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2020-06-22 31:00

第12回『活字の山を登るいくつかの冴えたやりかた』(Talk Alone : side ヨウイチ)

一人語り回、後半はヨウイチが趣味でもある読書についてお話ししています。
幼少からの読書習慣形成の起源、本の選び方、性別における文章の差異などなど。
何だかんだで今週が一番podcastっぽいのでは。。
質問・感想などすべての宛先は neo.5jo.paraiso@gmail.com
もしくはGoogleフォーム https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdWmXKlFfHBNQ_LhoOu0h3z4uoAxKfclMO0ZEKwlyhh74nGmg/viewform まで。
Twitter / instagramも@neo5jorakuenでやってます◎
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インシューおよび名廷担当のヨウイチです。
いきなり番組の話をするならば、
Googleフォームを最近作っていて、
そこからのお便りやご質問を募集していたのですが、
それがなかなか来ていないじゃないかということで、
先週とか前々回に文句をたらたら言っていたのですが、
よく見たら来ていました。
結構な数いただいていました。
Googleフォームに回答があったときに、
メールが来るように設定できていればよかったのですが、
今後いただいたいくつかのご質問についても、
順次回答していければなと思っています。
冒頭からずっと僕ばっかり喋っている
珍しい展開になっていますが、
毎週土日と2人の休みが合うタイミングで
収録をしているのですが、
今回は両方の予定が合わず、
各々で番組を撮って、
前編後編みたいになるのか、
毎回本編アフタートークという感じで上げているのですが、
切り張りとかすることもなく、
お互い1本ずつ矢蓋ソロ回、
コロナの自粛期間中はリモートでやっていたのですが、
その時にもこれをやっておけばいいなと思うのですが、
初の試みということでやってみようというところで、
今回はこの収録に関しては
僕1人で何かと喋っていくという、
怪異な展開になっています。
日曜日でどんな過ごし方をしていたかというと、
昨日がベロベロになるまで
遅くまで飲んで気持ちよく帰ってきて、
昼過ぎに起きて、
寝ぼけた頭のまま
近所の喫茶店に行って、
お気に入りのカレーを食べて、
本とか読みながらコーヒーを飲んで、
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その足で近所の銭湯に立ち寄り、
一風呂を浴びて、
風呂入りながら、
そういえば、
ホーリーマウンテンを見まして、
めちゃくちゃサイケなトリップムービーに
脳みそ浸されて、
ヤバいの見たなって。
家帰って、
昨日友達と飲んでたんですけれども、
作りきれなかったチリコン缶を作りまして、
友達と今日も
LINEの動画で
共有しながら
リモートで飲みをして、
本とか読んだり音楽を聴きながら
休日を過ごしておりました。
人と遊んだりとかするのも好きなんですけれども、
こういうとき一人での過ごし方というか、
一人で自分の趣味とか持ってて、
それを楽しむことができるっていう、
そういうタイプの両方好きな人間で
ここから日々身近なっていくのは
夏大好き人間としてはとても辛くなる一方なんですけれども、
いくら夏と言ってもコロナの影響もあって、
イベントごととかお祭りとかフェスとかそういうのも
のき並み中止というか、
今年はできませんというような形になってきている
という風に思っております。
どんな話をしようかなと、今回一人で
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いつも矢蓋が喋ってくれるんで楽させてもらってるんですけれども、
僕一人の会で喋ろうと思ったら
何の話になるのかなというのをちょっと考えてたんですけれども、
最初冒頭でちょっと話したように
Googleフォームの方にお便りというかご意見いただいたのを
ちらっと読んでたんですけれども、
僕とか矢蓋とかの人となりについて
話し張る人がいまして、確かにそうやなと、
学生時代どんな風に過ごしてきたとか、そういう話は要決したし、
あとは僕の個人的な嗅覚の話とか、
転勤族の話とかそういうことはしましたけれども、
それってあくまでプロフィールというか、
個人の属性の話でしかないような
ところで、人となりとはちょっと違うのかなとも確かに思う節はあったので、
好きなものの話とかベタにできればというようなところで、
僕も矢蓋も割とその趣味は
似通っている部分はあるんですけれども、
その矢蓋に比べて僕がっていうことで考えると、
音楽とかも普通にお互い好きやし、
映画とかはまたバラバラですけれども、
映画の話する、好きは好きやけどそんなに人に
人よりめちゃくちゃ好きとかそういうほどのことでもないし、
じゃあ何やろうなと思ったら、
本とかは僕は読む方と言っても知れてはいるんですけれども、
比較的読む方かなというところで、
本なんでも好きではあるんですけれども、
基本的にやっぱり小説、歴史小説とかはあんまり読まないんですけれども、
小説なら割となんでも全般読む方です。
海外とかも割と好きで、翻訳本とかも結構読みます。
結構変わっているのは、最近とか本当に昔の古典とか、
オースターとかはよく買うし、サリンジャーもちょこちょこ買うし、
あとは何やろうな、キングも好きですし、
スティーブンキングですね、ポールオースター、スティーブンキング、サリンジャー
あたりとかは割と好きで、最近の人やったら
柴田本幸さん、翻訳家でとても有名な方なんですけれども、
柴田本幸さんが敬愛している、ブライアン・エブンソンっていう方だったりとか、
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とにかく話題作から、昔の名作まで
結構最近は片っ端から買って、ちょこちょこ読むようにはしているというような感じです。
何ですかね、そんなにオススメ本とかの話をしても面白くないかな。
本を読むっていうことについて、結構考えたりする。
考えるのが好きなので、機会がというか、個人的に
本を読むって何やろうな、とか思ったりすることもあるんですけれども、
読まない人からしたら、ちょっと眠いとかめんどくさいとか、
そもそも活字が無理みたいな感じの人もいると思うんですよね。
漫画の方がわかりやすいし入ってくるし。
そういう風に考えると、僕自身本を読むようになったっていうのは
確実に家庭の影響というか、僕ん家結構両親が本を読む家庭で
どのくらいあったのかな。
ジャンルとか問わずに数えれば、1500とか2000冊くらい家に本があって、
うち300冊くらいは絵本もあって、
ちっちゃい頃から読み聞かせとかをされてたんですね。
だから本とかに対する苦手意識っていうのは、
基本的には生まれた時から無いようなもんで、
小学生とか幼稚園の時からもう一人で本を読んだりしてるような子供でした。
小学生とか、ちっちゃい頃って本当にスラスラ読めるというか、
1日あるいは本3,4冊とか、子供自動書なんで全然難しくもないし、
短いし、全然読めちゃうんやと思うんですけれども、
本当に1日中家で本読んだりとか、
たまにお母さんの買い物について行ったりとかしたら、
速攻で本屋入ってもうずっとそこ動かへんとかっていうような感じの、
本の虫みたいな感じの小学生、中学生時代を過ごしていました。
高校生とかになってくるとだんだん本とかを読む、
本は読んではいたんですけれども、
そんなにズラズラって素早く読めるというか、
即読ってほどでもないけど、やっぱり難しい本も増えてきますし、
挑戦しようという気持ちにもなってきて、
ただやっぱり挫折っていう、読み切れずに終わってしまうみたいな本との出会いも、
そのぐらいの時からあったのかなというふうに思います。
今も年間どうやろうな、ほんまにリアルに数えたら、
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30から50冊ぐらいは読むんかなと思います。
50冊読んだらいい方かな。
だからそんなにたまにインターネットのブログとかで見るような、
年100冊は余裕でみたいなすごい読書家の方とかもいると思うんですけど、
そんな人らに比べたら恥ずかしいレベルの、
読書家と呼べないぐらいの恥じくれレベルなんですけれども。
ちょっと話し忘れましたが、読書とは何ぞやみたいなことを、
恥じくれなりに考えてみたりするんですけれども、
結構やっぱり山登りの感覚なんですよね、本を読むのって。
端的に言うと、山って何で登るかって、
有名なそこに山があるからっていう言葉もあるんですけれども、
結構それに近い部分も、それも真理だとは思うんですけれども、
結局その山の上からの景色というか、地上にいては見れない景色を見るために
高いところに登るのかな、低いところにいては見れない景色に出会うために、
山って登るんじゃないかっていうふうに思うんですね。
そういうふうに考えると、本もそうなんですよ。
本を読まないと出会わなかっただろう感情とか、
感情が出てくるかどうかっていうと、
出会わなかっただろう感情とか、考え方とかっていうものは確実にあって、
それは当たり外れももちろんあるんですけれども、
うわーみたいな、これ読むまではこんなこと思わんかったやろうなっていう出会いは確実に読んでいればあって、
その気持ちよさのために本を読んでいるような気がします。
本好きは本好きなんですけれども、
やっぱり本読むのって別に楽しくはないんですよね、正直な話。
し結構しんどいというか、本好きやけどしんどい。
たぶん山登っている人もそうだと思うんですけど、
山登りは好きっていう人でも山登っている最中はきっとしんどいはずなんですよね。
読み切った、あるいは登り切ったときにもうその疲れが吹っ飛ぶというか、
うわーみたいな達成感っていうのに、
全部洗い流してもらえるっていうような感覚が近いんじゃないかなというふうに思うんですけれども、
よく山登るのとか興味ない人って、
結構その写真とかで景色見れれば十分とかいう考え方の人もたまにいたりすると思うんですけれども、
やっぱりそうじゃないねっていう気持ちは山登るのが好きな人にもあると思うんですね。
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それは結局本も一緒で、
あらすじだけ教えてもらえればとか、
例えば小説の漫画家とか小説の映画家とかっていうのを見たときって、
結構その写真の感覚に僕は近いのかなっていうふうに思っていて、
やっぱり自分でその活字名で追ってその意味を頭で考えて、
景色を想像してっていうプロセスがなんていうか気持ちよくて、
それをやりたいがために読書しているのかなっていうふうに思います。
だから何だろうな、別に確かに人に絶対これ本とかって読まない、
本とかって読まない、そんやでとは正直決して思わないんですけれども、
例えば短距離より長距離の方が好きな人とか、
あとは何だろうな、料理好きな人も僕は意外と本読んだりするのには向いてるんじゃないかなと思います。
プロセスをはしょることよりプロセスを楽しめる人が多分読書に向いてるんちゃうかなっていうふうに思って、
います。
それだけの話なんですけどね。
だから寝床上楽園聴いてくれてる方も読書の話とか、
矢舟は好きなのかもしれないんですけど、あいつ多分漫画とかの方が詳しいし、
じゃあ活字の本でお勧めはとか言ったら、もしかしたら僕の方があいつよりは色々その分野に関しては進められるのかなっていうところも思ったりはするので、
何か本に関するトピックがあれば是非僕まで、洋市まであてにでも送っていただければいいんじゃないかなと思います。
漫画は正直そこまで詳しくないんであいつにお願いします。
一応好きな作家さんの話とかもしといたらええかな。
日本の作家さんとかで考えると、僕村上春樹さんは普通に好きやし、よく読むんですけれども、
それ以外だと結構、例えば尾田陸さん、小川陽子さん、川上英子さん、川上博美さん、
あと、津村菊子さん、あと誰やろな、山崎直子さん、三浦詩音さんとか、
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結構女性の作家さんの方が好きな人は多くて、高校ぐらいの時からずっとそれは変わらないんですけれども、
なんでなんかな、文章の性別差って僕は必ずあると思ってまして、
なんでやろな、山崎直子さんさっきちょっと挙げさせてもらったんですけれども、
彼女は自分のエッセイ、指先からそうだというエッセイがありまして、
確かその中で書いてはったことがあって、
本屋に行くと、作家のあいうえお順に本が並べられていると、それは良いと、
あるいは出版社別、〇〇文庫、〇〇文庫という風な別に本が並べられている、それは良いと、
ただ時々男女で棚が分けられて並べられていることがあると、
要は男性作家、女性作家みたいな感じの並べられ方というか分けられ方で陳列されているものを見ると、
それがもう許せないみたいなことを確か書いてたんですよね。
確か書いてたんですよね。
それを読んだ時、まあまあまあまあわからんでもないと。
確かに山崎直子さんが言いたいのって、男性女性という分類を小説に持ち込むなと。
要は一つの作品を見た時に、その本を読んでいる時って書き手が男か女かなんて、
誰も意識しないじゃないかっていうことを言ってまして。
確かにわかるわかると。
要はその本を買う時に、男性作家から探す、女性作家から探すみたいな仕方をするのって需要あるのか、そもそもみたいなことに
意気通りを感じて貼るというような文章だったんですけれども。
それを読んでわかるなと思うところがある反面、
確実に女性にしか書けない文章、男性にしか書けない文章っていうのは絶対にあると思ってて。
それは河川美恵子さんのチチトランっていう作品があるんですけれども。
これは芥川賞をもとったすごい作品なんで、皆さんぜひ読んでいただきたいんですけれども。
書かれているトピックとかっていう、例えばね、生理の現象の女性の心の動きとか、それは女性にしか知り得ないことなんで。
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確かにそれは当たり前に女性にしか書けない文章にはなるんですけれども。
なんていうかな、そこの、例えばじゃあ僕らが生理についての痛みとかを正しく認識して、知識としても分かっていて、きっとこういうふうになるんだなっていうものを咀嚼できていたとしても、
その時の心のきびとか、そういうところまでを書き起こすことができるのって、見た限りやっぱり女性の方しかそういう表現に出会ったことがないなっていうのを常々思っていて。
それを河上英子さんのその小説で、もう何やろうな、考えをより固まったというか、その認識がより強まったなっていうふうに思うんですけれども。
やっぱりその女性には女性の、これは別にその女性の文章の方がだから素晴らしいとかっていうことではなく、きっと男性には男性目線でしか書けないようなものがあって。
それを面白がる行為ぐらいはちょっと許されるんじゃないかな、許してほしいな、山崎直子さんにはと思いながらファンでいるというような状況です。
あとはそうですね、本の選び方の話とかしてみようかなと。
読まない人とかって、これから読んでみようとかっていうふうに思って、これ聞いてね、思ってくれた人とかって、本ってじゃあどうやって選べばいいんやろうっていうのって、意外ともしかしたらわからないのかなっていうことも思ったりします。
なんか僕らもそれこそ用書というか翻訳本とか読むときって、じゃあどれから買えばいいんやろうとか、誰から全然知らんけどみたいな思ったりはしたことあると思うんで、なんかそこらへんをかいつまんで、しなんでしれば、上からやな、思いますが。
まず第一には売れてる本ですね。ベタですけれども。
さっきの山の例えで言うならば、売れてる本って要は結局登りやすい山やと思うんですね。
いろんな人が登った山というか、登れた山っていうふうに考えてもいいのかなと思いますし。
そういう本って結構ネットで調べれば、ちょっと感想とかをブログで書いたりしてる人とかもいるんで、ネタバレにならん程度にざっとそういうのを見てから読んだりするのもいいとは思うんですよね。
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頭に入りやすいし。
位置からもちろん楽しんでみるっていうのもいいけれども、本読むこと自体そんなに慣れてないというか、そこまで今まで読んできてないしっていう不安な方は、そういうものを言ってみれば、ロープウェイ代わりに使いながら、本の山に登ってみるのもいいんじゃないかと思います。
あとはある程度読めるようになったらというか、いくつか本を読んでみた中で、好きな作家さんを探すっていうのが一番僕はいいかなと思います。
みんなどうせそうしてるとは思うんですけどね。
音楽だって多分好きなアーティストを見つけて、それの人の過去の作品をどんどん追っていくとかっていうふうに聞き込んだりすると思うんですけれども。
こと本に関してはやっぱりその文体というか、その人の書いた文章を自分の頭の中でどれだけ噛み砕けるかとか理解できるかとかっていうところだと思うんで、結構それが音楽よりやっぱり顕著だと思うんですよね。
入ってきにくいし。
そういうことを考えると、好きな作家さんを見つけて、その人からどんどん掘っていくっていうのがいいんじゃないかなと思います。
特に海外文学を読もうとかっていう、これから挑戦してみようとか思っている人は、特にこれは日本特有の文化らしいんですけれども、翻訳家に目をつけるっていうのが一番いいんじゃないかなと思います。
やっぱり英文を一回全然違う言語を母国語というか、またそれを日本語っていう形に直して、それで勝つ話を成立させるのってやっぱりすごい作業だし、
どうしてもやっぱり平の文が日本語で書かれたものよりかは意味が取りづらい日本語になっていたりとか、どうしても翻訳特有の文体になっててちょっと読みにくいなって思うところもあると思うんですよね。
それを味として読むのも楽しいですけれども、やっぱり一番は最低限ストーリーを把握できることとか、あとは、まずその書いてるのはまた原作者が書いた文章とは別の文章になりながらも、その文章の美しさというか、それを味わえるような文体というか。
やっぱり翻訳家の人の癖が出ますんで、それが自分に合っているか合っていないかっていうのを判断するのが一番かなと思います。
うん、そうだね。やっぱり同じ作品でも翻訳家によって全然変わってくるっていうのは往々にしてあるんで、やっぱり村上春樹さんの翻訳はやっぱり村上春樹さんやなって感じがしますし、
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さっき言った柴田本幸さんに関しても、柴田本幸さんに関しては翻訳する本というか、元の本のチョイスがとにかくすごいというか、これを日本に持ち込むとはな。
ポールオースターも本当に柴田本幸さんが翻訳したのが最初、確か日本人で最初というふうに伺っています。
結構これは海外ではあんまり見られないことらしいんですよね。翻訳家にここまでスポットライトが当たるというか。
やっぱり村上春樹の本が海外に翻訳されたりとかしたら、やっぱりそれは誰が訳したとかっていうこと以上に村上春樹の本ってことが重要視されるんですけれども、
結構日本においては海外の文学を日本に持ち込んでくれたみたいな意識がやっぱり、なんかこれは本当に正しいのかどうかわかんないんですけれども、
どうしても海外の文学に対しての引け目がやっぱり根底にあるみたいですね。
国民性なのかな。ちょっと乱暴な物言いにはなりますけれども。
やっぱり柴田本幸とか岸本幸とかそういうもうビッグネームの翻訳家がこんなビッグネームになるというのはあんまり海外では見られないような文化らしいです。
これはただの豆知識ですけれども。
そういうのもあって、特に日本語っていう言葉自体、他の国の言葉と比べても確かに面白い言葉やし、奥行きも深い言葉なのかなというふうに思います。
それを扱う芸術作品としての小説がある、本があるっていうのはとても自分にとっては実りがあることですし、そう感じる人もたくさんいるんじゃないかなと思います。
すげえ取り留めもない話を30分近くしております。
矢舘くんがいい感じに切ったりして、ちょっとキュキュッと短くはなるのかなとは思うんですけれども。
今回はその読書ということを切り口に自分のことを多少語ってみたつもりです。
面白いかこれ。
でもね、やってみるとあれですね、一人で喋ってる系のポッドキャストの人すごいですね。
これ何喋ろうとかなりますもんね、普通に。
言うてる間にもう眠なってきました。
お酒も入って、明日も頑張るぞという気持ちです。
30:01
皆さんもこの放送をいつ聞いてるのかわかりませんけれども、通勤?通学?それか寝る前?あるいは家事をしながら?
いろんな聞き方があると思いますけれども。
ちょっとね、男が一人でボソボソ喋ってんのを何のBGMかにしていただければと思いますので。
はい、それではちょっと日々がいいのか悪いのかわかりませんが。
あー、なんや。あれか。
メールとかね、待ってます。
neo.gojo.paraisoか。
あとgmail.com。
5条の5は数字の5でございます。
皆さん、このソロ回の感想もお待ちしております。
やぶたのどんななってんだろうな。
ほな、さいなら。
31:00

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