、誘っていただいたから福岡ちょっと近づいて、そこで5年やって2013年まもじして鹿児島に帰ると。
17年いなかったんですよ、鹿児島に。
そこまでは多分普通に家業を継ごうと思って。
リノベのその町づくりとかっていうのではない、いわゆる三井の普通の王道不動産をやってたんですよね。
そっからどうなって、2013年に戻ってから何があったんですか。戻った時は。
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戻った時は普通に自分でも通し、普通に不動産管理会社として回しながらも、やっぱりその時不動産通しが流行ってたので、不動産アパート買って、そうかなぐらいな感じで帰った感じです。
当時何歳ですか、2013年。
37の時かな。
10年前だ。
そうそう。
だから35、36ですね。
その時に帰って、やっぱり17年ぶりに地元帰ると、その17年前の風景が頭の中にあるじゃないですか。まだ人がいるとか、まだテナントが1階入ってるとか。
けど僕が帰るのって盆正月なんですよ。割と人がいるとか、お店が休んでても。
分かんないですね。
分かんないじゃないですか。
なるほど、なるほど。
日常の鹿児島にリアルに帰ってみると、ものすごい、市電の先ほど言った汽車場の停留所の路面店が7店舗ぐらいって言うんですよ、1階が。
で、これなんやろって、昔あったらラーメン屋どこ行ったのか、花屋さんもなくなってるとか、魚屋さん肉屋さんもないとか、パン屋さんもないとか、内々だらけで、どないなったんみたいな。
で、天文館っていう一番の繁華街も1棟ビルが開いてたりとか。
天文館、島田さんのあれですよね。
そうそうそうそう、マリアガーデンですね。
とかも、やっぱ寒酸としていて、人もいないし、これはなんかおかしいって、違和感から入ってますね。
違和感を感じて、なんかせなあかんで、探し、考え出したみたいな。
考え出して、たまたまその時福岡の時に、内装業やってた女の子と、カレーブっていうSNSでね、
Facebookだったかミクシーだったかみたいな、そういうミクシー懐かしいですね。
で、そこに女子のね、内装業やってる、お父さんが内装業で一緒にやってるリノベの子がいて、
その時はリノベーションっていう言葉が流行りたての頃だったと思いますけど、大城も言ってましたけど。
リノベーションスクールっていうのがあるから、そこに行ってみたら、私の知り合いがいるから繋いであげるよって言ってくださって、
もう即どうやったらいいのって言ったら、福岡に賃貸住宅フェアっていうのがあると。
そこに青木純さんっていう親の人が、面白い人が来るし、リノベーションスクールやってる旧高大の徳田先生ね、
九州工業大学の徳田先生が来るから、もしよかったらご紹介しよっかっていうので行ったんですよ。
それが2013年。
僕が帰ったのが春で、その1ヶ月後ぐらいに福岡に。
パンパンって、違和感感じて、なんかしなあかん、リノスク見つけて行く。
参戦したのはどこでのスクールに行ったんですか?
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北九州の第5回、2013年の8月だったので、帰って3ヶ月後ぐらいのスクールに行った時に、
ブルースタジオの大島さんがユニットマスターのところに僕が入ってた。
で、そこで概念を知り、持って帰って地元で動き出すみたいな。
そうですね。
その時はイベントとか考えてなくて、普通に自分の実家が管理してるところのリノベーションを。
空いてる物件も。
空いてる物件リノベーションしていこうとかで、じゃあ5階建ての5階が空いたと。
階段しかないと。
じゃあそこをどうするかってなった時に、ここを防音室にしようとか。
要するに最上階だし、いろいろ防音にしてちょっと負荷価値高めようとかいう形にしたら、
グランドピアノを置いてくださる先生とかが見つかったりとか。
そういう一部屋一部屋建っていったりとかしてた時期ですね。
実家の家業は管理業で、管理物件をもともと持っている。空いている。埋めていこう。
学部と実務は不動産でやってきた。
リノスクでその概念を知ったぐらいでは、なかなか前に動きにくいかなと思うんですけど、どこでそれが動くようになっていったんですかね。
それが、僕リノベーションスクール7回も行ってるんですけど。
どういうことですか。
2013年夏に行くじゃないですか。
翌年もヤモリブートキャンという街づくりの地域でやりたい人、ちゃんと街づくり会社を起こしたい人が入るスクールをするから、
鹿児島も来ないかっていうので、4人ぐらいでチーム組んで、また2014年1年後に行ったわけですよ。
そしたらその後にリノベーションスクールもついてきてますっていうことで、1週間も北九州でずっと。
缶詰ですね。
缶詰で街づくりを。
フラフラですね。飲んで考える飲んで考える。
それでその時のリノベーションスクールのユニットマスターが加藤博之さんで、僕の兄貴的な存在で。
加藤さんが大阪でもここでもハラジオ出演してましたけども、バイマーケットっていうね、自分の地元の人たちがどういうふうに循環して、
顔見知りになってお金を落としていくっていう考え方と、マーケットっていう考え方があって、
そこでイベントをしながらそこに欲しい出店者さんというか、なんかそういうありたい街の、
そういうパン屋さんを出店、イベントに参加させるっていう、こういう手法が街づくりってあるんだっていうのを知ってから、
全国のいろいろマーケットを僕視察しに回ったんですよ。
そこから手法がハードではなくてソフトかもしれないっていう、要するに人づくり。
24:00
むしろやりたかったことにちょっと近いような。
そうなんですよ。
で、そっからこんなちょっと変わってくるんですね。
そうですね。で、その時に。
ちょっと1個気になったんですけど、2013年からすぐスクールに行って、1年間、1年後にそれを学びに行ってるんですよね。
この1年間は1個ずつのテナントを褒めていくっていう、先ほど言ってたグランドピアノのみたいなのを1個1個やったんですか。
やって、あとその海辺の1棟ビルですね。3階建ての6所体のところをフルリノベーションしたりとか、
そういう自分の同級生の相続物件とかあったりしたので、その時はもうリノベーションという言葉がないので、
自分のつながりでこういったことがやりたいっていうのをさせてもらったりとか。
1個ずつちょっとこうもじょもじょというか、進みが遅いなと思いながらも1個ずつやってたってことですよね。
街変えるというよりも、物件変えるぐらいな感じですよね。
1年後にそれに行って、加藤さんのマーケット的思考みたいな感じの、その手法ありだなぁを知って、全国のマーケットを調べに行った。
どんなあれを見に行ったんですか。
例えば青山だったら青山のファーマーズマーケットに行ったりとか、大阪だったら平方市とか、加藤さんがやってる市とか。
加藤さんと一緒にたまたま2015年のゴールデンウィークに伊賀の取り組みで地域づくりされてるときに、
たまたま京都にも寄ったときに、京都の五条通りで野木崎市にやってたんですよ。
その野木崎市の主催者が石川さんって言うんですけど、その方にお会いさせてもらって、
ヒント来てこの野木崎を通りの野木崎を使ってこういうイベントをするっていう手法は、鹿児島の汽車場に合うかもしれないっていう直感的にやったんですよ。
直感的にですね。
直感で。で僕はそこでちょっと鹿児島でもやりたいのでぜひっていう話をしたら、たまたまその石川さんが、
ちょうど6月に地域おこし協力隊で鹿児島県のアクネっていうところに行くんだよっていう。
これがまた。
そうもん、たまたま。
たまたまだが京都によって、そしたら加藤さんが安部ちゃんちょっともしかしたら、いいタイミングで野木崎市にやってるからヒントになるかもって言ってくださって、
主催者のその石川さんを加藤さん知っていて、設定もたしてくれたっていうところがなければ、野木崎市を鹿児島でやってないんですよね。
ほな、割と偶発的に。
偶発的です。
動いたから結果そうなったってことだと思うんですけど、
なるほど、野木崎市の。
前編では。
ちょうどかかりまでは。
なるほどね、野木崎市ってその野木を活用してってことですよね。
街のその自然の通り沿いの銀行さんとかの駐車場借りたりとか、普通の日曜日お休みの店舗さんの駐車場とか借りたりとか、野木崎借りたりとか。
27:08
具体的な話は来週ちょっと聞かせていただくというところで、
なるほど、一応野木崎市まで行けました。
そうですね、なんとか。
はい、番組へのリクエスト質問感想など皆様からのメールもお待ちしております。
メールアドレスはrenovationtime.jpです。
またスマホアプリFMプラプラからもメッセージが送れます。
2の目の時間、ツイッターからもお気軽にコメントDMなどお待ちしております。
またアーカイブは毎週月曜日6時にYouTubeスタンドFMにて配信しておりますので、過去の文も聞いているのでぜひぜひご視聴ください。
あれですね、野木崎市のパンフレットを今見させてもらってるんですけど。
これもすごい素敵。
広大エリアがまずすごいですよね。
1日で1万人。
1日で1万人、朝10時から夕方4時までで。
でも地域の人向けなので。
でも鹿児島の人口を考えるとあれですよね。
県外からも結構来てるってことじゃないですか。
いやもうほんと地元なんですよ。
半径500メートルに1万5000人が住んでるんですよ。
学区内で言うと3万人ぐらいが住んでるんですよ。
この話はたぶん尽きないかなと思うんですけど、来週続きの方をぜひ聞かせていただければなというふうに思います。
野木崎市、もしかしたら実行でも。
そうですね。
できたらですね。
ありがとうございます。
28:37

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