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おはようございます。鶴岡慶子です。 この配信では、司会者として、花火鑑賞師として、そして気象予報士として日々感じたことなどをお話ししています。
シンガーソングライターのユーミンがデビューしてからもう50年になるんですよね。 1972年のデビューだそうです。
私が多分、ユーミンを知ったのは、守ってあげたいだと思うんですが、 中学の時に合唱コンクールの課題曲家なんかで、守ってあげたいだったような気がします。
ピアノ伴奏をしたと思うんですけど、それで出会っているような気がします。 その後、私が中学か高校の時に、ノーサイドが発売になったと思うんですけど、
そのレコードジャケットが確か金色で、すっごくびっくりしたような気がします。 大学に入った時に、私はサッカー部だったんですけど、ノーサイドはラグビーなので、ちょっと違うんですけど、
フットボールなので、なんか通じ合うような気がしてて、ずっとユーミン好きだなぁと思ってました。 なぜユーミンの話をしているかっていうと、実は私が好きなミュージカル俳優の井上芳生さん。
彼のラジオ番組が日曜の夜10時からTBSラジオで放送されるんですけど、毎週私はラジコプレミアムで聞いているんですが、
この間の日曜日のを、昨日やっと聞けたんですよ。10月2日の分はやっと昨日聞けて、その中でユーミンの話が出てきたんですね。
先日、井上芳生さんが歌のコンサートをやった時に、ユーミンの飛行機雲を歌ったそうなんですよ。
で、その歌ったことについてリスナーがすごく感激しましたっていうお便りを番組宛に出したんですね。
そのお便りを聞きながら、あれそんな曲だったっけと思って、もう一回聞き直したんです。
映画風立ち犬の主題歌でもあったし、知ってる歌ではあるんですけど、そういえば歌詞をちゃんとかみしめていないかもしれないと思って見直してみたんですよね。
番組に送られたお手紙は、高校時代のことを思い出すそんなお手紙だったんですけど、
そのお手紙をくださった方のお友達が、演劇が好きで演劇部だったんですけれども、病気がわかってその後半年後に亡くなられたということなんですよね。
あまりにも若い命だったわけなんですが、その時に彼女の意思でもあって、自分の意識があるうちはお見舞いに来ないでほしいということだったらしいんですよ。
意識がなくなった時に、ご家族が命があるうちにぜひ会いに来てほしいというふうに言われたそうなんですね。
だけど彼女との約束の中で行かない方がいいっていうことが一つと、変わってしまった、弱々しくなってしまった彼女の姿を見るのも少し怖いっていう気がして、
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元気な彼女の姿だけを覚えていたいということで、お見舞いにはついぞ行かなかったということだったんです。
彼女が好きだった演劇の舞台を何度も何度も見ていて、井上芳生のこともすごく好きで、舞台もコンサートも見ています。
井上芳生が歌う飛行機雲を聞きながら、その彼女のことをすごく思い出したという、そんな番組あてのお手紙でした。
この曲はそもそもユーミンが小学校時代の同級生に禁じストロフィーの男の子がいて、その少年の死をモチーフに制作されたものだったそうです。
小学校の卒業とともに、その彼とは離れてしまうんですけれども、彼は4年後に亡くなっているんですね。
葬式の時に祭壇に飾られていたその写真は、ユーミンが知らない高校生の彼の姿だったということなんです。
その時に自分の記憶の彼と、それから目の前の写真の彼とすごいギャップがあって、そういう思いからこの曲ができたということでした。
その歌詞は、「誰も気づかずただ一人、あの子は登っていく。何も恐れない。そして舞い上がる。空に憧れて空を駆けてゆく。あの子の命は飛行機雲。」という、そんな歌詞なんですよね。
でも、ユーミン自体はそういうことをモチーフにしているんですけども、この曲を聴いたあなたがどんなふうに聴いてもいい、とユーミン自身が他のラジオでもお話しされていました。
そういう作品って作者から離れた途端に、もう受け取る側のものになるのかもしれないんですけれども、私自身はあまりにも軽く聞きすぎていたと思いました。
それにしても、この曲を作ったのはユーミンが実に16歳の時なんですよね。なんて歓声なんだろう、と改めて思いました。
こういう彼女だからこそ、ずっと新しくて、ずっと多くの方に支持される、そんな理由がわかるような気がしますね。
私が運転するときは、ラジオだったり、割と音声メディア、ポッドキャストだったり、ボイシーだったり、そんな音声を聞くことが多くて、音楽を聞くっていう習慣があまりないんですよ。
でもこの飛行機雲は、ちょっとヘビーローテーションに今更ながらなりそうな予感がします。
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それではまた明日。