1. ピョン吉の航星日誌
  2. #22 狛犬と大塚康生さんとたく..
2022-03-21 08:38

#22 狛犬と大塚康生さんとたくきよしみつさんの話

大好きなアニメーターの大塚康生さんが2021年3月15日に亡くなっていたことに一年経った今ごろ気づきました。

大塚さんが2005年に福島県に狛犬を観にきたときの話を思い出しております。お会いしたかったです。

00:04
はい、おはようございまーす。このチャンネルは福島県小山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が日々気になったことをダラダラと話をしていくという番組です。
そんな内緒の一言が気になりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、ごめんなさい。悪気がなかったんです。
不幸にもこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願いいたします。
そんなわけで、ダラダラと行かせていただきます。
改めまして、おはようございます。このチャンネルのナビゲーターのピョン吉です。
本日の放送は、2022年の3月21日、月曜日。祝日のね、春分の日です。本日は第22回目のお話となります。
この放送を収録しているのは、前日の3月20日です。
皆様は墓参りとか行きますでしょうか。
うちではですね、お彼岸とお盆には行きます。
というわけで、年3回ですね、行くんですよ。
自分の方と奥さんの方。
それぞれね、遠くにあるんで、この時期結構大変なんですね。
そんなわけで、この放送は流れて間もなく家族を乗せて、車で出発。
というわけで、その準備でバタバタしているところです。
いやー、びっくりしました。
自分の大好きなアニメーターの大塚康生さんがですね、昨年の3月15日、亡くなられていたんですね。
全く気づきませんでした。
たまたまですね、別なことをね、検索していてですね、引っかかって。
今頃気づいたような状況です。
大塚康生さんというとですね、高畑勲監督とかね、宮崎駿監督とかね、東映時代の大先輩にあたりまして、日本アニメを黎明期から支えたアニメーターの一人です。
代表作というと、フォルスの大冒険、パンダコパンダ、ルパン三世、未来少年コナン、ジャリンコ知恵など、自分のものにですね、影響を受けた人物です。
例えば自分の名はピョン吉という名前だって、ドコンジョウガエルのピョン吉なんですが、この原画をやっていたのがAプロ。
大塚さんが参加していたんですよ。
Aプロ、今の新映動画ですが、そこに参加していまして、そのドコンジョウガエルのピョン吉をはじめ、登場人物たちがあちこちに大塚康生さんらしさがアニメーションとして出てたんですね。
03:03
それに感銘して付けたようなところがあります。
というわけで、非常に好きな作家さんだったんですが、残念ながらで非常に残念です。
当時のことを大塚さんが書いた作画汗まみれ、これはもう何度も読みました。
本当にご冥福をお祈りいたします。
実は大塚康生さんですが、2005年に福島県に遊びに来ていたんですよ。
もしかしたらですね、チャンスがあれば私もお会いできていたかもしれないんです、これ。
詳しくはですね、大塚康生、狛犬、たくきよしみつの3つの言葉で検索してみてください。
するとですね、たくきよしみつさんによるですね、狛犬日光川津庵雑記町というサイトが出ますので、そこの大塚さんの話を読んでください。
たくきよしみつさんって福島県の川内村に住んでいた方です。
小説を書いたり、音楽を作ったり、デジタルカメラの研究をしたり、カエルの研究をしたり、狛犬について調べたり、もう本当にまるうちに才能のある方です。
たくきという名字はですね、福島市にちょっと多いんですよね。
その通り実は福島市生まれです。
そのため2004年から2011年にですね、川内村のところにですね、次の住処として家を作って住んでいたんですね。
そして都会と2拠点生活していたんですよ。
ところが福島原発のせいでですね、その家を失ってしまい、現在は日光市の方に移られています。
福島原発がなかったらね、事故がなかったら福島県から貴重な人材を出すこともなかったのになぁと思っております。
当時ですが、福島県の川内村に面白い人が住んでいるなぁと興味を持ってですね、ネットを通じて押し合いになったんですね。
それで色々と影響を受けました。
その影響を受けた一つが狛犬です。
神社の前に立っている狛犬さんですね。
それについて調べたのもこの人の影響です。
というわけで、阿部熊地域の狛犬についてあちこちあちこち歩いて調べました。
そしたらですね、高麗山市に歴史がないとよく言われますけども、高麗山市から阿部熊川を跨いで三原町へ繋がるところ。
その辺りにですね、古い狛犬がたくさんあるのを見つけたんですね。
狛犬愛好家の人たちはね、はじめと呼ぶですね。
はじめ、江戸時代の狛犬が多いんですよ。
06:03
非常に素朴なく味わいのある狛犬なんですね。
考えてみれば、阿部熊川に近いんでね、水が豊かだから、朝化粗生ができる前からそこに人たくさん住んでたんですね。
だから文化が残っていたんですよね。
高麗山市は朝化粗生ができる前は何もなかったってことにしたみたいですが、
松尾場所だって奥の細道で高麗山市のところを通った時に田村神社とかを周りにしてるんですよ。
西田地域の方が昔はですね、都会だったんですね。
というわけで、その発見した江戸時代の狛犬のことをですね、たくきさんにお伝えしたところですね。
それはですね、びっくりされまして、狛犬の研究会の中に広まるきっかけになりました。
今でもですね、時々狛犬の愛好家の人たちはですね、この高麗山市の西田町辺りのところ、その辺りをですね、観光で訪れるんですよ。
そんなある日ですね、たくきさんがね、「大塚康生さんって知ってる?」と聞くんですよ。
実は大塚康生さんも狛犬の研究をしているんですね。
それでたくきさんが大好きなですね、徳島県の石川町周辺にある小松寅吉、小林和平というね、二人の石工の狛犬を巡る旅をですね、お誘いしたらしいんですね。
そしたら大塚さんが来たっていう話らしいんですよ。
ところがですね、たくきさんはアニメーションをよくわかってらっしゃらないんですね。
そのためですね、大塚さんがどんなに偉大で、どんなにアニメに貢献したかっていうのをわかってらっしゃらないんですよね。
そのためですね、たくきさんにその素晴らしさをね、お伝えしたというような記憶があります。
もしももう一回大塚さんがね、福島県に来る機会があったら、ご一緒に狛犬を巡ることができたかもなぁと思うんですよね。
残念ながらその機会はなかったわけですが。
はい、時間が来てしまいました。本日の話はここまでです。
たくきさんいろいろ面白い方ですんで、もしもね、思い出したことでありましたらまたお話ししてみたいと思います。
それではまた次回。よろしければぴょん吉のつまらないオタクのお話にお付き合いください。
今日も一日頑張りましょう。
08:38

コメント

スクロール