各地を巡り、生まれ故郷であるエジプトの都市、テーベに戻ってきたシヌヘは、権力闘争に巻き込まれ、時代のうねりに翻弄されていく。
彼を待ち受ける運命とは、孤独の果てに彼は何を考えるのか。
前回に引き続き、エジプト人シヌヘ 下巻を、翻訳者のセルボ貴子さんと、みずいろブックスの岡村茉利奈さんとご紹介します。
どうもみなさんこんにちは。文学ラジオ空飛猫たちです。この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな二人がゆるーくトークするポッドキャストです。
パーソナリティは私大使と三重の二人でお送りします。文学のプロではない二人ですが、お互いに好きな作品を時には熱く、時には愉快にそれぞれの視点で紹介していく番組です。
今回紹介するのはミカバルタリーのエジプト人シヌヘ 下巻になります。セルボ貴子さん役で岐阜川忠さん。今週みずいろブックスから2024年に出版された本です。
前回に引き続きエジプト人シヌヘをご紹介します。今週は下巻の内容に入っていきたいなと思っております。
もちろん前回に引き続き、翻訳されたセルボ貴子さんとみずいろブックスの岡村麻里奈さんに来ていただいております。今週もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
上巻話してみてどうでした?お二人。
話し足りないですね。
もう読書会が楽しみです。
今ちょっと言い忘れちゃいましたけど、ゴールデンウィーク明けぐらいに、2025年ゴールデンウィーク明けぐらいに読書会を企画しようと思っておりますので、オンラインでやりますので、ぜひエジプト人シヌヘ、皆様読んでご参加いただけたらなと思っております。
本当に上巻の話をですね、ぜひ上巻からこれ聞いてもらいたいんですけれども、いろんな魅力が詰まった本だなっていうのはわかってもらえたんじゃないかなと思いますので。
今セルゴさんがおっしゃった通り、話し足りない部分多分めちゃくちゃあるので、読んだ方と思いっきり話したいところがあるので、ぜひご参加いただけたらなと思います。
そうですね、ちょっと話し足りなかったですね。特にこのシヌヘの冒険のところは話し出すと止まらないので、どこをどうという感じで結構大枠しか話してないので、各地でいろんなことがあったんですが、それもちょっと話せずっていうところですね。
それだけ要素が詰まりに詰まった。私はお二人の感想が聞けて、とても楽しく嬉しく聞かせてもらいました。本当にありがとうございます。
そうなんですよ。マリナさんと二人で、さらとべ猫さんたちがどのような反応をくださるのかというところをですね、ドキドキしながら待っていたので、さっきは実は上巻文収録しながらマリナさんとエアハイタッチしたい気分でした。
分かります。
いやーでもね、本当に面白い作品だったんで。上巻の冒頭でもお話しましたけど、本当に一気読みができるぐらいですね、流れるように展開していくこの本がすごかったので、下巻いろいろと思ってます。
そうですね。でも上巻では本当、なんか上巻の中の本当に前半部分しか話ができてなかったんで、下巻は下巻でまた話、この物語がガラッと変わってきて、シヌヘが冒険を上巻はしていたんですけど、下巻だとエジプトに戻って政治闘争に巻き込まれたり、また戦争もあったりというので、上巻と下巻との読んでいる時の印象の差と言いますか。
上巻すごいワクワクドキドキしながら読んでたんですけど、下巻は下巻でまた違う読みごたえがあって、というので、なんかそうですね、なんで下巻は下巻でまた全く飽きずに、ちょっと本当次が気になってしょうがないような、そんな作品かなって思いました。
じゃあ早速なんですけれども、下巻のストーリーをざっくりご紹介したいと思います。ただ、これ結構ネタバレ要素がですね、下巻にもなってくるとですね、多くなってくるので、あまり重要なところはお伝えせず、ただこの流れだけちょっとわかるような形でちょっとお伝えしたいなと思います。
で、下巻はですね、ファラオが変わりますね。上巻でも出てきたんですが、アクエンアテンという人物がいたんですけれども、これがファラオとなり、ちょっとですね、このテーベという都市の中で、アクエンアテンが信仰しているアテンっていう神と、従来から信仰がついているアメンっていう神がいるんですけど、そこがですね、対立というか、うまくいかなくなっていきます。
アクエンアテンはですね、基本的に自分の理想を実現したいっていうのがすごく強くあって、その理想っていうのが、本当に理想で、誰も平和に生きていく、略奪がない、絵に描いたような理想を描いて、それを追い求めているというか実現させようとするんですね。
当たり前なんですけど、なかなかそれはですね、もちろん頭ではわかっているし、心でも多分わかると思うんですけれども、なかなかそれを実現しようとすると、いろんな圧力が生まれるというところですね。
実際にはやっぱりこれうまくいかなくてっていうところはあるんですけども、そうなってくると、従来の構造的に歪みが生まれてしまうというか、従来の構造で生きてきた人たちからすると、もうそのアクエンアテンの理想っていうのはですね、なかなか対立するというかという形になってきます。
なので、このテイベでですね、なかなかこのうまくアクエンアテンは自分の理想が実現できないということをですね、悟りまして、自分の理想を実現させようと、他の地でアケトアテンという街を作って、それを実現させようとしてきます。
それにですね、シヌイはちょっとついていくことになるんですけれども、なのでテイベからシヌイはちょっと離れることになりますね。
で、アクエンアテンが離れたテイベなんですけれども、一回そのアメンを侵攻しているものはこう、何でしょう、排除したんですけど、排除しきれないかったので残っていて、で、アクエンアテンがいないテイベでは、そのアメンを侵攻する勢力というか、力を蓄えていきます。
で、シヌイはですね、このファラオのアクエンアテンに王に仕える意思として同行して、その街、アケトアテンで10年ほど過ごしていきました。
で、ある時ファラオの使い手テイベに帰ることになるんですが、その時ですね、アメン侵攻の勢力が拡大しているということを知りますと。
で、シヌイはその直りですね、テイベの宮殿で自身の出生の秘密を知ってしまいます。
で、小田家であるメリトという人物がいるんですけれども、彼女のみそのことを伝えますね。
メリト側も実は秘密を持っているという話が出てくるんですけど、その秘密が何なのか教えてくれない。
シヌイは知りたかったんですが、教えてくれないという状況になります。
で、アケトアテンに帰って、シヌイはファラオからアムルという国があるんですけども、そこの国との和平交渉の任を任されます。
で、シヌイは危険を犯しながらアムルへと向かい、で、このアムルの王なんですけど、あの城間の大冒険の中でですね、すごく仲良くなっていった人物で、
旧友とかもかなり信頼関係もある状態なんですね。
とはいえ、いろんな立場があるんで、お互いいろいろあるんですけれども、アムルの王のアジルと再会して、この和平交渉を持ちかけます。
和平交渉もいろんなことがあるんですけど、なんとか取り付けることができて、持って帰ります。
で、そんな状態なんですけど、アクエンアテンが治めているエジプトというか、世界はですね、なかなか今限界を迎えていました。
で、もうアクエンアテンを殺さないとですね、エジプトは他国に滅ばされるだろうと、もうアクエンアテンは理想を追い求めすぎるので、他国に侵略されたりとかしてもやり返さなかったりするし、いろいろですね、歪みが生まれているというところです。
で、そんな現実をなかなか彼は見ようとしないので、どれだけエジプトがやばい状況になるかっていうのを認識しないという状態です。
時間変化でいうと、スパンが上巻に比べるとすぐ飛ぶというか、10年とか結構時間が経つじゃないですか、そこは人が関係が変わったりすることもあって、
それこそ、難しいな、やっぱり親しかったものが時間が経つと、関係が変わっていがみ合うまではいかないけれど、ちょっとうまくいかなくなってるとか、そういうのって日常っても確かにあるし、そういうのもうまく描いてて、すごく面白いなっていうか、すごくリアルだなって思いましたね。
少し翻訳の話に入ると、そういう変化をどういうふうにセリフで表すかとか、っていうところもすごい悩んだところではあったので、結構そういう意味で意識してたかもしれないです、作り手側としては。
成長していくに従って一年生を変えていったりとか、あとはキャラクター同士の関係性ではかびしゃな言い方にしたりとか、っていう相談も水浦仏子さんとはずっとやっていて、ネフェルネフェルネフェルの話し方とかもけんけん学学しましたよね、最初のときにね。
この人は女らしさと色っぽさと、男を老落するというか絡めとるこういったところをどう話し方で表したらいいかとか、ちょっとキャラクター的に通じるところもある女王のネフェルトイティーはどうするかとか、あくまで高貴さを出したほうが出したいですけどねっていうようなご相談もいただいたりとか、そうですよねって。
私も最初と全くネフェルネフェルネフェルのしゃべり方は全くもう少し違ったものにしてたんですけど、やっぱりこういうアドバイスを水浦仏子さんからいただいて、今の形に落ち着いて良かったなっていうふうに思ったりしているので、ここは本当に翻訳者一人だけではやっぱり決められることではなくて、編集者さんの後っていうのは見えないものなんですけれども、その見えないものがすごく大きいんですよね、実は。
翻訳者は名前は出していただくんですけれども、編集者さんとか水浦仏子さんの場合は同一人物なんですけれども、出版社の意向とか考え方、なんでこの作品を今この世に出したいかっていうところの部分が全体に見えないけれども漂っているっていうのが最後の完成品っていうことなんだなっていうのが一番感じられた体験になりました。
このあたりは番外編でももう少しお話できたらなと思いますけれども、上下間通じて何百回メールのやり取りをしたかわからないぐらいですね。こんなにやり取りできたことは今までないです。なので珍しいケースですね。
普通は全部やっちゃって初高、最高っていった感じで、ここいいですね、これはこうですねぐらいの簡単なものでも済むことがあると思うので、もちろん翻訳者が実力がすごくあって、もう最初から完成品みたいなすごいものを出してくださる方の場合は編集者さんもほとんど手を入れずにできるっていうこともあるかもしれないんですけど、私の場合はですね、本当にマリナさんに二人三脚の最初から最後までお互い体調壊しそうになりながらっていう。
忘れられない体験にはなりましたね。この死ぬ日の一章一章の上巻も下巻も全部で15章ですけれども、やり取りで今マリナさんがおっしゃってくださったように登場人物の成長とか、それから立場の変化とかを言い方に反映したり、どこまで反映するかっていうこともすごくいろいろ話し合いを重ねてこの形になっています。
でも本当この死ぬ日の魅力、上巻でも話しましたけど会話のテンポ感とかその流れっていうのはすごく面白かったので、多分翻訳はここかなり苦労されたんだろうなっていうのはちょっと感じたというか、やっぱりキャラクターの濃さっていうのは結構あるので、それを適切に日本語に落とすっていうのは結構大変だったんだろうなと思います。
それこそ日本の歴史物っぽい物言いっていうか、真平洋みたいな感じの会話の感じって日本語独特なところもあると思うので、そのあたりとかもうまく使ったんだろうなと思いながら読ませていただきましたが。
そうですね、これをやるときにやっぱり古代エジプトの喋り方ってどんなんだっていうのが全然わからないのと、それをバルタリーも意識していたみたいなので、ニフキンランド語でその古代エジプトっぽい言い方をしたようなセレフがあったと思いますし、
これを私が今、現代の日本語にミゾルボックスさんとしては、この物語がミカバルタリーを知らない方に向けて、ぜひこの素晴らしい物語を知っていただきたいっていうところがあったので、旧訳とやっぱり違うもので、前文が入ってるっていうこの簡易訳であるということに加えて、より親しんでいただきやすい、でももちろん改める訳っていうふうに書くんですけれども、
勝手にこう変えるといったことはせずに、誠実に原作と向き合って、一文一文、一章ずつ、それぞれの登場人物の関係性も考えて、考えた上でやりとりを重ねて、この形にはなっているので、私がこれをやるときに下調べで、もちろん古代エジプトの文献とか、日本語で出ているものとかも読んで背景知識は入れたんですけれども、
どんなスタイルにしようかなっていうのを、古代エジプトのものを現代に、ただその時代の雰囲気を残しつつっていうところで、原文にもちろん尊重しつつ、過去にですね、セイクスピアを全部訳したのがツボウチショウヨウだったりするんですけれども、一番最初にやったのがツボウチショウヨウで、明治の頃なんですけど、書かれたのが1600年代じゃないですか、セイクスピアって。
ということで、ツボウチショウヨウが江戸時代の文学を参照して訳したらしいですね、当時。だからロミオとジュリエットとかでもあの時のだと、ロミオ、ロミオ、なぜお前はロミオじゃ、みたいな感じになってるんですけど、今聞くと違和感は感じるんですけど、どうしようかなといろいろ悩み苦しみ、時に読んだものを楽しみつつ、このセリフの訳し方だったりするので、
さっきおっしゃったような、シヌヘをお前は何とかだなとか、ゴルウェイムヘブが兵士たちに話しかける時の、このソッパなドマメみたいな、お前らこんなことやってんじゃないぞって言ったような、あの流れっていうのはできる限り切らずに伝えたいなと、本当に苦労してですね、こうやっております。
本当に会話の量がすごいですからね。
これは結構史実に則ってるって感じなんですよね、きっと。
そうですね。
実際、歴史上で最初に唯一神にしようとして、結局はその一代で終わってしまっているんですけれども、
貧道教とかですけれども、多神教ってかなりいろんな神様がいて、神様って結構めちゃくちゃなんだなっていうのが、
日本の神話もそうですけどね、女の人を勝手に奪ってきたりとか、
受婚しちゃったりとか、勝手に若い女の子に惚れちゃったりとか、奪い合ったりっていうようなところとかが、
だから古代エジプトの神様のお話だと、私も全部ちょっと把握しきれていないんですけれども、
うやむやのところを、それをみんなが受け入れてうまくやってきたっていうところができているような気がして、
それが受容性というかですね、そういったいろんなものを受け入れる素児だったのを、
一つだけの神様、このアテンだけ、太陽というものが象徴するものにしていこうとすると、
言ってることはいいのに、例えば、人は皆平等であるとかいうことをしようとすると、
旧代、この昔からの貴族であったり神官であったり、裕福な商人たちであったり、それから平民もそれなりにうまくやってきたのに、
なんでこれをガラッとひっくり返すのかっていったような変化への恐れとかもあるし、
一つだけに集約しようとすると、どうしてもギチギチに固めていかないといけないといったところとかなどが、
いろんな厚歴を踏んでいこうのかなと感じながら、そこを読むのつらいところでもあるんですけど、やっぱり深みもある部分でもあるなと思って、
宗教戦争の部分ですね。死ぬ兵たちも、今のルクソウルのあたりに登っていって、いろんなことをするわけですけど、
そこは下官でも重い部分ですよね。国の中で同じ国の人たちで争うことになるっていうのは。
そうですね。これ、現代にも通じるというか、印象として思ったのは、今またダイバーシティとか多様性の話があると思うんですけど、今の現代って。
それがまた、トランプ政権が復活したからとかもいろいろ影響あると思うんですけど、ゆり戻しが起きてて、今年入ってから、具体的に言うと、企業の採用基準が多様性を重視したのが元に戻すとか、そういう話があったりして、
理想を追い求めていくと、多分どこかでうまくいかなくなって、ゆり戻しが起こるんだなとか、ちょっとこれを、今回死ぬへいを読みながら、このあたりをちょっと感じましたね。
そうですね。物事の動きっていうのを感じますよね。左側に行って、また右側に極端に戻ってっていう。どうして真ん中はいけないのかって思うんですけど。
そうですよね。多様性のこととか言うと、これすごくセンシティブなあれだからあれですけど、それが善とされてしまっているがゆえに、それを強要されてしまう側みたいなのも生まれてたはずで、本当にさっき言った通り多神教時の曖昧さみたいなのが、結構うまく回すには必要だったりすることもあるかなと思うんですけど、
分かりやすく理想とか分かりやすく正しいだと、全部そっちに持ってかれちゃって、結局全部のとこによくできるわけは、いい顔するって言い方ちょっと違うと思うんですけど、全部を立たそうとするとやっぱり歪むなっていうのはあって、それと似てるなってちょっと今、
私結構多様性っていうのが世界的に突き進んでいくんだろうなと思っていたので、多様性に対しての採用基準とか、働き方とかを廃止しますみたいなことに、結構大きい企業がいくつか今年入ってからなっているのを見て、
あ、この方向性でいかないんだって、なんかちょっと衝撃があったというか、あ、世界ってこれ揺り戻しされるんだみたいなのもあったんで、なんかやっぱり極端にどんどん降っていくっていうのは、やっぱ時代、歴史を見てもあるんだなってちょっと思ったところですね。
繰り返しを見るよりつらいですね、これは。 トランプにも通じるものもある気がしていて、なんか面白いなって、面白いなっていうか、やっぱ人間って変わらないのかなみたいなのは、すごく嫌な意味というか、あれでちょっと感じちゃいますよね。
歴史を読めば学べるはずなんですけれども、私も含め過ちを繰り返し続けてしまうというところが人類の悲哀というか、ただそれをバルタリーは優しさ、人間性っていう点で優しさを感じる視点で見ているなと思うんですけれども、それを否定するということではなくて、人間ってこうなんだなっていうところを描いているなと思うんですけれども、
おっしゃるように今の私たちが生きている現代の世の中の方向性って本当にトップに立つ人一人でこう変わってしまうんだなっていうことですけど、でもそれを実現させたのは民主主義で投票される国民というところがまた恐ろしいんですが。
一神教というところで言うとバルタリーの背景でですね、文学に完全に転校する前に大学で神学部に入っていて、宗教について学んでいたというのがあって、自分が子供の頃に亡くなったお父さんとかそれからおじさんなども牧師であったりといったところもあるので、
キリスト教とそれから自分という個人としての立ち位置とかその関係性っていうのをずっと考えていた節はあるので、それが古代エジプトという背景を取りながらも、世界第二次世界大戦とかそれから宗教というものについての考えは色濃く反映されている作品なんだろうなと思います。
ありがとうございました。エジプト人シヌヘですね。上下巻にわたって先週今週とお話しさせていただきました。じゃあ最後、感想を含めてどんな人に読んでもらいたいかお話しして終わりたいと思います。じゃあちょっとまず私から行きますね。
この本は本当にエジプトっていうこの大きな時代のうねりの中で、もちろんフィクションであるシヌヘという人物の生き様が描かれていて、読み終わった時にシヌヘが他人ではないぐらい、自分の中に強く残っていて、彼の悩みとか彼の孤独とかすごく感性しまう一冊でした。
やっぱりこの長い本だからこそ実現できるこの没入感というか、物語の中に入ってきるっていう力があると思うので、ちょっと長いかなと思われると思うんですけれども、ぜひですね、勇気を出して、まず最初の一章から読んでもらって、そしたらたぶん止まらなくなる可能性があるので、ぜひ手に出してもらいたいなと思います。
そうですね。シヌヘ、上下感ですごいボリュームあるんですけども、やっぱりその分読み応えのある物語になっていまして、シヌヘのような小説、なかなか味わえないんじゃないかなと思いますね。これだけストーリーも面白いし、出てくる登場人物たちも面白いしというので、本当に読み出すと夢中になると思いますし。
そうですね。やっぱりこういう面白い話を読んでいると、ちょっと現実で嫌なことがあったりとか、これからどうしようと迷うことがあったりしても、シヌヘの世界に逃げられるようなですね、そんなすごい魅力的な世界観があるので、そういった意味で本当に面白い小説を読みたいなと思っている人には全てオススメだなと思います。
はい、ありがとうございます。上下感分、今2回収録をしていただいて、まだまだ全然足りてないという、申し訳ありません。止まらないんですけれども、私やそれからミゼルブックさんはですね、20回ぐらいかそれ以上かの部分部分だと思って読み込んではいると思うんですが、何回読んでも飽きないんですね。
上下感1000ページでちょっと躊躇ってしまう方はおられるかもしれないんですけれども、これ1週間で読まなきゃとかそういうものではないので、それこそまずは積んでいただいて、また書家に借りていただいても全く構わないので、どれだけ面白い物語なのかっていうのを少しずつでも、どれぐらい時間かかっても構わないので、味わっていただきたいなというのが本当に正直なところです。
で、今回はさせないと言いたいんですけど、おそらくされないと思いますので、それぐらいいろんな物語、フィクションならではっていうものが詰まった極上のエンターテインメントだと思います。ぜひお勧めいたします。
読んでほしいというのが一番なんですが、あのみえさんも先ほどおっしゃってくださった、現実を忘れて没頭できるっていうのは長編小説の魅力だと思っていて、私自身も現実に少し疲れちゃった時とか、長編小説を読んで、その世界に没頭することで救われてきましたし、
このエジプト人シヌヘは全員とは言わずとも、多くの方に引っかかるポイントだったり、得られる何かがある物語だと思っておりますので、ぜひ気軽に手に取ってもらえたら嬉しいです。
ありがとうございます。そうですね、本当に様々な世代、若い10代読んだら、結構なんかすごい冒険者としてもね、すごい面白いから、なんかハマりそうですよね。じゃあ次の質問に行きたいと思います。
【佐藤】水色ブックスでは今までエジプト人シヌヘ以外にも2冊本を出しておりまして、そちらのご案内をさせていただきたいと思います。まず1冊目の本は、「エジプト人シヌヘ」です。
【佐藤】はい。
【佐藤】もう1冊は、「奇跡のピアニスト 縦野泉」という、こちらは表伝になります。縦野泉さん、ご存知の方もいらっしゃるかもしれないんですが、左手のピアニストとして、現在88歳なんですけれども、現在も積極的に世界中のピアニストとして、
世界中でコンサートを開催されているクラシック界の巨匠でして、フィンランドと日本を拠点にしながら活動されています。そんな縦野さんの人生、生き方、考え方というものを、フィンランド人のサリラウティオさんが、
そんな縦野泉さんの人生だったり、生き方、考え方というものに魅了されて、ものすごい情熱を持って調査して、ご本人も知らなかったようなエピソードまで調べ上げて、本当に1冊に凝縮されたものになっています。