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2025-01-24 28:37

リノベの時間2024.3.7:空き家活用株式会社代表取締役 CEO 和田 貴充

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ゲストは、空き家活用株式会社代表取締役 CEO 和田 貴充さんです。

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 1976年7月生まれ。 大阪府出身 24歳から不動産業界に携わる。 34歳で大阪に新築戸建分譲業の株式会社オールピース。を設立。 経営者仲間と行った軍艦島で恩師から言われた「君たちが日本中に軍艦島を作ろうとしている自覚はあるか」 に衝撃を受け、空き家に関する事業を模索し2014年に空き家活用株式会社を設立。 自社で空き家調査を行い16万件のデータを収集。そのノウハウを活かし自治体が自ら空き家を調査し閲覧・管理ができるアプリケーション「アキカツ調査クラウド」を提供。 「アキカツカウンター」では、空き家所有者のよろず相談に乗り、利活用希望者へと繋げる。YouTube「ええやん!空き家やんちゃんねる」では空き家情報を発信し利活用希望者とマッチング。 登録者46,000人超え、総動画再生回数750万回を突破! 空き家問題解決の専門家として、新聞、メディアより取材を受け、テレビ・ラジオにも多数出演。

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是非最後までお聞きください!

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はい、今晩もリノベの時間をやっていきたいなというふうに思っています。
今晩はですね、全国を現在駆け回っていらっしゃる空き家塾でゲストの方に来ていただいております。
いろいろ聞きたいことがたくさんあるので、タイトルコールの方からやっていきたいと思います。
リノベの時間!
この番組は、窓差し断熱計算でおなじみの桜東洋重機株式会社と、建築建材といえば株式会社リクシルの提供でお送りします。
はい、こんばんは。大阪港区でリノベーションをやっています。美想空間大島です。
こんばんは。アシスタントの三浦です。
よろしくお願いします。
お願いいたします。
まあまあ、今日も言ってますね。リノベの時間言ってますわ。
なんか今日ちょっといつもと違った感じしました。
いや、そうなんですよ。なんか言う前に、いや、いつもあんな感じでやるんでっていうの言いすぎて。
ちょっと、いつもよりあの、にぎやぐらい上やってて。
なんかちょっと気合が感じました。
恥ずかしかったですね。やっていきましょう。
はい。この番組は全国のリノベーションと、街づくりで活躍する多彩なクリエイターや事業家をゲストにお招きし、トークセッションでお送りする30分です。
はい。じゃあ早速このままいきましょう。
はい。それでは早速本日のゲストをご紹介いたします。
アクヤ活動株式会社代表取締役、CEO、和田貴光さんです。
よろしくお願いします。
アクヤ活用でございました。
勘だね。
活動してる。
活動もしてあるけど。
むちゃくちゃ頑張ってやってるんですけど、一応アクヤ活用株式会社でございます。
アクヤ活用、はい。
よろしくお願いします。
お願いします。
あの、事前的にいろいろ聞いて、和田さんと僕、全くの同級生。
そうですね。
76年生まれ。
76年生まれ、もうええ加減おじさんですよね、47歳。
47歳。僕まだ46で。
そうですね。後輩なので気をつけていただきたいと思います。
いろいろ、和田さんの出会いっていうのが実は一方的にありまして、四国の徳島の島をYouTubeでご紹介されてたんですよ。
はいはいはいはい。
半島みたいなやつを、これで全部で10万みたいな。
はいはいはいはい。
実は、僕波乗りをめちゃくちゃする人間で、あれのほんとにすぐ横で。
ありますね。
サウナと、空き家を使ってサウナとサーフィンができる施設っていうのを作って、あそこを徳島医区に通るんですよ。
で、これやーってなって、それを見て、そこから和田さんを知ってましたね。
そうですか。
あれ今、活用されていません?
あれまだ、一応購入してました?
はい、してました。
もう購入していただいて。
購入になったんですか?
03:01
買っていただいたんです。
で、あれ買ったので、名古屋の会社さんが、保養所で買うっていう風に言ってくれて。
もともとあれ、賃貸で、あの時は見てたんですけど。
そうですね、賃貸と売買と両方で、両方で一応出すっていう形で。
僕、賃貸の金額はテレビで見てたんですけど、YouTubeで見てたんですけど、あれ売買の金額って出してましたですか?
概要欄には出してたんですが、
言えないですね。
言えないっていう感じだったんで。
ただ、そんなに高くはないですね。
それまた、後で教えてください。
ちょっと、原稿をご紹介していきたいと思います。
1976年7月生まれ、大阪府出身。
24歳から不動産業界に携わる。
34歳で大阪に新築こだて文場業の株式会社オールピースを設立。
経営者仲間といった軍艦島で、
言われた君たちが日本中に軍艦島を作ろうとしている自覚はあるかに衝撃を受け、
空き家に関する事業を模索し、2014年に空き家活用株式会社を設立。
自治体が自ら空き家を調査し閲覧管理ができるアプリケーション、
空き家活調査クラウドを提供。
空き家活カウンターでは、空き家所有者のよろず相談に乗り、
利活用希望者へとつなげる。
YouTube エイヤン 空き家活…空き家…
空き家が意味というのかな?
エイヤン 空き家ヤンチャンネルですね。
エイヤン 空き家ヤンチャンネルでは、
空き家情報を発信し、利活用希望者とマッチング。
登録者46,000人超え、総動画再生回数750万回を突破。
エイヤン ありがとうございます。
エイヤン 空き家っていう…
エイヤン 空き家ばっかり出てくるから、
エイヤン 空き役しますよね。
エイヤン 飲みますしね。
今日、来週となんですけど、
いろいろお伺いしたいことがたくさんあって、
まず、今やってるメインビジネスがどんなのか、
これで聞きたいんですけど、
多分空き家の事業に行く前に、
24からこの宅建業、不動産業界やって、
34で新築こだてから、みたいな下りになってて、
その辺をお伺いしたいなと思うんですけど、
元々は、学生の時は、こんな業界のイメージとかあったんですか?
エイヤン そもそもで言うと、
エイヤン 僕、親父が職人やったんですよ。
エイヤン 洗い屋って、最初、最後掃除する…
洗い屋さんですか?
エイヤン そう、洗い屋です。
エイヤン ハウスクリーニング…
うちの会社名、ビソークなんですけど、
元々、僕も洗い屋から始まったんですよ。
06:02
エイヤン えっ、そうなんですか!?
そうなんですよ。
エイヤン すごいっすね、なんか。
エイヤン むちゃくちゃ繋がった。
でも、これ、洗い屋さんスタートのゲストの方、
実はめちゃくちゃ多くて、
エイヤン ほんまですか?
えっとね、3名いらっしゃるんですよ。
だいたい4人で、ビソークって、
あっ、そういうこと!?みたいな話になるんですけど。
エイヤン だから、和田ビソーやってたんですよ。親父がやってたのが。
エイヤン 和田ビソーっていうのをやってまして、
エイヤン 僕も高校しか出てないんで、
エイヤン 今はなきゃアホ学校、公立のアホ学校に、
エイヤン 偏差値38の学校に行ってたんですけど。
言いにくいですけど、まあまあ、行ってて。
エイヤン そうなんです、鳥貝高校っていうところに行ってたんですけど、
エイヤン どうせ大学なんか行けるもんじゃないと思っていたので、
エイヤン どうせ親父の仕事続くんやろうなと思いつつ、
エイヤン 19で、18、19と現場で出てたんですよ。
高校はもう、いわゆる普通に高校行って、
単車乗って生活をしていたみたいな、イメージそんな感じですか?
エイヤン いわゆるそうですね、だいたいそのような展開です。
家業の方に行って。
エイヤン 手伝ってたんですけど、途中で彼女に振られて、
エイヤン 人生を変えたくて、東京に出るっていうのをやったんですよ。
エイヤン 半年住んでて、20歳の成人式で帰ってきたときに、
エイヤン うちの父親が肝臓がんで、嫁2ヶ月って言われたんかな?
エイヤン で、3週間後に死ぬんですよ。1月の29日なんかで死んで、
エイヤン そっから職人さん何人かいたんで、でもう洗いややるってなって。
継ぐみたいな形で。
エイヤン で、20歳から24まで洗いやってたんですよ。最初は調子良かったんですけど、
エイヤン 昔、もうあの当時、だからもう20何年前とかだったら、
エイヤン 現場の職人さんが結構いじめられてて、単価安いときじゃないですか、しんどいときだったんですよ。
エイヤン 農庁場の仕事ばっかり結構してたので、結局最初良かったんですけど、
エイヤン どんどんどんどん人を入れて、入れるよ入れるよって言われて単価を抑えられて、
イメージはできます。
エイヤン 売上が上げれなくて、20歳そこそこの掛けができないじゃないですか。
エイヤン できないってなってので、1500万ぐらい借金作ってどうしようかなってときに、
エイヤン 不動産業をやっていた師匠みたいな方に拾ってもらって、
エイヤン そのうちの父はすごい仲良い人だったんですけど、
エイヤン 今これ以上やったらお前たぶん潰れるから、もう一回やめろと。
払いを一旦置いたほうがいいんじゃない。
エイヤン 勉強し直せっていうことで営業をするって、
エイヤン でその社長が言うんじゃ、僕でも月のこれぐらい稼がなあかんから、
エイヤン もうどうしたらいい、無理ですと。今更サラリーマーシャルで20何万もらったって無理ですと。
エイヤン そんなら俺んとこ来いと。とりあえず金額嫁に聞いて、
エイヤン でその嫁が細かく書くんですよ。
エイヤン 当時33万いると。借金の返済とかなんか考えてやったら。
エイヤン 僕の小遣いゼロなんですよ。33万できっちり書くもんやから、
09:00
エイヤン 3万ぐらい足しとけばよかったなと思ったんですけど。
エイヤン それ渡したらこれやるから頑張れって言って、そっから不動産屋だったんですよ。
エイヤン で24で不動産屋って、で27のときその会社が倒産するんですよ。
エイヤン 拾ってくれたところが。28かな。
万丈ですね。
エイヤン 万丈なんです。1年ぐらい今度はピンポンで飛び込みの建て替えの会社。
エイヤン 現場やったりとか営業責任者とかやって、不動産やるからって言って行ったんですけど、そこは不動産結局やらなくて。
エイヤン なんか思んないなと思って。で初めてそのときにハローワークに行くんですよ。
エイヤン 一回やってみようと。要は履歴書書いたことがなかったんですよ。
なるほど。
エイヤン 僕ってほんまにこんなできんのかなと思った。仕事。要は今まで営業やってきたけど、
エイヤン 予想で通用するのかな。全く知らないところで通用するのかなって思って。
エイヤン 一応就職決まって、そこは大体年間40億ぐらいやってる分譲会社なんですね。
縦売り屋さんってことですかね。
エイヤン そうですね。どっちかっていうと売立て。売立てですね。やって、そしたらトントンとやっぱりセールスができて、
エイヤン 営業責任者をそこでやるようになって、4年おったんですかね。その会社に。
4,5年おったんか。
エイヤン その間に宅刑もやっと受かって。やっぱり分譲会社を作ったのは、分譲会社というか自分で会社を作ろうと思ったのは、
僕は不動産屋嫌いなんですよ基本的に。アホ。
ちょっとアホ。
エイヤン あかんですね。いいからいいから。
全員ではないです。
エイヤン 全員ではないです。
得てして。
エイヤン 得てして大体。
ずるい。ずるい。
エイヤン そう。お客さんのことをお客さんだと思ってる人が多いんですよ。この業界。
昔はね。今は違いますよ。
昔の話。
エイヤン 昔の話。大体パンチパーマでシルバーのスーツ着てセカンドバッグ持ってる時代ですわ。
そういう人だって大体もうお金のことしか考えてないし、話してることって大体ゴルフかキャバクラの話しかしてない人たちが多い。
こういうのでやっぱりお客さんに喜んでもらって対価を得るってことをやっぱしないといけないし、
お客さんにしては一生一回のものか二回買えるものかあれなのに、なんかもうお金にしか見えてないその姿が僕はむちゃくちゃ嫌で。
もう一つは、分譲してたら自分で売らなあかんじゃないですか。嫌でも売らなあかん。
要はこの人は中古の方がいいなとか、この人はもうちょっと金額下げた方がいい。
でも着てもらってるからこれ売らなあかんじゃないですか。
商品にあれがないとね。選択肢がないと物しかない。
僕は一旦それを誠実に話した段階で選んでもらうのは全然いいんですけど、なんかもう隠して売るみたいなのは嫌やなと。
だから他の数も見てくださいって言えないっていうね。これはジレンマなんですけど。
じゃあなんかそういう仕事してる会社あるかなと思ってみたらやっぱなくて。
12:03
ちょうど10年なんで、24で終わって34で。
10年後にもっかい一回やっぱり父親が残したものを潰してしまったっていうのがあったので、
10年後くらい帰りたいというのもあったので、30で独立するっていうのがオールピースですね。
なんとなく社名がオールピースなんで、なんとなくそういう理念がこうあって、とはいえでもやろうとしてやってたのは宅建業ですよね。
新宿文庄が不動産ですね。
仕入れて建てて売るみたいなスタイルですよね。
で、そこからそれは普通のいわゆる不動産業者なんで、僕らからするとそれも一緒ちゃいますのなんですけど、
どっかで多分変わりがあって、それがこの軍艦島に行ったのがすごいきっかけだったってことですね。
ちなみにこれ軍艦島のこのタイミングは。
38ですね。
4年間は普通に宅建業をゴリゴリやって。
今も一応ポリシーは持って、そこもまだ大阪でやってるんですが、
ちょうど34で独立したときに、前に潰したの、潰したというか廃業したんですね。
自己破産まではしなかったんですが、
荒井を廃業したときに、なんで潰れたんやろうなと思ってて。
その間に、先に拾ってもらった不動産業も潰れるわけですよ。
なんで会社って潰れるんだろうなっていうことを考えていて。
一つは、潰れた会社、僕の師匠が潰してから一回お好み焼き屋で飯食ってるんですよ。
その後何回か会うんですけど。
お好み焼き屋で飯食ってるときに、なんで潰れたと思うっていう話があって。
そのときにいろいろ、あのとき売れなかった、これが売れなかったかなとか、
こういうとこがうまくいかなかったかなとかって言ってたんですけど、
社長が言ったのは、いやちゃうと。
僕高見津って言われたのに、高見津ちゃうねんと。
潰れたんは俺が諦めたからやって言われたんですよ。
なるほどなと思って。
まず諦めなければ、会社は続けることができると。
諦めないという、まず強い心、心を持たなあかんと。
諦めないような事業にしていかないといけないなっていうのがまず僕の中で一つなんですね。
もう一つは、あと、34のときに独立した瞬間に、
僕、清和塾っていう稲守和夫さんの塾に入ったんですよ。
これは、そもそも死んがないなっていうのがあったっていうところもあったので、
そこで勉強をする、研鑽をするっていう中で、いろいろ勉強する中で、
私の死んだ父親、これはちょっと20歳のときに死んでるんですけど、
この父親は、金儲けむちゃくちゃ下手くそやったんですけど、むちゃくちゃ人の世話をした人やったんですよ。
おせっかいな人なんですよね。
だから、お葬式のときに2日間で800人来たんですよ。
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エグいんですよ。何百万も葬式代かかって大変やったんですけど。
24、何歳で亡くなるんですか。
50です。
早い。
50歳で死んだ。
いよいよですね。
23年しかないんですよ、もう。
これも一つちょっと僕の中のすごいポイントにはなってるんですが、
父親が死んだときに、僕、母親やったんで、いろいろ和田さんに話して母親やったんですよ。
そこそこで。
そうですそうです。
変わる変わるいろんな人に、和田さんにこうやってもらって、あの時こういう声をかけてもらって、すごく助かりました。
今あるのは和田さんのおかげですとかっていう。
すごい必要とされた人やねんなって思ってましたね。
金儲けが下手くせいだけど必要とされた。
で、この時にはすごい一緒やったんやなというのがすごく僕は実感したんですね。
で、やっぱりこうやって人のためになる人、人の役に立つ人、必要とされる人で金儲けできる会社作ろっていうのはその時思ってたんです。
なのでこの二つが一つ軸が必要だっていうのと、潰れないような事業にしていくっていうことと、
もう一つは必要とされる事業。世の中に必要とされる事業っていうのをずっとその清和塾に入ってから、なんかそういう二つのキーワードが僕の中に出てきて。
ただその時はやってきた仕事の流れを組んで、売り立てか縦売りをやっていたけど、ポリシーとしてはそういうのを考えて模索している時に、この軍艦事務の事件というか、きっかけがあったんですね。
38歳の時にその経営者仲間と清和塾の経営者仲間と一緒に九州弾丸ツアーっていうのをやって、チランの特攻隊の記念館からずっと北に上がって行って、
南多病があった南多だったりとか、やながわ号、福岡のやながわ号行ったりとか、長崎の行って、その時に軍艦島に渡る、羽島に渡るという。
要は日本の明治からの産業構造の中で、婦の遺産と生の遺産というか、これを間の目で見に行こうみたいなのをやったんですね。
その時にその一つが軍艦島のを見に行ったんです。廃墟なんですよね。あそこは廃墟のキングって言われる街なんですけど、この廃墟が要は明治産業のいわゆるその遺産になったと。
世界文化遺産になったんですよ。これも機に見に行ったんですけど、文化遺産って普通なんかもっと、これを婦の遺産じゃなくて生の遺産と見るのってどうなんだろうなみたいな、僕らだけであって。
当時明治時代は、大正時代初めて鉄筋コンクリート道の島が建てられた。RC1号で十何階建てて、人口2000人ぐらい進んでて。
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マテンローなんですよ。いわゆる東京の首都の東京のど真ん中があそこにあったみたいな感じなんですよね。それが炭鉱が昭和45年にしまってしまって、誰もいなくなって出ていったと。街が必要になくなったという。必要になくなったから本土にみんな帰って廃墟になってそのままなんですよね。
考えるとじゃあこれ最先端の街が伝っていくってことが考えられるよなと。言いながらなんか嫌な感じで見てた時にある経営者仲間にお前ら不動産業界が日本中央軍艦島にしようとしている自覚があるかって言われた一言が僕の中ですごく電気が発した、稲妻が発した。
ちなみにそれを言った人は何の業界やったある人なんですかね。
それが今SDGとかサスナブルなことをやって、みんなで未来をっていうブランドで米ぬかシャンプーとか。流せば流すほど海が良くなるみたいな。こういう循環するようなものを作って。もともとはウィッグを日本に入れた人なんですけど。
都市は同級生なんですけど。まあそういうのは冗談半分かもしれないんですけど。
でも刺さったんですね。
要は空き家問題って結局人が減っているのに建物がどんどん建っていくっていう単純な構造じゃないですか。単純な構造だけど今の産業構造ではやめることができないっていう。要は分かっていてもできないんですよ。
結局これは今の時代の人が考えずに先送りしようとしているのが丸わかりなんですよね。でも先送りされた時にはもはや地方がもっと軍艦島になるような可能性っていうのはむちゃくちゃあるわけです。
でもその時に軍艦島でそれを言われて、はってなったとしてもいきなり空き家にたどり着かないと思うんですけど、なんで空き家とコネクトしたんですかね。
もうちょっと俯瞰してみると町ですよね。だからまず廃墟の町を増やしてはいけないなというのが考える中で僕は思っていたんです。町が廃墟になっていくと、いわゆるコンパクトシティとかっていろいろ言われてますけど、これが本当に正しいのかなと。
やっぱりそのいわゆる限界集落みたいなところでも、やっぱり自然があって文化があってそこに価値があるのに、ただただ人間が便利だからって言ってコンパクトにしていくのってどうなんやろうっていうようなところから、じゃあ人の生き生きがあったらいいよねとか。
じゃあそこに誰かが住む。もしくはいわゆる空き家になっているものだとか、学校施設とかでもなんでもいいんですけど、あるものが使われるようになっていく。そこに人流が生まれる。人が行ったり来たりするようなものができることになれば、この文化も残れば日本の素晴らしいところが残っていく。
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だったらそれが結局、街を考えたときに一番そこに人が住まなくなってボロボロになって、その地域の価値を下げていってしまう可能性があるものが、いわゆる空き家だと僕は思ったんですね。なのでそこを生かす方法をビジネスでなんとかできないかなっていうふうにどんどん着目点が変わっていく。
考えていって、空き家ビジネス的なものを考え出したみたいな感じですね。おっしゃる通りですね。今いろいろやったはあると思うんですけど、これ当時やりだしたタイミングの事業モデルとしたら、空き家を使ってビジネスにするっていうところで、いきなり情報を集めてデータ化するみたいなところには行ってないかなと思うんですけど、そこは何やったんですかね。
まずやろうって決めてから東京に行こうって決めたんです。で実はその時にもう一つやってたことがあって、僕は世界で仕事したいと勝手に思って。そこなんか一緒っす。アホなんで。めちゃくちゃ一緒っす。フィリピンで授業やってたんですよ。何やってたんですか。フィリピンで日本人向けの賃貸駆動さんをやってたんですよ。
日本から向こうに出港して行く人とか向けのちょっとエグゼクティブというかアポソーション。お客さんが例えばローソンとか銀行さんとかそういうような人たちを相手しながら収益を稼ごうとしてたんですね。行ったり来たりしちゃったんですか。そうなんです。憧れるっすよね。そうなんですよ。いろんな意味で楽しかったんですけど。
で東京にも立ち上げるという大阪フィリピン東京というこのずっとぐるぐるやってたわけなんですよ。でこっちの方が楽しかったんでフィリピンの方が楽しかったんでこっちやろうかなって思いながらとはいえやっぱ東京でこの空き家活用、空き家の何かをやろうとビジネスをやろうというのを最初一人でやるんじゃなくて、僕は全部事業で資金使うのしんどいなと思ったからどっかと一緒にやろうと思ったんですよね。
でどっかの企業と一緒にできへんかなと思った時にある上場前の会社があってそこの社長と一気統合してそもそも同級生だったんですけど一気統合してでじゃあこの空き家の情報を集めるお困り事を集めるとか要はこれを自治体と一緒にやるとかいろいろなんかその要は空き家の情報を集めてマッチングさせるような
そういうものを一緒に作れたらいいよねとそのためにツールを作ろうみたいなんでサッシを作ったりとかそこの会社にはその知識だったりとか不動産的知識だったりとかなぜ空き家でビジネス的にいけるのかっていうのがわかっていない部分があったんでそこは僕が注入していきますとだから一緒にやりましょうよ
24:07
もともとIT系ってことですか?
そうですそうですそこの会社はIT系なんですね
テックはそっち空き家とか宅勤業の知識とかは和田さんの方で合体してできるかもが2014年
そうですね2014年15年16そうですね2014年よりも2015年6ぐらい14年からオフィスとか作り出してなんかできひんかなーってやって15、16ぐらいは
みなさんが1、2年経って
だから1年目2年目は休眠させてるんですよ会社をで2年目3年目ぐらいからスタートしていこうってなって一緒にやりましょうってなったんですねでやってるうちにやっぱりこれもうちょっと本腰入れて真剣にやらなあかんなと
っていうのとフィリピンに行ってる場合じゃないと僕は行きたかったんだけど
楽しいですね
うちが1人社員コームフィリピンに入れてて帰ってくるかと空き家の方はやっぱり本腰入れてやっぱりやらなあかんなと思っているから東京の方やらなあかんからっていうことで引き上げて
そこの作ったサイトは一応小学ですけど売却をして東京でやりましょうとなったんですがその上場前になった会社が新規事業やめてくれっていうふうに証券会社から言われた
なるほど確かに
ちょうどこれが2016年
そりゃそうっすよね
今のメインの事業で結構伸びてるからこれは面白いんだけどこの面白い事業をやるここにお金投資するよりももうメイン事業に投資してやってもらって売上げ上げていったほうがやっぱりビジネスモデルとしては分かりやすいし証券会社としてもIPをしやすいかなっていう話でごめん和田さんちょっとやっぱやめなあかんなったわって
僕は本気でそっち行こうとしたから
シュピリピンも引き上げてね
行こうとしてよしよしお金使うというかよしやるぞってなった時にどうしようってなったんだけどやっぱりこれ僕が思い切りやれってことでやったのかなっていうのもあったしちょっとやっぱり一緒にやると向こうの考え方とこっちの考え方がちょっとずれるなっていうのもあったんで
そこの社長に気にせんといてくれと僕もやっぱりこっちでこうやってやるわっていうんでその2年ぐらいの間に貯めてきたこれやなっていうのがまず空き家の調査をしようっていうところから始まったんです
なるほど空き家の調査をするっていうところまでで今日は終わりましたね
全然いかんかったですよちょっとしゃべりすぎですかね
27:02
全然あるんですけどかつ和田さん息継ぎほとんどせえへんから
しゃべり慣れてはるやろうなっていうめちゃ引きこもりました次どうなったんやろうみたいな
続きはちょっと来週に
来週にこの続きを聞かせていただくということで
番組へのリクエスト質問感想など皆様からのメールもお待ちしております
リクエストアドレスはrenovationtime.jp
またスマホアプリFMプラプラからもメッセージが送れます
二の目の時間Xからもお気軽に感想DMお待ちしております
またアーカイブは毎週月曜日6時にYouTubeスタンドFMにて配信しております
これまでのゲストの方々のアーカイブも残しておりますのでぜひこちらもお聞きください
和田さんの話を聞いてて同級生なんですけどねって2,3回出てきたんですよ
僕同級生とほぼ出会わなくて
会社20年やってるんですけど同級生今まで2人しかいないんですよ
めっちゃ多いですよ
同級生になかなか会わなくて
僕77年早生まれなんで77,6で両方僕同級生だと思ってやってるんですけど
なかなか会わなくて
紹介します
76年の会がありますよね
そんなん読んでもらってまた来週も続きを出してもらえるかなというところで終わりたいと思います
ありがとうございました
28:37

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