2021-03-16 45:25

【GMV 339】失敗が怖いとき

グッドイナフで充分だと思い出す
00:00
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
おとといだっけ?からお相撲が始まりましたね。
えーっと、で、3月か今。だから3月場所とかって言うじゃないですか。
大変不思議な表現だと昔思ったんですよ。
3月は場所じゃないでしょっていう感じがしたものなんですが、
何度かこの番組でも言及していますけどね、
中根知恵さんという方が、縦社会の人間関係というのを書いていますが、
あれはですね、社会学から見た人の心みたいな、社会心理学みたいな感じなんですよね。
で、あの世界、あの縦社会の人間関係ってまさに日本社会のことを言ってるんですけど、
縦なんですよ。
一番よく反映されているのが、今ではお相撲さんの社会で私が知る範囲ではですね、
一番上の横綱から一番下までビシッと縦社会じゃないですか。
縦にずらーっと並ぶんですよね。1、2、3、4、5、6、7、8、9、10って。
えーっと、で、場所なんですよね。全てが場所なんですよ。
場所の中には一門みたいなのがあって、門があるわけですよね。
で、門の中には部屋があるじゃないですか。
で、幕の内か幕の外かというのに分かれていて、
で、幕の内の中でも一番偉い人たちが大きな席を取るわけですよね。
全部場所じゃないですか。
この場所の中では、人情味があって甘えが成立するというのが、多分どいたけおさんの話なんですけれども、
とにかく私たちのこのローカルな価値観という場所で、居場所がないという表現がですね、
ものすごく心に応えているわけですね。
永田花美さんという人が、寂しすぎてレズ風俗に行ってきましたみたいなコミック書かれて、
すごい売れているんですけど、
彼女の中にですね、居場所がなくなっていく、削り取られていくという表現が、
すごくこう、さすがに漫画だけあって分かりやすくというか、
ああ、こういう精神状態なんだなと。
崖から落ちそうなのに、じりじりと人がこうですね、居場所を削っていくみたいな。
まあ、イリュフジョンですけどね。
日本人にとっては、甘えられる居場所がないという風に感じることほど恐ろしいことはないんだなと、ああいうのを読むと。
あそこで問題になっているのはお金じゃないですし、愛情ですらないんですよね。
場所なんですよ。
これが日本人だっていう感じ。
で、この場合の場所はもはや物理的な場所じゃないじゃないですか。
03:04
お相撲さんの世界ですら、あれは部屋とか結構物理的なんで、まだまだその伝統を残しているんですけど、
今の時代となってはもう、その場所って一歩間違うとネット上の場所とかいう話になってきて、
もう完全に観念的なものですよね。
心理的なというか。
そういうわけで、例えば会社の中で居場所がないとか、
そういう時にですね、どう訴えればいいのかみたいな話になったら、
これが宣伝なんですけどね。
グッドワイブスファクトリーというのがあるので、
そういう、倉園平塚さんと私とで運営しているオンラインのコミュニティなんですけど、
有料ですけどね。
初月無料なんで、覗いてみていただくと、
居場所ないなみたいな問題で困ったりしたらですね、
この場合の居場所は何度も言う通り、物理的な空間は意味しないはずなんですけれども、
心理的にそういう感じになって困っていたら、
ぜひ見てみていただけるといいかもしれないと思います。
このことと、毎度こういう感じで最近始めてますけどね。
この番組でも繰り返し喋っていた時期があったんですけど、
最近また改めてホットになりまして、
良いおっぱい、悪いおっぱいってやつですね。
あれは大変私は頑畜あるなと。
どうしても今の時代には全然そういうことじゃないにもかかわらず、
何かフェミニズムとの兼ね合いで難しくなっているような面があるのが一つと。
そもそも子どもの心理みたいな話って、
縁がないとわかりにくいのかなっていうのはあるんですけど、
これは大人の心理なんですよね。
一時アダルト・チルドレンっていうのがすごい流行ったぐらいだから、
こういう話が全く世の中に広まらないはずはないんですけどね。
良いおっぱい、悪いおっぱいっていうのがあるんですよ。
これまずですね、文字通りいきますと、
要するに子どもがお腹を空かせている時におっぱいが出てくると。
飲むと。
飲むと空っぽになると。
これは関連なんですよ。
母乳問題みたいな話とは何の関係もなくて、
飲むと空っぽになるかどうかなんてわかんないですよね。
飲むとお腹がいっぱいになっているだけなんですよ。
でも飲むと空っぽになると。
ということはつまり、自分のお腹がいっぱいになると空っぽになるんですね。
そうすると良いおっぱいは悪いおっぱいになってしまう。空っぽだからね。
という問題なんですね。
この良いおっぱいと悪いおっぱいが別々のものとして、
06:03
子どもの心の中では認識されるという話です。
そこまで赤ん坊がアホなのかって話とはまたちょっと違うんですよ。
つまり、良いものと悪いものは別個のものとして一旦認識されると。
この部分がすごく大事なんですね。
ただ、また自分が空腹になるとですね、
その時にはまたおっぱいは充填されてますよね。
母乳充填されてますよね。また出てくるようになっていると。
充填されているというよりは、自分飲み干してないんだろうって話もあるんですけど、
そういう客観的事実はこの際どうでもよくてですね、
またお腹が空いた時には飲めるようになっているという話なんですね。
これをフルフィルメントとか言ったりもするんですけど、
やっぱりリフィルされるわけですよ。
また良いものとして認識され直し、
飲み干すと悪いものになっちゃうと。
これがしばしば幼児とチョコレートの関係で
たとえられるんですけど、
これもたとえなんですが、私でもこういう人何人も知ってるんですよ。
私自身もちょっとこれになったことがあるんですけど、
要はチョコレートあるじゃないですか。
これ母乳と同じなんですよね。良いチョコレートなんですよ。
これを食べますよね。食べるとなくなってしまいますよね。
で、悪くなってしまうわけです。状況がね。
喋るものがなくなるという悪い状況が発生する。
で、普通の人はこれでなんてことないんですけど、
ここに飢餓感が発生する人が出るんですね。
やばいっていうことになるんですよ。
自分の食欲がチョコレートをなくしてしまったと。
自分が何かを欲しがると悪いことが起こるんだと。
そこに結末としてですね。
チョコレートは二度と供給されなくなるという恐れを抱くと。
なんか喋ってるとバカみたいなんですけど、
これを言うダイエットをやって苦しんでる人、いっぱい僕は知ってます。
本当に十何人という単位で全部女性なんですけど、
男性もいたな。
1、2名男性が含まれてますけど、
とにかく食べてしまうと食べるものがなくなってしまう。
そしてその時にもっと食べてしまわないと、
二度と食べられなくなる。つまりダイエットしてますから。
飢餓感が発生するんだって。
大変理不尽な感覚なんだけど、理不尽ですよね。
後で食べればいいわけですから。
食べ物なくなってるわけじゃないし、
飢餓状態とかにあるわけじゃないので。
ところが心理的にはそういう状態になってしまうので、
食べるのが怖くなるか、あるいはそこでもう目いっぱい食べるか。
なぜならば次はもうないからみたいな。
次からダイエットちゃんとしなきゃいけないから、
この機会に全部食べ尽くすと。
これを鈍欲っていうふうに呼ぶんですけれども、
09:00
この話ちょっと置いといてですね。
これメラニー・クラインという人が言った
その良いおっぱい、悪いおっぱいという考え方なんですけど、
要するにですね、良いものと悪いものが別々に存在してしまうんですよ。
自分の心の中で。
そしてそこに自分が大きく関わっているということが恐ろしいんですね。
あのね、話が急にやっぱりこう、
どうしてもですね、この心理そのものを私たちが思い出すことはできないから、
自分の赤ちゃん時代のことは思い出せないので、
例えばどうしても成人した後の話になるんですけど、
例えばですけど、ある女性とすごく、要するに恋愛関係になりたいんだが、
多分ここから押していくとダメだろうという状態にある時に、
その女性と普通に会える関係にはあるけれども、
そこから先に発展させられないという時に、
こういう心理が働いているということなんですね。
その女性との関係は、話したり食事に行ったり、
あるいは単に職場で会っているだけだったら、
その時はいいおっぱいな状態なわけですよ。
ここから一歩踏み込んでいくと、その関係性は壊れる。
多分結婚しようとしたり、恋愛関係になろうとすると、
相手が離れていくかもしれないと思うと、
そこから踏み込めなくなりますよね。
これを山嵐のジレンマにすぐ例える方がいるんですけど、
これもまだ手前の段階にあるんですよ。
大事なのは、ここにはまだ満たされていないものがあるんだけど、
満たし切ろうと自分が働きかけると壊れると。
確かに山嵐のジレンマも同じことを言っているんですけど、
それよりもはるかに大事なことは、
はるかに大事じゃないのかな、
でも人間関係として見るよりまず大事なことは、
ここには二面性があるということなんですよ。
一つのものしかないはずなんだけど、
おっぱい一個ですからね。
良いものと悪いものに分裂しちゃうわけですね。
そしてその分裂に大きく関わるのは私であるというのが恐ろしいんですよ。
ここに私自身に恐怖を持つという起源があるということを
メラニ・クラインが言ったんですね。
ここで真に自分の満足を満たしてしまうと、
その対象は対象でなくなってしまう。
これが恐ろしいわけですね。
おっぱいはおっぱいじゃなくなってしまうと。
いろいろあるじゃないですか、こういうことって。
例えば前にだいぶ昔に見た大変変な映画だったんですけどね。
12:04
ある女性が好きになって監禁してしまうわけですね。
監禁するだけでは飽きたらず、
手とか足とか切ってっちゃうんですよ、
その人がどこにも行けないように。
これはすっごくえぐいけど、
良いおっぱい、悪いおっぱいを象徴的に示しているんですね。
自分の愛ゆえにそこに相手を置きたいわけじゃないですか。
でも相手を徹底的に相手の人生とか環境とか、
そのあらゆるものから切り離すと、
もはや相手は相手じゃなくなりますよね。
私このこと時々ですね、
魚とか飼ってて感じるんですよ。
熱帯魚とかを日本の熱帯魚水槽に連れてくると、
もう本来の熱帯魚って違うものなんだろうなって感じを抱くことがあるんですね。
そういう感じなんですよ。
好きだからそれを持ってくるわけじゃないですか。
なんだけど持ってきてしまうと、
そのものはそのものの本来の姿を失うみたいなね。
それは自分がそこに介在しているわけですよね。
だから鈍欲って言うんですよ。
独占欲と言ったりもするんですけども。
そういうことがあるので、
これ山嵐のジレンマよりも僕は大事なことだと思うんですよ。
要するに一つのものなんですよね、その対象は。
なのにその一つのものをダメにしてしまう、
つまり二つのものになってしまう。
その二つのものになってしまう契機というか根拠、原因は自分であるということ。
このことが大変恐ろしいし苦痛ですよね。
トラウマになりうるっていう言い方をするんですけどね。
これがメラニー・クラインの言った、
良いおっぱい悪いおっぱいの話だと思うんですね。
この段階を乗り越えなきゃならないと。
どうやって乗り越えるかというと、
それは非常に簡単で、
いくら自分が満足を仕切っても、
母親はそこにいるというふうに考える。
これが大事なんですね。
つまりフルフィルメントされるわけですよ。
リフィルされる。
リフィルされるわけじゃないんでしょうけど、
リフィルされるんですよ、赤ちゃんの心の中ではね。
自分がどんなに飲み尽くしても母乳はまた出てくる。
ここに母親の偉大さというものに赤ちゃんは圧倒されるんだと。
この辺がさっき言った通りで、
非常にフェミニズム的に厳しいところになるんですよ。
男は母乳を出せませんからね。
ミルクじゃいけないのかと。
多分ミルクでもいいんですよ、僕が思うに。
何度もミルクも出てくるじゃないですか。
お母さんがミルクを何度もやってあげればお父さん偉大だって赤ちゃんは思うと思うんですよね。
さっき空になったのにまた出てきたと。
15:01
あのあれですよ、昔ね、この話をしている時に思い出すのが
藤子不条さんが書いてた何かの漫画にあったんですよね。
その財布をこうつっつくと必ず金が出てくるみたいな。
あの財布偉大じゃないですか。
何だか忘れちゃったんですけどね。
すっごい好きで読んでたんですが、
ああいう感じを抱くと思うんですよ。
自分がどんなに満足を追求しても
母親は揺るがずそこから満足を供給してくれるんだということに圧倒される。
こうしてさっきの分裂を乗り越えていけるっていう考え方なんですね。
で、これやろうとする人もやっぱり恋愛関係にいますよね。
なんかやたらと相手の男の人の気持ちは本当なのかを確かめるためとか言って
嫌なこといっぱいするっていう話が出てきますよね。
時々嫌がらせをすごいたくさんすると。
それでもニコニコして自分から離れずにいてくれるのかどうかを
常に確認しなければ気が済まないみたいな。
気が済まない話は以前にしましたけれども、そういうことってあるじゃないですか。
これはつまり乗り越えようとしているわけですよね。
分裂してしまう存在なのか本当に一つのものとしてそこに
自分にとって永遠に良いものであり続けられるのかどうかを
確かめたいというわけですよね。
ここでですね、メラニー・クラインじゃなくて
そのお弟子さんなのかお友達なのか微妙な人なんですけど
ウィニコットってこの番組でも何度も紹介している人が出てきていると思うんですよ。
ウィニコットさんが言うにはですね、
だからお母さんはグッド・イナフであればいいんだし
グッド・イナフでなきゃいけないっていうような。
グッド・イナフってこれ出なきゃいけないとか言いながら
ほとんど全てのお母さんグッド・イナフになっちゃうんですよね。
このイナフは程よいとか、
それくらい良いとか、
なんとかなるくらいのニュアンスなんですけど
要するにグッド・イナフの多分
反対語はこの場合はパーフェクトだと思うんですね。
パーフェクトな人はいないじゃないですか。
パーフェクトマザーとかっていないんですが
パーフェクトなマザーが絶対にいないというのはですね、
論理的に、原理的に異様がないんですね。
パーフェクトってのはどういうことになるかというと
赤ちゃんがおっぱいが欲しいと思った瞬間に
もうおっぱいは出てるみたいな。
このタイミングが絶対にずれないとパーフェクトじゃないですか。
うんちしたいとか、なんでもいいんですよ、
抱っこしてほしいとか、
思った瞬間にもう抱っこされてるわけですよ。
じゃないとパーフェクトじゃないですよね。
18:00
原理的にこれって絶対ないことじゃないですか。
逆を考えるといいと思うんですよね。
こういう言葉ないですけど、パーフェクトバッドな。
抱っこしてほしいときには絶対抱っこはしないみたいな。
空腹なときにはますます空腹にさせるとか。
絶対できないですよね、合理的に考えると。
つまりこのパーフェクトと絶対パーフェクトのバッドの間は
全部グッとイナフになっちゃうんですよ。
だから普通はグッとイナフになるはずなんですね。
グッとイナフになることの重要性はこのズレにあると
ウィニコットが指摘するんですけど、
要はもし空腹になったなと気づいた瞬間に
母乳が出てくるぐらいパーフェクトになってしまうと
その子は欲求というものを持つ暇がなくなりますよね。
完璧に自分の欲求が満たされる世界というのを
思い描いてみてほしいんですけど、
欲求を持たないですよね。
欲求を持った瞬間にもう欲求は満たされてしまうわけだから
欲求の持ちようがないですよね。
こういうことってまあ起こらないと思うんですけども
それにちょっと近い現象ってあるなと時々思うんですが
とにかく欲求ってのは欲求不満とセットであって
欲求不満な時間が必要なわけですよ。
そうじゃないと欲求不満を満たしたという
タイムラグがないとですね
その満足感の楽さみたいなものを
手に入れようがなくなっちゃうじゃないですか。
だからグッドイナフでなければいけないし
またグッドイナフになっちゃうんですね。
タイムラグは発生するからどうしても
どんなに赤ちゃんのことを100%気にかけようとしていたって
やっぱりお母さんはしなきゃいけない他のことが絶対にあるし
そもそも言葉をしゃべれない赤ちゃんがですね
自分の欲求を完璧に伝えるってことは不可能ですよね。
ここにグッドイナフの契機というか
欲求不満の必ず発生し得るタイミング
つまりミスが起こる。
そしてそのミスが絶対に必要になってくるという話があるんですね。
そうした場合このミスがないとですね
悪いおっぱいとか悪いお母さんがいなくなっちゃうんですよ。
いいお母さんしかそこにいないと。
それではダメなんですね。
悪いお母さんといいお母さんに一旦分裂して
心の中にですね
別々のものとして認識されるか知りませんが
それに近いことは私たちが生きている限り起こるわけです。
ある人と知り合ってですね
その人のいい面もあれば嫌な面も見ると。
だけれどもですね
そのお母さんはタイムラグがあるからこそ
欲求不満を私たちは覚えるわけですけど
21:01
つまり一番特殊な例で言うと
飲み干すことができなくなるみたいなことがあるんだけれども
にもかかわらずまた供給されてくる。
再供給されてくる。再再供給されてくる。
永遠に続くような感じがする。
永遠には続きませんが
子供の側からすれば永遠に続くような感じがする。
お母さんが機嫌が悪くなることがありますよね。
子供はよく言うじゃないですか。
全部自分のせいでそうなったんだと思っちゃうと。
自分がさっきダダをこねたから
こう考えられるようになるのが記憶の働きなんですが
ダダをこねたから悪いお母さんが出現したと。
でもいいお母さんに戻ると。
つまりいいお母さんは無限にいると。
永遠にそこにいるというふうに思えると。
思えるということなんですよこれは。
現実のお母さんは決してそんなに
出来がいいか完璧かとは限らないじゃないですか。
うちの母にしてもそうですが。
でも若ちゃんの心の中には
もっと圧倒的に素晴らしいものとして
確立されていくわけですよね。
自分でその一旦欲求不満なお母さんと
つまり欲求を満たしてくれないお母さんと
欲求を満たしてくれるお母さんが
交互に現れるんですけれども
最後は必ず欲求を満たしてくれるお母さんが
戻ってくるから。
戻ってこないと死んじゃいますよね。
赤ちゃんは。
永遠に空腹のまま放置される。
そういうことが起こらないわけじゃないですか。
起こらなかったから自分生きてるわけですよね。
ということは必ず最後は戻ってくると。
つまり母親というのは永遠に良いものなんだ。
本質的にはあるいは究極的には良いものなんだと。
実際は違いますよ。
実際はグッドイナフです。
実際は適当に面倒くさいから今ちょっと後にしようとか
思ってるかもしれないし
今ちょうど手が空いたから
要するに実際はグッドイナフです。
だけれども赤ちゃんの心の中では
もっと理想化されたものが
そこに残っていく感じがある。
これってやっぱりよくあることじゃないですか。
一種の誤解なのかもしれないけれども
これかなり大事なことでして
人間関係でもですね
特にクライアントとカウンセラーの関係って
こうなりやすいですよね。
クライアントがいろんなことをやらかして
もしかするとカウンセラーのことを
カウンセラーが気を悪くしたかもしれないと。
ここに分裂の契機があるわけですよね。
カウンセラーっていうのは本当は
自分が何を言おうと
そこに黙っていて
心を揺るがさない存在であって
欲しいんだけれども
実際には人間だから
不機嫌になったりするのかもしれない
と思うじゃないですか。
でも次回行ってみるとやっぱりちゃんとそこにいる。
実はこういう人間関係って
稀ですよね。
24:01
本当に破綻し得るわけじゃないですか。
でも本当に破綻することは決してなく
何度もリフィルされてくると。
こうすることによって
カウンセラーがですね
素晴らしい存在として
自分の中に根付くわけですよ。
でも実際はそうじゃなかったりするじゃないですか。
実はカウンセラーはただ
お金のためにやっているのかもしれないし
いられるだけ
ここにいるだけなのかもしれない。
グッドイナフなわけですよ。
実際にはグッドイナフなんだけれども
心の中では
パーフェクトに近いというか
永遠にそこに良いものとして
あってくれるようなものとして
認識されていくと。
この認識を
内的対象って言うんですね。
精神分析では多分。
内的対象っていうのはだから
素晴らしいものなんですよ。
悪い内的対象ないのって言われるかもしれませんが
なくはないでしょうけれども
普通に考えてほしいんですよね。
まずないですよ。
悪い内的対象ってのは
どういうことかというと
すっごい自分に対して迫害する
嫌なやつなのに
それに何度も何度も
接触する。
普通の人そういうことしないじゃないですか。
ものすごい自分を
バッシングする人に何度も何度も
接近するっておかしいですよね。
だから何度も何度も
接近するほどの
間柄だから内的対象になるんだし
それは基本的には
良いはずですよね。
だから親が
良い内的対象になりきれてない時ってのは
多分悪い内的対象ってのは
ちょっと本当に微妙な感じがするんで
そういう言い方もあるんですけれども
私は本当に微妙な感じがするんで
それよりも
良いとは言い切れない
内的対象みたいになった存在が
心の中に住みつくと
厳しいことが起きる。
っていう話なんだろうと
思うんです。
この良い内的対象というか
基本内的対象は
良いものだと思うんですけれども
通してみると
相手がやらかしたり
ミスしたりしても
よく見えちゃうという
効果を発揮するんですよ。
私はこの辺が
グッドバイブスと同じカラクリではないんですが
同じことになっていくなと思って
何度も何度も
読んどるわけですね。
ウィニコットとかを
わかりにくいんですけどね。
つまり
そうですね
新婚のカップルとかが
いるとするじゃないですか
すごい仲がいいと
ここで内的対象が成立する
と思うんですね。
つまり誰か女性が
結婚する相手は
その人の名前なんですけど
私で言えばしょうこくんとかなっちゃうんですけど
同時に夫と結婚する
という側面があるわけじゃないですか
その人にとって
27:01
そうするとその人にとって
夫というのはどういう存在であるか
というのがですね
さっきの
いいお母さんほどじゃないでしょうけれども
やっぱりいい夫のはず
なんですよね。
つまり
内的対象という風になっていく
わけじゃないですか。ずっと一緒に
いたりしますからね。そうすると
当然喧嘩をしたりもしますよね。
少なくとも欲求不満を
残す可能性は
十分あると思うんです。
カウンセラーとクライアントとは
また違うけれども
母子ともまた違いますが
やっぱり欲求不満なことはあると思うんですよね。
行きたいというところに
行ってくれないかもしれないし
行ってほしいことを
言ってくれないかもしれないし
けど最後にはそこにいますよね。
基本最後には
仲良くなってますよね。
ここがすごいところなんですよ。
よく考えてみるとですね
ただ交互になっているだけのような
このただ交互になっている
だけだと思ってしまうというのは
既に精神的に
難しい状態にあると思うんですが
本来はそうは思わないと思うんですよ。
何かひどいことがあっても
この人はここに
戻ってきてくれる。つまり
失われない
愛情がある
愛情があるという感じになると思うんですね。
だってそうじゃなかったら
別れてると思うんですよ。
つまり
内的対照が成立するということと
ことはですね
基本は別れない
ということを意味すると思うんですね。
分離はありえないと
思えるような
心理状態に
切り替わっていくはずなんです。
ただ交互に起こるだけだったら
あらゆる人間関係と変わらなくなってしまう。
あらゆる人間関係は
いいことがあって嫌なことがあったら
距離を取ったり別れたりするというのが
ごく自然の人間関係ですから
内的対照が成立する
というからにはですね
その解釈は
最後には
よくしてくれるんだから
何か嫌なことがあるのは
常に一時的なものだと
いう解釈の
はずなんですね。
つまり
お母さんにとっての
母親のように
ある程度圧倒されないと
おかしいと思うんですよ。
この夫に圧倒されると
すごく自分に良くしてくれる
人なんだと。
これが一旦成立しちゃえばですね
あとの
十何年間とか二十何年間
とかの間に
少々ろくでもないことを
されたとしてもですね
問題起こらなくはないにしても
よく解釈することが
できていくはず。
つまり
自分の中の理想像みたいなものが
よくギャップになって
現実とのギャップで苦しむ
というじゃないですか。
あれは私は逆だと思うんです。
例えば私の内的対照としての
30:01
母は実際の母よりも
遥かに良いものです。
これが大事なんですよ。
だからといって
現実の母と私の内的対照としての
母のギャップに
私が苦しむなんてことはないんですよ。
グッドイナフなら
十分なんですよ。母が何か
しでかそうがミスしようが
私はいいものとしてそれを捉えているから
全てをかなりよく解釈
するんですね。
先日あの
ぶっちゃけ相談で親友とはみたいな話で
この話するのを
忘れちゃってたんですけれども
親友とは私が思うに
内的対照が確立した
関係なんです。
例えば私の友達に
河野君っているんですけれども
河野君の私の内的対照は
小学校5、6年生なんですよ。
今48歳ですよ。
もちろん7、8歳ですが
小学校
5、6年生なんですよ。
その時のいいイメージしかないんですよ。
私の中には。それからもうずっと会ってないから。
で、彼が
今ですね、まあそうですね
例えば麻薬の密売人
とかないですけど
やってたとするじゃないですか。でも私は
彼を悪くは考えない
わけですよ。なぜなら
私は内的対照を通して彼を
判断するから、それしかできないから
絶対にそうしなきゃ
ならないから、基本的に
あ、なんかよっぽどのことがあった
に違いないとか、すごくこう
同情的に見るというか、共感的に見る
というか、そういうことになるんですね。
つまりギャップがでかいにも
関わらず、そのギャップで
苦しむという形にはなりにくいんです。
この内的対照
というものが確立してしまえば。
で、この見方というのは
このプロセスの説明の仕方
とは違いますが、非常に
グッドバイブス的だなと自分は
思っているんですね。
で、えっと、だから
私が母を見るときも同じなんですよ。母は
たぶんグッドイナフな母で
しかないんですよ。普通の
平均的で現実的な。
けども、私の目にはそうは
映ってない。さっきの
河野くんのケースと同じで
内的対照を通すので
全てが基本的には
許せる形をとるんですね。
私の目に入ってくる場合には。
で、これが
えっと、その
すいません
居場所がないとか
いうときにはですね
すごく大事になってくるんではないか
と思うんです。
会社の人とかの
関係でもですね。一旦
良い内的対照を自分の中に
確立してしまえば
その人のことは
その人のことであんまり苦しまずに
済むと思うんですね。
ベストなのは
自分の内的対照を
人に、人の中に
インストールしてもらう
ことなんですよ。きっと。
だから
結局のところ
その、グッドイナフで
あるということで
33:01
ある意味いいんですね。
グッドイナフで十分だし
グッドイナフで居続けるっていうのが
大事なんだと思うんです。
多分。
えっと
ビジネスパーソンで言えば
グッドイナフなビジネスパーソンです。もともと
パーフェクトとかはありえないじゃないですか。
部長がですね
部長じゃない。課長が
なんかしてほしいなと思った瞬間に
もうそれをしてる。そんな部下はいないですよね。
し、それをずっと永続的にやる
なんてことは不可能ですよね。
これをパーフェクトだとすると
パーフェクトバッドな部下ってもういないじゃないですか。
なんか部長が
こうしてほしいなと思ったらそれを破壊するみたいな。
すぐクビになりますよね。
だから、普通のビジネスパーソン
みんなグッドイナフなはずなんですよ。
さっきのグッドイナフマザーと同じ理屈で
その中間にいる
全ての人は基本グッドイナフですから。
ただ大事なのはですね
多分
グッドイナフな母がそうであるように
必ず
その後で
最後は戻ってくるというか
最後は
良くしてくれる。
こういう人なんだと思うんです。
その内的対象として
成立していくというのは。
つまり
何かしでかすじゃないですか。
絶対に。
これはグッドイナフマザーが
まさにミスするように
何かしでかさないといけないんですよ。
むしろ。
そもそも会社にいる全ての人の
欲求を
瞬時に常に満たし続けるということになったら
会社の人は誰も欲求を持たなくなっていくので
多分その会社で働く人は
いなくなりますよね。
そういうことは絶対に本当にありえないから
常に欲求不満というのは
そこら中にあるわけですよね。
これを私たちの時代って
何か恐れるところが出てきたんですよね。
人の心の中を
悪くするという不思議なことを
やるようになって
何か人が
自分に対して不満を抱くということが
あってはいけないんじゃないかと。
これはですね、やっぱり
これは明日に回したいんですけど
ウィニコットの
グッドイナフに
グッドイナフからの
内的対象になりきれてない
お母さんに対する
そういう子どもの態度なんですよね。
不安というものが
不満なんですけれども
残ると。
つまり不満を残さなければいけない
という心理が
そこに働いちゃっているわけです。
これが多分
会社とかの人間関係でも
あるいは夫婦関係でも
起こるんだと思うんですよ。
踏み込めなくなる。
途中申しました通り
自分が踏み込んで
全部やりきってしまうと
関係が破壊されるのではないかと。
自分が
その相手に対して
100%の行為を
示すと
相手は引いていくんじゃないかと。
そうすると
お客様っぽい存在になるじゃないですか。
36:01
お客様ってそうじゃないですか。
踏み込んでくるお客様っておかしいですよね。
会社ででもお客様する人
っていう社員ってきっと
おかしいと思うんですけれども
HSPの人とか
怒られたくないって話の時に
究極的にやっぱり
それはお客様感っていうのを
残したいって感じがするんですよ。
お客様として私を
お客様として扱うのであれば
きちんと自分がやれば
怒られる筋合いないですよね。一切。
そこで
ちゃんとやろうという姿勢を
持ってさえいれば
何にもそこで
摩擦が起きたりする理由
ないですよね。すごくだから
お客様になっていたいって感じがするんですよ。
でもお客様というのは
踏み込まないわけですから
しでかさない
存在ですから
つまりそれはグッドイナフな
社員とは全然違う何か
ですよね。実際には
怒られたりするじゃないですか。
それをすごく拒否する
ということはですね
たぶん
決してその人は
誰かの内的対象にその場面では
なれないと思うんですよ。
内的対象になるということは
赤ちゃんがものすごく鳴くようにですね
そしてお母さんと赤ちゃんの
関係はギクシャクすることがあるように
だって母子の関係って絶対
ギクシャクすることありますから
これが一切ない関係というのは
母子じゃないんですよね。
母子じゃないということは決して内的対象には
ならないという話になって
きます。で
これを
たぶんこの
お好みさんという人がこれも紹介しましたけど
ジゾイド人間というのに書いているのは
今夫婦関係も
お客様関係みたいに
なろうとしている人が
少なからずいるんだみたいな指摘
なんだと思うんですよ。その
夫婦関係というのも間違いなく
普通は普通にやると
お互いグッドイナフでしかありえないので
当然やらかす
わけですよ。で
当然のようにやらかして
いるにもかかわらずすなわち
そこで激しいコミュニケーショントラブル
が起きるんだけど戻ってくると
この繰り返しによって
内的対象というものが
確立されていってそうすると
内的対象を通して
相手を見るので
やらかしても
大丈夫になるわけですよね。
こういう風にならないということは
とっても難しい
人間関係がそこで
常に相手はお客様扱い
お互いしなきゃならないので
ものすごくストレスですよね。ある意味。
この親子関係を
お客様関係に置き換えれば
わかると思うんですよ。このストレス
というのは。親子関係が
お客様みたいだったら大変だ
と思います。
まあそういうことはないですけど
その辺ちょっと上手く書いたのが
火ずる所の天使っていうコミックだった
と思うんですよね。なんか挨拶を
交わして何事もなく親子は
やってます。なんだその関係は
39:01
って誰かに言われるっていうのが
あるんですけど挨拶を交わして
何事もなく
そういう人間関係を親子に
持ち込むっていうのは
それは
親子関係じゃないよねみたいな
話ですね。だから
この話って
いろいろあるんですけど
会社の居場所みたいなことで
困る時っていうのは
自分がグッドイナフでいいんだと
むしろグッドイナフでしかありえないし
グッドイナフじゃなきゃダメなんだ
と思えるかどうかっていうのが
割と大きいかなと思います。
自分もそのグッドイナフ
家族で言えば
ハズバンドですよね。グッドイナフ
ハズバンドというのはやらかすんですよ
当然。で
ポイントなのは
フルフィルメント
するかどうかってことなんですよね。
いつもフルフィルメント
するつもりがあるのかどうか
これがあって
やらかす限りにおいては
やらかすことは
決して悪いことではない
そうしないと
相手は欲求不満を持つということが
できなくなるので
欲求不満を持たないと
欲求が満たされることは
本質的にはないわけですよ
これはこのアプローチは何度も言いますが
グッドバイブスのアプローチと
完全にイコールなわけでは
ないんですけれども
最終的には同じようなところに
行き着くかなと
つまりこれ
相手は善だということになるじゃないですか
なぜなら内的対象は
良いものだから
今日の話の中で悪い内的対象の話は
飛ばしたんですけど
夫婦関係で悪い内的対象として
夫を持ってたり
妻を持ってるっていうのは
おぞましい話なので
おぞましいし普通はな
まず成立しない。離婚しちゃうと思うんで
悪い内的対象としての
夫とか
という問題はあるんですが
普通はほぼないと
悪い内的対象としての
上司とか多分
その会社辞めると思うんですね
それほどのものなんですよ
内的対象というのは
普通の人間関係では内的対象までは
多分いかないと
私は思うんですね
親友とか夫婦とか
特に母親ですよね
そして自己肯定感云々
っていう話最近すごく
多くなってますが
あれはやっぱり
内的対象としての母が
いない
ってことはないので
なぜか不十分
多くの場合は
やっぱりそこで
完全に満たそうとすることに
踏み込めない関係というやつ
チョコレートで言えば
半分だけ食べるみたいなね
全部食べるとなくなっちゃって怖いから
半分だけ食べる
この欲求不満が
永続的に続く
ということなんだと思うんです
そうすると自分の欲求が恨めしくなるじゃないですか
42:03
それが多分自己肯定感
っていう話だと思うんですよね
自分が喋るということを
喋りたいとか仲良くなりたいとか
思うその気持ちが恨めしくなるじゃないですか
自分が喋るとみんなが引くとかね
自分が仲良くなろうとすると
相手が逃げていくとか去っていくとか
そう思うと踏み込めないのに
でも仲良くなりたいとか
言いたいことを言いたいと思うような
その自分自身が嫌だっていう状態って
すごく自己肯定感の話を
云々したくなると思うんですよ
これは結局
いいおっぱいというものの
供給には限りがあります
限りないんです
ってところまで行かなきゃいけないのに
限りがあるんです
っていうところで止まっちゃっている
そういうような問題なんだろうと
思いますね
やっぱりそこを
乗り越えるというのは
怖いことなので
飲み干してみてダメでしたっていうのは
怖いじゃないですか赤ちゃんにとってはね
だから
飲み干してみました
ダメになっちゃいました
でもフルフルメントされるんですと
そこまで行き着くことによって
これって結局
ポジションなんですけど歴史がありますから
そこまで行き着くことによって
安心
なんだということですよね
信頼しきれるんだという感じを
最初に持つきっかけになると
それが
色々
問題はあるけど母子関係だと
父子でいいじゃんって話なんですけど
いいと思うんですよ
私も別に父子で
私だってミルクあげてましたからね
ゼロ歳児の時から
ただ
ちょっとしたそこにニュアンスの違いがあるのは
否めない気がします
私からは出てこないからね
私から出てこないというのには
色んな意味がありますよね
うちの娘も私から出てきたわけじゃないですからね
その辺なんだと思うんですよね
内的対象としての
母親
最初に来るのは
それが偉大だというのは
非常に悪者にとっては
意味が大きいじゃないですか
必要なものは全部供給されてくる
存在がすぐそばにいて
しかもそこから
自分が出てきたとなったら
価値マックスじゃないですか
父親とこの2つがですね
ちょっと意味が変わっちゃうんですよね
いつまででも
ミルクを買ってきてやるぞみたいに
なっちゃうじゃないですか
ちょっと違うような気がするんですよね
そこに偉大さが少し欠けている
ほぼ同じ意味になるというのであれば
そういうふうにも
言えるとは思うんです
ちょっと長くなってますけれども
要するに
グッドイナフで
十分だし
それ以上の存在にはなり得ないし
自分がグッドイナフでいれば
45:01
居続ける限り
いずれですね
相手の内的対象
になっていくと
これを信じられればですね
やらかすとか居場所がないという
怯えっていうのが
ものすごく激減するんじゃないか
というのが
僕のこの
最近読んでいる中での
一つの結論なんです
45:25

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