今回のテーマ、ちょっと大きなテーマとしてはですね、枇谷さんが北欧言語の翻訳家でいろいろ活動されていたりするので、ちょっとそのあたりのことを今日は聞いていきたいと思っています。
お願いします。
お願いします。
結婚独ですね、三人で紹介させていただいて、かなり自分の中でもまた立ち位置が変わってきた作品で、面白い一冊なので、ぜひ皆さんも読んでもらいたいなと思っています。
ここでちょっと告知しちゃうと、9月の28日にですね、結婚独の読書会を枇谷さんも交えてやる予定ですので、ぜひそちらもチェックしていただけるとありがたいです。
よろしくお願いします。
はい、ということでですね、枇谷さんが北欧言語の翻訳家をされていると、結婚独はスウェーデン語の翻訳になるんですけども、なかなかですね、北欧言語の翻訳をされている方のお話を聞ける機会っていうのはですね、ないんじゃないかと。
非常に貴重な機会だなと思っていまして、ちょっといろいろ、そもそもどうしてその翻訳家になられたのというところから、今現在されている活動までですね、聞きできたらなと思っています。
早速ですけども、そもそもですけども、北欧言語の翻訳家になられたですね、このきっかけといいますか、そういったものっていうのはどういったのがあったんでしょうか。
はい、今日はよろしくお願いします。
枇谷と申します。
お願いします。
はい、北欧語の翻訳家になりたいと思ったのは、もともと学生の時から英語が好きだったんですけれども、中学生の時にスピーチポンテストとかに参加したりとか、
あとは高校生の時とかも、長文読解とか、受験の時にいろいろ読んで、いろいろな価値観、日本語ではあんまりストレートに語られてこなかったことが、英語、外国語だとかなりストレートに議論されてるなっていうのが、その長文読解とかを読んで感じて、
別の言語っていうのにそれで興味を、学校の勉強の中で興味を最初に持ちました。ただ、なんか自分が知りたいとか伝えたいのが、必ずしも英語圏の文化とは限らないんじゃないのかなっていうのを思って、なんか世界には英語以外にも様々な言語があり、様々な国があるっていうのを思って、
高校生の時に図書館に行って、どういう国があるのか、国の文化、いろんな国の文化とか、言語について書かれている本とかをいろいろ読むようになって、その中で、デンマークっていう国がまずあるっていうことを、そのいろんな国の中の一つとして知ったんですけれども、
その後、児童書でマリアからの手紙っていう、特魔書店から出ている、グレーテリー・セホルムというデンマーク人の女性作家が書いている、イサヤマ・マナミさんという方が訳している作品は、ヤングアダルト作品なんですけれども、それを読んで、こういうデンマークっていう全然知らなかった国があるんだなっていうので、興味を持ちました。
で、なんでかというと、マリアからの手紙っていうのは、心臓病を患っている女の子が主人公なんですけれども、その子はあんまり自分の思っていること、意見とかを親にあんまり言えない子だったんです。
いわゆる優等生的な感じの子だったんですけれども、それで転校生の、その子は田舎に住んでるんですけど、コペンハーゲンから引っ越してきた、転校生の男の子がいて、
首都から引っ越して、東京みたいなもので引っ越してきた男の子がいて、その子はすごくストレートな性格の子で、その子との出会いによって自分の思いを両親にもっと伝えようと変わっていくっていう物語なんですけれども、その中で中学生で学校舞台にしていて、
そこで学校の先生が当時、移民をデンマークに入れることに反対している人たちが、反対する意見もあったんですね。
そったけれども、その子が通っている学校の先生っていうのは、移民の受け入れっていうのを反対はしていなかったし、移民だからといってその人たちが犯罪を犯すとか、そういう偏見っていうのを、偏見を持つことに対してすごく批判的な意見を持っている先生だったんですね。
その先生は学校の授業の中で、移民政策について子どもたちに意見交換をするように授業の中で、その政治について話をするように子どもたちに認同を求めたんですね。そして自分自身の政治的な立ち位置、見解も授業の中で述べた。
するとその時に、そのことを知った保護者たちが、先生は自分の政治的な心情を授業の中で子どもたちに向かって説いて聞かせているっていうのはどうなんだとか、その政治的な忠実性を保ってないんじゃないかっていうので、特に移民問題に関して反対意見を持って、移民に関して反対意見を持っている保護者が中心で、その先生が退職に追い込まれてしまうんですね。
それで、その女の子はそれはおかしいんじゃないかって思って、お母さんたちもどっちかというと先生の政治的なことを授業の中で話すっていうのはちょっとおかしいんじゃないかって意見にどっちかとか同調していた親で、それに対して初めてその子は自分はお母さんたちとは違う考えを持っているんだっていうのを初めて言えたっていうお話があって、
自分自身がやっぱり中学校まで公立の学校に行っていて、その後、高校は私立のお利口さんというか、優等生の子たちが集まるような学校に行っていて、社会とか親とか学校とかが敷いてくれたレールで、ここの道を行ったらいいんだよ、来なさいっていうところに乗って歩いていたので、その子とかすごい窮屈だった。
で、通知表とかをつけてくれるのもやっぱり先生だから、できるだけ先生たちに気に入られていい成績が取れるように、あんまり波風を立てることは言わないし、でもそれが自分の本来の性格とは違ってたって違和感があって、その本を読んだ時に、この国のことをもっと知りたいなって思ったのがきっかけで、すごくデンマーク語を知りたいと思いました。
その後、大学受験をして、当時、北欧語って勉強できる学校ってほとんど、今はほとんどないんですけど、東海大学ってところと大阪外国語大学っていうところがあって、私は東京の高校に通っていたので、そこから東海大学も神奈川の北の方なので、埼玉からは通えないし、
大阪に戻っても、良心がもっとエリートコースっていうか、行ってほしいと思っている良心を解き伏せて、そこにはいけないっていうので、別の大学に入ったんですけれども、やっぱり他の大学、ロシア語学科ってところに入ったんですけど、結局やっぱり北欧のことを知りたいっていう気持ちがすごく強くなっていって、
ロシア語学科に行った時も、1、2年間いたのかな、あの時も早稲田大学の語学研究所っていうところで、パペットの晩餐会っていうのを翻訳している増田圭介先生に、週に1回だけですけれども、デンマク語を習ったりし始めて、
それで、2年生の終わりに大阪外大を受け直して、大阪外大の北欧語学科のデンマク語に入学して、そこでデンマクの言語と文学を学びました。
途中でゼミでは、デンマクの女性文学、カレンブリクセンなど女性文学を多く研究されている先生や、あとは翻訳家の木村優里子先生の学校主としていらしていた児童文学の授業に参加していたりして、4年生の時に1年間デンマクに留学をしました。
で、帰ってきてから、ちょっと就職していた時期もあったんですけれども、そんなに長くは勤務していなくて、だいたいもうすぐに1年半ぐらい経ってから、もうすぐに翻訳専業で働いています。
なるほど。ありがとうございます。最初のきっかけは、今、社会人になるまでの私をお聞きしましたけど、マリアからの手紙という、一つの本から、デンマクという国からというよりかは、そのデンマクの大増さんの作品からその国に興味を持たれたっていうところだったんですね。
文学っていうのは、国に住んでいる人が、例えば旅行の番組とかがあったとして、その国の美味しい食べ物とか素晴らしい景色とか、もちろんそれもその国の一部で見ることができるけれども、本当にその人自身がその国に暮らして感じていること、すごくパーソナルな部分までを心を開いて書いているのって、なかなか本っていう媒体だからだと思うんですね。
その本を通して、最初にいろんな国がありますよっていう世界の国々みたいな本を見たのとは違った、その人の心、人々のそこに暮らしている人たちがどんな問題にぶつかっていて、どんなふうに社会を良くしようとしているのかとか、そういうのを知れたっていうのが、自分にとってはその文学っていうのがその国のことを知る有効な手段でした。
大学進学の時にはもうすでに北欧と言いますか、そのデンマークのことについて学ぼうと思われていたっていう、その決意を持てたっていうところがまず聞いていてすごいなと思います。
英語も好きでしたら、まずは無難にちょっと英米学科とかですね、行きつつちょっと興味のある北欧のこともとかっていう選択肢もあったかもしれないですけど、もう学科選びのところから自分の学びたいところに行こうとされていたっていうところが、もうすでにこの勉強しようって決められていたんだなっていう、なんかそのすごい決意を感じましたね。
自分は英米文学科に行ったんで、そこまで深く考えずに、一応理由はあったんですけど、英米文学科に対しては理由はあったんですけど、確かに北欧の言語って東京にないんだってちょっと衝撃的に思いました。
そうですね、確かに。 ありますし、でもやっぱその一冊の本とか本を通して人生が結構方向づけられているっていうのもちょっと感じたんで、やっぱり出会いだなって思いますよね、こういうのっていろんなものは。
さらに大学生の時に1年間留学もされていらっしゃって、最初きっかけを持たれるのはそうだとして、その後どうなんですか、やはり留学もされて、よりもデンマークにのめり込んでいかれたという、そんな感じなんでしょうか。
1年でいったというか、もう自分の人生の一部になったっていう感じだと思います。
で、社会人になられて翻訳もされていかれたという。
最初はもうすぐ翻訳家になりたかったんですけど、やっぱり翻訳家っていきなり卒業してすぐになれるみたいなものでもないし、就職を一回してみた方がいいんじゃないかっていう周囲の勧めとかもあって、最初は家具とかを輸入していて販売している会社に入った。
それは輸入とかしている会社では、語学を活かしたお仕事とかそういったわけではなく。
そういう段階ではなくて、やっぱりその時に翻訳家になりたいって気持ちがよかったので、そのフルタイムで働いていて、月曜日から金曜日、特に時々土曜日の勤務もあったので、その間に翻訳の勉強したり、レジュメとかを書いて、レジュメっていうのは作品の概要を、
ミアクショの概要を書くんですけど、それが全くできなくなってしまって、もうその、実は働いたのは恥ずかしいんだけど半年だけだったんですけど、その半年の中でできたのがレジュメを1個書く、1個作品のミアクショのレポートを1個書くことしかできなかったんですよ。
でも絶対フルタイムじゃこれ無理だって思って、その後実家に帰って少し考える期間とかもあって、その後は翻訳会社、産業翻訳の翻訳会社で実家の仕事、フルタイムではないんですけど、働きながら翻訳の勉強を1年間してました。
なるほど。やはり働く環境ってすごく大事なんだなっていうのは思いましたし、翻訳館になるための勉強っていうのはやはり、もちろん絶対にこれっていう正解一つではないと思うんですけど、ひなりさんはどういった勉強をされていらっしゃったんですか。
そのチェッカーとして働いたときに、産業翻訳で英語が主ですけれども、他の翻訳者さんの訳文を見て、抜けとかがないかとか、ちょっと語訳がないかとかを探してチェックする仕事がしてたんですけど、それがかなり翻訳の勉強にはなっていたかなと思います。
あとはオンラインの翻訳者向けの勉強のサークルみたいのがあって、それで主に英語の翻訳者さんと混じって勉強をしていたりとか、あとはすでに出ている訳書、文訳書の訳文と原書を付き合わせて、どういうふうに訳すかっていうのを自分で読学ですけど、
国語の場合はもう翻訳学校とかないので、独学っていう形になってました。
デンマーク語とかで先輩翻訳者みたいな方に相談したり、そういったのもなかなか。
大阪外国語大学で講師として働いていた木村ゆり子先生っていう方は、大学を代表する翻訳家の先生で、その方の週1回とかですけど、絵本とかの翻訳をしてみようみたいなそういう授業がとっていたので、
それで先生のお仕事の様子とかを伺ったりとか、あとは木村先生のご紹介で出版社を紹介していただいて、そこで最初の翻訳書を大学4年生の時に出せました。
そうですね。僕はかなり気楽な方で、小説はいつか書いてみたいなという願望はあるんですけども、具体的に何かそれを志していたかというと全然そんなことはなくてですね。
何か文学に関わる仕事をしたいかというと、憧れは若干ありつつもあんまりそこも考えたことはなくてですね。学生時代も大学進学の時も本当に特に何かやりたいというのもなくて、文学部というのにも興味がなくですね。
そもそもあんまり大学で何かやりたいというのもなかったので、本当にもう行けるところに行ったという感じで、ただ本は好きで読んでいて、海外文学に大学生の時にどんどんハマっていくようになって、そこから好きなものを読んでいこうというような生活を送って、
とはいえ何かその文学でお仕事にしていこうとかまではなかなか具体的にそういった決意とかそこまではわかずというような、かなり気楽にちょっと文学に付き合っている、そんな感じではありますね。
そうですね。 でも我々はもう今気楽に文学を楽しんでいるというような感じですね。
ゲストで翻訳者の方にたびたび出ていただくときに、やはり皆さんその学生時代の時からこの決意を固めていらっしゃる方が多いなという、そこが非常に共通しているなと思いますね。
本当にもう10代の時からこっちが幼稚だった時から皆さん大人だったんだろうなっていうのがすごくちょっと話聞いていて思いましたし。
やっぱりなんか翻訳って本当なんていうか、あ、そうですねそれに対しての努力がひたりさんとか翻訳を仕事されている方ってもしかしたらそこまでなんでしょう、ついついやっちゃうぐらいのレベル感というか。
大地さん言葉のチョイス面白いですよね。すごい入ってきやすいですよね。すごい動揺。
大地 あの我々からするとたぶんすごいハードルが高かったり、すごくなんていうかそれをするのに対してはものすごく大変だなって思うようなこともたぶんやれてしまう部分とかがあったりして。
それはやっぱり好きだったり欲求があったり。
欲求があったりでしょうね。
と思うのでやっぱりそこに早い段階で出会ってるんじゃないかなってちょっとみえさんの話を聞きながら。
今娘がいて、2人子供がいるんですけど、上が今高2で娘で、下が小学校の年齢なんですよ。ちょっと間離れてるんですけど、ちょうど娘が高2で大学行くか専門学校行くかで職業選択どうしようかっていうのを今考えてるところでいろいろ一緒に話してるんですけど、
確かに別に翻訳以外にもいろんな職業あるんだなって旗と気づいて、娘全然翻訳とか文学とかに興味がなくて、医療系とか子供に関わる仕事とかに興味があるみたいなんですけど、
そういう選択肢があったのに、それらに全く目もくれず翻訳をやろうと思っていたことに、確かに不思議ですよね。ビビッと本当に来たのかな。
それかも、やっぱり若い時にこれやりたいと思った時の力というか、そこはかなり強烈なものがあると思うんですね。それがやっぱり若い時からずっと続いていってるのかなと思いますし。
作品を作って発表している人への憧れみたいなのがあったのかもしれない。作家さんもそうだし、海外の作家さんとかもそうだし、音楽家、ミュージシャンとか、一つのアルバムを作って、高校生の時にお小遣い3000円で毎月1個アルバムを買うんですよね。
その1個の作品に、すごい音楽、その曲の順番とかにも全部意味があって、その作品への思いってすごいし、それを受け止めて感動するじゃないですか。それをその3000円のお使いで1ヶ月ずっと聞いて、そのCDを。
だからその作品を作ったものを受け止めて感動してっていうのが、フォートさんみたいなのを知ってたの。そのことが一番大きな人生の意味っていうか、芸術を味わって心を動かされることが一番大事。自分の中では一番って言ったらあれかもしれない。すごく大事なことで、そのことをすごく重んじてたのかもしれないですね。だからある種娯楽という娯楽なのかもしれないけど、それが楽しかったから確かに。
芝居さんにとってはやはり、その翻訳されてそれが本に形としてなるっていうところが、そういった作品を世に送り出すみたいな。
芝居さん そうですね。作品を作ってそれを世に送り出している人への憧れみたいなのはあると思います。それがどうでなくちゃいけないのかっていうのは最近すごい考えるので。
芝居さん そのとき、私が44歳なんですけど、自分が安定しないときってまだインターネットってそんなに発達してなかったので、私大学1年生のときに携帯を周りがちょっと持ち始めて、インターネットとかもほとんど使ったことなかった。
そうですよね。
芝居さん パソコンの授業とかで図とかをパソコンで作図みたいなのをしたりとかはしたけど、そんなに日常的にインターネットなんかしたことなくて、大学でパソコン室みたいなのがあってインターネットできる部屋。
芝居さん 友達が行くって言うから一緒に入って、何をしたらいいかわからなくて、みんなメールとかしてるんだけど、やることなくってずっと打ってるふりしたりとか。
芝居さん じゃあ本買おうかなと思って、パソコン室の先生に聞いて、どうしたら本買えますかって言ったら、Amazonっていうのがあるんだよって言われて、そのときAmazon知らなくて。
芝居さん 18歳ぐらいかな。Amazonって聞いてすごい怖くて、密林みたいな感じで、そこで本を買えるみたいな、クレジットカードを持ってないと買えないんだよって言われて。
芝居さん 怖いみたいな、いいですみたいな感じですぐパソコン室に出たりして、全然インターネットっていうのもあんまり親しみがない、考えられない世界だったので、
芝居さん その人が思っていること、作品を発表する手段として思い浮かぶのがCDを作るとか、あとは本を作る以外にあんまり手段は知っているものがなかったっていうのはありますね。
そうか、でもお話聞いていると、自分もそうだったんですけど、やっぱりその10代の進路とかキャリアを考えなくてはいけない瞬間、大学進学もそうですし、社会人になるための就職活動なんかもそうなんですけど、
あの時って、今思うと本当思ったより何というか視野が狭かったなとかすごく感じることがありまして、でもおかげでいろんなものを積み上げられてきているものもあるんですけど、やっぱりその時に翻訳とか文学とか本ってとこにどうしても集中してしまうというか、それはどうしても不可逆なので、おかげで今があるという、今があるので、なかなか何とも言えないとこなんですけど、
でもなんかちょっともうちょっと視野広くしたかったなとか思うときはあるなーって今の話聞きながら、ちょっと一方で思いました。
知らない仕事とかもいっぱいありますしね。
そうですよね。
人材系で働いていたので、そういう人材業界に入ってから、世の中にこんなにたくさん仕事あるんだっていうのは初めて聞きましたね。
人材だったら大皿だよね。
いやーでもちょっとここでまたひだりさんの翻訳の話にちょっとまた立ち戻りたいなと思うんですけども、あれですよね、ひだりさんが北欧というところで、デンマーク以外でもノルウェー語とあとスウェーデン語もされていらっしゃって、すごいたくさん本の出版、もう数十点は出版されていらっしゃるんですかね。
ひだりさん 四十は言ってないかな。七十いくつくらいは出してるかもしれない。
すごい。また三カ国語されているんで、勉強法とかも聞いてみたい気持ちありつつですね、ちょっと今回はそこは時間があれなんで置いておいて、たくさんの本を訳されていて、まだ日本に翻訳されていない本とかもたくさん知っていらっしゃると思いますし、
それからひだりさんが注目しているこの北欧という、デンマークに関わらずかなと思うんですけども、北欧の中でこれは面白いけど、でも実は日本の人にはまだあまり知られていないとかですね、そういった本があればですね、ちょっと今日聞いてみたいなと思いまして。
北欧の作品って私が翻訳を始める前に出ていて有名だったのって、ヨースタイン・ゴルデルのソフィーの世界というノルウェーの作品でした。
読みました。大好きです。
あとはカレンブリクセン、イサクディネセンのアフリカの日々とか、バベットの晩餐会とかも図書館に行くとあって、その時は自分が大学入る前とかはあまり、あとはフィンランド語ですけど、私はフィンランド語は読めないんですけど、ムーミンもフィンランドですし、スウェーデンだと長靴下のピッピだとか。
意外に何か案外あるんだなって多分思われると思うんですよ。
本当に聞いたことのある作品が。
そうですね。あとは、私が翻訳を始めた後ですけど、私の作品、私が訳したわけじゃないですけど、スティーグ・ラーソンのミレニアムでミステリーシリーズのムスウェーデンの。
そうですね。あとは本屋大賞のノミネートしたのか取ったのかちょっと記憶が定かじゃないですけど、ヨーナス・ヨーナソンという作家の窓から逃げた百歳老人というのも話題になりましたし。
つい最近だと、アンデッシュ・ハンセンのスウェーデンのスマホのという実用書がかなりヒットして。
売れてますよね。
黄色の表紙かな。
すごい売れてますよね。
視聴者文で出ていて、案外実は北欧っていうのがいっぱいあって、で様々な、私が翻訳を始める前は結構自動書ばかり訳されてた印象があったんですけど、
最近は本当に小説ミステリーだけでなく、純文学も訳されてるし、実用書もヒットが出てますし、
自己啓発書とかも私も訳していて、いろんな分野が出ているので、たぶんこれは日本で出せないなっていうところはなくて、結構いろんな作品を紹介できている状況かなと思っています。
これから訳したい本は、作品だと結婚読もそうですし、あとポッドキャストで取り上げていただいた歩くことも、
トマス・Sペダルの作品も純文学の作品で、もともと大学でも純文学は勉強していたので好きだったんですけど、
純文学って結構翻訳の機会を得るのがすごく難しいんじゃないかなっていうか、ほとんど無理なんじゃないかなってずっと思っていて、
だから最初に訳書出したのは自動書、ほとんど絵本とか自動書ばっかりだったので、
実用書とかもやったりとか、ミステリーとかもやったりとか、いろいろやってきたんですけど、最近ようやく純文学もやりだして、
訳してみると、今まで純文学は無理っていうか、自分にはできるかも。すごく読んできてるので、やっぱり読んでる分野じゃないと言葉って出てこない。
だから自分が多く読んでる分野を残すってすごいと思うんですけど、純文学っていうのがちょっとあんまり親しみがないかなっていうか、
あまり売れないだろうし、仕事をもらえる翻訳者も少ないんじゃないかなっていう腰が引けてしまっていた部分もあったんですけど、
実際に訳してみると、歩くこととかもたくさん読んでいただいてますし、ポッドキャストも拝聴させていただいたんですけど、
こんな風にわかりやすく伝えていただいて、純文学またこれからも語っていきたいな、訳してみたいなって、特に今日は。
特に結婚読とかもまた訳してよかったなっていうのが思っていて、純文学またやりたいなっていうのはあります。
良かったです。ちょっと嬉しい。
そうか、全然触れませんでしたけど、トマトペステダルの歩くこと、あの本はめちゃめちゃ私好きで。
あれは単純で面白い。
あれは日本に紹介できるとは思ってなかったんですけど。
そうか、やはり翻訳される作品は、ひだりさんからの持ち込みとか提案という形で実現することが多かったりするんでしょうか。
翻訳を頼まれることもあるんですけど、私は僕だけって、自分で探して提案することの方が多いですね、結構。
確かに、この作品ってなかなか情報がキャッチするの難しそう。
あ、それもあるかもしれないですね。
少数言語なのも特にデンマークの作品はあんまり情報が入ってきてないのかもしれないですね。
いや、デンマークというとレゴとか、なんかちょっとおしゃれな家具とか。
そうですね。
だからそんな単純なイメージしかわからなかったんですけども、本当にひだりさんから聞いていると文学作品でもすごくいろいろあるなっていうのを思いましたし、
ちょっと話をまた聞きたいところがありまして、ひだりさんが実際にご自身でも北欧専門出版レーベルというのを立ち上げられて、
合同会社こども時代ですね、というのをされていらっしゃると。
そこからも本を出されているというのもちょっと伺いまして、ご自身で出版レーベルもされているというですね、そこについてもちょっとお聞きしたいなと思います。
これを立ち上げされたその経緯といいますか、きっかけといいますか、そこからまずお聞きしたいなと思います。
先ほどお話しした通り、翻訳者として大学卒業してから今まで、今44歳なんですけど、翻訳をしてきて、冊数も70何冊か訳してきたんですけれども、その中で課題というか、もう見えてきた、翻訳という仕事。
翻訳の仕事とっても面白い仕事なんですけど、どうしても今部数が減ってきてますね。なので売れなくなってきているので、従来の翻訳の報酬の計算の仕方だととんでもなく低賃金になってしまうんですね。
今まで、例えば私が翻訳の仕事を始めたときに、5000部とかが普通だったとして、それが1000部ずつ減ってたりとか、4000部とか3000部とか、さらにもっと少ないこともあるし、2000部とかもっと少ないことも出てくるケースが増えたんですね。
だから、5000部する場合と2500部する場合と、もし印税を本の定価かける、例えば印税率6%とか5%、6%、7%ぐらいが多いんですけれども、それ5000部する場合と2500部する場合って半分になっちゃうじゃないですか。
でも、そういう本が売れなくなってきているっていう変化があるにも関わらず、翻訳者に対する賃金の払い方っていうのは従来のまま、本が売れてた時と同じ計算のされ方がされていて、そういう慣習っていうのはやっぱりなかなか変わらないですね。
仕事とかも、やっぱり半元さんは、あと編集者さんが、一年に何冊担当しなきゃいけないというのは、もしかしたら決まってるのかもしれないなっていうお話を聞いて。
会社によってはあるでしょうね。
そうですか。ある場合もある。で、そうすると、一冊の本にかけられる時間っていうのはすごい短くなっていきますよね。本が売れなくなってくると。
それで、かけられるお金も、半元さんかけられるお金も減っていって、例えば翻訳者として仕事を頼まれた時に、編集者をつけてもらえないとか、もう時々あったんですね。
それを何とかして自分でやる。
それも自分で?
編集者さんももちろん見ますけども、そういう予算の割り振りっていうのを、本の作り方っていうのを、翻訳者っていうのは決められない。
でも自分の中では、もっとじっくり一つの作品に向き合いたいし、構成もちゃんとつけてほしいって思った時に、翻訳者として交渉をして、今の状況を良くするっていうのが、なかなか難しいなっていうのを思うようになったんですね。
それでまた違った立場から、今までは仕事を頼まれて、翻訳者として受け入れる仕事だったけれども、本を作るっていう、編集も全部やって、別の本を作ってみて、別の立場で作ってみた時に、またこの本を作るっていう作業っていうのが、また違った視点から見れるんじゃないかっていうのも、
王道会社子供時代というのを、2021年に立ち上げました。
なるほど。風が吹けばお部屋が儲かるっていう話ありますけど、それとは違いますけど、販売物数が減ると、本の作り方にもちょっと弊害が出てくるっていう。
そういう事情で、自分で本の作り方のところから、一から作ってみるっていう、あれなんですね、出版社を立ち上げに。
そうですね。
すごい、ちょっと面白かったです。出版業界のそういった事情があるのは、ちょっとうすうすと言いたかったことがあるんですけども、
じゃあそれに対してどうするかというところで、ご自身で通信版レベルをされているっていうところが、そういうのを一つの方法なんだなっていうのをすごく思いました。
この王道会社子供時代、ちらで今までも本を出されていらっしゃって、このデジタルおしゃぶりを外せない子供たちっていうのが、あれですかね、教育本に。
はい、教育で分類されてたと思います。
デンマークのスクールカウンセラーの直伝メソッドというような、すごく子育てをされていらっしゃったりする方には、もうドンピシャな内容になるかなと思いますし、また11月にも新刊が出されるということで、
ちょっと今回ですね、折角の機会ですので、ひだりさんの方からですね、このちょっと新刊、カレンブリクセン・ウサクディーネセンについての小さな本というタイトルになるんですが、
ちょっとこちらの本について教えていただけますでしょうか。
すみません、カレンブリクセン・ウサクディーネセンについての小さな本でずっと告知してたんですけど、ちょっと改題することになって、
ブリクセンスラッシュディネセンについての小さな本になります。
すみません、ここで突然の発表。
またちょっとそのことをお話ししますけれども、
11月に子供時代としての2作目の作品で、ブリクセン・ディネセンについての小さな本というのを出します。
ペンマーク語の翻訳者になろうと思ったきっかけなどについてお話ししたときに、
何回か名前を出したカレンブリクセン、英語圏ではウサクディネセンと呼ばれている作家についてのファンブックというか導入書ですね。
彼女の作品世界に親しむためのイントロダクションとなるような解説書を出します。
ブックガイドですね。
カレンブリクセンはアフリカの日々や冬の物語、バベットの晩餐会などで知られるデンマークの女性作家なんですけれども、
彼女は日本でもたくさんの翻訳が出されているので、
海外文学を好きな方だとディネセンを知っている、読んでいるっていうのは海外文学が好きな証ってまでは言えないかもしれないですけど、
やっぱり文学が好きだっていう人はかなり読んでいる方も多いと思うんですけれども、
実際にウサクディネセン知ってるよっていう方でも、実は例えばアフリカの日々やバベットの晩餐会はかなりストーリーラインは明快だとは思うんですけれども、
特に七つのゴシック物語と冬の物語、川出処方針社から出る冬の物語とか、
七つのゴシック物語、白水社さんと小文社さんから出ている絵があるんですけど、それらの翻訳が出てますけれども、
果たして何が書かれているのかっていうのを説明できるというか、分かる人って多分文学が好きな人でもすごく少ないと思うんですけど。
このブックガイドはカレンブリクセン博物館というのがデンマークのコペンハーゲンにあるんですけれども、
そちらでガイドや教育部門というところで小学生とか中学生向けに案内をしていた、
スーネーデス・ザ・シュミット・マスンさんという著者が書いた本で、その中でこの難解なカレンブリクセンの文学はどういうことが書かれていたのかっていうのを、
すごく分かりやすい小学生とか中学生向けにもガイドをしていた方なので、分かりやすい言葉で親しみやすい言葉で書いている本で、
カレンブリクセンを知っている方はもちろん、知らない方、これから読んでみたいと思っている方にも、
こういう作家さんなんだ、こういう作品なんだっていうふうに親しみを持っていただけるようなブックガイドになっています。
同時に彼女はアフリカでコーヒー農園を営んでいて、アフリカで狩りをしたり、ライオン狩りをしたりとか、
当時は女性が自動車を運転するってそんなに一般的じゃなかったようで、自動車をアフリカの大地で運転したりとか、あとはズボンを履いて狩りをしたりとか、
あとはその離婚をしたり、自立をして海外で作家として真に成功を務めた初めてのデンマーク人女性作家だと言われていて、
デンマークだけじゃなくて世界で強い女性のロールモデルとしてすごく知られている作家なんですけれども、
同時にバベットの晩餐会の中では非常に敬虔なキリスト教家庭の様子が描かれていて、非常に古典的な家庭、敬虔な家庭が描かれていて、
彼女自身もそういうちょっとコンサバティブな家庭に育ったですね。女性のロールモデルだったのにもかかわらず、実際の彼女っていうのはすごく古典的な人生感を持っていた。
決してラディカルな、特に女性運動とかフェミニズムに関してついては、そんなにラディカルな考えの持ち主じゃなくて、むしろ保守的な考え方の持ち主だったんじゃないかっていうふうにデンマークでは言われているんですね。
私もカレンブリクセンの作品は、アフリカの日々を始め、大学生の時に授業で読んで、大阪外大で。その時に彼女の作品を読んだ時に、すごくカレンブリクセンっていうのは、
ヘミングウェイから、私がヘミングウェイがノーベル文学賞を取った時に、自分が今回もらうことになってしまったけれども、自分よりもノーベル文学賞を受賞するのにふさわしいのはイサクディネセンなんじゃないか。
イサクディネセンが取ってたら、もっと嬉しかったのにって言わしめたぐらいの、すごくストーリーテレラなんですけれども、それだけの文豪というか、大きな作家さんなので、特に日本で彼女の作品を読む時、大学で読む時に、彼女の考え方とかを批判的に読むっていうのが何となく許されないんじゃないかっていうふうに自分は感じてしまったんです。
彼女が書いてることは全部素晴らしいし、すごいですね、なるほど、私もそう思いますって言わなきゃいけないように、なぜかその時は自分が大学生の時は感じてしまったけれども、でも読んだ時にアフリカの農園の中の人種について書かれている部分、あとは男女の、なぜ男性と女性の性別、違う性別があるのかっていうことについて結構アフリカの響かれているんですけれども、
その時にすごく違和感を覚えたんですよ。でもその時にその違和感を言っちゃっていいのかなっていうのが、私が間違ってるのかなみたいな、私がちょっと分かってない、文学を分かってないからそう思っちゃうんじゃないかっていうそれが言えなかったんだけれども、
このスーネさんが今回書いたブック外語の中では、そういう文豪と言われているプリクセン、ヒサクディネセンについても、ちょっと現代の文脈から見たら、それってちょっと差別主義的なんじゃないかとか、植民主義者なんじゃないかとか、女性差別的なんじゃないかっていうのを批判が、実はデンマークにはあって、そういう議論もされていて、研究もされていて、
そのことに関してスーネさんが全て総括してわかりやすく伝えて、そのことに関してスーネさんはどう思うかっていう見解とかも示されていて、すごい偉い大作家についても批判的な目で見ても、でもそうじゃないんじゃないの?っていうふうに読者は思ってもいいんだっていうのが、そういう読み方を提示できる本かなと思っています。
作品紹介でいいところだけではなくて、ちょっと疑問に思うところとか、作者のプリクセン・ディネセンの裏に何かあるんじゃないかって、すごく読み解いているような本なのかなと感じました。
今日はいろいろ聞かせていただいて、大地さんどうでしたか?
今回ひだりさんのお話聞いて、さっきも話しましたけど、やっぱり翻訳者の方のパワーっていうのはやっぱり独特なものがあるなって。
毎回思いますよね。
ゲストに来ていただいた方もそうだし、実際に我々は少し最近翻訳者の方とお話する機会っていうのがちょっとずつ増えていて、その人たちがやってらっしゃる活動とかを見てもそうなんですけど、やっぱりすごいパワフルだなって感じます。
その厳選ってやっぱり、たぶんどこか何か強い欲求があるんだろうなってちょっと思って。今回ひだりさんの話を聞いても、いろいろ右右曲折はあるのかもしれないですけど、たぶん原初に抱いたものから発展させていって、どういうことができるんだろうみたいなことを考えていらっしゃるんだろうなと思って。
会社とかレーベル立ち上げるって結構すごいなと思っていて、やっぱりおっしゃってましたけど、見えてくるものが変わってくるじゃないですか。それってすごく自分はかっこいいなって思うんですよ。
かっこよくないというか、自分がフェアな取引をしたいって思って、自分が翻訳者としてお願いしても、いやこれは決まりだからなかなか変えられない。編集者さんも個人で変えられないし、どうしようもないこともあるじゃないですか。
そういうときにすごいもどかしくて、じゃあ自分もフェアな取引を今度自分がしようみたいな気持ちはあったけれども、今度お仕事をお願いする立場になったときに、どうして自分のお願いしてる内容、お願いの仕方とか出してる条件が本当にフェアかどうかって胸を張って100%言えないなってすごい思って。
本当に私が億万長者だったらたくさんお金も払えるけれども、自分の力がない中で、やっぱりできるだけそんなにいい条件っていうのを頑張ってしか出せないし、自分が誠意を持って出した条件だと思ってても、その納期とかも、どうしても相手を急がせなきゃいけないこととかもあって。
なんかそういう気持ちで編集者さんって、なんかジレンマを抱えながらやってたんだなっていうのがすごいだんだんわかるようになってきて、でもその中でこれからどうしていったらいいのかっていうのを今またスタート地点に立った感じで、全然何もまだ変えられてないし。
そこに立ててる感覚というか、そこに立つということがすごく重要だと思いますけどね。個人的には視点を増やしていく。自分が持ってる視点を増やしていくってすごく重要なことと思うんで、結構私も間もなく40に近づいてきてますけど、5年ぐらい前だとあんまり考えなかったんですけど、視点が多いってすごく重要だなとか、本当最近思うので。
なんかそこは本当すごく。
出版とか関係ないところですけど、生きる上で非常に。さっきかっこいいって言葉でまとめちゃいましたけど、でもすごく重要なことだなってちょっと思ったりします。
ありがとうございます。
なんかちょっとまとまらなくなってきた。
ありがとうございます。
じゃあ僕らにちょっと一言だけで、そのあと最後ひだにさんにお願いしたいと思うんですけど、今回の前回紹介した結婚読にしても、今年の年明けに歩くこと、または買いならされずに素敵な人生を生きる術、どちらの作品も読んですごく良くてですね、やっぱりこういう小説読めるといいなと本当に思えるようなすごくいい作品を読めて、
聞きするとやはりそのひだにさんが持ち込みというか提案されて翻訳されて、僕たちの手元に届いているという本になりますので、やっぱりその起点でひだにさんだと思いますし、なかなか他では立ち位置がちょっと特殊と言いますか、
すごくされていることが、僕みたいな本好きな人からするとですね、すごくいい本を出すその起点とされていらっしゃるので、これからもですね、本当にその原動力のままひだにさんが翻訳であったり出版の活動をされていただきたいなと思いますし、何かこのラジオでちょっとその応援ができることがあればですね、これからも本当に微力だと思うんですけども、何か力になれたらなと思いますし、
そういった意味ですごく今日いろいろお話が聞けてよかったですし、やっぱりすごいいい本、結婚読とかですね、読めて満足してはいるんですけども、その裏にはこんな大変なその翻訳家の人のそういう仕事というか働き方というかそういうのもあるんだなというのも知れてですね、すごく何かいろいろ考えられる機会になりました。ありがとうございます。
最後にひだにさんにですね、ちょっと今回2本続けて出ていただいて本当にたくさんちょっと喋っていただきましたけども、今日率直な感想と言いますか、それをお聞きできたらなと思います。
ありがとうございました。空飛猫さんのポッドキャストを拝聴してたんですけれども、歩くことのポッドキャストは何かすごい自分が訳した作品だったのもあって、すごい嬉しくて、翻訳者って訳した後にこの作品が世の中にちゃんと広まっているのかなっていうのを多分みんながすごい不安に思っている人も多いと思うんですね。