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サマリー

今回のエピソードでは、文字と映像のメディアの関係や、読む力と聞く力の衰退が考察されています。話題や言葉の変化とともに、文字と音声、映像と言葉がどのように展開してきたのか、そしてこれからの展開について考えられています。ブログとポッドキャストの融合と近代の終わりについても考察されています。

目次

文字と映像の関係
はい、土曜日の朝7時40分ぐらいかな。早いですけど、公開タラダライブやっちゃいたいと思います。
今朝のお散歩中、冬一郎くんは最近はおしっこする前に、お散歩に出ると家の前の雪山で番犬をまずするというね。
ということで、今朝も番犬して一番高いところ登ってから、ようやくお散歩に歩き出したと思ったら、
2軒隣のにゃんこのお家の裏庭というか、裏の駐車場からにゃんこと見つめ合ってます。
ということで、私は退屈なので、公開タラダライブの34回目かな、やりたいと思います。
お、にゃんこのお家のおじさん、おばちゃんが顔を出すかもしれません。
公開タラダライブ、胸のポケットにスマホを差し込んで屋外で収録してますので、ノイズもありますし、聞き取りづらいところもあるかと思います。
コメントは受け取らない設定にしてますので、ライブですけどお構い、何のお構いもできません。
ということで、今日もダラダラと30分間札幌からお話をしたいと思います。
この1週間はちょっと低空飛行というか、ポッドキャストの配信数が少なかった週なんですけども、
その前が結構色々お盛んだったので、ちょっと疲れたのもあるのと、一段落したのもあるのと、
あとはちょっとリアルワールドでいくつか重苦しい案件があったので、
それでちょっと配信が少なくなりましたけど、少ないって言っても多いんですけどね。
それはそれとして最近思っていることはいろいろありまして、
気になるのは、前から気になっているんですけど、テレビの字幕ね。
最近は字幕のある番組が多いわけですよね。
バラエティ番組とかニュース番組含めてみんな字幕が出るという。
同時文字起こしも含めて字幕が出るということなんですが、
なんでこんなに字幕ばっかり出るようになったんだろうって前から思ってて、
しかも最近は皆さん漢字が書けなくなってるんで、漢字の間違いもいっぱいあるんですよね。
それもすごく気になってたんですが、なんでこんなに字幕文化が出てきたのかっていう話で、
一つはこういろんな聴覚障害の方とか含めてね、それをサポートする意味で、
まあそれはそれでいいのかなと思いながら、なんかもう少し深刻な問題もあるような気がしてて、
最近もう一個気になってるのが、まず聞くと。まず聞くってのはよっぽど聞かなくなってるんだなっていう話なんですが、
まず聞くっていう、僕はまず読むという方が大事だと思ってるんですが、
実はこの問題考えていくと結構深刻な話かなと思い始めてて、
要するに読む力が衰退したと。
もともと文盲なんて言葉が昔ありましたけども、識字率ですよね。文字が読めない、書けないって人は結構多かったんですよ。
100年前は書けない人の方が多かったんですよ、日本なんかでもね。
日本なんか識字率が高い方で、他の国行くと未だに字書かないという、識字率が低い国もあるわけですが、
そういう意味ではホモサピエンスは5500年くらい前から文字文化を発明したわけですけど、
ところがそれが一般ピープルも文字を書いたり読んだりするようになったのは比較的ここ100年200年くらいの話で、
本当にここ4,500年は一部の人しか、人口の1%くらいしか文字書いたり読んだりできなかったというね、
そんな時代だったわけで、そういう意味では意外と文字文化って底が浅いということなんですよね。
実は近代科学とかそういうのも文字文化の中で発達してきたわけですが、それもある意味底が浅い。
せいぜい遡ってギリシャ哲学とか、あれは本当にね、自由人の中のさらに一部、ソクラテス、プラトン、アリストテレスなどなど、
本当に一部の人が文字を書いてただけの話です。(ソクラテスは文字書いてないね。文字が書けなかったのかもしれないね。w)
スコラ派の人たち含めてね。
なので、そういう意味では本当に一般ピープルにとって文字文化ってまだまだ底が浅いし歴史も浅いし、
だけどそれが学校教育が普及してね、近代になって一般の人も普通教育を受けるようになって、
これも日本で言えばまだ100年足らずのことなんですが、
それで読む文化がだいぶ広がったんだけども、
でもその読む力は実は衰退しているとすでにね、衰退を始めたということじゃないかなと思う。
文字が読めなくなって、しかも文字は言葉が聞けなくなっているということが起きているのかなと勝手に思ってるんですけど、
もうちょっとわかりやすく言うと、これまで字幕がなくてもテレビ字幕がなくても言葉は聞き取れてたんですが、
字幕がないと言葉すら聞き取れなくなったというね、そういう時代に入ってきちゃったんじゃないかという気がするんですよね。
これ例えば、話はあちこち飛びますけどダラダライブなんで、もう思いつきでしゃべるんですけども、
例えばYouTube見る時代があってね、ロングのYouTube見る時代があって、それがTikTokとか出てきて、
ショートの動画ね、リール動画とかね、インスタも含めて、写真、インスタもそうだよね、文字情報より写真とか映像情報の方がメインになっちゃったんだけど、
これは実は言葉を読む力とか聞く力が衰退しているからね、映像に戻っているという気がしてきちゃったね。
しかもそれがショートになるっていうのは、ますます文字とか言葉を理解する、長い言葉を理解せずに、
その時の印象の映像だけでインタレストが推移していくっていうと変な言い方ですね、
興味関心が移っていくというね。
それはもう昨日見たことは忘れちゃうという感じで、
なんていうのかな、そういう映像の印象だけで見てるから、言葉は副次的になっちゃったというか、
昔一時期は小説とかね、印刷文化が出てきて、言葉に頼っていろんなことを理解するという、
本の世界、小説の世界、詩の世界っていう、活字情報から空想、イマジネーションを膨らました時代から、
今は映像メディアが発達しちゃったんで、映像があれば別に言葉はいらないっていう感じになってきちゃったような気もちょっとしてて。
そうすると言葉の、なんだろう、それこそ昔は見ず知らずの土地、
例えば川端康成の雪国を読んで雪国を想像したわけね。
それまで雪国知らない人の方が多かったわけだし、雪国住んでない限りはね。
あれを読んで雪国を想像する。伊豆の踊り子を想像する。
見知らぬ南の国の島を想像するとかね、いろんなことがあった。
それは活字とか文字を通じて想像力膨らました時代があったんだけど、一時的にね。
その時代がもう終わってて、すでに。終わってて、今はそれがもう映像で一瞬で南の島行ってきました。
ハワイ行ってきました。今雪降ってます。
みんな映像で一瞬で見れちゃって、もう見たらもうデジャブっていう、デジャブじゃねえや、既視感があるわけだよね。
もう見ちゃったから満足という。
次の面白い映像とか、体験したことのない映像を見るという。
そこにはあんまり言葉はもういらないっていう。
言葉で想像力を膨らます時代はもう終わっちゃったんじゃないかなという気がしてるんですね。
なので、注意して言葉を聞くとか、文字を丹念に読んでそこから想像力膨らますとかっていうことをしなくていい時代に入っちゃって。
そうすると、聞く力、読む力って必然的に落ちるわけね。
最初に衰退したのが読む力。読む力の衰退はだいぶ前にもう始まったんじゃないかなと思い始めてて。
読む力が衰退して、今聞く力も衰退し始めたということで。
読む力がなくなった上に聞く力がなくなってるから、だからまず聞くことから始めよう。
聞く時も字幕がないと聞けないという形になるし。
しかもさらに言うと、それが文脈ですね。
長い文脈の中で読むということはできなくなってるんじゃないかなという気もしてるわけね。
もう断片断片で瞬間瞬間で、その言葉の断片だけに反応するという。
読む力の衰退
例えばSNSで文字で炎上するなんていうのは、前後の文脈が読めないっていうか、前後の文脈を切り捨てたところに炎上がなりたつわけで。
そうすると要するに結局文脈が読めなくなってて、断片の言葉しか理解できなくなってるっていうね。
これも実は読む力の衰退なんじゃないかとかね。
そんなことをちょっと妄想し始めてるわけね。
これは結局音声情報と文字情報ということをいろいろ考えてるうちに、
最初は聞くより読むだろうって僕は思ってたんだけど、そうじゃないんだよね。
要するに読む力が衰退して、今は聞く力も衰退してるからまず聞くという、そっから始めようと。
その時に文字が補完情報になるみたいな、そんな話になってるのかなと。
だからこれ聞く力回復して、それから読む力も回復してっていう風にしないとどうしようもないのかなとか思いながら、
これはちょっともう衰退してるね、言葉の文化はね。どんどんどんどん衰退していくなという気がしてます。
はい、冬一郎君が、あのお前何喋ってんだって言うことで構ってくれと、俺を構えって手袋引っ張り出しました。
はい、冬一郎遊んでほしいのかお前は。
ほっとかれてることに今気づきました。
今まで猫に夢中だったんですが、気がつけばこいつはなんか自分の楽しみをやってるぞと。
不倫の話と思考のスタイル
俺のこと忘れてんじゃねえかと思って、今構ってちゃんで。
手袋引っ張ってます。
はい、手袋。お、すごいね冬一郎。手袋。お、すごいすごい。
お、持ってけ。返せ返せ返せ返せ。
はい、手袋ゲットしました冬一郎君。
はい、首振って手袋持ってって。
雪を掘って埋める。手前まで行ってもう最近はやめちゃうんでね。
ゲットしたら満足で。
もういいの?隠すの?手袋。
手袋持ってかれちゃいました。
どこまで喋ったっけ。そんな妄想を膨らましてて。
これちょっともうちょっと真面目に考える必要があるかなと。
つまり、普通教育というか一般教育で識字教育っていうのが
いつぐらいからどんな風に普及して
それが衰退していく局面にもうすでに入っててね。
文字を読む力が喪失して本も売れなくなって。
ほれ、冬一郎だめだめ。本がなくても別に映像があるからね。
TikTokがあるからショート動画があるから別にインスタがあるから
別に本読まなくていいという感じにこうなってきてて。
SNSがあるから文字は140文字とか短い文字だよね。
長い文章はもう読まないという感じになってきたのかなとかね。
思ってたりするわけね。
断片の言葉。これ政治の世界で言うと小泉さんなんかがね
結構そう言われたんだけどワンフレーズポリティックスだよね。
ワンフレーズポリティックス。
もう一つの言葉。私に敵対するものはみんな抵抗勢力であるとかね。
そういうワンフレーズポリティックスっていうのは
郵政改革に反対するものは全部抵抗勢力であるとか
いろいろワンフレーズポリティックスって言葉が流行ったんだけど
これもね結局前後の文脈抜きでその時の断片。
ショート動画だよね。ショート言葉だよね。
言葉の展開と衰退
ショートフレーズ。ショートポッズとかショート動画とかの時代に入ったっていう話もしてるんだけど
ショートフレーズの時代にも入ってて既にだいぶ前からね。
だからワンフレーズポリティックスなんていうのが成り立つし
むしろそれが長い文章で論理的に説得的にこっちが正しいんだなんて正論やっても
それはワンフレーズで吹き飛んでしまう。炎上と一緒だよね。
これはそれが良い悪いじゃなくて
結局読む力の衰退。そして聞く力の衰退というね。
そういう問題と結構絡んでるんじゃないかなと。
もうちょっと真面目に話をすると結局その識字率っていうね
一般ピープルへの教育が始まったのは日本では明治以降ね。
まあ江戸時代もちょっとあるにしてもあれはやっぱり限られてたわけで
やっぱ明治以降一般の人も普通教育を受けるようになっていくわけね。
これはやっぱり近代化の産物なんですよね。
しかもその時には紙メディア、紙媒体、活字とセットなんです。
つまり文字言語ですね。音声言語じゃなくて文字言語。
文字言語をテキストにしながら音声で授業をするというね。
文字言語の解説を音声でするみたいなことをやって文字の理解を深めていったわけなんですが
それがたかだか100年ちょっと進んできた中で
ところがそこでいわゆる映像メディアだよね。
ラジオの時代からテレビの時代へというのがあって
昔はラジオ聞くしかなかったんですよね。テレビなかったから。
そうすると言葉を聞くという。
しかもそれは書かれた言葉じゃなかったわけだし
活字で出るのはだいぶ遅れて出るし一部しか出ないし
文字起こしなんてなかったわけで音声聞き取るしかなかったという。
それが文字で読めるようになって活字文化でね。
文字で読めるようになって音声で出されたものも文字起こしをされて
手書きでね、時間かけて文字起こしされて
それが印刷されて一部で回るという。
そうすると音声を聞き逃した人は文字で読むと
オンデマンドは文字しかなかったからね。
だから文字を渇望して読んだわけね。雑誌も読んだし
日本で言えば戦前戦後は活字文化が全盛期になるわけだよね。
書店も全盛期になるわけだよね。
でもその時代は実は一時的なもので
その前には実はラジオの時代があったわけね。
19世紀から20世紀、20世紀初頭ですよね、ラジオの時代になって
それから映像の時代、活字の時代が来て
今はもう完全にオンデマンドの映像の時代に入っちゃって
しかも短編ショートの時代に入っちゃったという。
そうするとラジオとかから始まった語る言葉の文化
そして本、紙メディアで始まった
ここ100年ちょっとの間広がった
学校教育でも行われた識字教育みたいなものの文化
あるいは出版文化といったものって
本当に一時的な産物だったという話になってきちゃう。
それはもうすでに衰退の局面に
だいぶ前から実は入っていたということでね
今は聞く力も衰退しているという中で
だから頑張ってまず聞きましょうって話になって
文字も読みましょうって話になるけど
もう文字読まないよね、聞く力ない人はね
そんなことを考えたりするわけですけれども
そうすると今度は聞く力と読む力は
もうこのままずっと衰退していくのかという話なんですが
テレビの字幕の話に戻って
テレビの字幕がもうひどいわけね
バラエティーとかもそうだしニュース番組もそうだし
テレビの音声と字幕で字幕っていうのもね
結局テンポラルなのであれ
前後の文脈って結構すっ飛んでいくんですよね意外とね
もう一個気になっているのが話どんどん飛びますけども
昔学生時代ぐらいから感じ始めたのは
結構僕より年上の人たちっていうのは話が長い
いろんな伏線があって全部つながってるのよね
それこそ小説を語るぐらいの語り方をするわけですよ
自分のこと語るんでも長いとにかくね
ところが僕の下の世代になってくると
今度はそのないわけねトータルなストーリーがない
すべては断片で話がどんどん飛んでいくと
さっきその話してたのに今度はこっちの話かみたいな
話題についていかないぐらい話題がコロコロコロコロ変わる
この話題の変わるテンポの速さっていうのが
世代が下になればなるほど早いわけね
僕なんか学生とずっと付き合ってたんで
年々年々こう断片化し年々話題の転換が早くなり
さっき10秒前にこの話してたのに
10秒後には違う話してるみたいな
それでだけどその世代はちゃんと話題が盛り上がっていくという
このさっきの話どうなっちゃったのっていうと
なんだっけそれって言われちゃうというね
このぶつ切れ感ね
だから長期持続するような思考とか
ましてや論理的な思考なんていうのは
もう衰退するしかないという感じがして
そのことはさっき言った
そういう活字文化の衰退っていうね
一時的に交流した一時的に栄えた活字文化ね
これがまあ一時的な産物だという話で
もうこれはもうしょうがないんだろうなと
今更活字文化も復活しないとという気がしてきましたね
もう一個思うのが
最近そのこえと言葉のブログなんてはじめてね
書き言葉やめて話し言葉をそのまま文字で
もうブログに載っけちゃってるわけね
活字文化の衰退と読解力の衰退
あんまり書き言葉に直さなくしちゃったんですが
なぜかというと書き言葉は読まれない
話し言葉しか読めない時代になっちゃったんだね
これは実はいろんな本が最近
ここ十数年とか出ていわゆる文語体というか
活字のかっちりした文、本って売れないんだよね
全部口語体というか話し言葉で書いた本が売れるんだよね
中身のない文字の大きい話し言葉で書いた本しか売れない
多分話し言葉じゃないと理解できなくなっちゃった
文語文化がなくなっちゃった
文語文化なんて結局日本では明治大正昭和の初期ぐらいまでで
せいぜい戦後の知識人ぐらいまでで
六、七十年代の学生ぐらいまでで
一部の文化でそもそもそんなに
なんていうのかな
うんちだ
冬一郎君いきなりうんちが出ました
はいちょっとうんち処理します
うんちうんち
うんち出たうんち出た
おーうんち出たうんち出た
冬一郎君いきなり
公開ダラダライブ中にうんち
お尻拭かせろお尻
お尻拭かせろ
冬一郎君はもう
言葉の文化とホモサピエンスの歴史
うんち出た、ほれ
ちょっとうんち回収します
公開ダラダライブなので
すいません
うんちも回収します
よいしょ
どこまで喋ったか忘れちゃった
冬一郎君快食快便だね
最近はちょっと本当にうんちが
だいたい
2日に1回か1.5日に1回ですね
朝出ると次の日の夕方
夕方出るとその次の日の
その次の次の日の朝出るみたいな感じで
朝と夕方交互に1.5日間が
どうでもいい話ですね
出てますけど
いいうんちが出てますね
とにかく冬一郎君は元気だしね
なんかお利口ちゃんにしてますけど
鼻水が出てきました
それでそんなことをちょっと
もやもやってね
すごいもやもや感がいっぱいあって
最近なんかもやもやするなと
いろんなことがもやもやするんだけど
なんかねそんなこととも関連してるのかなと
言葉をめぐってね
言葉のこう
どういう風に言ったらいいのかな
やっぱ言葉をめぐるこう
それが文字や音声や
いろんな
歴史や社会状況の中で
言葉がこう
用いられ
受け入れられ
理解される文脈っていうのがね
相当変化してるんじゃないかなと
メディアの発達も含めてね
なんかそんな流れの中でちょっと
音声
文字というレベルだけじゃなくて
言葉そのものだね
言葉そのものが
ホモサピエンスの歴史の中で
どう扱われる
今どんな状況になってるのかってことも
ちょっと考えたくなってきましたね
わけでは分かんない
公開ダラダライブ
今何時
23分喋りましたね
今日は誰も来ません
いいことですね
もう誰も、見捨てられてしまいました
公開ダラダライブ
だからこういう公開ダラダライブもね
聞く人と聞かない人はもちろんいるんだけど
どんどん聞かれなくなっていくね
私はもう絶滅危惧種だね
間違いなくね
絶滅危惧種だね
しょうがないね60になったら
これはもう旧世代なので
冬一郎
どうする
ワンちゃん来た
ワンちゃんすいません
はいはい
どうもどうも
吠えない吠えない
お前吠えない
何を
ワンちゃんかわいいワンちゃん
冬一郎くんは
地域のボスを目指して
北海道犬ですのでね
リーダータイプだそうですよ
犬種的にはね
どうでもいい話ですけど
偉そうに歩いています
地域の治安が気になるので
毎朝監視してますし
今お家に戻ろうとしてますけど
うんち出たんでね
この後お家に戻って
雪山の上で10分間から
15分番犬するんですね
今日のこの町は
平和を守られてるかな
って感じで
冬一郎くんは雪山のてっぺんからね
偉そうに眺めてるという
感じですね
はいおちっこ
あ疲れた
まあぐちゃぐちゃと整理されないまま
喋りましたけど
ちょっとねそういう
ラジオ文化テレビ文化
そしてソーシャルメディアの
文化の中で
映像視覚情報と言葉
音声情報とそして文字情報が
どんな風に
入り乱れながら
展開してきたのか
この先じゃあどう展開するのか
そんな話で
考えたいなっていう気が
してきましたね
今まではちょっと文字と音声とかどうね
融合統合されて
今後展開されるのか
というある意味狭い世界の
話してたんだけどそれよりもうちょっと
広い文脈で
ホモサピエンスにとっての言葉
を巡る文化で
言葉の位置づけ
あるいは
役割
ブログとポッドキャストの融合と近代の終わり
そんなことを
ちょっと考えてきたよね
そうするといわゆる近代科学とか
科学的証明法とか
一時的な一部の
産物だったというね
要するに近代が終わったという
古代が終わって
中世が続いたように
今まさに近代はもう終わって
長い長い
新しい中世が始まって
これが千年ぐらい続くというね
そういう文脈の中で
見た方がいいんじゃないかな
そうすると
そういう中世的な時代
何言ってるのかよくわからないね
の中で
ブログとポッドキャストの
2.0の
融合した時代は
何を残せるのか
何をできるのか
そんなことをちょっと
考えたいですね
どうせ僕はもう
10年か20年しか生きないので
今言った話は100年間
100年後となっているか
知りませんけども
まあ
絶滅危惧だね
私も絶滅危惧だけど
近代が終わって
どうなんのかなこの感じは
あの
話は不適切にも
ほどがあるで
第8話ですか昨日
不適切にもほどがあるを
見るんですが
あれ面白いね
面白い
何が面白いかっていうと
なんだ
昨日は不倫の話だった
不倫一回したらもう
20年も30年も攻め続けられる
っていう話で
すごいな
一回失敗したらもう
なんだ
ずっと言われ続ける
でもあんた関係ないでしょ
なんでそれ言うの
当事者でもないのに言い続ける
面白かったですね
なかなかえぐり方がね
これまで取り上げられたテーマを
ちょっと一個一個考察しても
面白いんじゃないかな
気になってきましたね
なかなか
官九郎さんですか
いいですね
ちょっと気になりますね
パロディも含めつつ
結構深刻な問題というか
実はね
シリアスな問題を
うまく扱って
しかもちゃんと
ドラマとしても見せている
組み入れながらね
だからあれも
ムッチー先輩だけに反応する人もいるし
若い世代もだから見るわけだけど
そうじゃないもうちょっと年寄りの世代は
僕みたいな世代は別のところに
関心惹かれるわけですよね
あれもだから
ふてほどは面白いね
久しぶりにね
逃げ恥以来のヒットかもしれない
これからふてほどは
じわじわと
オンデマンドで
今回再放送も含めて
ちょっとブームなんじゃないかな
あと思ったのは
ふてほど見ながら思ったのが
思考のスタイルが
やっぱりホモサピエンスは
昔から二項対立
って物事を考える
良い悪い敵味方美しい汚い
良い悪い
善悪
天国と地獄正義の味方
正義と悪
二項対立思考っていうのは
ホモサピエンスの特徴なんですけど
敵か味方かっていう
それで生きながらえてきたのが
ホモサピエンスなので
友敵関係
そこがそもそも
ホモサピエンスの特質なんですが
それはさておき
ただその二項対立思考を
克服するのはトレランス
寛容ってことなんですけど
寛容さが
なくなってるわけじゃないんだけど
適当になってるっていう
気がするな
適当なレベルで
別にいいと思ってるんだけど
自分が
直接関係なくて
匿名性の影に隠れて
発言できるときは
二項対立で断罪すると
ところが実名が出てくると
一気にそういう主張は
影を潜めるみたいな
なんかわけの分かんないことが
起きてるような気がしますね
ちょっとふてほどはやっぱり
面白いですね
これもマニアックに深めてみようかな
ちょっと思ってますけど
そんなことでもうすぐ
30分経つんじゃないかな
冬一郎くんお家の前に戻ってきて
撫でろって言ってます
俺のこともちょっと構えと
言って興奮してますけど
あと何分かな
あと5分くらいかな
ちょっと時間見てみましょう
わけの分かんない話もしたね
今日もね
まあでもこうやってわけの分かんない話をすると
いろいろ
あ、30分超えてますね
ということで公開ダラダライブ終了
おつまちさまでした
最後までは聞きいただいた方ありがとうございました
ではまた
31:38
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