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はい、おはようございます。本日の放送は2022年の7月7日、木曜日です。
本日は第130回目のお話となります。
このチャンネルは、福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が
響きになったことをダラダラと話をしていくという番組です。
そんな親父の一言を聞きになりまして、
もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、ごめんなさい。
我気がなかったんです。
不幸にもこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願いいたします。
今日は7月7日、
粒谷英二監督の誕生日です。
そして、特撮の日でもありますね。
粒谷英二監督の誕生日ですね、実は諸説ありましてね、
7月10日という説もあるんですよ。
実を言うと、自分的にはですね、この7月10日説の方がね、有力だなぁと思っていたんです。
ところがですね、塚川氏がね、やっぱりこの誕生日について調査したらしいんですね。
そして、7月7日に間違いないと判断した。
ということをね、特撮の日が決まったときにですね、
塚川市長がね、説明したんですね。
いっぱい諸説あるっていうことでね、市長もそのことについて触れていてね、
ただ、ウグギーに書いてあった日付、それまで確認したっていうことを言ってたんで、
それなんで、私も7月7日説に変えました。
7月10日はね、ウルトラマンの本放送の日なんで、
ウルトラマンの日現在になってますよね。
7月7日の方がね、やっぱり七夕の日に絡みまして覚えやすいんで、いいかなと思ってます。
そんな特撮の日なんですが、昨日悲しいニュースが飛び込んできました。
中野寺由監督、松桂監督ってお呼びした方がね、一般的ですかね。
その方がお知らせになりました。
6月27日にね、排血症で亡くなられたそうなんです。
86歳。
葬儀はですね、禁止にしただけで行われたそうなんですよね。
本当に慎んでご冥福を祈りたいしたいと思います。
中野監督というとね、旧満州生まれ、そして日本大学を卒業した後に東方入社し、
69年のクレイジーの大爆発で特技監督としてデビューされた方です。
そしてゴジラ対メカゴジラ、それから徹川さまさんの原作の火の鳥、
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それから大日本帝国などですね、幅広いジャンルで活躍された方です。
本当に幅広い分野で活躍されたもので、宗教的な映画だとか、
あるいは北朝鮮に呼ばれてプルガサリという怪獣映画、
こういったのもね、携わってきた方なんですね。
YS出版の映画文庫、そちらの方にですね、特技監督権中野手拍子という本があるんですよね。
中野監督が言ったことを尚屋さんという方がまとめられた本なんですけどね。
で、満州で座った中野監督ですがね、おいたちみたいなのがいろいろ語られてるんですが、
これがですね、すんごいんですよね。
まずおじいさんがですね、藍津若松出身で、野口秀夫のね、様をしたこともあるという人物だったんですね。
それから吉田繁の秘書もしていたこともあるという方だったんですよ。
そして父親が貿易省をしていて、満州鉄道に関係していたと。
一応、仕事版には赤木の子守唄で有名になる松治太郎さんもいたみたいな話とか書いてあったと思うんですね。
その他にもですね、いろいろ面白いことがたくさん書いてあったようなんですよね。
というわけで今回はですね、その本に書いてあったことをね、やればね、面白いなと思ったんですが、
昨日一生懸命部屋の中探したんですがね、見つからなかったんですよ。
それでちょっと夜更かししまして、今日収録がちょっと遅れております。
で、ここから先はですね、その本に書いてあったことか、単にその記憶間違いか、他の本に書いてあったのか、
いろいろ混じってますんでね、今から話す話は話半分に聞いてください。
祖父の家系はですね、確か藍津藩の武士だったというね、それと書いてあったような気がするんですよね。
それからおじがですね、当時の教科書に載るような人物だったというんですね。
それからまた別なおじなのかな、満州にいた馬族みたいなことをしていた人もいたという話なんですね。
それから祖父の墓はですね、藍津若町にあるというふうなことを、本も書いた当時言ってたような記憶があるんですが、今はどうされてるんでしょうかね。
それから父親が満州鉄道に関係していたということで、森茂久さんの話もちょっと出てたような気がするんですが、漢字の話は覚えてないんですね。
でまぁそんな感じで、ちょっとね、他の人に比べば満州にいた時は裕福な生活されていたようです。
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ところが戦争が終わってね、引き上げる時になった時にですね、かなり苦労されたみたいなんですね。
かなり色々と精算な場面を目にしたようです。
そして捨てをたどってね、愛媛県の方にたどり着いてね、そこで成長されるんですね。
父親の仕事場が隅友系の会社だったんで、タワーで見ることができたみたいなんですね。
というので毎日毎日映画を見ていたっていう生活していたみたいです。
というわけで映画の方に興味を持って、大学の方でも勉強されたそうなんですね。
でその後、入社試験を受けるっていう時になったんですが、どこでもよかったらしいんですね。
どの会社に行こうかって考えてなかった。
でたまたま最初に入社試験を受けたのが東宝だったっていうことらしいんですね。
ところがですね、その入社試験でね、ゴジラについてね、感想を聞かれたそうなんですよ。
ところがですね、ゴジラを見たことがなかったので、答えることができなかったって話らしいんですね。
逆にこれはもうダメだと思ったらしいんですけども、逆に言うとゴジラも知らないのに東宝を受けたっていうので、
お世話もしょうがなかったのが入社決まったらしいんですね。
当時はですね、特撮について全然興味なかったみたいなんですね。
みんなの特撮関係のやつはめんどくさいからっていうね、だいぶやらなかったっていうので、
だんだんだんだんですね、入ったばっかりだというので特撮関係の映画ばっかりに携わるようになっていくんですね。
椿英二さんとのエピソードもいろいろあったような気がするんですね。
女監督時代ですけどね、それまでザックリとしたスケジュール表でみんなやってるんで、
これじゃ効率悪いだろうっていうね、細かなスケジュール表を作ったところですね。
椿英二監督にね、こんなんじゃ撮影できるわけないだろうっていうので怒られたって話なんですね。
っていうので、椿英二監督に怒られて、これでもう縁がないよねって思ってたんですが、
なぜか知らないけど、椿英二監督に気に入られちゃって、それで指名されるんですね。
っていうので、指名されちゃうと、もう女監督という立場だとする程度、やっぱりそれも従わされないんで、
ずっと椿英二監督の作品に携わってきたって感じらしいんですね。
椿英二監督はですね、についてはですね、
一から何でも作っていって監督ですかって言うんですけど、すごい天才だっていうふうに褒めてらっしゃいましたね。
その他、自分の関係した特撮前編についてもいろいろ書いていてね、
特に北朝鮮でプルガサリ作った時の話とかね、そういうのがあって非常に貴重な話だと思ってます。
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ただ個人的にはですね、自分がね、子供の時代に見ていた流線人間ゾーン、これにも関係してるんですが、
それについての話が少なくてね、そこが残念だったなーっていう記憶なんですね。
というわけで、その本が出てきたらね、もしかしたら今日話した話のやつがどのくらいまで本当だったのかわかると思いますけどね、ちょっと非常に不安です。
はい、特撮映画を盛り上げてきた監督の方なので、もう少しですね、いろいろと特撮関係の話をしていってほしかったなと思っております。
今頃ですね、天国で椿英二監督と会ってね、いろいろとお話をしているんでしょうね。
本当にご冥福をお祈りいたします。
はい、それではまた次回よろしくはペンキシの宝橋をお付き合いくださいね。本日もお聞きくださいまして、誠にありがとうございました。