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新約聖書マルコの福音書12章38-44
イエスは、その教えの中でこう言われた、立法学者たちに気をつけなさい。
彼らが願うのは、長い衣を着て歩き回ること、広場で挨拶されること、街道で定席に、宴会で神座に座ることです。
また、ヤモメたちの家を喰い尽くし、銘を張って長く祈ります。
こういう人たちは、より厳しい罰を受けます。 それからイエスは献金箱の向かい側に座り、
群衆がお金を献金箱へ投げ入れる様子を見ておられた。 多くの金持ちがたくさん投げ入れていた。
そこに一人の貧しいヤモメが来て、レプタ道家2枚を投げ入れた。 それは、1コドラントに当たる。
イエスは弟子たちを呼んで言われた。 誠にあなた方に言います。この貧しいヤモメは、献金箱に投げ入れている人々の中で、誰よりも多くを投げ入れました。
皆は有り余る中から投げ入れたのに、この人は乏しい中から持っているすべてを、生きる手立てのすべてを投げ入れたのですから。
以上です。 今日はこのところから、
全てを捧げ、委ねると題して見言葉を取り継ぎます。 皆さんおはようございます。
ちょっとレジュメの方の冒頭ご紹介ありますが、また後でネットの方で配信しますので、そちらをご覧ください。
タイトルがないんですけどね。 えっとですね、今日6月最初の日曜日ですね。
台風1号が先週来ましてですね、少しだけ荒れましたけども、無事に守られていることを感謝します。
野党の大地震から6ヶ月経ちました。 今朝もニュースでやってましたけれども、ほぼ浄水道は復旧しましたが、一番涼しいの方ですね、先頭のところはまだ浄水道が
使えなくてですね、家族が別れて暮らしている。 週末だけお父さんがですね、離れている金沢市の奥さんと子供3人を訪ねている。
そんなようなニュースがやっておりました。 そんな中で、方々の子供を覚えながら日々送っていきたいと思います。
さて今日のところはですね、 これまで見てきました通り、イエス様が神殿の中で教えている箇所です。
そして今日のところで主な登場人物がですね、2人出てきます。 それは偽善的な経験を装う立法学者。
それを彼らへの厳しい言葉、その後にですね、それと相反する 誠の経験に生きる女性の姿が退避されているわけです。
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その中からですね、3つのことを見ていきたいと思います。 最初はその立法学者について、後の2つはこのヤモメの女性について見ていきます。
一番最初ですけれども、まずは神様の前に座る人ということです。
イエスはその神殿の中ですね、その教えの中でこう言われた 立法学者たちに気をつけなさい。彼らが願うのは長い衣を着て歩き回ること、広場で挨拶されること、
街道で定席に、宴会で神座に座ることです。 これまで繰り返してお伝えしていますが、立法学者はですね、
ユダヤのサンヘドリンという、今で言えば日本の最高裁判所と国会にあたる議員さんと裁判官を兼ねた
メンバー、場所でありそのメンバーの中に立法学者をはじめとするイエス様の敵対者がいたわけです。
この立法学者をここでイエス様は取り上げてますけれども、政治的なリーダーであって、そして政治と宗教は
不可分なものでしたから、当時の宗教的なリーダーでもあったわけです。
この立法学者というのはですね、当時の旧約聖書とそこから生まれた伝統に非常に詳しかった。
そして自分自身が指導者であるだけではなくて、模範として生きるべきリーダーたちであったわけです。
しかしこの模範とすべき彼らの偽善をイエス様はここで暴いているんですね。
最近、ある国会議員が北海道の職員に対する態度で問題になりましたよね。簡単に言うと高圧的な態度。
その背後にはですね、プライドが高い。俺様は何だと思っているんだ?というプライドとかですね、虚栄心というものが潜んでいるかと思います。
指導的立場にある、この場合は政治家でしたけれども、立法学者は政治家であり宗教家。
この人たちの問題の一つはプライドや虚栄心だということがわかるわけですね。
そしてイエス様はこの続きの40節で、ヤモメの家を食い潰しと言っています。
本来は彼らは聖書で教えられているように、ヤモメやコジたちに施しをしなければいけなかったのに、
かえってそこから搾取をして金儲けをしていたということをイエス様は指摘していたんです。
これらの偽善的な宗教家の祈り、
すなわちこの宗教的な行為をですね、イエス様は取り上げています。
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神殿でですね、長い祈りをする、長い衣と長い祈りとありましたけれども、
この長い衣というのは、いわゆる宗教的な権威を持っているということを表していましたし、
長い祈りというのは、誰が見ててもですね、そういう神殿で立って祈っている様子がわかるわけなんです。
当然、これらは表面的で人に見せるためだけのパフォーマンスなんですね。
彼らは神様の真理や信仰の本質的なことを知るべき立場である。
誰よりもそのことを知っているのにもかかわらず、それを行わないで表面的に取り繕っている。
だからそのような指導的な立場であり、しっかり知るべき、そしてそれをもとに実践するべき立場であるからこそ、
神様の厳しい騒ぎが誰よりも下るとイエス様は伝えているんですね。
私もそういう牧師ですから、似たような立場ですから、私もこの身に詰まされるわけです。
と同時に私たちも牧師であろうが、そうでなかろうが、プライドとか金銭的な構造にかかわる面で、
神の御心の内を歩んでいきたいと思うわけです。
2番目、対照的に誠の経験に来た人、この貧しいヤモメです。
彼女の一つ目の徳は、神様に全てを捧げた人ですね。
彼女がニレプタを捧げた。
12章43節、するとイエスは彼の弟子たちを呼び寄せて、彼らにこう言った。
マコトニから読んでみましょう。
マコトニ、私はあなた方に言います。
この貧しいヤモメは献金箱に投げ入れている。誰よりも多く投げ入れました。
この前の箇所にあるように、金持ちは大金を捧げていた。
それは有り余る中からの一部でしかなかったわけです。
しかし、彼女はたったニレプタしか捧げなかったということですね。
それを後で説明しますけれども、この偽善の立法学者と対比されて、
彼女のことをイエス様は神殿で見ていて、
そこから教えようとして12弟子たちを呼び寄せたわけですね。
この献金するヤモメにイエス様は焦点を当てて、
弟子たち、そして私たちを教えているわけです。
44節にありますようにですね、
このミナは有り余る中から投げ入れたのに、
この人は貧しい中から持っているすべてを、生きる出たてのすべてを投げ入れたのですから、
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誰よりも多く捧げたとイエス様はここで教えているわけです。
イエス様がなぜこのように評価したかという理由が読めばわかります。
二レプタ同価はどういう単位かというと、
当時の最低の単価だったんですね。
今で言えば1円玉2枚みたいなことです。
その中で注目したいのはこの言葉なんですね。
すべてを投げ入れた、たった2円、でもそれがすべて。
彼女は当時の習慣として、
施しという恩恵を受けることができました。
真に宗教的に敬虔な人たちは、
神様に仕える、また神様の最も大事な言いましめの一つとして、
このような貧しい人に施しをするというのが当たり前であったわけです。
ですから、もしかしたら彼女はそのような施しを受けられるということも期待して、
今持っている全部を捧げたのかもしれません。
でもそれでもですね、イエス様の言葉で大事なことはですね、
2枚すべて。何が言いたいかというと、
2枚あったらですね、どうですか?
1枚を捧げて、1枚を手に取っておくということができる。
当時の賢い人も学者もそう言うんですね。
でも彼女は2枚とも捧げたというところが大事だと言うんですね。
で、私たちがここから学べることは、
単純にですね、全財産を捧げなさいって、
これ私が言ったらカルトになるんです。そうじゃないんですね。
そういう単純なことじゃなくて、実は大事な言葉はですね、
この生きる手立てのすべてって言葉なんです。生きる手立てのすべて。
この生きる手立てっていうのはギリシャ語で一つの言葉なんですね。
バイオスという言葉なんです。バイオス。
これバイオロジーとかですね、生物学のものとなる言葉バイオス。
で、いろんな意味がある中の一つに、
人が肉体的生命の賜物を投資する、または費やす方法を言うんですね。
自分の命とか自分自身を何に使うのかっていうことを、
このバイオスって言葉が表しているんです。
で、ここから何が言えるかっていうと、この彼女はですね、
ここから私たちが学べることはですね、
当然皆さんクリスチャンですから、
自分の命は神様からの贈り物であると考えてますよね。
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信じてます。で、その上で自分の命もそうですけど、
自分の生活そのものがひるがえて神様への
捧げ物であるという視点を持つってことなんです。
神様から私たちは命を賜りました。
そしてその自分が賜っている命を今度は
神様への捧げ物として差し出すということが
この山目の女性の献金から学べるわけなんです。
もう少し言うとですね、献身という言葉が
キリスト教の言葉でありますけど、それは単純に誰でもが
牧師とか宣教師になるということではないんですね。
それは何度も繰り返しますが、自分の生活そのものが
神様への捧げ物であるという視点を持って生きることが
献身なんです。だからそれは勉強しててもいいですし、
仕事をしててもいいし、遊んでてもいいんです。
でもそこにあるマインドセットの中に、私はこれを
神様への捧げ物として生きているんだ。
命、バイオス、投資しているんだ。
そのように考えて生きていることです。
だから繰り返しになりますが、カルトのように
全部の財産を捧げろという単純なことではなくて、
私たち一人一人が神様から命を賜って、
そしてその命を神様に捧げる。
あり程に言えば、神のために人のために投資する。
そのためにどう生きるのかと、皆さんが私たちが
置かれている場で考えて生きること。
別の言い方をすると、神様に応えて生きるということに
繋がっていくわけなんです。
一部ではなくて全てが、自分の全てが、
生活が神のものだという視点で。
実はその最たる模範を示した方は誰ですか?
よくご存知ですよね。教会で誰ですかと言うと
イエス様ですけれども、イエス様です。
イエス様の最大の証が十字架ですね。
イエス様が十字架の上で7つの言葉で叫んだ。
皆さん知っていると思いますけど、その中の一つ。
最後の言葉でこういう言葉がありますね。
イエスは大声で叫ばれた。
ここから読んでみましょうか。
父よ、私の霊をあなたの御手に委ねます。
こう言って息を引き取られた。ルカ23-40。
まさにイエス様は、ご自分の生涯、命を
神様と人のために捧げて生きたわけです。
そしてその究極的なお姿として
十字架の上でご自分を捧げられた。
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神様にここではご自分の命を還した。
捧げて息を引き取られたというお方です。
そのことも覚えておきましょう。
最後、3番目。
この女性は神様に全てを委ねた人だということなんですね。
繰り返しになりますが、12章の44節の後半。
この人は貧しい中から持っている全てを
生きる手立ての全てを投げ入れたのですから。
このようにイエス様はおっしゃっていますが
少しこの生きる手立ての全てを投げ入れた
というところを深掘りしていきます。
この先ほど見た生きる手立てはバイオスという
バイオロジーとかバイオグラフィーという
生物学とか電気ということの元となるギリシャ語です。
もう一つの意味ですね。
こういう意味があるんです。バイオスには。
全ての神様の被造物を生き動き
存在するように動かす神からの
肉体的、身体的命の賜物をバイオスというんです。
別の言い方で言うと、私たちが今生きて動き
存在するように活力を与える命そのものを
バイオスという言葉で表すんです。
先ほどから繰り返しておりますが、
私たちが今生かされている原動力となっている
命そのものは神様の賜物です。
その命や生活を先ほどは捧げたんですけど
今度は委ねるということなんですね。
それはどういうことか。
この貧しいヤモメの姿、全てをバイオスを
捧げたヤモメは委ねていたわけです。
それは神様が私を生かしてくださっている
その私が今もこれからも生きるために
その神様が私の全責任を負ってくださるという
信じる、信頼すること。それが委ねるということです。
繰り返してしつこくなりますけども
神が私を今生かしてくださっている
それをバイオスに与えて生かしてくださっている
神が私を生かし命を与えてくださってはいる
生活を与えてくださっている
だからなおのことを神様は
この私の命を保証してくださるんだ
今もこれからも私の命や生活を与えてくださって
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神様はこれからも保証してくださるんだ
というのがこのもう一つの バイオス神に自分の命や生活を委ねるという
言葉に含まれている信仰や意味なんですね で繰り返しになりますが
この自分の命を神様が 守り生かしてくださる
自分の生活も 命も人生もすべて神様に委ねて生きたお方は
誰ですか イエス様ですよね
神にすべてを命を委ねる その地上の生涯を生まれたのがまさにイエス様です
で 先ほどのですね
失礼しました イエス様の十字架の言葉がありましたね
これ父よ私の霊をあなたの御手に依頼ます これはですね実は旧約聖書の四篇の言葉なんです
31編の
5節かな でそれを見るとまた素晴らしいことがわかるんですね
こう書いてあります四篇31編5節6節 ちょっと長いですけど読んでみましょうか
私の霊をあなたの御手に委ねます 誠の神主よあなたは私を贖い出してくださいます
この私は主に信頼しています イエス様はこの言葉を十字架の上で神に
祈りとして 告げられたわけですが
私の霊命をあなたの御手に 委ねます
神は私を贖い出してくださいます そして私はあなたに信頼していますと十字架の上で
祈られたのではないかと思うんですね まさにイエス様は十字架で死なんとしている時にですね
自分の命の行方を命を与えてくださる神様に ゆだねしたんですね
十字架の上で死にたく死ぬのは辛いって月様で祈ったような 父は私をなぜ見捨てるんですかとこのような暗い中を通りましたけど最後は
私の命の行く先をあなたに委ねます 責任を持ってくださるあなたに信頼しますとイエス様は十字架で委ねて息を引き取られ
そしてイエス様はどうなりましたか その後死んで蘇られた
私たちもですねこのように自分の命や人生の行方に不安を感じるかもしれません でもこのイエス様十字架のイエス様の姿を見上げて
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そしてまさに命を与えてくださった神様にですね 自分の命を委ねて人生を委ねて生きていく
そのことの意味や幸いをこれからともに学び歩んでいくお互いでありたいと思います 祈りしましょう
天の神様皆を賛美いたします イエス様あなたはこの地上で私たちを弟子たちを教えてくださり
そればかりかあなた自身がその生き様をもって私たちに神に生きる幸い そのことを教えてくださったことを感謝いたします
どうぞ私たちがあなたにすべてを委ねながらまたあなたにすべてを捧げながら生きていく そのことの広く深い意味を悟らせてくださいますように
またあなたに委ねる幸いをさらに深く知ることができますようにどうか導いてください
お願いと感謝を私たちの救い主イエス様のお名前によって祈ります
それで1分ほどそれぞれその場で黙祷を持って神様に応答する祈りを持ってください