言葉の本質について
はじめるラジオキャンパス シーズン1のエピソード15、15番目のエピソードですね。
15番目は、「言葉の本質について語りはじめる」。
言葉の本質について語りはじめる。 まあこれは、
なんていうのかな、言葉、なぜ人間が言葉を獲得したか、これ結構ね、まだ謎の部分が多いんですよね、実は。
いつどういうふうに、なぜ獲得したのか、言葉をね。
ただこう、まあだいぶ
ね、
いいとこまでわかってきている部分もあるのでね、そのあたりも、あんまりこう難しい話にせずに、ちょっとエピソードを重ねる形で、
言葉の本質に迫ってみようかなと思うんですよね、なるべくわかりやすくね。
ちょうどこのはじめるラジオキャンパスで、まあいろんな話を私の近況を含めてね、話している部分もあるんですが、最近ちょっと
エピソード10あたりからね、AIの未来とか、 ホモ・サピエンスの未来とか、
人類社会の原点とか、まあそういうテーマがちょっと始まったんですが、これを語り始めたら、やっぱり言葉の本質。
例えばAIが、なぜ言葉を生み出せるようになったのか。
普通、言葉っていうのは、体を持っていないと生み出せないんじゃないかっていう説もあったんだけども、でも自然にこう、
今AIが生み出すようになったんだよね、言葉をね。 この辺の、なぜAIは言葉を喋るようになったのか。
例えば、ホモ・サピエンス、人間以外の動物は言葉を喋るのか。 これは喋るんですけど、
人間みたいな言葉じゃないんだよね。 うちのワンちゃんも一生懸命喋るんだよね。
今度、喋ったところ、あ、というかYouTubeで
犬語チャレンジっていうね、ショート動画上げてますけども。 まだまだちょっと面白い
犬の喋る、喋るって言っても言葉になってないんだけど、明らかに何かを表現してコミュニケーションとってね、何かをアピールして何かを喋ってる。
ただこう、人間みたいに
舌とか、舌ベロね、舌とか口の構造とかが
発達してないので、 言葉にならないんだけど、でもいろいろ一生懸命喋るんですよね。
だいたい通じるんですよね。 私、犬と喋れるんですけど、まあそれはさておき、
言葉ね。
犬も言葉を持ってるんですね。 他の動物も言葉を持ってる。ただ人間の言葉とは
ちょっと違う。
どこがどう違うのか。 そしてAIの言葉と人間の言葉もちょっと違う。
じゃあ何がどう違うのかってね、そういう話なんですよね。
我々ホモ・サピエンスが獲得した言葉、なぜ獲得したのか。
その謎、本質ですね。言語、言葉の本質についてちょっといろんな角度から考えてみようかなと思っています。
最近あのね、もう出たばっかり、まだ出てから1、2ヶ月しか経ってない本でベストセラーになっている
「言語の本質」。今井むつみさんと秋田喜美さんという方が書いた
「言語の本質」、中央公論社、中公新書から出たんですね。1056円、税込み。
これは本当に言葉のことに興味ある方は、AIのことに興味ある方は
読んだ方がいいと思うんですが、私もこれを
いろんなところでお勧めしてて、買った人もいると思うんですが、やっぱりちょっと馴染みのない人は
専門用語も入ってくるから、まあだいぶわかりやすく書いてあるんだけど
やっぱり言葉難しいのでわからないという人もいるので、これも
ちょっと噛み砕く部分もね、この
ラジオでは喋れるかなと思ってるんですけど、ただこのはじめるラジオキャンパスはそんな
難しい講義をするラジオではなくて、結構、自由なことを妄想を含めて勝手に
自由に喋るラジオなのでね、まあ授業的なこの本の読み解きとかは、もうnoteの私のオンラインサロンとかでね
ぜひ取り上げてやりたいと思ってるんですけど、まあ言葉の本質
について語りはじめるということで、語り始めですので、あんまり本質までたどり着きませんが
ちょっといくつかの
エピソードを取り上げながら、例えば、動物と人間の違い、AIと人間の違い、さっき言いましたね
そういういろんな角度からちょっと言葉の本質に迫ってみようかななんて思ってます
ということで、この続きはまた次回。では
はじめるラジオキャンパスシーズン1のエピソード15、15番目のエピソード
「言葉の本質について語りはじめる」のセグメント2ですね
赤ちゃんの言語獲得とメカニズム
最初のセグメントでは、その言葉の本質について語りはじめるということなんだけれども
これテーマ大きいのでね、そう簡単には語りきれないので、あくまでも語りはじめるということですよね
そういう形で喋っていこうと思うんですが
最近はやっぱりAIが言葉を語り始めた、自然な言葉を語れるようになったっていうのは、やっぱりこれ一つ大きな事件なんですけれども
ここではね、そういったことも含めて
我々人間がやっぱり唯一、これまでは
抽象的な言葉を自由に、ある程度自由に扱ってきたわけですよね
他の動物はやっぱりそこまでの抽象的な言葉は使えないわけです
ところが我々はですね、赤ちゃんから始まって、みんなだいたい、もちろん程度の違いはあるんですけどね、どこまで
言葉を使えるようになるかは個人差もたくさん、能力差もあるんですけれども、でも普通に話せるようになって、普通に理解できるようになる言葉を通じてね
いうことが起きるわけです。この、言語獲得と言いますけど、言葉はどうやって獲得されるのかっていうね、これはずっと本当に議論があって
まあ難しい話は置いておいて、ここから行きましょうかね。赤ちゃん、赤ちゃんから行きましょう。我々、生まれ落ちました
同時にワンコも飼い始めました。犬も赤ちゃんも結構コミュニケーションをとるんですよね。人といろんなコミュニケーションをとる
ところが何ヶ月か経つと赤ちゃん、人間の赤ちゃんは
喋りはじめるんだね。言葉を発しはじめる。 犬は
言葉にならない言葉を発し続けるわけですよね。なんで人間の赤ちゃんは
言葉を獲得して、その後だんだんだんだんこう 抽象的な難しい言葉を覚えていって、いろんな言葉を使いこなすようになっていく
しかも面白いのは、みんながみんな同じような文法を使うようになる。 ここに鉛筆があります。ここに水があります。
喉が渇いています。みんな同じ文法を使いはじめる。これは不思議なことなんだということですね。
言語学の世界では、だから言語にはそもそもそういう普遍的な特質があるんだと
いうことが言われて、だからその、何だろう、その文法、普遍的な文法って言うんですけど、
普遍的な文法が存在しているんだっていうね。 だからコンピューターも普遍的な文法を覚えさせれば喋れるようになるんだっていう。
そういう説で、コンピューターにも言葉を覚えさせるっていうことがずっと進んできたんですが、
AIもここまで進化していろんなことが分かってきましたっていうことなんですが、
実は普遍文法だけでは説明できないということがむしろ分かってきたっていうことなんですよね。
このまま話に戻って、赤ちゃん、最初にどんな言葉を喋りますかね。
子育て中の人もいるし、子育て終えた人もいるし、子供いない方もいると思うんですが、
最初、何から喋りました? 多分、「まんま」とか「まま」とかね、「まま」から始まるんでね。
まーまーまーまーまーまーまーまーまーから始まる。 で、その時パーが入れるようになる。パパーママーね。パッパッパパパパパーが入れるようになる。
マとパーってこれ、どっちも発音してみればわかるけれども、口を閉じて開くんだよね。パッハッ。ね、マ。
そういう言葉は他にあるかちょっと探してみてくださいね。 ここから始まるんだよね。
その音に対して、いろんな意味付けがなされていくわけね。生活の中でね。
例えば、ご飯を食べているときに、まんままんま。まんまって言えば、なんかおいしいものがもらえる。
まんままんまというようになる。そのまんまをくれるのは、だいたいママだったりするから、ママとまんまがつながってくるとかね。
ここにママ、まんまっていう2つの言葉。ママとまんまはでも違うんだなってことを覚えていく。
時々、最近はパパもご飯を食べさせてくれると思うんですけども、パパっていうのはまたちょっと違う存在として、パパとママを区別していく。
そこから始まるわけですよね。このパパとかママっていうのは、
あるいはマンマとかね。
まあその後、どんなことが起こりますかね。わんわんとかにゃんにゃんとかね。これ、わんわんにゃんにゃんになると、口を閉じないんですよね。
そういう発話も覚えてくる。
少し子供がどんな風にどんな言葉を覚えていくのかっていうとこから、一つは言葉の本質に迫っていくっていうアプローチは、1個
オノマトペと言語の起源
とても大事なことだということなんですよね。
この話と、実はオノマトペってわかるオノマトペ。犬がわんわん鳴いているとか、そういうわんわんね。
今日はちょっと髪の毛がゴワゴワしている、ゴワゴワとかね。そういうのオノマトペって言うんですけども、これと実は、子供の言語獲得っていうのは、すごく共通性があるっていう話もあるわけです。
この辺、また次の話にしていきたいと思います。
とりあえず、「言葉の本質について語りはじめる」のセグメント2でした。
では、はじめるラジオキャンパス、シーズン1のエピソード15、15番目のエピソードのセグメント3ですね。
3つ目のセグメントになります。
「言葉の本質について語りはじめる」。
言葉の本質ってのはすごく難しいんですけど、これはnoteの記事でも紹介したし、もうベストセラーになっているので、私が紹介するまでもないんですけど。
中公新書から「言語の本質」、言葉はどう生まれ進化したかという本が出て、これはちょうど今GPTとかが衝撃を生んでる中で、むしろ言語、言葉ですよね。
なんで人は言葉を操れるのか、AIも言葉を操れるようになってきたけども、その違いは何なんだろう。
さらに言うと、動物はなぜ言葉を話せない、話さない、話してるとするとちょっと違った話し方してるわけですよね。
そういう意味で、言語の本質っていうのは結構、重要なテーマなんです、人間にとってね。
人の進化にとってもとても重要なことなんですよね。
むしろ言語、言葉を発達させたから、ここまで世の中も進化してきたし、AIなんてものも生み出すようになったっていうことなんですよね。
そこで大事なのは、抽象的な言葉を使えるようになったということが、すごく大事なんですけども、
その前に、セグメント2、この前の話では、子供、赤ちゃんはどういうふうに言葉を獲得するのか。
言語獲得のメカニズムって言うんですけどね。
これが今紹介した本の中では、オノマトペ。
オノマトペってわかりますか。
ぐるぐるとかピチャピチャとか、にゃんにゃんとか。
そういう音や様子を表す言葉ですよね。
結構、繰り返しが多いんですけども、そういう言葉が実は言語の起源、大元にあるんじゃないかっていうね、そういう話なんですよね。
これまでオノマトペっていうのは言語学の世界ではすごく軽視されてきた、軽く扱われてきたんですけども、
これが実は、言語の起源とか、言語獲得の謎を解く鍵になるかもしれないっていう、そういう本なんですね。
私はこの考え方に大賛成というか、もっと言うと言語学自体が難しい話ばっかりしてきて、
本来の地に足のついたレベルのことを扱ってこなかったことの方が問題だと思ってて、
ようやく地に足のついた議論が出てきたなということで、とても喜んでいます。
私は結構ね、他のエピソードで喋ったんですけど、政治学っていうのをやるにあたっても結構根源的に考えるというところがあって、
そうすると言葉ですよね。政治って言葉で動くんですよね、実はね。
なので、言葉って人間にとって何なんだろうっていうことをかなり大学院時代は考えて、言語学とか記号論とかの本も結構、読んだんですよね。
そこですごく不満だったのが、まさにこの今回出たような、本当に言葉を用いる場面、
言葉を実際に使う場面の議論が抜け落ちて、抽象化された言葉の記号の世界ばっかり話してるなと、記号論がね。
これじゃダメだろうってずっと思ってたわけで。
それに対する回答がようやく30年かけて出てきたということで、私にとってはちょっと今更感もあるんですけども。
言葉と記号の関係
これどういうことかっていうと、言葉とか記号っていうのは、記号と記号、つまり言葉と言葉、語と語ですね。
記号と記号の関係を表す構文、統語論とも言いますが、統一の統に語ですね、言語の語、統語論とも言いますし、構文論と言ったほうが僕はいいと思うんですけども。
という、記号と記号の関係を扱う次元。
それからもう一つは、その記号、例えば犬っていう記号が、実際の現実の犬と一致するわけですよね。
メロンって言ったらみんなスイカじゃなくてメロンを見るわけですよね。
こういうのを意味論と言いますね、意味ですね、言語の意味、記号とモノの対応関係を扱うのが意味論の世界。
もう一つが実は、言葉を、人が言葉を用いるコミュニケーションの場面なんですけどですね。
これを語用論の世界、語を用いるっていうんですけど、まあ用語論なんていう人もいますけど、まあ語用論ですね。
語を用いる世界、語用論次元って言うんですが、今回のオノマトペ、言語の本質、この本はまさに語用論のレベルに中心を、言語行為の中心を置いたということで、言語の謎に迫ることができたっていうことで、
まあ論理的に考えると当たり前の話だと私は思ってるんですが、まあただ言語学者の方はすごく苦労してきたのでね。
それをちゃんと論証するようになってきたっていうことで、とても大事かなと思っています。
もう一個だけ言っとくと、実は、それはコンピューター、AI、機械学習ですね。
つまり、コンピューターが言語を使うプロセスが進化したことでわかってきた部分も実はあるってね。
ことで、まあこの辺りも面白い話ですけどね。
ということで、エピソード15、「言葉の本質について語りはじめる」のセグメント3でした。
文字文化の衰退と言葉の役割
ではまた。
はじめるラジオキャンパス、シーズン1のエピソード15、15番目のエピソード、「言葉の本質について語りはじめる」。
まあいろんな経緯があって人間、ホモ・サピエンスがね、言葉を獲得したんですね。
この言葉を獲得した、どういうふうに獲得したのかっていう、これは非常にまだ解明されてないこともあるんですが、それはちょっと置いといて。
このエピソードでは、最初、言葉の本質、なぜ言葉の本質なのか、AIの登場も含めてね、お話しして。
次のセグメントでは、赤ちゃんが言葉を獲得していくプロセスみたいな話と。
それから3つ目では、オノマトペと語用論っていう話をしたんですが、ここはちょっと話題を少し変えて。
最近思うんですけど、だんだんみなさん漢字が書けなくなって、これ日本の人に限ったことなんですが。
漢字の誤字がね、多い。
SNS見ててもそうなんだけど、テレビ見てても字幕が出るじゃないですか、今。
あれはリアルタイムで打ってる場合もあるので、あんまり文句言えないんですけど。
やっぱりね、マスメディアも誤字、誤った漢字使って平気で通り過ぎていくっていう時代になったなということと、あともう漢字文化自体がどんどん衰退していく。
私も最近あんまり漢字使わずに、なるべくひらがなで書くようになってきちゃいましたけど。
言葉の文化、文字文化は衰退しつつあるっていうふうに思うんですよね。
文字の文化はどんどんどんどん衰退していると。
時の首相が漢字を読めないっていう話は置いといて、やっぱりこれ理由があるんですよね。
例えば、このポッドキャスト。音声を記録できるんですよね。
YouTube。映像を記録できる。
しかもいつでもどこでも誰でも見れる。
やっぱこの記録ができるっていう、音声、声も、絵も、映像も記録できるようになったっていうことが、実はもう文字文化の衰退につながってるっていうことなんですね。
これは僕の中では正しいと思ってるんですけど、どういうことかというと、昔は映像を伝えることできなかった、記録できなかった。
絵を書くぐらいしかできなかった。
それからもう1個は言葉。
これも語り継ぐとかね、琵琶法師じゃないですけど、語り継ぐ。平家物語じゃないですけど、そういうことしかできなかった。
それで、文字が生まれたんですよね。
あたかもそこにいるかのように、文字で生き生きと、声も伝わる、映像も伝わるような文字を書く文化っていうのが、すごく栄えたんですよね。
文字文化がこう、文字でしか伝えれないから、文字しか記録として残せないから、文字で伝える力っていうのがすごく身についた。
ところが今は、声も記録できる、映像も記録できる、文字はもういらない。
文字がなくても伝わるということで、言葉で伝えることがあんまり必要なくなってきちゃった部分が
やっぱりいっぱい出てきた。
それよりもTikTokとかショート動画を見て、一発でもう伝わる。ということで、下手な解説や文字や言葉はいらないと、そんな時代になってきてたんですよね。
だけど一方で、人間っていうのはやっぱり言葉と共に生きてきたので、やっぱり言葉の持っている構想力とか妄想力ね、これすごく重要なんですよね、想像力、イマジネーションですよね。
言葉はイマジネーションを掻き立てる。
映像はやっぱりそこで終わってしまう。
声もだいたいそれでほぼ伝わって終わってしまう。
ただ声は意外とね、会ったこともない、昔の話ですけど会ったこともない、電話で話した、その前は文通していた、初めて電話で話した、イメージがどんどん膨らむわけですよね、相手に対する妄想が広がる。
想像力が、働かしていろんな想像が膨らむ。
実際に会うと、幻滅してみたり、嬉しかったり、いろんなことがあるわけですけども、だけど人はね、その直接に、映像のやり取りとか、直接会えないからこそ、文字文化っていうのはやっぱり発達してきたっていう部分があって、
言葉で伝える力も身についてきたし、豊かになってきた。ところが、今はその必要がなくなってきたので、これは必然的に、必然的に、言葉の文化、文字文化は衰退していく。もうこれは運命ですね。
そんな中で、やっぱり言葉の本質についてもう一度ね、考え直したいなっていうのがこのエピソード15。「言葉の本質について語りはじめる」ということで、次、何話そうかな。
とりあえずここまで。ではまた。
はじめるラジオキャンパスシーズン1のエピソード15、15番目のエピソード。「言葉の本質について語りはじめる」。のセグメント5ですね。
ここまで言葉の本質とは、赤ちゃん言葉、オノマトペと語用論の話、そして文字文化は衰退するなんて話をしてきたんですが、この後ちょっと考えたいのはやっぱり、文字による言葉と、こういう音声による言葉、あるいは最近、映像も使うんですけどね、映像とセットになった言葉との違いというか、あるいはそれぞれの役割というかね、
そういったことをちょっと考えたいんですよね。
今はもう本当にYouTuber、中田なんとかさんとかいろんな人がYouTubeで語るじゃないですか。岡田斗司夫さんなんかも語ってますよね。
それなりの理屈を持って語ってて、それはそれで面白いわけですが、
そこでは、同じことを別の人が喋ったらそこまで見てもらえるかというと、そうでもないんですよね。
つまり誰が語るか、どう語るか、どんな語り方をするか、何を語るか。つまり何を語るかよりも、誰がどんな風に語るかの方が重要だったりする。
あるいは語るテーマについては、やっぱりなんでしょうね、
それなりに聞く側が聞きたいと思っていることとマッチしないとね、それは、たくさん見て聞いてもらうことはできないわけですが、
ただここでちょっとお話したいのは、やっぱり何を語るかよりも、誰がどう語るかの方がむしろ重要性というより、重きが置かれるようになってきているんじゃないかと。
つまり、無名の人が同じことを語ってても注目されないし、だけどちょっと影響力のある人がね、同じことを語ると別の影響力を持ってくるっていうことは起きるわけですよね。
これはその聞く側も、やっぱり中身じゃなくて雰囲気を含めて聞いているっていう部分がやっぱり結構あるんですよね。これは人間の社会ですから、当たり前のことなんですけども。
最近ちょっと不満なのが、いろんな本が、これ文字で書かれた本ですよね。文字で書かれた本が、売れる本はだいたい語り口調。
それこそ言葉で喋ったのを、そのまま録音してAIかなんかに文字起こしさせたのが、そのまま本になって、それがなぜか中身は薄いのにバカ売れするという。
つまり、この辺を見ても文字文化っていうのはちょっと衰退しつつあるんじゃないかなと思うんですよね。語り口調の本が売れる。そうじゃない語り口調じゃない本は結構売れない。読んでもわからない。
これは読み手の側がやっぱり、いわゆる文語調というか、語り口調じゃない言葉を受け入れなくなってきている。読めなくなってきている。文字文化の衰退。
映像化が進むことで文盲化が進んでいるっていうことをこの前のセグメントで喋ったんですけど、やっぱりそういうことなんじゃないかなと思うんですよね。語り口調の本が
もてやはやされるというかそれしか売れなくなっている。そうじゃない本は読めない、読まれない。これはやばいと私は思っていましてね。
そこでちょっと考えたいのは、結局こういう、喋る言葉、語る言葉、映像とかも含めてだったり音声だけだったりするんですが、こういうとにかく耳から入る言葉、映像の場合には目からも入るんですが。情報がね。
文字ってのはもう本当に目からしか入らない。しかもそれを音にするのは自分の頭の中で音にするわけですよね。語り口調じゃないと音にならないから、語り口調の本しか読めなくなっているという
ことだと思うんですよね。これの問題点はどこにあるのか。どう思いますか。文字文化の衰退ってことなんですけど。ここで一個、一番問題なのは、論理とか理屈っていうね。論理っていうのが果たす役割だと思うんですよね。
結局、YouTubeとかいろんな、このラジオもそうですけど、論理的に見ればね、言えば結構、破綻していることもいっぱいあるわけですけど、それでも聞いちゃう。聞いて終わりです。論理的に振り返るとか検証するっていう作業はあんまりなされない。
ただ文字っていうのはやっぱり、振り返りができる。論理的な破綻を明確にできる役割をやっぱり持ってて。これは人間の営みにとってはとても重要なんですよね。どう重要なのかについてはまた次のセグメントでね、お話したいと思います。文字文化、論理の役割は何か。これは次のセグメントで。ではまた。
はじめるラジオキャンパス シーズン1のエピソード15 「言葉の本質について語りはじめる」。のセグメントが6つ目ですかね。ここでもうこれでコンプリートしちゃおうかと思うんですが。
まあ、映像が記録できる時代になって文字文化が衰退しているのではないか。だけどやっぱり言葉にこだわりたいという話をしてきたんですけれども。その言葉、文字ですね。言葉と文字。
これ結局、一つは書かれた文字にはいろいろあるんですけど、最近はもう語り口調で文字も書いちゃうというね、ことが増えてきてるんですけれども、それはそれとして、一つやっぱり文字の目的というか役割としては、やっぱり論理的な展開ができるっていうね、論理。
もちろん論理のない文章、書かれた文章もあるんですけれども、ただやっぱり一個、文字の一つの役割としては、視覚から入るということでね、記録された言葉であるということで、やっぱり論理を追いやすいんですよね。
組み立てや論理を追いやすいということですよね。
これはメリットでもありデメリットにもなる。どういうことかというと、論理に縛られるというか、論理だけの世界で物事を考えはじめる。
だから、論理が合ってるか合ってないかに優先順位を置いてしまうと、それはそれで問題なんですよね、実はね。
なぜ問題かというと、世の中は論理だけでできていないという単純な話ですよね。
人間は論理だけで生きていないと。
だからもし文字、言葉の上で論理を組み立てたとしても、それは一つの記号に過ぎないわけで、それが世界の現実でも何でもないということなんですよね。
実は「言語の本質」という、最近売れてる本がありますけど、そこにちょっと出てくるのが、言語学とか記号論の世界では、
結局その言葉の構造ばっかり追いかける中で、記号から記号へのメリーゴーランドって言い方してるんですけども、
結局、記号から記号への無限のメリーゴーランドを繰り返してるだけで、
言葉と論理
それが実践感覚とか、あるいは人間の身体とか感情とか、こういうものと切り離れていってしまうという問題があるわけです。
この問題はどういう問題かというと、ちょっと前に語用論という話をしたんですけども、
結局、人間が言葉を使うんだっていう、この原点ですよね。
言葉を使うのは人間だと。最近はAIも言葉を使うわけですが。
結局、生身の人間のコミュニケーションツールとして、言葉というのはそもそも存在している。
それを忘れて、そこを切り離して、記号の世界だけに閉じこもってしまうと、
それこそ論理と理屈だけを追っかける。記号から記号へのメリーゴーランドを繰り返すことになるということなんですよね。
でも論理は重要なんだね、やっぱりね。
なんで論理が大事かというと、これはやっぱり人間の実践の中において論理が役立つ瞬間があるということなんだよね。
ただ最近はむしろ、論理めちゃくちゃでも何か口だけ達者ならば通用してしまう。
あるいは論理そっちのけでワンフレーズだけで物事が動いてしまうということはよくあるんだよね。
そうすると、論理と理屈を専門にしている学者たちは嘆くわけですよね。
理屈が通ってない。
世の中っていうのは、そもそも理屈が通る世界じゃないということなので、
いくら理屈を組み立ててもそれだけではやっぱりダメだということなんですよね。
いかにそれを実践の中に位置づけるかということです。
もう一個大事なことは、論理っていうのは、実験とか実践で実証されないと、
やっぱりそれはあくまでも仮説だし、記号から記号へのメリーゴーランドに留まる。
だとすると、むしろワンフレーズだろうが、インパクトのある言葉が勝ってしまうという、
そういう世の中の成り立ちになっているわけですよね。
ホモ・サピエンスはそれで行動してしまうということです。
言葉の役割とAI
そんな意味で「言葉の本質について語りはじめる」というテーマでしゃべってきたんですけど、
やっぱり言葉ですね。言葉って威力があるんですね、我々人間にとっては。
すごく言葉って大事で、言葉ひとつで人生が変わったり、進路が変わったり、やることが変わったり、
習慣が変わったり、いろんなことが起きるので、その言葉をどういうふうに活かしていくのか。
特に言葉を中心に置きすぎないことが大事なんだけども、
言葉の役割っていうのを大事にしないといけない。
そんなふうに思ってるわけですけど、
人類にとって言葉とは何なのか。
そして今、AIも言葉を人類以上に上手に語るようになってしまったわけで、
そうするとますます言葉とは何なのか。我々人類にとってね。
いうことをこれからも考えていくしかないのかなとは思ってます。
そんなことを言いながら、noteでは文字を書き、ラジオでは言葉をしゃべり、
そういう営みをなぜか続けるホモ・サピエンスが一人ここにいますけれども、
この取り組みはまだまだ続きます。
感想とかね、それからアンケート、投票とかもSpotifyではできますので、
何か感想あれば書いてくれると嬉しいし、
こんなことについてはどうなんですかとか質問でもいいしね、
そういうのがあるとちょっとやる気になるので、
何かリアクションが欲しいなということで、言葉でリアクションをしてください。
よろしくお願いします。
まあいいねはいいねでつけてくれるのは嬉しいんだけど、
やっぱり言葉のリアクションがないっていうのはちょっと、
これもホモ・サピエンスとしては絶滅の道をたどっているのかなとか、
わけのわかんないことを考えて妄想してしまうので、
ぜひよろしくお願いします。
ということで、シーズン1のエピソード15番目のエピソード、
「言葉の本質について語りはじめる」。
これにてコンプリート。
ではまた。