どうもみなさん、こんにちは。文学ラジオ空飛び猫たちです。
この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、
文学と猫が好きな二人がゆるーくトークするラジオ番組です。
お相手は、私小説が好きの可愛いのダイチと、
羊を巡るカフェのミエと二人でお送りします。
文学のプロではない二人ですが、東京と京都をつないで、お互いに好きな作品をそれぞれの視点で紹介していく番組です。
お互いの紹介に関しては、2021年最初の回で話しているので、そちらを聞きください。
本編に入る前にですね、1点お知らせがあるので話してください。
これが配信が5月3日だと思うんですけれども、来月6月でですね、我々のこのラジオが1周年を迎えます。
はやいもんですよね。
はやいっすね。
いやーちょっと、この辺の感情とか、考え深さみたいなのは、後日どこかで話すとして、
ちょっとやりたい企画があるので、ご紹介だけした。
これまで紹介してきた本の中から一冊、ないしは何冊かわからないですけど、一冊選んで、課題本読書会をオンラインでやりたいなと思っております。
この課題本に関しては、リスナー投票で決めようと思ってますので、
詳細はまだ決まってないんですけど、後日集計方法等も含めて発表しようと思ってますので、よろしくお願いします。
リスナー投票で決めるので、票数が多いもので読書会すると思うんですけども、
せっかくなんで、この本で読書会したいなって思うものを素直に投票していただけると非常に嬉しいなと思います。
課題本読書会で投票いただいたものは全部取り上げたいくらいではあるんですけど、
どういった本が投票来るのか、それが知れるっていうのがすごくとしては参考になるので、
本当に思ったものを投票していただけると嬉しいというところです。
じゃあ本編いきますね。
今日はですね、失われたいくつかのものの目録という本を取り上げたいと思います。
これはドイツの本ですね。
日本翻訳大賞最終選考作品、5作品の中から今ちょっとご紹介を連続でしてるんですけれども、
5作品のうちの3作目になります。
日本翻訳大賞に関してはですね、5月18日に発表予定になっているので、大賞が発表予定になっています。
今日なんですけど、めちゃくちゃ表紙が綺麗なドイツのですね、
ブックデザイナーの方が書かれた本で、表紙が本当にすごく綺麗なんで、
あの皆さんも書店で見ていただきたいんですけれども、
手に取ってすごいなーって思ってもらえればなーと思うような一冊ですよね。
表紙が目に入るとちょっと気になりますよね。
なるなる、これは何回か言ってるけど、これジャケ買いした本ですからね。
そうですよね。
ジャケ買いするわーって思ってくれると思います。
ジャケ買いした本が日本翻訳大賞の最終候補に残るっていうのもまたすごい話です。
中身もすごかったんですよね。
この本が最も美しいドイツの本っていうのも選ばれたことがあるみたいで。
何年に書いてありましたね?
18年か?
18年ですね。
あ、19年だな。
18年に発表されて翌年の最も美しいドイツのベスト5に選ばれたって。
こういう美しい本を選ぶんですね、ドイツはね。
すごい。
そうなんですよね、それなんか毎年。
あるんだ。
具体的な書面いきましょうか。
はい、では今回紹介するのは、ユディット・シャランスキーの失われたいくつかのものの目録になります。
細井直子さん、略で川出処方針社から2020年3月に出版されています。
じゃあ私の方からあらすじをお伝えします。
海に沈んだツアナキ島、絶滅宗、カスピトラ、不死身の一角獣、年老いたグレダ・ガルッポ、サッフォーの恋愛家、マニ教の七つの聖典、
キナウの月面図、自然・歴史・文学の魅力を詰め込んだ、創出をめぐる十二の物語。
最も美しいドイツの本に選ばれた、脅威の部屋、ブンダーカマー、ビルヘルム・ラーベ賞を受賞とあります。
が、まあもうこのあらすじ聞いてもなんでもないかっていう感じだと思うんで。
まあ重要なのは創出をめぐる十二の物語だっていうことぐらいですかね。
まあそうですよね。
という感じなんですけど、まあちょっとこれから本の内容とかも触れながら話はしていきたいと思います。
補足的な話になるんですけれども、この本はですね、ドイツが主催している翻訳プロジェクトみたいのがあって、
あ、そうですね。
名前がですね、ゲイテ・インスティトゥートっていう、何だろう、財団なのかな。
まあちょっと団体がですね、やってるソーシャルトランスレーティングプロジェクトというのの対象作品だったそうなんですね。
これなんか毎年やってるのかちょっとわかんないですけど、
で、まあこのプロジェクトはアジア各国の翻訳者をオンラインプラットフォームでつないで、
あるドイツ語圏の文学作品を訳していくという試みみたいなんですけど、
具的がちょっとあれなんですけど、多分ドイツの本をアジアに広めたいのかな。
これ結果的にですね、アジア6カ国、話は進んだんですけど、
この本に関してはヨーロッパ10カ国も変わって、計16カ国の言語で翻訳されたらしいですね、これ。
それに対して、このプロジェクトなんですけど、
みんなさんで一回顔を合わせ、ソウルで顔を合わせした後は、
オンラインプラットフォーム、なんかチャットとかでやり取りしてるのかな。
なんか、このユデッド・シャランスキーさんと質問というか交流しながら、
そのやり取りも全員にオープンになっていると。
作品に対する疑問点について聞いたことが、他の翻訳者の方にもオープンになったりとかして、
それで翻訳を進めていくっていう、なんか不思議な、でもある意味画期的な方法で訳された。
新鮮な感じがしましたね。
面白いですよね。
この細井直子さんに関して、他の方もあるのかな。
YouTubeに動画がアップしてるんで、概要欄にそのYouTubeのURLを載せていこうと思うので、
興味がある方は見ていただければと思います。
だから、ちょっと正直、こんなすごい訳され方をしてるのに、
あんまり有名じゃなかったっていうのが、ちょっと腑に落ちないですよね、私。
ポッと知られててもいいのに、みたいな。
この本、知ってる人に会ったことがないっていうか。
僕、偶然、寸読してる人は1人。
あ、マジですか。
出会ったことあって、すごい、本当に奇跡的な確率だなって思いましたね。
で、ちょっとこの本なんですけど、
まずはですね、小説ではないですね。
物語ってあるけど、物語っちゃ物語だけど、
なんかちょっとそこも、何ていうか、定義が難しい本ですよね。
でも、とにかく文章が美しいので、読んでいると何ていうか、すごいっていう気持ちに包まれる。
いいもの読んでるな、感はすごいあります。
そうですね。
12の創出の物語なので、もう既にないものですよね。
うんうん、そう、この世界には。
あらすじの説明であった、ツアー無き塔とか、カスピトラとか、グレッタガルボサッフォとか、
なんかすごい、これ何なんだろうっていうものが結構ね、紹介されてるんで、
あそこに文章の美しさとか、愛もあって。
で、これちょっと、実在してたかどうかさえね、ちょっと定かじゃないような感じはしてきますよね。
この失われているものたち。
ツアー無き塔とかはあったのか?
なんか調べたらあった感じはするけど、あ、実在するけど。
実在は、かつて知っていた。
ものなんでしょうね。
そうですね、本、そうですね、この読んでると、それが本当に存在していたのかっていうのが、結構、なんかちょっとフィクションがね、やっぱりちょっと入ってるんで。
それがでもいいんですけど。
そうですね。
この本、なんか幻想的なものはそんなにないかもしれないんですけど。
ああ、確かに。
ただそういう幻想的なものとか、好きな人もすごいハマるんじゃないかなと。
あと、やっぱり想定がすごく美しいってさっき話をしていて、なんかその、想定だけじゃなくて、
なんか本、12の章があるんですけど、なんか章の前のページに、なんか絵が挟まれていて、なんかこれも面白い仕掛けだなあと思うんですけど。
よく見ると、その絵に気づいて、こういうふうに描かれているんだっていう、なんかちょっとね、面白いし、それがすごいまた美しくて、見応えがありますよね。
これをどう説明していいかが、すごい難しいんで、もう見てもらってくださいっていうしかないんだけど。
もう実物見てほしいです。まあ、想定含めてそうですね。
いやでもこれ見てもらった方がいいな、きっとなあ。
ちょっと、そうですね、なんかなかなかね、こちらでは説明できない。
できないですよね。ちょっと見てください、というところで。
じゃあ、ちょっと具体的に行きましょうか。
この本なんですけど、12の物語とあった通り、12の章からなってます。
それでこちら側に訴えかけてくる感じが。
もちろん虎の話だけじゃなくて、古代ローマの、その当時の話というか、ローマについても書かれてるんですけど、
なんというかそういう意味では、これもやっぱり全然軽くないんですよね。
まあすごい読み応えはあるんですけども。
結構最後の方でやっぱり虎とライオンの戦いって、実はそのグラディエーターの試合の余興だったっていう虚しさみたいなところは、
虎とライオンもそうですけど、コロッセオで観戦していたのがグラディウス邸という一番偉い人なんですけど、
その人もやっぱり背景ですよね。
なんかすごい権力者ですけども、権力者の歴史の中では本当に生まれ損ないというふうに書いてあるんですけど、
恵まれているわけではないというか、不幸な部分もあるというか、そういったところも交えて書かれていて、
そこの最後のグラディウス邸にまつわる話とかがすごい好きだったんですけど。
あーなるほど。虎とそこが、ライオンとも重なるのか。
実際これ、虎の視点から描かれているんですけど、そのローマをその当時、
これ別になんていうかね、ローマのことすごい書かれてるんですけど、
多分想像されていらっしゃる部分も多いから相当これを書くようになって積み上げているものがあると思うんですけど、
私印象に残ったのは、このローマのこの時の時代の空気を描いてて、
その闘技場のことですね。彼らは処刑と署を掛け合わせたのだった。
繊細な神経を持つ野蛮な群衆、巨大なものを帯びたたしいかつ恐ろしいもの。
彼らは想像し得るありとあらゆるものに慣れていった。あらゆる限界は、ただ踏み越えられるためだけにある。
彼らの愉悦には嫌悪が混じり、嫌悪の中には愉悦が混じっていた。
それは一重に好奇心が生む愉悦。思いついたことすべて実行に移したいという衝動だった。
というのも、自分には選択の自由があると自慢する者たちもまた、単に衝動に従っているだけであって、
ただ楽しみのためだけに石を投げてカエルを殺す子供と変わらないからだ。
結構この闘技場の空気ってすごかったんだろうなって思いながら、
そのことに対してちょっと客観的に書かれている文章とかがあって、
思いついたことすべて実行に移したいという衝動ってわかるなと思って。
人間ってそうなる時あるよねって思ったりもしまして。
結構そのあたりがちゃんと描かれているから、
虎が存在したってことを描こうとしているけれども、
それに対して積み上げているものがすごくて面白いですよね、この辺ね。
しかも対戦相手のライオンについてもしっかり細かく書いていて、
このライオンもバーバリーライオンっていって、
カスピルトラと同じく絶滅している種類のライオンで、
当時に賑わせていたものっていうのが今になるとどれもないっていうのがまた、
これもすごい話やなってちょっと思ったりしましたね。
どこだっけな、面白かったのは植物を研究するときは植物を拡大とか観察とかするけれども、
月も月で観察するときは拡大するというところが結構似てて、面白いなと思ったりしましたね。
話が結構、このきなうさんの人生の話にもなってくるんですけれども、
妻と別れてみたいな月の研究に没頭していくんですよね。
選別と保管に気を配ることが一部の選ばれた者たちの義務とされた。
あとあって、私たちの世界の呼び声から逃れられなかった一握りの卓越した記憶術者たちもこれに含まれたが、
やがて同じぐらい卓越した忘却術者たちが彼らにとって変わった。
この記憶術と忘却術みたいのが出てきて、忘れることと記憶することの重要性みたいな話が。
これ諸言にもちょっとあったんですよね。
なんかちょっとここの諸言と重なってくる。最後の章だから、そういうループがループというか同じことを言っているのかなとか思ったりもして。
結局このきなうさんは月に全てを捧げ、この最後月を理解するとは自分自身を理解することを意味する境地に達していくんですけど。
きなうさんは19世紀なんで、今の時代とはやっぱりその仕事の自由度とか全然違うと思うんですけど、
月というか月の夜ですね。夜にあらゆるものを捧げていくと思う。
研究というか観察というか思考というか、それは単に月とは何かというのを突き止めていくだけじゃなくて、
きなうさんの自分の悩みというか苦悩というか、そういうのを一緒に月に向かって月と対話をするような感じで描かれています。
人生の小説なんでそういうふうに描かれているんですけど、これが実在していたら本当すごいなと思いますし、
フィクションだったらフィクションってまたすごいんですけど、これが本当に実在したかもしれないと思うと、やっぱり世の中にちょっとロマンを感じるというかですね。
そういう意味ではこのきなうさんにとって月って一体何だったんだろうっていう、ちょっとこれを読んでいて僕が思ったことなんですけど、
本当にきなうさんにとっては世界の全てだったかもしれないんですけど、もしかすると現実世界から遠く離れたところに連れて行ってくれるような、
そういう願望の表れだったかもしれないなとかですね。このきなうさんという人のやっぱり気持ちに寄り添ってしまって読んでしまうような。
これ最後の方に描かれてるんですけど、月を見ると失われた完全性、誕生の途方のないトラウマばかりを想起してしまう人間であったってきなうさんは自分のことを言ってるんですけど、
これは結構もしかしてこの本に根底に通じるとこかなと思って、月ではないんだけど何かを見たときに失われてしまったことを思い出すというか、
何もないトラウマばかりを想起してしまうっていう、結構これがこの本のことを結構最後の章だからいろいろ言ってるなとは思ったところですね。