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2024-07-29 51:42

第163回 自分の人生は決して悪くなかった「ある一生」ローベルト・ゼーターラー著

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【今回の紹介】 『ある一生』ローベルト・ゼーターラー著、浅井晶子訳、新潮クレストブックス https://www.shinchosha.co.jp/book/590158/ . 映画「ある一生」HP https://awholelife-movie.com/ .⁠ パーソナリティ二人で作品の魅力やあらすじ、印象に残った点など、読後の感想を話し合っています。ぜひお聴きください! . 【今回の内容】 「ある一生」の映画が公開/150ページで一人の人生が味わえる/再読して変わった主人公エッガーの印象/著者&作品紹介/人生で忘れることのなかった出来事や言葉/主人公の哲学や人生観/研ぎ澄まされた文体/ネタバレなしでストーリー紹介/ラストで感動した文章/時代とともに変わる村の姿/印象的な映画のバスのシーン/映画は原作を忠実に再現/次回予告 ーーーーーーー 版元サイトより ーーーーーーー 雪山で遭難したヤギ飼いとの邂逅に導かれるように、20世紀の時代の荒波にもまれながら、誰に知られるともなく生きたある男の生涯。その人生を織りなす、瞬くような忘れがたき時間が、なぜこんなにも胸に迫るのだろう。80万部を超えるベストセラー、英語圏でも絶賛! 現代オーストリア文学の名手が紡ぐ恩寵に満ちた物語。 . 【お知らせ】 Amazon Audible限定配信のPodcast番組「ゆかいな知性 文学編」にダイチがパーソナリティとして出演いたします!トーク形式の番組で、ダイチのお相手となるのは彗星読書倶楽部の森さんという方です。初回放送は12/8(金)で、今後半年間、毎週金曜日に文学編が配信されるので、Amazon Audibleを聴ける方はぜひお見逃しなく! . 【文学ラジオ空飛び猫たちを初めて聞く人向けのnote記事】 声で届ける文学!Podcast番組「文学ラジオ空飛び猫たち」おすすめエピソード特集 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://note.com/cafecatwings/n/nab636ad54a35⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ 【番組へのお便りはこちらから!】 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://forms.gle/a569tyUhMDDaCXGF8 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ 【メルマガ会員募集中! 】 毎週土曜日朝7時に配信! 無料版は本編エピソードには収めきれず、泣く泣くカットした部分を聞いて頂ける内容になっております! 有料版は我々2人に対しての応援・支援をしたい!という想いを持って頂ける人を対象に、月額500円のサブスクをご用意。ささやかな御礼として編集後記という配信後の感想などをお送りします。なお、こちらに有料登録して頂いた方々を我々はサポーターと呼ばせて頂いております。 どちらも theLetterというニュースレター配信サービスを使わせて頂いております。最初は無料購読登録から始まりますので、是非気になった方はまず無料登録を! ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ https://radiocatwings.theletter.jp/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ※登録されると確認メールが迷惑フォルダに入ってしまう可能性がございます。すべてのメールをご確認ください。 ※もちろんサポーターとしてご支援頂かなくても、Podcastを聴いて頂けるだけでも本当に嬉しいです。 【文学ラジオ空飛び猫たちとは】 硬派な文学作品を楽もう!をコンセプトに文学好きの二人がゆる~く文学作品を紹介するラジオ番組です。 案内役の二人は、 東京都内で読書会を主催する「小説が好き!の会」のダイチ 京都の祇園で本の話ができるカフェを運営する「羊をめぐるカフェ」のミエ 文学のプロではない二人ですが、 お互いに好きな作品を東京と京都を繋ぎ、 読書会のようなテイストで、それぞれの視点で紹介していきます! 毎週月曜日朝7時に配信しています。 【SNSでご投稿ください】 番組の感想・リクエスト・本を読むきっかけになったなど、 #空飛び猫たち をつけて、ぜひSNSに投稿してください! よろしくお願いします! ■twitter ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/radiocatwings⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ■Instagram ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.instagram.com/radiocatwings/?hl=ja⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ■Gmailでも受付中です bungakucafe.catwings@gmail.com ■ダイチ「小説家が好き!の会」 Twitter ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/welovestory ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ Instagram⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ https://www.instagram.com/booklogd/?hl=ja⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ■ミエ「羊をめぐるカフェ」 Twitter⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ https://twitter.com/hitsuji_meguru ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ Instagram ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.instagram.com/hitsujiwomeguru.cafe/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ #本 #小説 #読書 #読書会 #文学 #海外文学 #ブック

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アルピスの山に囲まれ、20世紀の荒波にも揉まれながら生きたある男の一生。
人並みに希望や夢は抱いたが、その多くには手が届かなかった。 けれども彼は決して人生は悪くないと感じていた。
映画化もされたローベルト・ゼーターラーのある一生を紹介します。 どうも皆さんこんにちは、文学ラジオ空飛び猫たちです。
この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな2人が緩くトークするポッドキャストです。
パーソナリティは私、ダイチとミエの2人でお送りします。 文学のプロではない2人ですが、お互いに好きな作品を時には熱く、時には愉快にそれぞれの視点で紹介していく番組です。
今回紹介するのはローベルト・ゼーターラーのある一生です。 新聴クレストブックスから最小古算訳で2019年に出版された本になります。
はい、ゼーターラーはですね、以前キオスク・ノハラと続いて3作目の紹介になるんですが、このある一生を紹介することによって翻訳された作品は全部紹介する形になったかなと思います。
ノハラはですね、私この年のベストに選ばさせていただいたぐらい感動した作品だし、ちなみにある一生は前読んでるんで、今回2回目読んでるんですけど、もともと確かキオスクっていうのはこのラジオを始めた初期段階で紹介する。
僕がめっちゃ好きで、確かそのキオスク初めて読んだ年に読書会参加してたんですけど、紹介型の読書会で3回ぐらいキオスクを持って行って。
キオスクばっかり紹介してたことがあるくらいハマった本ですね。
なるほど、いいっすね。その時キオスクを読んだのがゼーターラー初めて読んで、気になって会える一生も多分同じ年に読んだのかな。
ラジオを始めた年の特化で。めっちゃいいなと思っていて、多分ゼーターラーって言ったらある一生が一番売れていたと思うので、ある一生はいつかと思っていたタイミングで、映画が公開されたので、
日本でもちょっとこのタイミングでこれを撮ってる段階では公開始まったちょっと経ってるぐらいなんですけど、配信がおそらく7月の29日かなになると思うので、
映画が8月の中旬ぐらいまでらしいので、これ聞いてですね、めちゃめちゃ気になった人は是非映画館に足を運んでいただけたらなと思います。
映画化されたのはちょっと驚きましたね。映画庁が今年入って初めて突然ある一生が映画化されるって知ってですね。映画化が進んでいたんだってちょっとびっくりしました。
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あれだよね、本国ではちょっと前にやってたんですよね。
日本は1年ぐらい遅れている感じだよね、きっとね。公開までね。日本で公開してくれて本当にありがたい。
そうですよね。
ありがたいです。調べていただければすぐ分かってしまうことなんですけど、映画館がかなり限られてますので、見たい人はですね、もしかしたらお近くの映画館でやってないってことがあるかもしれないんですけど、是非見ていただけたら嬉しいです。
われわれとしても思い入れが深いゼータアラ作品、特にみえさんの思い入れが深いゼータアラ作品のある一生なんですけど、今日はちょっと映画もお話もしながら少しご紹介できたらと思ってます。
まず最初にちょっとお伝えしたいのは、これ新潮クレストボックスさんなんで、これどうなんだろうな、新潮クレストボックスってもしかしたら結構骨太な作品が多いっていうイメージがあると思うんで、
それなりに長いんじゃないかってちょっと警戒してらっしゃる方いらっしゃるかと思うんですけど、このある一生は150ページぐらいの作品なんですね。そんなに読むのに時間はかからないです。
でもめちゃくちゃ感動するというか、内容が濃い一冊で、本当にあれこれ、主人公のエッガー、アンドレアス・エッガーですね。
アンドレアス・エッガーの4歳から80歳ぐらいまでの話が凝縮されている本なので、本当タイトル通りですね、一人の人生を味わえる作品なので、この150ページでこの濃さはすごい。
今まで私、別にこの作品をお勧めしてたわけじゃないんですけど、これ海外文学入門にめちゃめちゃお勧めなんじゃないかなって改めてちょっと今回読んで思ったので、
ぜひですね、海外文学苦手な人、番組のリスナーの中に一定層いるみたいなんで、海外文学がわからないからちょっと聞いてるんですみたいな人いらっしゃるっぽいので、ぜひですね、これは読んだほうがいいです。
ということをちょっとお伝えしたいなと思います。ちょっと三枝さんの話行こうか、多分三枝さんのほうがすげえ思い入れがあると思うから。
三枝 僕最初読んだが2020年で、それ以来の再読になったんですけども、初めて2020年読んだ時は本当に噛み締めるように読んでいてですね、これはもう読み始めた時からすごい作品に出会ってしまったというので、
丁寧に読んではいたんですけども、そこでこの物語の中である大きな出来事が起きる場面があるんですけど、そこでやっぱりですね、ちょっと泣いてしまいましたし。
今回再読をしてみて、再読なんで結構スルスル読めていけて、最終読んでいった時はちょっと気づかなかった。気づかなかったというか、読み飛ばしていたようなところとかもちょっと細かいところもイメージしながら読むことができてですね。
ちょっと思ったのが、最終読んだ時はこの主人公のエッガーって寡黙な人間だなと思っていて、黙々と自分の人生を生きるというかですね、そんなイメージがあったんですけども、今回読み直してみるとちょっと違うエッガー像というのが浮かんできてですね、
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すごくこの自分の人生であったり生きるというところに対して、すごくもがいて生きてきた人なんだなというのが分かりまして、そういう意味ではやっぱりこれ読み直したりするとまた見方が変わるというか刺さるところがちょっと違うというかですね、それだけ単純な話じゃないのかなと思いましたね。
自分も読んでみて、2回目読んでみてやっぱり印象だいぶ変わってきてるし、まだ自分はそのもがきの部分、もちろん感じているところがあるけれども、自分はまだそれ以上にエッガーは多分定観というかね、受け入れていくことっていうことを重要視してたような気がしなくもない。
また譲れない部分は譲らないっていうところは強く感じたけど、最終的にはこれはすごく生きる勇気がもらえる作品だなと思ったので、ぜひちょっとそのあたりも伝えながら今日はお話ししていきたいと思います。
ちょっとこれからいろいろ話していきますが、この作品ですね、おそらく全部話をして読んだとしても楽しめる作品。文体のところとか、静かな展開、作者の非常に丁寧な書き方とかですね、そういうのも味わえていくので、話を知っていたとしてもおそらく感動する作品なんですが、
ただやっぱりある程度ちょっとこれは抑えた方がいいかなみたいな部分はあるので、ちょっと言及しない部分出てきます。読んだことある人はきっとこのあたり今飛ばしてるなとか隠してるなとか感じてもらえると思いますし、あと未読の方はぜひご安心して聞いていただいて、読んでみたくなったらもうぜひ読んでいただけたらなと思います。
文章を読むのちょっときついかもと思ったら、まずは映画を見ていただけたらなと思います。著者の紹介させていただきます。ローベルト・ゼーターラ、1966年ウィーン生まれ、オーストリアの作家、脚本家、俳優です。俳優としてでもですね、ドラマなんかにも出演して、結構レギュラーを持ってた時期もあるそうです。
2006年、ハチトクルートという作品で作家デビュー、我々も紹介したキオスクなどで好評を博し、このある一章、2014年刊行なんですが、その後長らくペストセラリストに入っていて、同一語圏で80万部を突破という恐ろしい作品です。
この新聴クレストが出た2019年の著者紹介のところでは、すでに37カ国で翻訳が決まっているという、かなり売れに売れている作品ではないかなと思います。そしてこのある意味、真面目な固い小説が売れているっていうのは、やっぱりすごく個人的には世界がこういうものを求めているのかもしれないという気持ちになって嬉しくなるところです。
で、数々の賞を取っています。2016年ブッカー国際賞、2017年国際ダブリン文学賞の賞取リスト入りなど、同一語圏だけでもなく英語圏でも評価されている作家でございます。
そうですね、このゼータアラ作品ってちょっと地味というかですね、職人気質っぽいような小説かなと思うんですけども、でもあの同一語圏でベストセラーになっていたり、いろんな文学賞で取って評価されていたりっていうので、読んでいると結構この大衆向けじゃないんじゃないかなと、もう好きな人はハマるんじゃないかなと思うような作家かなと思うんですけども、でも広く評価もされているっていう、なんかすごい面白い。
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非常作家さんだなっていうのは思いますね。
確かに確かに。なので、日本で読めるもの今少ないんですけど、ぜひある一章読んで気に入ったら気をつくとか、あと野原はちょっとページ数あるんですけど、めちゃくちゃ面白いので読んでいただけたらなと思います。
じゃあここから作品紹介入っていきたいと思います。まずですね、阪元ホームページと海のあたりから少しこの作品のことをお伝えしたいと思います。
空気の白い静寂の中に消えていったあの光景。アルプスの山と共に生きた名もなき男の生涯。雪山で遭難したヤギ海との会合に導かれるように20世紀の時代の荒波に揉まれながら誰に知られるともなく生きたある男の生涯。その人生を織りなす瞬くような忘れがたき時間がなぜこんなにも胸に迫るのだろう。
80万部を超えるベストセラー、英語圏でも絶賛、現代オーストリア文学の名手が紡ぐ温庁に満ちた物語となっております。そうですね、もう現代オーストリア文学の名手、もう代表する作家の一人、ローベルト・ゼータ・アラーの代表作かなと思います。
では、ここから作品紹介とストーリーの紹介をしていきたいと思います。まず作品の特徴としてなんですけども、さっきからの大地さんの話でもある通り、一人の男の人生が俯瞰して描かれているという点になります。
主人公のアンドレアス・エッガーという男性の子供の時から老人、最後死ぬまでなんですけど、というのが150ページほどのページ数の中で描かれていて、これがかなり読んでいると濃密で、150ページとは思えないようなそれくらい濃い話になっているんですけども、端的に述べられています。
で、面白いなと思ったのは、この小説の中でエッガーが経験するどの出来事が人生で記憶に残ったかというのが述べられていて、いつの時期が幸せだったかとかですね、そういったのが説明されているというのも、これも俯瞰で描かれている特徴で面白い点だなと思いました。
たとえばですけど、結構小説の始まりの方でエッガーが運命の女性であるマリーと出会うシーンがあるんですけども、その後の一生エッガーは何度もこの瞬間を思い返すことになるというですね、そんな一文があったり、あとエッガーが就職した会社の部長の言葉ですね。
結構この部長が印象的な、すごい哲学的な言い方を言うんですけど、その言葉をエッガーはその瞬間には理解できなかったが、一生の間忘れることはなかったとかですね。
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あとはですね、ある時期は人生の中で最も幸せな時期だったとかですね、結構その都度その都度それが人生に対してもう忘れられない経験だったとか言葉だったとか、そういったのが述べられているというところですね。
そうですね、この一冊を通して本当にある男の一生が描かれるわけなんですけれども、なんかこのなんて言っていいのかな、結構小説は割とページの分、なんだろう、1というか、4歳から80歳ぐらいまで描かれるんですけど、彼が生きた時間っていうのが割と均等に割り振られている気がしていて、
そうやって俯瞰でちょっと見ていくと、結構幸せだったなって思える時期っていうのが割と前半なんですよね。そういう作りをしているのが面白いなって思うところと、あと自分は初読の時に人生のピークはやっぱり前半に来てしまうのかってちょっと思ってて、読み終えた記憶があるんですよ。
そうか、やっぱり長い人生、おそらく自分のピークも前半にあるのかなって思ったんですけど、今回再読して思ったのは、もしかしたら人生のピークっていうのは結構割と早い段階で訪れてしまうものなのかもしれないし、それをその後更新していくってことはもしかしたら難しいことなのかもしれないっていう気持ち。もしかしたらそうじゃないのかもって気持ちもあるんですけど、まだなかなかそこからちょっと抜け出せないんですけど、
2回目読んで、おそらくこの長い人生っていうのはそのピークに来た時の記憶とか思い出とか感覚とか感情とかそういうのを長く大切に持っていくことが重要なのかもしれないってちょっとこの2回目を読んで思ったんですよね。
エッガーは多分そういう生き方をしていたので、このエッガーの、なんかそれがもしかしたらある人の目から見ると悲しみに映るかもしれないし、辛い部分かもしれないし、でももしかしたら幸せとして映るかもしれないし、そこは本当にわからない部分だなと思っていて、2回目読んで変わったところでもあるし、ちょっと映画を見ながらもそのあたりのことはすごく感じた作品でしたね。
あと思ったのが読む年齢とかですね。
そういう点でこの作品から受けているものも変わってくると思いまして、ちょっと読み直して面白いなと思ったのは、エッガーが60歳ぐらいですかね、新しい仕事をするんですよね、今までやってこなかった偶然の成り行きからなんですけども、ちょっと観光案内というか、産学案内というかですね、
そういう新しい仕事をするんですけど、それをエッガーが気に入って自分なりに楽しんでやっている姿とか描かれていて、それはもうピークも過ぎて、作品としても後半の方に出てくる話なんですけど、ピークが過ぎた後の人生でも仕事であっても何かその人なりに楽しめるところがあるというところもですね、
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描かれているのは何か読んでいてちょっと前向きになれるようなところも捉えることができて、この小説のいろんなところからなんかいろんなものを組んでいけそうな、そんな気がしますね。
そうですね、ここで長くなっちゃうとあれだけど、このエッガーの人生って結構仕事がこうなかなか定まらないっていうか、もともとちょっとストーリーでも話すと思うけど、恵まれない家で生まれてしまって、家の仕事の手伝いもしていて、その後もう日雇いみたいな仕事が続いていたり、雇われた会社もあるけれども戦争でみたいなところがあったり、
結構この仕事をずっとやってたみたいな感じじゃないけれども、今三谷さんが言った三角ガイドの仕事はなんか自分もあれちょっと感動してようやくなんかこう自分の良さを活かせる仕事に就いたなみたいな、それまでも高所高いところでの作業とか全然エッガーに合ってたわけじゃないし、むしろエッガーしかできないっていう仕事たくさんあったと思うんだけど、その時に結構三角ガイドの仕事はちょっと感動したな。
そうそうね。これもなんかね、小説読んでるとね、そんな支援に出くわすと希望も感じれるところかなと思いますし。
人生のどう何が動いていくかわからない部分でもあるなっていうところだよね。
そうですね。では次のですね、作品の特徴に移ろうと思います。この小説の中で結構ですね、この主人公のエッガーの持っている哲学であったり人生観っていうのが現れているというのも特徴かなと思います。
エッガーという人物は寡黙な人間になるので、そんなにですね、ペラペラ話したりするタイプではないんですけども、しかもどっちかというとこの生きている中で出来事があったり何かの流れがあるとしたら、それを受け入れてその流れに従って生きているような、ちょっと受け身な生き方と思われるようなですね。
そんな人なんですけども、ただですね、この作品として結構エッガーがこの世の中をどう捉えているか、どう受け止めているかみたいなところが述べられていて、そこもですね、読んでいて面白いなと思う点でしたね。
たとえばこれは少年の時のエッガーなんですけど、エッガーは結構体が丈夫でたくましい人間に育って、小さい10代後半で育っていくんですけども、エッガーはすごい力持ちになったんですけど、ただ寡慢だった。寡慢というのがちょっとマイペースかな、意味合いとしては。
ゆっくり考えて、ゆっくり話して、ゆっくり歩く、そんなタイプだったんですけど、でもどの考えも、どの言葉も、どの一歩もその後をしっかりと残した。それもその種の跡が残るべきだとエッガー自身が考える場所にとあってですね。
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エッガーはマイペースなんですけども、一つ一つ自分なりに、自分の考えを大事に行っていく、そんなタイプかなというのが伺えたりですね。
エッガーがですね、すごい貧しい生活、結構最初の子供の頃から聞き取られた家で、なかなか苦労して育っていくので、何か自分に対して期待していなかったんですけども、何一つでもそういう期待とかしていないからこそ将来を考えた時に、そこには広がる未来があったとかですね、そういうふうな考え方を持っていたりとかですね。
あとエッガーは足に障害を抱えていて、片足を引きずるようにして歩いていたりするんですけども、足は一人で引きずるものだというですね。これも生きていくときは結局自分の力でというか、自分で自分の人生は生きていくべきだみたいなですね、そんな考え方として受け止めることもできてですね。
なかなかこの小説を通して、この味わえるエッガーの哲学、人生観というのは何かいいなと思いましたね。
そうですね、このいわゆる大きな自然の中で自分がコントロールできる部分が少ないみたいな感覚で多分生きているからこそこの哲学が色々出てくると思うんですけど、特にエッガー自体は誰かと、マリーという人物はね、自分の妻となるマリーという人物はちょっと別だとして、基本的には繋がりというものをあまり求めてなかったんじゃないかなってちょっと思ったりはします。
それがなんか孤独であるのは間違いないし、ただ別になんかそれを孤独としてなんかいわゆる人が捉えるような孤独とは違う捉え方をしているような気はしていて。
まあでもちょっと今映画の印象が強くなっちゃってるのかな、見たばっかりなのもあるからあれなんだけど、なんかその自然に対して厳しいこともされるし、アルプスの山の風景とかすごく自分のお腹を支えてくれるというか孤独ではないような気がエッガーからは感じるんだけど。
で、ちょっとそのストーリーのところにも多分触れると思うんだけど、ただただこれ結構この時代、1880年代ぐらいかな、からちょっといろいろエッガーが80歳ぐらいまでなるから、戦争があって1900、戦後か戦後ちょっと村が発展していく、もう町になっていく。
で、場所としてはスキー場として有名になっていく観光地みたいな感じになっちゃうんだけど、そうなると村だったものが町に発展して、なんか自分の知らない風景が広がりまくっていくっていうところに多分エッガーはめちゃめちゃ戸惑いを覚えていて、それはちょっと映画を見た時にすごい感じたりし、小説では表現されている部分もあったけれども、そこまで深く落ちてこなかったんだけど。
なんかそのエッガーなりの哲学人生観あったけれども、でもやっぱりそれはある程度強いものではあるが、やっぱり環境によってこう揺さぶられるものでもあったなっていうのはちょっと、その辺のこともしっかり描かれてるかなと思いました。テレビのシーンとかね、特にその辺もあるしね。
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そうですね。確かにこの厳しい自然の中で生きてきたエッガーだからこそっていうそんな人生観とかね、哲学だと思うので。最後の特徴のところを触れたいと思います。それはこの研ぎ澄まされた文体でこの小説が書かれているという点ですね。
このゼーターラーの文体というのが特徴かなと思います。役者、あと書きを読んでいると、ゼーターラーはアンドリアス・エッガーという男の人生を木を掘るように作り出したと説明されていて、何かその言葉を足していくというよりかは木を掘っていて、何かその造形物に仕上げたというですね。
何かその無駄を省いて作られたような、何かそんな作り方をされているとも受け止められるようなちょっと説明でですね。確かにこの小説を読んでいると無駄のない文章は150ページ程度で収まっているというのがそうなんですけども、これだけの長い一人の人生の話を150ページ程度で端的に説明しているという点で、それが無駄のない文章で。
エッガーは饒舌ではないんですけど、必要最低限のことしか言葉を走っていないそんな人間なんですけど、でもですね、この文体の力もあると思うんですけど、このエッガーの人生のいくつものハイライトっていうのが小説の中で出てくるんですけど、それがすごく鮮やかに感じ取れるというですね、そのような良さがあるなと思ってますね。
そうですね、この文体がもうゼータアラーの魅力のポイントの一つだと思うんですけど、やっぱりこういい文章の小説っていうのは何回読んでも感動できて、本当にストーリーわかっていても、大枠わかっていても感動できてしまうっていうのはこの文体の力だなと思っていて、これからちょっとストーリーの話をするので、大事な部分はあまり触れないよって言いつつも、とはいえある程度お伝えするのでストーリーの大枠は掴んでいただけるんじゃないかなと思います。
でもそれがわかっていてもなおやっぱり感動できるっていうのはこの文体の力だなと思うので、そこは本当にゼータアラー作品は安心していただけたらなと思います。
そうですね、この話を読んでいくというか、この言葉を味わっていく、そんな感覚で読んでいけるんじゃないかなと思いますね。ではここからストーリー紹介をネタバレなしでしていこうと思います。
まず舞台はオーストリアのアルプス地方のある山になります。その中の村というんですかね。まずは1931年、主人公マンドリア・セイカーがちょっと雪山を歩いているときに死にかけている状態のヤギ貝の男性、ヤギを飼っている男性ですね。
ヤギハネスという名前なんですけど、見つけてかなり危険な状態なんで、ちょっと背負って村の医者のところまで連れて行こうとするですね。そんな場面から始まっていきます。このヤギハネスというのが何でしょうね、かなり人間離れしているような人間というかですね。
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ちょっとピエロみたいな感じというんですかね。トリックスターというか不思議なことをいろいろ言ったりするんですけど、ちょっと予言的なことですね。人が死ぬときに氷の女が現れるというですね、そんな話をします。で、エッガーは何を言ってるんだという感じなんですけど、ただですね、そうやって不思議な話をされている間にちょっとヤギハネスは煙に巻かれてしまって、もう死にかけていて動けなかったはずなのに、
気づいたらエッガーの背中から離れていて、ちょっと山の方にまた帰ってしまうというですね、そんなちょっと不思議な一連の出来事というのをエッガーが体験します。で、エッガーが何か不思議な出来事になってしまったなと思って、そのままちょっと村に降りて行って、その流れでレストランが村唯一のレストランですね、金のかもしか亭というところに入って、そこでウェイターをしていたマリーと出会うというですね。
このマリーというのが運命の女性になるんですけど、そんなですね、ところから始まる小説ですね。で、始まるといったものの、これがちょっと最初に描かれているところで、そこからちょっと話が遡ります。で、まずちょっとエッガーの子供時代というのが描かれています。ちょっとこの辺はですね、映画と原作では話の始まり方が違うので、映画を見たけど原作を読んでないという人はですね、このちょっと始まりの違いというところもそれぞれの良さがあるので、どっちも味わってもらえたらなと思います。
で、まずその後、子供時代の話になるんですけども、エッガーは1898年生まれの死聖児になります。というので、ちょっとその産みの親がなんて言うんですかね、そのからはもう離れて、ちょっと育ての親的な人のところに預けられます。
で、それが農場を持っている男性のところに預けられるんですけども、そこの男がもうかなりひどい人間で、その死聖児のエッガーをやっぱりその自分の兄弟とはちょっと差別して、もうかなり小気使うし、ことあるごとに大罰をするんですけど、無知で殴ったりして。
で、ある時ですね、行き過ぎた大罰でちょっとエッガーが片足を太ももを骨折してしまって、ちょっとその骨折が原因で、それ以来エッガーは片足が不自由になって、ちょっと足を引きずるような、そんなですね、ちょっと生涯が残るということになってしまいます。
で、そんなかなりきつい子供時代をエッガーは過ごしていたんですけども、その農場の主のお母さんですかね、エッガーにとってのおばあちゃん的な存在の女性がすごくエッガーのことを可愛がってくれていていたんですけども、そのおばあちゃんがちょっと死んでしまって。
それでですね、ちょっとエッガーがもうここにいる意味って何だろうというところで、18歳の時にエッガーがその農場を立ち去ります。ここのですね、立ち去る場面とかもかなり印象的に描かれています。
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で、その後ですね、エッガーは山で一人で小屋みたいな家で生活をして、仕事は村のいろんな雑用を受けるような、そんな生活をしています。
で、そんなんがもう10年ぐらい続いて、20代後半の時ですね、ちょっと最初に喋った話ですけど、雪山の中でヤギハネスと出会って、ちょっと不思議な体験をして。で、レストランで、金のかもし家庭でマリーに出会って、それが初対面なんですけども、そこから惚れてそのレストランに通うようになって、マリーともですね、ちょっと交際をしていくようになります。
で、エッガーもですね、マリーと結婚するとなったらですね、やっぱりちょっとお金を稼がないといけないので、就職を考えます。で、その時ですね、ちょうど村がロープウェイを作ろうというですね、ちょっとそういう事業が始まりだして、それまで一時産業的なところですね、その農場であったり、そういうのが村の仕事だったんですけども、観光ですね。
スキー客の受け入れとかですね、ちょっとそっちの方にシフトしていくという、そんな世の中的な流れ、変化があって、そのロープウェイを作る会社、ピッターマン親子会社というところにエッガーは就職します。
で、そこでやる仕事というのが、山の木を切ったりですね、荷物を運んだり、まさに肉体労働でなんですけども、エッガーはすごくたくましい人間に育っていったので、しかも山のことも精通しているので、すごい職場にも重宝されるというかですね、職場の人たちともうまくやっていきます。
ここでですね、結構その職場には部長とか、あとすごく有能な先輩がいたりして、そこでエッガーは恵まれた職場と言えるかもしれないんですけども、そこでお金も稼げるようになって、マリーと結婚を決意して、一世一代のプロポーズですね。
ちょっとですね、かなり職場の人たちとも相談をして、ちょっと盛大なプロポーズというのを計画します。というので、2人がですね、結婚するという、それがですね、作品の半分ぐらいですかね、中盤あたりになります。
で、そこから先ですね、ちょっといろいろな出来事が起こります。すごく大きな出来事というのが起こりますし、このエッガー自身ですね。
で、あと世の中もちょっと時代の流れで、1942年になると戦争で、ちょっとエッガーも自ら死願してというところもあったんですけども、ロシアまで戦争で連れて行かれて、ちょっとそこで捕虜になってしまって、もう何年間も暮らすことになって、その後また自分たちの村に戻ってくるとかですね、なっていきます。
で、だんだんエッガーも最初青年だったんですけども、ちょっと年を重ねていって、1950年以降ですね、ちょっとその高齢となったエッガーの暮らしぶりが描かれています。
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そこでですね、ちょっと最初話していた山岳ガイドの仕事をちょっと新しく始めてみたりとかですね、またその晩年になったエッガーもその晩年なりの生き方というかですね、いろいろな出来事を重ねていって人生の幕を閉じていくというですね、ちょっとそのような話になります。
そうですね。いや、ほぼ大枠なんですけど。
そうですね。大枠ですけど、結構肝心なところはちょっとネタバレになってしまうので、もう話さずに説明しているので、これをちょっとこれから読みますという人は大丈夫かなと思いますね。一連の話くらいだったら。
時代的に割と激動の時代ではあったんで、エッガーが望む望まないと関わらずに、時代の流れ、うねりにはもうどうしても飲み込まれてしまう部分はありましたと。
ただ、だからこそ、結構本を読んでいると後半の方とかすぐ、どの読みもそうか、すぐ何年か、その後4年とかその後6年とかすぐ時間がパンパン飛ぶところあったりするんですけど、でもその間もこのエッガーは必死に生きていたんだなという感じのような描写があったりして、本当この150ページの中に本当にこの人生を収めてきているというのがすごいなっていうのは改めてあります。
今いろいろちょっと話してもらった部分からちょっと派生させてしまうところではあるんですけど、なんかエッガーはちょっとその本当これ最後の方なんですけど134ページかな。
なんかちょっとこのあたりね、非常に我々の好きなジョン・ウィリアムズのストナーに通じる部分なんですけど、ちょっと読ませてもらうと、
エッガーは自分の人生は大体において決して悪くなかったと感じるのだったっていう文章があって、これがもうこのストーリーをこのエッガーが生きたことをちょっと表してるなって思うところなんですけど、ここでやっぱこう泣きそうになる感じなんですけど、
ちょっと映画でも同じようなシーンもちろんあって、一人でちょっと手紙を書いてる時にこの文章が現れたりするんですけど、映画だと石じゃなくて野原、割と草原みたいなところに寝転がって星を見上げたりするんですけど、
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その時にこの時疲れてなければっていう小説ではない言葉があって、この時疲れてなければ人生は大体において決して悪くなかったと感じるっていうのがあって、やっぱりこのエッガーちょっとその時々のこの自分の気持ちっていうのも非常に重要な要素だなっていうのをちょっと映画では言っていて、そこもちょっと感動したし、
もちろんこの小説の言葉このまま受け取っても感動するところなので、本当ラスト付近こういうちょっともういい言葉があったりするんで感動する話だなと思います。
そうですね、僕もそこは付箋張ってますね。
ここはもう鉄板ですよね。
今回再読してみて、その次のページでエッガーがマリーに向かって話すことがたくさんあるんだって、ちょっと叫びながら言ってるようなシーンがあって、そこでエッガーがその人生を受け入れて、確かに淡々と生きているように見えてはいたんですけども、一方で人生に対してすごくもがいていたし、
いろいろエッガーの中でもこれは未練であったりやり残したことというかですね、そんなのもいろいろあるんだろうなってちょっと想像させるようなことがあって、付箋張ったところとその次のページを持たない、結構泣けるポイントでしたね。
この作品で結構印象的だったのは、やっぱり一人の人生、今回80年ぐらいというところなんで、しかもエッガーがずっと同じところに住んでいたんで、そこの住んでいる村というか都市の移り変わりも結構印象的でした。
最初は農業しているようなすごく自然の中で生きているような村だったんですけど、途中で観光ですね、スキー客の来るような土地になって、戦争を挟んで戦争終わった後はロープウェイ開発も中止になったりして、また違うこの村の一面ですね、
なんかちょっと都会から離れた郊外としての村というか都市としての何か産業みたいなですね、移り変わっているっていうのも読んでいて、人だけじゃなくてこの世の中の変化っていうのも描かれているっていうのは特に再読して気付いて読んで終わりましたね。
そうですよね、確かに村が発展していってるんだなってところ、宿屋が増えたりとかホテルが増えたりとか、なんかねそのあたりとか、あと学校か、学校がちゃんとできたりとか、ちゃんと今まで何もなかった本当その場で暮らす人たちが一生懸命暮らすだけの場所だったところが、なんか産業になっていっているっていうね、不思議な変遷が見れて、
なんか近代化していく部分、車とかも通るようになるしね。
ここはなんかやっぱり映画見てた時の方がより感じるはしましたね。
いや多分あの再現度は高いよね、あと映画の。発展していく様のね、同じ通りを割とずっと映してるけどどんどん変わっていくもんね。
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そうですよね。確かにこれはなんか小説、ちょっと映画の話になるかもしれないんですけども、やっぱりこの小説の中で特に大地さんも言ったみたいに、結構前半の方に人生のピークがあって、すごく美しい出来事がいくつもあって、
で、読んでいるとやっぱりそこの印象が結構残っているんですけども、映画でも晩年になった映画がやっぱりこの自分が青年だった時代の記憶を思い出すというか、その自分が若かった時の記憶を思い浮かべるシーンが印象にあってですね、
これは人ってやっぱりそうなのかなと。生きてきて、いろんな経験があるんですけど、やっぱりその中でも特に幸せだった瞬間とか、特に忘れられない瞬間とか、そういったのがやっぱり最後、人生晩年の時に思い出していくことになるのかなとかですね。ちょっといろいろ考えたりしましたね。自分だったらどうなるんだろうとか。
まあちょっとこれ、映画の話にもなっちゃうからあれなんだけど、最後のバスのシーンがすごい俺、ちょっと泣きそうともちょっと泣いてたんだけど、これ原作にもあって、原作と同じ言葉を言うんだけど、エッガーがちょっと変わり果ててしまったという、変わり果ててしまったって言い方があれだけど、発展した街を見て、なんか戸惑いながらバスに乗るシーンがあるんですよ。
そうしたらもうちょっとその辺の心情が細かく描かれていて、自分は何も知らないみたいな。
確かにエッガーって戦争以外でね、自分の村を出たことが確かなかった。
そう、自分の意思でここから出たこともないしみたいなところがあったんで、バスに飛び乗ってというか、バスに乗るときに運転手にどこまで行くんですかって聞かれて、終電まで。それが限界だっていうセリフを言うんですけど、それ小説読んでるときは結構さらっと流しちゃったんだけど、映画を見てるときに多分その空気感とかも含めて、
何か言えない感情が高まってちょっと泣きそうになりながら、あそこ結構やばかったんだよな。で、乗って実際にあの風景を見ながらバスの終点までひたすら乗せてもらうんだけど、その間に自分の人生を振り返るんだよね。
すごい回想がいっぱい出てきましたもんね。 それで結構もうグッときてもうやばかったし、やっぱり限界だっていうところが結構なんか、自分はもうこの場所で生きてきたんだなっていうところもすごく感じたし、すごくやばいシーンだったなって思って。
言葉にしちゃうとほんとただバスを乗ってる間に自分の80年近い人生を振り返ってるだけなんだけど、まあその小説はもうちょっと違う描かれ方をするんだけど、映画だとそこにね各シーンのハイライトみたいのが割とうまく散りばめられるように映し出されていって。
まあ帰ってきてまたねエッガーはまあちょっといろいろまた思うことがあるわけだけれども、あのシーンはすごい良かったな。ちょっとなんかこれ以上言うとなんかすごいネタバレになっちゃうからあれなのでこの辺にしとくけど、でもあそこはすごくあの映画としてすごいピークだったなって思った。
39:15
でちょっと映画の話をしちゃうと、小説やっぱ文体がすごいって話を自分はしたし思ったんだけど、映画はやっぱそれを引き継ぐような再現するような映像の作り方をしていて、これこそまたあのストーリー分かっても多分感動してしまう映画だと思うんで。
すごい原作を忠実に再現してるなって思いますね。あとやっぱロケーションがアルプス地方なんで、そもそもそこの山の風景とかそういうのがすごい良かったですね。
エッガーが本当にその山の中でその小屋みたいなところに住んでるんですけど、その本当に山の中に小屋があるとかそんな風景とか。
最初にエッガーが自分の家にマリーを連れてきた時に語る風景の良さとかね、結構良いよねあそこね。
確かに原作でもこのエッガーがこの山を見ていてその風景描写の、なんかそういう描写あったりするんですけども、映像だとこうなのかっていうのが本当になんか分かった。すごいやっぱ映画はわかってても感動できましたね。
そうだよね。いやーすごかったわ。でなんか、あと映画で言うと割と小説はさっき言った通り結構エッガーが生きた時間を割と均等に描いているようなイメージがあったんだけど、やっぱり映画はもうちょっとキュッとしてる部分があったりして。
ちょっと晩年のところが一部カットされてましたしね。
そうそうそう。忠実と言いたけれども、やっぱり2時間に収めるっていうところを考えるとカットされてるシーンとか設定とかやっぱあって、まあそれはもう仕方ないかなっていうところで。
そうですね。
でも凝縮した映画だったなと思いますね。原作同様。
そうですね。あとすごい細かい点ですけど、エッガーがマリーと初めて会った時に、原作だとこのマリーの服の袖がエッガーの手に触れて、それがエッガーの中でその温もりというかですね、この感触がその後の人生ずっと残るんですけども、
映画だとこのマリーの手が直接ちょっとエッガーの手に触れてしまってですね。それでエッガーがなんかいろいろと、エッガーの記憶にも残ったと思うんですけども、そこもすごくちょっと原作とは一部違いはあるんですけど、でもすごく細かい点も再現してるっていうので、そんな細かいところとか、原作読んだ後映画見るとすごい良かったですね。
あの手の触れるところはいいよね。何度も何度もモデルしてることがわかる。エッガーがその後マリーに触れられたところを。すごく感動するあれは。
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そう、あとエッガーの妻になるマリーなんだけど、なんか小説のイメージよりも寡黙なイメージだった。もっと、勝手なあれだけどエッガーが寡黙すぎるから、おしゃべりになる時あるんだけど、なんかマリーってもうちょっと話すのかなって思ってた。なんか本読み聞かせしてくれるシーンとか小説ではあるけど映画ではなかったし。
確かに。
もうちょっとなんかマリーのこの。
言われるとそうですね。
イメージはもうちょっと活発かつ、話す人ってイメージだったんだけど。
確かにエッガー自体が、原作だとちょっと寡黙なイメージですけど、なんか映画だと普通に喋る普通の人みたいな感じだったんで。確かにそこで、マリーがというかエッガーが思っていた以上に喋るなっていうのが。
あと表情で語ってるシーンが多かったな。なんかもっと表情ない人だと思ってたから、エッガー。
結構微笑みで返すことが多い。
あとエッガー役面白いですよ。子役、あと青年役と老人役と3人の人がそれぞれ分担してやってたんですけど、青年役のエッガーがめっちゃイケメンで、しかも体格もすごいんですよね。筋肉の雰囲気で。
その辺がちょっとエッガーかっこよすぎるんじゃないかとかですね。と思ったりはしましたけど、でもこういうものかなって。
でもあの3人で役を分けるのは上手かったな。青年から老人に切り替わるところ、エッガーあれは上手かったし、その時に老人役の方の背中が結構、歩いてる背中が映し出されるんだけど、青年のエッガーの時の歩き方とか肩の感じとすごい似てて、なんかすごい上手いなって思った。
その映画としてすごく上手に作ってるなって思った。
確かにね。なんか老人役もやっぱり見てたらエッガーだっていうので違和感全然なかったですし。
うんうんうんうん。確かにね。違和感ないよね。違和感ないってすごいよね。
そうですね。青年役のエッガーもやっぱりめっちゃイケメンなんですけど、やっぱりでも映画見てるとエッガーってこういう人だなって本当に思いますし、特に違和感とかでなかったですし。
だからあの役者さんの他の何か出演してる映画とか映像作品とか見た時にちょっとあれエッガーじゃないってなるんだろうね。きっとね。
そうかもしれないですね。
である一生なんですけど、よくジョン・ウィリアムズのストナー、我々も大好きなストナーと似てるとか言われることがあったりします。
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ストナーも同じように地味だけど非常に丁寧にある男の一生を描いていて、その中にある悲しみとか受け入れなきゃいけない部分だとか、時代に翻弄される部分とか描かれてるんだけれども、
確かにこれめちゃくちゃ似てるんだけれども、ある一生の方が圧倒的にページ数が少なくて読みやすいっていうこの、すごい面白いなと思っていて。
それは登場人物の少なさ、出来事の少なさみたいなところももしかしたらあるのかもしれないけれども、でも全然不足してる感じはしないし、ストナーが好きな人は絶対読んだらハマるはずですね。
個人的に似てるなって思うのは文体かなってちょっと思ったりしていて、翻訳の仕方もあると思うけど、もともとの文体はすごいんだろうなって思うのと、
あと、前越前さん、越前敏田さんのyoutubeに出させてもらった時に多分越前さんからかな、お話があったと思うんですけれども、真のある文体、真のある文章っていうのがいいみたいな話があって、
このある一章、ちょっと原文読むことができないので、翻訳したものを読むことしかできないのでわからないんですけれども、真のある文章だな、文体だなとは私は思いましたね。
だから非常に読みやすいんだなと思います。
確かに。トーナーと雰囲気似てるなって本当に思うんですけども、文体も確かに共通しているところありそうですよね。
真のあるというところだと、どっちも無駄がなく書かれていると思いますし、エッガーにしてもあとストーナーにしても、一見するとこの受け身な生き方をしているんじゃないかって思うような2人ですけども、
でも捉え方によっては、このある一章だったらアルプスというすごい自然の力が大きな中で、人間の存在っていうのは極一部、自然の中では小さい存在なのかなって思わせますし、ストーナーもストーナーという作品の中の世界、社会の中でストーナーという1人の人の存在は限られているという、小さいかもしれないと。
それでも自分の人生を他人と資格をせずに、自分なりに受け止めて自分の人生を生きようとしているっていうところはですね、このエッガーもストーナーも重なって感じましたね。
そうですね、このある一章とかストーナーとか、今の世の中で他よりも優秀であろうとかですね、稼いでる人が偉いとかですね、学歴社会とかもそうかもしれないですけど、そういう他人と資格してどうこうというかというのではない、また違った生き方をしているというのがこの主人公2人の生き方で、やっぱりそこの魅力っていうのも共通してあると思いますし。
本当そうですよね。だからなんかこの小説多分自分の人生を振り返ったりとか、自分の人生の意味って何だろうとか、そういうところまで視野を持っていける小説で、これストーナーを読んだ時もそう思ったんだけれども、最後ストーナーもそうなんだけど、このエッガーもね、死ぬ時の感情っていうのがすごくいいんだよね。
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自分の人生を閉じる時の感情。もう本当にちょっと読み上げたけれども、悪くはなかったっていう気持ち。なんかこういう気持ちを抱いて自分もやっぱり死んでいきたいなとちょっと思ったりもするし。なんだろう、それは最終的に自分の人生の終着点がどういう場所になってるのかっていうのは、もう本当誰にも分からない部分。生きてる上では誰にも分からない部分だし、明日死んじゃうかもしれないし。
でもやっぱこういう本を読むと、人生に降りかかるいろんなことあるけれども、強く生きたいなって思いたい。そんなふうに思わせてくれる小説なので、ぜひ多くの人に150ページなので、読んでもらいたいと思ってますね。
僕もですね、ある一生は自分の人生がこの先どうなるのか分からないっていう不安がある人とかですね、読んでもらえたらなと思いますね。このエッガーも少年の時はやっぱりすごい将来どうなるかなんて想像もできなかったくらいですね、なかなか厳しい環境で育って子供時代過ごしてましたし、
エッガーって学歴とかそういうのは全然ないですし、将来のキャリア的なところですね、今でいう。将来どういう仕事についてどうやって食べていこうとかですね、そういったプランっていうのはもう一切ゼロの状態で、一人で食べられる人もいない中で、しかも田舎の外に出ていかないといけないというですね、この設定だけ見るとめちゃめちゃ厳しい状況で、それで生きていった人なんで。
なのでですね、将来不安があったりするときですね、このある一生を読むとですね、何かエッガーから力をもらえたりするんじゃないかなと思いますね。
読んでほしいな。じゃあ次回予告して終わりたいと思います。次回はですね、番外編お便り紹介会になります。お便りいただいた方々お楽しみにしていただければと思います。お便り出しないよという人はもう我々のお便りに対しての回答トークをぜひ楽しみにしていただければなと思います。
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それでは、番組の回数やリクエスト、またこのラジオを聞いて紹介された本を読みました、読み返しましたがございましたら、ハッシュタグそろとび猫たちをつけて教えていただけると大変嬉しいです。
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ではまた来週。
ありがとうございました。
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