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2024-08-12 57:31

第164回 チベットの都会で強く生きる女性たちの物語「花と夢」ツェリン・ヤンキー著

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【今回の紹介】 『花と夢』ツェリン・ヤンキー著、星泉訳、春秋社 https://www.shunjusha.co.jp/book/9784393455104.html . アジア文芸ライブラリーについて

https://note.com/asn5x/n/nd8869dd61b98 .⁠ パーソナリティ二人で作品の魅力やあらすじ、印象に残った点など、読後の感想を話し合っています。ぜひお聴きください! . 【今回の内容】

アジア文芸ライブラリーの第一弾作品/「路上の陽光」(ラシャムジャ著)以来のチベット文学/小説としてのおもしろさに驚く/著者&作品紹介/現代チベットの暗部を描いている/「業が深い」というチベットでの考え方/ことわざが多用される文体の個性/ネタバレなしでストーリー紹介/人生の厳しさに立ち向かうような感覚/ナイトクラブで働く女性たちの真面目さ/医療費先払い/チベットの価値観について/次回予告

. ーーーーーーー 版元サイトより ーーーーーーー ラサのナイトクラブで働きながら場末のアパートで身を寄せ合って暮らす四人の女性たちの共同生活と、やがて訪れる悲痛な運命……。家父長制やミソジニー、搾取、農村の困窮などの犠牲となり、傷を抱えながら生きる女性たちの姿を慈愛に満ちた筆致で描き出す。チベット発、シスターフッドの物語。英国PEN翻訳賞受賞作。 . 【お知らせ】 Amazon Audible限定配信のPodcast番組「ゆかいな知性 文学編」にダイチがパーソナリティとして出演いたします!トーク形式の番組で、ダイチのお相手となるのは彗星読書倶楽部の森さんという方です。初回放送は12/8(金)で、今後半年間、毎週金曜日に文学編が配信されるので、Amazon Audibleを聴ける方はぜひお見逃しなく! . 【文学ラジオ空飛び猫たちを初めて聞く人向けのnote記事】 声で届ける文学!Podcast番組「文学ラジオ空飛び猫たち」おすすめエピソード特集 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://note.com/cafecatwings/n/nab636ad54a35⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ 【番組へのお便りはこちらから!】 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://forms.gle/a569tyUhMDDaCXGF8 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ 【メルマガ会員募集中! 】 毎週土曜日朝7時に配信! 無料版は本編エピソードには収めきれず、泣く泣くカットした部分を聞いて頂ける内容になっております! 有料版は我々2人に対しての応援・支援をしたい!という想いを持って頂ける人を対象に、月額500円のサブスクをご用意。ささやかな御礼として編集後記という配信後の感想などをお送りします。なお、こちらに有料登録して頂いた方々を我々はサポーターと呼ばせて頂いております。 どちらも theLetterというニュースレター配信サービスを使わせて頂いております。最初は無料購読登録から始まりますので、是非気になった方はまず無料登録を! ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ https://radiocatwings.theletter.jp/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ※登録されると確認メールが迷惑フォルダに入ってしまう可能性がございます。すべてのメールをご確認ください。 ※もちろんサポーターとしてご支援頂かなくても、Podcastを聴いて頂けるだけでも本当に嬉しいです。 【文学ラジオ空飛び猫たちとは】 硬派な文学作品を楽もう!をコンセプトに文学好きの二人がゆる~く文学作品を紹介するラジオ番組です。 案内役の二人は、 東京都内で読書会を主催する「小説が好き!の会」のダイチ 京都の祇園で本の話ができるカフェを運営する「羊をめぐるカフェ」のミエ 文学のプロではない二人ですが、 お互いに好きな作品を東京と京都を繋ぎ、 読書会のようなテイストで、それぞれの視点で紹介していきます! 毎週月曜日朝7時に配信しています。 【SNSでご投稿ください】 番組の感想・リクエスト・本を読むきっかけになったなど、 #空飛び猫たち をつけて、ぜひSNSに投稿してください! よろしくお願いします! ■twitter ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/radiocatwings⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ■Instagram ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.instagram.com/radiocatwings/?hl=ja⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ■Gmailでも受付中です bungakucafe.catwings@gmail.com ■ダイチ「小説家が好き!の会」 Twitter ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/welovestory ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ Instagram⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ https://www.instagram.com/booklogd/?hl=ja⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ■ミエ「羊をめぐるカフェ」 Twitter⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ https://twitter.com/hitsuji_meguru ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ Instagram ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.instagram.com/hitsujiwomeguru.cafe/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ #本 #小説 #読書 #読書会 #文学 #海外文学 #ブック

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チベットの首都ラサのナイトクラブで働く4人の女性たちの物語。 彼女らは傷つきながらも支え合い、たくましく生きようとする。
現代チベット社会の闇を浮き彫りにする、ツェリン・ヤンキーの花と夢を紹介します。
どうも皆さんこんにちは、文学ラジオ空飛び猫たちです。この番組はいろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな二人がゆるーくトークするポッドキャストです。
パーソナリティは私大地と三枝の二人でお送りします。 文学のプロではない二人ですが、お互いに好きな作品を時には熱く、時には愉快にそれぞれの視点で紹介していく番組です。
今回紹介するのは、ツェリン・ヤンキーの花と夢になります。 星泉さん役で、春秋舎から2024年に出版された本になります。
こちら春秋舎のアジア文芸ライブラリーの第一弾作品となっています。春秋舎は思想とか宗教関連の、いわゆる人文か、人文と呼ばれるような領域の本を多く出している出版社でして、あまり文学を出版はしていない会社さんなので、結構珍しい流れかなというところですね。
チベットの作品なんですけども、このアジア文芸ライブラリーはですね、かなり熱い思いで立ち上がっている、レーベルと言い方していいのかな、こういうのでね、どうしようかな、概要欄とかにですね、ちょっと編集されている方のノートとか載せようかなと思っておりますので、気になった方はぜひ見ていただければなと思います。
そうですね。今日紹介する花という意味はチベットですけど、アジア文芸ライブラリーではその後ですね、台湾の作家さんとかマレーシアの作家さんとか、結構いろんな国地域の文学作品が紹介されていく予定でして、今まで読んだことのない多分地域の作品とかもがむしろ見ていると多くてですね、すごくちょっと興味がそられるようなラインナップになっていたので、
ちょっとこれからもちょっと注目はしていきたいなと思いますね。
そうですね。いやー確かにマレーシアとかね、読んだことないもんね。
なかったですね。
ないよね。
ないです。
あれマレーソビュー州はあれだよね。
シンガポールですね。
シンガポールだもんね。そうだよねそうだよね。マレー系だけど、そうだよね。
インドネシアの作家さんとかも今後いるとかですね。
翻訳が進まないエリアのものがお読めそうで、なかなかちょっと熱い企画だなと思っております。
その第一弾、花と夢なんですけど、このチベット文学ですが、チベット文学自体は我々のラジオでいうと、ラシャムジャさんという方が書いた路上の陽光という作品を2年ぐらい前かなに紹介していますけれども、それ以来のチベット文学ですね。
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チベットの文学って本当80年代ぐらいから結構盛り上がってきた文学で、それまでは文章とかじゃなくて結構伝承されてきた物語みたいのはあったっぽいんですけど、
こういうふうに文章でまとまって読めるようになっているっていうのは、結構最近の流れらしいんですよ。最近って言ってももうこの40年50年ぐらいの流れっぽいので、
早稲田大学であった今年初夏の文芸フェスっていう柴田本幸さんとかが出てたやつなんですけど、それでチベット文学、チベット文化研究者の海老原さんって方が出ていらっしゃって、その辺りのことをちょっとお話しされていました。
なので比較的まだ若い文学という立ち位置みたいですね。なんであんまりこう、なんていうか自分としてはラシャムジャさんみたいな作品が多いんだろうなってちょっと思ってたんですよ。
結構パリッとした明るさ、内容が多少重くてもパリッとした明るさがある、なんていうかカラッとした明るさのある作品が多いのかなって思ってたんですけど、
今回の作品は結構内容が割と重いもので、ちょっとめんくらったところはあります。しかもなんかこの表紙とか帯とかからすると、結構なんか割と感じにくい重さがちょっと待っていたので、なかなかちょっとめんくらったところはあるんですけれども、
でもなんて言ったらいいんですかね、まあ筆地って言っていいのかなんと言っていいのか、あの描き方がすごく読みやすくて、あのスルスル入ってきて、ちべっと独特なのかもしれないんですけど、比喩表現、勧誘表現、ことわざみたいのが結構うまく使われていて、ほんとサラサラサラサラなんか読めちゃう作品だったなと思いましたね。
そうそうそう、なんかめっちゃね、なんかうまいこと、なんかみんなこの比喩表現とか言うんですよね。たとえ話とかは。 すごいよね。
そう、会話の中でサラッとちょっと入ってたりして、なんか面白いですよね。なんかその、なんか一人とかじゃなくて、なんかね、登場人物結構みんなうまいこと言うなっていう人たちばっかりだったんで。
感覚で言うともしかしたら、言葉で聞いてるとアメリカンジョーク的な感じでポンポン出てくるかもしれないけれども、アメリカンジョークみたいななんかこう、軽い感じじゃなくて結構ウィントウィントン出るというか、割とこの考えさせるようなことをサラッと入れてくるので、ここはなんかこれがちべっとらしさなのかなってちょっと思いながら、役者あとがけにもちょっと書いてあったけれどもね、ちべっとらしさなのかなとちょっと思いながら、ちょっと読みましたね。
そうですね。いや本当に、なんかまた後でちょっと話したいですね。確かに。
ああそうだね。そうだね。ここはちょっと話しましょう。
僕もですね、この作品読んで、まず小説としてすごく面白かったというのにちょっと感銘を受けまして、内容としてはですね、ちょっとハードなところがあって、登場人物の4人の女性がちょっとその夜の仕事というか水商売をしていて、結構ね、男性に騙されたりとかですね、過酷な仕事をさせられたりとかですね、そういうちょっと読んでいて大変なところも苦しい境遇というのが描かれたり、
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しているんですけども、ただその書き方というんですかね、文章がまず生き生きしていましたし、ユーモアもありましたし、どんな場面でもなんか面白く読んでいけるというですね、なんかそういう小説としての良さというのはすごくまず感じました。
なのでこの作品のあらすじとか読んで、ちょっとこれはきつい話なのかなと思われるかもしれないんですけども、確かにその通りではあるんですけども、小説としての面白さというのがまず前提としてすごくある作品なので、読み物としての単純な面白さというところがですね、かなり楽しめるというのがですね、このまずちょっと作品を読んでいたときの印象としてありましたね。
そうですね。
で、なんかそんなにあと暗い話でもないなと思っていまして、人生を前向きに生きようとするですね、なんかそういった姿を読むことができてですね、なんか読んでいるとちょっとこっちもエネルギーをもらえるような、ちょっとあのむしろ背中を押してくれるようなですね、なんかそういう受け止め方もできましたし、なんかその小説としての面白さとそういうちょっとあの前向きにさせてくれるようなこの点と言い、
この作品は結構ですね、幅広い人に好かれる作品なんじゃないかなと思いましたね。
そうですね、あの幅広い人に好かれる作品ですね。なんか読みやすさもあるし、共感してしまう部分って絶対あるからね、この作品もね。
なんかね、その路上の陽光のラッシャームジャーさんの時も、まあちょっと近いことを思ったんですけど、なんかそのチベットの作品というと、なかなかちょっとイメージがしづらくて、何かそのニッチな人が好んで読むタイプの作品なんじゃないかと思われがちなところはあるかもしれないんですけども、
でもこの花と夢であったり、その路上の陽光であったりっていうのは結構今の日本の若い人が読んでも、なんかその共感できるところはあると思うので、なんかであと単純に読み物として面白いっていう、すごくいい小説になっているので、なんかその面白い小説を読みたいっていう人には本当に選択肢に入ってくる結構普遍的な良さのある作品だなと本当に思いましたね。
いや本当ですね。そうなんですよね。これは気になったら読んでもらいたい一冊ですよね。
なんか単純にめちゃくちゃ面白かったですね。
じゃあちょっと行きましょうか。
ではですね、著者のチェリン・ヤンキーさんの紹介をしたいと思います。1963年、中国、チベット自治区、スガチェですか、シガチェですかね。
うん、シガチェ。
そうそうそうそう。
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で、学生たちとの交流から創作のヒントを得て小説を発表していきまして、いろんな文学賞を取られていった方になります。
で、しばらくのブランクを得て7年がかりで完成させたのが、今回の花と夢になります。初めての長編小説。
で、チベット自治区出身の女性がチベット語で長編小説を書く先駆けとなった、すごく重要な位置づけの小説になっています。
じゃあ、具体的に作品紹介いきましょうか。
はい、じゃあ、版元ホームページからあらすじを紹介させていただきます。
ラサのナイトクラブで働きながら抜粋なアパートで身を寄せ合って暮らす4人の女性たちの共同生活と、やがて訪れる悲痛な運命、
下部調整やミソジーに作種、農村の困窮などの犠牲となり、傷を抱えながら生きる女性たちの姿を慈愛に満ちた筆記で描き出す。
チベット初シスターフードの物語英国編翻訳書受章作となっています。
なるほど。さて、じゃあちょっとこれ割と端的なあらすじなのでまた後でストーリー語りますが、
その前にどんな話かというのを少しだけ触れていきましょうか。
ラサ そうですね。ちょっと作品の特徴に触れながらですね。特徴としてはまず現代チベットですね、舞台画のラサという町の中で、
クラス、そこのナイトクラブで働いている4人の女性たちの物語になるんですけども、ナイトクラブというところもあって、結構ラサという町が抱えているちょっと闇の部分というんですかね。
そこで働く女性たちの社会課題というとあれですけども、その暗部というか深いところをですね、そこを描いた作品になっています。
そうですね。これがちょっと冒頭で言ってた重さの部分なんですけど、ナイトクラブで働く女性4人っていうのが貧困層でというか、もともと地方村からラサに出家責任に出てきた女性たちで、それぞれいろんな事情があって出てきてはいるんですけれども、
最初からナイトクラブで働こうみたいな気持ちで出てきたわけじゃなくて、まともな仕事について稼いで実家に仕送りとか、両親たちを親孝行したいとか、まあそういうちょっと親孝行というか、とにかくお金を稼いで実家を楽させたいとか、
兄弟の教育を受けさせたいとか、そういうちょっとものとか、他にもいろいろな事情がある方いらっしゃるんですけど、様々な事情で出てきていて、別にナイトクラブで働くつもりもなく最初は普通の仕事をしていたんですけれども、それだと稼ぎが全然足りないという状況になっていって、やむにやまれずもう彼女たちはナイトクラブで働くことになってしまうと、そういう状況なんですけれども。
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まず、結構ここでこのラサという都市、町、都市に結構貧富の差を感じる状況になっていて、結構この差って激しいんだなあっていうのを感じる一冊でした。
まあ以前読んだラッシャムジャさんの路上の洋行でも、金を持っている人と持っていない人の差っていうのは結構描かれていた部分あるんですけれども、この花と夢はですね、結構そのあたりはかなりこれはかなりリアルなんだろうなと思うんですけども、描かれていきます。
で、っていうのがこの仏教の国みたいなイメージがあって、確かにこの僧侶とかがこう、なんかいろいろね、抗議とかをしているのはなんかどっかで読んだことあるんですけど、なんかこういう一般的なイメージしやすい貧富の差があるっていうのは、なんかあんまりイメージ実はしてなくて、ちょっとこれを読んでびっくりしたところではありますね。
うん、そうですよね。なんかあの、日本だと東京にあたるのかなと思うんですよ、ラッシャが。
ああそうだよね、うんうんうん。
国の中心都会で、ビジネスマンで儲けてる人もいれば、本当にすごく底辺の方で仕事してても収入がすごい少なくて、もうカツカツでなんとか苦労してきてるっていう人もいるみたいなところで。
うん、そうですよね。
確かに、チベットという国の実際どうなのかっていうところを全然知らないと、確かにこういう小説を読んだ時に実際こうだったんだっていうのはですね、ちょっと読んでみて、なんかちょっと新鮮、逆になんか新鮮に思えるところかなと思いましたね。
そうですね、新鮮というか、ちょっと衝撃的。
そうですね、わらじょの横の時結構ね、それは思いましたし。
っていうところで、チベットが今置かれている社会っていうのもちょっとわかる一冊ですね。
というですね、まず特徴があって、それを踏まえてですけども、やはりチベットの文化であったり、信仰のところですかね、であったり、思考のところで、チベットならではの思考のところであったりっていうのが非常に現れている小説でもあるっていうのも特徴としてありますね。
中でもですね、今回の作品の中で豪華不快という考え方がすごくたくさん出てくるんですけども、この豪華不快というのが、例えば登場人物が嫌な目にあって被害を受けた。
あるいは男性にちょっと騙されて性被害を受けてしまったという時に、それは自分の豪華不快からそうなってしまったんだというですね、という考え方をする登場人物が非常に多いと。
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例えばその人が恵まれない状況にいたら、結構周りの人がそれはあなたの豪華不快からそうなっているんですよと言われたりですね。この豪華不快というのが何かその人が何か悪いことをしたとかっていうわけではなくて、その前の前世ですね。
輪廻転生の考え方というのがまず前提としてあって、前の生の時というかですね、前世か前世の時にの何か罪というかそういったのが残っていて、今の自分たちが何かちょっと悪い目にあってしまうというですね。
ただ今の自分たちもその徳を積んでいったりして、また次の来世を迷い者にしようというですね、ちょっとそういった考え方ですね。このあたりはなかなかちょっと読んでいると馴染みのないような考え方であったんですけども、非常にそれがこのチベットで暮らす人たちの中にも定着している信仰と言いますか、思考としてあったので、そこが大きな特徴としてあります。
そうですね。前世来世って考え方が強いっていう、輪廻転生の考え方ですよね。強いので、何というかな、自分が悪いんだっていう考え方とともに、何か諦めのようなものが結構あって、諦めというか定観と言っていいのか、受け入れていくというか。
まああと何だろうな、ちょっと前にあれなんだけど、これ多分それインド仏教、インド哲学、どっちかな、分からないけど今インド仏教かな。だからちょっとチベット仏教とまた違うかもしれないけど、なんか瞑想のコースに行った友人がいて、10日間ぐらい。10日間ぐらい誰とも連絡取れずに瞑想するっていうことを経験した方がいて、その人がちょっと話したんだけど、執着を捨てていくらしいんですよ、その中で。
だから何かそういうのもあるのかなと思って、起きてしまったことに執着しないっていうか、諦め、受け入れ、執着しない。ちょっとどういう表現していいのか分からないけど、手放すって言ったかな、その人は手放すって言ったんだけど、とかあったりして、執着しなかったりするポイントとかあったりして、これ出てくる女性たちには結構その辺も感じるところがあったりしますね。
ひどい目に合わせた人と再会しても、なんかもうその人がね、ぜひうちにもう一回来てくれないみたいなこと言っても、いやもう行きませんみたいな。そういうのとかあったりするし、やっぱりこの辺の仏教的な感覚があるんだろうなってちょっと思ったりしましたね。
そうですね。この辺りなんか、結構理不尽な目にあっても、ちょっと諦めというか仕方ないみたいな、そんなちょっと空気感が漂っていて、一方でただ、来世を良くしようっていうですね。
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なんかそのちょっと強い気持ちは持っていててですね。なんか信仰のところとその社会がそれをそういう考え方を利用しようと、なんかそのちょっと歪なところがあっても、なんか反発するんじゃなくて、それを受け入れるように仕向けているところもあるなと思っていてですね。
なんで、なんかそういうちょっとチベットの、なんか実際のところってどうなのかなっていうのはですね、結構読んでいて、なんか疑問に思うところでもあったので、なんかこういうところはちょっとこれからあれですね、ちょっと実際どうなんだろうっていうのは何かでまたちょっと知りたいなと思いましたね。
そうですね。そうですね。ちょっといろいろ気になることありますね。
次のですね、ちょっと最後の特徴ですね。文体、文章ですね。個性があるというところかなと思っています。まず文章に関してはすごくリズミカルと言いますか、読みやすいんですし、チベットのなんて言うんですかね、さっきの信仰の宗教の話とかになると、ちょっとやはりそういう用語とかも出てきたりするんですけども、
これ翻訳の力で、その辺りも問題なく読めるように工夫もされていると思いますし、非常にまずテンポよく読んでいけるというところがあるというのと、あともう一つですね、最初の方に話したことわざとか勧誘句とかが結構使われていてですね、
なんかその登場人物のセリフの中とかでも、ちょっとしたセリフの中でも結構頻繁にことわざとか、そういう例え話とかが入っていたりします。で、ちょっと面白いなと思ったのは、なんかそれを日常の会話でもよくことわざとかあるんですけど、結構深刻な場面でもそのセリフの中で入っていて、
例えばですね、これ登場人物、主人公が男性にちょっと襲われて、ちょっと性被害を受けてしまったと。で、それに気づいたちょっと先輩と言いますか、ちょっとお姉さんかこの女性が声をかけるんですけども、声をかけて、私たちこれから2人で助け合って生きていこうと言うんですけど、
その後、幸せな時は青い山の草をともにはみ、苦しい時は青い川の水をともに飲むって言うでしょう。というですね、場面としてはなかなか大変な場面で、もうさっとそういうことわざですかね、が出てきて、でそれに対して被害を受けた側の女性ですねが、ちょっとお姉さんかこの人に対して返すセリフもですね、ちょっと特徴的で相手はあちゃと呼ぶんですけど、
ねえあちゃ、あちゃが悲しむことはないよ。これは私の業が深い性なんだから。さっきのほうの話ですね。その後ですね、死体のシワを消すことができないように、業を覆すことはできないってことわざにも言うでしょうって言うですね。
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ただセリフを返すだけじゃなくて、死体のシワを消すことができないように、業を覆すことができないっていうですね、そういうことわざを付け足して返すって言うですね。これなかなか深刻なシーンで、そういうやりとりをやるっていうところとか、すごい面白いなと思いましたし、本当にもう軽い会話から重い会話までそういうことわざとかが頻繁に入っていて、それがすごい面白かったんですけども、
この辺のところはですね、この小説の独自性というか文章も本当にこんなことわざいっぱい入ってますんで、個性があるなって思いましたね。
このことわざの応集というかね、やりとりはすごい小説の中では多くて、チベットの文化の中ではすごく多いやりとりなんだなっていうのはすごいわかったんですけど、冒頭でも言いましたけど、これはね読んでて難しい言葉が出てくるから読みにくいみたいな印象を多分、なんとなくこういう話を聞くともたれがちかもしれないですけど、逆で読みやすいんだよな。
なんか不思議だよね、考えるのにちょっと負荷がかかるようなことを書かれてる気はするんだけど、なんか読んでるとイメージできちゃったりとかするし、なんかすごく読みやすさを生んでいて、なんか非常にチベット文学ってもしかしてめちゃめちゃ読みやすいのかみたいな感覚を持ちましたね。
星井泉さんのこの訳されたトークイベントでですね、このことわざの話をされていてですね、やっぱりチベットでは文化として根強いものがあって、そのことわざっていうところに村とか行くとことわざバトルみたいなものがあってですね、やっぱり上手いこと言う人が偉いというか。
ああ、そうなるんだ。
例えば何か裁判みたいな場でですね、そこまでの大事なあれかあれですけど、何かそのAさんとBさん、これはどっちに責任があるのか、どっちの言い分を信じようかみたいな時に、なんかそのことわざで上手いこと言い合って、言い合った人がその認められるという。
そういうことだったら、Aさんの方が上手いこと言ったら、今回はじゃあAさんの言い分にしようかみたいなですね。あとは何かそのことわざ大会みたいなものとかもあったりして、そういうことわざの上手い人たちがそれぞれその言葉を押収しあって、で、そこには何か同じことを繰り返すと何かあんまり評価されないとか、やっぱりその上手い言い回しとか、今までにない言い回しを出したら高得点とかですね。
何かそんなのがあって、何かそれで競い合って盛り上がるみたいな、何かそんなちょっとした大会とかもあるみたいで、やっぱりそういう文化のあるところなので、今回の小説を読んでいても本当に、だから登場人物で何かみんな上手いこと言うんですけど、ことわざとか。
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やっぱりそれがもともと定着していたんだなっていうのがですね、ちょっとトークイベント聞いて小説読むと、こういうことだったのかって思いました。
なるほど、いいですね。そっか、いわゆる何かディベートみたいな感じなのかな。
そうですね、ディベートみたいなところと、あとは何か本当、何かラッパーの何か。
ラップバトルみたいな。
そう、ラップバトルみたいな。
なるほど、そっか、面白いね。
じゃあちょっとストーリーを話していきたいと思います。
この本はですね、4人の女性がそれぞれチベットの首都、チベットの首都というか首都か、首都ラサに出てきて、将婦になるまでの話が語られていきます。
7章構成で3人章なんですけど、それぞれですね、各章の登場人物の名前になっているんですが、その登場人物が1人章のような視点で語られていくような、その人の視点から3人章で語られていく作品になっています。
で、第1章がドルカル。
ドルカルというですね、田舎から出稼ぎに出た女性が、同じ田舎、同郷で水商売をしている、今ラサで水商売をしている女性、プティという女性がいるんですけど、まあママみたいな感じですね、にちょっと利用されてしまう話です。
で、結構純木だったドルカルはですね、このお金に困っていたプティに騙されて、ある社長にも体を売られてしまうという状況になっていきます。
で、その話があった後、第2章、ツェインという章なんですけど、このツェインというのはですね、ドルカルの弟になります。
ドルカルの弟の視点の話になっていって、で、ドルカルの弟はですね、もう大学を卒業して、無事ラサで公務員となっていて、まあラサで暮らしていますね。
で、ツェインはこれもうドルカルとずっと連絡が取れなくなっちゃってるんですよ。で、ラサで消息を絶った姉を探し続けてるんですね。
で、ちょっと両親もラサに来るタイミングがあったとか呼ぶタイミングがあったので、一緒に探そうという形になって、3人でドルカルをラサから探そうとするんですけれども、見つからないという話になっていきます。
結構この章はですね、実は後々キーになっていく章でもあります。
で、第3章ヤンゾム。このヤンゾムというのがドルカルと同じ田舎から出てきた、ドルカルよりも少し年下の女性ですね。で、この小説におけるちょっと主人公的なポジションかなと思っています。
で、ドルカルとはもう小学校みたいなところが一緒で、だったんですけど、ヤンゾム自体はですね、ちょっともう幼い時に両親に先立たれてしまって、もう孤児となってしまいました。
で、この先どうしようとなっていた時に、ちょうどラサで家政婦の仕事が見つかり、ある裕福な一家の家政婦となって、住み込みで家政婦となって、その家で成長していきました。
この家族なんですけど、結構富裕層なんですが、もうバラバラなんですね。特に奥さんが結構ヒステリックで、夫とあと一人娘がいるんですけれども、非常にここが仲が悪いです。
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娘がヤンゾムのちょっと上ぐらいですね。この奥さんがですね、ある日財布から金がなくなっていると騒ぎ出して、ヤンゾムを盗んだに違いないと言い出します。
それを否定した夫と大喧嘩が始まり、とんでもないことになります。
ちなみにこの時、この一人娘がですね、ちょっと家デモしてしまっていて、もうこの夫婦間でですね、もうかなり賢悪な状態だったっていうのももちろんありますね。
自分が原因でですね、自分が何か盗んだら盗んだりとか言われて、家族が荒れるのは嫌だ、もう耐えられないと思ったヤンゾムはですね、この家を出ることにします。
出たところで、ラサでどうしていいかわからないんで、以前ですね、このラサの街を歩いている時にドルカルに会ったんですね。
ドルカルが向こうから話しかけてくれて、ヤンゾムとちょっと再会話していたんですけれども、その時ちょっと連絡先をもらっていたので、ドルカルに連絡をします。
ドルカルはですね、現在ナイトクラブバラというところで水商売をしていて、同じ店に勤める女性2人と一緒に共同生活をしていました。
結構狭いアパートみたいなところで。そこにヤンゾムを連れて行って、3人と合流させていきます。
まずヤンゾムはですね、結構堅実な仕事を始めてきますね。けれども収入も少なく、皿洗いの仕事だったんですけど、
もうずっと皿洗いしてるんで、手がとんでもなく荒れてきちゃってボロボロになっていくんですね。血とかも出だして。
それを見かねたドルカルは、そんな仕事しなくてもいいから家にいてという感じで、ヤンゾムにそんな仕事するなと言います。
試しにちょっとナイトクラブバラの仕事を体験してみるのもいいんじゃないかということでお店に誘います。
もちろんビキビキしてるヤンゾムなんですけれども、ドルカルが絶対守るからと。
ドルカルは実際、かなりお客さんの変な手柄は全部守ってたんですけれども、ドルカルが目を離したスキンですね。
ヤンゾムはですね、男性客にホテルに連れ込まれてしまって、ドルカルと以前会ったドルカルと同じような目に遭ってしまいます。
ドルカルはですね、自分と同じような目に遭ったヤンゾム。これ守りきれなかった自分を責めるし、申し訳ないというか、辛い気持ちになっていって、
ヤンゾムを守ろうと、一緒に二人で生きていこうと言い出すんですけれども、
ヤンゾムはですね、逆に水商売をするという決意をして、この時からバラで働くことを決めて、いろんなダンスとかの練習とかをし始めます。
バラはですね、花の名前がゲンジナで付けられているそうで、ヤンゾムはツーツジというゲンジナを使うようになっていきます。
この後ですね、ヤンゾムはお店のナンバー2まで駆け上がっていくという形ですね。
ちなみにこのヤンゾムの章が一番長くて、7章は均等にあるわけじゃなくて、結構短い章もあるんですけど、このヤンゾムの章だけ100ページぐらいあるんで、かなりボリュームがありますね。
第4章が菜の花。この菜の花はですね、ドルカルのゲンジナになっています。
ドルカルの過去が語られて、どうしても弟のために、弟を大学に行かせるために、いい教育を受けさせるために、お金を稼がなくてはいけなかったということが語られていきます。
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ドルカルはそのために、とにかく稼いで仕送りをしてという生活をしていました。
けれども菜の花はですね、ある大きな病気にかかっていることが判明していきます。
第5章、プリムラ。これは菜の花とツツジと一緒に住んでいる2人のうちの1人の女性のことで、このプリムラがなぜ水商売を始めるに至ったかが語られていく章です。
最初は割と堅実な仕事をしていたんですが、水商売に足をつかむことになってしまうということが語られますね。
第6章は花ゴマ。これも一緒に住んでいる女性のうちの最後の1人ですね。
花ゴマはナイトクラブバラのナンバーワンです。
彼女もある事情から故郷を出ていかなくてはならず、羅斎に流れ着き、結果的に水商売を始めたという流れになっていますね。
第7章、最後はツツジという章があるんですけど、もちろんこれはヤンゾムですね。
ヤンゾムの視点で物語は描かれていて、ある終わりを迎えるという流れになっています。
ネタバレをしないように話すとこれ程度かなってところなんですけれども、
ざっくり話すと、4人の女性が出てきて、それぞれナイトクラブバラというところに勤めるんですけれども、
それにはですね、いろんな事情があって、やむにやまれず流れてきて、そして傷ついていくという話になっています。
そうですね。結構ね、4人の人物が出てくるんで、ストーリーとしてはボリュームがありますよね。骨太で。
やっぱり同じような道をたどるけど、みんなそれぞれ事情が違うっていうのがね、結構この小説の視点の多さかなっていうところですね。
個人的にはラスト、すごく迫ってきたのは、結構人生の厳しさに立ち向かっていく感覚になるというか、気持ちにさせられる本でした。
これはもう筒子の、ヤンゾムの視点で最後終わっていくんですけれども、その時にヤンゾムが自分に降りかかった厳しさ、辛さ、そういうものをですね、
もちろん大変なことはあったけれども、それでも生きていくっていうような感じ、それをちょっと印象として持ちましたね。
ちょっと全然違うんですけど、ジョン・ウィリアムズっていう、ストナーを書いたジョン・ウィリアムズのブッチャーズ・クロッシングっていう小説があるんですけど、
それのラストもなんかちょっと同じような気持ちになったなーって思い出して。
ミヤさんブッチャーズ・クロッシング読んでる?
いやいや、まだ読んでなかったんですよ。
ストナーの話はしまくってるけど、ブッチャーズ・クロッシングの話はたぶん全然したことがないので、ざっくり話すと、
開拓時代のアメリカの話で、バッファロー狩りに行く話なんですけど、結構自然の厳しさに打ちのめされるような話ですね。
だからこれはこの花と夢は、彼女たちに襲いかかってしまう社会の厳しさとか、
現実的なところとか、人間が作り上げてしまったものから受ける厳しさだと思うんですけれども、
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ちょっとブッチャーズ・クロッシングは自然の厳しさみたいなところがあるんで、ちょっと何とも言えないんですけども、
ブッチャーズ・クロッシングがあれか、結構ラストね、結構この花と夢よりはもう、
成り上がっていくんだみたいな感じの、頑張っていくぜみたいな感じの終わり方だったから、
ちょっとやっぱり意味合いが違ったかなと思いながら話してるけれども、
ただその厳しさにぶつかって、やっぱり自分を立て直して、何かに向かっていくみたいな感覚っていうのは、
ちょっとこの花と夢でもあったので、そういう力はもらえる小説かなとは思いましたね。
みえさんはどうだろう、このラストのあたり。
みえさん 確かに今の聞くと、この4人がバラに来た時って結構成り行きで、
そうだよね。
みえさん やっぱり地方からラサに出てきて、食べていくにはどうしたらいいんだろうかとか、
ってなった時の色々あって成り行きでバラに来たんですけども、ただそのまま流されるようにそこに入ってきたとして、
最後やっぱラストはそこから出ていく時ですね、それぞれがやっぱり自分たちはこういうふうに生きていこうっていうですね、
決断をしてそれぞれ道を歩んでいくっていうですね。
そこのところはやっぱり何かその人の生き方のところで一つ希望を感じるところはありましたね。
やっぱりそれだけ確かに社会の厳しさ、そこに立ち向かうっていうあったんですけども、
でもそこに対してずるずる流されるままそれを迎えるんじゃなくて、ちゃんと一人一人が自分はこう生きていこうって思って立ち向かっていこうっていうですね、
そこの力強さというか意志の強さというか感じれて。
だからラストは結構いろんな感情がありましたけど、そういうちょっと前向きになれるようなところというのは個人的にはありましたね。
そうですね。確かに。だからなんか結構重い話なんだけど、なんかやっぱり読んでよかったなって思えるようなところではあるよね。
そうですね。あと作品の中で印象に残ったところだと、まずラサというところが舞台なんですけども、
この109ページにですね、ラルバシというある橋がちょっと出てきて、そこで主人公がヤンソンがドルカルと再会する場所になるんですけども、
このラルバシというのが路上の陽光ですね、ラッシャーブルザーさんの。
でも舞台となった場所橋だったんですけども、このラルバシが出てきた時はテンション上がりましたね。
あれだよね、路上の陽光のあの二人が過ごした橋ですよね。
橋ですね。まさか出てくるとはっていうので、なんかその路上の陽光の世界とこの花と夢の世界がちょっとリンクするのが一瞬感じれて、ちょっと個人的にはちょっと嬉しかったポイントですね。
なんかちょっとラルバシどういう橋なのか、ちゃんと調べてなくてあれなんですけども、やっぱチベットのというかマラサの中でも人々が過ごすそういうスポットっていくつかあるのかなっていうのは思いましたね。
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そうですね、で確かに私ちょっと調べたけど出てこなかったかな。なんかうまく出てこなくて。でもなんかイメージ、なんか路上の陽光の時になんか持ったイメージがあるから、たぶんこんな感じなんだろうなーとかちょっとなんとなく頭の中に再現されましたね。
頭の中には路上の陽光のあの世界がちょっとあるので、結構やっぱり読んでいて、あとここもですね、主人公ヤンゾムがバラで働くことになって、まずダンスを覚えるところから始まっていくんですけど、それまでのこのヤンゾムのキャラクターがすごいもうなんていうんですかね、すごいうぶな女の子でめちゃめちゃ真面目だし、真面目すぎるぐらいで。
水商売、まあそのホステスみたいな仕事とかちょっと難しいんじゃないのかなと思いきや、どんどんキャラが変わっていくというか、ヤンゾムはやっぱり頭がいいので、しかも真面目に仕事を覚えていくし、やっぱりナンバー2にのぼり詰めていくっていうですね。あのヤンゾムのちょっと変わりをとかは読んで面白いポイントでした。
確かに、そうですね、立ち回りもうまくなっていくし、まあちょっとこれね、まあ大丈夫かな、あのちょっとねこのバラにね、あのちょっと警官の。 ヤンゾム あ、なんか敵発の。何か潜入、私服警官が潜入してたみたいな感じの時ですね。
ヤンゾムはそれをなんとなく見抜いて、ちょっとうまくね、のらりくらりかわした結果、まあなんかうまくその敵発の時からね、逃れることができて、無事に家に帰ることができたんだけれども、とかね、あのあたりのこの立ち回りのうまさとかは、もう同じ場所の中にある話だけど、最初の方のヤンゾムからは全くイメージできない立ち回り方をするしね。
その辺のなんか成長って言っちゃうと嫌なんだけど、なんかやっぱりその、そういうふうにならざるを得ないくなった、強くなるしかなかった、あのヤンゾムのこの時間っていうのは結構刺さるものはあるよね。
そうですね。これでも4人ともそうなんですけども、最初この地方にいた時の姿っていうのがちゃんと描かれてるんですが、その時もみんなすごい真面目で、多分なんかね、全員優等生だと思うんですよね。
普通に勉強とかしていたら優秀だった人たちだと思うんですけど、やっぱり家庭の事情とかそういうのがあって、学校を続けることはできなくて、お金稼がないといけないから、マラサに出てきて、特に仕事とかって本当に低賃金で過酷な仕事。
サラー洗いとか、エステシャンをやったりとか、だけどもでもお金稼ぐにはなんだかんだ水商売が一番きらびやかに見えるというか、稼げるっていうところでその世界に入っていったっていう。
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みんなネはすごい真面目だし、性格とかもすごいいい人たちなのかなと思うんですけども、ただ作中にもありましたもんね、昼の顔と夜の顔はもう違うというか。夜になるともう化け物になるみたいなんですね。
そんな話もあったりして、やっぱりそれをちゃんと理解していて、ネは普段はすごい真面目で性格いいんですけど、夜のその世界に入ったら性格ごと変えてしまうというか、見た目も化粧して変わってしまいますけど、その変わりをというか、それがもう登場人物用にそれぞれあって、
そういったところは夜の世界、遊びでやってるとかそういうのとは全然違う。もうかなり真剣な生きるか死ぬかみたいなんですね。そのくらいの覚悟でやってるんだなっていうのも伝わってくるぐらいの、この描かれ方もすごい好きでしたね。
そうですよね。
あとちょっと印象の残った点では、バラが日本だとキャバクラでもあり風俗でもありみたいなところだと思うんですけども、説明の中でバラには赤ちゃんをおんぶした女の人が何人も夫を探しに来ていたっていうので、っていうのをですね、言っていてですね。
これはなかなかちょっと日本のそういう夜の世界とはまた違った実情を抱えているだなっていうのは感じましたね。単純になんか日本のキャバクラとか風俗とかを重ねるとちょっと違うかもしれないなと。
ラサのナイトクラブっていうのがどれだけの歴史があるのかあれですけども、男性人がそこにはまってしまうと、その奥さんとかがそこに赤ちゃん連れて探しに来ているっていう、そんな光景があったっていうのがですね、この小説の中でそんな説明があるんですけど。
この辺はなんて言うんですかね、まだそういう夜の文化とかも出始め、まだ確立していない中できていたのかなとナイトクラブとかも。
確かに。海外の考え方をちょっとなんとか輸入してきたみたいな感じなのかな。なんか急激にラサは発展しているところで貧困さも広がっていて、いろんな状況があったから急になんかいろんなものができ始めてるみたいな感じなのかもね。
そうですよね。この日本に当てはめるっていうところだと、あと病院の治療費の問題とかもすごくそれは思いましたね。なんかちょっと入院しないといけないっていう人物がいて、高額な治療費を払わないと手術もできないし薬も投与してもらえないし、
お金払ってもその後やっぱり症状が悪いままとかだと点滴打ったり追加で薬を投与しないといけないんですけど治療費が先払いなんですよね。最初に収めたお金よりあとこれだけまた収めてもらえないと点滴打ち切りますよとかですね。
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新しい薬投与しないままほったらかしますよっていう、なんかそんな態度で結構その治療費稼ぐためにいろいろ頑張るんですけど結構それに対して看護師が嫌味言うんですよね。あなたにこれ払いますかとかですね。なんかお金払ってもこんな遅くにお金払いに来て今まで何してたんですかとかですね。
なんかこの辺の病院事情っていうんですかね。日本と違いすぎてこの辺はちょっとびっくりしましたね。 まだいわゆる保健医療みたいなのが確立されてない世界、国とか状況なんだろうね。
そうですね。とかあとねこの医療従事者の人たちのこの仕事感、使命感みたいな、なんか人を助けようみたいなところの意識がだいぶ個人差があるんじゃないかなっていう。
そうだよね。見てくれてた医師はめちゃめちゃこう何だろう寄り添ってくれていた。でも看護師とかなんかちょっと違ったもんね。
めっちゃ適当というかまずお金が第一みたいなんですね。まあまあそれがビジネスとして捉えていたということだと思うんですけど。
職務としてお金払ってないのにやったら、それあれだもんね。結局それをやっちゃいけないってことなんだろうね。きっとね看護師はね。
まあそうですよね。なんかその事務、そうですね。なんかまあまあなんかその現場の中で結構その何て言うんですか。なんかその事務的なところがだいぶあるというか。
しかもね患者に嫌味も言っちゃうぐらいの感じで残ってるっていう。印象の残ったところ本当実はいっぱいありまして。
当社の新物であんまり触れてないですけどプリムラとか花ゴマとかですね。
そうだね。ちょっとだいぶ軽く説明しちゃったけど。
その2人が地元を出てこのバラに来るまでの過程とかもすごく面白く面白いと言ってご縁ありますけど。なんかその流れがすごい良くて結構好きだったのは花ゴマがちょっと高校生の時入院をすることになるんですけども。
あの時ね。
そうです。高校生の時にちょっと妊娠してしまって入院をするんですけど。その時一緒にいた病室にある夫婦がいて。その夫婦っていうのがすごい貧しいんですけど夫婦仲がすごい良くて。
この旦那さんが奥さんを毎日見舞いに来て。で、そこでの会話とかね。その奥さんの頭の白身を取ろうとしてね。そんな夫婦間のやりとりとかっていうのを。で、それを花ゴマがねちょっと同じ部屋にいるんで聞いたりするんですけど。
なんかそんなちょっとしたこの同じ病室の中の夫婦のこの登場のさせ方というんですかね。描き方というか。それとかもすごい良くてですね。なんかそれが直接ストーリーに関わるわけではないんですけど。なんか読んでいるとなんかねもうそこにグッて引き込まれるようなところがあって。
なぜか私はこの白身のところを付箋している。 そうです。そういうなんかこの小説の作り方っていうんですかね。描き方がすごいやっぱり。僕はね好きですね。このセリのピースコード。
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いいよね。じゃあちょっと本編こんなところにしてですね。久しぶりにですね。テーマトークをちょっと話したいなと思ってます。で、テーマトークはチベットの価値観についてちょっとお話してきたらなと思ってます。
で、とはいえ今回記者後書きとか。ちょろっとネットで見た情報しかちょっとチベットについて調べてないんですけど。このあのちょっといろいろ話してきている中でリンレ天聖の考え方とかチベット仏教の考え方とかですね。やっぱりかなり日本という国から見ているからなのか。
そもそもやっぱりチベットの得意性みたいなのがあるのかちょっとわからないんですけど。やっぱり我々の感覚とはまたちょっと違うものがあるんだろうなってちょっと思っていたりするところがあります。
あのそれこそチベットの巡礼か。例えば五体踏地っていうのが基本なんだよね。体をなんだろう。なんか歩きながらその体を地面に倒してなんか手足広げて五体をあれですよね。地面に。そう地面に。で起き上がって一歩前進してまた。
張っていくイメージだよね。 怪我しないように手とか体とかには某なんていうか用具をつけて。そういう五体踏地っていうなんだろう巡礼というかなんだろうねあのお参りの作法がある。
ラサはチベット自治区の方々からするとあのもういわゆる巡礼の地なのでもう何としても一度は巡礼したいような場所っていう感じみたいで。
けっこうこのあたりがなんかちょっとなのに今日話したようなね闇があったりするっていう。不思議な場所都市なんだなーっていうのをちょっと感じましたよね。
確かにあのちょっとなんか京都とかも。 あーそうかみなさん京都に行ったらそうかそういうことか。海外からすると観光地としての一面がやっぱりまずは強くあるんですけどまぁそこで暮らしている人はけっこう普通というかですね。
観光産業の人もたくさんいれば観光には全くノータッチで普通に暮らしている人もいっぱいいるっていうですね。われわれラサもそういう都会なんでいろんな人たちがいるんだろうなーっていうのはね思いましたし。
ちょっと京都東京もだと思いますけどまぁ都会のなんていうかその都市としての特色がまずはイメージとしても取りやすいんですけどまぁ普通の都市が都市全般共通しているところは中であると思いますのでどこの都市でも。
あとやっぱり気になるのはこの貧富の差はなぜその富裕層になった人たちのなんていうかこのそのチベットとしてはこのなんだろうあの輪廻転生とかを信じているんであればなんかこの豪の深さっていうかなんだろうこの現世での行いの悪さみたいのが来世だったりなんだったりに回ってくるっていうのが多分感覚として皆さん強いと思うんですよ。
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なのになんかそれあの結構この小説に出てくるあのお金持ちあの女性も含めてねそのあたりなんていうかすごく軽視しているような気がしていてこの感覚の差は何なんだろうってすごいお金持ちになったら消えてしまうのは何でなんだっていうなんか。
そうですね。ここはちょっと気になりましたね。だからどう見てもそんなねあのナイトクラブで悪いことしたら来世大丈夫って思うような迷惑客というか自分勝手な客が多かったりするんですけどこの辺の事情とか確かにねわかんないですよね。
そうなんですよね。不思議。
そうですね。まあ富裕層の人たちなんでなんかお金たくさん納めたりしていたらそれでオッケーな話とかが実は裏であったりするのかそもそもやっぱりそういうちょっと信仰心のところで地方の人たちとそれちょっと都会でお金持ってる人たちの間でそういう信仰心に差が単純にある話なのかとか。
その辺もわかんないしね。でこのお金持ちになった人たちはなんでお金持ちになったんだろうみたいなのもすごく気になって。ビジネスマンだったり公務員だったりするのかな。わからないけどちょっと調べただけじゃちょっと出てこなかったんでこの辺りのこの文化というかね社会がどう形成されているかっていうのはかなり気になるポイントだなと思ったんで
これはいつかあれかなちょっとあのたぶんこれ聞いてらっしゃると思うけれどあの役者の星井泉さんとかにちょっとどっかでお会いできた時にちょっと聞いてみたいなって。なんか中越と現代史のちょっと講義を確かに聞いてみたいですね。でも確かあの星井泉さんのトークショーの時にちょっと聞いていたのが
今回のような花と夢の世界って2000年代の話でやっぱり多いみたいで、地方で仕事がなくて、ラサカ来た時に地方から仕事がなくて家政婦になる人がまず多いと。家政婦になったりするとやっぱり性被害を受ける人が多くてですね。その辺のなんていうか悪い人が多いというか。
で性被害を受けたらその業が深いという考え方そうですけど何かその流れでやっぱりその自分がちょっと傷ついてしまったと。でもやっぱり普通の仕事普通の人生はもう歩むことは難しいと。
でなんかナイトクラブに行ってまあその娼婦のような役割ですね。そのセックスワーカーになっていく人が多いという。ででもそれってでも家政婦の時に悪いことされたりとか、また娼婦になるっていうそういうのどうなのっていうところで駆け込めるところをですねその何のかっていうと警察はなんか腐敗していたみたいで。
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なんでまあそういうなんて言うんですかね不の連鎖みたいなのが起きていたと。ただ現代ですねこれが現代というかここ2010年以降というんですかね。なんか本当に現代になってくるとちょっとその政権側ですねまあ国の政権の方で締め付けを強くしていてそのなんかそういう被害女性ですね。
でそういう地方から出てきて家政婦になったりとかでちょっと悪い目に遭うみたいなそういう被害女性は減っているかもっていうですね。ちょっとその辺の変化というのはあるのではないかと。
なるほど急激に発展して政治のこともあったりしたら貧富の差は生まれやすいもんね。
なんかその労働環境的なところとか労働問題的なところ、家政婦の主人公が13歳で家政婦になるんですけど無給でずっと働くんですよね。
そうなんだよね。
それもちょっとわからないですけど今の社会とかだったらもしかするとその労働問題とかちょっと改善されているところあるかもしれないですし。
13歳から働くっていうのがそもそもちょっとダメだと思いますし。
確かに。あれでもまあそうだよね。衣食住を保障しているとはいえ無給だもんね。
であの結構この星泉さんの役者、後掛けじゃなくて解説か、役者解説に結構ねこの社会の背景とかは結構触れてくれて、作品の背景かとか触れてくれてるんで結構理解は済む部分はあるかなとは思うんで。
ちょっと気になったらまずそっちとか読んじゃうのもありかなと思います。
ちゃんとここから先ネタバレになるんでってアラートしてくれてるんで解説の中で。
安心して読んでここから先は読んじゃいけないなと思ったらやめて戻ってとか全然できるんでいいかなと思いますね。
確かに。今回確かにこの役者解説があると確かにすごく分かりやすいですよね。読んでいきますね。
それ読んでもなんかそのどういう流れでこの富裕層が生まれていったのか、このお金がこの人たちだけに流れていってるのかとかはちょっと分からなかったんで気にはなったところだなっていう感じかな。
これはまた別のちべットの本をこれから読んでいかないといけないですね。
これから我々も多分読むことになると思うのでどっかでその時にちょっと勉強しましょうか。
そうですね。
最後感想とどんな人に読んでもらいたいか話して終わりたいと思います。
今回やっぱり話してみて最初に話したとおりすごい読みやすい本だなっていう印象は変わらずで、
でもやっぱりこのちべットの文化社会っていうのを何というか突きつけられるような小説だったので、
同じこの自分が生きている世代、時間でこういうまだちべットにはこういう社会が今あるんだっていうのをちょっと感じると、
なんかいろいろと考えてしまう一冊でした。
で、結構読んでる途中ね、うってなるような時もあったんですが、
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読み進めてしまう部分っていうのはこの文体とか、今話してきたけどことわざのうまさみたいなところが結構あったんで、
何というか本当読み物としてすごい面白かったなと思います。
で、重い話だなって印象を持たれたと思いますし、実際重い話なのでこういう話が苦手だなって思ったら読まない方がいいかなと思います。
冒頭にもですね、フラッシュバックのことについてちょっと触れて性暴力及びハラスメントの直接的な描写が含まれます。
フラッシュバックの恐れのある方はご注意くださいっていう注意が書かれてるくらいなので、
なんかすべての人にこれ読んでねっていうのはなかなか言いづらいんですけど、
ちょっと自分が今日聞いてみて大丈夫そうだなって思った人は手を出して見てもいいんじゃないかなと思います。
海外文学いろいろ読んできましたけども、こんなにことわざがたくさん出てくる小説は多分ないですし、
それが本当にあんまり違和感ないんですよね。
自然とそれが読んでいると入ってきて、むしろそれがわかりやすかったりしますし、
登場人物が本当にみんなそういうことわざとかうまいこと言う人が本当にたくさんいて感心しながらちょっと読んでいたんですけども、
そういう意味ではすごいなかなか他にはない唯一無二の作品なのかなと思いましたね。
確かにハードな部分内容にはあるんですけども、それだけじゃなくやっぱり小説としての面白さがすごくあるので、
大丈夫の方はですね、やっぱりすごい満足度の高い、しかもかなり考えさせられることの多い小説なので、
本当に興味を持たれた方には、これはちょっと読んでいろいろ自問自答していただけたらなと思いましたね。
そうですね。じゃあ次回はこうして終わりたいと思います。
次回はジュリー大塚のスイマーズをご紹介いたします。
お楽しみに。
番組の最後になりますが、メルマー会員を募集しております。
こちら無料版、有料版とございまして、無料版は毎回エピソードで長すぎた部分をカットして大変化して配布するというものになってますが、
最近ちょっとなかなか作れてないんですが、その代わりですね、我々の今後の紹介予定本、ちょっと気になっている方いらっしゃると思うので、
こういう本を紹介していくよという一覧をつけているのと、
あと海外文学の新刊ニュースなんかをですね、ちょっと我々がこの辺り面白そうだなと思ったものを作ってお送りしているので、
ぜひ登録してみてください。
有料版はサポーター特典という形になってまして、月月500円なんですが、
もしこの番組を応援してくれる人がいたら登録していただけると嬉しいです。
こちら、我々の書籍代や編集費用代なんかですね、制作費などに充てておりますので、助けていただけると嬉しいです。
詳しいことは番組概要欄ご確認ください。
そしてこの番組の感想やリクエスト、またこのラジオを聞いて紹介された本を読みました。
読み返しましたとございましたら、ハッシュタグ空飛びの子たちをつけて教えていただけると大変嬉しいです。
57:03
Xやインスタの投稿などでお待ちしております。
お便りフォームも番組情報欄に載せておりますので、いただけたら定期的に開催しているお便り紹介会でお返事させていただきます。
その他、メール、スポティファイコメントでもお待ちしております。
この番組気に入っていただけましたら、積極的に拡散共有してあげると助かります。
ではまた来週。ありがとうございました。
57:31

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