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2024-08-19 1:32:35

第二百十六回 平熱のまま、この世界に熱狂したい? ゲスト:宮崎智之さん

宮崎さんと新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい』(ちくま文庫)を巡って、あるいは文芸時評のぐるりであれこれお喋り。

00:01
はい、じゃあ始めていきます。
ポイエティークRADIO、お相手は私、柿内正午と、
本日は特別ゲストでこの方です。
文芸評論家、エッセイストの宮崎智之と申します。
よろしくお願いします。
下書き問題ね。
今もちょうどね、これ撮る前に話してましたけど。
宮崎さんとしては、文芸評論家、エッセイストだ。
ファイナルアンサー。
ファイナルアンサーっぽい名前があって、
評価って言うと、現代思想も入ってきそうらしい。
現代思想も全くやってないわけじゃないんだけど、
僕、結構理直な人間なんで、
原文で読めないからかね、
タイプの真面目な人間なんで。
じゃあ、真面目と言うかどうか。
だから、せめて英語圏の本は読めるようになろうとは思うけど、
今、英語頑張ってるんですけど、
自分の範囲を限定して偽りないのをすれば、
日本文学、外は日本文学専攻で大学を取ってるのでいいんだろうということで、
限定は日本文芸協力学園なんだろうけど、文芸評論家だろうと。
ただ、エッセイストでもあるから。
自分がプレイヤーとして、
エッセイがプレイヤーとして成立するのが問題っていうのもあるはずと思うけど、
僕はエッセイは文芸であるってことだと思うので、
自分が文芸作品として発表するものもあるから、
それも自分の一つの大きな軸なので、
文芸評論家エッセイスト。
文芸評論はやっていきたいねっていう感じで、
すでにもちろん文学会2年間を、
9月頃にですね、
竹内聡子君と一緒に成文を書きましたし、
各種いろいろ解説とかやってますけど、
なんといっても後で話題になるかもしれない。
今小説新人研究の文学会に担当したので、
1月後からですか?
そう。だから今年まで1年間。
今年中は文芸評論家でありながら。
そうですね。この時も、
03:01
あと4回ですね。
その後文芸評論活動をどうしていくのかっていうのは、
これからの課題といった、
一応あっためてるものはありますけど。
それでですね、
今日はですね、宣伝も兼ねて、
いただきましたが、
そうですね。宮崎さんの、
新刊ですね。
平列のままこの世界に実況したいという。
築間文庫から。
造歩新版ということで、
参考本は2020年に出たんだけど、
それが文庫化されて造歩新版になったということで、
一応ある方にね、新しい作品になっている。
造歩新版によってまた違った作品になっているって言われたので、
新刊でいいかなって思います。
実際1万4000字とか出るから、
元々長いエッセイ集じゃなくて、
1万字くらいのエッセイ集。
確かに見る方が変わってるかなというふうに。
補償で新しくエッセイが3つ。
そうですね、補償で。
文庫版の解説もダブル解説。
ダブル解説。
山本隆一さんと吉川英夫さん。
大好きな方は哲学の劇場、東東でも有名なお二人で活動されている。
お二人でも活動されている文庫化の大先輩。
吉川英夫さんというのは僕らの先生というか、
ご一緒している読書界の。
読書界の講座の先生ということで、
師匠を勝手に当たるお二人が。
勝手に山本さんも師匠という話。
なんかその、師粛するとかあるじゃないですか。
行ってみたくてさ。
誰々に指示とか。
僕もちろん大学の前に入ったけど、
何々に指示とか書きたくない?
確かにそうですね。
師粛はしてるけど。
指示は書けない。
指示はしてない。
さすがに。
師粛はしてるから。
そういう愛に乗っていいよね。
そうですね。
やっぱりね。
加藤天元さんとかさ、
なんかいいな、加藤天元さん。
誰に、誰のところから出てきたのか。
あると。
僕も厳密に言えば、
もうご体感されてしまいましたけど、
右大学の日本近代文学研究所で、
三谷星弁先生という、
滋賀直屋の高専門の先生に、
指示されたわけなんですけども、
一応ね、ゼミとして。
じゃあゼミとしては、
滋賀直屋先生というわけで。
日本近代文学ゼミで、
06:01
メディアで、
1年から演習方式の、
ゼミ会式の授業が、
1年から三谷先生が教わる。
3、4年までになるようになって、
卒業論もそこで書くということで。
結構ネジってね、
オールドな意外と、
当時は今はあったんだけど、
オールドな文学部で、
日本近代文学のゼミが少なかった。
古典とか、古典とか、古事記とか、
民族学のほうみたいなものとかも、
ほとんど多かった。
1年の時に。
近代は早すぎるというか、
まだ浅すぎたんですね、
そのイメージ的には。
肉たらしくはない生徒だった。
学生だったんで、
なんとかそのまま、
見つかりながらやって、
近代文学で。
当時はね、
確か三谷先生のご指導では、
戦後はダメって言うくんですか。
長居とか三谷先生は書いてなかった。
今思うと不思議だよね。
結構書いてる人いない?
三谷さんとか。
それこそだって、
そこからまた状況変わってるというか。
僕は2000年初頭だからね。
その頃と今とだと、
そこの感覚の違いはまた大きくなってるな、
っていうのは感じはしますね。
確か今だったらさ、
防衛でも卒論書けそうだよね、
もう無くなって。
そうです。
僕は中夜、
中夜宣伝になくなってるから、
宣伝でしょって言って。
そんな感じで、
ボストンを受けて、
その間に、
当時卒業論文出したらね、
ユーロもあったんですよ。
先生がおっしゃっていたのはね、
定格の言葉だったかはちょっとわからないけど、
論文としては少し脇が合わないけど、
エッセイとしてはめちゃめちゃ面白かったから、
ユーロがめちゃめちゃ面白かった。
だからエッセイストになったからね。
それはすごい今にまで繋がる。
読み物としては面白かった。
今にまで繋がる、
非常に資産的な言葉ですね。
確かにね。
文章は昔から好きだった。
宮崎さんの審判の経緯としては、
この世界に根拠したい増幅審判。
いわゆるエッセイの仕事ですね。
これは本当に、
一応エッセイ集で、
全部で補償を合わせると、
全部でどのくらいなんだろう。
09:01
20ペンちょいくらいずつ、
エッセイが載っているという形なんですけど、
それこそ文芸評論家、
エッセイストの書いたもの、
という感じがすごく強く出ている本だな、
というのはすごい感じましたね。
習慣的な感じ。
でもさ、ちょっとなんか、
まるでこれはエッセイというのが、
もったいなくて、
文芸評論がいいのだ、
みたいなことを書いていると見るんだけど、
なんでエッセイじゃダメなの?
って思うと。
エッセイはね、
そんなに低く見られなくていいんじゃないか。
でも、それこそ、
なんていうか、
そこが面白くて、
その感想の人の話に即していうのは、
文芸評論というには、
気が舞い抜ける。
エッセイというには、
すごい文芸評論っぽい、
みたいなところにある本だな、
というのは。
別に文芸評論はしてないけどね。
文芸評論の手法みたいなものは取り入れているわけですけど。
そこがね、
ああ、そういう世界なんだ。
その中間にあるものみたいなところでも、
別にエッセイ的出しという本になっているな、
というのがすごい感じですね。
これも、
保証がね、
今回、
一応出典があるものが2つと、
表紙が1つとなっているんだけど、
その辺がいい。
で、その書室の、
一生懸命寂しい日とか、
ウィッキングケア第14号で、
もう一編の800回目くらいの話が、
これは書き下ろしで、
で、川瀬萌恵の目というのが、
これは保証の兄弟作ですけど、
これはタイム・トラベル同人誌、
超個人的時間旅行で、
藤岡美奈美さんがやっている同人誌で書いたものを、
書室紹介したんですけど、
内容的にはほぼ違うんです。
もう8割くらい書いちゃった。
だけど、一応出典があるから、
ほぼ書き下ろしかなみたいな。
タイトルが違うし、そもそも。
面白そうですね。
最大してるから。
確かにこの3つが新しく入ったことによって、
全然違う読み心地になっているような。
この3つが、
目的には現段、
この42歳で出版したんですけども、
12:02
42歳の段階ではマイベストだったんですよね。
で、また今もマイベストを更新するつもりなんですけど、
この段階でマイベストだから、
これがどう受け取られるかっていうのは、
2020年に書いたときは、
まだ30代だから、
どう受け取られるかっていうのは、
すごく気にしていたところで、
でも、ブックログとか、
ブックメーターとか、SNSとか、
本物のSNSとか、
あれで、大切なことは補償に9割書いてあって、
嬉しいんだけど、
1割かっていうのはちょっと思ったけど、
でも良かったと思って、
やっぱりマイベストを更新できたかなと思うんですけども、
菊谷さん的には補償どうでしたか?
補償、そうですね。
面白かったです。
何だろう。
僕はざっともう一回通読したときに、
どちらかというと、
補償が浮いてないのがすごいなって思いました。
頑張ったんですよ、そこは。
4章までのところって20年出てるもんで、
コロナ禍が3月にあってみたいなところで、
20年ぐらいから本学をしてきてみたいなことを考え、
時代状況に非常に色濃く影響されている作品なんですよね。
そこを別に何を持って通過したかというとあれだけれども、
一旦一文字そこに区切りをつけて、
後の話みたいなところで、
結構音読版としては変わるはずなんだけれども、
あまりそこを感じさせないようになっていて、
どちらかというと補償側の工夫以上に、
本編側の5から4章のところでの宮崎さんの書き方が、
非常に大きかったというふうに思って、
要するに言ってしまえば、
コロナ禍ってみんなよく分かんないわね、
教師たちが大きな学校ですよ。
その中で変烈を保とうとするってどういうことなんだっけみたいなことを、
常々ここで書いているなという気がしていて、
やっぱりそこできちんと変烈の側に一旦立った上で、
あろうとしている。
その上でやっぱりデザイン状況的なものには、
影響を受けざるを得ないっていうところの差事加減が、
そのまま補償への橋渡しとして聞いてきているなという感じがする。
批評家だね。
僕はやっぱりこの本の中で一番好きなのは、
補償も好きなんですけど、
15:01
一番好きなのは2章の私はそうは思いません。
それはもうその時期にしか書けない。
この時期にしか書けないし、
これが挟まることによって、
この残りの部分で、
それこそ自分は人肉だった話とかを、
その時期に書いていることの凄みっていうのが、
凄い出てくるなって思います。
一つには、
フェネスマンソンスターに日記をしたいっていうのを書いて、
2020年で、
その後モヤモヤの日々と、
単語本で挟んでいるんです。
フェネスマンソンスターに日記をしたいって立場で、
日々を聞いてみたらどうなのっていう、
人気本を、
単語本で表明した自分の態度を、
どう理解してみたらこうなりましたっていうような、
姉妹本でもあるんだけど、
じゃあね、
保証を出す時に、
じゃあ、
これアルコール依存症の話とかもかなりキーワードになってきてるんだけど、
アルコール辞めても8年経ってるわけだ。
さすがにもう、
急激に飲みたくなることとかもないし、
お酒がないのが当たり前になってきてはいるんだけど、
じゃあそれで、
俺は平日を月に入れたらハッピー。
みんなも平日で日記をしようぜ、
っていうことになるじゃない、普通に。
保証を確保したら。
でもなんか、
それは嫌だったっていうか、
そんなに自分がその間成長したとは思ってなかったし、
平日のお小遣いに移行したいっていう問題系がずっと続いてて、
これアルコール依存症が象徴的なんだけど、
8年間辞めてるからアルコール依存症患者じゃないかっていうと、
アルコール依存症患者は、
ずっとアルコール依存症患者だ。
要するに、
今から僕がこのね、
カラオケバンバンって言いますけど、
宮崎さんが今やってる渋谷のラジオの収録前に、
その渋谷のラジオの前に真横のカラオケやりとって、
臨時室からめちゃくちゃ音量で歌が流れてるから、
どれほどこれが入ってるかっていうのがね、
気になってドキドキしてますけどね。
でね、
あれ何だったっけ、
お酒をね、頼んだから。
カラオケでメニュー見たら結構アルコール類が多かったよね。
朝からね、進めてくるような感じで。
飲んだらもうまたアルコール依存症になるわけ。
要するに、
アルコール依存症ってのは続くわけで、
ピンクのアコースターに行ってほしいっていう問題点が続くわけ。
お酒辞めれたからアルコール依存症じゃないみたいな話。
一番アルコール依存症の人が言い訳でいるんだよ。
18:01
断酒できたからまた飲んでいいって。
飲んだらまたアルコール依存症になるわけ。
それってさ、タバコで吸っといてみるとわかりやすくてさ、
禁煙しても吸ったらまたタバコに依存するわけじゃん。
それと全く同じ話でさ、
俺は禁煙できたからタバコに依存しないで吸い始める。
っていうほど、
それはもう完全に実現した感じが。
と同じようなことが、
お酒でも起こるわけで、
自分の中で積み重なってきて、
日々を8年間、
結構8年だと何千日とか、
日数に合わせると、
積み重ねていった延長線上にまだいるわけだ。
問題点はずっと続いてるし、
アルコール依存症っていうことで言えばね。
それだけじゃなくて、
その変質のままコース界に移行したいって、
なんで行ったんだっけっていう問題点も続いてるわけなので、
じゃあこれが僕のキャラでこれでみんな行きましょうみたいな話では、
ないだろうなって気がして、
というのもやっぱね、
今ほら、
パーティーが終わって中年が始まるっていう、
ハーサムの本がヒットしてる。
あれすごくいい本なんだけど、
中年問題も出てくるわけ。
そうですね、35歳問題も。
出てきたんだけど、
今はもう42歳。
自分の中で中年問題も出てきてるんだよ。
ハーサムの問題系もね。
そうするとまた違った何か事柄にも思えてきて、
変質のままコース界に移行したい。
この点にあるもの何かなっていうのをずっと考えてた。
なかなか書けずにギリギリになって書いて出版したんだけど、
やっぱりこの点にあるものってのは、
何だろうって考えた時に、
寂しさだろうと。
やっぱり何か寂しい。
何か知らないけど、
ずっと寂しいんだよねって思って。
退屈とも言えるかもしれないけど。
そういう心があったから、
大阪県に戻れたし、
全部がそうじゃないけどね。
っていう問題があって、
変質のままコース界に移行したいという問題系を
同法審判で中年の42位になって引き続くとしたら、
キーワード何かなと思った時に、
寂しさ。
っていう言葉が出てきて、
寂しさを3点とも書いたっていうことですね。
結構僕、変質のままこの世界に移行したい
21:03
っていうタイトルを最初に見た時のイメージとして、
あんまり移行したいって気持ちなくなってるなっていうのが
あんまりそこには踏み落してなかったところがある。
なんでね、熱狂をそこまでしたくないなというか、
どちらかというと、
変質を保つことの方が難しいなって感じで
いたんですけど、
この故障を読んで、
ちょっと見通しが立ってくるところがあるのが
ようやく見通しが立ったっていう感じがしてて、
だったら単行本はなんだったんだって話もあるんだけど、
でも、
自分が評論家としてこの本を読んだ時に、
ようやくこの人の見通しっていうのが、
単行本の場合はリアルタイムで積んだ言葉を
とにかくつかまえてきてつらめていったけど、
人生観というのはようやく保証で展示されたというか、
という風に評論家としてみれば思うし、
で、
平野さんがおっしゃった2章のね、
この2章の、
わからないとずらりの世界に消えるという章なんだけど、
私はそうは思いません。
エナジー・キューティング・ガイドという言葉もあるんだけど、
これが一番実はいいと思っているんですよ。
故障リペン。
うん、これはすごいね。
これは、
エピソード言っちゃうとつまらないので、
読んでください。
読んでくださいってことなんだけど、
私はそうは思いませんっていう言葉が、
僕に対してある時話された言葉で、
それがどれだけの重さだったのか、
小さな言葉だけど、
っていうところで、
これちょっと僕に宮崎さん一生語っていいですか。
いいよ、どうぞ。
僕、宮崎さんの書くものって、
結構掴みづらいところがあって、
どう見ればいいんだろう。
それを文芸評論的なものとして読んでいくのか、
エッセイスト的なものとして読んでいくのか、
結構、
自分の中で読む態度が定まらないところが結構あって、
とりあえず、
どこにチューニングしようか。
どこにチューニングしようかみたいな話なんですけど、
僕が読んできたような評論とか批評って、
そもそもあまり文芸を読んでこなかったんですけど、
どちらかというと、
かばしてやるぞ的なところに面白さを感じていたというか、
もっととっぴのことを言って相手を驚かせた上で、
ショックを与えた上で、
24:00
やんまりとそこにめちゃくちゃ理屈をつけていくと、
確かにそうだったかもしれない。
そうそうそうそう。
そもそも小林秀がある種の段ボールに頭をぶったかされた話から、
段ボールの漢字みたいなやつだから。
そういうようなものとして、
僕にとっての評するという技芸っていうのは、
どちらかというとマジで本当にそういう風に、
どう驚かせて、どうそれを納得させるかみたいなところの
曲芸として読んでいるところがあって、
宮崎さんはそういうショックはないんですか?
うん。
もちろんそこに書いてあること自体は、
宮崎さんの読書量とか、
考えていることの厚みに裏打ちされた内容ではあるんだけど、
そうだったのかはない。
どちらかというと、うんうんとかそうだよねってことだと思う。
でも一見それは、
指標的な意味で言うと物足りないんだけど、
文章の表現としてはそれ自体がものすごいことというか、
いろんな人に対してそういう共感を起こすみたいな方の
文芸としてはすごい強いものがあるというところで、
文芸評論家とエッセイストっていうのを
宮崎さんが名乗る前にライターって書いてあったんですよね。
ライター的なスキルの高さに納得をしていたというか、
どちらかというと宮崎さんの文章はライター的なものとして読むんですよ。
まあよくね、本当に
敵はない文章って言われたもんね。
ライター自体はね。
本当に整理するのが上手いっていうか。
いや本当にそう思います。
だからすごい整理するのも上手いし、
今回の山本隆一さんの解説にも書いてあるんですけど、
自分のことを書いているエッセイって、
特にこと男性のエッセイストって、
だいたい自慢話になると。
自分が自虐だよね。
だいたい自分が自虐になって、
とにかく自意識というものを持て余して、
なんか褒めて欲しいか同情して欲しいかみたいな感じになるんだけど、
宮崎さんの本はそれが不思議とあんまりないのは、
おそらく本の引用とか、
本を自肉にしていてそれを引き出すような形で、
書いているからだっていうことを書いていて、
それはそれですごいよくわかる。
僕の場合宮崎さんとは先に、
本は本を読むのとほぼ同時ぐらいに、
生身の間に宮崎さんと知り合ってしまうんだから。
吉田啓一論から入ってくる。
そうそうそうそう。
っていうのがあるからあれなんですけど、
なんていうのかな。
えっとね、
すごいおしゃべり好きじゃないですか。
好き。
で、めちゃくちゃ喋るんだけど、
それこそ今回の補償の中で800回目ぐらいの話にもあるんだけど、
僕と宮崎さんそんなになんか、
毎月一応読書会で会話してた時もあるけど、
今ちょっとねお互い忙しくて、
休み休みとか2ヶ月3ヶ月のイベントしか会ってないはずなのに、
結構僕の中ですでになんか800回ぐらい、
さすがにもるけど、
800回ぐらい聞いた話多いっていうか、
宮崎さんが話してくれたエピソードが、
そのまま持ってたりするわけですよね。
そこが同じ話を何回も繰り返しできる。
同じ話を何回も空けずに繰り返しできる。
27:01
それはこうなるって。
で、それをそのまままた書き直すことさえできてしまうっていう、
その繰り返しの強さが、
そのままそのライター的な取りまとめていくところが、
何度も何度も語り直していくときに、
いろいろ整理されていくんだろうな、
みたいなこともあったりするんですけど、
で、
平日のこの世界の日経もしたいもそうだし、
宮崎さんのエッセイも、
特に補償なんかもいい。
そうだし、
最近のお仕事見ててもそうなんですけど、
そこでだからそれこそ本当にいろんなフォームから、
お召喚して、
それを汗がかりにいろんなこう、
エッセイ的なことをやっていくっていうところで、
非常に文芸の人なんだけれども、
なんかね、
表してる感じがあんまりしないんですよ。
で、
なんでなんだろうってずっと思ってたんですけど、
今回もう一回読み返して、
この2章のね、
私はそうは思いませんっていうのを
エッセイを読んだ時に、
結構、
そうだったと気づいたところがあって、
このね、
結構この、
他のエッセイだと、
引用参考文献が、
その章の中にも書いてあるんですよ。
だけど、
この、
私はそうは思いません、
ないんですよ。
他にもないのがあるんですけど、
他にないのがあるのって、
何でないかっていうと、
お酒飲んでた頃の、
友達の話とか、
犬の話とか、
そういうところなんですけど、
家族だったり、
身内だったり、
友達の話が多いんです。
でもこの、
私はそうは思いませんに関しては、
多分唯一、
全く自分とそれまで関連がない、
1回限りでしか会ったことがない人の話で、
そのまま書いている。
その人の話で書いている手つきが、
そのまま、
例えば吉田健一だったり、
中原知恵だったり、
宮崎さんがこれまで愛読してきたような本たちの、
引用と重みが全然変わらないんですよ。
だからここが、
結構一番むっとくるところで、
宮崎さんの態度って、
その人の話聞く時も、
何かその人の本を読む時も、
人の文章を読む時も、
一緒なんだなと。
そうだね。
何か言葉を得た時に、
その言葉について、
それを自分の中で、
しつこく繰り返し、繰り返し、
咀嚼しているうちに、
自分なりのエッセイとして、
それが出力されるっていうのが、
この本の特徴一言で、
言うならばそういうものだと思うんですけど、
何かそれを、
読んだ本の話だけで、
終わらせるんじゃなくて、
そういう電話越しでしか会ったことがない、
何気ない一言、
だけを元にこういうものを書けるっていうところが、
あるのが非常に、
良いなと思うんです。
結構宮崎さんにとって、
電話越しの、
よく知らない人から声をかけられた言葉と、
自分が幼少から、
長らくずっと繰り返しに続けている本というものとか、
特にあんまり本人の区別がないんじゃないか、
みたいなのを、
すごい発見したのが、
30:00
今回、咀嚼しているの。
なんか前のラジオ、
この、
オリジナルラジオになってきましたときも、
僕はパラノ的で、
菊谷さんは、
作品的だって言ったけど、
それはそうだと思う。
実際。
サインとか好きですよね。
サイン好きですね。
僕も好きなんだけど、
圧倒的に繰り返しちゃうんだよね。
吉田健一とかの手つきがそこに似てると思うんで、
吉田も、
同じことを話しようとするんだけど、
微妙に違う感じで話していったら、
そういうことねっていうことになるっていうのは、
吉田健一くんによるかなってことなんですと、
あと、
圧倒的な読書量に裏打ちされたとか、
感想書いてもらうんだけど、
僕さ、本にどこにも多読して書いたことはないんで、
なのになんでみんなそう感じるんだろうなってところが、
自分の中で不思議で、
確かにそれは、
一般の人にでは言うんだけど、
それは仕事だから。
でも、
例えばそれこそ吉川さんとか山尾さんからすると、
言うんじゃないような気がする。
山尾。
お二人がお二人が。
そうそうそうそう。
でもなんか、
圧倒的な読書量に裏打ちされたって、
みんな言ってくれるのは、
なんだろうなってところが自分の中で不思議と、
サインの話で言うと、
変わっていくことが幸せだと、
変わったことが起こったり、
変わっていくことが幸せだとすればね、
やっぱりさっきの中年問題に立ち返ると、
圧倒的にヒントが少なくなるんですよね。
40歳以上。
もうだいたい2回目なので、
荒いこと、
父も亡くなってるし、
あとはだから母ぐらいで、
本当に地下死に打ちで、
なかなか可能性が高いのはね、
あんなんかはいるけど、
あんなんで僕のは殺人で死にそうな感じがするから、
いいんだけど、
そんな感じもするし、
そういった中で、
立ち上がってくるものが保証だった、
っていう繋がりがあって、
あとね、
繋がりが良かったっておっしゃってたのは、
すごく嬉しいんだけど、
変な話なんだけど、
保証を書いたときに、
直したんだよ。
珍しく。
僕結構一筆書きで、
なんだけど、
直したって言っても、
ガチャガチャと保証を入れ替えてもらって、
ちょっと文章をいじった。
あ、保証を。
保証を。
というのも、
変な話なんだけど、
2020年から2004年の間に、
文章が上手くなっちゃった。
単純に。
圧倒的に保証の方が上手くなっちゃって、
やっと思って、
ギャップができちゃったの。
でもね、
そこでたまたま、
33:00
志賀の親とそれこそ、
三宅志弁先生が、
志賀の親のドリスを読んだら、
リズムってドリスがあって、
志賀はやっぱ、
小説の神様って言われてるけど、
小説とかも、
漫画のリズムを聞いてて、
漫画のリズムを書いてて、
すげえ上手くなるんだって。
宣伝されてて、
どんどん上手くなるんだけど、
そこで失われるものがある、
みたいなことを言ってた。
それはリズムだよ、
って書いてあって、
僕はまさにそう思った。
すごいエッセイとか、
似たようなものが結構、
吉田健二の仕事も、
何個も挟んだし、
似たような文章を書いてたから、
あっというとき上手くなっちゃって、
でもなんか、
観光マンの方が、
ちょっとグッとくるものがある。
なんか、バイブスがある。
何だろうと思ったら、
違う文章にあがって、
違うリズムかなと。
僕の言うバイブスみたいなのがある。
まさに、
私はそうは思いませんとか、
それに満ちてるわけ。
瞬間の手つき。
今回は結構、
我が身を振り返った、
中間決算的なことを補償で書いてるから、
初期代表作とか言って、
すごく洗練されてたんだけど、
リズムが押さないと。
そこはちょっと初めて、
自分で文章チューニングを行って、
リズムが合うように。
なんか、
本画館に連載してたものにまとめたところだから、
本性がね。
観光マンの方が。
全然違うんだよ、リズムが。
そこのチューニングが結構、
タイトルがあったから、
圧倒的な読書量って言われてるのは、
何だろうな。
それは何でなんでしょうね。
極端に読書量が多いわけではない。
僕が言ってる仮説として、
人は、
自分が読んでない本を読んでる人のことを
読書量が多いと。
多いがち。
単純に。
何で言うかな。
自分が読んでるような本は、
他の人は当然読んでる。
だから、
圧倒的読書量って言われるとき、
多分、今、
宮崎さんが本を読むような人たちと、
読む本が実はかぶってないのか。
なるほど。
それはそうかもしれない。
そう、気がする。
基本的にほぼ日本文化ですね。
そうですね。
むしろ宮崎さんの場合は、
読書量はあるのか。
何だろうね。
今って、
手広くやろうと思ったら、
いくらでも手広くやれるんですよ。
あれもこれも読めるとか、
別に読むとかだけに限らず、
いろんなコンテンツに
読めるみたいにできるんだけど、
結構宮崎さんはそこが、
限定してるよね。
限定的。
だからいいのかもしれない。
確かにね。
狭いところ深くやってるってことですね。
36:01
そうそう。
だからまあ、
僕の舞台にある日本近代文化というのに関しては、
共同化と言えるんじゃないか、
ってすって。
だけど、
確かに、
圧倒的に
日本近代文化に偏ってるんでね。
そうです。
読書がね。
でもそれはそれでいいと思うんですよ。
うん。
で、確かに、
そこで、
あとなんか、
引用をしようとして
してるわけではないんだけどね。
いつも引用について
聞かれるとき、
言うんだけど、
なんか、
関根さんと話してて、
これこういうことなんだけど、
何て言えばいいかな、
みたいな感じになったときに、
そうそう、
この本にこれが書いてあってね、
みたいな。
そういうこう、
結構、
なんだろう、
自分が詰まったときに
引用してる。
はいはい、
なるほどね。
で、
自分の言葉として、
なかなかつかまえてないけど、
川端の子も、
そうするとこの場面を読んでもらえば、
大体僕の言いたいことがわかるみたいな。
そういう引用をしてるから、
なんか、
だから、
引用に無理がないとかって言われてくる人もいるんだけど、
もともと引用ありきで書く人もいるらしいの。
そうですね。
なんかさ、
ポール・バレリーとか、
すげえ引用されまくるみたいな。
はいはい。
文化の使い方。
なんか、
その引用ありきで、
そっから論を広げていくみたいな、
キャパをする人なんだけど、
僕は逆なんだよね。
自分の手で実のが先にあって、
で、
それをこう、
説明するときに、
まあエッセイだからね。
あの、
非常は非常として、
エッセイも非常的なつもりがあるとしたら、
人生表現。
まあ言ってみるときにしまえばエッセイというのは。
そうするときに、
まあ自分の言葉でが先行してあって、
そこに足さなくてはいけない言葉があるときに引用する。
で、
何か文章にインスパイアを受けて、
そこから論を展開するということは、
あんまり文芸評論の世界でも、
してなかったと思ってて、
だから何か文芸評論っぽくない、
エッセイがいなくて、
一方でエッセイからしてみると、
ちょっと文芸評論っぽくなるのは、
引用の多さも関係してると思うんだよね。
そうですね。
うん。
そう。
そう。
どうですか、何か僕、
ノート取らないみたいな。
うん。
書けないのって言うけど、
そうですね。
一切独自のノートを作ったことがない。
うん。
恐るべきことに。
だからすごいですよね。
それでよくまあ、
そんなに覚えてないです。
だからそれこそだから、
何か書いてて、
途中で、
それこそ、
えっとこれ何か誰がこれ何言ってたみたいな。
うん。
で、
すぐに何かこの本のこれの、
この辺に書いたりとか。
分かる分かる。
うん。
だから、
何か、
ノートを付けないのは、
うん。
僕の態度で、
39:00
うん。
簡単に。
うん。
本当は。
なるほど。
実際問題。
うん。
で、
もうやっぱ記憶力にもちょっと、
もとメガネっていうのが付けようかなと思ってるんだけど、
でも付けない工業版だと思ってる。
いや、あるかもあるかも。
やっぱ付けちゃうと、
自分が理解してないことが、
うんうん。
かっこいいなと思って、
うん。
メモった言葉とかが
うん。
引用しちゃいそうになるんだよね。
なるほどなるほど。
でも僕は、
自分が思い出すものしか引用できないから、
うん。
その、
えーと確かこの、
作品のこのページにあったやつとか、
うん。
で、たまに勘違いしたりするんですよ。
はいはい。
あの、だから、
それはじゃあ後で引き合わせて、
気づくってことですか?
そうそう、引き合わせて、
あ、これ違うなと思って、
なんか何かと勘違いしたとか。
うんうん。
これじゃあ説明できないなみたいな。
うん。
まあもちろん説明できるものを全部本にしてるから、
はいはい。
その過程は映らないっていう。
実際問題は、
うん。
なんか思い違いとかも結構ある。
はいはい。
うん。
書いてるときに。
うん。
その場合どうするんですかね。
例えばその、
なんかこの辺のこういうことを、
誰それの本に書いてあったから、
これの力を借りて、
この後ね、
続きを書き継いでいこうと思ってみたら、
全然検討違いだと思うときは、
どうするんですかね。
いやそれ放棄するか、
そのまま入り込んでみるかっていう選択はあるんで。
まあなるほどね。
入り込んでみて、
でその、
記憶違いも含めて、
何かしっかかってるわけだから、
そこから繋がることがあるし、
はいはい。
あとその、なんだろう、
記憶違いも記憶違いで、
クリエイティブな。
なるほどね。
作業だと思ってて、
記憶違いだったからこそ、
そのまま引用したら、
全然自分に違いが出てくるっていうこともあるんで。
なるほどね。
そうそうそう。
これ論は繋がんないんだけど、
でも自分の中では繋がったわけ。
はい。
記憶違いだったけど。
うん。
じゃあどこが繋がってたんだろうと考えて、
うん。
繋げてみると、
ああなるほど、
こいつだったのかみたいな。
うんうんうん。
だから、
そこに主役が生まれるときも、
うん。
ある。
なるほどね。
そうか。
いやでも面白い。
なんかね、
これ読んでってやっぱり、
宮崎さんのノート取らなさは、
うん。
結構、
大きい気がするんですよね。
うん。
で、なんか、
なんていうのかな、
あの、
本のこと思い出すときと、
うん。
子供の頃の同級生の話を思い出すときと、
あんまり変わらないんだなって感じがする。
あ、そうだね。
記憶の回路として。
確かに。
なんかその、
なんか、
あの、
なんだっけ、
名前忘れてたけど、
イワンイエイチの詩について、
納得いかないみたいな話に書いてるやつ。
うん。
で、なんかそのことを読んだときに、
すごいそれを納得いかないと思ったっていう話と、
うん。
なんか、
ある日同級、
なんか、
クラスのみんなで遊んでた後に、
うん。
解散するときに友達に一人に呼び出されて、
うん。
お前のことなんか大っ嫌いなんて言われる話。
あ、そう。
同株受験のやつ。
そう。
話と、
おお。
割と同じテンションで書いてる。
あー。
でも、
うん。
そのテキストに書かれている、
42:00
うん。
物語っていうのを、
うん。
割とね、
こう、
区別がちというか、
あー。
記憶屋として別のとこに入れがちとか、
そうなんだ。
だと、
うん。
分かんないけど、
うん。
これは僕、
スカイさん僕はそうです。
うん。
なんですけど、
宮崎さんなんかそこがね、
一緒?
あー、
曖昧にかもしれん。
でもね、
確かに、
その、
ちょっとまあ、
自分のことよく言い過ぎだけど、
うん。
だからとにかく、
シャロッカンみたいなのを思ったことがないです。
あ、
そうそうそう。
人生があんまり、
割とお父さんが早期から、
はい、
人間を増やさせてくれたから、
はい、
なんか元々あるものが
はい。
いっぱいとかあって、
うん。
なんかその、
そこが自分の弱さでもあり、
強さでもあるんだよね。
うんうん。
そうですね。
その、
明らかにさ文学で何かと開拓してやろうっていうことを、
うん。
それを小柏秀夫とかには見えるわけ。
うんうんうん。
だからああいうキャラになるんだよ。
うんうん。
僕はそこが人生の引き続きになってくるから
割とネイルでしてるというか
何か世界の見え方が変わるっていうような
インパクトまで達しないかもしれないけど
でも割と普遍的なことを一歩で聞けるから
そうだよねって言ったらさっき言ったみたいに
ひらめきというかそうだよねみたいなところに
良さを生み出してくれる人もいるかなと
吉田圭一がそうですもんね
そうですね
だってその子は言語で死を口ずさんでいるからね
中山もずっと5歳から死を返したって
自分には本当かどうかしらないけど
本当かなって思うけど
僕今4歳で死んだから書きたくなる
そうだったんでしょうね
そういう感じのことがあるし
あとさっき言った自意識の問題
自虐になるか
今の話になるかっていう問題で言うと
僕って自分のこと別に好きでもなし嫌いでもない
どっちでもないんだよね
人生もいいものでもないし悪いものでもないし
どっちかっていうと悪いものだと思ってるんだけど
たまには良いことは言うぐらいで
自分もそんな感じがしてて
自分に対しても
基本的に僕でもないんやつだけど
良いとこもあるんじゃないぐらいに思ってて
結構吉川さんと山本さんはそこを褒めてくれたけど
自分の中では割と天然というか
そうじゃなかったら書けないってこと
普通に書くとこうなるというか
あとすごいおしゃべりだけど
結構太り話も聞くんだよ
45:01
そうそうそう
そうなの
それは自分が話したこと聞かなくちゃなっていう
普通の
そういう気分のテイクなんか
普通の疑似として思ってるってこともあるし
あと自分のことなんて言ってくれるんだろうとかっていうのも
普通に楽しみ
別になんかずっと自分が聞き上手ってわけじゃないんだけど
割と人のことを聞くし
覚えておこうと思っているっていうのはあるかな
それはだから優しさの話とも繋がるんだけど
この本の文章に書いてる
別にすごい僕が優しいって言ってくるんじゃなくて
単に自分がよく喋るから相手もよく喋る
当たり前みたいな
あれはこう性格的に二も二もない感じの性格をしてるかもしれない
なんかそれこそお父さんの話はよく出てくるじゃないですか
で昔から読み聞かせをしてくれたりとか
文学の世界に入り口としてあったりとか書いてるんですけど
他の親戚とかそれこそ学校の友達とかと
そういう文学系の話とかするんですか
知ってました
知ってた
高校ぐらいからは知ってたかな
それはそういう同級生がいて
やっぱり当時は村上竜宮 村上春樹を
とりあえず帰還後の学生というのが
割と2090年代後半の高校生だったから
文学は私立いって割と自由主義の高校だったんですけど
文学の教えることもあったし
あとここに出てくるワイくんっていう友達も文学に入って
大人になってからもそれこそ文学文学とか
なるほど
知ってたから
そこは大きそうですよね
それこそだからなんていうかな
文学に理解を示されない経験ってあんまりないですか
そこがさっき言った自分のいいところも悪いところもあるんだけど
徹底的な自分の中の弱点とか
もしくはスティグマみたいなのとか
コンプレックスみたいなのが自分の中に入ったわけじゃない
それを解消するために文学やとか
っていう人もいるし
それは一つのグループで大きなグループにしたと思うんですよ
自分の何かしら
例えばサンチマンとか
なんかうまくいかないな
いきづらいなみたいな気持ちから本に入るっていうルートは
一つもちろんメジャーではあるかもしれないけど
どっちかっていうと僕が
不思議なのは
本読んでると友達いなくなる文字の上に出るんですよ
48:02
なるほど
だからそこの環境の違いが起きそうだなって
原学部だったらっていうのもあると思うけど
単純に
書きあいさんはどっちかっていうと
自分の孤独とか
そういうものから本に入って帰って
いや、僕別に孤独になったことないし
そんな感じするよね
僕もそれこそ何不自由なく暮らしてきたから
どちらかというと何で孤独になったかというと
本読んだせいだと
だからそこが大きく違う感じがするんです
だからさっき僕は友達のエピソードと本のエピソードを
両方平地で同じ箱に入れて思えてるのが
宮崎さんの特徴かなみたいな話をしたのは
やっぱりそういうところで
僕が友達といるときと
本読んでるときとか本家のことを話してるときとは
やっぱり明確に何か違うんです
本読んでるときの自分というのは
やっぱり何ていうかな
友達と話すときとはものが違う感じ
だから僕は今書きあいしょうごっていう名前を
自分で作って
このペンネームを作ったことによって
それこそ宮崎さんみたいな友達ができて
こういう話ができるようになってきているけど
もともとあんまりそういう話をしようって話がなかった
あ、そう?
僕はね、結構テキスト市場主義で
何でもテキストに従って書く感じ
全部どうする?
通んないけど
例えば前も勉強会に行ったけど
表が全く読めない
表とかグラフってさ
普通分かりやすくするために
作るもんだから
でも僕テキストというのは覚えてないけど
だから日本書とかも
全部テキスト
参考書とかにいっぱい文章が書いてあるんだけど
テキストで書いてくんなくて分かんないよ
って思っちゃうタイプで
それだから
そう、で、なんか
いろいろと
もう
自分でこう
歴史を作っちゃいがちだけどさ
でも冷静に考えてみたら
結構何年読んでたかと思って
高校生とは違ってんのに
思って考えてみたら
当時はね、90年代後半だったから
野島新人全盛期だったの
2000年とか
シークナックとか
ちょっと世代が違いで
他は多分通ってないですね
高校教師とかね
あれも結構テキスト史上主義で
ノベライズしてた
当時は
今もちょっとありますよね
当時は野島新人さんが書いてたのか
そうじゃないのか
まだ少なかったけど
とにかく結構ドラマがノベライズされてたの
早くドラマ
ドラマを見ながら
テキストにしてくんないと
振り落ちないと
っていうか
そういうまず
51:00
性格というか
癖が
特性がそこにある
野島新人の本とか
家に書いてあるんだろうなと思って
まあ
高所な文学読んだとか言いたいけど
結構テレビドラマのノベライズとか
だったのも結構
それはちょっと分かる気がする
僕もなんか
自分でポッドキャストやっておいて言うのもあるんですけど
音声とか動画配信
あまり得意じゃなくて
いか全部文字を越しして
テキスト化してくれる
むしろ結構毎週
楽しく聞いてたポッドキャストが
本になったりすると
本で読むと驚くほどよく分かる
俺これ何聞いてたんだろう
それは多分文字の特性だろうね
文字として
でもパーコをいちいちバートに直します
あーすごい
パーコに何書いたかよく分かんない
文字を越し
そしてちゃんと文章表現にしてくれたほうがいい
そうそう
自分で直してこういうことかな
しないと理解できない
なるほどね
でもなんだろうな
僕もわりとテキスト史上主義ではあるけれども
テキスト史上主義の意味が多分
ちょっと違う気がして
僕はテキストって
一番人類が展示した
便利なテクノロジーだと思うから
外に出して
外で整理するために
よそ物にする
自分とは関係ないものとして
並べ替えることで
さらに
自分の
記憶力だったり
思考力を超えたところまで
行くための補助ツールとして
便利だなと
そうなっていることがあるから
そういう考えになったことで
ノートを取らないと何もならないことがある
あるんですよ
宮崎さんの
そこが不思議
不思議というか
そんだけ言葉でありつつ
外にわざわざ書き出しておいたりとか
外負がしない
しないままで
それがやれちゃうのは何だったのか
結構今も不思議で
それは多分単純に
文章にした時の記憶力があるんだと思う
それは特に何か書き残していないだけで
頭の中で一回文章を書いている
学校の免許ができなかった
というエピソードを
本当にできなくて
大学実験でようやく
分かってきた
なんかいうのしか
なんとか研究大学に入ったんだけど
その時にやっぱり思ったのが
結局
結局
後からすると
今の受験勉強とか
文書とかめっちゃ楽勝なわけだ
なんでかって
日本史の本とか読んでるから
大人になってから
教科書の中でそういうの読んでるから
それはすごい若い
当時大学受験の時に思ったのが
文章化だった
言葉にもしたし
54:00
あと通学時間とかがあったから
結構僕
移動中に
本読めないんだよ
車より激しい人で
だから
自分で当時
まだテープレコードだったんだけど
とかに吹き込んで
日本史の
自分が作ったストーリー
それを聞いたりした
それってやっぱり
学校の集団授業に
行かないやり方だと思うんだよね
初めから本読む時は
勉強も
学習だったんじゃないかって
思うんだけど
大学受験になると
そういう
助名的な参考書とかも
出てくる
そういうのが起きる
皆さんこの前に出てくださった時も
今もね
音声で
これはイベント方だったかな
倍速で
メデオみたいな
結構喋った内容とか
覚えてる?人と喋って
覚えてる
すぐ忘れちゃうんですよね
宮崎さんがこうやって話してても
すでに静かに言ってる
覚えてる
覚えてる
テキストって言った時に
文字じゃないのもいい
そうだね
言語になってればいい
でも極端に
僕たちとしては
すごく
文化的な
カルチャーなものが
映画とか演劇とか
見るじゃない
僕はあんまり見ない
見たことはないけど
映像表現とかよりも
言語表現とか圧倒的に
入ってきやすいから
ラジオとか好きなのも
言語だから
言語前提で話してる
僕らも
なるほどね
面白い
そんな感じで
フィルトナー本社から
勉強したい特集版を
何とか受販したくて
今頑張ってるんですけど
一方で
僕ら共通の活動というと
柿内さんは
週刊読書店で
文芸辞表で
何なんでしょうね
文芸ら
文芸辞表
ご主人は文芸じゃなくて論壇辞表がある
あります
僕は文学界で
新人処分説教を担当していて
ということを
話したくて
どうですか最近の文芸は
僕最近のしか
知らないからな
同じものを
新人に特化したけど
大体同じものを
さっきの柿内さんと話したら
いつも証拠が違う
57:00
宮崎さんが褒めるやつ
僕はけなして
僕が褒めるやつは
宮崎さんは
今ひとつかな
なんだろうなあれは
そこの一番の違いとして
言語感があるのかなと思ってたんですよ
僕は
人気にできないことをした
柿内さんは
頭1位
いやそんなことない
宮崎さんは圧倒的な記憶力がない
何も
僕は
文学だけど
思想とかも結構
わかる
僕ももちろんやってはいるけど
結構どっちかというと現代思想とか
社会学とかそっちのほうから入った
もともと法学とかだったから
その時の
頭の良さは完全に
文章とか読んでると
結構だから
文学界の生徒中の
2人の真ん中に
柿内さんの読み方が難しくて
何回も読んじゃった
羨ましいです
賢い文章です
僕はさ
とことん平気だ
だから広く届くんだったら
指標の手つきとか
あんまりそれは良くない
みたいなこと言うけど
逆に僕からすると
あんまり指標の手つきはできない
柿内さんとかはやっぱり
現代思想とか通ってきた人の
手つきを感じる
読み方もそこで変わってくるんじゃないかな
その代わり安く書いてる
ちなみに
さっきの話の延長で聞きたかったんですけど
柿内さんと受験の時の
原告の
試験とかどうでした
僕は捨ててた
あんまり
現代文とか評論とか小説の
どっかにあるじゃないですか
あれは元々
勉強しなくても
そもそもできたし
逆に言っても勉強しても
そんな上がらないと思ったし
どうしてもバラつきがあるから
とにかく英語が苦手なので
英語が苦手だとしょうがない
古典単文と
漢文単語といっても
古典単文と日本字で
満点語と
現代文は
やらなくてもボチボチできる
やってもそんなに
古典広げるものだとは
あんまり思えなかった
でも
東進
1:00:00
出口
論理
まあ
授業を受けて
論理的な読解とかはそこで
見つけてはいたけど
小説とかも普通に読んでたから
特に
具合的にすることも
ないからというか
少なくとも現役に入ってたから
現役の時は
間に合わないんだろうな
っていう感じしもった
これ原告満点
安定した感じだね
僕は
過去文やっても結構バラつきが
普通に読んでた
いつもと同じように読んでた
だから
もっと現代文
特化した
トレーニングあるよね
ゼクシ先生の
もっとちゃんとやっておけばよかった
そうなんですね
次元のものが全て
何に適用可能なわけじゃないけど
割とロジカルに
デジタルと一緒なんですよ
ゼロイチなんですよ
この理論に対して
これが
真価偽価ということだけは
ゼロイチで判定していけば
ある程度の答えには
たどりつけるっていう読み方を
原告だったり英語の長文とかでも
そうですけど大体そういうような形で
読み解く
結構やってきた
ロジカルシンキング
まさにさ
坂井大輔先生の
ロジカルによるコーナーでやってたことを
僕はやってこなかった
というか
自分の読書道だけに通って
やってたから
実際さ結構さ
坂井先生は
吹き鳴らした方が気に入ってると思う
いやーそれは分からない
吹き鳴らしたらニャー言うのかなって
ニャー言ってる方が
来るの忙しいのかなみたいな
多分それは
吹き鳴らした方がロジカルシンキングなんで
ロジカルリーディング
僕は多分もうちょっと大掴みに
創設とか
を読んでる
というか文学観とか
を頼りに読んでるから
そこに
そこの
自分の引いた文学観に自分は
ブレはないんだけど
読解には
だからある程度
ブレかシンキング
当たり前だと思ってて
そこが個性で
そうと思うから
吹き鳴らした方が
割と精密に読んでる
かもしれないね
やっぱりなんかそれは
読む態度っていうか
気はして
僕は多分芸術作品
に読んでる
小説を
芸術の感想として
1:03:00
芸術の
神秘感で判断してるんだよ
それは
字表にも
月表にもある程度表明してるから
読んでもらえれば自分が同意できる
とかってのは分かったと思うんだけど
結構芸術作品として
芸術感想として
指標してる
それも分かるんですよ
それもすごい分かるんだけど
なぜこんなに違うんだろうか
そうだよね
今月
今出てる8月号は
割と評価は
割と一致してた
また不思議なことに月表の
お一人の参考者がある
須野ペルシックさんも
似てるんだよね
今回は分かりやすかった
今回は
ぜひ見てください
分かりやすかったけど
面白いなって思いました
同じ褒め方でも
全然違うというか
安藤博史さんのデイトピアっていう
圧倒的な
作品が
主に良かったっていう話をしてるんですけど
大体ね
結構
違かった文学界の
宮崎さんと書かれてる
あり方と
僕の面白がり方
宮崎さんどういうこと書いたんだっけ
動画編集を
みんなするようになったから
その文章
物語を書いた後に
それを切ったり貼ったりして
順番を入れ替えることで効果が変わる
みたいなことを
生活感覚に根差したところで
頑張るようになってきてるっていう
読者側の状況があるから
その
結構あちこちに
ばらして
組み替え直して書くみたいな
映画のモンタージュみたいな
圧倒的な出力だったよね
ことをやることの意味合いが
全然今と違うようになるみたいなところを
一番面白かった
僕はどっちかっていうと
あるリアリティ章の話なんですよ
基本が
リアリティ章
小説というリアリティ章を
読者のリアリティとはなんだ
そういうところに沿って
須藤さんは
彼が
届けた射程の広さ
世界的な
文学を
到達できる射程があるんじゃないか
っていうところに注目してる
デートペアは本当に
なんだろうな
ある放送向けの
リアリティ章の
一人のミス・ユニバースを
揺るって各国からいいお友達が
集められるんですね
ミスター東京とか
ミスターニューヨークとか
代表する都会の名前を
重ねてミスターたちが
取り合うって話なんですけど
すでに
1週間ぐらいの
1週間で誰を認めるか
っていう話になってるんだけど
1:06:00
実際の撮影期間はもうちょっと長かったり短かったりして
素材の取れ高によって
いろんな複数の
一寸の出来事をうまい具合に編集して
一日を作っているってことは
誰しも分かっていて
自分の好きな版は生の素材の方に
アクセスできて
自分の好きな編集版で
自分にとって一番理想とするデイトピアの
7日間を編集で作り変えることができるんだ
っていうことを
一つの話の軸になっていて
その中で片相手は
自分にとっての理想のデイトピアを
自分にとって真に迫ったデイトピアの
7日間を虚構の中から
もう一回作り変えていこうとする
これが面白いのが
最初はその
この枠組みが出てこない間に
片手が誰か分からないまま
ミスター東京がお前を呼ばれされて
お前って呼んでる
こいつは誰なのかっていうのが
きらかになるところで
僕は大爆笑で終えられました
僕も
お前って呼んでる主体
だけが
特権的に用いる
リアリティーみたいなのを実は申し付けされた
リアリティー処理会
それの構造が面白くて
それをまた見させられている
僕らとは
ノリアリティーとはなんだっていう問題も
考えてくるかなと
そこで結構やっぱり
スケール感が
感じられている
そこを評価したのが
ワスゴフ
普通に読み物として
めちゃくちゃ面白かったな
あれは楽しかった
山崎修平さんの
作品
とデイトピア
を僕は主に
評価した
山崎さんの作品は
やはり僕の問題系
日本文学の問題系に
すごく
マッチしているというか
それに現代なりのアンサー
出していると思えた
要するに日本文学が
少なくとも新代以降
帰ってきて
ずっとやり続けていた
私の問題系
そういう問題系を
延長せずにあるんだと思ったから
文学界という
ある種の人文学雑誌で
月風を吐くにあたって
かなりこれは逃せない作品だと思って
それも評価した
要するに
結構撮れたことがよかったので
今月は4月
8月が4月で楽しかったな
結構辛かったけど
引っ越しと被っていたから
全部面白いんじゃないの
サクラマナさんも
面白かったですね
美容設計が
テーマになってきて
面白かったし
1:09:00
割と
文芸シリーズに参加してくださいね
8月号が
面白かったのは
ご褒美感がありましたね
それまで辛かったから
前回の双川賞
クールとかは
前回とかだと
この中から双川賞みたいなものが
ボリュームの作品だったんだ
オミニエットが出るの
そこは
僕は言っちゃうけど
僕は立場的に
いるのかどうかは知らないけど
先行では掛かっていないからね
そういうのから
高評価を
なんで入らないの
僕は圧倒的だと思ったんだけどな
僕は結構ワンアイディアで
出る枚数だったな
2作目が楽しみで
出力が高いのも
分かるんだけど
アイディアに
恵まされている部分
あの構成と
あの語りの
ポーズを作った時点で
8割が成功を約束されていて
そこに乗っけるだけの
出力があったのは分かるんだけど
そこにプラスで
演劇でストレートプレイというか
真っ当に描いた時に
どれほどになるのか
もしくはこれから先も
驚くような構造を見せてくれるのか
どっちの人なのかが判断がつかなかった
2作目が楽しみだな
そういう意味では
割とストレートに
特に構造的に
そこまで
無茶してないように
面白く読めて
出力があったのは作者さんかな
と思っている
候補の中では
あとバリサンコも
取ったけど
この2つは普通にストレート
ストレートに
構造も
そんな複雑な構造をしていなくて
登場人物は
基本的に
深く惚れされることができている
という意味では
バリサンコと
ヒキサキさんの
タイトルがいっつも忘れちゃうんだけど
いなくなく
は割と
普通に出力があるなと
僕でもバリサンコは
あまり面白くなかった
説明ゼリフが多くて
まさに計算の差
最後の方で
語り手が主人公が
1:12:00
山なんかこもってないより
社会の方が
ヤムコギ大変じゃ
みたいな話をするところが
あれはダセーな
言わなくてよかったな
みたいなのが
評論側が言う言葉だったかもしれない
みたいなところで結構
大きな原点を
僕はただ単に
面白かった
ストレートじゃ面白くなくて
人物造形も生き生きついていて
あの
純文学特有の
ダメな意味での
締めっぽさがなかった
締めっぽさがダメだってないんだけど
ダメな意味での締めっぽさ
がなく
割と普通に
これは
面白く読めるというか
届く
坂坂さんもその感覚
純文学関心ない人でも
普通に面白いし
純文学達
すごいなと思って
あとは
3章が面白かったね
これはもうど真ん中
先頭が
僕は広告作になると海岸通りが一番好き
そうか
やっぱ短かったかな
それはそうです
海岸通りは
描写描写ですごく
記憶に残ってる
海岸通りはひどい
確かに
あれ短いからそろそろ後半に入らないと
そうだったら
入ったからだったらこれがいいな
って思います
あと大崎社会館さん
俺は嫌い
僕は大崎さんは
全部読んでるから
大崎さんの中では今まで
一番よかった
思う限りよかった
僕は初めて読んだんです
今月に
今年に入ってからしか読んでない
基本的に現代の小説家を
今年の作品しか知らない
大崎さんの問題点みたいなものは
ずっと
あるものとして
引き違えているなと思って
言葉とか
見る見られるの
問題とか
っていうのは
今回の作品に
大崎さんの
問題点を
引き違えているなと思って
大崎さんの
今回の作品に
一応今まで書いたものの中で
決勝したかなって思って
全然書けないんだけど
大崎社会館さんを
スジロックで見たんです
フリータイプとして
今までね
1:15:00
いわゆるロコン系と言われてて
スジロックに呼ばれなかった
でもグリーンステージって
メインステージかな
グリーンステージって
思ってたよりすごく楽しくて
めちゃめちゃ最高に
楽しかったです
ノリノリで
MCしてたんだけど
でもまあ
いわゆるね
洋楽とか好きな
タイプの人がいるような
スジロックのグリーンステージで
自分の中で
タイプだとわかってるんだけど
何かまだ物足りないんだよな
っていう気がして
って言って
どっかすでに物足りなさがある
それがある限り
自分が表現し続けるのが
大きいと思って
それは彼も
とって歌うのもそうだろうし
小説もそうなんだろうなと思って
もっといけもっといけ
いける感じがする
おもかけっていう前の
作品は虚表書いたんだけど
やりたいことはわかるんだけど
もっと先にいけるよ
っていう風に
割と虚表なのに
なんかアドバイスみたいな
感じで書いてあったんだけど
今回は確かに
あの見る見られる
みたいなものとか
いわゆる芸能を
担当あるものとして
書けるのは
強いと思う
もっといけるとは思う
もっともっと先に
いけるんじゃない
っていう
まだ
力があると思う
鳴きかけるけどすごい
そうですね
そうですね
そこは渋いとは思う
まず長い
長い確かに
あのアイテアで
大体でやるんだったら
3分の2くらいでまとめたら
面白かった
文量が長い
長いのが良くない
僕は割と
いいとこ見つけようと
するんですよ
見つけようとしながらもちろん書いてるんだけど
長い
割と
自作に
基本的に全部出たから楽しかった
そうですね
さきさかさんもね
第1作だった
さきさかさんのも長かった
それは確かにあったかも
もうちょっと短くまとめたほうが
かっこよかった
長い
長い割に
そこに盛り込めるもの
そんなになかった
基本的に
ストーリーを少し言うと
1:18:00
もう死んでると思った
友達が現れて
死んでなかったわけ
初めは幽霊みたいな感じで
本当に幽霊なんじゃないか
普通に
存在してしまってる
存在してしまったかのように
本当に死んでると思ってたから
いろいろ理解してきて
違和感出てきちゃって
普通になんか
ごっこみたいに
どうしようみたいな
そこは
上手いとこだった
そういう発想は
今までやったことなかった
まだ幽霊かもしれない
と思ってる間のところはすごい
不在
不在の存在が
主題になった
不在が故に存在感を持つ
本当に存在感が
どうなったのか
ややこしい
もう一つ
長いけど話したいのは
最近
どうですか
簡単に言うと
いろいろと
盛り上げていきたい
前回
つけ書店とか
つけ屋さんがやってるような
インディペンで
活動とかも含め
商業をまとめながら
やっていきたいなと
思ってて
今度ね
今日収録が
8月15日なんだけど
この収録日の
明日から
100年のニトネさんで
オルタナ旧市街さん
と一緒に
随筆復興フェアを
やって
随筆を選手として
これから
文学界エッセイ特集
エッセイというもの
エッセイというものを
文芸タイムの一ジャンなんだと
なのにちょっと
軽視されてないみたいなことを
世に問うたって
それを延長戦の活動にして
オルタナ旧市街さんは
フェアさんもいると思うけど
完全に文芸
僕のエッセイは
文芸として書いていて
この本の保証にも
これは文学ですって言われたんだよ
最後に名誉を一人くらいだったけど
アルコール臨床とか
離婚だとか
個人ヒストリーが
根本にある
最低エッセイは
そういうもんだと思う
1:21:00
そういうのあんまりない
そうですね
個人ストーリーとか
よくありがちな
特別な体験をした人が
書くエッセイ
みたいなものとは真逆
僕はそういう意味でも
注目していて
オルタナさんと仕事をしたいな
って思ってるときに
そういうフェアをすると
実はまだ発表できない
このポッドキャストが
配信されるときに
二人でインタビューを受けた
東アルメディア
ここでも
随筆が
文学であると
僕らの思う文学の
随筆
集を
個々に
交代ではなく
随筆を
今ね
今と
近代以降の
日本
という
ものにこだわって
選手をしたものが
ありました
真意をつくるみたいな
話っていうのは
僕もしてるし
最近
ラジオライブに
出られて
インデペンデン
マイクロ
オルタナ
文芸評論家の
中松明さんも
Twitterで
インデペンデンシーン
作らなくてならない
みたいなことを
つぶやいていて
河竹さんくらいの方が
言ってくれて
飛んじゃいそうな
思ってるんだけど
邪心で
どう作ればいいのかなって
なかなか
難しいな
そこはどう思ってるのかな
僕は
いろいろ難しいこと考えたけど
結局
タウンを得ることだと思う
分かんないけど
タウンを得た
シーンなんじゃないかなと思って
いろいろやってるんだけど
特にスケーショ店とか
で、やってる
もちろん他にやってる人多いけど
やってる人が目立ってきて
いろいろやってるんだけど
ここでやってるだけじゃなくて
こうやって
出てみたりとか
積んでみたりとか
たまに戯れる
そういうことが必要じゃないかなって
それが
要するにシーンってあるし
パッケージングでもあるから
それを好まない人もいるんだけど
でもある程度
やっぱりいろいろやってるんだってことは
僕らの目には入ってるけど
他の人の目には
ほぼ入っていないと思うので
1:24:02
それを
パッケージング化してみせるためには
場所だったり
雑誌だったり
媒体だったりが必要なのは
確かにある
けどその前に
タウンブレー
要請みたいな
その前僕ちょっと
家族の要請に行けなかったんだけど
しなみぎゅうさんが
スピードスターブック
あれとかまさにタウンブレーだ
ああいうのが増えていけばいいな
っていう結論が最近
いろいろやってますよね
でも僕の
タウンブレーはいい言葉ですね
スピードスターブックフェスの良かったところは
あれは友達のつながりだけができてるんです
もともとしなみさんと
さおとめぐり子さんが
仲良くて
そこの2人でトークやった時に
別で何かやりたいね
みたいな時に
しなみさんと知り合いだった
スペースの会場の
管理の方と
ぐり子さん本を読んでて
だったら
女の子祭りを
そのスペースでやりたい
関係者がみんな友達で
さらにそこで
あの人とこの人と呼ぼう
みんなしなみさんとお友達
そういう形で集まってきた人たちが
ワイワイ
お祭りみたいな
人が集まる場所を作る
のが非常にいい
ある意味狭い
コミュニティではないけど
遊びに行きさえすればある程度
気軽に友達になる
それを増やしていくしかないな
友達たくさん作ればいいんだな
前も友達の話したことある
ずっとしてる気がするけど
みんな友達になっちゃえばいいんだな
っていうのが一番大きい
僕の場合は
特に
東京は友達作りやすいんですよ
あんまり興味がなくて
いろんなところに遊びに行く
のがいいなって思う
地方の本屋さんでお話しするとかが
一番理想だな
東京イベントとか大阪とかやったら楽しい
っていうのを各地でやることで
とりあえず全国どこかで
お祭りがあったら
そこで
いないさんねっていう人たちが
ちょっと増えていけば
いいなって
そんなに大したことない?
人来る
もしかしたら東京より
そう
今まで思ったんだけど
1:27:00
東京以外でイベントやったことないの
イベント部屋を
東京以外で
東京しかしてないから
地方のことを知っている人は
いないんじゃないかなみたいな
東京はたぶん地元だから
地元で活動してるっていう人が
強くて
大阪とか
福岡とか
僕なんか知らないんじゃないかなみたいな
思っちゃうところがあるんだけど
来るもんやったら
名古屋でやりますから
東京はやっぱ
身内感が
この本いろんな人が
紹介してくれるじゃないですか
そこで紹介してくれた本屋さんに
こうやってやればいいですよ
東京から出たことがないって
問題だよね
タワムレをやるんだったら
まず大事なのが
タワムレは大事なのが規模じゃないんですよ
むしろ密度なんですよ
だったら
むしろ東京はありふれてる
わざわざそこでやっても
似てる人がなかなかいないんですよ
そうじゃなくてたまにしか来ない人が
たまにしか行けないところで
たまにしか会えないけど
1年に1回は必ず会わせるみたいな人が
他のところにいるってことの方が
何か書いたり
何か届けたりする上では
非常に重要
なぜなら特に僕の場合
自分で本作ってるからですけど
反論が明らかに広がる
絵をメッテしてると結局あんまり変わらないんですよ
っていうのがあるから
とりあえずいろんなところに顔出して
いろんなところでおしゃべりして
別に自分のイベントやらせてもらわなくてもよくて
その本屋さんにダラダラ言っておしゃべり
その店さんとおしゃべりしてたら
そこのたまたま来た人に自分の本を宣伝するとか
そういうところがやればいいな
移動に弱いからですかね
エッセイでほとんど移動してない人間が
バレてしまう
そういうのがわりと気にならない
大人さんのまさに移動の
随筆だしね
今回出した移動のグリーングレースというのは
東京を中心とした都市
都市の物語で
一本書いてるからね
なるほど
自信がないんだよね
地元から出たことがないから
そういうのがわからなくはない
読んでると
そういう感じですかね
ここは今後の目標は
宮崎さんを外に出す
実は大阪文部に誘われてるんだけど
いいじゃないですか
ついでにそこで
イベントを
誰お前みたいにならない
誰お前から始めない
意味ないじゃないですか
自分のこと知ってる人がイベントに来たって
職業的なんだろう
そうだよね
全く知らない人に会えて
どう戯れられるか
というところが
1:30:00
期待のほうです
すごい
歌だね
感じで
しっかり1時間
じゃあもう一回だけ
あと大きく
これから僕に
出るけど
渋谷ラジオっていうのも
一つあるような映画だった
武田信玄さん
あっちゃんは
あと海賊の幽霊
と僕
ここからやってるけど
やりましょうよ
しっかりなんで
読んでください
僕が読むの?
読むラジオがあるから
とりあえず
そんな感じで
K-1コース会議
今日2人でお越しいただいて
ちくわ文学が出ています
パルコボバンドで読んだ方も
できる
ガラッと変わった
見た目もね
想定も変わったし
中身もだいぶ
印象が変わったと言っている方が
多いので
SFとなった
来回から
前にもこれ
フリーライターで書いた
肩書きが違いますからね
海賊の幽霊さんはずっと会社員
そろそろどうしようかな
海賊の幽霊さんに対する趣旨もかっこいいよね
という感じでおしまいです
ということで
海賊の幽霊世界に勉強したい
ぜひみなさん
今夜
知っていただいて
よろしくお願いします
サイコンなんかも
見たことがありますので
ぜひニュータイトルも
聞いていただければ
よろしくお願いします
それこそこれを聞いてくださっている
東京以外に
お住まいの方で
うちに来ないのか
いわれれば
ぜひお便りでも
何でもご連絡いただければ
そのまま行きますよ
ご希望があれば僕もセットで行きます
やりましょう
ぜひぜひ
VTubeラジオ
おわり
ありがとうございました
01:32:35

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