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2025-01-24 28:37

リノベの時間2023.6.15: bluestudioクリエイティブディレクター 大島芳彦

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ゲストは、bluestudioクリエイティブディレクター大島芳彦さんです。

 是非最後までお聞きください! 

 

bluestudioクリエイティブディレクター 大島芳彦 1970年東京都生まれ。武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。米国、英国に遊学の後大手組織設計事務所勤務。 2000年株式会社ブルースタジオにて「Re*innovationリノベーション」を旗印に遊休不動産の再生、活性化をテーマとした建築企画・設計、コンサルティング、アセットマネジメント事業を起業。 近年は、全国の自治体とともに地方創生、中心市街地再生、団地再生、小中学校再編などの都市スケールの再生プロジェクトにも取り組む。 家業でもある東京都中野区の不動産賃貸業、大島土地建設株式会社では三代目代表を務める。 2012年11月テレビ東京系「カンブリア宮殿」、2017年1月にはNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」に出演。 2015年「ストック型社会におけるリノベーションスクールを通じた人材育成と地域再生事業」にて日本建築学会教育賞を受賞。 2016年団地再生プロジェクト「ホシノタニ団地」でグッドデザイン大賞候補となり金賞(経産大臣賞)受賞。 2022年大阪大東市北条まちづくりプロジェクト「morineki(もりねき)」都市景観大賞国土交通大臣賞受賞。
 

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はい、本日もリノベの時間をやっていきたいなというふうに思います。
先週に引き続きになるんですけれども、なりいわいっていうねキーワードが出てきたので、このなりいわいについて深く掘り下げてお伺いしたいなというふうに思います。
それではタイトルコールいきます。
リノベの時間!
この番組は、窓差し断熱計算でおなじみの桜東洋重機株式会社と、建築建材といえば株式会社リクシルの提供でお送りします。
はい、こんばんは。大阪港区でリノベーションをやっています。美想空間の大島です。
こんばんは。アシスタントの三浦です。よろしくお願いいたします。
3週目。
はい。そうですね。ちょっと前回ね、駆け込みやったんで。
そうですね。詰め込みましたね。
ちょっとそこを今日はゆっくりいきたいですね。
商業となりわい。
はい。
大島さん、漢字めちゃくちゃ上手なんですよね。
そうですね。漢字から読み解くところがね。
確かに。漢字書かれへんからなぁと思うんですけど。
そこが難しい漢字じゃないけどね。
なりわいって聞いて、あれどうやったっけって、一瞬書けないかもと思って、書けました。
よかった。
今日はなりわいについて伺いましょう。
はい。この番組は、全国のリノベーションとまちづけりで活躍する多彩なクリエイターや事業家をゲストにお招きし、トークセッションでお送りする30分です。
はい。いきましょう。
それでは早速本日のゲストをご紹介いたします。
ブルースタジオクリエイティブディレクター大島芳彦さんです。
はい。よろしくお願いします。
先週ね、ブルースターをちょっとね、分解させていただいて。
僕が聞きたいことで終わってしまっちゃったんでね。
最後ね、なりわいについてのところの話と、あとは今やってらっしゃることみたいなところの話がお伺いできたらなんですけど。
なりわいと商業、これのところをもうちょっと伺えたらなと思うんですけど。
その段階の世代の方たちがもう何もないっていうわけじゃなくて、必ず光ってるなんかがあると。
これを家から外へ開いていくみたいな話が先週までの話だったんですけど。
それをまちづくりに取り込んでいくっていうようなことが、今手法として一つ形になってきてるみたいな。
そうだね。段階の世代の方々の話としては一つの例えなんだけれども。
例えばリノベーションまちづくりっていったときに、中心市街の再生っていうのは基本的なテーマじゃないですか。
中心市街って商店街、商店街シャッター通りで困ってますみたいなことですよね。
だけど商店街っていうのは実はなりわいの集積なんだよね。
商店街って人が住んでた場所で、そこに魚屋と言われる人が住んでいて、八百屋と言われる人が住んでいて。
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お互いに持たれつの関係があったのが商店街で中心市街。
それがもう町の老いたちでしょ。
なんだけどそれが秋内と暮らしが分離させられたんだよね。
いつの間にかテナントストリートになってたりして、八百屋さんはもう八百屋やめて、誰かに店貸してどっかに住んでますみたいな。
暮らしと秋内が分かれてしまった。
分かれてしまうと商業の箱に商店街がなっちゃったら、ロードサイドのでかい商業の箱に全然負けちゃうっていう。
そういう状況をどう改善するかって言ったときに、そもそも中心市街商店街は人が暮らす場所でしたよねっていうことをもう一度振り返りましょう。
暮らして魅力的な場をどう作るかってことになる。
秋内と住むがくっついた感じもなりわいっていう概念になるってことですね。
商店街はそのなりわいをちゃんとその人の営みとしてそこでの糧をその人の暮らしの大きな部分にしているっていうのは商店街のなりわい。
今僕が言ってるなりわいっていうのはもっと柔らかく考えた生き様みたいなもので、それでお金をもらってなくても全然いいわけですよ。
いろいろなスキルを持った人たちがご趣味の範囲でもいいから何ができるとか、パンを焼くのが上手でも別にそんな商売するほどじゃないよなんて人は結構いると。
そういう状況の、趣味って思ってください。趣味が結構みんなすごいじゃないですかね。
そんなの商売したらいいのにって言うんだけどやらないみたいなね。
そういうことがマルシェがこれだけ盛況でっていう状況を生んでるわけですよ。
いろんな町でマルシェがあって、そのマルシェの会場に行くと生活する人たちのポテンシャルが垣間見れるということになるでしょう。
こういった力をちゃんと地域の活力に変えていくべきだっていうのがリノベーション・マチ作りを通じてずっと感じてきたことなんです。
だから商店街でどういう空きないを暮らしの延長つまりなりわいとして、その人たちに当事者意識を持ってやってもらうかってことをやってるじゃない。
これは今ある商店街のビルディングタイプだけじゃなくて、住宅地の中にあえてそういう状況を作って誘導してもいいんじゃないかと思うようになったんです。
それで一個形にしてたのが。
ホッコっていうプロジェクトなんだけど。
それはどんな始まりとエリア等で言うと。
郊外の新興住宅地みたいなものをイメージしてもらうのが一番わかりやすい。
ホッコの前にネスティングパーク黒川っていう多摩ニュータウンの中走ってる多摩線。
小田急多摩線の各駅停車の駅前のプロジェクトがあって。
そこでのきっかけがその後ホッコにつながるんだけれども。
多摩ニュータウンの各駅停車の駅前っていうのは商業ゼロなんですよ。
宅地開発のために引いた鉄道で。
急行停車駅には商業があるんだけど、各駅停車の駅前には昔は鉄道会社が作った小さなモールがあったりしたんだけど、
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基本的にそれが今役割を失ったのであんまり使われてない。
そこにどういう場をあるべきかっていったときに不動産活用の一つの術として、
周りにいっぱいいろんな人が住んでる。
だけどプライバシー、セキュリティでどんな人が住んでるかよくわからない人もみたいなのが進行住宅地で起きるでしょ。
そういう人たちのやってみたいを駅前で実現できるような場を作りましょうと。
そういうシェアスペースであったりチャレンジスペース、それからコワーキング。
そういったものを駅前で作ったんですよ。
そしたらもう出てくるわ出てくるわ。
フラーレンジメントの教室を自分でやってた、家でやってた人がこういう場所が駅前に欲しかったんですとか、
そういうイタリアからオリーブオイルの輸入をずっとしてオンラインで販売して結構売れてたんだけども、
やっぱりその場を家の中でやるんじゃなくて、人と共有できる場所が欲しかった。
そういう人たちがいっぱい出てきて。
そこで生活のエクステンションとして、自分たちの表現する場として使ってくれるようになったんですよ。
住宅地のど真ん中、商業的な価値はないと言われてたところ。
これってもうちょっと解釈を進めると、バス、バスの路線バスの終点、駅から一番遠いところじゃない。
つまり商業的な価値はない。あるいは賃貸住宅を作る価値もないかもしれない。
だけどその駅から一番離れた住宅地のど真ん中のバスターミナル、バスの終点っていうのは、
周りが高齢化が進んでいたりとか、周りによっては団地がなくなって、
子育て世代がいっぱいいるんだけれども、共働きだから結構孤立して大変なのよみたいな。
そういう場所にこそ、まさに生活をサポートするような、なりわに近いようなものがあるべきなんじゃないか。
そういう場所ってなかなか商業的な価値って見出されない。
いきなりコンビニエンスストアが入るって言っても、その地域の人たちだけだと需要がないって話になっちゃう。
でもいろいろとやりたい、お素材作って人に披露したいとか、そういう人たちは生活者の中にいるから。
そういう人たちが集まれる場所を作ろうっていうのが、なりわ居居住の長屋っていうのを。
13世帯の長屋、店舗併用住宅ですよ。
1階の軒先に店舗があって、奥と2階に住んでます。
商店街の典型的なあれ作った。
昔の商店街の1階店2階住んでるを、わざと作ったってことですよね。
バスの終点ね。
それ今で作った結果、どうなってるんですかね。
バスの終点っていうのは、北湖っていうプロジェクトなんだけど、昔団地があった場所なんですよ。
URさんの団地があったんだけれども、その背後はそれに伴って50年前から30年くらい前にできた小建て住宅があって、高齢者がいっぱい住んでて、結構みんな困ってたんですよ。
こういう場所で、いってみれば昔の生活商店街を再生するような、そんなプロジェクトですよっていうのを周りにお伝え、結構早い時期からしてたわけ。
そうするとお散歩してるお年寄りとかみんな楽しみにしてるわよって、そういう状況だったのね。
実際に出来上がってみたら、まずはそういうライフスタイルを求める人たちっていうのが、東京の武蔵野市ってちょうど新宿から30分くらいで着けるところなんだけど、こんなにもいたのかっていう。
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それを感じた。募集のときにね。
ランドスケープなんか全部できたのがちょうど10月くらい、去年の10月。
それから一気に募集をアクセル踏んで、年末までに150組くらいの人たちが。
10倍以上ですね。
そう。
入りたいと。
それも地域の周辺の人たちだけじゃなくて、都心に住んでるんだけど、ちょっとコロナのためにもあったかもしれないね。
公害にっていうのと、あとはアーリーリタイヤメントに近いような形かもしれない、自分たちのやりたかったことを夫婦でやりたいみたいな人、すごい人たちがあって。
それはそうだけども、そういった人たちが住める器みたいなものはなかったのかもしれない。
それって、集まってるからいい意味っていうのもあるんですかね。
本当に強い人は自分一人でできるんだと思うし、住宅地に行くとそういう人がいる。
先週か、話をした住宅地でも客間をお店にしちゃってる人とかいるじゃないですか。
そういう人たちってすごいエネルギーのある人たち。
だけどそうじゃなくて、そういう環境があったら仲間たちとやりたいと思う人たちがいるんだな。
具体的に入居された方って、どんな人が入居されてるって、どんなお店があるんですか。
本当にそこは典型的なところで言えば、ベーカリーがあります。
ベーカリーですよね。
それから古本屋さんがあります。
古本屋。
それからあとは寛容植物を作るグリーンのショップがあります。
お惣菜屋さんがあります。
お惣菜。
それからヨガのスタジオがあります。
ヨガ。
あとはデザイン事務所をやってますとか、そんな形で今度は店舗じゃなくなったりもするんだけれども、そういう人たちがいるんです。
みなさんね、それ本業じゃないんで。
例えば古本屋さんというか古本に限らず売ってるんだけれども、その人は編集者なんですよ。
だから編集の仕事をしてんの。
増えてるんですね。
増えてんの。
なるほど。
で、グリーンのショップやってる人も造園の設計をしてる、ランドスケープデザインをしてる人だから、デザインの仕事でちゃんと設計立ててる。
だけど好きだからやってるわけ。
本が好きだから編集者やってる。
自分も好きな本だけ店頭に並べてるんですよ。
自分の好きな植物だけ店頭に並べてる。
そういうお店って面白い。
面白いですね。
その人の感性に増えるお店になってるでしょ。
だからわざわざそのために来てくれる人たちもいるし、町の人たちにしてみてもただ売れ線並べている商売した人がいるのとは違うから。
話をする機会は、私もこの本好きなんですよみたいなそういうコミュニケーションも当然できるんですよ。
だからきっかけとしてすごく生活者の表現って言ってるんだけど、表現者になってくれているので、コミュニケーションがすごくいろいろな角度から新しく生まれてる。
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13世帯の人たちが月1回マーケット的なのをやるという企画も勝手に生まれたりとか。
これね、もともとマーケットなわけですよ。
イベントとかじゃなくてマーケットだから。
なるほど。
だからイベントとかは別にやらなくていいわけ。
だけれども年に2回ぐらいかな今のところ。コロナの間はできなかったりしてるけど。
この間は直近で言うとちょうど桜の季節にね、やったけどね。
お手製のりわい市なんて。
それはやっぱりみんなが商店街でイベントみたいなもんで、もともとご商売してる人はまた盛り上げてやるとか。
商店会長みたいな感じの人が温度とってやるみたいなそんな感じですか。
それは今まさに模索している最中で。
普通鎮対住宅だったら、僕ら管理してるんですよ。
管理会社と住人っていう関係でしょ。
だけど商店街っていうのは、商店街の人たちは当事者だから、どうやったら人が来てくれるかみんなで考えるじゃないですか。
だから僕ら管理会社として、鎮対住宅の管理というよりは、それよりもやっぱり皆さんと一緒にどうやったらここをもっともっとパブリックな人が楽しめる場所にするかってことをみんなと話をする。
商店会に近いようなその仕組みを醸成していこうと思ってるんです。
150組来た時のいろんな人。
例えばもうそれで商売をするんだっていう人もいらっしゃれば、パン屋もあればいろんなお店とか来たと思うんですけど、
それもある程度この街に必要だよねとか、これとこれパン屋にこうやってもしゃあないよねとか、そういうのもディレクションされてたってことですか。
やっぱり大事なことは自由環境なので、ご商売もそうなんだけれども、どういうパーソナリティの方なのかっていうことを一緒に作っていかなきゃいけないので、そういう理念みたいなものを共有する人たちっていう感じになった。
人で結構選んだ。
そうですね。
それがきっかけで次のプロジェクトにつながっていくみたいなお話かなとは思うんですけど、そこからもう一つ生まれた。
なりわい居住っていうのは、そもそもリノベーションスクール、僕ら何年?12年間やってきて、中心市街の姿が実はなりわいだったんだと。
新しい暮らしとなりわいが共存する姿を作っていくべきだっていうのを肌で感じていたからこそそのプロジェクトが生まれたでしょ。リノベじゃなくて。
これはおそらく住宅地で成立するんだから、被災地でも成立するはずだと。そういうことになる。
ちょうどいいタイミングでお声掛けいただいたプロポーザルがあってですね、それが福島の第一原発のひざ元、双葉町。
双葉町で、基幹困難区域という指定でもう10年、人が帰ってきてない、住人ゼロ。
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その町がこれから基幹困難区域が解除されていく過程の中で、受け皿になる公営住宅を作りますと。
そのプロポーザルに出ないかということで出させてもらって、僕らこれなりわい居住だろうと。
ぜひ興味があるんでって言って、僕らも参加させてもらって。
なりわい暮らし、なりわい居住という考え方が、今の基幹困難区域が10年経って解除された町に必要だという認識を、
行政の皆さんあるいは審査員の皆さんとも共有することだと。
今それを工事まさにしていて、全部で84世帯のうちの一期工事と、もうそろそろ二期工事、今度進行引渡しなんで、
半分ぐらいちょうどできあがって、まだまだあと1年かかるんだけどね、84世帯できるために。
84世帯全部植樹ですかね。下植の上が住居っていう。
下植ではなくて、ホッコもそうなんだけど、野木先が土間になっていて。
野木先、土間を上がると奥にリビングダイニングがあって、2階に寝室みたいな。
商店ってそうじゃないですか。ガラガラって開けると、いるかーいなんて言ってさ。
そうすると奥の障子が開いて、眠そうな顔してさ、ガシャガシャ出てきて、大根あるかいなんて、そういう感じが昔の商店街でしょ。
それと一緒だと思ってくれたらいいですよ。だから玄関はガラガラっとガラスがあって、扉横で開いて、そこに土間があって、
そこでホッコの場合は本売ってる人がいたりとかね、総座寄ってる人がいたりすると。奥と奥と2階に住んでますっていう姿。
これを福島の被災地の災害公有住宅なんだけど、そこで作ろうと。
なぜかっていうと、住人ゼロだったんで、商業成立しないことが前提ですよ。
必要なんだけど、それはあくまでも支援でしかなくなっちゃうでしょ。それも必要なんだけれども、
十数年経って帰ってくる人たちっていうのはフロンティアなんですよ。ゼロから暮らしを始めてやろうと。
街を作るのは自分たちだと思うような人たちが帰ってくるので、そういう人たちが飽きないはできなくても、自分たちはどういうことができる、
どういう魅力を持った人間なのか、表現できる人たちがそこに住んでくれたら、お互いに刺激をしあって、
そこから本当の商業が生まれるかもしれない。だから単なる住人として、大事大事で、
セキュリティ、プライバシーで住んでいただこうではない住宅に入ってしようよと、そんなコンセプトだったんです。
十数年ですかね、入ってて人が住んでいなかったところに解除されて、戻ってきてもいいですよ。
十年別のところで暮らしたらもうそっちに暮らしがあると思うので、どれくらい戻ってくる感じなんですかね。
やっぱり当初の人口からいったらもう格段に少ない目標が設定されているんだけれども、
十年以上人の住まない状況で公共のサービスをみんなゼロから作る、いわゆる民間のサービスにしてもそうだ。
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だから本当ゼロから作るような状況なので、まさに開拓地に最初に入っていく住人が84世帯。
プラスアルファ自分たちの家に戻る人もいるけれども。
その住宅っていうのは、そこでコミュニケーションを育んでもらった上で、
そうすると安心できるじゃない。力も生まれるじゃない。
そこから自分のふるさとであった地域にまた戻っていくみたいな、
そういうベースキャンプみたいな役割を果たすということも考えていて、
それがなりわいのシェアでやっていこうよと。
十年になって、それ実際足踏み入れたらどんな感じだったんですか。
僕が初めて見させてもらったときは、やっぱり基幹困難区域でバリケードが街中に張られているので、
メインストリートは車通るけれども、街中に入っていけない状況。
道路は通過はできるけど。
メインの道だけね。
それ以前はそこもダメだったんだけれども、
ここだから5年ぐらいだったような感じで、
やっぱり震災のときの崩れたままの状態ですよ。
原発の災害なのでね。
だからそのままの崩れたままが残っているっていうのが双葉の状況だったんです。
除染も兼ねてそういう建物っていうのはどんどん撤去されるから、
なかなかリノベだって言って残すっていうことができない建物もあったりするっていうのは、
本当にゼロから作るっていう感じではあった。
そこにゼロ位置を作っていくにはこの成りはいいっていう概念が確かにいいですよね。
そのときに何を誇りと考えるかって言ったら、
まずはもっと広い視野の山並みであったり海であったり、
地理的な環境から地域の誇りを感じるっていうシュビックプライドのまず根源。
その次がその成りはいい。
人の価値。
そこに暮らそうとする人の価値そのものを地域の資源だと考えて、
それをシェアしながら語助であったり教助の関係。
語助教助っていうとすごく底辺を支えるものに超えてしまいがちだけれども、
何かが生まれるきっかけにもなるはずなので、
そういう環境を作ろうと。
人が資源であるというのが着眼点なの。
これを設計を取りして工事をして、はいどうぞっていうのもしてなくて、
設計の段階でそもそもフロンティアとして帰還したい人はいっぱいいたんだよね。
その人たちとワークショップを。
もともと住んでた人でもなく。
住んでた人もいるし関心がある人も含めて座談会っていうのを10回ぐらい開催した。
その座談会は。
何年ぐらい?
1年以上1年半ぐらいですかね。
もう毎月ぐらいですかね。
それで座談会をして、
21:00
その中には街歩きというか山歩きみたいなことも入ってる。
そういう座談会をするときに集まってくる人たちが、
自分はどういうことがしたいんだ。
どういうことに興味があるんだってことを積極的にみんなで共有して話し合って、
じゃあこういう場所が必要ですねっていうことを設計に反映してるんですよ。
高校生とかも参加してくれて、
双葉未来学園っていう県立高校が3つ合併してできた高校が、
やっぱり福島の浜通りっていうね。
いわきのちょっと北に、双葉のちょっと南にあるんだけど、
その子供たちなんかすごく未来を気にしてるというか、
関心のある子たちもいるので、
高校生なんかも参加してくれて。
高校生なんかで言ったら被災のときって、
小学校の赤ちゃんよね。
そうですよね。記憶があるかないかぐらいですよね。
だけど、親父、おふくろ、じいちゃん、ばあちゃんから聞いた話もそうだし、
あとは東京の大学に行ってる地元出身の子なんかも参加してくれたりとかね。
本当に世代は幅広がったです。
やっぱりスーパーパワーに期待するのじゃなくて、
やっぱり被災した方々っていうのは、
本当に被災した直後っていうのは支援が必要だし、
そういう関係においてきっかけを追って大事なんだけれども、
やっぱり11年、10年たった双葉の町の未来っていうのは、
誰かどうにかしてくれよじゃもうない雰囲気っていうのは、
すごく最初から座談会のときからあった。
ああいうのを見てて、やはり延べ町づくりの現場もこうじゃなきゃいけないよなと思ったわけ。
打ち上げて補助金だ、商店街の向こうの金はどうなってんだとか、
イベントで今度とかね。そうじゃなくて。
もう本当に使えるパワーが限られているとすれば、
今ここに集っている私たち、僕たちが何ができるかっていうことから始めようっていう、
そういう気持ちにすごく座談会がみなぎっててよかったですよ。
それも結局あれですよね。
やっぱり当事者に意識を持っている人たちに、
ドクター、医者である大島さんが行って、
その人たちに何が必要なのかっていうのを一緒に考えながらやっていって、
あくまでもやるのはそこに集まっている人たちっていうことですよね。
そうそうそう、そうなんですよ。
特にね、お年寄りなんか面白いですよ。
俺釣りは大好きでなってね。
で、その捌き方から何か自分で楽しんでるって。
なかなかあのあたりは海が大変な状況だから、
昔やってたことはできなかったりするんだけど、
でもだんだん海がきれいになったらそれやりたいと思ってたり、
でも魚捌くことは得意だから、それで俺酒も好きだから、
この軒先で居酒屋をそのうち始めたいと思ってたみたいな。
いきなりそれは無理だけれども、
自分が魚捌いて、魚好きなやつが集まって、
そこの軒先で飲んでる居酒屋じゃないんだけど楽しいじゃない。
そういう話を聞いたときに、
僕商売の観点で見ちゃうと、
24:00
そもそも居酒屋の結構大変やでみたいな話になるけど、
なりはいいなんで、
それがお金的に成立してるかしてないかじゃなくて、
もうやりたいの方が先行してるってことですね。
だから商業地で何かやろうとしたら、
補償金払ってお金銀行から借りてきて、
リスクをちゃんと取ってこそ事業が始められるってのあるじゃないですか。
だけど自分ちの抜き先だったら、
ちょっとやってみるかと。
それで始められるじゃないですか。
それって集まったときに、
例えばでも月曜日から例えば木曜日までは仕事をしてて、
金曜日に週末にシャッターが開いてるみたいなそんなイメージ?
そうそう。さっき言ったね、
ホッコもそうなんですよ。
バスの終着点に作った十三世帯もそうなんだけれども、
大抵みなさん玄関のガラスのとこに、
今月の予定書いてある。
いつ開いてますよと。
今年末はマルシェに出るんでいません。
でもマルシェ来てねみたいな。
みんなそれやってる。
それでええんですね。
そうそう。
これが一見モールにも見えるわけ。
お店が並んでる。
だからホッコとの違いは、生活者だ。
モールは商業してる。
ちゃんと責任を持って営業時間を守って、
朝来て夕方までとかね。
定休日やってるんだけど。
そういう考え方もあるんだけど、
でも私たちは生活者ですからっていうことを、
ちゃんとみんなもう持ってるから。
そのバランス感。
集まったほうがいいですねそれは。
バラバラであるよりも。
昔商店街の再生の修法の一つというか、
今日見ていただきたいと思っている実行のところも、
ほんまにもうまさにそれの上、下、
もともと職場やったっていうのがずっとしまってるんですよね。
そういうときはみんな成り割なんで、
そういうビルディングタイプなんですよ。
上の、
そこで商売するんだったら、
成立しないといけないとしか思ってなかったんですよね。
生活してたら商売として成立してなくても問題ないんですよね。
僕らよく町づくりの現場であり、
土産再生の現場でも言うんだけれども、
消費者である存在を当事者に変えましょう。
だから当事者という前に、
その反対の言葉は消費者なんですよ。
消費者のためにでもない、
自分は消費者であると思うということは一旦やめましょう、
当事者になろうと。
さらに言えば当事者、表現者、その先は。
消費者を表現者に変えていきましょうと。
表現は何もそこで臆することはない。
できることは必ずあるはずだから。
それを買ってくれる人がいなくても、
ちょっとここで歌ってみようかと。
自分の何か得意なことを披露してみようかと。
その一歩を踏み出せるだけで全然違うわけですよね。
27:02
そういうポテンシャルがすごく今この時代、
社会が使えていないエネルギーだというふうに思っているんです。
それを発表できる、表現できる場所を、
僕らは社畜リノベーションのスペシャリストとしてやっていくべきというのが、
今直近お釈迦さんが見ている未来みたいな。
リノベーションって、
多様な社会資源をどう見出して編集するかでしょ。
社会資源の中で人的資源が最も価値があるということです。
それの場所づくりってことですね。
人的資源はしかも多様なんです。
いっぱいいるんです。
年寄り、若いの、若いの。
それを編集するってことを考えるのが、
一番地域らしい魅力が生まれる可能性がある。
いやー、深いね。
毎年、とりあえず1年間小島さんが活動した後、
どんなふうに最進端をつけるように、
我々も頑張りながらやっていきたいですね。
番組へのリクエスト、質問・感想など、
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リノベの時間、
ツイッターからのお気軽にコメント、DMお待ちしてます。
今回2回目のアレやったんですけども、
また来年も新しい気づきを持って、
ぜひ来ていただけるとよろしくお願いします。
というところで、
貴重なお話ね。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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