WATAさんの子育て経験

どうも、お世話になっています。WATAです。 TAZAWAです。
えーとですね、あのー、恒例のですね、えーと、ショートタイムバージョンのエピソードにします。

あのー、スタジオの時間がね、ちょっと。 さっきは続きのやつをちょっといっぱい撮りすぎちゃったっていうね。
ちょっとね、あのー、いい話ができたんで、そりゃそれでいいんじゃないですかね、なんかこう。
その乾いた笑いしないでください。
いやいや、まあだから、ちょっとあの僕のターンはね、別に今日そんな深い話はないんで。
えーと、20分で、今タイマー測ってますね。これ鳴りますからね。タイマー測ってるんで。
はいはいはい。 鳴りますんで、この。20分ぐらいで終わらせますけど。

まあ、聞いてる人にとってはどうでもいい。 どうでもいいっすね。
この宣言どうでもいいっすね。 こっちの運用の話なんで。
こっちの運用の話だし、早く本題に入れっていうね。この前振りみたいな。
ね、あのー、だからちょっとね、頑張って話しますけど、
あのー、あれですね。
僕がね、あの最近こう、まあウォーキングしてるんで、
あのー、いろいろこう、悩みであったりとか、メンタル面の部分は、
いろいろこうクリアになってきてるんですけど、
あのー、唯一悩んでること。
はい。
子育てです、もう。
あー。
もう子育て、僕だからあのー、ご存知の方もいらっしゃるかと思うんですけど、
3人子供いてですね、もう全員男。

あ、はい。
全員男です。

はいはいはい。
えーと、奥さん甲一軒です。だから、4人男です。
っていう、すごいこう、蛮族的な、野蛮な、あの家系なんですね。
で、あのー、僕がまあ、何せこう、僕の兄弟が妹2人というか、
女系家族で育ってるんで、で、父親単身婦にしてて、
男、僕1人しかいないっていう環境で育ってるもんなんで、
やっぱね、この男子家系、あるいは男兄弟のノリっていうのを、
あんまりこう知らないんですよ。
まあ憧れてた部分もあったんですけど、昔はね、子供の頃は。
だから、思いのほかこう手こずってまして、やっぱりこう、違いますね。
こう、自分の子供の頃の、こう、姿勢でやったりとか、
親に対する接し方でやったりとかっていうのと、
あまりに違いすぎるんで、やっぱりこう、理解が落ち着かない。
みたいなところがあってですね。
で、まあ何より、僕はまあ、仕事をこなしながら、
子供への叱り方の難しさ
適度な形で、育児に参加させてもらってるんで、
そんなにこう、まだ裁量とか、そこまで苦労してないですけど、
当の奥さんはもう、気が狂いそうになってますね。
本当に。

その3人はどんな構成なんですか?
構成はね、年齢で言うと、上小学5年生ですね。
で、次男が小学2年生ですよ。3歳差で。
で、最近生まれた末っ子は、もうすぐ2歳になろうとしてるみたいな感じで。
感覚的にはちょっとね、3男は年離れてますけど、ありがちな構成というか。
でね、まああれなんですよね。やっぱりこう、
共働きでやってきましたんで、
どちらか片方が専業で育児っていうよりは、やっぱり仕事しながら見てたっていうのもあって、
ただ今奥さんね、奥さんは今、1、2年前から専業主婦になってるんで、
今はやってるんですけど、それまではもうずっと兼業でやってたんで、
ちゃんとこう、なかなかこう、細かいところまで向き合ってあげられてなかったみたいなところがあったりして、
これ本当にね、不得のいたすところですっていう、
まず一回謝罪からさせていただければなと思うんですけど。
だから結構ね、スマホとかを、よくないんですけど、
スマホというかiPadとか与えたりとか、YouTubeを自由に見れるようにしたりとか、
ゲームも自由にできるみたいな感じで、結構ゆるい感じでやっちゃってたんですね。
もう本当にどっぷりハマってしまって、もうこのインターネットあるいはSNSの魔力といったら、
ゲーム以上ですよ。YouTubeへの浸水の仕方は、もう本当にもう依存症といっても過言ではないぐらいに投水していて、
だからそのやらなきゃいけないことを、やらないままそういうコンテンツに凶じてしまうみたいな。
で、父母の激励に触れるわけですよ。
ただその激励に触れても、まだなおやめないみたいな感じで、なかなかコントロールが、自制ができない状態。
で、ちょっとそれはもう与えてしまった親が悪いっていうことで、子供に罪はないかなって思うんですけど、
こういう時にやっぱり、僕はあんまりそういうタイプじゃないですけど、結構奥さんとかは強めに行くわけですよ。
激しめに行くわけ、結構。ハードチャージするわけ。びっくりするぐらい。
親の責任と叱り方
なかなかの衝突をするわけです。
だからすごい、家庭内が土豪が飛び降りるみたいな。
お前、電車で子供にボコすぞってキレてたお嬢ちゃんって。
いるでしょ。内がってことじゃないですよ。内がこうっていうのは言いたくないですけど、
だからそれに近い言葉はそんな汚くないですけど。
ただ、今日話したいところでいうのは、そうなんですよ。
僕もつい2週間前ぐらいに美容室に行こうと思って、行ったんですね。近くなんですけど。
美容室の近くで、ちょっとやんちゃなタトゥー入ってるお父さんみたいな。
で、子連れで男の子と女の子連れてたんですけど、
邪悪足や、ごらん。お前が邪魔するからこうなっとるんやろうが。
っていう、もう町中に響くような声で、子供叱りつけたんですね。
もう本当、これだと。これなんだと。
だから、これがやっぱり、もちろん反面教師ですよ。
そうなってるのは、絶対お父さんがそういう気持ちになっちゃう。
ストレスもわかるんだけど、やっぱりやっちゃいけない行為というか。
オープンな場所でもそうだし、お家でもやっちゃダメというか。
なんかね、僕も親になってわかったんですけど、
どなりつけるとか、叱りつける行為って、ほぼほぼ意味ないってことに気づいたんですよ。
要は、それって恐怖でしょ。恐怖を与えて、同活してみたいな話なんですけど。
それ以上でもそれ以下でもなくて、これを繰り返していくと慣れるんですよ。変な話。
ただ、僕が松で見たお父さんに叱られてる子供は、だいぶおののいてましたけど。
周りもおののいてましたけど。慣れてないんだろう。慣れてなかったんでしょうね。
ちょっとかなり怖そうな、ビビってましたけど。
だから、そういう、いわゆる瞬発的に怒って叱るみたいなのって、
普通に子供のために、そもそも子供のためを思ってみたいなところもあるんだと思うんですけど。
なんか、あんまり実らないことが多いんじゃないかなって思ったりとか。
あとは、結局のところ、親の気持ちの問題じゃないですか。
要は親の怒りのボルテージが、なんだかんだ子供のためを思ってとか言えど、親の気持ちを解消するために、
ジャガー神社ゴラは言ってると思う。

そういうのでちょっと気になるのは、結構怒鳴るような親御さん多いと思うんですけど、
そういう人が普段からそういうタイプではないじゃないですか。きっと子供に対してだけだったりしませんかね。
そのパターン多いですね。

ですよね。それってやっぱり子供だからそういうとこ出るんですか。
タカトリヤ まあ、これはだから。

普段からジャガー神社ゴラって言ってる人が子供にも言うなら分からんではないんですけど。
タカトリヤ 普段からジャガー神社ゴラは反射ですね。完全に。シンプルな。そんなシチュエーションないから。
タカトリヤ だから、社会生活においてやっぱり抑圧されてるからこそ、家族っていうプライベートな。
よくさ、友達とかで親に対してめちゃめちゃ邪剣な態度を取るやつっていたじゃないですか。
あれと一緒なんですよ。だからその、親に対して何だその口の聞き方みたいなことを言っちゃう高校生とかっていると思うんですけど、
あれと同じラインで。

それってなんか距離が近いからっていうことなのか、その肉親だからってことなのかどっちなんですかね。距離が近いなら友達とかにも内弁系的なムードに出てもいいと思うんですけど、
なんかなんとなくイメージとしては子供にだけとか親にだけみたいな印象がある。
タカトリヤ それで言うと家族というか血のつながりっていうやつ。
あとこれ親の場合はこれ本当でもこれはちょっとすいません親御さんにもしかしたら結構親の欺瞞というか叱らないといけない責任みたいな感じるわけですよ。
要は何か悪いことをやった時に怒らない親ってやっぱりちょっとそれはそれで問題がある部分もあるじゃないですか。
ただその叱り方の話をうまくやらなきゃいけないっていう話で。
だからそうなった時に親としてこれは言ってやらなあかんっつってそうなってる人もやっぱいるんですよね。
でこれは俺の仕付けの仕方やからみたいな感じで。
なぜかその時だけジャカーシンジャホラーが必殺殿下の砲塔が出ちゃうみたいな人は多いんじゃないかなと思って。
子供視点での躾
ただやっぱりでもそれをやっぱり子供視点で見た時にこれはだからそのなんて言うんですかね。
第三者が見ても同じような気持ちを子供も多分感じてると思うんですよね。
めっちゃ怒鳴られて頭腐らしに言われたっていう。
なんかでもその結果しか残んないところはあって。
そこに何ですか。もちろん愛もあるかもしれないしそれ層の背景があって怒ってるかもしれないから。
それはなんか多少口調が荒ぶっちゃうっていうのはわかるんですけど。
ただやっぱり党の子供としてはその事実としてはただただ怒鳴られたみたいな結果だけが残って。
で別になんで俺が悪いのかわかんないみたいなとこもあるわけですよ。
だから教育としてはあんまり合理的ではないし。
なおかつ僕3人目が生まれて。
その3人目の育児に関しては結構その3人目ともなるとちょっと余裕が出てくるわけですよね。
3人育ててきてるんで。
ちょっとその余裕をもっと接し方みたいな愛情表現とかもちょっとやっぱりその余裕が出てきたんですよ。
変な話。ちょっと2人目までは可哀想な話になってしまったなって感じなんですけど。
でねやっぱり愛情をかければかけるほどその愛嬌みたいなのは出るなっていうのは最近ちょっとうまく言語化できないんですけど。
なんかねそれがすごい愛情表現。わかりやすい。
ハグするとか褒めるとかあとはそのスキンシープ測るとか。
そういう方がある意味言うことを聞かせたいわけじゃない。言うことを聞いてほしいとかそういうんじゃないんですけど素直な子には育っていくんだろうなっていうのをすごい最近感じて。
昔の教育で言うと厳しく教育して、それこそこの番組でも何回か話したことあるんですけど大罰のやつとか。

ダイリングボール養成ティップスとか。
古いですね。
欲しいヒューマー僕も通ってないですけどね。
憧れてるんですけどね。
欲しい一徹みたいな。お父さん確かにね。あれはあれでちょっといいなと思いますけど。
とはいえですよやっぱり厳しく叱るのっていうのがいかほどなのかなっていうのをすごい。
やっぱりもちろん愛情を持って強く怒る時があってもいいんだけど。
愛情表現とコミュニケーション
その言葉の選び方とか。
じゃがしんじゃごらんじゃなくてなんかもうちょっと違うアプローチであったりとか。
あとはそれに応じて愛情表現というか。
もっとその負のコミュニケーションじゃなくて負のコミュニケーションがあったらプラスになるようなコミュニケーションも倍以上増やさなきゃいけないんじゃないかなっていうのを痛感してまして。
ただ一方でこの厳しいコミュニケーション厳しさっていうのは我々社会人にとっても特に必要な時があるわけじゃないですか。
だからちょっとその厳しい教えみたいなものが本当に必要なのかどうかみたいなところはちょっとご意見をね。
田沢教授に。

いやいや僕はもう全然わかんないですけど。
だからそのご自身が例えばどうですか。お父さんお母さんから受けた教育としてそういう厳しいコミュニケーションはありましたか。

なんか普通だったんじゃないかななんか別に。
めっちゃ強くかまあまあ時には怒られ時には。
そうですね。
怒鳴られみたいな。
聞いてる限りすごい良いご両親でね。なんかこう大らかな感じのご両親だったんじゃないかなっていう気はしますけどね。

そうなんですかね。まあでも普通に声張って怒ったりされましたけどね。
そうですか。

それは普通なんでしょうね。
そのなんか子供ごころまあそれちょっと何歳ぐらいかっていうんですけど。
その役は怒られた時の反応としてはその田沢青年あるいは田沢少年はどういう感じだったんですか。
なんかねこれイメージなんですけどあんま反抗期とかなさそうだなっていうイメージがあるんですよ。

僕反抗期なかったと言われてました一般的に。
一般的にね。
いやなんかねそのイメージすごいあるんですよ。なんか親御さんに対するリスペクトが相当あるから。

いやでもそういうのって誰もがそう思うんですけど大人になってから変わっていくとかあると思う。
なるほどねまあちょっとそのとはいえ青年期にいろんな時期を踏まえて。

感覚だったと思うんで僕もね。
なるほどなるほど。だからねこれまあ一般論で言ってもねそんなにこう僕もだってそのね当然その怒鳴られたりとか時には引っ叩かれたりするみたいなのは全然ありましたけど。
結構親、うちの親ヒステリーだったんで椅子とかぶん投げるタイプだったんですよ。
結構ね激しかったんですけど。
だからまあ別にでもそれが何て言うんですかね何かトラウマになってとかなんかその虐待されたとかそういう意識は全くなくて。
だからまあある意味厳しく叱ってくれたからこそ良かったことみたいなもんねあるからなんか一概に否定できないなっていうのがあるんですけど。

いやなんかそういうのって僕もわかんないからなんとなくですけどなんか例えばその愛情が大事だなと思う理由ってまあ例えばその親を裏切ったら申し訳ないなって思わせる効果があるかなと思ったりしますけどね愛情をかけて育ったりすると。
そうですね。

罪悪感とか生まれたりとか。
そうそうそうそうそうそうなんですよ結局何て言うんですかねあのその例えば怒られている瞬間であったりとか幼い時ってそういうのちょっとその実感しづらい状況じゃないですか。
でもなんか時を経てやっぱ徐々に徐々にその身に染みてくるというかあの結構口うるさく言われたけどまあそれ自体が今のね自分を成長させてくれたみたいなのを痛感するみたいなあるじゃないですか。
だからこうねなんかそうなった時にこうそうなんですよ親に対してこうなんて言うんですかねあんまりこうあの悲しい顔をさせたくないというかねなんかこう。

僕はまだ気持ちはわかんないですけどあの今の僕の状況だとただなんかよく聞くのは子供が親を思う気持ちより親がこう思う気持ちが全然違うって言うじゃないですか。
言いますね。

そういうもんですか。
そういうなんかまあ今ちょっとね今感じるところではそうですね。
だからその親の心をこしらずですよね。
たぶんなんつうんですかねそれが結局そのちょっとだからその親になってわかったのはなんかそれ自体もそのある意味乗り越えられるというか乗り越えてその愛情をかけるべきなんだろうなっていうのは感じてて。
なんか別にまあそれは親の心知らなくたって変な話いいわけじゃないですか。
まあそもそもこう健やかに育ってくれて人様に迷惑かけなければいいだけだからだから全然いいんだと思うんですけど。
ただやっぱりそのなんて言うんですかねこう人としてこうもうちょっと疎通したいというか結構うちの奥さんとか育てますけどちゃんとこう自分の言ってることを理解してある程度共感してくれた上でいろいろこう人間同士だからそういう状況を求めたくなるみたいな。
だからそこがやっぱり子供とその話すとすごい距離を感じるみたいなのはまあうちの子供は小学生ですけどやっぱねあるんですよね。
まああるっぽいんですよね。
だからまあこれがやっぱりよりこう思春期になってからどんどんどんどん距離がね離れてってみたいななっていくやつでしょこれたぶん。
だから結構そのねあの普通に親子喧嘩みたいなのが多いんで心配してるんですけど。

なんか子供によってはその悪くなっていくみたいなこともあるわけじゃないですか。
全然あります。
そういうのって和田さんでどういう今どういうふうに思ってるんですかその。
ちょっとで心配してるんですよ。
だからそのあのだからこのまま距離が僕が僕とか和田さんもそうですけど結構言うてもその反抗期もなかったしそんなにこう親に対して無限にするみたいなのなかったと思うんですよ。
なんならそのあのなんて言うんですかねそういうこう怒りの感情すらそこまでこうなかったと思うんですけどタイムアップです。

いやあそうですか。
僕喋りたいのあったんですけど。
じゃあいいどうぞ。
いやなんかそのちょっとまあその子育ての話はちょっとずれるんでしょうけどなんかその不良になっていくヤンキーになって、まあ僕ヤンキー文化わかるんですけど不良悪くなっていくみたいな。
でもいやいやなんだかんだ言ってなんかこう寛容じゃないですか。
不良とかヤンキーに対して世間って言っても。
世間はね。
あとなんか昔のその遊伝とか言っちゃったりするぐらいみんななんだかんだ言って不良とかいいと思ってたりするじゃないですか。
まああの若気のイタリーみたいな感じで処理される方がいいですよね。

でもそのかといって自分の子供とかがなったら良くないんでしょ。
バチバチ嫌でしょ。

その場合にじゃあなんでダメなのかって説明どうするのかなって思ったりとかしてて。
僕が確かになるほどなと思ったのが、要はこの世の中で赤ちゃんが一番最強なわけですよ。
なぜかと言ったら存在してるだけでみんなが注目してくれるし。
赤ちゃんの生存本能と不良

だから赤ちゃんの生存本能として生き抜いていかなきゃいけないからいっぱい泣いたりとかあとちょっといたずらしたりとかしてみんなに注目を集めるわけじゃないですか。
それが赤ちゃんの本能というか生き抜くための。
だけどある程度成熟していくとそれをやらなくて済むんですよね。
だけどいい歳してまで赤ちゃんと同じ方法で注目を集めようとしてるのが不良なんですよ。
ああいやほんとね。
ほんといいこと言いますね。

ほんとは成熟していったら勉強で頑張るとかスポーツで頑張るとかそういう形で注目を集める努力をしなきゃいけないのにそういうことをせずに赤ちゃんと同じ方法を取ってるのが不良なんですよ。
だから全然クリエイティブじゃないしダサいんだよっていう風に言うといいと思います。
いやほんとね。
この今世紀本当に格好良い名言が生まれましたけどかなりトップクラスの名言。

これ確かにそうですよね。
そうなんですよ。
でもこれでも一つ不良側をフォローしちゃうあれになっちゃうんですけど。
さっきちょっと言った通りなんですけど。
赤ちゃんもかまってあげないとどんどんギャンギャン鳴くし、ある一瞬を超えちゃうと逆に鳴かなくなっちゃって感情がない子供になっちゃったりするんですけど。
結構不良も一緒で要は愛情が足りてない状態なんですよね。
変な話。
愛情と子供の教育
不良になっちゃってる状態、ある意味そこまで成長しきった状態でそういう状態になってるのを見てる親って結構やっぱりそれ相応のコミュニケーション取っちゃってるじゃないですか。
要はなんでお前ぐれやがってみたいな感動だみたいな家出てけみたいなとかっていう感じでかなり距離を置くね。
そういうことをしない親御さんももちろんいると思うんですけど。
愛情のかけ方みたいなのってすごい難しい話なんですけど、愛情に飢えててかまってほしい。
なおかつ愛情をもうちょっと注いでほしいっていう現れではあると思うんですよね。
そういう時にやっぱりさっき僕が言った通り愛情それなりに人それぞれ刺さる愛情表現は違うから何がっていうベストアンサーはないんですけど。
愛情を注ぐっていう根源的な行為みたいなのが伴ってないと結構子どもって感情を失っていくし、それ相応の反発をしていくっていうのは何となく肌に感じていて。
ここが結構親の力を試されるとこなんだろうなっていう。
だからこういうのって子どもの話もそうなんですけど、人に対して厳しく指導するとかって社会人としても結構シーンとしては結構あるじゃないですか。
だから結構それも考えるようになりましたね。
もちろん個人の問題、個人のレベルの話は個人で乗り越えていかなきゃいけないんだけど、ある程度指導する立場になった時にその接し方一つで相手の反応って結構変わるみたいな。
っていうところであったりとか、昔で言う単純に厳しく接して指導する。
それはそれでやり方としてもありな部分もあるなと思いつつ、
ただそれだけだとどうしてもうまくいかないこともあるし、そういう時代になっちゃってるみたいなのもあるんで、
ちょっとこう子どもの教育を踏まえて、そういう人への接し方みたいなのも結構学ぶところがあるなというところで、
こういう感じで強引にまとめようとしてるんですけど。
タザワさんのエピソードがショートバーになっちゃって、もう20分過ぎてしまいますけど、
この教育論の話、これは以前にも話した、親ガチャとか、あっち系のKFの話なんですよ。
この辺は深い議論になって、たぶん1時間コースになるんで、この辺で締めたいなと思います。
では、グッドナイト。