1. 空地的ジンブン学
  2. #2 猫とノートは喋らない/作..
2022-11-10 30:44

#2 猫とノートは喋らない/作品にテーマは必要なのか?

飼っている動物との関係について。物語にテーマは必要なのか?作品を作者の話として捉えられてしまうのは?結局分かってもらいたいよね。
00:00
イジン馬とかいらない。 だいうのねえは、マシュマロキャッチをやれ。
はい、いきまーす。
本当はどうも。
はい、ウジョラです。 松崎です。
中村です。 渚です。
えっとねー、俺さ、あの、あれなんや。
なんか、最近さ、犬とさ、犬飼ってるんだけど、犬と一緒に寝るじゃん。
犬ここにいるじゃん。その時に思うんだよね。犬は俺、何を感じてるんだろうかと思って。犬の目ってさ、袋でさ、塗りつぶされてるわけよ。
感情がわからないよね、正直。 犬って感情がわかりやすいって言うじゃないですか。
って言うじゃん。なんか俺はそれはなんか、パッケージの部分だけの感情に覚えるみたいな。
これ、うがった見方すぎかな。
でも、もうさ、あれぐらいの、もういわゆる畜生なわけだからさ、パッケージ以外の感情ってあるの?俺の猫飼ってるけど。
あるだろう。 どうなんだろうね。
俺に、なんか、何かを感じていてほしいよね。
でも猫はね、本当に感情わかんない。何考えてるのか。
遊んでる時はね、すげー遊びたがってる。
今日も家族誰もいなくなったら、もうおもちゃ口にくわえて、もう家じゃあちこちしてにゃんにゃん鳴いてたし。
まあ、それに比べたらわかりやすいのかも。
なんか中食べてる時って、こっち見るって、たぶん欲しいんだからあげる。
甘えたい時はひっくり返る。みたいな。
俺もなんかそういう感じのかわいい人間になって、素直さが欲しい。
でも俺は猫なでてるとさ、すげー喉鳴らすわけじゃん、ゴロゴロ。
その時だけなんかこう、お互いが一致してるっていうか、コミュニケーションが。
俺がなでたり、向こうがなでられて嬉しいっていうか、すごくいいというか。
なんかやっぱ信頼関係築くにはさ、お互い弱みを見せないといけないからさ。
そういう意味ではなんか、うまくやりたいのかもしれない。
でも俺どっちかっていうと、猫は俺のこと理解しないのがいいんじゃないかなって思ってる。
猫はね、犬は違うよ。
犬はパートナーなのよ。分かるかな、この。
犬は人間いないとダメな動物だから、基本的には。
絶対ダメな人間動物だから。
あっちも甘えてるんだけど、その先には何があるのかと思っちゃうよね。
あー、ね。
猫はその先がないからね。
そうそう。
それがいいところだなって思う。
そうそう、猫は羨ましいですよね。
俺はもうだから、家帰ったら猫に、きょうさーってずっと喋ってるけど。
これ分かる。
俺なんかちょっと犬いじめるのが結構好き。
こっち来た猫、手で止めたりするのが結構好き。
かわいそうに。
ま、インコだったんだね、うちは。
うちはインコだった、コトリだったんで。
そういう話はあんまないですね。
いやでも、俺はもう動物とキャンパスの音はこっちに喋んないのがいいと思ってるから。
あー、いいこと言うね。
いいですね。タイプですね。
俺はもう喋るだけでいいし、書くだけでいいっていうのがすごく好き。
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確かに俺はあいつに多く求めすぎなの。
もうちょっと減らした方がいいのかもしれない。
なんで人間同士のコミュニケーションはさ、人間と猫みたいにいかないの?
確かにね、確かにね。
すごい、人間と猫でこっちが優位だからちょっとずるいのかもしんないけどさ。
猫みたいな人間とはなんだろうね。
どこの差があるんだろうね。
猫みたいだね。
でもたまに猫羨ましくなりますね。
猫は猫でつらいことあるんだろうけど、あいつらずっと家にいて傷つかないじゃん。
うーん。
社会見えてないから。
音も子もないこと言いやがる。
ずりーなと思う。
変わってくれよっていつも言ってる俺猫に。
分かるな。あいつ散歩終えたらすのきの仕事全部終わってきて全部寝るから。
俺もそういう生活してみたいね。
もうあいつ人がそばにいて飯食えればなんでもいいと思ってるからさ。
分かる分かる。
なんか果たして俺になっついてるんだろうかとか思わない?
あー思うね。
俺以外の家族でも普通にやっていけるんじゃないかこいつはっていう。
あー。
ありそうやからさ。
確かにね。
そういう感じなんです。
犬かね。
犬っていいよねでも。やっぱり俺犬はないの。
あーそうなんすね。
女の子だよね。犬って女の子みたいに思うんだよね。
いやマジでそうなんだって。
ちょっと言い方よくないけど。
それはあなたが女の子に犬的なものを求めてるからじゃなくて。
そうかもしれない。
そしてそれはあなたがヘトロステクションの男性だからでしょ。
あー確かにね。そう言われてしまうと俺の問題なのかもしれない。
俺も犬いつか海辺の街で犬飼いたいと思ってますね。
あーいいじゃん。
行ってらっしゃい。
川で育ったんで。
どっかいつか海にたどり着きたいっていうのもありますし。
シャケみたいな。
で海であのー海辺の街で犬飼って犬の散歩して。
でも犬以外と誰とも喋んないで暮らしたい。
白い家がいい。
ネバヤンだったらピンクに塗るよね。
そう。今も俺も。
ブランキージェットシーター達なんで。
人よくわかんないけど。
まあね。
普通に大型犬がいいな。
俺は小型犬好きじゃないから。
小型犬って怖くない?
一番怖いのは足細い犬が一番怖い。
足細い犬。
一応足細い犬いるし。
あれって言うてる飼い主ってだいたい5匹くらい強くない?
分かる分かる。
足細い犬がいっぱいいるのって一番怖いよね。
小型犬怖いわ。
あとトイプードルダメだわ。
トイプードルダメ。
チワワ怖いな俺。
チワワってめっちゃ怖くない?
なんかあれがあるわ。
危ないところ全然行っちゃう小学生みたいな怖さがある。
自分の小ささ理解してないから怖いわ。
06:00
ああそういう感じ。
俺マジでなんか普通に腹立つわ。
それは心狭い人間だけ。
心狭い人間だけ。
犬に怒んない?
俺あとさ一回友達にドン引きされたのがさ
代々木公園にいたんですよ友達と。
友達が散歩している犬を見て
独欄から犬可愛いなって言ったら
お前まともな人間ぶってんじゃねえよって言われたんですよ。
そしたら何なのお前って言われてドン引きされた。
確かにドン引きできそうだったよね。
今ちょっと引いたくてね。
今引いた普通に。
引いちゃいましたね。
いいですね。
そいつは中高同じ価値観で生きてきたから
お前みたいな人間が犬可愛いとか言ってんじゃねえぞって思った。
言える権利もありますよ。
ちょっとドン引きですね。
ちょっと全然ここで言ったからといって
そんなことないよって言えるわけもなく
普通にドン引き。
100人中100人がドン引きですね。
でね本題ね。
本題です。何ですか本題は。
さっき俺がフライングしちゃった感ありましたけど
どうしてもやりたくなっちゃったね。
小説に?小説ですか。
芸術作品にテーマがあるのか問題ね。
結局さこう芸術家の大学に通ってるとさ
企画書書くわけですようちの学科。
書けます?書く?
書く書く。
フロットっていうシナリオだから企画というのが。
いやフロットの前にやるのよ。
やるんだ。
映画なんかは。
やるやるやる。
一言でログラインみたいな内容。
画筋書いて設定全部書くっていうのを送る。
だから企画書に近いと思う。
でもテーマ書く。
これがどういうことを伝えたいのかみたいな。
テーマは必要ではない。
主題がねいるわけよ。
特に映像とかだと。
企画書の段階で。
主題をさ規定するとさ
主題のための説明の物語になっちまうんじゃないかっていう。
分かる?
分かるよ。
最も難しい。
っていうので。
ちょっとした道徳な教科書で見てくるってこと?
そうそう。
切羽になっちゃうんじゃないかっていう話があって。
つまりその主題であるのかっていう。
小説ではよく言われてることだよね。
うん。
映画に向いて。
映画っていうか全般でいいかな。
全般。
俺はどっちかっていうと物語は物語としてテキストとして存在するっていう感覚がすごくあるから。
その中テーマを一つに絞っておもろいっていう。
それはあるね。
ただある程度面白いところは
作者がテーマを一つに絞ったつもりでも読み手はそう解釈しないことだと。
大いにやりたい。
だから物語が多面的な要素を持つというか。
09:00
そこが面白いところだと思ってる。
そうそう。
逆に作者が一つのテーマに行き過ぎると
その多面性が失われて面白くないんじゃないかっていうのも松崎の考えなんじゃないかな。
まあそれもあるな。
でもテーマがあった方が売りやすいよね。
まあね。
なんかよくないのは作者のテーマが出てることな気がするんでね。
主人公のテーマが提示されてるのはすごい面白いんだよ。
主人公が何を目指してるのかっていうのは。
読者が当てばもういいのよ。
それは勝手に共感してくれるものだから。
それはなんか強化性の高いキャッチーかどうかという問題になってくる。
作者側が透けてるとやっぱり作技性が透けてて
こちら側としてはなんかそうしたかった。
でもなんかその作者が人生における追い求めてることを
作品の中で表してるってのはわりかし嫌いじゃないけど。
それはバレるかどうかだよね。
別にバレててもいいな。
バレてても大丈夫?
バレてても大丈夫。
三島とかそうじゃない?
まあそうだね。
全然三島文学好きですけどね。
そのために作品が組織されてると面白くないってことなんだろうね。
それはよく三島が批判されてるところだよね。
たぶん三島の価値が下がるわけでもないからね。
ないですね。
でもやっぱそのね、あと一種のね、
今の大学の映画学科の簡単な課題の企画書だからってのがあると思うけど
テーマのちんぷさとか記号性みたいなのがちょっと嫌なところがあると思う。
簡単なものしか作れない状況でテーマ、
作る癖は必要なんだかもしれないけれども
そこで例えばさ、なんかこう友達の大切さに気づくみたいな
そんなの作りたくてやってるわけじゃないじゃんこっちは。
そうだね。
それがちょっと俺は嫌かなって。
でもやっぱなんかその人とか人生に対してテーマってないじゃん。
そこに存在してるっていうか生活も。
そっからいろんなものを呼び取れるっていうのが
物語においても重要なんじゃないかなって思う。
物語が物語として既に存在している。
強く芯があるっていうのが俺結構思いまとめてることかもしれない。
テーマってさ、あれじゃん。なんだろう。
流れが絶対あるじゃん。時間軸が。
これはもうベルクソンの受け入れそのままだけど
流れが絶対ある中でテーマっていうのが生まれるけど
我々の生活は別にその量的な時間の流れの上でセコースで動くわけじゃないじゃん。
質的なもの、断片的な記憶の時間でコースされてるわけで
その上でなんかテーマっていうものは
意外とテーマとして作者が作意性を持って作るのは
結構今の時代難しいというか放棄してる人が多いよねやっぱり。
わかんない。ジャンルによると思うんだけど
音楽って言うと思うんだよね結構。
テーマは一貫してるけども
12:02
ただそこになんかなんだろう。
あんまり強いテーマを持ってこないんだよね意外と。
わかる?なんか女の子で夜踊ったみたいな。
だからテーマで引っ張ろうとしてないのが結構見受けられて
それは多分やっぱりミル側のシンパシーを得る
ミル側のテーマ、ミニマルなテーマに沿うことの方が重要であって
音楽は難しいかもね。最近の人歌詞聴きすぎるってよく言うじゃん。
ビートルズとかだって歌詞めっちゃこう適当だったりするし
ロックでね。叫びというか。
そこが良さだったりするけど最近は歌詞聴きすぎてるってのもあって
そういうのを逆に人々が求めてるのかもしれないよね。テーマとか。
またファースト教諭の話になってきちゃうじゃん。
俺らファースト教諭に恨みがありすぎる。
でもそういうことなんだよ。テーマっていうのが分かりやすく提示されてた方が
ミル側も見やすいんだよ。ネタバレよく言うじゃん最近。
ネタバレしてから内容をあらすじ見てから映画見に行く人がいるとか
分からないっていうことが悪とされてるんだと思う。
分からないものを分からないままにすることが。
だから最初からこれがテーマなんですってことを提示された上で見た方が
そういう念頭において見た方が理解できたつもりになれるじゃん。
俺だから音楽評論をあんまり立ち位置として存在すべきなのかなとよく考えるよね。
音楽ってそういうもんじゃないじゃんっていう言い方としてはもどもこないけど
評論の流れってさ、今ってだいたいさ、
その人の人物背景とかを探る方向に行くじゃん。音楽とかって。
そうだね。音楽は確かにその姿勢がちょっと重要かもね。
だからでもそれってどうなのかなって思うよね。
作品自体じゃない?
作品自体じゃないし。
他のジャンルでどうなのかっていうのはまた分からないかな。
でも秘書って作品自体じゃないかな多分。
作品自体なんですよ。それで多分レビューとかさ、
でもその作品自体を見ることがあっても、
作家を見たりもするし、いろいろ反射したりする。
難しいんだよね。
結構文脈なんだと思うよ秘書はやっぱり。
どういう流れでこれができててっていう背景を明らかにする中で、
音楽、歴史全体に捉えた時にそれはどういう意味合いがあるかっていうのを定義つけるっていうさ。
なんかでもそれって考える必要あるのかなって、
ちょっと思ってた時あるんだよね。
いわゆる歴史の記憶がさ、
今すごい複雑化して分からなくなってきてるんだよ。
いろんなミキシングがされてて。
音楽は同時多発でもあるしね。
そうそう。だからそこに一個で焦点を当てて、
15:00
前ガレージロックのプレイリスト作るとき考えたんだよ。
ガレージロックの系譜というのは確かにありますよ。
ウィルコ・ジョンソンから、ミッシェル・ガイランファントから、
海外だったらウィルコ・ジョンソンからの悪夢に続く系譜があるじゃないですか。
でも元々ガレージかどうかって、
ガレージで演奏してるような男たちの適当なやごたいロックというぐらいの意味しかないわけじゃないですか。
そこをなんか、この系譜付けることに意味があるのかってなっちゃうんですよね。
聴く側にとってそれは負担にしかならないんじゃないか。
それはあれだよね。ジャンルに分けることのナンセンスだと。
そうそう。よく言われるってことだけどね。
ただそこに存在してるってだけじゃダメなのかなって思うけどね。
人間はでも意外とダメなんだと思うんだよね。
ほっといてもレビューはしちゃうし、そこで伸びていくものもあるし。
なんか存在しているという、そこは難しいね。
音楽というものの聴き方にとって、いい作用があるか悪い作用があるかというのは、
俺の意見は少ないあるわけだけど、
確かに藤原の話を聞いてみると、
そこに存在すること自体は別に悪ではないから、
我々がどう向き合うかという話になってしまうよね、結局。
なんで物語は何かのために存在しなきゃいけないんだろうって思う。
俺は、その登場人物たちが各自の意識を持って、各自の意識のために動いて、
それによって作用が起こっていくさんを描いているわけだけど、
それ全体が何かを示させなきゃいけないのか。
それが何かのために存在しているのかって言われれば、
それはそういうことなのかなと思う。
むらかみはるきはわからない問題だよね。
どういうことですか?
むらかみはるきがわからない人って言うじゃん。
むらかみはるきのこと?
むらかみはるきをそいつがわからない人。
あれっていうのは、結論を出せないままでいるということが納得できない人たちは、
むらかみのはるきの作品によるけど、
よくあるポストマダのこのメタファーの綱によって全体が浮かび上がらせるぼんやりとした
っていう技法の良さがわからなくなっている。
あと全体的な問題の解決みたいな物語じゃないしね。
それはあるよね。
でもその平坦さが良かったわけじゃん。若者の心には。
でもあらゆる古典小説でそういう系譜じゃないですか。
むらかみはるきが影響を受けてきたみたいな。
そうだね。
なんかポスト映画の話か。
18:02
話になっちゃったまた。
俺は今はるきになってるから完全に。
俺はミュージシャンになってきたんだけど。
だからでもポストQのやつがはるきを二文で表そうとしてたからね。
みんな怒るよね。
だってね、はるき以外にもいろいろありますけど。
高橋玄一郎だってストーリーは合ってないようなもんだから
言ってしまえば
一番インパクトで言ったら名前じゃないですか。
その情報だけで聞いても何の意味もないじゃないですか。
またポストQの機能になっちゃった。
テーマが必要なのかって思う。
あるものをあるままで捉えるっていうことは
偏見とかとも近いわけじゃん。
あらゆる人が
レッテルバリとポストQってほぼ一緒なわけじゃん。
短くしてしまうことで確かに間違いではないけど
全く正解ではないわけじゃん。
いろんなものを取りこぼしてるわけじゃん。
だから取りこぼしたもの全体の相対として
人とかものがあるってことを考えた時に
ポスト教養ってあるんだろうね。
陰キャ陽キャみたいな社会のさ。
すぐ人を分けて整理したがるのと
メカニズムが近い。
だから理解できるように
あいつは陽キャだから距離を置こうとか
あいつは自分をどうカテゴライズするか
相手をどうカテゴライズするか
レッテルバリをしていろんなものを削ぎ落とすことで
自分の世界が見やすく
複雑な世界に肩をつけてるところがあるかもしれない。
ずれてるけどね。
自ら自分をあえて定義つけるというのもあるしね。
あと話はずれますけれども
かなりずれるけれども
文章を書いてる時に
それを人に読んでもらった時に
あなたはこういう風な人なのねって思われることがあるんですよ。
それってなんかどういうことなんだって
物語が物語として僕の手から離れてるつもりが離れてないというか
金子屋の問題ね。
金子屋の問題だよね。
金子屋は日常的なことを切り取って音楽にしてるけど
それが本当に金子屋のことだと思われてるっていうことなんだよね。
やり方としては上手いけどね。
特にミュージシャンなんかは
本人がいるからね。
本人が歌ってるっていうのが大きいよね。
本人が歌ってるっていうのは大きいよ。
21:01
パソコンバイアスがかかるのもある。
私が書いてるのは小説、プロットってものなんですけど
私はプロットを書いた時に
女の人に初恋引きずってるって言われたし
ノートを書いた時に
本当にあんたのことみたいなこと言われたし
これ私のことって言われたことある?
そんなわけねえだろって思って
それはないね。俺の人生では。
結局エアリブだと思ってる人がいるのよ。
結局この昔なんじゃないかとか。
ゴシップ的に取る人がいる。
我々は学科内、専攻内で課題を見せたりしあってますけど
そういうことで誰が書いたからっていう目線があるかもしれないけれども
それにしてもすごくゴシップ的に物語を見てるっていうか
それはもうちょっと大きいフィールドがあるんじゃない?
有名な作家の小説家としても
これその人のことだと思っている人は割といると思うんですよ。
例えば村上隆の陰でなくとみちかみブルーとかは
本当に村上隆の体験だと思われて
稀ちょっとそういう手法を取ってる人が主人公の名前で言うかしら
だけどそれでもすごくセンセーショナルな話題を読んだというか
今の若者はこうなんだみたいな議論が行われたわけじゃないですか。
そういう見方ってやっぱりされるもんなのかな?
村上隆にあれはちょっとあるかもしれないけど
村上隆はやり方がかっこいい。その後の小説をいろいろ書くことで
俺はいろんなの書けますよっていうのを提示してる感じでかっこいいよね。
でもその方がわかりやすいよね。
理解するべきな補助付箋で本人のことなんだっていう補助付箋を聞くことは
わかりやすくなるよね。
でも難しくない。物語を書くということの素晴らしさっていうのは
自分のこと自分の考えていることを書いてて
それが自分の枠からはみ出ていくことが面白いわけじゃん。
アウトオブコントロールのほうが面白い。
すごく小説を書いているときに思うんだけど
登場人物を大抵自分を意識分割させて討論させたりとか
肯定させたり否定させたりして物語を作ったりすると
途中でそれぞれの意識が独立して動き出して
俺が考えていなかったことにたどり着いてくるというか
それがやっぱ面白いっていうのがあって
それがあったんだけど
個人のこととして捉えられるといつまでもそう
ゴシップ的に捉えられてしまうというか
あと基本的に僕は一日中僕の視点で文章を書くつもり
書くことが多いんだけど
それが故にゴシップ的に捉えられるしもあるみたいな
24:03
さっきのテーマの話にもつながってきたけど
自分の手から離れていくっていう感覚が面白い
テーマを先に決めるとテーマに沿ったものしか作れなくなるというか
テーマが後に来るべきなんじゃないかと思うんだよね
それはそうだよね
抽象性から具体性に落とし込んでいくっていう作業は
誰しもが作家としてやってくるんだけど
その具体性が抽象性を新たな作用に呼んでくるっていうのが
やっぱ面白いわけで
どうしてもテーマに沿った物語作りをしていくと
やっぱ面白くないんじゃないかなと思うんだよね
作者が作品に対して思うテーマも
読者としての作者でしかないしね
そうだね
あとは作者がちょっと大きすぎる時もあるよね
でもそれは国語の問題的な問題なのかなと思う
作者がどう考えているのかとかよく言うじゃん
俺あれなんかナンセンスだなって子供の時からよく思ってたんだけど
重要なのはテキストの中でどうあるのかであって
作者がどうあるのかっていうのはそんなに関係ないんじゃないかな
やっぱり受け取り手側にとってのテーマの方が重要でやりたい
受け取り手がどう思うのかっていうのが大事
そこは制御不能なのがすごいところなんで
それがやっぱ物語とか
テーマはあんまり強く出さない方がいいよね
これはこれで私はこういう人間でっていうのが
行きすぎるとそうなっちゃうのほんとにね
見てる側がテーマを感じ取れないような
一つのテーマしか感じ取れないような小説になってしまうっていう
でもそう考えると
藤原にそう言った人にとってみれば
これは藤原が自分の引き継ってる初恋を書いた小説なんだっていう風なテーマに受け取られたとしても
それは一つの小説の読み方として
作者はもう預かり知らんところなのかもしれない
いやまあ預かり知らんところでありますよ
ただ私は別にそれに対してどうこう言うつもりもないけど
いや腹を立つだろっていう話がある
腹立ってるのも読者である藤原としての腹立ちでしかないよね
もうお前の手を離れてるわけだから
その人からしてみれば
それが初恋を引き継げる小説に他ならないわけじゃん
なるほどね
自分のコンテンツは自分との距離感
孫ぐらいって言ってる人もいて
ちょうどいい?わかる?
あー孫ぐらいだね
息子は近いのよ
責任問いはしてくれないから
孫はビリで責任問わなくていいって言ってる
俺も書き終わっちゃったら大変だな
でも最低限の責任があるわけじゃん
まあね
だからおじいちゃんとかおじさんぐらいの
確かに
そうそう
そのぐらいのポジションでいくのがいいと思う
だから確かにクラブ開けると
作者と作品の近づいて考えすぎるのはテーマとかの話というより
どうコンテンツを授業するかっていう話の方なんだろうね
でも難しいのがさ
ごめんすげえくだらない話かもしれないけどさ
27:00
俺が作品を書いて読んでもらった時に
全く分かってないと腹立つよね
それは腹立つよね
腹立つ
なんで伝わんねえんだよ
それはすごいなんだろう
一番初歩的な初期的な感情ではあるよね
それはもちろん
それはもちろん起こる
もうなんなのっていう
わかるわかる
でももっと高いレイヤーで考えたら
その人なりの理解をしているわけであって
それは作者である
それはその作品自体から
その人が引き出した理解だから
そこに対して腹立つわけにはいかないとも言える
そこ難しいのよね
とも言えるよね
そこ難しいんだよね
やっぱりだから他人なんだよな
もう他人なの
その難しいのはやっぱ誰でも分かるように作ってしまうと
やっぱ面白くないわけじゃないですか
そうだね
誰でも分かりやすく分かりやすく伝えやすくっていう方向に行くと
どうしても作品っていうのは
その作品の良さとか物語の素晴らしさみたいなものを失っていくから
そこが問題だよね
確かに
誰でも作ったり作れたり
誰でも分かりやすくみたいなものなんて書きたくないわけじゃないですか
だからこそやっぱ伝えていくために
技術部層の部分もあるからね
そう考えるとどう受容されるのか
読者次第ならさ
関係ない
猿みたいなものとかいうこととかじゃなくて
そもそももう作っちゃっても
相手がどう見るかだけなのかもしれないって気持ちで
そういうのもあるよね
やっぱその講説上手くできるかできてないかもさ
マジで読者の霊気に振るのかもしれないっていう
でもそうなった時にさ
本当にそれがいいか悪いかが判断
観客が仕掛かれるから
やっぱりファスト教養的な
そういう補助宣言が必要になるのかもなって
ちょっと今俺は頭の中で大旋回しちゃったんだけどさ
だから作者と近づけて考えたりするんだろうなっていうのもあるね
あるかもある
自分の理解に対する信頼度が低いから
作者の実現性を引き寄せた上で
この人がこういう人生を生きてるからこういう風に書いたんだな
ってなったら理解できるじゃん
あるいは評論に走ったりもしますよね
すぐ考察を見たりとか
考察と評論は違うっていうのは言いたいよね
そうじゃなくて漫画とかでさ
すぐこれがどういうことなのかって評論見たりする
ごめん言い方間違ったけどね
そういうことなのかもしれない
そういうループが発生しちゃって
ループ&ループってことですね
終わり続ける
ギリギリギリギリ
ポッドキャストギリね
そこはまだ歌ってないからね
まだ歌ってない
ということで終わりますね
お疲れ様でした
30:44

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