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宮崎智之です。 今井楓です。
早くいつもの挨拶を急いでなりました。
今日は、浅草BOOK MARKET 2024にBRCが出張しております。
やったー!
なんと、宮崎智之、貴重面で有名な宮崎智之なんですよ。
貴重面で有名でしたっけ?
なんと、遅刻をしてしまいました。
大遅刻だよ。
大遅刻だよ。びっくりしたよ、自分でも。
こんな遅刻は、人生初ぐらいかもしれないね。
一人ね、私が先についてて、一人BRCのリスナーの方が宮崎さんの本を持ってきて、
でもいないですよね。遅刻すると思ってました。代わりに帰れさん、サインしてくださいって言われたんで、
人生で初めて人の本にサインしました。遅刻した宮崎に代わりって。
それも必要かもしれないけどね。またぜひいらしてください。
サインしに行きますよ、渋谷から来てくれれば、こうなったら。
なるほどね。
それは僕の責任なので、もしそういう方が他にもいらっしゃったら、
例えばBRCの観覧に来ていただいたときに持ってきてくれればサインしますし、
いくらでもサインしますので、ヘビーニュースのこの世界にも行きたいと思っております。
ここにですね、ブックマーケットにサイン本売ってますので、
もしこれを聞いている方、まだ間に合うよって方、東京の方がいたら、ぜひ来てください。
さて、
サクサパのししていいですか?
どうぞ。
さっきね、八木沼さんと遅刻した宮崎さんのアナウンスをしてたんです。
大幅遅刻だったので、さすがに何もしないだもんねって言って。
そのときにもちょっと話したんですけど、こういう大きい本のイベントっていくつかありますけど、
でも中でもこういう浅草みたいな街でやってくれると、シンプルに街で遊ぶのも楽しいし。
浅草の快感なんだよね、しかもね。
台東区の快感のやつっぽいですよね。
すごいよね、それは。
だからそういう場所を借りてできてるっていうのもあるし、
あと浅草寺のちょっと脇というか、
ほぼ目の前みたいな。
ここ涼しいって。
入場無料なんで、遊びがてらちょっと進んで本を見て回って、また戻るみたいなこともいいんじゃないかしら。
浅草寺観光して、本を見て。
私は今日終わったら浅草寺の中店で船輪の芋洋菓を買って帰ろうって決めてます。
僕も浅草寺の鳥居みたいなやつ、久々に見て浅草寺だなって思いましたけども。
そんな感じ。
今日のお題っていうのを決めてまして、BRCのほうではよく話していることですけども、
03:07
改めて人生を書いた本。
人生を書いた本というテーマで話していきたいなと思ってまして、
さりちゃんからいきますか。
私は、まずBRCという固有名詞の説明だけちょろっと先にいたしますと、
私たちが毎週木曜午後5時から生放送しているラジオ番組がブックリーディングクラブ。
こちらはポッドキャストで、毎週金曜午後5時からも配信しております。
そんな番組の2人なんですけど、去年の10月からレギュラー放送が始まりまして、
毎週必ず1冊以上、それぞれ。
大体2冊くらい紹介しているんですけども、
改めて自分の人生において大切な本みたいなのって、
毎週やってるとあんまり大きく取り上げることがなくなってくるので、
ちょっと予約者さんの場をお借りして、また改めてこういう話をできればなっていう趣旨ですね。
BRC自体もポッドキャスト配信してますので、
アップルポッドキャストやスポーツファイナルとかで、
ブックリーディングクラブで探していただければなと思うんですけれども、
人生を書いた本。
今までもね、たびたびちょいちょい話してきたんだけど、
BRCはいろいろと構成があって、
あえてだらーっと思い出話みたいな感じで。
いつも生放送だからね。
内容説明がメインになっちゃう場合とかあるんでしょうか。
ありますね。
どうですか、ジョージ・オエールの1984と一緒に。
そうですね。
1984は、人生を書いた時点では、
高校生の時に学校の先生に元章、
英語の勉強にいいよって渡されて、
びっくりしたんです、読んで。
こんな本があるのか、こんな小説があるんだ。
びっくりした。
内容的にもあれって、いろんな側面がありますけど、
言葉をシンプルにして思考を狭めるみたいなので、
言葉を知らなきゃなっていうので、
意外と考えが変わった一冊。
でも最近ちょっとその考え方が変わってきたんですよ。
これはラジオで話してなかったんですけど。
06:00
ちょっと前かな、そのブックリーディングクラブの方で、
言語の話を何かでたぶん私がした時に、
東京都現代美術館でやってた、
翻訳できない私の言葉って何回言った時に、
なんかハッとしたのが、やっぱり言語を用いないコミュニケーションがある。
言葉を外さずに伝えることもあるっていうのがあって、
でもそれは確かにそうじゃないですか。
ボディランゲージとかもそうだけど、手話もそうだし、
音がない言語、文字がない言語っていうのも存在していて、
でもそれもボキャブラリーの一つじゃないですか。
わかりやすく言うとリアクションの豊富さとか、
ボキャブラリーの一種だって考えると、
私も辞書に載っている言葉の数だけじゃなくて、
それよりももっと知らなきゃいけない言葉というか、
言語みたいなものってあるんだなって最近思い始めました。
っていう感じです。
でも相変わらずOLは読み返しますね。
サイエンスフィクションだよね。
初めて読む方にちょっとだけストーリーを。
これはジョージ・オウェルという著者が、
1960年代だっけ、1940年代に、
1984年はこうなっているんじゃないかっていうので書いたSF小説です。
舞台となっているのは、独裁国家ですね。
いわゆる監視社会。
カメラがそこらじゅうにあって、
全部見られているというような国の話。
主人公はそれに抗おうとするんですよね。
よくディストピア小説なんて言われるよね。
そうですね。
抗おうとするんだけども、
こっそりに気をかいても、こっそり誰かとおしゃべりしていても、
誰かに聞かれているかもしれない、見られているかもしれない状況の中で、
どうやって監視の目をくぐって、自分の言葉を守るのか、
果たして守れているのかっていうようなお話ですけども、
これやっぱりミソが主人公視点だというところだと思うんですよね。
第三者視点ではなくて、主人公の言葉で語られているので、
やっぱり現象によって違和感のある英語の使い方をしていたりするんですよね。
そういうところが、こんなに作り込まれた文章を高校生の時に読んだらびっくりするよね。
どういう形で違和感があるのか?
要するに言葉が限定されていっちゃうからってこと?
そう。1984年の設定上、どういう風に言葉を変えたかというと、
もともと存在していた英語から語彙を減らして、
文法をシンプルにしたんです。複雑な文法を使わないようにしたんです。
要するにそうすると複雑な考えができなくなってくる。
09:03
だから主人公が例えば職場の人と話している会話とかも、
私たちが現代で使っている英語よりもちょっと文法が違うとか、
話し言葉で言い方が違くないみたいな。
別に間違ってるってわけじゃないんですよ。不自然。
徐々に変えていかれちゃってるって感じね。
でももう小説の始まりとしては、主人公は大人で働いていて、
昔の英語を使っていたのは遠い遥か記憶の中、
もう覚えてないかもしれない状況なので、
どこから始まっていたんだっていう。
なるほど。この計画材ね。
そしてどこから主人公は言葉が変わっていったのかっていう、
曖昧に始まっていって、読み切ってもなお曖昧だっていうか、
何回も読むと、読むたびに、
あれ、ここでもしかしてちょっと洗脳されてたんじゃないかとか、
いや、もしかしたら最後までこれは違かったんじゃないかとか、
わかんないんですよ。
それが私は読んでて面白いので。
原書で読むといいね、じゃあ。
でも原書も長いし、ややこしいので、
ストーリーを読みたいなっていう方は、
私は結構早川の新訳版がおすすめで、
すごい読みやすい翻訳だなと思うので、
流れをつかみやすく、そこから他の翻訳版を読んでみるとか、
原書をチャレンジしてみるとかっていうのもありかもしれませんが、
でもなんかあれなんでしょ、
イギリス人が一番読んだふりをしてる小説なんでしょ。
なんか誰かが言ってましたよ。
今さ、百年の孤独が売れてるじゃん。
マルシアガラケーさん。
あれもさ、みんな知ってるけど読んだことないっていうので
売れてるっていう側面もあって。
1984はそれらしいですよ。
みんな読めばいいのにと思ったんだけど。
1984は僕は翻訳でもちろん読んだけど、
原書は読んでないので。
やっぱり人生を変えたっていうのは、
言葉がここまで人間の思考とか社会とかに影響してくるんだってところで、
かえちゃんはラジオパーソナリティというか、
ラジオの仕事を選んだのはそこが強かったってことですね。
そうですね、やっぱラジオの仕事してると
全部言葉で作ってるなっていう感覚は強くあるので、
その辺はOLがあったから今のあるんじゃないかと思ったりもしますね。
本の読み方も変わったし、
ぼーっと読んでいたのがもっと取り入れようという感覚になったので、
そこは結構転換だった気はしますけど、
宮崎さんは?
僕は何度も言ってるけど、中原中谷。
12:01
主人の中原中谷。
どの本なのって言われたら、いろんな本出てるんだけど、
小野川ソフィア文庫版の中原中谷全詩集というのが一番いいと思います。
私も持ってます。
これは、生前参考生野木の歌と、
死後友達の小林に託したある種の歌、
プラス三冠草詩集、ノートに残した詩集とか、
あと、昔投稿した俳句とか短歌みたいなものも持っているので、
これが一番いいと思います。
いろいろ中原に飾りつぶせない動画があるんだけど、
お父さんが、僕がゼロ歳になった時から、
赤ちゃんが家に帰ってきた時から、
朗読をしてくれて、
もう身についていて、
勉強はあんまりしなかったものだから、
暗唱教育とかもしてくれて、
いろいろ暗唱できるんだけど、
最近変わったなと思うのが、
昼夜3時ぐらいで亡くなってるんだよ。
もう直後に超えてるの。
もうすぐ私、昼夜なんだ。
直後に超えてて、読み方が変わったなっていうか、
若い頃は、若い頃の昼夜がやっぱ好きだったことがあるんですけど、
今は晩年の昼夜。
で、思うと、
昼夜って、
溶接の詩人、青春の詩人とかいう人が3代なくなったから、
でも結構、晩年の詩は成熟してるんだよ。
で、僕の好きなもう一人の評論家の吉田健一は、
余生の文学とか成熟の文学みたいなことを言ってるんだけど、
いくら早死にした詩人とか天才でも、
晩年はあるんだけどね。
それは人とのスピリット感が違うだけで、
必ず晩年は存在するっていうことがあって、
そんなことを、昼夜の詩を読みながら、後期の詩を読んでると、
結構晩年の詩に、
29とか先に書いたんだろうけど、書いてないんだけど、
これはもうちょっと、
もう老練としたって言えるぐらいの素晴らしい詩が、
ちょっと読んでみますか。
冬の長文京っていう詩で、渋い詩なんだけど、
これが最近すごく染み込んだよなって詩があって、
冬の長文京。
15:00
長文京に水は流れてありぬけり、
寒い寒い日なりき、
われは両手にありぬ、
舌と首でありぬ、
われなどが別に客とてもなかりけり、
水はあたくま、
魂やる者のごとく、
なかなか流れてありぬけり、
やかてもみかんのごとき夕日、
乱寒にこぼれたり、
そのような時もありき、
寒い寒い日なりき、
っていう詩なんだけど、
寂しさとか詫びしさとか、
宙屋が一人でお酒を飲んで、
長文京で、
乱寒にこぼれる夕日が、
まるでみかんのごとき夕日だった、
っていうだけの詩なんだけど、
なんかすごくいいよね。
いいね。
一筆大画がありまして、
太陽戦争がありまして、
ゆあんゆよんとかもいいけどさ、
冬の長文京とかよくない?
だってさ、
水はあたかも、
魂やる者のごとく、
なかなか流れてありぬけり、
やかてもみかんのごとき夕日、
乱寒にこぼれたり、
かっこいいよね。
いいですね。
こういう日を、
僕は20個ぐらい、
今もう暗唱できて、
宙屋が自分の心の中に入ってるかな、
なんていうことで、
やっぱり人生を変えたというか、
今も変え続けている詩で、
これは僕が死ぬまで、
宙屋を生むし続けようかなと思って。
たぶん普通に考えれば、
倍は生きるから。
倍生きたときにまたどうなるのか。
今日読まない詩でも、
すごくいい、
万年の詩いっぱいあって、
ぜひみんな読んでほしい。
特に結構、
普通なかなかしら詩集みたいなさ、
アンソロギー買うとさ、
結構初期の詩が多いんだよね。
若い子の詩が。
そんなイメージありますね。
ソフィア買うと、
やっぱり万年の詩も載ってるから、
愛しきのことも。
ぜひそういうのも読んでもらいたいな、
というふうに思います。
さて、なんだかんだもう、
20分近く話してますね。
今の話を受けてじゃないですけど、
これからどうなっていきたいかみたいなのも、
結構自分で最近考えたりするんですけど、
もうすぐ私が30歳。
1年ちょっとぐらいでなるっていうのもあって、
あと周りも結構、
転職する、結婚しましたとかが多い。
そういう時期ですね。
だから、
自分はこれからどうなるんだろうみたいな。
来年の仕事の感じはなんとなく見えますよね。
でも5年後、
全く同じ仕事してるかどうやったら、
そうじゃない気がする。
ラジオだったとしても違う。
違う番組になってるとか、
立ち位置が変わってるとか、
あるじゃないですか。
そうしたらパーソナリティガジになってるかもしれないね。
何したいかなみたいな。
本当に何でもしていいよってなったら、
2個やりたいことがあって、
それは物を書くことと、
あと結構ラジオ面白いなと思って、
これ渋谷のラジオじゃないから言えるんですけど、
18:00
多曲出たいなって。
出役としてね。
まず、マーリン・エリス・テイスのポッドキャストいいじゃないですか。
本当にね。
だからこれだって初めてじゃないですか。
渋谷のラジオ以外のコンテンツに2人で出るのは初めてじゃないですか。
実は私大学生の時に文化放送で出てるんですよ。
そうなんだ。
大学生あるもんね。
レポーターとか。
でもちゃんと自分、
2枚替えでとして出たいなと思ってて、
それで今の話と、
ちょっとフックになったのが、
晩年があるみたいな話があったじゃないですか。
私最近月一で双子のライオンと赤坂の本屋さんの講座に行ってて、
そこでお笑いを文学するっていう、
お笑いと文学を絡めて考える講座なんですけど、
そこでやっぱりみんな、
太宰とか夏目漱石とかみんなやっぱり晩年があると。
若い頃の作品がどんどん成熟していって、
ある意味ゴールがあるみたいな。
でも晩年がない作家がいるって言ってて、
それが谷崎純一郎だって。
ずっと美しいものばっかり書いてた。
しかもカタリクチョーも変わるし、
書くものも変わるじゃないですか。
随筆みたいな小説を書いてたり、
とにかく手を返しなおかえ、
そんな期待を裏切ってくれるんですよ。
彼には晩年がないと思うみたいな話になって、
確かになって思ったんですよ。
もちろん人生的には晩年はあるんだけど、
作品だけ見ると、
やっぱり最初の作品ももう完成形じゃね?みたいな。
もう逆に晩年だったかもしれないね。
最初から始めたら意外と。
やっぱりあの時代の著者としては珍しく、
若い頃から70何歳とか亡くなるまで、
ずっと書き続けてた作家らしいっていうのを聞いて、
私そういうのいいなって思ったんです。
人生の中で大きいゴールをめがけていくのが、
私はあんま想像がつかなかったんですよ。
でも谷崎みたいなやり方をしたいなと思って。
自分が表現することとか、
伝えたいことってその時あるんですけど、
それを書くことだったり喋ることとか、
そういう手を返しなおかえ、
その時に今伝えたいこれと、
ベストマッチングなコンテンツはこれだ、
みたいなのをバチンとはめてやっていけたら楽しそうだなって。
ただそれがちゃんとお金が稼げる仕事になるかとかは分かんないけど、
そうなったらめっちゃいいなっていう。
たかしごた、僕にお金くださいよ、いろいろ教えますから。
そういえば中谷が今の話を聞いて思ったんだけど、
中谷は最後の晩年にね、本当の晩年に作した、
21:05
参事に作したある詩の歌を小林の歌として、
今日で山口に戻れて宣言するんだけど、
その時を見ると明らかに亡くなるつもりじゃなかったんですよ。
死ぬと思ってなかったの。
むしろこれから今日で小林に戻れて、ようやく真集中する時が来たって言ってるの。
中谷的には全然晩年のつもりじゃなかったんだよね。
これからどんどん寝ていくっていうつもりでいたんだよ。
でも詩だけ見るとやっぱり晩年に向かっていっちゃったら寂しいことに。
30年経って。
それが不思議だなと思ってね、文学者の運命というか。
中谷はまだ何十年もかかったつもりだと思う。
でもそれが作品を見ると晩年ぽく映っているっていうのが不思議ですよね。
運命とかかもね、宿命とか。
文学の奥が深いよね。
そういうのも美しいじゃないですか。
なんか、かっこいいなーって思います。
かっこいいなと思いつつ、なんかでも、最近は何か、谷崎すげーみたいな。
谷崎読めないわ。読めないから面白いよ。
一つ昔読んですごい好きだったやつが、漢字がね、私全然読めないんで。
しじんないじゃなくて?
いや、じゃないんですよ。
いえれいさん?
違う。今調べる。
あ、これこれ。
しせいね。
昔読んで、すっごいきれいだなって思う。
うん、谷崎はきれい。
で、この間、漫字を読んで、全然違う人が書いたみたいな。
急に谷崎が登場するんですよ。漫字。
谷崎というか作者が出てくるんですね。
何だこれ?みたいなのがあったりとか。
でもそういうのをやって、何だよこんな書いてんじゃなくて、
ちゃんと受け入れられてきたっていうのがやっぱすごいところだなーって思いますね。
谷崎ともう一人ね、美しいものを書く作家はやっぱり、
ノーベルブームの作者は河童なんだよね。
この二人は河童と谷崎、どっちが好きかって結構文学的に分かれるの。
でね、それ言うなら、河童は晩年があるんですよ。
晩年に行けば一方で美しくなるの。
なんかそんなイメージありますか?
進んでくるよ、どんどん。
イズノドリコとかで若い子に恋しちゃって、あちゃあちゃみたいな話なんだけど、
24:04
でもだんだんと京都のことの話とか書いてきたりとか、森の音とか、
なんかもう自然の…
スローみたいな。
そう、そんなんがもうだんだんと尖ってくる。
川端ね。
谷崎はたしかにずっとああいう感じの短美派の短美的なものを書き続けてるよね。
なんかそういう、なんか私変な人になりたいなって思う。
変な人になってるんじゃない?
いやなんかね、これさっきヤギの場さんとちょっと話したんですけど、
例えば本読んで、もっといろんな人が本読んでほしいなって思った時に、
真面目に進めることもできるんですよ。大人だし。
でもそうじゃなくて、なんか変わった入り口があった方が、
そこでこうやって進める人もいるんじゃないかなって。
僕みたいに様子がおかしくないみたいなわけじゃないよね。
様子はおかしくなりたくないです。
僕さっき自分の著書に興味を持ってくれた人に、
ベストシャラ作家の宮崎智彦が書いた本ですって言ってたから。
すごいしらけてましたよ。
はあ、みたいな。
宮崎さんよくそれやるよね。
よくね、もうそれね、ほんとに。
私あれですから、初対面の人にこの社会性のあるお顔をされてますねって。
あ、ほんと。
僕の社会性はキープはしたいですね。
僕の社会性もキープできてないですよ。
遅刻してるじゃん。
ギリギリかなって思う。
その辺は最低限普通の人ではありたいですけど、
ちょっと変わったお姉さんみたいな。
何してるかよくわからない。
人生の中で何を成り割りしてるのかよくわからないけど、
なんか面白い人みたいな。
それは前もBRCを聞いた方もいると思うと、
なんかデカダンスをしてお酒飲んだり、
いろんな乱れた生活をしたりして変になるっていうよりは、
本を読みまくることだよ。
本を読みまくると変になる人は。
でも本も読むし、
いろいろやる。
疲れてるとちょっと頭おこしくなる感じがあるじゃないですか。
身体的に疲れてるときって。
それが私嫌いじゃないんですよ。
疲れてるのは嫌なんだけど、
変なことばっかり思いついちゃうときあるじゃないですか。
あるでしょ。
僕は本当に1日1冊くらい本を読んでるんだよ。
それで頭変になってる。
そのことが頭の中に入ってるからさ、
それに近い?
そうかもしれない。
私も本を読んで仕事したりとか、
めちゃくちゃずっとイヤホンで何かを聞いてるから。
音楽とかね。
音楽もそうだし、ラジオ番組とか。
ずっと機械音みたいなのを聞いてたり。
それいいよ。
情報を過度にインプットすると、
27:02
過度に何かになるよ。
それをずっとやり続けるんじゃなくて、
ある日突然パンってやると止めるんですよ。
それでソロになるの?
本当に森の生活ですよね。
社会なんでどうでもいいみたいな。
何にもしたくないみたいな。
それがあると急に本当にわけのわからないことが
頭から湧いてくるんですよ。
その感覚は結構大事にしたいなって。
私は結構休むの大事と思ってる派なんで、
わざと疲れたりはしないんですけど、
どうしても忙しいなみたいな時とかは、
その頭からバッといろんなものが湧き上がる瞬間を
思い描いてもうちょっと頑張るぞってやって、
いろんな変なことを想像する。
そういう人であり続けたいです。
若いうちだけでこれを終わらせたくない。
じゃあもうそれこそ、
本とか音楽とかいろんなものを摂取して、
続けるこれから30代、40代、
そしてどんどん晩年に向かっていきたいと。
そうですね。
体、年齢は晩年に向かいつつ、
外から見てると晩年間のない谷崎のような、
なんだこいつみたいな。
そこは自分は体タイプだと思うんで。
でもね、谷崎さんはそっちの方が好きそう。
なんか美しいものばっか好きになってくるみたいな最後は。
そんな気がします。
私はずっと変わり者でいたい。
変なの?みたいな。
そう、になりたいな。
そんな感じ。
はい、ちょうど30分ですね。
いろんな私たちが毎週、
渋谷のラジオで放送している
ブックリーディングコラボもぜひ聞いていただきたいです。
これからアプリと使って聞けますし、
ポッドキャストでも1日遅れですが配信しておりますので、
ぜひ聞いていただきたいです。
そして、マルジナリア書店さん、
生前川原にございます。
慶応戦ですね。
素晴らしい書店さんですので。
私実はまだ行ったことがなくて、
行ったほうがいいよ。
行こうと思っています。
めちゃめちゃ戦争もいいし、
僕の本も多いし、
ぜひぜひ皆さんよろしくお願いします。
そしてまだ間に合うよという方は
私たち午後5時頃までですね、
今日7月21日、
浅草のブックマーケットにおりますので、
太刀館っていう建物です。
太刀区の太刀です。
とりあえず戦争で目指してくれば、
遠くはないです。
想像よりも、
これ勝手慣れですけど、
想像よりもきれいな建物でした。
そうだね。
なんかもっと古い市民会館みたいな感じなのかなと思った。
外から見たらきれいな。
30:00
しかもすごいブース数で、
すごい人だね。
我々は一番奥の予約者さんのブースにおりますので、
僕らこれからもしかしたら、
他のブースも見たいかもしれないので、
もしブースにいなかったら、
声かけてくれればすぐに戻ってきますので。
すぐに戻ってきますので、
ぜひよろしくお願いします。
それでは宮崎朋彦と、
今井カンデでした。
ありがとうございました。
バイバイ。