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おはようございます。鶴岡慶子です。この配信では、花火や天気、言葉に関することなどをお話ししています。司会やナレーションを通じて、日々感じたことなどを語る声の日記です。毎朝更新しています。
東京都国立市の桐朋高等学校、第78期卒業生のトウジが、旧ツイッターのXを中心に、「とんでもない18歳だ!すごいものを見た!」というような大きな反響を呼んでいます。
今日は、このトウジ、東宝高等学校公式ウェブサイトから全文を紹介します。
卒業生トウジ。ブラジルの一匹の蝶の羽ばたきは、めぐりめぐってアメリカ的殺臭のハリケーンの原因となり得るでしょうか。
1972年、アメリカの気象学者エドワード・ローレンツは、正確な気象予報の困難さをこのように例え、初期条件のわずかな違いが観測結果に大きな影響を与えることを示しました。
ローレンツのこの問いは、やがてバタフライエフェクトとして大衆文化にも受容され、偶然に導かれた数奇な因果関係を意味する言葉として用いられています。
本日、体育館の外に吹いているほがらかで少し物寂しい風も、ともすると3年前、6年前、初めてこの学校に足を踏み入れたときの、肌寒く不安な風の名残なのかもしれません。
自らの歩みを振り返り、新たな日々を予感させる春風が吹くこの良き日に、桐朋高等学校78期、293名の卒業式を挙行くださること、卒業生を代表し感謝申し上げます。
そして、6年間僕たちに知的好奇心の入り口を開け続けてくださった先生方、また何より18年間僕たちの成長を見守ってくださった保護者の皆様に、重ねて御礼申し上げます。
振り返ると78期は常に風と共に歩んできました。2019年4月1日、平成に代わる新元豪、令和の発表。
出典の万葉集に曰く、初春の冷月にして清く風柔らぎ。しかし、令和最初に吹いた風は通常の風を遥かに凌駕した未知の感染症でした。期末試験は中止です。
最後の登校日、担任の先生が複雑な表情でそう告げた時、歓喜の声を上げた僕たちのそばで、一人舌を向いていた友人が流した悔し涙が、コロナの残酷さを如実に物語っていました。
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憎たらしいほどの青空の下で、僕たちの中学・中学旅行は、部活の試合は、そして何よりマスクの下に見るはずだったみんなの笑顔は、すべて不要不急の四文字に淘汰されてゆき、その鬱憤を誰のせいにもできない葛藤の毎日が続きました。
それでも時計の針は進み続けます。たとえそれが黒板に打ち付けられた腕時計の針であっても、東宝祭は3年ぶりの有観客開催となり、熱狂の渦を取り戻しました。
無事に迎えられた高校修学旅行。旅館の屋根の上、あるいは大文字山から見た京都の星空は、さぞ格別なものだったでしょう。
7回学んで8回笑え。修学旅行のこのスローガンは、もともと7回笑って8回学べ、だったそうです。
最後は笑いたいよね。実行委員のその一言で、少しだけ変わったこのスローガンからは、一生ものの信念を感じます。
しかし、僕たちのこの信念は、決して既存体制への反骨心に基づくものではなく、僕らに本質的に内在する潤沢な学びと笑いへの寄与である。僕はそう思います。
僕たちでなくして、誰が壊れたプリンターで射的をしたでしょうか。
電子犬は78基の学びある笑いの象徴でした。
僕たちでなくして、誰が教室のベランダにガーデンテラスを作ったでしょうか。
中学最後のスポタイ。
起きて破り瀬戸際のクラティーを着て優勝した3年1組が、僕はとても羨ましかった。
僕たちでなくして、誰が数学の問題集より分厚い修学旅行のパンフレットを作ったでしょうか。
学校説明会に来た小学生が、これを見て目を輝かせていたのは忘れられません。
クリエーションとイマジネーションが同じ創造という音なのは、日本語の奇跡としか言いようがありませんが、僕たちにとってこの両者はもはや同一でした。
そしてまた、これも言葉の綾ですが、創造は得てして創造し、群馬県警を呼び、1年1組の天井を破壊し、あるインドカレーテンと癒着ができました。
ともかく、78期はなんというか豪快でパワフル。
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学年閉鎖をことごとく回避し、バカは風邪をひかない、あまりのうるささに呆れ顔で言われたその言葉ですら、僕たちには誇らしく感じられました。
バカといえば、これまた創造の一環として、生徒による学年通信、バカたれを想起した方も多いことでしょう。
学年目標を冠した本家、逮捕たれのパロディーとして作られたこのバカたれ、後付けではありますが、かのスティーブ・ジョブズの演説も由来の一つだそうです。
ステイハングリー、ステイフーリッシュ。
僕たちはこの演説を、後に英語総合の授業で学ぶことになります。
偶然、ちょうどその頃、この演説を扱ったある番組がNHKで放送されました。
一人の細やかなイット並みの連鎖が世界を動かすと語られるこのシリーズ番組は、また偶然にも僕たちが高一の世界史で学んだ映像の正規の続編で、その名も映像の正規バタフライエフェクト。
2022年11月7日の放送会では、世界を変えた愚か者として、ご存知ジョブズと彼に影響を与えた思想家バックミンスター・フラーが紹介されていました。
フラーは人類の持続可能な発展についての先駆的概念、宇宙船地球号の提唱で知られています。
バタフライエフェクトと宇宙船地球号は、共にいかなる微小な存在も、雄大な世界の要素であることから逃れられないことを示しました。
一人の細やかなイット並みの連鎖が世界を動かす。
情報化社会と呼ばれる今日、それはいよいよ僕ら若者のレベルですら現実となりつつあります。
絶えず大衆を突き動かし、ふと消えていくこれらの動きは、まさに風と形容するにふさわしい。
ですが、風そのものは、いかなる善悪も喫強も帯びていません。
曖昧で流動的で得体が知れない。
だからつい、単純化し、意味付けしたくなるだけなのです。
ゼロか一かで定義されるデジタル技術が世界を支配する一方、
ゼロと一の間の無限の可能性を認める多様性、個性といった言葉が盛んに繰り返されています。
しかし、個性的とは決して固定的なものではない。
まして、赤の他人から全角140字で押し付けられるものではない。
僕は同級生の底知れぬ人間力と接するたびに、そう思います。
僕たちが一生かけて取り組む問題集には、別たすの回答解説なんてついていません。
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解説されてたまるものか。
回答なんてあるはずもない。
だけれども、あるいはだからこそ、その問題を直視し、従うべき、逆らうべき風を判断せねばなりません。
さて、このステイハングリー、ステイフーリッシュ、ビーフーリッシュ、ビーハングリーではありません。
僕たちはいつまでフーリッシュ、バカでいられるのでしょうか。
無知をバカと言うならば、僕は永遠にバカで構わない。
無知とは、また新たな何かを学べるということであり、
学びとはすなわち、その奥に未知が存在することへの自覚なのですから、
高一の時、担任の先生がこう言っていたのを思い出します。
学ぶ意味なんて、学びきるまでわからない。
でも、意味がわからないから学ばないってのは、あまりに安直だよね。
学びには王道もなければ正義もない。
永久の学びを志向するものならば、他者に対し冷笑的、遠征的な態度で望むことは許されません。
バカは風邪をひかない。
己の無知を自覚し、ゆえに学び続けるバカであるならば、
流言飛語やではといった一時的な風邪に惑わされることはないはずです。
未成年という暴風林が除去された僕たちには、
今後、多くの逆風が吹き付けるでしょう。
時には向きを変え、その逆風を追い風に変えることも重要な戦略の一つです。
ですが、青臭いかもしれないが、コロナ禍を乗り越えた学年として、
いや、そうでなくても78期として言わせてほしい。
逆風を味わうことができるのは、前に進むものだけだと。
さらに僕たちは、そう遠くない未来、風を受ける側から風を起こす側になるでしょう。
最後に、こんな話を紹介させてください。
ある日、生徒会の意見箱に右翼や左翼といった言葉を使って、
特定の政治思想を抽象するものが投書されていたことがありました。
どう返信しようかと悩み、
そのまま机に置いて帰った次の日、
誰の字とは分かりませんが、しかしはっきりと次のようなことが書かれていました。
片方の翼だけでは、鳥は空を飛べません。
僕たちが大砲ならば、両方の翼を自在に使いこなせる大砲でありたい。
大砲は、古代中国における季節風の象徴だということです。
大砲は、古代中国における季節風の象徴だという説があります。
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中国大陸の南、太平洋を吹き抜ける季節風は、古来より貿易戦の方を推し、
東西文明の融合、新たな文化の流行を育んできました。
一匹の蝶でさえ、ハリケーンを引き起こすなら、293羽の大砲は何をもたらすのでしょうか。
僕たちが起こす風もまた、曖昧な他者を融合させ、誰かの想像の一助となると信じています。
霧の友ですが、決して、これっきりの友ではないはずです。
数千里の翼を伸ばして、校舎の外になおも広く晴れ渡る大空を、
悠々と、殺草と駆けていく我ら大砲。
78機が飛び立つ空に、学びあれ、そして笑いあれ。
78機をいつまでも、馬鹿な大砲であり続けよう。
2024年3月2日、78機卒業生代表。
この陶磁を読んだ方によりますと、この度、陶磁を作るにあたって、78機のすべてを積み合わせるという思いで、
卒業生293名全員の氏名から一文字ずつ取って、本文に組み込むということに挑戦したということなんです。
すごいですよね。また、最後から3行目には、担任団の先生方の氏名を一文字ずつ入れております、ということでした。
それから、霧の友ですが、決して、これっきりの友ではないはずです、というところがあったんですけれども、
それはなんと本番でのアドリブだったそうです。
SNSで話題になっていることについては、
うちはネタ満載の陶磁にもかかわらず、多くの皆様にお読みいただいて、東宝の魅力が少しでも伝わったようで何よりです。
これからもまだ見ぬ新たな学びを求めて、大学生活を過ごしてまいります、と話しているんです。
本当に胸が熱くなる素晴らしい陶磁で、何度も読みたくなります。
ということで、過去1長くなりましたけれども、微暴録として配信に残しておきたいと思いました。