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  2. 発声(2) 迷惑ってなんだっけ?
2023-07-14 15:04

発声(2) 迷惑ってなんだっけ?

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サマリー

オオワダさんは、発声練習の場として自身の考えを話すポッドキャスト「リスン」を開催されています。前回の話題では、オオワダさんの思いがお話されましたが、今回は「迷惑ってなんだっけ?」というテーマでお話が進められています。今回のエピソードでは、迷惑についての考え方や関わり合うことの重要性について語られています。

オオワダさんの思いや野球界の動向
あ、え、い、う、え、お、あ、お。オオワダ発声練習です。1週間ぶりの練習です。
前回もね、たまたま金曜日でしたけどもね。今回も金曜の夜に撮っています。
前回は、文化資本ってなんだっけというテーマで、思っていることのね、先週思っていることを喋ってみました。
そのエピソードを、リスンというポッドキャスト、ポッドキャスト発信者と受信者、話し手と聞き手向けのサービスで書き起こしして、自動で目次も生成されたところですね。
あの、野球界の動向と大谷翔平の活躍っていう見出しがね、出ててね。
前回僕は、あの大谷翔平選手の活躍について喋ったことになってて、面白かったですね。でも目次にはね、それ書いてあるんだけどね、中身にはね一切出てこないから、何がね、あったんだろう、なんか混ざっているのかなという気がしました。
今回は、迷惑ってなんだっけというテーマで話してみようと思って、録音開始しています。
この〇〇ってなんだっけ、シリーズとしてやっていくと面白いかもしれないなと思い始めているところです。
僕は1983年に日本に生まれて、40年経ちましたね。40年間とはちょっとやってきて、他人に迷惑をかけるなっていうのは、もう繰り返し言われてきたなという体感があります。
親にもね、多分言われたことはあって、ただ、そんなに、親にいつも言われてたなという感じはないので、うちの親はそれをすごい何度も何度も口すっぱく言うっていうタイプではなかったと思うけど、でも多分言われたことはあると思いますね。
迷惑と聞いて思い浮かぶこととしては、例えば僕の身近なところだと迷惑メール、スパムメールの類があるので、まあこういうのは確かに嫌ですよね。
Twitter やってるとね、最近僕、じゅんにきゅうっていうツイッターアカウントからじゅんぼくっていうツイッターアカウントに繰り返しをしたんですけども、
じゅんにきゅうの古い方のアカウントはもう新規のツイートとかはしてないんですが、ひたすら毎日ね、あの迷惑メッセージみたいなのが届くから、その度に未読マークみたいなのがついて、
どうせスパムだろうなと思って見に行ったらそうだっていうのがあるんで、まあ確かにこれは迷惑なんで、こういうことはやってほしくないなっていうのはわかります。
他の例で考えてみると、例えば僕の自宅の隣の家の人が深夜にね、毎日深夜になったら爆音で松剣サンバーを流すような感じだと、
睡眠に支障が出るからね。 まあ嫌だなぁと思いますよね。
具体的に、例えばそうだね、利益目的の何かしらのリンクを踏ませるためのメールを一方的に送ってくるっていうのは、これは何ていうか犯罪じゃないですか。
金銭目的の詐欺的な行為なんで、それは詐欺は良くない範疇であるし、あるいは深夜に爆音で松剣サンバーってなったら、
もしそういうことがあれば話に行って、ちょっと眠れなくて困ってるんでやめてもらえませんかって言えばいいから、
個別の事象であればそれは話して解決していけばいいのかなとかね、仕組みで解決していったりすればいいのかなと思います。
一方こう迷惑って言うとね、人によって何を迷惑とするかって解釈に幅があると思うので、
認識がうまく合ってない状態で人に迷惑をかけるのは良くないよねだけがルフしていくと、
別にそれはやってもいいのにっていうことを遠慮してやらなくなったりとか、そういうデメリットはありそうだなと思います。
迷惑についての観点と標語の問題
こういう時はね、試しに一つ辞書を引いてみると、小学館デジタル大辞典では迷惑はこのように説明されています。
ある行為がもとで他の人が不利益を受けたり不快を感じたりすること、またそのさま。
またそのさまっていうのはね、辞書っぽくて好きな表現ですよ。
これで言うとね、僕は迷惑かけながら生きてるだろうなぁとしみじみ思いますよね。
僕こうしてね、ポッドキャストで発信したり日記にその時思っていることを書いたりしてるので、
それによって不快を感じる人はまず間違いなくいるだろうなと思います。
だから迷惑をかけないってなったら一切の発信をやめるっていうことに、
それが最適解ってことになると思うんですけども、それを選んでないんですよね。
生きてる以上、誰かしらに何かしら作用してしまうことはそうだし、
そもそも他の命をいただいて生きてると思っているので、
そもそも開き直っているというかね、ある意味では開き直っていて、
他人とか他者に迷惑なり影響して生きていくぞというつもりでいますね。
だから他人に迷惑をかけてはいけないみたいな主張って、
他人に迷惑をかけずに生きていけるっていう前提を含んでいるなと思っていて、
そこにはね、結構考える余地あるんじゃないかなと思っています。
あとまた別の観点からすると、標語ですね。
行動変容を促すなら〇〇するなより〇〇しましょうの方がベターという話はよくありますよね。
これは分野的には教育学とかでも言われているような気がするな。
だから例えば廊下を走ってはいけません、ここは走ってはいけませんというよりはゆっくり歩きましょうと、
具体的に何をするのがいいのかを示す方が望ましい行動をより引き出せるようになるというのがありますよね。
だから迷惑をかけるなっていうのは、こうしろってことは言ってなくて、
なんかやっちゃダメなことがあるけどそれが何なのかはあんまり具体的に書かれてないから、
行動が減る方向に作用しますよね、こういう時ってね。
例えば、俺の機嫌を損ねるなよっていう人がいたら、何が機嫌を損ねるかわかんないから、
晴れ物っぽくなって、まあちょっと大丈夫な気もするけど、機嫌損ねるかもしれないからやめとくかみたいな感じになって、
結構ね、消極的になりますよね態度がね。
で、他人にっていう他者の存在が含まれている標語なので、
他人に迷惑をかけるなっていう標語は、他者との関わりをちょっとずつちょっとずつ減らす方に作用する良い聞かせだなと感じています。
ここは結構ね、デメリット大きいんじゃないかなと思ってるんですよね。
今年になってから僕、近所というほどでもないんだけど、市内の小学校の学習支援ボランティアっていうやつに関わらせてもらっていて、
小学校の特に低学年の授業の授業中の教室に僕も入っていて、
何か困っている児童がいたらサポートさせてもらうとか、担任の先生、授業を担当する先生だけでは手が足りない、目が行き届かないことがあったら補助をするというような関わり方をしてるんですね。
小学校の教室を見ているといろんな軸があってですね、
よく思うのは学力と呼ばれるようなね、定期的な試験で高い点数を取れるかどうか、
もっと言えば教科書に書かれている内容、授業で扱っている内容をすっと理解できるかどうかっていう学力みたいな力はもちろんよく見えるんですけど、
また別にうまく他人の力を借りられるかどうかっていう力もすごく児童ごとにばらつきがあって、これもよく見えますね、教室にいると。
なので2つの軸があるとすれば、授業の内容もよくわかるし、うまく他人の力を借りられる人もいれば、
授業の内容にはついてきているけど、他人の力を借りるのはあまりうまくない、そういう力は弱い人いれば、
結構授業の内容はしばしばなんだろうとわかんなくなっちゃうこともあるけれども、その度に、
例えば僕がいる日であれば、
ジュン先生ってこれ何て読むんですか?ってすぐ質問してくれて、すぐにキャッチアップできる人もいたりして、
うまく他人の力を借りられるかどうかってね、僕から、あくまで僕個人からの見え方ですけど、
これなんかめちゃくちゃ、この人の人生を大きく左右するだろうな、これがうまい人は、
迷惑の意味
まあわかんないことあっても、それなりにうまくやってくだろうなーって安心するんですよね。
だから一方だから、学力が高くてもうまく他人の力を借りられない?なんか借りるのがちょっと下手?なんか照れちゃってるのか、
そういう訓練を受けていないのかで、うまーく質問したりできなかったりすると、
自分が今困ってるってことを隠そうとするから、そういうね、児童を見てると心配だなーって、そこ、
学力は心配してないけど、そこの部分は結構心配だなーって思うことはちょいちょいあるんですよね。
なんで、この力伸びたらいいなーと思って。
なのでね、あんまりね、小さいうち初等教育機関に身を置いてるような人に、
他人に迷惑をかけるなって言いまくる?なんか言いすぎると、こういったところでこれから長く生きていく上で、
この力あったらいきやすいだろうなーっていうところが伸びなくなる可能性は結構あるんじゃないかなと感じていることもあってね、
最近結構気になってるテーマだったので、迷惑について今喋ってるってことですね。
もし今僕がそれなりの規模の組織に属していて、若手の育成を担当している立場だとしたら、
例えばね、その組織で先輩に迷惑かけるなよーって、同僚に迷惑かけるなよーをやたられんこするマネージャーがいたら、
ちょっとそれやめてもらえませんかって相談するだろうなって思うんですよね。
組織においてチームで何かこう成果を出すぞと頑張っているときに、仲間を適切に頼るっていうのはすごく成果におさゆする大事な能力だと思ってるんで、
迷惑かけるなよーって言いまくるマネージャーとか、
ミドル層の人とかがいたら、ちょっとそれすごくデメリットを感じていて、
ちょっと迷惑だからやめてもらえませんかっていう相談になっちゃうんじゃないかなと感じてます。
でですね、社会を自分なり見たときに、まず人と人は関わり合っていきましょう。
で関わったり、質問したり相談したり連絡してみたりしたときに、
ちょっと質問相談ありがたいけど、質問がすごく多くて処理しきれないから、
ちょっとこういう形の質問に変えてもらえないかって感じで、
まず質問するとか関わり合うところから始めて、それから距離感を調整していく、
適切な距離を目指して調整していくっていう風にやったらいいんじゃないかなと考えています。
デフォルトが関わり合わないになると、困っていても声を上げられなくなるし、
困ってる人がいても気づけなくなるから、
どんどんどんどんね、自己責任みたいなものが強くなって助け合うこともできなくなって、
問題が、実はその場には構造的な問題があるのに、それにも気づけないまま、
実はたくさんの人が同じ問題で困っていて改善も遅れるみたいなことがあって、
社会がどんどん窮屈になっていくんじゃないかなと思うので、
迷惑についての意見
この他人に迷惑をかけるな、みたいな言説は慎重に扱わないと、
あんまり良かれと思ってやっていることが、あまり良くない結果を望まない結果をもたらすこともあるんじゃないかなと、
最近思いました。
そんなことを思ってね、この発声練習で、迷惑について話そうと思ったらね、
たまたまこの収録日の昼間にね、
東京大学大学院法学政治学研究科と法学部の学習相談室っていうところのウェブサイトに、
運営委員相談員のコラムっていうページがあって、
その中のコラム53、迷惑はかけてもいいっていうコラムがあって、
あ、そうそうそう、僕も同じ気持ち、迷惑はどうせ生きている以上迷惑はかかるから、
ゼロにしようとするのは非現実的だと思うし、
迷惑なんていくらかけてもいいだろうってことではないんだけども、
関わり合うことを過度に恐れないのが良いと思うので、
これも概要欄にリンクしておこうと思います。
はい、そんな感じで、今日は迷惑ってなんだっけというテーマで練習してみました。
まだ何か〇〇ってなんだっけっていうテーマ見つけたら、
1週間後ぐらいにしゃべってみようかなと思います。
はい、最後まで聞いていただきありがとうございました。
また次の練習でお会いしましょう。バイバイ。
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