2022-05-25 12:27

#87 いわき市出身のSF作家?石津嵐(磐紀一郎)さんについての話

いわき市出身の石津嵐さんは「鉄腕アトム」の頃の虫プロの元スタッフ。1975年からソノラマ文庫で小説の「宇宙戦艦ヤマト」をはじめ現代のライトノベルにちかい小説を発表しておりました。のちに時代小説に転向し、磐紀一郎という名前でも活躍しました。そんな石津嵐さんについての話をしております。

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はい、おはようございます。本日の放送は2022年の5月25日、水曜日です。
本日は第87回目のお話となります。 このチャンネルは福島県小林市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が響きになったことをダラダラと話をしていくという番組です。
そんな大事な人のことを聞きになりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、ごめんなさい。悪意はなかったんです。
この番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願い致します。
前にですね、ちょっと話をいたしましたよね。 特撮アニメ漫画関係のね、今日は何の日がわかるカレンダーをですね、グーグルカレンダーを使って作っているんです。
朝起きた時にね、今日は自分の好きな作家さんがね、生まれた日ということを知ったりとかね、自分の好きなアニメや特撮が始まった日ということがわかったらですね、テンションが上がるじゃないですか。
アニメの格好の人物が生まれた日だとかね、あるいは宇宙人が攻めてきた日だとか気づいたらですね、それもまた嬉しいじゃないですか。
そんな楽しみみたいなですね、コツコツと作っております。
もう少ししたらですね、公開してね、同じような趣味の人がいたらね、楽しんでもらえるかなと思って進めております。
今日ね、5月25日ですけどね、SF作家でね、黎明期から活躍されているトヨタ・アリツネさんという方がね、生まれた日なんですね。
子供の時にですね、読んだ時間砲計画だとかね、タイマー戦記だとか、あるいはタイムパトロールもね、好きだったんですよね。
そしてですね、あさっての5月27日は、日本で初めて日本SF大会が開催された日です。
1962年に、あのメグコンっていうんですね。
この日本SF大会が、まあ現在のオタク系のイベントの元祖ですからね。
今はね、すっかり夏のイベントになってますけども、以前はこのように春のこの頃に行われてたんですね。
こういったことはわかるわけですね。
そういえば、この日本SF大会ですが、今年はですね、コロナのために延期になってましたんですが、
氷山市のバンダアタミで開催されるんですよね。
というわけでですね、この2つをですね、見ていてふと思い出した話です。
日本で初めて日本SF大会に参加した福島県人は誰かっていうのはね、ちょっと気になったんですね。
多分あのメグコンに参加した一般参加者の180人の中にもね、いたとは思うんですけども、
えっと、はっきりしたことはわかってなかったんですね。
しかし最近ですね、確実に参加したという人でね、一人見つけたんですよ。
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SF作家のさっき言ったトヨタ・アリチネさんのお友達の石津嵐さんです。
石津嵐さんの名前を聞いてね、おおーと思った方がいたらですね、自分と同年代かもしれません。
自分がね、石津嵐さんの名前を知ったのはですね、宇宙戦艦大和のブームが始まる前の頃です。
1975年の頃です。
朝日ソノラマからですね、ソノラマ文庫っていうのはですね、
えっと、トヨタ・アリチネさん、源安、石津嵐さんが著作でですね、宇宙戦艦大和の本が出たんですね。
ソノラマ文庫っていうとですね、ジブリナイル小説を出してるレーベルでした。
現在というところのね、ライトノベルですね。
で、このレーベルがうまくいかなかったらですね、もしかしたらですね、今あるライトノベルっていう分野もね、なかったかもしれないんですね。
その第一巻として出たのが宇宙戦艦大和だったんです。
トヨタさんはね、宇宙戦艦大和に深く関わってまして、例えばイスカンダルって星へ行くんですけども、
これはね、アレキサンダー大王のね、別の名前なんですね。
っていうんで、その名前の中をネーメンにしたのが実はトヨタ理事長さんなんですね。
というので、まあ原案に深く関わっているとはわかってたんですね。
でもこのソノラマ文庫が出た、石津嵐さんが書いた宇宙戦艦大和ですが、かなり1974年に放映されたテレビのね、宇宙戦艦ととっても違うんですよ。
あまりに違っててね、なんだこれはとびっくりした記憶があります。
これはですね、実はトヨタさんがね、アニメの原案を作ったんですが、その元に石津嵐さんが書いたものだったから、アニメを実際に放映されたのとかなり違うんですね。
そしてですね、その後石津嵐さんはソノラマ文庫からですね、宇宙戦艦大和に似たようなタイトルの本を出していくんですね。
宇宙戦皇帝ゼロだとかね、宇宙海賊戦シャークだとかって言うんで、キャプテンシャークシリーズなどのシリーズも出してました。
この人なんだろうなぁと当時不思議だったんですよね。
全然あのアニメの宇宙戦艦のことに関係ないみたいなんだけども、なんでヤマトの本出しちゃったんだろうと。
この石津嵐さんですが、福島県いわき市生まれだそうです。
生まれたのが嵐の日だったためにですね、身元だったお父さんによって嵐っていうふうにネーミングされたそうなんですよね。
そして鉄腕アトムの放映が始まった頃の1962年にですね、ムシプロへ入社して、
そして制作振興をやって、後に客航空に移動したという経歴の方です。
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実は最近ですね、1980年に石津さんが書いた本、
秘密の手塚治虫、世界に通用する男の生き方という本を手に入れて読んだんですね。
その頃の話がよく分かりました。
いわき市の方から出てきました石津さんなんですが、非常に演劇青年だったらしいですね。
というわけで日本大学の芸術学部で演劇やってたんですが、中退しちゃいましたね。
友人とまた劇団を作って立ち上げていたんですが、失敗でもう食べることもできないような状態になっちゃうと。
その時アニメーション映画スタッフ募集というムシプロダクションの新聞広告を見つけたらしいんですね。
というふうに応募したらしいんです。
アニメってことについて全く知識はなかったらしいんですね。
でも映画の仕事ができるんじゃないかなと思って応募したらしいんです。
入社試験を受けて、後になってから手塚治虫さんの姿を見てびっくりしたらしいんですね。
社長が手塚治虫さんなんだと。
1962年にムシプロダクションに入社して、そしてすぐに放送開始が迫っていたので、鉄腕アトムの制作進行に担当したらしいんですね。
ところがこの頃ですけども、手塚治虫さんの鉄腕アトムの原作が尽きることが分かってたんですね。
というわけで、どうにかシナリオを手に入れなきゃいけないと。
というので、手塚治虫さんが日本SF大会に参加するというので、それをきっかけに手塚さんと一緒に鉄腕アトムの元のシナリオを描いてくれる人をどうにか日本SF大会から探せないかというので参加したらしいんですよ。
というわけで、そこで日本SF作家の方々と石津さんの繋がりができたらしいんですね。
鉄腕アトムでは、後にアニメ監督になる林太郎さんの演出助手なども手掛けたそうです。
文芸家というのができまして、そこの初代の文芸課長まで勤めたらしいんですね。
そしてあと先ほど言いましたけども、捨てができました日本SF作家の一人、トヨタ・アリツネさんと親しくなって、同い年ということでかなり親しくなっていたらしいんですね。
ところがこの時ですね、ワンダースリー事件というのが起きます。
ワンダースリーというね、鉄腕さんの原作の作品をアニメ化を考えてたんですが、そのキャラクターがね、他のアニメーションに似たようなキャラクターが使われてしまうという事件なんですね。
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というので、トヨタさんがね、スパイじゃないかというので疑われちゃって、それでトヨタさんは虫プロダクションを辞めざるを得なくなっちゃうんですね。
その際にですね、かばったのが石津さんなんです。石津さんも虫プロダクションを辞めたそうなんですよ。
その後、トヨタさんがね、紹介で1967年にですね、冒険家ボテン島という作品ですね、そちらの方のシナリオライターとして参加します。
またその縁もありまして、特撮のね、キャプテンウルトラのシナリオにも参加するんですね。
そのきっかけとなって、小説の方にね、書き始めるんですね。
1974年にトヨタさんから依頼によってね、今宇宙戦艦ヤマトの企画やってるんだけども、それを小説化しないかって話で、それで本格的に作家活動を始めたらしいんですね。
というわけで、その後も正式にSF作家の人たちとの繋がりがあるからというので、日本SF作家クラブにも入っちゃうんですね。
かなりトヨタさんと仲がいいんだがね、トヨタさんの時間砲計画という傑作の小説があるんですが、その続編なども書いてましたし、
また手塚治虫さんの原作の火の鳥を元にした、火の鳥2772愛のコスモゾーンの小説家なども書いておりました。
それにしてもですね、この秘密の手塚治虫、世界に通用する男の生き方という本なんですが、
手塚治虫さんは全くのノーチェックなんですね。なのに、著者名のところに手塚治虫さんの名前が書いてあるんですね。
大丈夫なのかなーなんてちょっと心配してしまいます。
でもね、この本ですが手塚さんのね、お母さんとかお父さんの話でも書いてあるというので、ちょっと珍しい本なんですね。
というわけで、福島県はSF小説と縁がない地域だなと思っていたらですね、既にもうSF作家を排出していたんですね。
その後ですが、90年代からですね、もともと大好きだった時代小説の方に移行しまして、ペンネームの本も書いたらしいんです。
その際に名乗った名前が、番喜一郎という名前なんですね。
番という字はですね、常番単行の番なんですね。
というわけで、ぱっと見ですね、見ると岩木一郎という意味で読めるんですよ。
というわけで、出身である岩木氏にかなり愛着があったのかなとはわかります。
そんなわけでね、石沢さんにお会いすることができれば、無職プロダクションの初期の話だとか、
あと初めて参加した日本SF大会の話だとか、初期の日本SF作家会合の話だとかね、
そういう話をね、聞くことができるかなと思ってたんですけども、
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残念なことに昨年のですね、2021年の11月29日に亡くなったそうなんですよね。
それではですね、また次回よろしく、番喜一郎お宅の話をお付き合いくださいね。
本日もお聞き下さいまして、誠にありがとうございました。
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