2021-07-04 28:12

#62 21/7/4 宇宙規模の贖い

エペソ1:7-10からの礼拝説教。2021年7月4日録音。罪責感から私たちを解放する罪の赦し、宇宙規模の贖いと私たちとの関係について学びましょう。
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エペソビトの手紙1章7節から10節
このキリストにあって、私たちは、その地による贖い、
そむきの罪の許しを受けています。
これは、神の豊かな恵みによることです。
この恵みを、神はあらゆる知恵と資料をもって私たちの上にあふれさせて、
御心の奥義を私たちに知らせて下さいました。
その奥義とは、キリストにあって、神があらかじめおたたになった身胸に従い、
時が満ちて、計画が実行に移され、
天にあるものも、地にあるものも、一切のものが、
キリストにあって、一つに集められることです。
以上です。
今日はこのところから、宇宙規模の贖いと題して御言葉を取り継ぎます。
皆さん、おはようございます。
豪雨に見舞われまして、箱根ではきのう、本当に悲惨な土砂崩れが起こりました。
被災された方々の無事や安全な救出や避難を祈るばかりでございます。
そんな中、足元悪い中、礼拝に駆けつけて下さって、
共に主を礼拝できることを嬉しく思います。
エプソビトの手紙の学びに、しばらく前から入っていますが、
エプソというのはいつも言っていますが、
このイエス様の十字架についたエルサレムから、
パウルが第2次・第3次電動旅行で訪れた、
第3次電動旅行で訪れた、この辺りですね。
今のトルコ地方の港湾都市です。
この間まで学んでいた、コロサイビトの手紙と
ピネモノの手紙の宛先のコロサイから約150、160キロ離れた
営業界に面したこの港町です。
コロサイの手紙の中で、
ラオデキアから回ってくる手紙を読んでください、
というので、おそらくそれがエプソビトの手紙で、
エプソビトの手紙はもしかしたら、
宛先がなくて、この辺りで巡回されたものではないかとも言われています。
そして、エプソビトの手紙の特徴はですね、
霊的祝福とか、豊かな恵み、豊かさとかですね、
永遠性とか、この偉大さにあります。
いつも言ってますけども、本当に最初の数節はですね、
手紙の中身を紹介するような、英語で言うとthickですね、濃い内容なので、
本当に分けて、細かくですけども、
ある程度丁寧にお話したいと思っています。
で、先週のテーマはですね、
神は天上にある全ての霊的祝福をもって、私たちを祝福してくださったという、
そういう霊的な祝福について、そしてその中でも、
第一番目の養子にするということですね。
03:00
どういうことかというと、神様は世界が始まる前からイエス様にあって、
私たちをイエス・キリストの身姿に変えるべくですね、
選んでくださっている、養子としてくださった。
そういう霊的祝福の第一面を見たんですが、
今日はその第二面、
罪の贖い、罪の許しということに焦点を当てて、
三つの点から学んでいきましょう。
最初の二点は私たちに、それぞれに関わる贖いです。
一番最初の点はですね、
巫女の血による贖い、
背きの罪の許しでして、
キリストの血という確かな許しの根拠がありますよという話です。
1章7節、もう一度読める方は小さい声でいいので、
読んでみましょう。
このキリストにあって、私たちはその血による贖い、
背きの罪の許しを受けています。
これは神の豊かな恵みによることです。
たまたま強調するために赤い字になりましたけど、
血ですね。イエス様の血が鍵です。
この言葉の背景にはですね、旧約聖書の
生贄の血ということがあります。
生贄の血が流されて神様の前で
罪人の罪の代仮が支払われるから、
罪が許されるという信仰です。
そしてそれが、イエス様の十字架の出来事の後ですね、
パウロや新約聖書の大事な真理、それは、
信じる全ての者の罪をイエス様の血が贖う、
そういう真理を表しています。
パウロはですね、先週のことを覚えていただければ
分かるんですけど、未来の祝福を言ってましたね。
イエス様と同じ姿になるのは、
世界の完成の将来の希望だったんですけど、
今日のところでは、現在体験できる祝福、
罪の贖いということを語っているわけです。
実はこのイエス様の血による贖いはですね、
最後の晩餐の席で、弟子たちの前で宣言されたものです。
いっぱいありますけど、マタイの福音書、
マタイの福音書、よく知っている人もいると思いますけど、
中で26章27、28で、
イエス様がこう宣言した記録があります。
ちょっと読んでみましょうか。
ちょっと待ってくださいね。
また、杯を取り、感謝を捧げてのち、
こう言って彼らにお与えになった。
ここから読みましょう、3杯。
皆、この杯から飲みなさい。
これは私の契約の地です。
罪を許すために、多くの人のために流されるものです。
今日、生産式がありますけど、
生産式はこのイエス様の御言葉や出来事から淡泊して、
2000年以上受け継がれてきた素晴らしいセレモニーですね。
そして、このイエス様の一番弟子のペテロ。
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彼もですね、後にこのように告白しています。
ちょっと長いですけど、読める方、頑張って読んでみましょうか。
3杯。
あなた方が先祖伝来の虚しい生き方から贖い出されたのは、
銀や金のような朽ちるものにはよらず、
傷もなく、穢れもない、子羊のような、
キリストの尊い血によったのです。
これ、先週見たですね、神は私たちを、
傷なく聖なるものに選んでくださったということにも、
ちょっと繋がるかもしれませんが、
ここでもイエス様は、
過去の虚しい生き方から贖い出されたのは、
罪も穢れもない、子羊であるイエス様の尊い血によったと言っているのです。
皆さん、このペテロを思い出してください。
どういう人でしたか。
イエス様が受難。
イエス様が受難の時にですね、
三回イエス様なんて知らないと言って、
イエス様との関係を否んだ人ですね。
そして彼はその否んだ後、否んでいる最中に、
鞭打たれて血を流すイエス様を見ていましたし、
当然十字架のイエス様、その流れる血汁を見ていました。
後悔していました。
でも復活のイエス様になって、ペテロは、
私の羊を飼いなさいと言って、
新しい使命と当然、罪の許しを受け取って、
そして大伝道者として使徒の働きで活躍するわけです。
そのようなペテロだからこそですね、
このイエス様の罪をあがなう尊い血について、
信じ摘みを持って、重みを持って、
私たちに伝えることができたのではないでしょうか。
このような、これらの出来事や言葉から考えますと、
私たちもですね、やはりペテロのように、
自分の罪とかですね、信仰的な弱さに嘆くことがあるかもしれませんし、
それに気が付いてがっかりすることもあるかもしれません。
まあ私もその一人です。牧師であるとはいえ。
しかしですね、そんな中でもペテロと一緒に私たちは、
自分の心がせめてもこのイエス様の十字架の血汁を思い出しますね。
そしてその時に、イエス様の約束や御言葉を宣言して、
何を根拠に、自分の感情とか気分じゃなくて、
神様の御言葉を根拠に、自分の罪の許し、
それを体験できる、その祝福を体験できるわけですね。
イエス様もアラノでサタンに誘爆された時にですね、
聖書にはこう書いてあるといって、
聖書の言葉でサタンの誘爆を知り遂げたように、
私たちも自分の心や何かを責められる時に、
イエス様の御言葉を宣言して、
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自分の心やもしかしたら悪しきものの責めをですね、
知り遂げることができるわけです。
たくさんその素晴らしい約束がありますけれども、
代表的な御言葉を一つ紹介しましょう。
ヘブル人の手紙の10章の10節と22節ですね。
ちょっと長いんですけど、2箇所に分けて一緒に読んでみましょう。
まずここまで。
この御心に従ってイエス・キリストの体が、
ただ一度だけ捧げられたことにより、
私たちは聖なるものとされています。
一回だけのイエス様の十字架の贖いが、
私たちを聖なるものとしたという約束。
それも神の御心だったということですね。
そして22節、読んでみましょう。
心に血がふりかけられて、
邪悪な良心を清められ、
体を清い水で洗われ、
全き信仰を持って、
真心から神に近づこうではありませんか。
これはイエス様の致しをですけれども、
この清い水というのは、
バブテスモを意味するとも言われていますし、
聖霊とも言われています。
とにかくこのイエス様の血が、
霊的にでしょうけど注がれて、
私たちは清められていますから、
恐れることなく、
真っ直ぐな信仰を持って、
大胆に神様に近づいていきましょうと
言われているわけです。
まず最初は、
この祝福はイエス様の血による贖い、
イエス様の血という確かな根拠がある、
許しということです。
第2番目、
神の豊かな恵みというテーマですけれども、
それはどういうことか、
血は命という溢れ出る恵みであるということです。
これちょっと読んでみましょう。
お馴染み言葉ですけれども、
違う部分を強調しています。
3、このキリストにあって、
私たちはその血による贖い、
背きの罪の許しを受けています。
これは神の豊かな恵みによることです。
先々週学んだようにパウロは、
あなた方に平安と恵みがありますようにと祈っていました。
そしてこの手紙の中では、
大事な真理として、
神様の豊かに溢れ出る恵みということが
強調されています。
何度も出てきます。
そしてこの罪の許しの祝福も、
神様の溢れ出る豊かな恵み、
いろんな恵みの一部とか、
恵みの中身とか言いますけれども、
それに関わるわけです。
神の豊かな恵み。
そしてなぜか、
この血による贖いということが
関わってくるからなんです。
実はこの贖いという言葉は、
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豊かな恵みと関係している理由は、
贖いには高価な犠牲が伴うからです。
もともとの意味は、
高い身の代金を払って、
奴隷とか戦争の捕虜を解放することを
贖うという意味です。
皆さんこれ贖うというのは英語で何というかというと、
贖いは英語でランサムという意味です。
ランサム。
聞いたことありませんか?若い諸君。
ランサムウェア。
今コロナ禍において、
会社でテレワークしていますから、
素人が会社のコンピューターにアクセスすると、
それをきっかけに、
コンピューターウイルスに感染してしまって、
悪意のあるものが仕組んだプログラムが、
会社のシステムに入り込んで動かなくなっちゃうんですね。
そしてこれを元に戻すためには、
身の代金を払えという、
そういう脅しがあるわけです。
去年、ある調査に日本の200の企業が回答して、
54%の企業がこの悪意のある攻撃を受けて、
32%の企業が身の代金を払ったというんです。
平均金額は117万円。
多いところは1億2千3百万円払ったというんです。
アメリカの企業で、
2千3百とか4千3百億円払ったという企業もあるわけなんです。
つまり、この身の代金というのは、
これだけ大きな金額が伴う、
大きな犠牲が伴うわけですね。
実はこのあがないという言葉の、
旧約聖書の最大の出来事、
それは皆さん知っていますね。
シュツエジプトの出来事です。
その時の出来事はイエス様の血と関係していて、
過越の祭りの時に、
子羊の血を鴨に塗った家は、
災いから免れて、
長子が死ぬことがなかった。
それがイスラエルの民だった。
それで彼らはエジプトから脱出したという出来事ですよね。
このシュツエジプトの出来事は、
イエス様の尊いあがないの血傷の予兆と言われています。
先ほどのランサムウェアのことをもう一度考えてみたいんですが、
皆さんもしね、
私も毎日何十通も迷惑メールが来るんです、パソコンに。
それで皆さんのパソコンやスマホが乗っ取られて、
解除するために100万円払いと言われて、
あるいは何億円払いと言われて払えませんよね。
でも誰かが来てそのお金を払ってくれたら、
もう心の底から感謝するわけですよね。
ましてや私たちの全ての罪をあがなうために、
神御自身であるイエス様が十字架で血という血を流す、
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つまり命を犠牲にしてくださった。
これほど尊い犠牲はありえないということなんです。
それこそまさに、
あふれ出る豊かな恵みだということなんですね。
イエス様の命そのものが、
私たちの罪のあがないのために犠牲になった。
パウロは何度もこの御言葉の中で、
恵みを強調した8節では、
神がその恵みをあふれさせた、
豊かな恵みを強調しています。
なぜこのあふれるほど豊かな恵みが尊いのか、
別の点から考えてみたいと思うんですけれども、
エペスを支配していたアルテミス信仰をはじめ、
不健全な宗教は、
人間の在籍観に働きかけて人を操作しますね。
実はこの在籍観を持って人を操作するというのは、
企業が成果を出すときにも使う部分もあるわけです。
こういう在籍観に訴えられて支配されてしまう。
ただですね、聖書の真理では、
たとえ私たちがイエス様を信じてクリスチャンになっても、
いつも言うように私たちは不健全ですから、
天国に行くまで誘惑されたり、
自分の罪に悩んでしまうんですね。
ですからたとえクリスチャンであっても、
そのような自分の不健全さから生まれる在籍観から
自分を責めてしまう場合があります。
そして人からの批判を恐れてしまったり、
人の言いなりになってしまうことがある。
日本の恥の文化ということが、
そういうことを助長するかもしれませんね。
でも忘れてはならないのはですね、
私たちが不健全であるからこそ、
完全な儚いであるイエス様の十字架が
意味を成すということなんです。
罪がないお方が命を投げ出してくださった、
それは完全な儚い意味があるということなんです。
何度も言いますが、
そのイエス様が十字架で血を流して、
ご自分の命を捧げてくださったことが、
神様のあふれ出る豊かな恵みだということですね。
ですからこの神の豊かな恵みを
自分が受けているということを心に留めてですね、
罪の奴隷から、必要ではなく不必要な在籍官から
私たちは解放されるわけです。
豊かな恵みであるイエス様の命を思い巡らしてですね、
私たちは不必要な在籍官から
解放されていくわけなんですね。
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まさに豊かなイエス様の恵みの命が
私たちをエジプトではなくて罪の奴隷から、
在籍官から贖い解放してくださるわけですね。
このあふれ出る豊かな恵みについて、
パウロは別の手紙でこう述べています。
その結果について、ローマの8章1節ですね。
一緒に読んでみましょうか。
こういうわけで、今やキリストイエスにあるものが
罪に定められることは決してありません。
決してないと言っているんです。
ですから私たちは、自分が自分の心を責めたり、
人に責められたり、人に責められる
そういう恐れを覚える時に、またこの御言葉を宣言して、
いや、私はイエス様にあって、
罪に定められることは決してないんだと、
そこに堅く立つことができるわけですね。
その根拠は、神のあふれ出る豊かな恵みだということです。
この最初の二つはですね、私たちある面、
個人的な贖いですけど、最後は
全宇宙的な贖いということを見ていきましょう。
宇宙の中の私たち、
偉大さに抱かれている私たちですね。
続きの9章の後半と10節、パウロはこう書いています。
読める方一緒に読んでみましょうか。
その奥義とは、キリストにあって、
神があらかじめお盾になった身旨に従い、
時が満ちて計画が実行に移され、
天にあるものも地にあるものも、
一切のものがキリストにあって、
一つに集められることです。
これはとても難しくて深い言葉です。
奥義という言葉、ギリシャ語でミステリオン、
ミステリーの言語になったミステリオンという言葉も
何回もエピソードに出てくるんですけど、
奥義の一つを彼は紹介しています。
奥義というのは、今まで秘められたり隠されていたことが
明らかになったという意味の奥義で、
この文脈ではイエス様の救いが明らかになったということになります。
その中でも特にこのセイクではパウロは、
贖いの計画の完全な成就としての万物の完成を言っているんです。
簡単に言うと、全宇宙の贖いがやがてなされるという
そういう秘密が今、あなた方にも明らかにされましたと
パウロは語っているわけですね。
どういうことかと言いますと、
創世紀の1章から3章を読んだ方は分かると思いますが、
人間には神様からこの全世界を管理する
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仕事を委ねられました。
しかし、罪ゆえにそれを謝った方法で成している。
それゆえにですね、ローマ書の8章なんかを見ると分かるんですけど、
秘蔵物は不完全さの中で苦しめられて、
秘蔵物も神に贖われることを求めて埋めていると書いているんですね。
簡単に言うと、秘蔵物も人間の罪の影響を受けて
贖われることを求めているというんです。
昨今の環境破壊とかSDGsなどという言葉が
注目されていることにも関係あるかと思います。
そのような中で、神様はやがて世界の完成する時に
人間だけじゃなくて、全宇宙を贖ってくださるというのが
キリストにあって一つに集められる。
集めるというのは統合するという意味があって、
壊れたものがきちんと有機的に結びつくというニュアンスもあるんですけども、
このように神様は世界の完成の時に贖いの成就として
全宇宙的な贖いを完成する。
ちょっとそういう概念だということを覚えておいてください。
私たちの個人の贖いは、実はこの全宇宙の贖いの一部だということなんですね。
前ちょっと似たような図を説明しましたけど、
このような図、この大きいところはですね、
天上のすべての霊的祝福で私たちは揚出とされ、贖いを受けているんですけども、
大きな方はですね、三密一体の永遠なる神様の世界です。
永遠だから本当は枠がないんですけども、
その中にですね、エピソードや日本という場所があって、
私たちはそこに生きているクリスチャンなんですけども、
実はこの現在、神なき如く動く今の時代に生きていながら、
私たちはこうやって永遠の神様の中に贖われているということなんですね。
やがて全宇宙的贖いが完成しますけども、
その全宇宙的な贖いの中に、私たちクリスチャンの罪の許しと贖いも含まれているんだ。
そういう偉大な贖いのプランの中に私たちも置かれているんですね。
ちょっとどういうことか、いろいろ工夫して考えたんですけども、
皆さん、地球は何系に属してますか?渋谷系?地球は?
銀河系ですね。銀河系の中に太陽系があって存在しているんですけども、
実はこの銀河系の直径が10万光年です。
つまり光の速度で言っても10万年かかる中に地球が存在している、太陽系が存在している。
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その中には星が約2000から4000億個存在しているんですね。
それだけ大きな中に私たちがどこかいるわけです。
実はこの銀河系の規模のものが宇宙の中に数十億から数千億あると言われているんです。
まさに天文学的な数字。
あるクリスチャンの学者が最近読んだ本の中で言っているんですけど、
こういう反論があるんです。神様が創造者なら何でこんな無駄なものを作ったの?
バカでかいものを無駄なものを作るっておかしいじゃないかと言うんですけど、
実は科学的に検証すると、
地球が存在して生命が存在するためにたくさんの時間がかかりますよね。
たくさんの時間がかかるためにはこれだけ大きな宇宙の大きさが必要なんです。
その宇宙の大きさを小さくすると、地球はたった数分間ぐらいしか存在できないというんですよね。
そのような偉大な宇宙の中に私たちが米粒のように存在しているわけです。
そして神様はやがて世界の完成の時にこれらの全宇宙的な贖いを完成させるというのが、
この今の9節10節の御言葉なんですね。
このような計り知れない宇宙、そしてその贖いの計画の中に私たちが今生かされている。
それこそ神様の計り知れない恵みなんだということですよね。
そのような神の偉大な贖いの計画の中に生かされていることを感謝し、
神を褒めたたいていくお互いでありたいと思います。
実はこのことについてコロサイビトの手紙にもパウルは述べていますね。
神は始めであり、死者の中から最初に生まれた方です。
こうして全てのことにおいて第一の者となられました。
なぜなら神は御自分の満ち満ちたものを全て御子の地に宿らせ、
その十字架の地によって平和をもたらし、御子によって御子のために万物を和解させること。
ここから読んでみましょう。
すなわち地にあるものも天にあるものも御子によって和解させることを良しとしてくださったからです。
コロサイ1-18からです。
お祈りしましょう。
天の神様、皆を賛美いたします。
あなたは天にある全ての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
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その中にはイエス様の血による贖い、罪の許しがあります。
そして私たちはこの全世界的宇宙的贖いの中で活かされているものであるということを覚えます。
まさに計り知れないあなたの御計画を思う時に、私たちは今途方に暮れてしまいますけれども、
どうかこのあなたの偉大な計画と、また私たち人々に与えられた罪の許しを味わいながら、
この地上の旅路を共に歩んでいくお互いでありますように。
そしてあなたの贖いを覚えながら、あなたを褒めていくお互いであり、教会でありますようどうか導いてください。
この願いと感謝を私たちの救い主、主イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン。
それでは一分ほど神様に応答して、それでお祈りしてください。
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