今日も第1コーナーから第4コーナーまでお送りしてまいります。
人生いろいろ、がんばれホモ・サピエンス、SNSあれこれ、そしてザ・冬一郎散歩のコーナーまで、
最後までぜひお聞きいただければと思います。
中身がないのが玉に瑕、この番組の話かって感じですけれども、
はい、第1コーナーから参りたいと思います。
はじめるラジオキャンパス、シーズン5、プレゼンテッドバイキャンパス。
はい、はじらぢさんでぃ、9月15日日曜日です。
はい、中身がないのが玉に瑕ということで、もう本当にこのはじらぢさんでぃ自体が中身がないので、
そもそも玉に瑕ってのは見た目はいいというね、見た目はいいけど中身がないっていうのがこの玉に瑕ってことなんですが、
というよりもあれですね、玉に瑕っていうのは見た目にもちょっと瑕があるっていう感じですかね。
瑕の字はこの瑕の字を、瑕疵のシ(シじやなくてカ)っていう字ですね、これを使うんですけれども、
ちょっと綺麗な磨いた玉にも瑕がついちゃうと、玉に瑕ってことで価値が下がっちゃうんですね。
中身がないのが玉に瑕ってことで、これはですね、いろんなことがありましたね。人生いろいろですけれども、
本当にね、もう親の七光でいる方で、今注目を、世間で注目を浴びている方、討論会やればやるほど中身がないのがバレてしまうというね、困りましたね、これね。
玉に瑕どころじゃないですね。
その話はさておき、私の中身がない体験ですけれども、これは玉かどうかは別としてね、
とりあえず、どんな玉でも中身がなきゃ玉に瑕になっちゃうだろうという話でしていくんですが、
やっぱりいっぱいありましたけど、幼少期の話は最近、結構してきたんで、大学生になったときの話ですね、思い出すのが。
大学生になって、ちょっとあるところに高校生に大学に入った、新入生に聞くみたいな話で、
ちょっと先輩に連れて行かれてね、そこで少ししゃべったんだけど、中身がなかったんですね、私大学1年生のとき。
高校生にいろいろ聞かれて、その高校生たちはすごくやっぱり来年、再来年の受験に向けて、もう大学っていうのはどんなところなの?と、ワクワクドキドキ期待感でいっぱい聞いてくるんだけど、
なんとフレッシュマンで入ってしまった私は中身がなかったんですね。
入っちゃったら終わっちゃってたっていう、これがすごいショックで、私は。実はいい経験したなと思うんですけども、
何にも中身がなかったなと、もうすごく自己嫌悪になって。何を一番思ったかっていうと、自分の言葉で語れることがなかったっていうことに気づいたんですね。
自分の言葉持ってないじゃないかと俺は、何にも答えれてないじゃないかと高校生にっていうのがすごくショックで、
なんでこの18年どうやって生きてきちゃったんだろうみたいな、ぐらい自分の言葉がない、中身がない、何も答えられない。
ダメだこりゃあと思って、それから結構ね、私、高校まであんまり本読む人じゃなかったんです。
耳学問が多くてね、テレビばっかり見てて勉強もしないで、テレビばっかり見てて耳学問が多かったんですが、それから本読むようになったんですね。
本の受け売りを語るようになったのね、それからね。
これ受け売り語ってるなと、この本読めとか自分が読んだ本を勧めるんだけど、どんな本だったのって聞かれても自分の言葉で語れないんですよね。
それこそ小学生の読書感想文みたいなもんで、あらすじを喋るんだけど、自分の言葉で、何が良かったのって聞かれても、自分の言葉で語れない。
だけどとりあえず本は読むようになったっていうね。
そこで次の問題が、次の課題というかな、それがこれを自分の言葉で語る、その本に書かれた言葉じゃなくて自分の言葉で語れるようになりたいなと思ったんだよね。
じゃないと本当にそれを消化したことにならないだろうと思って。
それからは本当は他人の言葉じゃなくて自分の言葉ですね。
他人の言葉じゃなくて受け売りじゃなくて誰かのフレーズじゃなくて自分の言葉を紡ぎ出したいって思い始めて、
そういう本の読み方に今度なってくるんですね。
なんか受け売り語ってるとすごい違和感を感じるようになってって。
そうじゃない語り方、本当は自分はどう思ってるんだっていう。
その時、重要なのは自分の体験とか自分の身体性とかね、自分の感情とかね、これはなんとなく上滑りの言葉で他人の言葉だ、借り物の言葉だと。
それがすごく気になっちゃって。
もう自分の本当に根っこから体からそこにフィットする言葉っていうのをね、考えることに結構こだわり始めたんですね。
だからそういう言葉が見つかるとすごく嬉しくて、自分で言葉作るみたいなことも含めてね。
自分なりの語り口を作るみたいなことも含めて結構、そこはこだわった時期がありましたね、大学時代ね。
これは実は最近、言語の構造じゃなくて、言語の起源じゃなくて、何でしたっけ。
中公新書でベストセラーになりましたよね。
言語の本質か。
あれなんかは本当はその頃に読みたかったと思いますけども。
そこで記号設置問題が出てくるんですね。
これもうまさに記号設置問題だったんだっていうことに。
記号設置問題って言い方があるんだなって、その言語の本質で知ったんですけども。
それにこだわってきたんだなっていうのをとても感じましたね。
まあそんな話ですね。
だから結構、言葉にこだわるようになったのはやっぱり学生時代。
その最初の新入生になってフレッシュマンとして高校生に語った時に、何も自分の言葉が語れなかった原体験っていうのはやっぱり一番大きいですね。
こんなことをちょっとこのタイトルつけて思い出しましたね。
中身がないのが玉に瑕っていうね。
大学入って新入生でみんな俺は大学入ったぞみたいな顔を同級生みんなしてたんですけども。
同じクラスの人たちとかは。
でもしゃべってみると意外とみんな中身ないなと思っちゃってね。
それからね。
私もなかったんですけど。
やっぱりこれは中身を作んなきゃと思って。
その時に言葉だけじゃなくて言葉も自分の言葉を作りたかったけど、その言葉を作るには体験しないといけないのね。
いろんな人がやってない経験をしなきゃいけないっていうことで。
それから結構はちゃめちゃな人生になっていってね。
いろんなものを壊したり。やってみたいのね。
とことんやってみたいっていうことで。
まあいろんなことやりましたね。
ここでは言えないようなことを。
いっぱいやりましたね。
とにかく突き詰めないと気が済まないっていう。
言葉もそうだけど実体験も突き詰めないと気が済まないってことで。
とにかくそれはやりましたね。
たぶん18、19、20、21、22、23、20。
30代、40代ぐらいまで続いたんじゃないですかね。
常に人がしてない経験をするみたいなことは。
自分からいきましたね。
そこでまた、これが言葉とつながると、なんだろうな。
なんか生きてる実感を感じるみたいなね。
そんなことがあったんですが。
結局、今、世間で一番注目を浴びてる方かもしれないんですけど。
中身がないのが玉に瑕で。
あんまり実体験積んでこなかったんじゃないですかね。
お父ちゃんとキャッチボールしかしてこなかったんじゃないかとかね。
あとはおまつりに行って子供と喋ってるぐらいしかやってなくて。
中身がなくても通用しちゃったんじゃないかなあという
気がするんですけど。何の話してるかわかりません。
人生いろいろですね。
TwitterX見てたらお父ちゃんが、今やんない方がいいんだけどなーなんて言ってる動画も見つけましたけども。
今やんない方がいいんじゃないの。私もそう思いますね。
今タイミングじゃない。本当は3年後にがいいんじゃないなんて私、言ってたんですけど。
出ちゃったからね。
まあ、挫折経験するんでしょうね。
その役職になったとしてもならなかったとしても挫折経験するんでしょうね。
そこからが人生の始まりだみたいな感じで人生いろいろ。
お父ちゃんがそんな言葉を国会で言ってましたね。
人生いろいろ。あと何言った。
なんか名ゼリフですね。
ということで、そこに繋がっちゃいました。
第一コーナー、人生いろいろでした。
中身がないのが玉に瑕。
まあ、いまだに中身はないですけどね。
まあいいじゃないですか。玉に瑕があってもね。
それが人生だ。ホモ・サピエンスだ。
ということで次は第二コーナー。
がんばれホモ・サピエンス。
はじらぢさんでぃ
プレゼンテッドバイキャンパス
はい、ということで第二コーナーがんばれホモ・サピエンス。
ホモ・サピエンス中身がないのが玉に瑕って、これどうやって喋ろうかなって、いまだにアイデアないですけど、喋りながらも。
中身がないのが玉に瑕、ホモ・サピエンス。やっぱりこれは
昔のホモ・サピエンスよりも今の現代人のホモ・サピエンスは
もしかしたらどんどんどんどん中身を失ってんじゃないかななんて
思っちゃうのは、体験ですね。体験。実体験不足ですね。実体験不足。
これは社会経験もそうだし、自然体験もそうだし。
例えばだいたい、虫が触れないとかね、魚が切れないとかね、
他にも花の名前を知らないとかね、野菜の名前知らないとかね、
含めてもう、植物育てられないとかね。犬と話ができないとかね。
もう全部そうですね。現代のホモ・サピエンスは中身がなくなってきているかもしれない。
これは原因はもうはっきりしてて。実体験を伴わなくなって、
脳みそだけで理解するようになっちゃったって。またこの話かよと思いますけども。
だから玉にもならないよね。玉がいない。瑕がつくどころか玉がいないって、何の話なんでしょうね。
大丈夫か、がんばれホモ・サピエンス。また政治の話になっちゃいますけど。
本当に玉がいないですね。玉がいない。玉がいないから瑕もつきようがないという。
何の話してるのか本当にわかんなくなってきましたね。
なんかね、言葉聞いてても結局、なんか上滑りなんですよね。脳みそレベルだけでしゃべってるという感じで、
いわゆる接地感覚がない。身体とか感情とかに接地する言葉をしゃべってる人って、
意外と少ないなと。私も含めてなんですけどね。だから言葉がどんどんどんどんどん軽くなっちゃってる。
昔のホモ・サピエンスって本当にやむにやまれず言葉を語ってたような気がするんだよね。
あんまり言葉を上手に操る力はなかったかもしれないけど、
実体験に基づいた言葉しかしゃべってなかったんじゃないかと思うんだけど。
これがだんだん抽象的な思考が発達していく中でね、妄想を含めて宗教的なこと、
呪術的なことを含めて、まあたわけたことを妄想でしゃべれるようになっちゃったわけだよね。
つまり言葉が自律化して、体験から離れて浮遊して脳みそレベルだけで記号を自由に操れるようになっちゃったわけね。
今のチャットGPTね生成AIみたいなもんで、もう自由自在に言葉を操れるようになっちゃったから、
それでなんとなく綺麗な文章できたら、なんか語った気になっちゃうっていう。ところが
そこには実体験が何にも伴ってないっていう。ただの言葉の羅列だという話になっちゃって。
ここで記号設置問題、また出てきたね。
これが失われている。記号設置感覚が失われて、言葉をどんどん生成できる時代になって、
経験はどんどん虚構化していくっていう。
でも人間のホモ・サピエンスの脳みそはそれで満足しちゃうっていうね。
脳みそだけのホモ・サピエンスになっちゃって
しかもAIに負けちゃうみたいな感じになっちゃってるんじゃないですかね。
今ね。これ本当にどうなるんでしょうね。
だから言葉が実際と結びついてないから、
それこそまた、今世間賑わしてる政治の世界の話になっちゃいますけど。
全部、言葉が上滑りしてる感じですよね。
どの候補者の言葉もなんかこう嘘っぽい。
喋ってることが全部嘘っぽいですね。
嘘っぽい言葉ばっかりで、平気で嘘ついてるでしょ。
やれないことを今やりますとか平気で言うし。
これまでやってきたことをすべてね
結びつかずに、虚構の言葉を平気で吐くでしょ。
あれは、そこでまた他のホモ・サピエンスがあの人いいこと言ってるみたいな。
それで人気取れればそれでなっちゃうみたいな。
でも言葉は上滑りしてるから現実を変える力は全く持っていないという。
実際にはできずに、また支持率急落して3年後には総裁選出馬できませんみたいな。
3年持てばまだめっけもんだよね。
だから岸田さんは3年持っただけめっけもんだったっていうことだよね。
その前とか3年持たないんだから。
だいたい1年サイクルでみんな終わってくんだから。総理大臣ね。
民主党時代もそうで。なんでこんな話になってるんでしょう。
頑張れホモ・サピエンス。政治の話になっちゃいました。
だからないんだよね。
これはもう何はともあれ実体験を抜いた
実体験がないまま言葉を操るようになっちゃった。
まるでAIのようになってしまったから、ホモ・サピエンスがね。
だからダメなんじゃないかなっていう気がやっぱりしますね。
言葉を取り戻さないと。もっと実体験につながった言葉を取り戻さないと。
上滑りのAIでも語れるような言葉をホモ・サピエンスは語ってる場合じゃないと思うんだけどね。
だけどそっちにそっちに行っちゃうんでしょうね。きっとね。
学生はレポートをAIで書き、ブログはAIに書いてもらい、
ポッドキャストもAIに編集してもらい、みたいな時代も始まりつつあるみたいですけど。
そうするともう人間いらないじゃないかって。ホモ・サピエンスいらないじゃないかと。
AIがあれば全てを生み出してくれる。
そんな風にならないために言葉を取り戻さないと。
もっと経験とか実感とか、人生の喜怒哀楽に基づいた言葉を取り戻さないとね。
だからなんとなく綺麗に綺麗な玉のようなポッドキャスト配信してる場合じゃなくて、
もうちょっと瑕があってもいいから中身のある言葉を語りたいなーなんて思いながらやってるんですけど。
まあそんな私に、中身がないということなんですけどね。
なぜかポッドキャストと政治の話になっちゃいました。
これやっぱ言葉でしょうね。言葉と体験っていう、そこが切り離れちゃったということが一番根本にあるような気がするんですよね。
だから実体験と言葉っていうテーマにはちょっとこだわりたいですね。
ホモ・サピエンスはそもそも何で言葉を生み出したのかっていう。
ホモ・サピエンスにとって言葉っていうのは何だったのかっていう。
ところがそれがいつしか現実離れした話、
フィクションを作れるようになって。
フィクションはいいんですよフィクションは
バーチャルリアリティはあっていい。
だけどあくまでバーチャルリアリティはバーチャルだよっていう。
そこでリアリティの部分だよね。
温度を感じれる温もりを感じれる体温を感じれる
リアリティがもうどんどんどんどん消失していって、
そこと言葉がどんどん離れていって、空虚な言葉が政治討論会でも語られるっていう。
もうみんな嘘っぽく聞こえちゃうっていうね。
なんかこう言葉、何でこんなに軽くなっちゃったんだろう、
っていう基準であらゆるものを見てたりするんですよね。
だからそういう実体験とか経験に基づいた言葉ってのはやっぱ重みを感じますよね。
そういうのを時々聞くといいなと思うんですよね。
だから藤井聡太さんが、七夕の日にね
将棋が強くなるってことは願うことじゃなくて取り組むことですから
とか言うと、やっぱりまだ二十歳そこそこなのにいいこと言うなとかさ、
思うわけだよね。やっぱりそういう実体験、経験、人生に根差した言葉を聞きたいね。
聞きたいねって、なんの話してるんでしょうね。よくわかりませんが。
頑張れホモ・サピエンスね。
言葉が軽くなってやしないかっていう話で
あんまりポッドキャストで無責任に語りすぎるのも良くないのかなって思いながら、
でもなんかねそこで、なんだっけ。
しゃべれるだけしゃべるってRadiotalk始めたんですけど。別の話になってますね。
その時にしゃべれるだけしゃべる三原則っていうのが思いついちゃったのね。
これ喋ってるうちにね。話を作らず、余波を残さず、墓場に持ち込まずっていう。
一番大事なのはこの話を作らないっていうね。
Don't make up storiesって、話をでっち上げないっていうね。
政治家の話聞いてるとでっち上げてる人、結構いるからね。でっち上げちゃいけない。
これ大学もそうなんだよね。
大学の学長とか理事長とかやってる人も結構話でっち上げる人多いんだけど
でっち上げてるうちはダメですね。
何の話してるんでしょうか。
よくわかりません。がんばれホモ・サピエンス。
大丈夫でしょうか。まずは言葉を取り戻す。ここが重要だと思いますね。
そしてちゃんと共感を呼ぶ、実体験に基づいた言葉を取り戻すっていう。
ここが出発点だと思うんですけど、
まあでもこんなAI進化時代にはもうどんどんどんどんバーチャルの方へバーチャルの方へ行って、
実体験からどんどんどんどん言葉は乖離して、自由自在に操られるようになって、
そこでなんとなくそれに乗っちゃう人もいるんだろうなとか思うんですが、どうなんでしょうね。
わかりませんということで、第3コーナー。つながりますね。
SNSあれこれ。はじめるラジオキャンパスシーズン5プレゼンテッドバイキャンパス
はい。ということで、第3コーナーSNSあれこれということなんですが。
まあこれはやっぱりね一番最近目につくのはTwitterXですよね。
なんか空虚な言葉が目につく。中身がないのになんとなくこう
中身がないのになんとなくいいねがたくさんつくとか、
中身がないのになんとなくリツイートされるとかいうのも目につく。
一方でこれはやっぱりいいなというのもあるんだけど。
何の話なのかわかんないね。これはどうなんでしょうね。
文字面だけで、文字面だけで何となく判断してるのか。
どういう感覚で動いてるんでしょうかね、今ね。
なんとなくわかんないですね、SNSの世界も。
今やっぱりずっと映像優位というかビジュアル優位、写真・映像優位の時代に入っちゃったから。もう
TwitterX、Facebook見てても映像ばっか流れてくんだよね。
フォローもしてないのに。映像ばっかり流れてくる。
だけど時々見ちゃうやつあるんだよね。どうでもいいやつね。
これは何なんでしょうね。だから言葉が失われているというか、
言葉を読むのがめんどくさくなってるのかな。あんまりいい言葉が、
まあそこでやっぱ体験が見えない言葉がダーッと流れていくからでしょうかね。
なんか言葉に響かなくなっちゃってるね、SNS上のね。
逆にそういう映像とかっていうのを見ちゃうっていう傾向が、やっぱり一般的にあるんじゃないですかね。共通してね。
それこそSNSで言葉が軽くなってる気がするなあ。
そんな中で、ここでやっぱ肉声による音声配信って、だから面白いと思うんですよね。
文字面だけじゃない言葉。音声という。そこに、こう例えば
おはようございますだって人によって違うし。
今日嫌なことがあってねって言うんだって、人によって違うし。
言葉は文字面だけじゃわかんないですよね。そこはね。
しかもそれが本当に短い文字だったら、わけわかんないですよね。
だからそういう意味では音声、言葉。言葉伝えるものとしては、やっぱ文字より肉声なんじゃないかな。
文字も文字で、ある程度、分量を読めばね。
その人の声を聞いたことがあればね。
ある程度そう、文字だけでも大丈夫なんですけど。
これ例えば昔、手紙で、文通時代ってありましたけど。文通やり取りして勝手な妄想膨らまして
会ったらね、もう失望しちゃうみたいなこともよくありましたけどね。
ドラマとかでもね、小説とかでもありましたし。
それからあと昔、映画の紹介しましたけど〈ハル〉っていうね、パソコン通信時代の。内野聖陽さんと誰だっけ、
名前が出てこない
昨日見た映画、素敵な金縛り、西田敏行さんと
主人公の女性、あの人ね、あの人が〈ハル〉の主人公だったんですが
なんで名前出てこないんだろう申し訳ございません(深津絵里さんです)
うさぎちゃんねうさぎちゃん別のドラマで出てた
なんで出てこないんだろうあーよくない
固有名詞が出てこなくなったらおしまいですね。
その何の話をしようとしてたのか忘れちゃいましたけども、
あーそうそうパソコン通信で出会ってね、やっぱ肉声がないところで文字だけのやり取りしてると勝手な妄想膨らますんだよね。
会って声を聞き、そしてビジュアル、姿形を見て、そこでやっぱりリアルな実像っていうのを、勝手にまたそれも実はフィクションなんですけどね。
勝手な妄想膨らましてるんですけど。ちょっと見た目が良かったら妄想膨らましちゃうとかね。中身がなくてもね。
中身がないのが玉に瑕ですけどね。結構、見た目良くても中身がない人って、結構いるじゃないですか。
また政治の話になりそうだからやめておきますけど。
だからね。まあいきなり YouTube 始めましたとか言って、結構、日常生活含めてね、ラーメン食いましたとかね。
なんか候補者がやりはじめるわけだ、今更ね。今日は腹筋やってみましたとかね。
やめてほしいですねこういうのはね。
ただそのことによってやっぱりリアルな実像をちょっとでも伝えようとするんでしょうけどね。
だったら、ポッドキャストやって肉声で毎日語れよという。中身のあることを。
YouTube とか腹筋やってないで。腹筋誰やってたかな。
他にもおまつり行ったとか、なんか食べましたとか、今日は料理しましたとか、政治家の候補者がやりはじめるわけでね。今更ね。
これは要らない情報ですね。私の中ではね。
それよりちょっと真面目にポッドキャストでもやって、毎日語るとかいう。
下手な YouTube とかやらずに、映像作らずに、言葉だけで語る。
言葉だけで届く。
そしたら逆に映像とかなければ、ごまかされる要素ないから。文字だけじゃなくて肉声で語れば、
その言葉が上滑りの言葉か本当の言葉かって結構わかると思うんですよね。