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2023-05-04 11:04

#431 福島市出身「赤毛のアン」脚本家の千葉茂樹さんがすごい映画監督という話

福島市出身で「山ねずみロッキーチャック」、「赤毛のアン」などの脚本を書いた千葉茂樹さんは、当時無名だったマザー・テレサを撮影して日本に知らしめたドキュメンタリー映画監督でもありました。実は本宮市で有名な「こころの山脈」の脚本も千葉さんによるものなんですよ。

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はい、おはようございまーす。本日の放送は2023年の5月4日、木曜日です。
本日は第431回目のお話となりまーす。
このチャンネルは福島県郡町在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が響きになったことをただただ話をしていくという番組です。
そんな親父の一言が気になりまして、もしもあなたの心に何か残ってしまったら、ごめんなさい、悪意がなかったんです。
不幸にこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご卑怯のほどよろしくお願い致します。
今回はですね、福島市出身の脚本家でね、映画監督の方をご紹介したいと思います。
その方の名前は千葉しげきさんと言います。
千葉しげきさん。 アニメの脚本に関わったのは数少ないんですよね。
ヤマネズミロッキーチャック、 赤毛のアン、風船のドラ太郎。
こういった作品で脚本を描いていらっしゃいます。 そのうちの1979年に作られました赤毛のアン。
ジブリの高畑勲監督が監督したテレビ作品ですよね。 その赤毛のアンなんですよね。
1話から6話までを集めました。 1989年放送から10年後に高畑勲監督の名前で
赤毛のアン、グリーンゲーブルズへの道というタイトルでアニメ映画になったんですね。
テレビアニメの総集編なんですけどね。 そこでは脚本家の一番に千葉しげきさんの名前があります。
既に高畑勲監督はスタジオジブリの方でホタルの墓などを作っていた頃なんですね。
実は1989年には公開がほとんどされませんでね。
実際に公開されたのはずっと後の20年後なんですよ。 2010年の頃です。
その後に劇場で公開されるようになったんですね。 その他に千葉しげきさんが関わったアニメーションと言いますと
日本にボランティアという考えを広めたという方がいらっしゃいまして、それは修道士のゼノさんという方なんですね。
そのゼノさんについてのアニメーション化したもの。 1990年に作られたアニメ
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ゼノ限りなき愛にという作品。ここでも脚本をしているんですね。 このゼノ限りなき愛にはですね
なかなかDVD化とかされていないんですけどね。 なぜかですねyoutubeに違法なんですよね。サンプルがね全編アップされてますね。
というわけで見ることができてしまいます。 この千葉しげきさんが作ったアニメ作品が自分たちに関係するのとしましたね。
山積みロッキーチャックの前の時ですね。 1969年から1972年に書いてましたね。
じゃんけんけんちゃん 寿司屋のけんちゃん
ケーキ屋けんちゃんというけんちゃんシリーズで脚本を書いてらっしゃるんですね。 この千葉しげきさんですね。
福島県民にとっては忘れてはいけないのはですね。 アニメじゃないんですかね。もとみ屋敷映画制作ね。
それで作りました。1966年に作った心の山脈。 こちらの方の脚本も書いてるところなんですよね。
千葉しげきさんですけどね。 1933年に福島県福島市生まれ。
現在90歳の方です。 福島大学の経済学部に入学したんですよね。
勤労学生として勉学していたんですよね。 黒澤明監督の生きるを見てしまうんですね。
そう見て非常に感銘しましたね。 映画監督になろうと決意するんですよ。
そして福島大学は日本大学へ編入しました。 日本大学芸術学部の映画学科を卒業するんですよ。
大学卒業時に応募した森林シナリオコンクール。 こちらの方で最年少で入賞いたしまして、もう24歳の時にね。
映画一粒の麦という作品で映画化されました。 脚本家としてデビューするんですね。
その後、慎太郎金人監督と指示しまして。 そして1966年に心の山脈の脚本を書くわけですよね。
千葉新域監督ですね。心の山脈もそうなんですかね。 献身的に働く人々と、それを褒めていただえるという作品を作るのが大部分です。
生きるを見た影響なんでしょうかね。 山ネズミロッキーチャックのアニメで脚本を書いている時にですね。
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1974年にドキュメンタリー作品 愛の養子たちという作品で、映画監督デビューするんですよね。
これはベルギーで出会った家族の物語なんですね。 食べることのできない海外の子供たち。それを自分の養子と迎えてね。
そしてお世話する家族の話なんですね。 以降ですね、ドキュメンタリー作品を中心に精力的に活動していくんですね。
そして1978年にマザーテイサーとその世界という作品を発表します。 日本人として初めてフィルム撮影を許可されましたね。
まだ無名に近かったインドの修道場マザーテイサーの活動を世界に先駆けて発信したんですよ。
その翌年ですよ。マザーテイサーはノーベル賞、平和賞を受賞するんですね。 というわけで、キネマ巡邦の文化部門の第一位。
毎日映画コンクール教育文化映画第一位。 日本ペンクラブのシアトリカル部門第一位。
日本赤十字映画特別賞最優秀映画賞を受賞されるんですね。 その作品が人気な頃に赤毛の庵の脚本を書いていたわけですよね。
赤毛の庵の中ですね、庵を男と間違えて引き取ったマシュとマニラ。 その二人って熱心なキリスト教徒ですよね。
それから国際的な様子、それについて映画を作っていたということでね。 それもありまして、赤毛の庵の作品のあちこちにキリスト教的なものが描かれていますよね。
というわけで、高畑勲監督だけでは、赤毛の庵の世界は描けなかったんですね。
千葉新域さんがいるから、ああいう作品だったわけですね。
マザーテイサーさんが発売日した時には、マザーテイサー祈り、生命、それは愛というのを1981年に制作します。
また2009年には、マザーテイサーと生きるという作品を、マザーテイサー生誕100年記念作品として作っています。
という感じで、マザーテイサーに関する映画を4本も制作するんですね。
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また、教皇ヨハネパウロ2世が来日した時に、それを記憶としまして、平和の巡礼者という作品を1981年に作っています。
その他、劇映画、アウシュビッツ愛の軌跡、コルベ神父の生涯という作品も1981年に発表しています。
そのようなキストキョーストの流れで、先ほど言いましたアニメ映画のゼレ、そちらの方を作ったんでしょうね。
その他、ドキュメンタリー作品としまして、アンデスのふもとのもとにという作品で、毎日コンクール教育文化部門の第一を取ったりとかですね。
また、ゴージスにかける愛の鉄道という作品を発表していきます。
そして、数々の映画賞を受賞していくんですね。
というわけでですね、心の山脈を描いた人がね、ヤモネズミロッキーチャックだとかね、赤毛のアンダとか、そういったテレビアニメ作品だとか関わりまして、その合間にですね、マザーテイサーを日本の人々に知らしめた、ということなんですね。
現在もですね、そういう活動を続けていらっしゃるんですね。
そんな方が福島県出身者、福島市出身者にいらっしゃるということですね。
ぜひともね、知ってもらいたいなというふうに思っております。
はい、それではまた次回よろしく、ぴょんぴょん貴重なお話をお付き合いくださいね。
本日もお付き合いくださいまして、誠にありがとうございました。
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