00:05
新約聖書、ルカの福音書、2章、1節から14節をお読みします。
その頃、全世界の住民登録をせよ、という勅令が、皇帝アーグスツスから出た。
これは、キリネウスがシリアの総督であった時の、最初の住民登録であった。
人々は皆、登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。
ヨゼフも、ダビデの家に属し、その地筋であったので、
ガリザヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ登って行った。
苗木になっていた、言い名付けの妻、マリアと共に登録するためであった。
ところが彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、男子の産子を産んだ。
そしてその子を布にくるんで、貝羽桶に寝かせた。
宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
さてその地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜晩をしていた。
すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
御使いは彼らに言った。
恐れることはありません。
みなさい、私はこの民全体に与えられる大きな喜びを告げ知らせます。
今日、ダビデの町であなた方のために救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。
あなた方は布にくるまって貝羽桶に寝ている緑子を見つけます。
それがあなた方のための印です。
すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の群勢が現れて神を賛美した。
糸高きところで栄光が神にあるように、地の上で平和が御心にかなう人々にあるように。
御使いたちが彼らから離れて天に帰った時、羊飼いたちは話し合った。
さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けてこよう。
以上です。
03:00
今日はこのところから、馬小屋の救い主と題して御言葉を取り継ぎます。
皆さんおはようございます。
少し早いんですが改めましてクリスマスの挨拶をしましょう。
メリークリスマス。
拍手している方いますけどね。ありがとうございます。
今日はですね、ちょっと来年私が結婚式の司式を取り行う都合で、その関係者の方々がゲストとして来てくださいました。
歓迎します。拍手しましょう。
私たちの教会ではクリスマスイブに礼拝するというよりは、日曜日にクリスマスの礼拝を守っています。
今日その日曜日にあたるわけですけども、クリスマスといえばですね、ご馳走がつきものですね。
竹内マリアさんも歌っていますけれども。
ケーキを食べるというね、松高子さんのコマーシャルもありますけど、ケーキ食べる習慣は実はアメリカとかないんですね。
アメリカ人の方がすごい驚くんです。クリスマスケーキ。
ただ、アメリカはじめ欧米はターキーを食べるんですね。日本はチキンを食べる。
だいたいケンタッキーフライドチキンがどれくらいクリスマスで売れるか皆さんご存知です?
統計を調べたら、2016年ちょっと古いんですが、5年前は3日間の売上が59億2000万円。
言われてもピンとこないかもしれませんね。
翌年の2017年が60億円、昨年が69億円、伸びているわけですね。
だいたい1年間の純利益の10%をクリスマスの3日間で売るっていう、すごいですね。
それくらい日本ではチキンが売れるわけですね。
きちんと予約しないと買えないですからね。つまんないこと言ってますけど。
今日朗読しました見言葉なんですが、皆さん、今日のところに食べ物が出てきたの気づきました?
食べ物。食べ物じゃなくて、食べ物に関わる言葉がカイバオケ。
家畜が餌を食べるカイバオケです。
このカイバオケが今日は実は大事な鍵になります。
今日の見言葉をもう一回見てみますけども、
2章の6節から7節ですね。ちょっと読める方読んでみましょう。
彼らがそこにいる間にマリアは月が満ちて男子の産子を産んだ。
そしてその子を布にくるんでカイバオケに寝かせた。
宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
これカイバオケで寝かせた。
06:01
驚く
執事会の前に天使がこういう風に語ったわけですね。
密会は執事会たちに言った。
今日ダビデの街であなた方のために救い主がお前になりました。
この方こそキリストです。
どうやったらわかるんですか?
それはあなた方は布にくるまってカイバオケに寝ている緑子を見つけます。
それがあなた方のための印ですって書いてあるんですね。
布にくるまれたカイバオケに寝ている赤ちゃんが印だって言うんです。
で、緑子っていうのはどういうことか。
緑子って赤ちゃんのこと言うんです。
辞書で調べたら、緑という言葉には松の若枝、
松の緑の、この新緑の緑の若枝の若い芽のイメージがあるので、
そこから赤ちゃんのことを、生まれたての赤ちゃんのことを緑子と言うんですね。
その救い主であるキリストが
すっぱだかで布にくるまってカイバオケの中に寝ている。
それが特別な意味がそこにあるということなんですね。
ちょっとそのことを今日注目しながら、
クリスマスについて3つの点を皆さんで考えていきましょう。
ちょっとちなみに余談ですけど、皆さんこれ言うとね賢くなります。
だいたい皆さん馬小屋って言うでしょ。今日もわざわざ馬小屋の救い主。
馬小屋じゃなくてイエス様は家畜小屋で生まれたんです。
しかも小屋ではなくて日本の昔の農家にあるような住居と家畜が一緒に過ごす。
で、宿屋がいっぱいで貧しかったので、
住居じゃなくて住居の中の家畜がいる場所にマリアとヨセフとイエス様が置かれた。
そういう出来事なんですね。
では3つの点からたどりますけど、最初は
カイバオケに寝ておられたミドリゴにはですね、そういう意味があります。
救い主である神様に立ち帰りなさいって意味です。
実はこの出来事は、キリストの誕生の予告をしている旧約聖書のイザヤ書という言葉を反映しているんですね。
こういう言葉です。
見よ聞け。知も耳を傾けよ。
主が語られるからだ。
子供たちは私が育てて大きくした。
しかし彼らは私に背いた。
読めるかってここから読んでみましょう。
牛はその飼い主を。
ロバは持ち主のカイバオケを知っている。
しかしイスラエルは知らない。
09:00
私の民は悟らない。
ちょっとこれにはね、旧約聖書の背景が必要です。
よく皆さんね、選民イスラエル、選ばれた民イスラエルって聞くでしょ。
どういうことかというと、簡単に言うと、
イスラエル民族は旧約聖書の時代に神様の民として特別に選ばれた人たちだったんです。
だから選ばれたそのことに応えるために、
イスラエルの民は神様に応えていかなきゃいけなかったんですけれども、
当時の子供を捧げるような偶像ですね。
そういう偶像礼拝に足を染めてしまったりですね。
誠の神様以外のものを拠り所にして、
神から離れたということがこの言葉の背景にあって、
その神様の警告はですね、
牛は飼い主を知っていて、
ロバは誰が餌をくれるか知っていて、
餌を食べられるカイバウケのことに戻っていくのに、
神の民であるイスラエルよ、お前たちはどこにいるんだ?
なぜ私の元に帰らないんだ?
そういうメッセージなんですね。
そのようなメッセージが背景にあって、
カイバウケに救い主イエス様が生まれたという出来事があるわけです。
歴史を見るとですね、ここから少なくとも500年ぐらい経つ間に、
神様はいろんな形で預言者たちを通して、
イスラエルの神のために私に立ち帰りなさいと言っています。
立ち帰っては背いては繰り返して、
ついにですね、約西暦期限前後5年ぐらいですか、
まさにイエス様が誕生して、
神様が人になって、救い主が地に下って、
この預言が成就した。
それが今日のこの出来事です。
で、そのイエス様が地に下ってきたというのは、
神様がわざわざ地に降りてきてくださって、
救いの道を開いてくださった。
神様に立ち帰る道を備えてくださったという意味があるんですね。
実はですね、ちょっとまた難しい話になりますけども、
この幼いイエス様を表すいくつかの称号があります。
ダビデの町で生まれたというのはですね、
ダビデ王の子孫として救い主が生まれるという預言の成就だという意味です。
この救い主、赤ちゃんはイエス様赤ちゃんは救い主というのは、
まさに神である救い主だという意味です。
主というのは神様ご自身で、
キリストというのも救い主という意味ですね。
そういう言葉の背景があるんですけれども、
皇帝アーグストスの時代って最初に書いてありましたね。
12:00
アーグストって今みなさん縁があるの知ってます?
8月のことなんていうか知ってます?英語で。
オーガスト。実はそのアーグストスは自分の名前が永遠に残るように、
その8月に自分の名前を付けたわけです。
そのローマで最も偉大な皇帝の一人のアーグストスのことを、
当時の人々はまさに救い主って言ってたんです。
主キリストだって言ってたんです。
実はこの言葉にはですね、
パトロンという意味があります。
今クリスマスになるとメサイアとか、
いろんな音楽があるし、キリスト教のことを描いてたくさんの美術品がありますけど、
それはパトロンがお金を見継いだからできるわけです。
皇帝がパトロンということはですね、
ローマの民全員に必要な食べ物を与えたり、
すべての必要を満たす偉大なパトロンだ、
そんな意味があったんですけども、
いやそうじゃない、本当に私たちの必要を満たすのは神様なんだよ。
そのことがわかるようにイエス様が救い主として神として生まれたんだよ、
そういうメッセージが込められているんです。
だから牛やロバが会話を受けに帰るように、
神の民よ、そしてすべての民よ、
誠の救い主である神様の下に、イエス様の下に立ち帰りなさい、
そういうメッセージがですね、会話受けに生まれた救い主イエス様に込められています。
何か様々な救いを感じるときに覚えるときに、
ぜひ祈りを持ってその救い主に自分の必要を満たしてもらうよう、
心継いでみてはいかがでしょうか。
2番目、
解剖犬に生まれた赤ちゃんであるイエス様、
救い主の意味にはこういう意味があるんです。
救いの恵みに新たに抱かれる。
新たに抱かれなさい。
第2の点ではですね、
こういう意味があります。
実はですね、これ矛盾があるんです。
救い主である王、
普通はですね、
立派な宮殿に生まれなきゃいけないのに、
貧しい家畜小屋で生まれました。
そして王というのは特別な衣装をまとっていますね。
その特別な衣装をまとわないで、
すっぱだかでしかも貧しい布にくるまっていた。
それがイエス様だ。
最も偉大なお方が最も弱い赤ちゃんとしてここにいるという
矛盾、メッセージが込められているわけですね。
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ちょっと背景また難しいこと言いますけれども、
旧約聖書と新約聖書の時代にこういう知恵の言葉があったんですね。
王である、ある王様が読んだ詩です。
王である私もまた生まれ出て、
最初に皆と同じ産声をあげ、
産気と心遣いに包まれて育った。
たとえ王であっても同じである。
どんな偉大な王でも、生まれた時は裸であって、
そして周りの人に抱いて養われる、そういう意味なんですね。
ここから次のメッセージがわかるんですね。
皆さん、生まれたばっかりの赤ちゃん抱いたことあります?
ありますよね。感動しますよね。
その喜び、新鮮さ、赤ちゃんを新鮮さと喜びをもって抱くように、
実は救い主なる神様は、
私たちのことを新鮮さと喜びをもって抱き上げてくださるというんですね。
その生まれたばかりの赤ちゃんのように、私たちは救い主なる神様に抱き上げてもらえる。
そこがこのメッセージ、イエス様の姿に込められたメッセージなんですね。
教会にながら通っている人たち、私もそうですけど、
神様の救いとかメッセージに慣れっこになっちゃうんですね。
ですからやはり新たに、新鮮に神様の救いとか、
救われた喜びを取り戻す必要があるわけですね。
そんな時にですね、今日の御言葉のように、
布の中の裸の赤ん坊が抱かれたその感動をもう一回思い起こして、
自分もそうやって神様に赤ちゃんのように抱かれたんだと言ってですね、
神様に救われた喜びを回復する時、それがクリスマスでもあるわけですね。
神様の恵み深い救いの技はですね、
いつでも私たち、神様の民である私たちを、
新鮮な気持ち喜びを持って抱き上げてくださる、
そのことをクリスマスに思い巡らしてください。
最後のメッセージですね、
救いの恵みを今度私たちが新たに抱くということです。
生まれたての赤ちゃんをですね、新鮮な気持ちで喜んで抱くように、
今度は私たちも赤ちゃんのイエス様を抱く。
私たちもですね、神様に応答して、
新しい気持ちで神様の救いを心に抱く。
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そのような新しい気持ちでイエス様の救いと恵みを受け取る。
そしてそのなぜ賛美を歌うかというと、その喜びに応えて、
感謝と喜びを持って賛美歌を私たちは、
いつも歌うまでクリスマスに歌うわけなんですね。
新たに私たちが抱かれるように、今度私たちが、
この救いを新鮮な気持ちで受け止めていく、
そのようなクリスマスでやりたいと思います。
天使からクリスマスのメッセージを受け取った、
救いのシーエス様の誕生を受け取った羊飼いたちはですね、
急いでマリアとヨセフのところに行って、
天使が言った通りに、生まれたての赤ちゃんが布にくるまって寝ていた。
そしてその後ですね、喜びながら神様を賛美して家路に着いたんですね。
私たちもこの羊飼いたちに習っていきたいと思います。
その羊飼いの喜びの御言葉を最後に読んで、この時を締めくりたいと思います。
読める方、ルカの2章20節一緒に前にある御言葉を読んでみましょう。
はい、私たち、失礼しました。もう一回、せーの。
羊飼いたちは見聞きしたことが全部見使いの話の通りであったので、
神を崇め賛美しながら帰って行った。
お祈りします。
天の神様、皆を賛美いたします。
クリスマスが毎年やってきますけれども、
どうぞ私たち、今年のクリスマスを祝う中で、
新しく与えられた幼いイエス様の救い、神様に抱かれる喜び、
そのことをもう一度、新たに胸に覚えることができますように。
そして、あなたの救いに喜んで応答し、あなたを褒めたたえ、
この一年の残りの日々を歩み、また新たな年を歩んでいくお互いでありますように。
このあなたへの救いの感謝と私たちの願いを、
救い主イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン。
それでは、しばらく神様の御言葉に応える黙祷の時間を持ちます。
どうぞ、一分ほど、今日の御言葉を思い巡らしながら、
黙祷を持って神に応える時間、祈る時間を持ちましょう。