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タイダはどこまで行ってもタイダに終わる。始まりました、「大人の近代史」よろしくお願いします。
よろしくお願いします。なんかタイダって言われるとちょっとドッキリしちゃうけど。
これはね、渋沢栄一の言葉なんでね。
あー、なるほどね。
これ別にね、そんな有名な言葉っていうわけではないんだけど、
なんか自分がね、論語とソロ版って渋沢栄一が晩年74歳くらいで出版してる本に書いてあったの。
そう、なんかグサってくる言葉だよね。
タイダって言われるとほんとドキってしちゃうよ。
そう、この後にね、決してタイダによって好結果が生まれることはないって言ってんだよ。
あー、まあそうだよね、でも。
そうそうそう、なんかあのね、例えて言ってるんだけど、渋沢栄一が。
座っても立ってるよりも楽だと思うけど、結局それもずっと続けると膝が痛くなって、
じゃあ寝っ転がってみたらって言ったら、またしばらくすると今度は腰が痛くなるっていう。
だからタイダの結果はタイダなんだっていうふうに言ってるんだよね。
あー、なんか納得できるような気もするわ。
そうそうそう、渋沢栄一ってさ、このさっき言った論語とその番っていうふうな本出してるんだけど、
論語にさ、大きな影響を受けてんの。
そう、論語って中国の儒教の開祖の孔子とあの弟子のやりとりをまとめたやつなんだけど、
まあ、そんな人です。
なのでです、今日はテーマは渋沢栄一をやりたいと思います。
なんかその、この初めのセリフと初めて会った気もしなくはないけど。
あ、本当に?
じゃなかったっけ?なんか今までそのセリフの人を扱ったテーマってなかった気がする。
いや、あるでしょ。
結構、松陰の時がそうか。
吉田松陰とか。
でもなんか本当、割と最近のやつぐらいじゃない?
あ、そうそうそうそう。
まあなので渋沢栄一なんだけども、やっぱり渋沢栄一って言ったらあの今、
青天をつけで、NHKの大河ドラマ。
やってるよね、ドラマ。
そうそう、今まさにやってるとこなんだけど、あの吉澤涼が主演で。
うん。
長室見てないんだっけ?
うん、俺見てないね。
あ、そうか。
そうそう、今ね、自分は追いかけてこうどんどん見てっていうのをビデオでずっと全部撮ってあって。
あ、そうなの?
そう、タイムリーにちょっとね見れてなかったから、今追いかけてるんだけど頑張って。
うん。
なんかね、自分はね、冒頭の部分とかによく出てくる徳川家康が、北大路錦也がやってるんだけど、なんか解説みたいなのしてくれんのよ。
うん。
その後ろにいる黒子、黒い衣装を着た黒子がいるんだけど、それがね、もう、なんだろう、興味出ちゃって。
いや、だって黒子でしょ?
そうそう、本編とは関係ないんだけど、多分そこ注目してる人あんまりいないかもしれないけど、でもかなりね、いい雰囲気を出してんのよ。
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いや、よくわかんねえな。
そう、この黒子ってさ、カンパニーデラシネラっていう人たちがやってんの。
うん。
多分誰も知らないかもしれないんだけど。
知らないだろうね。なんかその界隈じゃ有名なの?わかんないけど。
なんかあのパントマイムを中心に、あの物とか照明使ってこう独特なね、演出してんの。
あー、なんかそういう人たちいるよね。
なんかでもすごいなーと思って引き付けられんのよ。
あー。
静点をつけてさ、見てて思うのはこう、CGとか使ってデジタル感もあんだけど、アナログっていうのもこういう黒子を使ってなんか出してる良さがすごいんだよね。
えー、そうなんだ。
そうそう。まあなんで今日はカンパニーデラシネラをやらないっす。
www
今ちょっとドキッてしたよ。え、嘘みたいな。
いや、なんか自分は個人的に好きだなと思って。
あー。
でまあ渋沢栄一って言ったらさ、約500社ぐらい会社の設立とか育成に携わってんだよ。
うーん。
そうそう。だからまあそういう近代になってこの実績って結構有名で、あと約ね600ぐらいのね教育機関とか社会福祉の支援に力を入れた実業家なんでね。
あー。
でこれさ、会社もさ別に何だろう、すごい有名というかさ、今も残ってるとこいっぱいあってさ、名前は変えて残ってたりするんだけど水穂銀行とかJR東日本とか札幌ビール帝国ホテルひとつ橋大学とか。
あーひとつ橋そうなんだ。
あーそうそうひとつ橋は。
へー。
だから、いやーなんかすごいよね。
うん。知らなかったの。
でもしかも500ぐらいだからもっともっとさ、こんなん数えられないぐらいあるわけよ。
あー。
だけどなんか、自分なんか個人的この渋沢栄一っていうのを本とか読んだりとかして思ったのが、渋沢財閥ってないじゃん。
うん。聞いたこともないね。
そう。この人はでも財閥を作るほどの財力はもちろん持ってたわけよ、力も。
あー。
だけど、あえて財閥って風に作らずに、その自分の会社の経営も家族だったり、この自分の息のかかった部下というか、経営を率先してさせるってこともしなかったのよ。
へー。
そう。だからなんだろう、本当に日本の発展のためっていう風な富を独占せずに、なんかまっすぐに生きた人だなっていう。
なんかちょっと今財閥企業を敵に回した。
そう、そう思われちゃうかなと思って。別に財閥がすげえ富独占してるっていうわけじゃなくて、この渋沢栄一のあくまでもね、生き方がすごいなと思って。
いやー、まあ俺は財閥が独占してた結果財閥解体になってると思ってるからいいと思うけどさ。
ああ、まあ財閥解体ね。財閥解体って今三井とか三菱とかあるわけじゃん。
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まあ解体はしたけど、だって別にそれ財閥っていうものを解体しただけだからね。
ああ、そうそうそう。まあそんな感じで。で渋沢栄一をやるんだけど、渋沢栄一ってさ、あの埼玉県の深谷市の出身なのよ。
ああ、それは知ってるよね。
そうそう、だからうちらってさ、あの実は埼玉県の熊ヶ谷出身で隣なんだよね、本当に。
うん、だってなんかさ、俺ら高校さ、そっち方面行ってたじゃん。でさ、深谷駅通る時にやっぱりさ、その深谷駅にさ、ここは渋沢栄一なんだけど、生誕の地だから、発祥の地だかちょっと忘れたけど、なんかちゃんと書いてあるんだよね。
うん。
電車乗って見えるところに。
駅前に銅像とかもあるからね。
うん、そうそう。だからなんだろうな、別にその時渋沢栄一知ってなかったけど、ああそういう人いたんだ、有名な人なんだ、なぜインプットはされてたね。
そうそう、すごく身近っちゃ身近だよね、本当に。
うん。
そう、で、しかもね、自分個人的に、渋沢栄一ってあの家がさ、養産もやってんだよ。
ああ、そうなんだ。
あの、カイコ育ててんの。
うん。
で、あの、自分もカイコ育ててたの。
え、嘘?そうなの?
そう、これなんか言うと結構みんなびっくりされるんだけど。
え、ネタ?
ネタじゃなくて、あの、自分が小学校の時ぐらいまでやってたのよ。
え、あそこで?
あそこでやってたの。
いや、俺ほら、家知ってるからさ。
だから長丸ともう会った時は、もちろんやってなかったんだけど。
いや、やってないってことでしょ。
小学校の時とか、自分手伝ってたりもたまにしてたから。
え、あの敷地のところにあったの?
だからその、なんだろう、今NHKのタイガで見るような渋沢みたいなでっかい養産の場所じゃないんだけど、
うん。
バラックっていうのの2階で全部、そこ養産やってたんだよね。
ちょっとバラックの方は思い出せないんだよな。家はわかるんだけどさ。
なんかあれでしょ、敷地の横ぐらいにバラックじゃないけど、それっぽいのあったけど、確か。
そうそう、多分ね、もうその時長丸が行った時は使われてないから。
なんか俺物置ぐらいだなぐらいにしか多分思ってなかったと思うんだよ。だって思い出せないもん、全然。
そうそうそうそう。
そうなんだ。
そう、だからね、なんかね、よりすごい親しみが湧くというか。
うん。
で、彼はやっぱりその養産だけじゃなくて、どんどんこういった企業を作っていったわけじゃん。
うん。
だから本当にさ、自分とは違ってこの人生のキーとは、自分は紡ぐことができなかったんだけど。
なんでネタを突っ込んでくんだよ。
いや別に、それはあれだよ、渋沢栄一と住んでる時代も違うから何とも言えないけどさ。
いやいやいや、もう本当恐れ多いんだけど、ちょっと今回渋沢栄一っていうのを話をさせていただきます。
はい、お願いします。
でね、今回はね、NHKのタイガーで多分、あ、そうなんだと思った人も多かったと思うんだけど、
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彼のこう、人格を作っていったというか、青年期の話って結構興味深くて、面白いんだよね。
えーそうなんだ。
そう、今回NHKタイガーでもかなりここって詳細に取り上げられてて、
うん。
なんでちょっと今日は青年期のお話をしたいなと思います。
はい。
はい、1840年ですね、天保11年に渋沢栄一は生まれるんですね。
うん。
この年ってさ、ちょうどアヘン戦争が起こった年なの。
あーそうだね。
そうそう、シンとイギリスの戦いで、まぁイギリスが勝利するっていうね。
うん。
で、生まれたのは、さっき言った埼玉県深谷市なんだけど、
うん。
当時はあの武蔵国の千和島、まぁ今も千和島ってあるんだけど、
うん。
長男として生まれんの。
うーん。
そう、で、幼名はね、イチサブローって言うんだけど、
まぁ、なんかそれっぽい名前だな。
そうそう。で、17歳からね、おじに栄一って名付けられんだけど、
うん。
今日はね、もう渋沢栄一でもう統一して話したいと思います。
そうだね、わかんなくなっちゃうから。
そうそう、わかんないね、幼名とか言っちゃうと。
うん。
で、このさ千和島って、あの当時ね、50軒ほどの小さな集落だったの。
うん。
千和島ってさ、知ってた?名前すごくない?これ。
いや、今初めて聞いたぐらいだな。
そうだよね、深谷っていうのはわかってたけどさ、千和島って聞いたときびっくりしちゃって。
まぁ、地名まではね。
なんで千和島って、ここ、血を洗うって書くんだよ。
あー、もうそのまんまなんだ、血を洗うなんだ。
そうそう。で、いろんな説があって、戦があって、家臣が片腕を切り落とされて、
その傷口をその土地の川で洗ったっていう。
うん。
説とか、あと山の霊とかが争って片腕をまた切られて、その傷口を土地の川、利根川なんだけどね、近くが。利根川で洗ったっていう。
うん。
そう、っていう説もあるし、その利根川っていう自体が、あの氾濫がよくあるところで、
うん。
その氾濫のために地が荒れたっていうので、そっから血洗い島になったんじゃないかっていう説。
あー。
そう、いろいろまああんだけど、このさっき言った利根川が氾濫するっていうのが、実際に多かったわけよ。
あー。
で、土地がこう安定しないというか、だからあの稲作に不向きというか、
うん。
なかなか豊かな土地っていうわけではなかった。
あー、そうなんだ。
そう、だから血洗い島って、この稲作以外に力を入れる必要があったのよ。
うん。
で、そこで渋沢家っていうのは、あの養産だったりとか、
うん。
藍の栽培って、藍って藍の葉って、藍染めに使われる染料なんだけど、
うん。
その藍の葉を集めて、丸めて藍玉にして、まあ、売るっていうようなことをしてた。
へー。
そうそうそう。でね、これさ、当時って言ったら、この時代って米本位制っていうか、
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米以外の作物に対しての税って、ほとんどかかんなかったのよ。
あ、そうなんだ。
そう。だから、ぶっちゃけその米農家として栄えたわけじゃなくて、
そういう別のもの、産業で栄えたから、
うん。
実はこの渋沢家っていうのは、米農家よりもはるかに金持ちだった。
あー、なるほどね。
そう。だからね、1万石ぐらいの小さな大名より、金持ちだったんじゃないかって言われてるのよ。
結構すごいね。
そう、すごいよね。
でさ、よくこれ1万石って言うじゃん。
うん。
そう、あえて説明するんだけど、1万人の成人男性が1年間に食べる米の量なんだよね、だいたい。
だから、もう米が中心に考えられていた時代で、
だから米の取れるように応じて幕府に収めなければいけない年貢の取り分も変わってくるわけよ。
うん。
そうそう、だから逆に米以外で栄えた方が大金持ちになれるって時代なんだよね。
うんうん。
で、それを俺なんか、あ、そうなんだって思っちゃって。
まあ、でも抜け道がないんじゃないのかな、多分。
米、結局米作んないとさ、自分らが食えないわけじゃん。
それはうまく多分商売できてたらの話でさ。
うん。
なんか多分難しいんじゃないのかな。
あとは米をもちろん作れっていう感じに多分なるんだろうし、そうなると。
あー、まあね。
で、聖典をつけるとか大河ドラマで、ちょっとね、自分不思議に思ったとこがあって、
渋沢栄一とかお父さんって、なんか出かける時とか刀刺してたのよ。
あー。
あれ、農民の出身なのになんで刀刺してんだろうと不思議に思った人いるんじゃないかなと思うんだけど、
これね、渋沢家っていうのは、だからもう結構な裕福で、その分だけその藩に対して税も納めてたから、
明治大統が許されてた。
あー、そうなんだ。
そう、明治大統って、その時農民って明治名乗ることってできなかったから、
で、刀を腰にこう刺すことっていうのもできなくて、本来武士の特権だからこれって。
うん。
だから特例だったんだよね。
えー。
だからそれぐらいすごい家柄なんだよね。
あー。
そう、で、この渋沢家の本家っていうのが中市っていうんだけど、
渋沢家のお父さんは中市本家の人じゃなくて東市っていうところにいたの。
うん。
の、その産南だったのよ。
うんうん。
そうそう。でね、この中市の本家の方が、家業がね、うまくいかずに、実際の東市の方が結構栄えてたんだけど、
うん。
その中市を助ける意味もあって、あとね、子供がね、女性だけだったの。
うん。
だから、本来産南ってさ、家を継ぐ必要とかないんだけど、
うん。
そこで優秀だった、この産南の市郎上門っていう人が、洋子にね、中市に入ったの。
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うん。
で、このお父さんのね、経営能力っていうのがすごく高くて、
うん。
愛の葉とか、洋参とか力入れてって、
うん。
どんどん栄えていくわけよ。
あー。
で、裕福になったっていう。
へー。
そうそう。で、お父さんってさ、だから、家業を継ぐ必要ない産南だったから、
うん。
当時はね、学問を勉強してて、武士にも憧れがあったっていうような人だったの。
うん。
で、その当時ってさ、総人口で言うと、約3200万人ぐらいだったよ、日本は。
うん。
で、7%ぐらいが武士なんだって。
うん。
で、この武士にさ、意外が、なんだろう、虐げられてるような時代じゃん。
うん。
武士の憧れって結構やっぱ、あってさ、
うん。
でね、江戸のね、末期になると、この武士ってさ、お金とかコネで手に入れられる時代だったらしい。
え、買えちゃうんだ。
あ、買えちゃう。
あの、それはよっぽどでも裕福じゃないといけないんだけど、とか、コネがないと。
うん。
例えば、勝海種とかも、おじいさんとかって武士の身分を金で買ってるからね。
あー、そうなんだ。
そうそう。もともと確か農民だったんだよ。
へー。
そう、だから、なんだろう、ちょっとね、この幕末になると、ゆるくなってきてるんだよね、この士農公賞の身分制度が。
だから、それが幕府のなんか歪みというかさ、っていうのもなんかちょっと見れんのかなっていう。
うーん。
だからね、お父さんその、いろいろ、農民でありながら学問も学んでたから、
うん。
渋沢一にも幼い時から、学問をちょっと手ほどきすんだよ。
あー。
で、その中にさっき言った、冒頭で言った論語っていうのも教えてたりするの。
うーん。
そう、でね、6歳になってね、それだけじゃなくて、隣村にね、私塾を開いてる、老井の尾高隼中って人から学ぶんでね。
うーん。
そう、私塾ってさ、教える人が独自にやってるっていうような、学ぶことができるとこなんだけど、
うん。
これ、別に反抗っていうのがあるんだけど、
うん。
反抗っていうのは、武士の子供が通う幕府直轄の学校なんだけど、
うん。
反抗だと、その漢文の素読って言ってさ、意味を考えることなくただ音読をするとか、
うん。
あと、習字を中心に習ったりとかするんだけど、
うん。
逆にその渋沢一っていうのは反抗にはいけなくて、私塾ってとこに行ったから、
うん。
この尾高隼中って結構特徴があってさ、
うん。
教え方に。
なんか、一字一句の解釈とか暗記はね、あまり重視しなくて、
うん。
大まかな意味だけ伝えて、次々にどんどん興味あるこの書物を読ませるんだって。
うんうん。
そう、で、そんで、記憶になんかこう残っていった中で、意味を解説して理解させるっていう教育方法だった。
うん。
これさ、なんか聞いてて、英語の勉強とかこっちのほうがいいんじゃないかなと思っちゃった。
あ、でもそうだよね。なんか今、英語ってそういうふうにやったほうがいいって言われてるしね。
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そう、で、うちら、フチラって言っちゃったけどさ、あの、単語とかめちゃめちゃさ、暗記させられたじゃん。
ほんと、なんか、変な文章暗記とかさ。
そうそうそうそう。でもさ、結局その単語とか暗記してもさ、文章の流れによってその単語全然分からないじゃん。
うん。
だから、なんかこういう流れでさ、覚えるとかさ、いいよねって思って、それで興味持ってくるわけじゃん。
うん。
なーって思って。
なんか応用効かない勉強ずっとさせられてたからね。
言ってしまえば。
言ってしまえば。まあどうなんだろうね、それは何とも言えないけどね。
いや、応用も効かないし、嫌いにもなるみたいな、だからつまんないからさ。
まあね。
そう、ただただ書いたりとかさ。
結局英語喋れるようになってないっていうね。
まあ、現実はそれじゃん。
まあ、本人の努力もあるのかもしれんが。
いや、それ言われたらもうほんとさっきの一番初めのタイダーの話になっちゃうけどさ。
そう、でね、だからいろいろ興味を持ち始めたの、渋沢一も。
うん。
だから自ら自分で読書も始めたんだよね、この時代は。
で、14歳、5歳ぐらいになってから、家の手伝いもするようになった。
うん。
で、さっき言った愛の葉を買い付けに行ったりとかするんだよ。
うん。
で、16、17歳になって、もうね、お父さんとじゃなくて、自分一人で父の代役として愛の葉を買いに行って。
うん。
で、やっぱ一人で子供だからさ、農民にからかれるわけよ、最初。
うん。
だけどその、なんかお父さんに真似て、同じような振る舞いをして、
例えばこの葉は栄養が足りないからシメカスもっと加えないとなみたいな、
なんか真似たようなことを言ったら、農民もこいつ結構できるなみたいな。
うん。
で、こう買い付けがうまくいくわけよ。
うん。
それをね、お父さんに褒められて、なんかそのね、褒められたことがやりがいを感じるようになって、
なんかますますね、しょうがないようになって、
なんかますますね、商売にのめり込んでいくんだよね。
へー。
そう。で、このさ、なんだろう、褒められるってことが自分もされてよかったから、
うん。
例えばこの愛の葉を買ってる、そのなんだろう、農民に対して、
出来の良さを相撲の番付けに真似てランク付けで発表したりとかしたの。
うん。
そうそう、これね、あのNHKタイガドラでも結構描かれて面白いシーンなんだけど、
へー。
実際にね、なんか当時相撲って流行ってたから、
うん。
番付け票にして、この人がなんか出来が良かったんで今年みたいな。
うん。
そう、しかも上座に座らせたりする。
で、出来が悪かった人は下座に座らせたりとか。
うん。
そう、当時さ、上座と下座ってかなりさ、今だったらあんま意識しないだろうけどさ、
うん。
その当時の人って結構上座とか意識してたからね。
うん。
そう、そんな風にして良かったものに対して褒めるっていうのが、
後々のね、近代に入っても渋沢のこの商売のやり方にも影響してくんだよね。
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へー。
そう、で、ここでね、領主のね、阿部っていう商壇名がいて、
うん。
そこにね、ある日呼び出されるのよ。
うん。
で、そこでね、あの所要で行けなかった父の代理として、17歳のね、A1がね、初めて行くわけ。
うん。
で、そこであの、御用金っていうのを求められるの。
御用金っていうのは、まあ寄付だね。
うん。
もう帰ってこないお金。
あー。
年貢とはしかも別なわけよ。
うん。
なんかその時はね、大名の娘が結婚するから御用金を出せって言って、
うん。
で、渋沢家って結構豊かだったから、
うん。
そういう御用金を命じられんだよ。
うん。
で、負担額はね、500両って言われてて、
なんか結構多くない?それ。
そうそう。しかもね、渋沢家の話だと、その前にもトータルで2000両ぐらい出してたらしい。
うん。
それで、やっぱ不満があるわけよ。
うん。
本来だったらさ、もう絶対じゃん、上の言い付けっていうのは。
うん。
だけど、父の代理なので即答はできないっていうふうに答えん。
うん。
で、そこでさ、やっぱり怒るわけよ。取り立てる方も。
うん。
で、500両ぐらい自分の一存で承知できるはずじゃって言って、罵倒されたんでね。
うん。
そういう経験がね、この幕藩体制における身分社会に対する批判だったりとか不満を強く意識するようになってったんでね、渋沢一って。
うん。
だからね、この後ね、ちょっと尊能上位とか倒幕に傾いていくんだよ。
あー。
だから、剣術の稽古も農民でありながら始めるんだよ。
うん。
そう、なんか小高隼中もそうやってて。
うん。
で、そこもね、結構あの尊能上位の思想が、美都学とか習ってたから。
うん。
で、そこで神道無念流っていうのを習ってたんでね、剣術。
うん。
これ伊藤博文とか高杉晋作も神道無念流なんでね。まあ余談だけど。
ふふふ。
じゃあまあここでですね、渋沢一っていうのは尊能上位に大きく傾いていくわけなんだけど。
うん。
まあちょっとね、一回ここでね、区切りもいいので、今回青年期のね、序盤編というか。
前半ですかね。
終わりにしたいと思います。
はい。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
はい、ありがとうございました。