1. 文学ラジオ空飛び猫たち
  2. 第39回 本こそ、完璧なメディ..
2021-05-03 44:19

第39回 本こそ、完璧なメディア「失われたいくつかの物の目録」ユーディット・シャランスキー著

spotify

【今回の紹介本】

 ■『失われたいくつかの物の目録』ユーディット・シャランスキー著、細井直子訳 

今回紹介するのは第七回日本翻訳大賞最終候補作のひとつ、ユーディット・シャランスキーの「失われたいくつかの物の目録」です。 

他に類をみないタイプの本、「喪失」をめぐる12の物語。 

そして本こそ完璧なメディアという主張に本好きなら頷くはず。 

「もっとも美しいドイツの本」に選ばれた1冊。 

ぜひお聴きください! 

【番組内で紹介したトピック】 

■ 『失われたいくつかの物の目録』ユーディット・シャランスキー著、細井直子訳 河出書房新社 https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309207940/ 

■翻訳者 細井直子さんへのインタビュー動画 

https://www.youtube.com/watch?v=yA-ekUqE4h8&t=33s 


【文学ラジオ空飛び猫たちとは】

硬派な文学作品を楽もう!をコンセプトに文学好きの二人がゆる~く文学作品を紹介するラジオ番組です。

案内役の二人は、 東京都内で読書会を主催する「小説が好き!の会」のダイチ

京都の祇園で本の話ができるカフェを運営する「羊をめぐるカフェ」のミエ

文学のプロではない二人ですが、 お互いに好きな作品を東京と京都を繋ぎ、

読書会のようなテイストで、それぞれの視点で紹介していきます!

毎週月曜日朝7時に配信しています。

【SNSでご投稿ください】

番組の感想・リクエスト・本を読むきっかけになったなど、 #空飛び猫たち をつけて、ぜひSNSに投稿してください!

よろしくお願いします!

■twitter https://twitter.com/radiocatwings

■Instagram https://www.instagram.com/radiocatwings/?hl=ja

■Gmailでも受付中です bungakucafe.catwings@gmail.com

■ダイチ「小説家が好き!の会」

Twitter https://twitter.com/welovestory 

Instagram https://www.instagram.com/booklogd/?hl=ja

■ミエ「羊をめぐるカフェ」

Twitter https://twitter.com/hitsuji_meguru 

Instagram https://www.instagram.com/hitsujiwomeguru.cafe/

#本 #小説 #読書 #読書会 #文学 #海外文学 #ブック

00:04
どうもみなさん、こんにちは。文学ラジオ空飛び猫たちです。
この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、
文学と猫が好きな二人がゆるーくトークするラジオ番組です。
お相手は、私小説が好きの可愛いのダイチと、
羊を巡るカフェのミエと二人でお送りします。
文学のプロではない二人ですが、東京と京都をつないで、お互いに好きな作品をそれぞれの視点で紹介していく番組です。
お互いの紹介に関しては、2021年最初の回で話しているので、そちらを聞きください。
本編に入る前にですね、1点お知らせがあるので話してください。
これが配信が5月3日だと思うんですけれども、来月6月でですね、我々のこのラジオが1周年を迎えます。
はやいもんですよね。
はやいっすね。
いやーちょっと、この辺の感情とか、考え深さみたいなのは、後日どこかで話すとして、
ちょっとやりたい企画があるので、ご紹介だけした。
これまで紹介してきた本の中から一冊、ないしは何冊かわからないですけど、一冊選んで、課題本読書会をオンラインでやりたいなと思っております。
この課題本に関しては、リスナー投票で決めようと思ってますので、
詳細はまだ決まってないんですけど、後日集計方法等も含めて発表しようと思ってますので、よろしくお願いします。
リスナー投票で決めるので、票数が多いもので読書会すると思うんですけども、
せっかくなんで、この本で読書会したいなって思うものを素直に投票していただけると非常に嬉しいなと思います。
課題本読書会で投票いただいたものは全部取り上げたいくらいではあるんですけど、
どういった本が投票来るのか、それが知れるっていうのがすごくとしては参考になるので、
本当に思ったものを投票していただけると嬉しいというところです。
じゃあ本編いきますね。
今日はですね、失われたいくつかのものの目録という本を取り上げたいと思います。
これはドイツの本ですね。
日本翻訳大賞最終選考作品、5作品の中から今ちょっとご紹介を連続でしてるんですけれども、
5作品のうちの3作目になります。
日本翻訳大賞に関してはですね、5月18日に発表予定になっているので、大賞が発表予定になっています。
今日なんですけど、めちゃくちゃ表紙が綺麗なドイツのですね、
ブックデザイナーの方が書かれた本で、表紙が本当にすごく綺麗なんで、
あの皆さんも書店で見ていただきたいんですけれども、
手に取ってすごいなーって思ってもらえればなーと思うような一冊ですよね。
表紙が目に入るとちょっと気になりますよね。
なるなる、これは何回か言ってるけど、これジャケ買いした本ですからね。
そうですよね。
ジャケ買いするわーって思ってくれると思います。
ジャケ買いした本が日本翻訳大賞の最終候補に残るっていうのもまたすごい話です。
中身もすごかったんですよね。
03:02
この本が最も美しいドイツの本っていうのも選ばれたことがあるみたいで。
何年に書いてありましたね?
18年か?
18年ですね。
あ、19年だな。
18年に発表されて翌年の最も美しいドイツのベスト5に選ばれたって。
こういう美しい本を選ぶんですね、ドイツはね。
すごい。
そうなんですよね、それなんか毎年。
あるんだ。
具体的な書面いきましょうか。
はい、では今回紹介するのは、ユディット・シャランスキーの失われたいくつかのものの目録になります。
細井直子さん、略で川出処方針社から2020年3月に出版されています。
じゃあ私の方からあらすじをお伝えします。
海に沈んだツアナキ島、絶滅宗、カスピトラ、不死身の一角獣、年老いたグレダ・ガルッポ、サッフォーの恋愛家、マニ教の七つの聖典、
キナウの月面図、自然・歴史・文学の魅力を詰め込んだ、創出をめぐる十二の物語。
最も美しいドイツの本に選ばれた、脅威の部屋、ブンダーカマー、ビルヘルム・ラーベ賞を受賞とあります。
が、まあもうこのあらすじ聞いてもなんでもないかっていう感じだと思うんで。
まあ重要なのは創出をめぐる十二の物語だっていうことぐらいですかね。
まあそうですよね。
という感じなんですけど、まあちょっとこれから本の内容とかも触れながら話はしていきたいと思います。
補足的な話になるんですけれども、この本はですね、ドイツが主催している翻訳プロジェクトみたいのがあって、
あ、そうですね。
名前がですね、ゲイテ・インスティトゥートっていう、何だろう、財団なのかな。
まあちょっと団体がですね、やってるソーシャルトランスレーティングプロジェクトというのの対象作品だったそうなんですね。
これなんか毎年やってるのかちょっとわかんないですけど、
で、まあこのプロジェクトはアジア各国の翻訳者をオンラインプラットフォームでつないで、
あるドイツ語圏の文学作品を訳していくという試みみたいなんですけど、
具的がちょっとあれなんですけど、多分ドイツの本をアジアに広めたいのかな。
これ結果的にですね、アジア6カ国、話は進んだんですけど、
この本に関してはヨーロッパ10カ国も変わって、計16カ国の言語で翻訳されたらしいですね、これ。
それに対して、このプロジェクトなんですけど、
みんなさんで一回顔を合わせ、ソウルで顔を合わせした後は、
オンラインプラットフォーム、なんかチャットとかでやり取りしてるのかな。
なんか、このユデッド・シャランスキーさんと質問というか交流しながら、
そのやり取りも全員にオープンになっていると。
作品に対する疑問点について聞いたことが、他の翻訳者の方にもオープンになったりとかして、
それで翻訳を進めていくっていう、なんか不思議な、でもある意味画期的な方法で訳された。
新鮮な感じがしましたね。
面白いですよね。
この細井直子さんに関して、他の方もあるのかな。
YouTubeに動画がアップしてるんで、概要欄にそのYouTubeのURLを載せていこうと思うので、
06:01
興味がある方は見ていただければと思います。
だから、ちょっと正直、こんなすごい訳され方をしてるのに、
あんまり有名じゃなかったっていうのが、ちょっと腑に落ちないですよね、私。
ポッと知られててもいいのに、みたいな。
この本、知ってる人に会ったことがないっていうか。
僕、偶然、寸読してる人は1人。
あ、マジですか。
出会ったことあって、すごい、本当に奇跡的な確率だなって思いましたね。
で、ちょっとこの本なんですけど、
まずはですね、小説ではないですね。
物語ってあるけど、物語っちゃ物語だけど、
なんかちょっとそこも、何ていうか、定義が難しい本ですよね。
でも、とにかく文章が美しいので、読んでいると何ていうか、すごいっていう気持ちに包まれる。
いいもの読んでるな、感はすごいあります。
そうですね。
12の創出の物語なので、もう既にないものですよね。
うんうん、そう、この世界には。
あらすじの説明であった、ツアー無き塔とか、カスピトラとか、グレッタガルボサッフォとか、
なんかすごい、これ何なんだろうっていうものが結構ね、紹介されてるんで、
あそこに文章の美しさとか、愛もあって。
で、これちょっと、実在してたかどうかさえね、ちょっと定かじゃないような感じはしてきますよね。
この失われているものたち。
ツアー無き塔とかはあったのか?
なんか調べたらあった感じはするけど、あ、実在するけど。
実在は、かつて知っていた。
ものなんでしょうね。
そうですね、本、そうですね、この読んでると、それが本当に存在していたのかっていうのが、結構、なんかちょっとフィクションがね、やっぱりちょっと入ってるんで。
それがでもいいんですけど。
そうですね。
この本、なんか幻想的なものはそんなにないかもしれないんですけど。
ああ、確かに。
ただそういう幻想的なものとか、好きな人もすごいハマるんじゃないかなと。
あと、やっぱり想定がすごく美しいってさっき話をしていて、なんかその、想定だけじゃなくて、
なんか本、12の章があるんですけど、なんか章の前のページに、なんか絵が挟まれていて、なんかこれも面白い仕掛けだなあと思うんですけど。
よく見ると、その絵に気づいて、こういうふうに描かれているんだっていう、なんかちょっとね、面白いし、それがすごいまた美しくて、見応えがありますよね。
これをどう説明していいかが、すごい難しいんで、もう見てもらってくださいっていうしかないんだけど。
もう実物見てほしいです。まあ、想定含めてそうですね。
いやでもこれ見てもらった方がいいな、きっとなあ。
ちょっと、そうですね、なんかなかなかね、こちらでは説明できない。
できないですよね。ちょっと見てください、というところで。
じゃあ、ちょっと具体的に行きましょうか。
この本なんですけど、12の物語とあった通り、12の章からなってます。
09:04
で、その前に始めにっていうところと、初言っていうのが挟まれてまして、その後に12章続くような形になってます。
今日は、基本的な最初の始めと初言と、あと12の内から3つぐらい、ちょっと選んでご紹介しようと思っております。
まず、喪失がテーマにはなってますね。
で、この12の章で描かれていることっていうのは、最初になぜそれが喪失したのかみたいな説明がされるんですね。
あの、なんか史実っぽい話がちょっと、事実かなっぽいのが挟まれて、
津波泣きと男だったら、島の場所を特定できなかった。島はすべての地図から抹消されていたとか、そんなことが挟まれて、これが喪失しまったことに関して少し話されて、
その後、それに対しての事実をベースにしているのかもしれないですけど、想像上の文章というのが展開されていく流れになってますね。
その展開されていく文章が、小説風だったり、エッセイ風だったり、なんかいろんな形をとってですね、喪失について語ろうとしています。
喪失というか、あれか、そのものがあったということを語ろうとしているのか。
まあ、読んでいると個人的にはなんですけど、この著者のですね、喪失してしまった、亡くなってしまった者たちに対しての、この無視できない気持ちみたいなのがすごく現れている本で、なかなか引き込まれる本だなと思いましたね。
なんかもう他に同じような本って本当ないですよね、これね。
あー、それがね、思いました。面白かったのは、後書きで役者の人が書いていたんですけど、作者のシャランスキーさんの中の2大テーマというのがあるみたいで、それが喪失と自然と、なんで喪失というのがこの大きなテーマとしてこだわっているのかっていうのをインタビューで答えていて、
何かが消滅して、で、新しい何かがまだ生まれてきていない、その合間の不安定な状態に興味があるっていうのを、このシャランスキーさんが持っていて、なんかその喪失を巡る物語なんですけども、決してその亡くなっていくだけではなくて、何か新しいものが生まれようとしているのかどうか、何とも不安定な、そこを書いているというのは、
また面白いなって思いました。
そうすると生まれてくるっていうことは、結構その表裏になっているっていう話はね、繰り返し続けますね。
本が他に同じようなものがなかなかないかなと思うんですけども、これも後書きで役者の人が文章と想定によって、これ本っていう媒体にはなるんですけど、本のバーチャルな空間で作り上げた脅威の部屋に例えているんです。
脅威の部屋っていうのが、ヨーロッパの方でブンダーカンマーっていう、何かそういう言葉があるみたいで、何かそれが一つの部屋の中にいっぱい、博物館みたいに宝物とか珍しいものが飾られている。
12:10
実際に15世紀から18世紀、ヨーロッパの貴族とか学者の間で流行した博物館のような一部屋っていうのをブンダーカンマーって呼ばれていたみたいなんですけど、何かそれを本でバーチャルな空間で作ってしまったんだっていう、そういう紹介していて、結構でも確かにと思いましたね。
日本では博物館とかになっちゃうんでしょうけど、西洋と日本で博物館の格が結構違うらしいんですよね。最近ちょっと全然違うところで学んだというか知ったんですけど。だからちょっと格が違うのかなと思います。ヨーロッパの博物館っていうのはもう網羅的に何か文化を治めようとする傾向が強いらしくて。
なるほどなるほど。
このブンダーカンマーと繋がるかどうかわからないですけど、だから日本って西洋美術館とか、カテゴリーでやろうとするけれども、特化させようとするけれども、ヨーロッパの博物館ってそこで全ての文化を集めようとするみたいな、大英博物館とかそうだと思うんですけど、そういう傾向があるってちょっと聞きました。
ヨーロッパの博物館って神羅万象を感じるというか、これ初めに読んで僕も思ったんですけど、書かれているの、本当にすごいたくさんの具体的な単語とかが出てくるんですけど、それが本当にすごいあらゆるものを網羅していて、結構宇宙を感じたんですね。
分かる。地球を俯瞰している感じがすごいあるよね。すごいですよね。この流れで始めりの話をしたいんですけど。
スケールの大きさ。始めりが。
ハーバード大学の実験室から、80年に及ぶ努力の末に予約生成に成功した金属水素の唯一のサンプルが消失したとか、なんかすごいいろんなものがなくなってしまったっていうことが書かれてて、次のページにまた行くと、本書が出版されている間に今度は発見されたことが、再発見されたものとかがあるんですよね。
ウォルトホイットマンのそれまで未発表だった小説と、ジャズサクソフォン奏者ジョン・コルトレーンの行方不明となっていたアルバム、ボスディレクションアッドワンスが姿現しとか、なんかバーっといろんなものが見つかったとか、生まれたとかかな、が書かれていて、発見か発見されたが書かれてて、最後すごくいいんですよね。
15:12
私たちの太陽から1400光年離れた、いわゆる生命移住可能圏内に一つの天体が見つかった。その平均温度がほぼ地球と同レベルにあるため、そこには水が存在する。もしくは、かつて存在した可能性があり、従って私たちが思い描くような生命もまた存在するかもしれない。
ここすごい感動しますよね。テンション上がるなと思って。繰り返しあるんですけど、失ってしまったものと、それからまた発見されたものっていうのはなんか表裏になっているみたいな感じで、やっぱりこの一番最初に初めにこの大秘をちゃんと見せてて、そこから入っていくのがすごくいいなと思いましたね。
そうですね。これ本当に面白いのが、今の大地さんの話、失われたものと発見されたものがちょっとマニアックすぎるじゃないですか。
大地 確かに。
ハーバード大学で実験していたもののサンプルが消失したとか、でもこれすごいのが、最初はじめに読むだけだとちょっとそういうマニアックすぎるので、ちょっと軽く扱ってしまいそうなものばっかりかなと思うんですけど、この本、読んでいくと、全部それぞれ物語があったんだっていう。
そうだよね。それを感じるよね。
大地 あとあとに響いてきますよね。
確かに。結構、初めにと。あとちょっとこの後話したいんですけど、初言っていうのがすごく重要でして、この後初言って話に行きたいんですけど、この初めにがあった後に、次初言っていうのが13、14ページぐらいのかな?続くんですけど。
14ページ。
これがですね、この本の目的とか、こういう意図があるみたいなのを説明いただいている部分ではあるんですけど、これがすごくいいですよね。
ちょっと具体的に寄りすぎちゃうところがあるんだけれども、そこから抽出されているのが結構、死の問題とか死についてとか、喪失とか、記憶することとか、そういうことが書かれていて、この本の目的っていうのが書かれてて、この初言の最後に出てくるんですけど、ちょっと読ませてもらうと、
全ての本と同じように、本書をまた何者かを生き延びさせたい。過ぎ去ったものを蘇らせ、忘れたものを呼び覚まし、言葉を無くしたものに語らせ、尚更にされたものを追悼したいという願いによって原動力を得ている。書くことで取り戻せるものは何もないが、全てを体験可能にすることはできる。
しかし、この本は、探すことと見つけること、失うことと得ることの双方を等しく取り上げ、存在と不在の違いは、記憶がある限り、もしかすると終焉的なものかもしれないということを予感させる。そして長年に及ぶ本書の執筆の間、僅かな貴重な瞬間、消滅は不可避であるという考えと、書棚で埃にまみれていくこの本のイメージが私の目の前に浮かんだ。それはどちらも慰めてあるように私は思われた。
18:05
この本の目的が最後にガツッと書いてあって、ここに至る流れが書現で全部書かれているんですけど、もう失ってしまったものというか、今あるものも失われてしまうはずなので、それを記録したいという思いですよね。それが強く出ている本なんで。
14ページぐらいあって、この作者の文章が濃厚で読むのに時間がかかるんですよね。
この書現読むのも短編1個読むぐらいのちょっと大変さというか、そういうのがあるかなと思うんですけど、やっぱり読み進めていくと、もうだんだん作者の言いたいことっていうのが入ってくるようになって、最後の方に行くと、すごいなんかこれはいいこと言ってるなというか、名文のオンパレードみたいな状態に。
たしかにこの書現だけでも結構語れてしまうところは、なんかね、この書現の中にもすごい好きな箇所が何個もあって、そこから例えばですけども、なんか23ページに書かれていたことなんですけども、今の時代のコンピューターとかですね、そういうデータとかを扱っている装置に比べて、なんかもっと昔の世代の人々って、なんかほとんど無意味なものをですね、
例えばインカの時代とか古代エジプトの時代に使われていた石とか、何かの結び目とか、そういうのって今の時代に比べると、本当に論理的にはそこに何か意味っていうのは明らかに少ないはずなんですけど、でもそのものから放たれるオーラっていうのは、
なんか明らかにその昔の時代のものの方がオーラを放っていると。なんかその辺の説明とか聞いてて、これも読んでいく流れで感じたことなんですけど、すごいなるほどなって思ったし、結構最後の方にこれ書かれている。
人ってやっぱり書くこととか読むことで祖先を尋ねて、それが従来の生物的な遺伝に対して、なんか第二の精神的な遺伝系統を対峙することができるっていうのが書かれていて、こういう本として物語を残す、そこってやっぱりその祖先を尋ねるっていう行為にもなってくると思うんですけど、
そうやって書くと、それを読むというのが、実はその精神的な遺伝にもなるっていうところの、こういう発想っていうのがすごいなんかロマン感じますし、っていう話の流れからの本がメディアとして、なんかね完璧なメディアであるというその説明がされているんですけども、ここもすごい良くてですね。
21:06
この本の目的、さっき大地さんが話していたところにつながっていくんですけども、これがですね、この作者はやっぱり結構若い人なんですよ。1980年生まれなんでまだ40歳くらいの人なんですけど、その人もやっぱり本こそあらゆるメディアの中で完璧なメディアと思っていると書いていて、後々の何世代の人間にも受け継がれる機会っていうのを与えてくれる。
そういう複製芸術っていう言い方をしてるんですけど、そういう複製芸術であって、で、そこでそれってどういうことかというと、なんか執筆されたり印刷されたり、なんかそういう過去の時間の痕跡というのが一緒に書き込まれているんで、なんかタイムカプセルになっていると。
で、このメディアですよね、その本っていうメディアっていうのは文章もそうですけど、その教えとか造本とかそういうのが完全に解き合って一体になった時に、本っていう身体の簡潔性というのが現れてくるんで、やっぱり他のメディアには成し得ないものっていうのを、なんかそれを世界に与えてくれると。
で、しかも本っていうのは時には世界の代わりにさえなってくれるものであると。宗教とか、死とか、逆に不死とか、体と魂っていう部分の関連的な分割っていうのが書かれてるんですけど、だからね、それつまり喪失ということなんですけど、喪失を乗り越えるために、最も慰めになる方策の一つじゃないんだろうかと。
そういう本のその可能性というのがあるから、この作者の人は書き手だけじゃなくて、実際造本っていう本作り全般だと思うんですけど、一冊の本丸々作ってしまうというところまでやりたいなって考えて、この説明がめっちゃすごい良い文章で書かれていて、それはすごいもう名文に思えましたね。
ここは私もだいぶ感動しましたね。なんか本好きな人には響くと思いますね。
そうですよね。
本こそがあらゆるメディアの中で最も完璧なメディア。
そうですね。
で、文章、冊絵、造本が完全に時には一体となった簡潔性があるからということなんですけど、これが例えば膨大な量の情報を提供する新しいメディアで、ウェブとかインターネットとかに比べて、もちろん多くの点で劣るけれども、こういう新体制はデータにはないよねっていうところで、本が好きなものからすると励まされる。
そうそう。
文章ですごくいいなって思いましたね。
そうですね。この書原読んだら、もう結構それで満足ですよね。
うん。なので最初の25ページ、初めにから書原まで読んでれば、もういいと思います。
うん。なんかもうそれだけで一冊の本読み切ったぐらいのなんか。
気持ちになる。
気持ちになりました。実はここから本編が始まっていくんですよ。
そうですね。
じゃあ、具体的にいきますか。
24:02
じゃあ、えっとですね。今回はこの12章の中から3つ選びたいんですけど、それがトラの話なんですけど、カスピトラ。トラがいたらしいんですけど、カスピトラの話と、本米家家の城。これはドイツですよね。
ドイツですね。
村にあった城の話と、あとキナウの月面図っていう、これは19世紀か、植物学者であったキナウさんが描いたとされる月面図ことをちょっと3つ取り上げたいと思いますので、いきます。
じゃあ、カスピトラからいきますか。
こちらですね。
これトラですね。
絶滅してしまったトラなんですけれども、まずカスピトラっていうのは学名パンテラディグリスビルガーダ、別名ペルシャトラ。
ちょっといろいろ他にも名前があるみたいなんですけど、ペルシャトラ。
絶滅してしまった原因は乱獲、生活圏の消失、主要な獲物の減少が原因とされています。
で、今はもういないカスピトラなんですけど。
これがですね、まずちょっと城の構成の話でもさせてもらったんですけど、最初カスピトラの説明が入るんですね。
こういうとこに住んでいて、最終的にさっき言ったようないろんなことが原因で絶滅してしまって、記録の中では1954年に射殺されたとか、最後のなんとかどこどこで目撃された、調査をしたが発見はできなかったという説明があった後に、
急に文章が始まるんですけど、
夕方、彼らは恐怖で落ち着きがなかった。もう何日も肉を食べていない。捕らえられてから狩りもしていない。
捕らわれの状態で本能を切り詰められ、まるで肉をむしり取られた骨のように目立ちの神経で寝そべっている。
猫の目には炎が燃えている。松明の照り返しだ。
それが見回りの度に棒と棒の隙間から覗いて暗闇に耳を澄ます番人に、彼らの爪にがまだ生きているかどうかを知らせた。
という感じで急に始まるんですけど、
このカスピトラが捕まってて、時代はローマですね。古代ローマですね。
で、わりかしここから、この虎の視点というか、3人称なんですけど、虎の視点みたいな感じで話が進んでいき、古代ローマのコロッセオですよね。
闘技場?
闘技場か。闘技場という表現をされているのか。
コロッセオ闘技場で、ライオンと戦わせられるんですよ。
牢屋に閉じ込められてから、その牢屋から出てくる、この真っ暗なところから闘技場に出されていきみたいなところが描かれて、
ライオンと激しく戦いですけど、最後はライオンには勝つんだけども人間に殺されるっていうね。
メインプログラムのグラディエーターの余興だったと、グラディエーター試合の余興だったということが最後は課されるんですけど。
これ、何を伝えたいかというと、この虎がこういうふうに実在したよっていう話をかなり細かく描写しておりまして、
27:00
それでこちら側に訴えかけてくる感じが。
もちろん虎の話だけじゃなくて、古代ローマの、その当時の話というか、ローマについても書かれてるんですけど、
なんというかそういう意味では、これもやっぱり全然軽くないんですよね。
まあすごい読み応えはあるんですけども。
結構最後の方でやっぱり虎とライオンの戦いって、実はそのグラディエーターの試合の余興だったっていう虚しさみたいなところは、
虎とライオンもそうですけど、コロッセオで観戦していたのがグラディウス邸という一番偉い人なんですけど、
その人もやっぱり背景ですよね。
なんかすごい権力者ですけども、権力者の歴史の中では本当に生まれ損ないというふうに書いてあるんですけど、
恵まれているわけではないというか、不幸な部分もあるというか、そういったところも交えて書かれていて、
そこの最後のグラディウス邸にまつわる話とかがすごい好きだったんですけど。
あーなるほど。虎とそこが、ライオンとも重なるのか。
実際これ、虎の視点から描かれているんですけど、そのローマをその当時、
これ別になんていうかね、ローマのことすごい書かれてるんですけど、
多分想像されていらっしゃる部分も多いから相当これを書くようになって積み上げているものがあると思うんですけど、
私印象に残ったのは、このローマのこの時の時代の空気を描いてて、
その闘技場のことですね。彼らは処刑と署を掛け合わせたのだった。
繊細な神経を持つ野蛮な群衆、巨大なものを帯びたたしいかつ恐ろしいもの。
彼らは想像し得るありとあらゆるものに慣れていった。あらゆる限界は、ただ踏み越えられるためだけにある。
彼らの愉悦には嫌悪が混じり、嫌悪の中には愉悦が混じっていた。
それは一重に好奇心が生む愉悦。思いついたことすべて実行に移したいという衝動だった。
というのも、自分には選択の自由があると自慢する者たちもまた、単に衝動に従っているだけであって、
ただ楽しみのためだけに石を投げてカエルを殺す子供と変わらないからだ。
結構この闘技場の空気ってすごかったんだろうなって思いながら、
そのことに対してちょっと客観的に書かれている文章とかがあって、
思いついたことすべて実行に移したいという衝動ってわかるなと思って。
人間ってそうなる時あるよねって思ったりもしまして。
結構そのあたりがちゃんと描かれているから、
虎が存在したってことを描こうとしているけれども、
それに対して積み上げているものがすごくて面白いですよね、この辺ね。
しかも対戦相手のライオンについてもしっかり細かく書いていて、
このライオンもバーバリーライオンっていって、
カスピルトラと同じく絶滅している種類のライオンで、
当時に賑わせていたものっていうのが今になるとどれもないっていうのがまた、
これもすごい話やなってちょっと思ったりしましたね。
30:11
フォンベイア家の城っていうものになるんですけど、
これはドイツにあるのかな、フォンベイアという一族がいて、
そこの人が田舎の地方ですね。
そこでその土地に大農場を所有していて、
その大農場の中に領事館を建てたんですけど、
その領事館っていうのが城というふうに言われて、フォンベイアの城と。
ただここも1945年に焼けてしまって復旧されることなくて、
今も残骸が残っているという状態なんですけど、
大農場だったところが今景観公園になっていて、
その一帯が文化財として保護されていると。
そこにちょっとまつわる物語になっていて。
それが事実というかあれですね、ベースですね。
最初にそういうベースの説明があって、
このフォンベイア家の城の面白いのが、
作者のシャランスキーさんが子供の頃ですね、
4歳の時の記憶なんですけども、
実際にそのフォンベイアの城のすぐ近くに、
夏の間かな、短い期間過ごしていて、
そこの時の思い出というか、
作者の人の一人称の視点で書かれていて、
ちょっと短編小説っぽいようなストーリー性のある話になっていて、
結構そういう意味ではこの章に関しては、
もちろんフォンベイアの城の話も最初はあるんですけども、
そこから先は結構この作者の人の人生というのかな、
記憶の話になっていて、
シャランスキーさんも家族構成がちょっと複雑なのかな、
お父さんが生まれた時と育っていった、
子供の時に自分を育ててくれたお父さんというのはちょっと違っていたりとかで、
自分が誰の子供なのかというのを考えたりしていたという、
そういう悩みかどうかはちょっとわからないですけどね、
そういうのを結構思っていて、
そことかつて貴族の、
唯一正しい貴族のお城だったフォンベイアとの、
そこが交互に混じるように語られていたりして、
何が正しいかわからないような感覚になるような。
ここだけちょっと違いますよね。
他もいろんな形式を取っているけど、
ここだけこの著者の記憶と経験というか、
人生と絡めた内容になっていて、
妙に生々しくなりますよね。
多分これはこの12章の中で一番読みやすい話かなと思いますね。
確かにそりゃそうだ。
半岸さんの全ての白いものたちに通じる感じが私は読んでて。
33:04
僕結構これ共感というか、
作者の人と重なった部分があって、
作者の人が4歳の時の記憶なんですけど、
人がいつかは死ぬことっていうのを作者の人が知って、
それですごいショックを受けて、
耳を塞いで玄関へ飛び出していくっていう描写があるんですけども、
思い返してみると、僕も保育園に行った時に、
人は必ず死ぬっていうのを教えられたか知ってかで、
それでショックを受けてずっと泣いてた記憶っていうのがあるんですね。
こういうのって原体験なのかなと。
作者の人がやっぱすごいのが、
フォンベイアの城がある一帯のところの建物に入って、
建物の窓から下の方にジャンプするっていうのがあって、
すごいやんちゃなことをやってたんですけど、
2階の窓からジャンプしていて、
確か足をくじいたのかな。
ごっせつはしなかったけど。
ごっせつはしなかったので、なんとか助かったみたいなんですけど、
やっぱり人が死ぬってことを知って、
家族のことを考えたりとか、
多分いろんな幼いながらいろいろ考えることがたくさんあった人なのかなと思うんですけど、
2階の窓からジャンプして、
結構下がクソとか生えてて、
ちょっとふさふさしているようなところで、
どうなるのかなっていう、
そういう好奇心というか、子供ながらの。
この辺はでもやっぱり僕とはちょっと違うなと思ったりしましたよね。
じゃあ最後、きなうの月面図についてのお話です。
これ、この本でも一番最後に位置付けられている最古の章で描かれていることですね。
きなうという方がいらっしゃったそうで、
この方が19世紀の方みたいなんですけど、
人生の30年以上を月理学研究に捧げたと。
月の地形を描いた彼のスケッチは、
当時の月理学の分野で特にその精密さのため評価されていたっていう方がいらっしゃったんですけれども、
でもこの方っていうのは第二次世界大戦中に消失してしまったらしいですね。
いろんな資料が、月面図が。
で、きなうさん自体がいろんな植物学者、月理学者、いろんな顔を持っていたみたいなんですが、
発表された論文を探そうとしても植物学者としての存在は突き止められず、
手がかりもないという状況なんですけれども、
存在したらしいけれども、突き止められないっていう感じみたいですね。
ということが最初描かれていて、
これは物語というか、この事実の後に繋がる彼が存在したという記述はですね、きなうの一人称で語られますね。
で、きなうは植物学者であったけれども、夜のような月を見ていたときに月に見入られていき、
ひたすら月をスケッチするというご勉強で除いて、
36:00
どこだっけな、面白かったのは植物を研究するときは植物を拡大とか観察とかするけれども、
月も月で観察するときは拡大するというところが結構似てて、面白いなと思ったりしましたね。
話が結構、このきなうさんの人生の話にもなってくるんですけれども、
妻と別れてみたいな月の研究に没頭していくんですよね。
選別と保管に気を配ることが一部の選ばれた者たちの義務とされた。
あとあって、私たちの世界の呼び声から逃れられなかった一握りの卓越した記憶術者たちもこれに含まれたが、
やがて同じぐらい卓越した忘却術者たちが彼らにとって変わった。
この記憶術と忘却術みたいのが出てきて、忘れることと記憶することの重要性みたいな話が。
これ諸言にもちょっとあったんですよね。
なんかちょっとここの諸言と重なってくる。最後の章だから、そういうループがループというか同じことを言っているのかなとか思ったりもして。
結局このきなうさんは月に全てを捧げ、この最後月を理解するとは自分自身を理解することを意味する境地に達していくんですけど。
きなうさんは19世紀なんで、今の時代とはやっぱりその仕事の自由度とか全然違うと思うんですけど、
月というか月の夜ですね。夜にあらゆるものを捧げていくと思う。
研究というか観察というか思考というか、それは単に月とは何かというのを突き止めていくだけじゃなくて、
きなうさんの自分の悩みというか苦悩というか、そういうのを一緒に月に向かって月と対話をするような感じで描かれています。
人生の小説なんでそういうふうに描かれているんですけど、これが実在していたら本当すごいなと思いますし、
フィクションだったらフィクションってまたすごいんですけど、これが本当に実在したかもしれないと思うと、やっぱり世の中にちょっとロマンを感じるというかですね。
そういう意味ではこのきなうさんにとって月って一体何だったんだろうっていう、ちょっとこれを読んでいて僕が思ったことなんですけど、
本当にきなうさんにとっては世界の全てだったかもしれないんですけど、もしかすると現実世界から遠く離れたところに連れて行ってくれるような、
そういう願望の表れだったかもしれないなとかですね。このきなうさんという人のやっぱり気持ちに寄り添ってしまって読んでしまうような。
これ最後の方に描かれてるんですけど、月を見ると失われた完全性、誕生の途方のないトラウマばかりを想起してしまう人間であったってきなうさんは自分のことを言ってるんですけど、
これは結構もしかしてこの本に根底に通じるとこかなと思って、月ではないんだけど何かを見たときに失われてしまったことを思い出すというか、
何もないトラウマばかりを想起してしまうっていう、結構これがこの本のことを結構最後の章だからいろいろ言ってるなとは思ったところですね。
39:06
これでもう本当この章で終わるんですけど、この本は。
さっきこの本が、この本もやっぱり喪失されたものとその後に発見されたものっていうところでは、すごいきなうさんの人生って本人からすると果たして幸せだったのかっていうところで言うと、結構失うものの多い人生だったかなと思うんですけど、
そうですね。
それだけでもちょっとシリアスに人生送っていたから、本当に植物もそうだし、月とかそこに対してすごい引き込まれていったと思うんですけど、
それによってきなうさんのこの月理学の研究の分野では、すごい他の人に比べて精密なもの、研究ができたというか、そこが評価されていたみたいなんですけど、
何かそういう意味で見出せた部分っていうのもあったのかなと。
きなうの月面図はすごい印象に残ったんですよね。
なんとなくこの本を最後集約してくれてるような感じもあったんで、ちょっとうまく伝えられなかったなと今思ってるんですけど、
まあちょっとこんなところにしておきますか。
じゃあこんなところにして、最後いつも通り感想とどの人に読んでもらいたいか話して終わりたいと思います。
じゃあ私の方から。
とにかく他では味わえない読書体験っていうのは味わえると思うので、ぜひ読んでいただきたいなと思っています。
繰り返しになりますけど、8ミリット書原だけでもいいので読んでいただき、あと本の絵とかで本屋さんで確認していただけたらなと思います。
今日やっぱり話し取り私も全然100%理解できてないなと思いまして、今回紹介する書だけ、私去年1回読んでて書だけ読み返したんですけど、
1度目に読んだ時よりもかなりスッと入ってきたので、これきっと2度3度読むことで自分の中で理解度とか見え方とか感じることがすごく変わってくる本なんだろうなと思いました。
テーマにしてるのは喪失がメインテーマで、そこに死とか記憶とか忘却とかそういうのがちょっと絡んではくるんですけれども、
どうしても喪失っていうものは人を惹きつけるものだなと思っていて、なんでこんなに惹きつけられてしまうんだろうなと。
今回改めて感じたところですね。
亡くなってしまったことに思いをはせることって、どうしても止められない人の坂だなと思いながら読みました。
内容ともですね、文章内容もですね、めちゃくちゃすごい本だなと思うので、ぜひ読んでいただけたらなと思います。
僕はこんなに全てが美しい本というのがあったというので、ちょっと驚きました。
やっぱり他にはなかなか知らなかったジャンルというか、本であったなと思っておりまして、文章がすごい濃密で、
42:00
なんかね、ちょっと難しいことも書かれていると思っていて、なかなか読むのが大変なのと、
それでもね、理解するってすごい分からないところもすごくあったので、
消化するのが本当にまだできてないなというところがたくさんあるんですけど、
それでもかつて存在していた、喪失されたものというのが頭の中でイメージされた時とかって、
すごく豊かな経験になったなと思っていて、本当にこの12の物語が展開されているんですけど、
どれも好奇心を作ってくれますし、何よりロマンがあるなというのはやっぱりすごく思いました。
そういったところで本当に想像力を掻き立ててくれるのと、
あと必ず知的好奇心を満たしてくれると思うので、
そういうのを興味を持たれた方にはすごい響いてくる一冊かなと思います。
いや、やっぱりなんか話しにくかったですね、やっぱり。
そうですね、説明するのは難しいですね。
もうちょっと私の能力の限界を。
デボラ・ホーゲルのアカシア花咲く、難しいと思ったけど、これの方が見かけて難しく思う。
断片だけでも見られたらなと、魅力の一端に見られたらなと思います。
じゃあ次回を告知して終わりましょうか。
次回はですね、また日本翻訳大賞最終選考大賞作品の
マーサウェルスのマーダーボットダイアリーをご紹介します。
これちょっと同SFで同エンタメなんで、楽しみにしていただけたらなと思います。
同じ日に収録してるんですけど、結構音と感が出て、違ってる可能性があります。
そうですね、だいぶ当たると思います。
番組の完成やリクエスト、またこのラジオを聞いて紹介された本を読みました。
読み返しましたなどございましたら、ハッシュタグ空飛びの子たちをつけて教えていただけると嬉しいです。
TwitterやインスタのDMやリプライなどでお待ちしております。
メールアドレスも番組情報欄に載せておりますので、積極的に拡大共有してあげると助かります。
では来週またよろしくお願いします。
ありがとうございました。
44:19

コメント

スクロール