シェルコレクターとメモリーボール、この2冊もすごいいい短編集なんですけど、
今回長編で物体がフランスとドイツというところになるんですけど、
アナソニー・ドアはアメリカ人で、アメリカ人でアメリカ在住の人がヨーロッパの戦時中の話を書いているっていう、
そこも一つのポイントかなと思ったりするんですよね。
その想像力がすごいですよね。
この本は、賞は立っているんですけど、第13章まであるんですけど、その中でも細かくですね、
話が短く短く切れていっているんですね。
ベルナーの話とか、マリーの話とか、あとちょっと途中から、
ホン・ルンペンっていうちょっと悪役って言い方なんだけど、ざっくり言うと悪役なんだけど、
そういう人たちの視点が、もちろんちょっと他の視点も入ったりもするんですけど、
基本的にはその3人の視点が交互ではなくて、結構割と、
マリーとベルナーは交互なんですけど、うまく話が繋がるように交互に話が展開していくっていう形になっています。
村上春樹の1984を考える人ならイメージしやすいかなと思います。
主人公2人が交互に来て、悪役的な。
第3人目の視点ということで、もう1人キャラが入ってきて。
最初は1944年の8月7日が第0章で始まって、その後1934年に上がって。
1年ぐらい遡るんですよね。
村上 そうですね、12年近く。
また第2章だと1944年と、その後また1944年と。
サンドイッチされるんですよね。
そうですね。物語が一番最初スタートした段階の偶数章か。
偶数章が現在地みたいな感じで、そこに向けてちょっとずつ奇数章で追いかけていく作りになっていて、
途中で追いつくんですよね。
そのあたりも緊張感があってすごい面白いですよね。
構成もすごく考えられている小説。この後もちょっと話しますけど。
本編いきましょうか。話していきたいと思います。
村上 すごい思い入れのアイツさんが。
私から先に話させてもらいましょうかね。
まずですね、一番最初に伝えておいた方がいいかなと思っているのは、
この小説520ページくらいかな。結構長い小説なんですけど、
その分すごく話がこんな長くてあんまり無駄なところとか、
あんまり関係ないところとかないんですよね。だから作り込まれてるんですけど。
これは少年と少女の話で、男の子はナチスドイツ兵のベルナと、
フランスの盲目の少女マリー、マリーロールっていうのが女主役になるんですけど、
そこも結構印象的で、
なんか普通の人はその入試に受からないっていう。
そこもどうにかこうにかで受かるのかどうなのかっていうね。
そこも良かったですし。
ベルナーはその後戦場に投入されるのか。
ここで科学技師と一緒に技術兵として活躍するんですけど、ベルナーは。
そこで彼は前の学校でいつもちょっと自分を守ってくれていた
フォルクハイマーの部隊に入るんですけど、
フォルクハイマーがもうすでにそれでベルナーを超認めてるんですけどね。
前の技術兵は何を見つけられなかったかみたいな。
こいつは前の奴とは違うぞみたいな。
ままが違うっていう。
で、そこで国防部っていうところでフォルクハイマーの部隊に入って、
チームとして活躍していくっていう。
ロシアか何かを侵攻している部隊に最初入って、
そのロシア人が隠れている場所を電波の受信の方法でベルナーが次々見つけていくんですよね。
そこがもう、描き方も含めてすごく上手くて、私すごく好きなんですよね。
なんかベルナーって結局自分が軍隊にいて、
妹の言ったかそれを面白く思ってないこともあったりとか、
そもそもやっぱ戦争したくないっていう気持ちがあるのかな。
明確には描かれないんですけど、あるのかなってなって。
ちょっと軍隊にいる自分っていうのはちょっと迷っているところがあったりとかしてたんですけど、
でもちょっとなんか残酷ではあるっていうか、
自分の能力がすごく有能であるってことに気づくんですよね。
戦場に入って。
初めての実践というか探査で問題なく見つけられて、
そこで自分の能力が役に立つっていうか、すごいなってことに気づいたときの文章がすごく。
339ページ。もう結構後半になっているんですけど。
これちょっと読むと長いんですけど。
全てが繋がってここに導いている。
父親の死。ユッタと二人で鉱石ラジオに耳を澄ませた屋根裏での眠らない夜。
エルナ先生には見えないようにシャツの下に赤いワンショーをつけたハンスとヘルベルト。
シェルプフォルタでハウプトマン博士とトランシーバーを作った400巻にわたる暗く輝かしい夜。
フェデリックが壊れてしまったこと。
全てが繋がってくるこの瞬間。
ブルナーは戸作兵の間に合わせの装置をトラックの荷台に積み込み、ベンチに背中を預けて座り、
畑の上で燃える小屋の光を見つめる。
自分が見つけた結果、ロシア人たちの小屋を破壊しちゃったんですけど、
この時に明確に描かれてないんですけど、
ベルナーはここで高揚してる感じは私は感じて、
だからその後、悲劇に繋がっていくんですけど、
ベルナーはこの後、調子よく敵の電波を見つける仕事をやり遂げていくんですけど、
ウィーンに行った時に、電波を見つけるんですよね、
街で休憩してる時に、フォルクハイマーとかと髪を切ってる時に見つけるんですけど、
その時にフォルクハイマーとベルナーのやり取りがめちゃめちゃ相棒感がすごくて、
ベルナーが何か変なもの見つけたぞっていうのは、声をかけなくてもフォルクハイマーは分かって、
ありましたね、その描写。
そこでおじのエティエンヌって人と暮らしてるんですけど、
エティエンヌが電波をサンマロの中でフランス人、
ここはもうドイツに占領されてるんですけど、
ちょっと解放するために動いてて、電波を使ってるんですよ。
ベルナーの部隊にそこで違法な電波が発されてるから、
調べろっていう命令が下って、ベルナーはそこに行くんですけど、
ここがもうこの小説のすごい肝になるところってもあるんですけど、
クライマックスですね。
これちょっと最初前段にベルナーが幼い時、
ラジオ修理して科学講座みたいので勉強したみたいな、
ラジオからいろんなことも学んでベルナーの人生が出来上がってるんですけど、
その電波ってのをやってたのがこのマリーロールのおじいさんで、
その電波がこのサンマロから発されてたんですよ。
ベルナーは仕事でここに来て探索を始めるけど、
見つけるけど言わないんですよね。
自分が電波を受信した瞬間に全部わかるんですよね。
その昔の記憶が蘇って、これは何ですか?ってなって。
で、祭壇の時にみんな寝てる時に、チームが寝てる時に受信したから、
迷いもせずにその電波を報告しないんですよね。
そこでベルナーがちょっとずつ困っちゃった心を回復しだすっていうところがすごく良くて。
ここで本当にマリーロール、出会う、10ページっていうのがサンマロで描かれるんですけど、
僕一番好きなのはここですね。
うん、わかります。出会うとこっすよね。
やっぱりベルナーに感情移入をしていったところでマリーロールと、
結構出会うにもすごいドラマがあって、
ドラマっていうか本当に長い伏線があって、それでついに出会って、
で、マリーロールっていうのはすごい強い女性で、
そうですね、目が見えないけど。
そうなんですよ。なんかね、境遇からするとちょっと不幸なのかなと思いきや、
本人はそこはそう思っていなくて、
なんかもう毎日自分の人生を生きていると、
あなただってそうでしょうってマリーロールがね、ベルナーに言うんですけど、
で、そこでベルナーがもう何年も生きていないと、
でも今日は違うと、このマリーロールを助けたりするんですよ。
そうですね、これマリーロールがちょっとピンチになってて、
で、もちろんそれはベルナーからするとフランスは敵国なので、
マリーは敵側の人間なんですけど、マリーロールを助けるんですよね。
もうそこが本当によくて。
で、確かにみなさんが言ったところで私もボロボロ泣きましたね。
そうですね。これ一番感動した。
感動しますね、ここは。
ベルナーがね、今までずっと葛藤を抱えて生きてきたけども、
今日のこの日だけはね、初めて自分の人生を歩んだっていう。
そうですね、意味合いとしてはあれかなと思いました。
もう何年も生きていない、でも今日は違う、
今日はそうしたかもしれない、
今日は自分の人生を生きたかもしれないって彼は言うんですけど、
詩的だし。
なんだろうな、なんていうか、結構前に使われた文章とかが後々出てくるんですよね。
そうですね、繰り返しが意外とありました。
それがすごくいい効果を生んでる。
一個一個フックになって印象に残していく、そのこと。
でもこれ一文だけ取るときにやるとあれなんですけど、
やっぱベルナーの話になっちゃって、あれなんですけど、
ベルナーがマリーロールを助けに行くときに、
すごい昔にフォルクハイマーに言われた、
お前はどこまでやれるかなみたいな言葉が思い出す瞬間。
あそこ結構好きなんですよね。
僕もそうだ、フォルクハイマーのお前はどこまでやれるかなって、
結構何箇所かで出てくるじゃないですか。
あれがいいですよね、あれ。
あれをあの瞬間思い出すベルナーとかね、すごいいいですよね。
そういう前に出てきたセリフとかが字の文の中に出てきて、
あ、この時に思い出してるんだみたいなのをちょっとうまく効果的に見せて、
そこは本当にこの小説うまいとこだなと思います。
なんかアンソニー・ドーアさんの書き方だと思うんですけど、
感情を直接的に書かないですよね。
なんか怒ってるってかなんていうのかな、喜怒哀楽を直接的に書かなくて、
その時々で何を見たり、登場人物が何を見てるのかとか、
何を考えてるのかとか、何を思い出したかとかで、
弓手に感情を伝えてくるのがすごくうまいですよね。
うん、そうですよね。
そこでうまいと思うのが、やっぱりすごい細部を具体的に書いてるじゃないですか。
だからこそそういう感情が伝わるのかなっていうのも。
これだけ500ページの小説なんですけど、どこもすごい濃厚な感じですよね。
そう、こんだけ長いのにほぼ無駄がないっていうか、無駄ないですよね。
そうですよね。
これがすごい、本当に。
一文の中に抽象的な言葉っていうのがあんまりなくて、
すごい具体的な行動もそうだし、あと物というかアイテムですよね。
結構この小説の特徴でもあるんですけど、
マリーだったら貝殻がすごい好きで、
その貝殻の何とか貝とかですね、
それがどんだけの大きさでどういう匂いで、
どれだけの面積に何個ぐらいあるんだとかもうびっしり細かく。
細かく書いてる。
あの刃の形とかね。
あ、そうそう。
貝。
ちょっとグロテスクなぐらいうまくすごく書いてますよね。
貝も、ラジオね、やっぱりすごいこと細かく書いてるし。
すごい良いですよね。
その辺が本当にうまいですね。
そうですよね。
アメリカ住んでる人が、主にフランスが舞台ではあるんですけど、
サンマルが、ドイツもそうですけど、
そういうところの描写をよくこれだけ正確に書けるなって、
正確というか具体的に書けるなっていうのがすごいと思います。
これ本当にアメリカ人なのかって思いますよね。
2014年に言った最後のラストの1ページくらいの文章めちゃめちゃ好きなんですよね。
517か。後半くらいから最後の518ページ、最後のページか。
ちょっと話すとあれですけど、めちゃめちゃいい文章待ってるんで最後も。
いいと思うんで感動するので、と思ってます。
そうですかね。
じゃあちょっと結構熱く語ってしまったんですけど、
最後の感想とどんな人に読んでもらえたかってちょっと締めたいと思います。
これちょっとまずですね、アンソニー・ドアさんがこの小説を書こうと思ったきっかけっていうのが実はあって、
これ役者あとがけとかに書いてあったんですけど、
アンソニー・ドアさんが地下鉄に乗っているときに、
そのとき一緒に乗った乗客の人が携帯電話で話をしてそうなんですよ。
なんか電波が悪くなっちゃったりとかして、携帯電話がつながらなくなってしまったのを見て、
そのときにアンソニー・ドアさんはこの話の着想を得たそうなんですね。
今すごく電波で遠くの人とつながることができるのはすごく奇跡的なことだなと感じたらしくて、
もう当たり前だけどすごく奇跡的なことだよなって思って、
電波でつながることができた最初の世代ってなんだろうって思ったときに、
彼はラジオっていうところに行き着いたらしくて、
ラジオが少年と少女をつなぐ話を書いてみたいと思ったらしくて、
それがこれから始まってます。
こうやって私たちも今本当にいろんなことが発達したんで、
すごくオンラインでもつながりやすくなっているし、
このラジオもこの空飛猫たちもこうやって三枝さんと二人で知り合って始めているのも電波のおかげだし、
こうやって今聞いてくれているリスナーの人に届けられているのも電波のおかげだし、
そういうことを、ちょっとこの話長いんですけど、
壮大さと奇跡的なこととかを感じられる一冊なんで、
めちゃめちゃ好きです。好きな小説です。
でもどんなところが好きかっていろいろ話してきたんで、
この後は話し放たないんですけど、
本当に好きな小説なのでいろんな人に読んでもらいたいと思ってます。
どんな人に読んでもらいたいかっていう話をさせてもらうと、
もうなんていうか極端なことを言うとですね、
もう私が知り合った全ての人に読んでもらいたいぐらいですね。
好きなんですよ。
でも会うか会わないか本当ちょっともうわからないんで、
それはもう後回しとして、
ぜひこの作品があるってことは知ってもらいたいなと思ってます。
結構辛い話が連続するんで、
そういう話に耐性がある人は絶対ハマると思うんで、
大丈夫だと思うんで、ぜひ読んでみてください。
ちょっと冒頭話したんですけど、やっぱり500ページあるんで、
長いと挫折するって人もいると思うんですよ。
そういう人はアンソニー・ドワーさんの短編集が出てるんで、